ポロックの絵画は、絵画の「最終的段階」なのだろうか? 絵画そのものを奇妙に硬直化して捉えるよりも、現在のダミアン・ハーストの『桜』にしろ、エリザベス・ペイトンの『肖像画』にしろ、これらのポロック以後の絵画の存在を直視して、ポロック論の形式化の外に出る必要があるのではないだろうか。
http://www.nicovideo.jp/watch/so40474149