<ニュース・コメンタリー>間違いだらけの違憲選挙

<ニュース・コメンタリー>間違いだらけの違憲選挙

 「解散は首相の専権事項だ。」 われわれは国会議員や閣僚がこの台詞を口にするのを、耳にたこができるほど繰り返し聞かされてきた。確かに衆議院を解散する権限は首相しか持たない特別な権限かもしれない。その意味で、それが首相の専権事項であることは間違いない。しかし、だからといって、これが「首相がいつでも好きなときに衆議院を解散できる」という意味で受け止められているとすれば、それは大きな間違いだ。いや、むしろ内閣不信任決議案の可決によらない首相の解散の是非を憲法がどう定めているかについては、最高裁判所では結論が出ず、その是非の決定はわれわれ国民に委ねられているというのが、正しい憲法解釈なのだ。要するに、あなたがこれを違憲と思えば違憲、合憲と思えば合憲ということだ。 安倍首相は衆議院の解散を決断し、11月21日午後の衆議院本会議で伊吹文明衆院議長が、紫の袱紗に包まれた天皇陛下の解散詔書を読み上げた。 「憲法第7条によって衆議院を解散する」 憲法で衆議院の解散を直接定めている条文は憲法69条の内閣不信任決議案のくだりだけだ。憲法第69条は、衆議院で内閣不信任決議案が可決された時、首相は10日以内に衆議院を解散しなければ、内閣総辞職をしなけばならないと定めている。 しかし、今回の、そして過去のほとんどの解散の根拠となっている憲法第7条は、実は天皇の国事行為を定めた条文に過ぎない。憲法第7条には天皇が行う国事行為として憲法改正や法律の公布、国会の召集、条約の認証、恩赦の認証などと並んで、その3に「衆議院を解散すること」というものが含まれている。そして、憲法第3条で、すべての天皇の国事行為は「内閣の助言と承認を必要とし」と定められていることから、いわゆる7条解散というのは、内閣の助言によって天皇が自ら解散を行った形が取られているものだ。 無論、陛下の国事行為に含まれていて、内閣はそれを助言する立場にあるからといって、首相が自分だけの意思で無条件、無制限に衆院を解散できると解するのは、憲法の条文上も、また道義上も、少々無理があるとは誰もが感じるところだろう。 実は1952年の戦後2度目の解散が、憲法第7条に基づいた最初の解散だった。吉田茂内閣によるこの解散によって衆議院議員の職を失った苫米地義三衆院議員が、この解散の正当性について憲法判断を求めて訴訟を起こした。これがいわゆる苫米地事件と呼ばれるものだ。 この裁判で地裁は7条解散を違憲、高裁はこれを合憲としたが、最高裁は1960年6月8日の大法廷判決で、「高度の政治性」を理由に7条解散の是非についての憲法判断を回避する決定を下している。この判決の中で最高裁は、前年の砂川事件で判例化した「統治行為論」を根拠に、このように高度の政治性を帯びた問題は三権分立の精神の元では、司法が介入すべき問題ではないとの立場を取った。その上で最高裁は、7条解散の合憲性は、「最終的には国民の政治判断に委ねられているもの」と指摘しているのだ。・・・ 気鋭の憲法学者木村草太と、此度の解散総選挙の憲法上の問題点と、それがわれわれ有権者に突きつけている「政治判断」の意味を、ジャーナリストの神保哲生と社会学者宮台真司が議論した。

http://www.nicovideo.jp/watch/so24969534