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<マル激・後半>人を不健康にする健康食品のリスクをそろそろ真剣に考えませんか/松永和紀氏(科学ジャーナリスト)
そもそも健康食品とは何なのか。実はこの問いには誰も答えられない。なぜならば、そもそも健康食品には法的な定義など存在しないからだ。
その一方で、ほとんど効果がないばかりか実際には人体に有害になり得る商品が、「健康食品」の名で日々、大量に売られている。
紅麹を使ったサプリメントによる中毒は、これまでに5人が死亡し270人もの入院者を出す、未曽有の食害事件となっている。医療機関の受診者も1,541人にのぼり、海外でも影響が出ているという。
小林製薬の紅麹コレステヘルプの中毒については、現時点ではまだ原因が特定されていない。しかし、食品安全に詳しい識者の多くが、健康食品産業が野放図に膨張する中で、今回のような事故が起きるのは時間の問題だったと口を揃える。
繰り返すが、そもそも「健康食品」には法律上の定義がない。人が口から摂取するものとしては医薬品と食品があるが、両者は異なる法律によって厳格に区別されていて、認可の基準も大きく異なる。薬機法(旧薬事法)によって厳しく管理されている医薬品と異なり、食品は法的には認可を必要としない。錠剤のサプリメントなどは素人目には限りなく薬に近い存在に見えるかもしれないが、法的にはあくまで食品だ。今回問題となっている小林製薬の紅麹を使ったサプリメントも、医薬品ではなく食品だ。なので今回の事故は薬害ではなく、食害もしくは食中毒ということになる。
食品を売るためには認可などを必要としないが、その分、通常の食品は健康効果を謳うことが薬機法によって禁じられている。ところが1980年代以降の世界的な健康ブームの高まりの中、日本でも特定の食品に健康上の効果を表示して売り出したいという業界からの強い要請があがるようになった。それを受けて政府はまず1991年に食品の中に「特定保健用食品」というカテゴリーを設け、一定の基準を満たした食品については、健康上の効果を謳うことができるようになった。いわゆるトクホである。
トクホというカテゴリーが設けられたことで、許可を得た食品は健康上の効果を謳うことが可能になったが、トクホの認定を受けるためには通常10年の年月と億単位のコストがかかるとされ、そのハードルは決して低いものではなかった。現実的には大手企業でなければトクホの認定を取得することは困難だった。
しかし、2015年に規制緩和を旗印に掲げる安倍政権の下、アベノミクスの一環として新たな食品のカテゴリーとして「機能性表示食品」というものが導入された。これはトクホよりも遥かに簡単な手続きでメーカーが健康食品の効果を謳うことを可能にする制度で、企業がガイドラインに則って効果や安全性を確認し、書類を消費者庁に提出すれば、機能性表示食品となり製品の健康上の効果を謳えるというもの。届け出された書類については消費者庁は形式的な確認しか行わず、よってその内容にも責任を負わない。
機能性表示食品制度の導入によって、国の審査を通過する必要があるトクホに比べて企業は遥かに簡単に商品の健康上の効果を謳えるようになり、これによって売り上げも爆発的に伸びたため、機能性表示食品が市場に溢れるようになった。1991年に導入されたトクホが33年間で1,054件しか認められていないのに対し、機能性表示食品の件数は導入から僅か9年間で6,752件にのぼっている。機能性表示食品制度の導入によって、トクホではとても手が届かなかった中小企業でも健康食品市場への参入が可能になったのだ。
小林製薬の紅麹コレステヘルプもラベルで大きく「悪玉コレステロールを下げる」「L/H比を下げる」と謳っているが、これはこの商品が機能性表示食品としての届け出をしているから許されたものだった。
しかし、機能性表示食品の制度が導入された当初から、科学的な根拠のない健康効果を謳う商品が乱造され、いずれはそれが健康被害を生む可能性があることが懸念されていた。機能性表示食品の届け出をするためには、一応その効果の根拠となる論文を添付しなければならないことになっているが、何とその論文がどの程度権威や信頼性のあるものなのかは問われていないのだ。
科学的な根拠が希薄で、生産管理についても国は一切関与していないが、それでも商品のラベルには大々的に健康上の効果を謳うことができる。多くの消費者は当然それを信じ込み、中には毎日その「食品」を一生懸命に摂り続ける人もいるだろう。今回の紅麹食害はそうした中で起きた、いわば起きるべくして起きた健康食品の食害事件だったのだ。
科学ジャーナリストの松永和紀氏は、食品の特定の成分を抽出してそれをサプリメントの形で摂ることのリスクを強調する。栄養は食品として他のものと一緒にバランスよく摂ることによって効果が生まれるものが多い。食品の特定の成分を抽出・濃縮して摂取すれば、より高い効果が期待できるという性格のものではない。ましてやサプリメントは毎日摂取されることが多いため、特定の物質だけを過剰摂取することになりやすく、健康上のリスクが懸念されると言う。
紅麹コレステヘルプによる食害が起きるべくして起きた事件だと言われる理由は何なのか。そもそも健康食品とは何で、なぜ十分な科学的エビデンスに基づかない効果を謳った商品がこれだけ大量に売られているのか。健康食品ブームを引き起こした健康に対する不安はどこから来ているのかなどについて、松永和紀氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。(松永氏より、今回の番組内の氏の発言は所属する組織の見解を示すものではなく松永氏のジャーナリストとしての見解であることを付記してほしい旨の申し入れがありましたので、ここに追記いたします。)
前半はこちら→so43776101
(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
<マル激・前半>人を不健康にする健康食品のリスクをそろそろ真剣に考えませんか/松永和紀氏(科学ジャーナリスト)
そもそも健康食品とは何なのか。実はこの問いには誰も答えられない。なぜならば、そもそも健康食品には法的な定義など存在しないからだ。
その一方で、ほとんど効果がないばかりか実際には人体に有害になり得る商品が、「健康食品」の名で日々、大量に売られている。
紅麹を使ったサプリメントによる中毒は、これまでに5人が死亡し270人もの入院者を出す、未曽有の食害事件となっている。医療機関の受診者も1,541人にのぼり、海外でも影響が出ているという。
小林製薬の紅麹コレステヘルプの中毒については、現時点ではまだ原因が特定されていない。しかし、食品安全に詳しい識者の多くが、健康食品産業が野放図に膨張する中で、今回のような事故が起きるのは時間の問題だったと口を揃える。
繰り返すが、そもそも「健康食品」には法律上の定義がない。人が口から摂取するものとしては医薬品と食品があるが、両者は異なる法律によって厳格に区別されていて、認可の基準も大きく異なる。薬機法(旧薬事法)によって厳しく管理されている医薬品と異なり、食品は法的には認可を必要としない。錠剤のサプリメントなどは素人目には限りなく薬に近い存在に見えるかもしれないが、法的にはあくまで食品だ。今回問題となっている小林製薬の紅麹を使ったサプリメントも、医薬品ではなく食品だ。なので今回の事故は薬害ではなく、食害もしくは食中毒ということになる。
食品を売るためには認可などを必要としないが、その分、通常の食品は健康効果を謳うことが薬機法によって禁じられている。ところが1980年代以降の世界的な健康ブームの高まりの中、日本でも特定の食品に健康上の効果を表示して売り出したいという業界からの強い要請があがるようになった。それを受けて政府はまず1991年に食品の中に「特定保健用食品」というカテゴリーを設け、一定の基準を満たした食品については、健康上の効果を謳うことができるようになった。いわゆるトクホである。
トクホというカテゴリーが設けられたことで、許可を得た食品は健康上の効果を謳うことが可能になったが、トクホの認定を受けるためには通常10年の年月と億単位のコストがかかるとされ、そのハードルは決して低いものではなかった。現実的には大手企業でなければトクホの認定を取得することは困難だった。
しかし、2015年に規制緩和を旗印に掲げる安倍政権の下、アベノミクスの一環として新たな食品のカテゴリーとして「機能性表示食品」というものが導入された。これはトクホよりも遥かに簡単な手続きでメーカーが健康食品の効果を謳うことを可能にする制度で、企業がガイドラインに則って効果や安全性を確認し、書類を消費者庁に提出すれば、機能性表示食品となり製品の健康上の効果を謳えるというもの。届け出された書類については消費者庁は形式的な確認しか行わず、よってその内容にも責任を負わない。
機能性表示食品制度の導入によって、国の審査を通過する必要があるトクホに比べて企業は遥かに簡単に商品の健康上の効果を謳えるようになり、これによって売り上げも爆発的に伸びたため、機能性表示食品が市場に溢れるようになった。1991年に導入されたトクホが33年間で1,054件しか認められていないのに対し、機能性表示食品の件数は導入から僅か9年間で6,752件にのぼっている。機能性表示食品制度の導入によって、トクホではとても手が届かなかった中小企業でも健康食品市場への参入が可能になったのだ。
小林製薬の紅麹コレステヘルプもラベルで大きく「悪玉コレステロールを下げる」「L/H比を下げる」と謳っているが、これはこの商品が機能性表示食品としての届け出をしているから許されたものだった。
しかし、機能性表示食品の制度が導入された当初から、科学的な根拠のない健康効果を謳う商品が乱造され、いずれはそれが健康被害を生む可能性があることが懸念されていた。機能性表示食品の届け出をするためには、一応その効果の根拠となる論文を添付しなければならないことになっているが、何とその論文がどの程度権威や信頼性のあるものなのかは問われていないのだ。
科学的な根拠が希薄で、生産管理についても国は一切関与していないが、それでも商品のラベルには大々的に健康上の効果を謳うことができる。多くの消費者は当然それを信じ込み、中には毎日その「食品」を一生懸命に摂り続ける人もいるだろう。今回の紅麹食害はそうした中で起きた、いわば起きるべくして起きた健康食品の食害事件だったのだ。
科学ジャーナリストの松永和紀氏は、食品の特定の成分を抽出してそれをサプリメントの形で摂ることのリスクを強調する。栄養は食品として他のものと一緒にバランスよく摂ることによって効果が生まれるものが多い。食品の特定の成分を抽出・濃縮して摂取すれば、より高い効果が期待できるという性格のものではない。ましてやサプリメントは毎日摂取されることが多いため、特定の物質だけを過剰摂取することになりやすく、健康上のリスクが懸念されると言う。
紅麹コレステヘルプによる食害が起きるべくして起きた事件だと言われる理由は何なのか。そもそも健康食品とは何で、なぜ十分な科学的エビデンスに基づかない効果を謳った商品がこれだけ大量に売られているのか。健康食品ブームを引き起こした健康に対する不安はどこから来ているのかなどについて、松永和紀氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。(松永氏より、今回の番組内の氏の発言は所属する組織の見解を示すものではなく松永氏のジャーナリストとしての見解であることを付記してほしい旨の申し入れがありましたので、ここに追記いたします。)
後半はこちら→so43776271
(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
<マル激・後半>今こそ日本を立て直すための「プランB」を実現しよう/吉見俊哉氏(国学院大学観光まちづくり学部教授、東京大学名誉教授)
日本では戦後一貫して自民党が「プランA」の担い手だった。そして自民党政治が限界を迎えた今、日本を立て直すための「プランB」を実現するための好機が訪れているのではないか。
衆院の補選で自民党が3連敗した。裏金スキャンダルの影響が指摘されるが、そもそも今回の裏金問題は日本における過去十数年の政治の実態が、党の支持基盤が細る一方の自民党が億単位の裏金を駆使して辛うじて選挙に勝利し権力を維持してきた歴史だったことを露わにしていると見るべきだろう。ゴールデンウィーク明けから本格化する政治資金規正法改正案の審議でも、自民党は何があっても億単位のおカネを選挙や政治活動に自由に使える裏金を作れる仕組みや、内訳を一切明らかにしなくてもいい、事実上の政党の「官房機密費」の役割を果たしている政策活動費だけは、決して手放そうとしない。裏金なくして自民党政治は成り立たないからだ。
今回の補選の結果が自民党政治の終焉を意味するのか、あるいはこれまでのように自民党に一時的に「お灸をすえる」程度のもので終わるのかは、未知数だ。しかし、仮に何らかの方法で自民党が党勢を回復させたとしても、それだけでは日本が抱える大問題には何の解決策にもならない。
日本がかつて戦後の焼け野原からの奇跡的な復興を果たし、ほんの短い間とは言え世界に冠たる経済大国になることを可能にした「プランA」に代わる「プランB」を打ち出せない限り、30年を超える日本の低迷は今後も続くことが不可避だ。ある意味で、日本のプランAと自民党政治は表裏一体の関係にあった。だから、自民党政治が続く限り日本はプランAからプランBへの転換は困難だった。しかし、自民党政治が限界を露呈している今、プランAと決別し政治、経済、社会のあらゆる分野における国の運営を新しいプランに基づくものに転換するチャンスが訪れている。
しかし、日本にとってのプランBとは何なのかを考えるためには、まずそもそも日本が今まだその線上に乗っているプランAとは何だったのか、そしてなぜある時期までプランAは機能し、いつ頃からどのような理由でプランAは機能しなくなったのか。そして、何よりもなぜ日本はここまでプランBを打ち出すことができないのかを、まずは厳しく検証しなければならない。
その検証と反省の上に立ち、21世紀の日本にとってのプランBとはどのようなものでなければならないのか、そしてそれを実現するために、われわれは何をどう変えなければならないのかなどを考える必要があるだろう。
はっきりしていることは、プランAが一時期非常にうまく機能し、世界から「エコノミック・ミラクル」とまで称賛されるような復興と高度経済成長を果たせた最大の理由は、空前の人口ボーナスと内政と経済活動に集中することが許される特殊な国際情勢があったからだ。そして、その前提がほぼすべて崩れている今、プランAがうまくいかないのは当たり前のことだった。
社会学者でまちづくりの専門家でもある吉見俊哉・国学院大学教授は、戦後復興のプランAは1980年代の中曽根民活あたりから始まった新自由主義路線により、プランA1からプランA2へと表面的には姿を変えたが、いずれもその核心は量的な成長・拡大を志向した途上国モデルに過ぎなかったと言う。それを前提に吉見氏は、プランBの核心は自ずと成長・拡大モデルを捨てることになると指摘する。そしてその象徴として吉見氏は東京一極集中を挙げる。すべてを東京に集中させれば効率はよくなるが、満員電車や住宅事情や空洞化した人間関係を見るまでもなく、その分、人々の生活から豊かさや人間性は失われる。そして、その東京の出生率が極端に低いため、東京に人が集まれば集まるほど人口減少に拍車がかかる。効率を追求する中で、社会全体を高速化しなければならないという強迫観念から脱却することが、プランBの中で重要なウエイトを占めることになると吉見氏は言う。
また、日本にとってのプランBは、プランAのように霞が関のエリート官僚が勝手に作成し、それを上意下達していくものでは機能しない。社会が複雑化し、利害関係が複雑に絡み合う今日、意思決定の方向性を上意下達型から内発型にしない限り、プランBがどんなに立派な内容であったとしても、それが心情的に市民から受け入れられることはないだろう。つまりプランBはその中身の妥当性も問われるが、同時にその決め方や政策が実行される際のベクトルが重要な要素を占めることになる。
そうして考えていくと、まだまだお上意識が強く、変に国や社会の意思決定に参加するよりも、「任せてブーたれる」方が楽だと考える人が多数を占める今日の日本で、プランBを策定し実行することは決して容易ではないかもしれない。しかし、それなくして日本の再興があり得ない以上、どこかでわれわれは必ずその問題と向き合わなければならなくなる。そして、それが早ければ早いほど、痛みが少なくて済むことは言うまでもない。
日本はなぜプランBを打ち出せないのか、そもそもプランAとは何だったのか、プランAを支えていた前提条件とは何か、それがなくなった今、日本に必要なプランBとはどのようなものなのかなどについて、国学院大学観光まちづくり学部教授の吉見俊哉氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
前半はこちら→so43745961
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<マル激・前半>今こそ日本を立て直すための「プランB」を実現しよう/吉見俊哉氏(国学院大学観光まちづくり学部教授、東京大学名誉教授)
日本では戦後一貫して自民党が「プランA」の担い手だった。そして自民党政治が限界を迎えた今、日本を立て直すための「プランB」を実現するための好機が訪れているのではないか。
衆院の補選で自民党が3連敗した。裏金スキャンダルの影響が指摘されるが、そもそも今回の裏金問題は日本における過去十数年の政治の実態が、党の支持基盤が細る一方の自民党が億単位の裏金を駆使して辛うじて選挙に勝利し権力を維持してきた歴史だったことを露わにしていると見るべきだろう。ゴールデンウィーク明けから本格化する政治資金規正法改正案の審議でも、自民党は何があっても億単位のおカネを選挙や政治活動に自由に使える裏金を作れる仕組みや、内訳を一切明らかにしなくてもいい、事実上の政党の「官房機密費」の役割を果たしている政策活動費だけは、決して手放そうとしない。裏金なくして自民党政治は成り立たないからだ。
今回の補選の結果が自民党政治の終焉を意味するのか、あるいはこれまでのように自民党に一時的に「お灸をすえる」程度のもので終わるのかは、未知数だ。しかし、仮に何らかの方法で自民党が党勢を回復させたとしても、それだけでは日本が抱える大問題には何の解決策にもならない。
日本がかつて戦後の焼け野原からの奇跡的な復興を果たし、ほんの短い間とは言え世界に冠たる経済大国になることを可能にした「プランA」に代わる「プランB」を打ち出せない限り、30年を超える日本の低迷は今後も続くことが不可避だ。ある意味で、日本のプランAと自民党政治は表裏一体の関係にあった。だから、自民党政治が続く限り日本はプランAからプランBへの転換は困難だった。しかし、自民党政治が限界を露呈している今、プランAと決別し政治、経済、社会のあらゆる分野における国の運営を新しいプランに基づくものに転換するチャンスが訪れている。
しかし、日本にとってのプランBとは何なのかを考えるためには、まずそもそも日本が今まだその線上に乗っているプランAとは何だったのか、そしてなぜある時期までプランAは機能し、いつ頃からどのような理由でプランAは機能しなくなったのか。そして、何よりもなぜ日本はここまでプランBを打ち出すことができないのかを、まずは厳しく検証しなければならない。
その検証と反省の上に立ち、21世紀の日本にとってのプランBとはどのようなものでなければならないのか、そしてそれを実現するために、われわれは何をどう変えなければならないのかなどを考える必要があるだろう。
はっきりしていることは、プランAが一時期非常にうまく機能し、世界から「エコノミック・ミラクル」とまで称賛されるような復興と高度経済成長を果たせた最大の理由は、空前の人口ボーナスと内政と経済活動に集中することが許される特殊な国際情勢があったからだ。そして、その前提がほぼすべて崩れている今、プランAがうまくいかないのは当たり前のことだった。
社会学者でまちづくりの専門家でもある吉見俊哉・国学院大学教授は、戦後復興のプランAは1980年代の中曽根民活あたりから始まった新自由主義路線により、プランA1からプランA2へと表面的には姿を変えたが、いずれもその核心は量的な成長・拡大を志向した途上国モデルに過ぎなかったと言う。それを前提に吉見氏は、プランBの核心は自ずと成長・拡大モデルを捨てることになると指摘する。そしてその象徴として吉見氏は東京一極集中を挙げる。すべてを東京に集中させれば効率はよくなるが、満員電車や住宅事情や空洞化した人間関係を見るまでもなく、その分、人々の生活から豊かさや人間性は失われる。そして、その東京の出生率が極端に低いため、東京に人が集まれば集まるほど人口減少に拍車がかかる。効率を追求する中で、社会全体を高速化しなければならないという強迫観念から脱却することが、プランBの中で重要なウエイトを占めることになると吉見氏は言う。
また、日本にとってのプランBは、プランAのように霞が関のエリート官僚が勝手に作成し、それを上意下達していくものでは機能しない。社会が複雑化し、利害関係が複雑に絡み合う今日、意思決定の方向性を上意下達型から内発型にしない限り、プランBがどんなに立派な内容であったとしても、それが心情的に市民から受け入れられることはないだろう。つまりプランBはその中身の妥当性も問われるが、同時にその決め方や政策が実行される際のベクトルが重要な要素を占めることになる。
そうして考えていくと、まだまだお上意識が強く、変に国や社会の意思決定に参加するよりも、「任せてブーたれる」方が楽だと考える人が多数を占める今日の日本で、プランBを策定し実行することは決して容易ではないかもしれない。しかし、それなくして日本の再興があり得ない以上、どこかでわれわれは必ずその問題と向き合わなければならなくなる。そして、それが早ければ早いほど、痛みが少なくて済むことは言うまでもない。
日本はなぜプランBを打ち出せないのか、そもそもプランAとは何だったのか、プランAを支えていた前提条件とは何か、それがなくなった今、日本に必要なプランBとはどのようなものなのかなどについて、国学院大学観光まちづくり学部教授の吉見俊哉氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
後半はこちら→so43746114
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<永田町ポリティコ> 補選全敗でも政権基盤が揺るがないことこそが自民党の最大の問題だ
統一教会との関係や裏金問題などで政治不信がピークを迎える中、4月28日に全国の3つの選挙区で行われた補欠選挙で、自民党は2つの不戦敗を含む全敗という結果に終わった。
特に今回の補選で自民党が唯一独自候補を擁立した島根1区では、細田博之衆院議長の死去を受けた弔い選挙であったにもかかわらず、立憲民主党公認の亀井亜紀子氏に2万4,794票もの大差をつけられる惨敗だった。竹下登元首相、桜内義雄衆院議長などを輩出した保守王国島根で自民候補が敗れるのは今の選挙制度が始まってから初めてのこととなる。特にこの選挙区については、他の2つの選挙区のように自民党の現職議員の不祥事による辞任を受けたものではなく、現職の衆院議長の死去を受けたもので、岸田首相自身が2度も応援に地元入りする力の入れようだっただけに、党内には衝撃が走っている。
普通であれば今回の選挙結果によって「岸田首相の下では選挙は戦えない」ことが明らかになったと見做され、首相自らが退陣しない場合、岸田降ろしが起きても不思議はない状況だ。しかし、今の自民党は岸田首相に取って代わることができる総理総裁候補が見当たらないほど、党勢が弱体化している。いろいろな名前は取り沙汰されるが、今回有権者から明確にノーを突きつけられた現在の自民党の体質を根本から変えることが期待できそうな政治力や胆力のある政治家が見当たらない。
そうした状況を熟知してか岸田首相は持ち前の鈍感力をフルに発揮し、退陣はおろか9月の自民党総裁選以降も首相の座に居座る気が満々だという。
ゴールデンウィーク明けには国会で政治資金規正法の改正案の審議が本格的に始まる。しかし、今のところ自民党からは、今回の裏金問題の原因となった法律の抜け穴や、使途を公開しないまま億単位の政治資金を湯水のごとく自由に使うことが可能になっている法律のあからさまな欠陥を修正する案は出てきそうにない。岸田政権としては、政治資金規正法に実効性のある改正などを行ってしまえば、そうでなくても不人気なところに輪をかけて党内の支持を失うことがわかりきっているため、あえて的外れな改正案しか出さないようにしているのだ。そうした弥縫策でお茶を濁しながら6月23日の閉幕まで国会を乗り切り、夏の外交日程を無事にこなせば、9月の総裁選では他に有力な対抗馬がいない以上、岸田氏が楽に勝利できると岸田氏とその周辺は考えているようだ。
しかし、今回野党、とりわけ立憲民主党はかなり踏み込んだ政治資金規正法の改正案を打ち出している。メディアがどれだけ自民党案のデタラメさと立憲案の本気度を報じるかにもかかっているが、岸田政権の中枢が描いた再選シナリオ通りに事が運ぶかどうかは未知数のところがある。
その場合に備えて、岸田首相周辺からウルトラCの計画があるとの情報がある。連休明けにどこからともなく補選全敗に対する茂木幹事長の責任論が浮上し、それを受けて首相は幹事長を石破茂氏に交代させるというのだ。国民的な人気の高い石破氏の起用は、政権の支持率の浮上に寄与する可能性は十分にある。無論、石破氏がそれを受けるかどうかも含め、まだ予断を許さない状況ではあるが、長らく非主流派に身を置き「干されて」きた石破氏にとっては、幹事長再任は10年ぶりの晴れの舞台への返り咲きとなり、確かに魅力的なオファーではあるかもしれない。ただしその場合、石破氏は9月の総裁選には出られなくなる。もっとも、幹事長として政治改革を断行し党勢の建て直しを図れば、岸田氏の次を狙える可能性は出てくるかもしれないが、いずれにしてもそうなった場合、石破氏にとっては政治家人生における大きな決断が迫られることになるだろう。
今回の補選の結果は、有権者から自民党の旧態依然たる政治スタイルそのものにノーを突きつけられた結果と見る向きもある。3補選で勝利した立憲民主党の3候補のうち2人は女性で、東京15区の酒井菜摘元江東区議は自らががんや不妊を克服した過去を公開して選挙戦に臨んだ37歳の元看護師だ。政治は確実に変わり始めている。
今回の補選の結果が自民党政治の終わりの始まりとなるのか、自民党の伝統芸である復元力が発揮され、再び自民党が党勢を回復するのか。今後の政治の動静に注目したい。
3補選の結果と、補選後の政局の見通し、それでも岸田政権が悠然と構えていられる理由などについて、政治ジャーナリストの角谷浩一とジャーナリストの神保哲生が議論した。
(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
<ディスクロージャー&ディスカバリー>インカメラのない情報公開訴訟で請求者の前に立ちはだかる「個人情報保護」と「業務への支障」という2つの壁
行政に対して公開を請求した情報が不開示となった場合、請求者には2つの選択肢がある。一つは情報公開審査会に審査を請求する方法であり、もう一つが公開拒否の取り消しを求める情報公開訴訟に訴える手だ。行政機関が情報公開を拒否する場合は単に開示を拒否する処分(不開示)の他、文書が存在しないことを理由とする開示拒否(不存在)、文書の有無をも明らかにせずに開示を拒否する存否応答拒否処分などがあるが、いずれの場合も、請求者が非開示処分を不服とした場合、審査会に審査を求めるか、非開示処分を不服として訴訟に訴えるか、あるいはその両方を選択することができる。
情報公開訴訟の件数はそれほど多くはない。国に対しては年間で20~50件程度、自治体を含めても裁判まで発展するケースは少ない。非開示決定に対しては行政救済制度である審査請求が行われることはよくあるが、実際に訴訟にまで至るケースは希といっていい。代理人の引き受け手が少なかったり、訴訟をすることの負担が重いなどが主な理由だが、それでも訴訟に至るケースの中には、請求者の側に情報開示に対する強い思いが込められていたり、開示請求されている情報が社会的に注目を集めるものの場合が多い。
情報公開訴訟の最大の特徴は、不開示となっている情報の内容を知っているのが被告である行政機関だけだという点だ。被告のみが非開示となった情報の中身を把握しており、原告は無論のこと、裁判所もインカメラ審理ができないため、情報の中身がわからないまま裁判が争われることになる。被告である行政は、その情報が情報公開法に定められている非開示情報に当たることを主張するが、原告も裁判官もその主張の妥当性を直接確認することはできないのだ。そのため、被告側に不開示理由の妥当性を立証する責任が課せられることになる。
しかし、行政側が非開示の理由として個人情報の保護を主張した場合、実際の情報の中身がわからないままその主張を切り崩すのは容易ではない。特に行政側が個人情報の保護と、開示されることによって行政の業務に支障をきたすことを理由にあげてきた場合、情報の中身がわからない原告が、同じく情報の中身がわからない裁判所に対して、その主張の不当性を訴えなければならないのだ。
今回は福井県高浜町元助役に関する調査文書情報公開訴訟と、陸上自衛隊北部方面隊所属自衛隊員数文書情報公開訴訟、滋賀県優生保護審査会文書情報公開訴訟の3つの情報公開訴訟を取り上げ、非開示となった情報の公開を求めて訴訟に訴えた場合、どのような審理が行われるのか、インカメラのない裁判にはどのような困難が伴うのか、行政側のどのような主張が情報公開の妨げになっているのかなどを、自身でも多くの情報公開訴訟を提起してきた情報公開クリアリングハウス理事長の三木由希子氏とジャーナリストの神保哲生が議論した。
(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
<マル激・後半>本来は厳格なはずの日本の政治資金規正法の下で政治とカネの問題が後を絶たない理由/孫斉庸氏(立教大学法学部准教授)
問題は法律そのものではなく、法の運用と意図的に作られた抜け穴にある。
未曾有の政治不信を引き起こしている裏金問題を受けて、国会で政治資金規正法の改正審議が始まった。しかし、残念ながら不祥事の当事者である自民党は、本気で実効性のある改正を行う気はさらさらないようだ。
そもそもここまで自民党から出てきている案は、おおよそ政治不信を払拭できるような踏み込んだものではない。しかも、与党内で公明党と調整した上で提出することになる与党案をゴールデンウィーク明けまで引き延ばしてしまった。これは4月28日の3補選の前に法案を出し渋ったからだろう。これでは、有権者を納得させられるような厳しい改正案を出す気がさらさらないことを、法案提出の前に宣言しているようなものだ。
政治とカネの問題は日本のみならず、多くの国が頭を悩ませてきた問題だ。政治活動が選挙運動や政策立案などに一定の資金を必要とする一方で、一歩まちがえば、カネは政治腐敗を生んだり、政策を歪めるような癒着といった、民主主義の屋台骨を揺るがすような問題を引き起こす可能性を孕んでいるからだ。かと思えばアメリカのように、政党や政治家に寄付をすることは国民の「政治意思の表明」という意味で表現の自由という憲法上の権利として保護されなければならないと考えられている国もある。
日本は今国会で政治資金規正法の改正を審議することになる。何ら実効性のない自民党案は論外としても、この審議は有権者として注視する必要がある。それは、いたずらに政治資金に対する規制を厳しくしても、政治とカネの問題の根本的な解決方法にならないことが明らかだからだ。
政治学者で立教大学法学部准教授の孫斉庸氏は各国の政治資金規制を、企業献金が認められているか、どこまで報告・公開を課しているかなど40以上のカテゴリーで詳細に比較した上で、それぞれの国の政治資金規制の厳格さをランク付けしている。それによると、実は日本の政治資金規正法は国際的に見ても厳しい部類に入るのだという。例えば、スイスやスウェーデンなど民主主義が成熟していると見られる国の多くでは、政治家個人への企業・団体献金が認められていたり、収支報告の公開義務さえない国もある。
興味深いのは、日本よりも政治資金に対する規制が厳しい国はメキシコやチリ、ポーランドなど過去に政治腐敗が指摘されたり汚職事件が多く起きている、いわばまだ民主主義が成熟していない国が多い。孫氏は政治資金規制が厳しいということは、法律を厳しくしなければ有権者の政治不信を払拭することができないような政治が行われていたり、過去に汚職や疑獄などが頻発していることの反映であり、これは必ずしも誇れることではないと指摘する。
確かに日本では政治家個人への企業・団体献金は禁止されているし、一定額以上の寄付に対しては寄付者の公開義務も課されている。民主政の国々、とりわけ北ヨーロッパの国々の中には、この程度の制限すらない国が多い。どうやら日本の政治とカネ問題の本質は法律の条文にあるのではなく、本来は制限されているはずの政治資金に多くの抜け穴があったり、実際にカネが物を言う選挙や政治が行われているところに根本的な問題があると言えそうだ。
日本の政治資金規正法は1948年の制定以来、過去に主に9回の改正を繰り返してきた。孫氏はそのたびにほぼ今回と同じような問題が指摘されてきたが、結果的に自民党は本質的な問題を解決せずに、弥縫策で切り抜けてきたと語る。
例えば、企業献金は仮に認めるにしてもその出と入をガラス張りにしなければ、経済政策が歪められる恐れがあることは誰にでもわかることだ。しかし、過去の自民党の政治とカネ問題はほぼ例外なく企業や業界団体からの違法献金だった。今回のパーティ券裏金問題も、そもそも政治資金パーティ自体が企業献金の抜け穴として作用しているものだ。自民党は企業献金が問題になるたびに、これを「企業・団体献金」などと呼ぶことで労働組合などからの献金と並立させたり、「赤旗」のような政党の機関誌からの収入もその範疇に入れるべきなどと主張することによって、野党や世論を揺さぶることで結果的に企業献金を生き残らせることに成功してきた。
国際的には日本は政治家個人への企業や団体からの献金は禁止されているため、OECD加盟国の中でも政治資金規制が「厳しい国」に分類されているが、実際は政党や政党支部への企業献金は1億円まで認められていることに加え、政治資金パーティのパーティ券購入という、一見最もらしいが明らかに脱法的な寄付行為によって、企業献金が政党のみならず政治家個人にも渡っていたことが、今回の裏金スキャンダルで白日の下に晒された。二階幹事長に党から5年間で50億円近い資金が流れていたことが明らかになっているが、政党から政治家個人への寄付や政治団体間の資金移動に制限はなく、しかもその資金が「政策活動費」の名目で全く使途を明らかにされないまま闇から闇へ消えている。このようなことが許されている国が、先進国の中でも政治資金規制が「厳しい部類に入る」などということがあり得るわけがない。
つまり、今日本が集中すべきは、いらずらに政治資金規正法を厳格化するのではなく、今ある制度の下で多くの政治家が当たり前のように使っている「抜け穴」を一つ一つしっかりと埋めていくことだ。さもなくば、このままでは日本は、「世界で最も厳しい政治資金規制がありながら、もっとも政治が腐敗している国」という不名誉な称号が与えられることになりかねない。
抜け穴については、先週のマル激でもご紹介している通り、上脇博之・神戸学院大学教授が理事を務める政治資金センターと、ビデオニュース・ドットコムで「ディスクロージャー・アンド・ディスカバリー」の司会を務める三木由希子氏の情報公開クリアリングハウスが共同で提出した意見書にある17項目の改正・修正が最低でも必要だ。これはいずれも制度そのものの改正ではなく、現行法の運用の改善やより高度な透明化(ガラス張り化)を求めるもので、仮にこの改正をすべて行っても、日本の政治資金規制の厳しさランキングが今よりあがることはないだろう。
有権者は形ばかりの厳格化に騙されてはならない。繰り返すが、必要なのは厳格化ではなく、今ある制度の下で堂々とまかり通っている抜け穴を一つ一つ埋めていくことなのだ。
孫氏は今の政治不信は日本にとっては大きなチャンスにもなり得ると、期待を込めて指摘する。日本、とりわけ万年与党たる自民党は、ここまで政治資金スキャンダルが起きるたびに意図的に抜け穴を残したまま弥縫策で誤魔化してきたが、ここにきていよいよそれが誤魔化しきれなくなっている。これを奇貨とすることで日本が、例えばAIを活用した政治資金収支報告書のデジタルデータ化を導入するなどして、世界の各国の模範となるような優れた、そして透明性の担保された政治資金規制を確立することは十分に可能だと孫氏は言う。そして、その成否はわれわれ有権者にかかっている。
国際的に見て政治資金規制が厳しいはずの日本で政治腐敗が止まらないのはなぜなのか、なぜあからさまな抜け穴が放置され続けてきたのか、誰が政治資金の透明化を阻んできたのか、日本の政治が有権者の信頼を取り戻すためにはどのような政治資金制度の改正が求められているのかなどについて、立教大学法学部准教授の孫斉庸氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
前半はこちら→so43713936
(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
<マル激・前半>本来は厳格なはずの日本の政治資金規正法の下で政治とカネの問題が後を絶たない理由/孫斉庸氏(立教大学法学部准教授)
問題は法律そのものではなく、法の運用と意図的に作られた抜け穴にある。
未曾有の政治不信を引き起こしている裏金問題を受けて、国会で政治資金規正法の改正審議が始まった。しかし、残念ながら不祥事の当事者である自民党は、本気で実効性のある改正を行う気はさらさらないようだ。
そもそもここまで自民党から出てきている案は、おおよそ政治不信を払拭できるような踏み込んだものではない。しかも、与党内で公明党と調整した上で提出することになる与党案をゴールデンウィーク明けまで引き延ばしてしまった。これは4月28日の3補選の前に法案を出し渋ったからだろう。これでは、有権者を納得させられるような厳しい改正案を出す気がさらさらないことを、法案提出の前に宣言しているようなものだ。
政治とカネの問題は日本のみならず、多くの国が頭を悩ませてきた問題だ。政治活動が選挙運動や政策立案などに一定の資金を必要とする一方で、一歩まちがえば、カネは政治腐敗を生んだり、政策を歪めるような癒着といった、民主主義の屋台骨を揺るがすような問題を引き起こす可能性を孕んでいるからだ。かと思えばアメリカのように、政党や政治家に寄付をすることは国民の「政治意思の表明」という意味で表現の自由という憲法上の権利として保護されなければならないと考えられている国もある。
日本は今国会で政治資金規正法の改正を審議することになる。何ら実効性のない自民党案は論外としても、この審議は有権者として注視する必要がある。それは、いたずらに政治資金に対する規制を厳しくしても、政治とカネの問題の根本的な解決方法にならないことが明らかだからだ。
政治学者で立教大学法学部准教授の孫斉庸氏は各国の政治資金規制を、企業献金が認められているか、どこまで報告・公開を課しているかなど40以上のカテゴリーで詳細に比較した上で、それぞれの国の政治資金規制の厳格さをランク付けしている。それによると、実は日本の政治資金規正法は国際的に見ても厳しい部類に入るのだという。例えば、スイスやスウェーデンなど民主主義が成熟していると見られる国の多くでは、政治家個人への企業・団体献金が認められていたり、収支報告の公開義務さえない国もある。
興味深いのは、日本よりも政治資金に対する規制が厳しい国はメキシコやチリ、ポーランドなど過去に政治腐敗が指摘されたり汚職事件が多く起きている、いわばまだ民主主義が成熟していない国が多い。孫氏は政治資金規制が厳しいということは、法律を厳しくしなければ有権者の政治不信を払拭することができないような政治が行われていたり、過去に汚職や疑獄などが頻発していることの反映であり、これは必ずしも誇れることではないと指摘する。
確かに日本では政治家個人への企業・団体献金は禁止されているし、一定額以上の寄付に対しては寄付者の公開義務も課されている。民主政の国々、とりわけ北ヨーロッパの国々の中には、この程度の制限すらない国が多い。どうやら日本の政治とカネ問題の本質は法律の条文にあるのではなく、本来は制限されているはずの政治資金に多くの抜け穴があったり、実際にカネが物を言う選挙や政治が行われているところに根本的な問題があると言えそうだ。
日本の政治資金規正法は1948年の制定以来、過去に主に9回の改正を繰り返してきた。孫氏はそのたびにほぼ今回と同じような問題が指摘されてきたが、結果的に自民党は本質的な問題を解決せずに、弥縫策で切り抜けてきたと語る。
例えば、企業献金は仮に認めるにしてもその出と入をガラス張りにしなければ、経済政策が歪められる恐れがあることは誰にでもわかることだ。しかし、過去の自民党の政治とカネ問題はほぼ例外なく企業や業界団体からの違法献金だった。今回のパーティ券裏金問題も、そもそも政治資金パーティ自体が企業献金の抜け穴として作用しているものだ。自民党は企業献金が問題になるたびに、これを「企業・団体献金」などと呼ぶことで労働組合などからの献金と並立させたり、「赤旗」のような政党の機関誌からの収入もその範疇に入れるべきなどと主張することによって、野党や世論を揺さぶることで結果的に企業献金を生き残らせることに成功してきた。
国際的には日本は政治家個人への企業や団体からの献金は禁止されているため、OECD加盟国の中でも政治資金規制が「厳しい国」に分類されているが、実際は政党や政党支部への企業献金は1億円まで認められていることに加え、政治資金パーティのパーティ券購入という、一見最もらしいが明らかに脱法的な寄付行為によって、企業献金が政党のみならず政治家個人にも渡っていたことが、今回の裏金スキャンダルで白日の下に晒された。二階幹事長に党から5年間で50億円近い資金が流れていたことが明らかになっているが、政党から政治家個人への寄付や政治団体間の資金移動に制限はなく、しかもその資金が「政策活動費」の名目で全く使途を明らかにされないまま闇から闇へ消えている。このようなことが許されている国が、先進国の中でも政治資金規制が「厳しい部類に入る」などということがあり得るわけがない。
つまり、今日本が集中すべきは、いたずらに政治資金規正法を厳格化するのではなく、今ある制度の下で多くの政治家が当たり前のように使っている「抜け穴」を一つ一つしっかりと埋めていくことだ。さもなくば、このままでは日本は、「世界で最も厳しい政治資金規制がありながら、もっとも政治が腐敗している国」という不名誉な称号が与えられることになりかねない。
抜け穴については、先週のマル激でもご紹介している通り、上脇博之・神戸学院大学教授が理事を務める政治資金センターと、ビデオニュース・ドットコムで「ディスクロージャー・アンド・ディスカバリー」の司会を務める三木由希子氏の情報公開クリアリングハウスが共同で提出した意見書にある17項目の改正・修正が最低でも必要だ。これはいずれも制度そのものの改正ではなく、現行法の運用の改善やより高度な透明化(ガラス張り化)を求めるもので、仮にこの改正をすべて行っても、日本の政治資金規制の厳しさランキングが今よりあがることはないだろう。
有権者は形ばかりの厳格化に騙されてはならない。繰り返すが、必要なのは厳格化ではなく、今ある制度の下で堂々とまかり通っている抜け穴を一つ一つ埋めていくことなのだ。
孫氏は今の政治不信は日本にとっては大きなチャンスにもなり得ると、期待を込めて指摘する。日本、とりわけ万年与党たる自民党は、ここまで政治資金スキャンダルが起きるたびに意図的に抜け穴を残したまま弥縫策で誤魔化してきたが、ここにきていよいよそれが誤魔化しきれなくなっている。これを奇貨とすることで日本が、例えばAIを活用した政治資金収支報告書のデジタルデータ化を導入するなどして、世界の各国の模範となるような優れた、そして透明性の担保された政治資金規制を確立することは十分に可能だと孫氏は言う。そして、その成否はわれわれ有権者にかかっている。
国際的に見て政治資金規制が厳しいはずの日本で政治腐敗が止まらないのはなぜなのか、なぜあからさまな抜け穴が放置され続けてきたのか、誰が政治資金の透明化を阻んできたのか、日本の政治が有権者の信頼を取り戻すためにはどのような政治資金制度の改正が求められているのかなどについて、立教大学法学部准教授の孫斉庸氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
後半はこちら→so43714382
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<マル激・前半>裏金が作り放題の政治資金規正法の大穴を埋めなければならない /上脇博之氏(神戸学院大学法学部教授)、郷原信郎氏(弁護士、元検事)
政界を揺るがしてきた一連の裏金疑獄は、これから最も重要な局面を迎える。そもそも不正を引き起こした法律上、制度上の原因を探り、必要となる法改正をめぐる議論が国会で始まったからだ。
今回の裏金問題は元々、神戸学院大学の上脇博之教授が赤旗の取材を受けた際に、自民党の各派閥が政治資金パーティの収入を正しく報告書に記載していないことを知り、自らも調査を発展させた上で刑事告発したことが全ての発端だった。東京地検特捜部が捜査に着手すると、単なる派閥によるパーティ券収入の不記載や虚偽記載にとどまらず、多額の裏金が議員に還流されていたことがわかり、一大スキャンダルに発展していった。
その上脇氏は、現行の政治資金規正法に基づいて政治家や派閥、政党、政治団体などが提出している政治資金収支報告書は、その中身をチェックすることがとても困難なことを、自らの経験に基づいて強調する。総数にして数百万ページはあろうかという収支報告書はウェブ上で閲覧が可能になっているが、一つ一つのページがデータ化されていないPDF形式で公開されているため、検索をかけたりソート(並び替え)などができない。驚いたことに現行制度の下では、政治資金規正法が守られているかどうかをチェックするためには、数十万から数百万ページはある報告書を一枚ずつ手繰っていくしかないのだ。
上脇氏は膨大な時間をかけて、報道などで各派閥のパーティ券を大量に買っていそうな政治団体の支出と、パーティ券を売っている派閥の収入を突き合わせることで、辛うじて4,000万円あまりの記載漏れがあることを突き止め、これが今回の刑事告発につながった。しかし、赤旗による地道な調査報道と上脇氏による刑事告発がなければ、今も当たり前のように還流や裏金作りが粛々と行われていたことになる。実際、パーティ券の売り上げの還流による裏金作りは少なくとも2005年には始まっていたことが、共同通信によって報道されている。
また、収支報告書は監督する権限を与えられた省庁や第三者機関が存在しないため、実際は報告内容が正確かどうかを誰もチェックしていない状態にあるというのも驚きだ。法律に基づいてどんな規制が設けられていようが、更にその規制をどれだけ強化しようが、最終的にそれが遵守されているかどうかを誰もチェックしていないし、したくてもそれが物理的に困難ということでは、そのような法律は法の体を成していないと言わざるを得ない。これは「ザル法」だとか「抜け穴」だとか以前の問題だ。
他にも現行の政治資金規正法に基づく制度の中で、「最低でもこれだけは変えなければならない」ことを列挙したものが、上脇氏が理事を務める公益財団法人政治資金センターとビデオニュース・ドットコムの人気番組『ディスクロージャー・アンド・ディスカバリー』の司会を務める三木由希子が理事長を務める情報公開クリアリングハウスから「政治にかかわる資金の透明性確保を求める意見書」という形で公開されているが、その内容を見ると、これまで政治資金規正法がいかにザル法だったかを痛感せずにはいられない。
その上で、政治資金の野放図な実態を熟知している上脇氏は、事実上の企業・団体献金の抜け穴となっている政治資金パーティも禁止すべきだし、政党交付金も廃止すべきだと主張する。企業・団体献金そのものには賛否両論があるが、上脇氏が問題にするのは、企業は政治資金収支報告書の提出義務がないため、受け取った派閥や政治団体側が正直にパーティ券収入を報告しない限り、その実態を知る術がないことだ。どこかの企業が記載義務が生じる20万円以上のパーティ券を買っていても、あるいは150万円の上限を超えて購入していても、受け取った側がそれを記載せずにすべて裏金に回していても誰にもわからないことになる。
また政党交付金については、そもそも政治資金の規律を全く守れない政党や政治家に100億円単位の交付金を渡すことは、「盗人に追い銭」であり「依存症患者に麻薬を渡すようなもの」に他ならないからだ。
検事時代に政治家の裏金問題を捜査した経験を持つ弁護士の郷原信郎氏は、今回有権者の期待とは裏腹に裏金を貰っていた議員の摘発が3人にとどまった理由を、「政治資金規正法の真ん中に空いた大穴のため」と説明する。複数の政治団体を持っている政治家が、裏金をどの団体に入れたのかを明確にしない限り、検察は「起訴状が書けない」という刑事訴訟法上の問題が生じる。そのため政治家が政治資金の受け皿として使える団体を一つに限定するなどの法改正が必須だと指摘する。
国会では政治資金規正法の改正案の審議が始まろうとしているが、これまで与党側が出してきた改革案はあまりにもいい加減なものばかりだ。有権者がよほどしっかりしなければ、「私たちはこれからも裏金作りに勤しみます」と宣言されているような改革案でお茶を濁されて終わってしまいかねない。
政治資金規正法はその第一条で、政治を国民の「不断の監視と批判の下」に置くことがその目的であると宣言しているが、上脇氏や郷原氏が提唱する法律の改正案はいずれもそれを実現するためには不可欠なものばかりだ。現行の法律は不断の監視はおろか、まったく監視ができない代物になっている以上、抜本的な改正が待ったなしだ。一刻も早く「金のための政治」を終わらせ、国民のために働く政治を取り戻すためには、有権者のわれわれ一人ひとりが、まずは現行制度の問題点を知ることで、デタラメな改革案に騙されないようにすることではないか。
今回の自民党裏金問題の発端となった告発をした上脇氏と、弁護士の郷原氏、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が、日本の政治に先進国として当たり前の透明性を持たせるために最低限必要となる施策とは何かを議論した。
後半はこちら→so43683908
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<マル激・後半>裏金が作り放題の政治資金規正法の大穴を埋めなければならない /上脇博之氏(神戸学院大学法学部教授)、郷原信郎氏(弁護士、元検事)
政界を揺るがしてきた一連の裏金疑獄は、これから最も重要な局面を迎える。そもそも不正を引き起こした法律上、制度上の原因を探り、必要となる法改正をめぐる議論が国会で始まったからだ。
今回の裏金問題は元々、神戸学院大学の上脇博之教授が赤旗の取材を受けた際に、自民党の各派閥が政治資金パーティの収入を正しく報告書に記載していないことを知り、自らも調査を発展させた上で刑事告発したことが全ての発端だった。東京地検特捜部が捜査に着手すると、単なる派閥によるパーティ券収入の不記載や虚偽記載にとどまらず、多額の裏金が議員に還流されていたことがわかり、一大スキャンダルに発展していった。
その上脇氏は、現行の政治資金規正法に基づいて政治家や派閥、政党、政治団体などが提出している政治資金収支報告書は、その中身をチェックすることがとても困難なことを、自らの経験に基づいて強調する。総数にして数百万ページはあろうかという収支報告書はウェブ上で閲覧が可能になっているが、一つ一つのページがデータ化されていないPDF形式で公開されているため、検索をかけたりソート(並び替え)などができない。驚いたことに現行制度の下では、政治資金規正法が守られているかどうかをチェックするためには、数十万から数百万ページはある報告書を一枚ずつ手繰っていくしかないのだ。
上脇氏は膨大な時間をかけて、報道などで各派閥のパーティ券を大量に買っていそうな政治団体の支出と、パーティ券を売っている派閥の収入を突き合わせることで、辛うじて4,000万円あまりの記載漏れがあることを突き止め、これが今回の刑事告発につながった。しかし、赤旗による地道な調査報道と上脇氏による刑事告発がなければ、今も当たり前のように還流や裏金作りが粛々と行われていたことになる。実際、パーティ券の売り上げの還流による裏金作りは少なくとも2005年には始まっていたことが、共同通信によって報道されている。
また、収支報告書は監督する権限を与えられた省庁や第三者機関が存在しないため、実際は報告内容が正確かどうかを誰もチェックしていない状態にあるというのも驚きだ。法律に基づいてどんな規制が設けられていようが、更にその規制をどれだけ強化しようが、最終的にそれが遵守されているかどうかを誰もチェックしていないし、したくてもそれが物理的に困難ということでは、そのような法律は法の体を成していないと言わざるを得ない。これは「ザル法」だとか「抜け穴」だとか以前の問題だ。
他にも現行の政治資金規正法に基づく制度の中で、「最低でもこれだけは変えなければならない」ことを列挙したものが、上脇氏が理事を務める公益財団法人政治資金センターとビデオニュース・ドットコムの人気番組『ディスクロージャー・アンド・ディスカバリー』の司会を務める三木由希子が理事長を務める情報公開クリアリングハウスから「政治にかかわる資金の透明性確保を求める意見書」という形で公開されているが、その内容を見ると、これまで政治資金規正法がいかにザル法だったかを痛感せずにはいられない。
その上で、政治資金の野放図な実態を熟知している上脇氏は、事実上の企業・団体献金の抜け穴となっている政治資金パーティも禁止すべきだし、政党交付金も廃止すべきだと主張する。企業・団体献金そのものには賛否両論があるが、上脇氏が問題にするのは、企業は政治資金収支報告書の提出義務がないため、受け取った派閥や政治団体側が正直にパーティ券収入を報告しない限り、その実態を知る術がないことだ。どこかの企業が記載義務が生じる20万円以上のパーティ券を買っていても、あるいは150万円の上限を超えて購入していても、受け取った側がそれを記載せずにすべて裏金に回していても誰にもわからないことになる。
また政党交付金については、そもそも政治資金の規律を全く守れない政党や政治家に100億円単位の交付金を渡すことは、「盗人に追い銭」であり「依存症患者に麻薬を渡すようなもの」に他ならないからだ。
検事時代に政治家の裏金問題を捜査した経験を持つ弁護士の郷原信郎氏は、今回有権者の期待とは裏腹に裏金を貰っていた議員の摘発が3人にとどまった理由を、「政治資金規正法の真ん中に空いた大穴のため」と説明する。複数の政治団体を持っている政治家が、裏金をどの団体に入れたのかを明確にしない限り、検察は「起訴状が書けない」という刑事訴訟法上の問題が生じる。そのため政治家が政治資金の受け皿として使える団体を一つに限定するなどの法改正が必須だと指摘する。
国会では政治資金規正法の改正案の審議が始まろうとしているが、これまで与党側が出してきた改革案はあまりにもいい加減なものばかりだ。有権者がよほどしっかりしなければ、「私たちはこれからも裏金作りに勤しみます」と宣言されているような改革案でお茶を濁されて終わってしまいかねない。
政治資金規正法はその第一条で、政治を国民の「不断の監視と批判の下」に置くことがその目的であると宣言しているが、上脇氏や郷原氏が提唱する法律の改正案はいずれもそれを実現するためには不可欠なものばかりだ。現行の法律は不断の監視はおろか、まったく監視ができない代物になっている以上、抜本的な改正が待ったなしだ。一刻も早く「金のための政治」を終わらせ、国民のために働く政治を取り戻すためには、有権者のわれわれ一人ひとりが、まずは現行制度の問題点を知ることで、デタラメな改革案に騙されないようにすることではないか。
今回の自民党裏金問題の発端となった告発をした上脇氏と、弁護士の郷原氏、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が、日本の政治に先進国として当たり前の透明性を持たせるために最低限必要となる施策とは何かを議論した。
前半はこちら→so43684512
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<永田町ポリティコ> 必要な改革から逃げ続ける岸田首相の「鈍感力」にわれわれはいつまで付き合わされるのか
昨年来政権の足を引っ張ってきた自民党の裏金問題は党内の処分も決着し、後顧の憂いなく晴れ晴れとした気分で国賓としてのアメリカ訪問に臨んだ岸田首相はバイデン大統領との蜜月関係をアピールしたり、元レーガン大統領のスピーチライターが執筆したとされる議会演説で万来の拍手を受け、ご満悦の表情で帰国の途に着いた。しかし、スタンディングオベーションで迎えてくれたアメリカ議会での「日本の国会でこんな優しい扱いを受けたことがない」とのジョークとも泣き言ともつかない発言の通り、今週から政治資金規正法の改正審議が本格的に始まる日本の国会では、首相にとって厳しい政局が待ち受けている。
しかし、政治資金規正法の改正をめぐっては、残念ながらと言うべきかやはりと言うべきか、岸田政権も与党自民党も、本気で政治資金規正法の実効性のある改正を行うつもりは無さそうだ。
そもそも現行の政治資金規正法は、その第一条で高らかに謳っている「政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われるようにするため」の法理をまったく満たしていない。この条文は、政治資金に量的な規制をかけるのではなく、とにかくすべてをガラス張りにすることで、政治を常に国民の監視の下に置かなければならないという、同法の基本的法理を表したものだ。しかし、実際には政党から政治家への寄付が無制限に認められているなど、ど真ん中に大穴が空いていることに加え、政策活動費の名目を掲げれば資金の使途をまったく明らかにしなくてもいいことになっていたりする。しかも、その収支報告の公開方法がWEB上でPDF方式で行われているだけなため、有権者が政治家や政治団体の資金の動きをチェックするためには、何十万、あるいは何百万ページもあるPDF化された政治資金収支報告書を一枚一枚手繰っていくしかない。これは要するに、有権者が政治家の政治活動に対して「不断の監視」を行うことなど事実上不可能になっているというこだ。
今回、神戸学院大学の上脇博之教授が膨大な時間をかけて、このPDFを一枚一枚手繰っていく作業を続けた結果、自民党の各派閥がパーティ券の売り上げを過小申告していることを掴み、それを刑事告発したことが裏金問題のすべての発端だった。しかし、そもそも億単位の報告漏れがあったにもかかわらず、政治資金問題のプロ中のプロである上脇教授が何ヶ月もかけてようやくその氷山の一角を捕まえたが、プロが何ヶ月もかけてそれだけ特殊な作業を続けなければ、ちょっとした不正を見つけることさえできないほど、現在の政治資金規正法とそれに基づく収支報告書の公開方法は国民を小馬鹿にしたような運用が行われているのだ。
これから政治資金規正法の改正をめぐる論議が国会で始まるが、例えどれだけ規制を厳しくしようとも、そもそもその法律が守られているかどうかをチェックすることが不可能な法律など、法律の体を成していない。まずはどんな改正案を審議するよりも前に、現行の政治資金収支報告書の公開方法を、岸田政権が好きな「デジタル化」、つまり現行のPDF方式ではなく、政治家名や政治団体名や寄付者名がデータとして入力され、それが検索やソート(並び替え)などが可能な状態にする必要がある。
そもそも総務省が管理している国会議員の政治資金収支報告書については、単にPDF状態のものをデータ化する「デジタル化」であれば、法改正も必要がないはずだ。岸田首相が総務大臣に「やれ!」と命じればいいだけのことだ。もちろんそのための予算をつける必要はあるが、昨今の予算には毎年膨大な予備費が積まれているので、収支報告書のデータをデジタル化するくらいの費用は簡単に捻出できるはずだ。地方公共団体の選挙管理委員会に提出された地方議員や地方の政治団体の収支報告をデジタル化するためには、法改正が必要になるだろうが、最初に総務省が中央で管理している収支報告書をデジタル化してしまえば、各自治体も遅ればせながらこれに従わざるを得ないだろう。
PDFデータのデジタル化から逃げた状態での政治資金規正法改正論議には何の意味もないことを、まずわれわれは厳しく認識する必要がある。
4月28日には3選挙区で補欠選挙が行われる。そのうちの2つは、自民党の現職の不祥事による辞任を受けたものだ。また、3つ目の島根1区の補選も、突出して裏金が多かった清和会の会長を務めた細田博之前衆院議長の死去を受けたものとなる。細田氏は非常に親しい関係にあったとされる統一教会との関係についても、きちんと説明責任を果たさないまま亡くなっている。自民党は不戦敗も含め全敗に終わる可能性が濃厚だが、自民党内には岸田体制への不満は充満しているものの、岸田おろしを仕掛けられるような状態にはないとの見方が有力だ。岸田政権や自民党の支持率が多少でも復活すれば6月の会期末解散の可能性は残るが、総理は得意の「鈍感力」で解散をせずに内閣改造程度の弥縫策で9月の総裁選に臨む可能性もある。
そうなった場合は、次の総選挙がいつ行われるにしても、日本の未来はもっぱら有権者の良識に委ねられることになる。
政治ジャーナリストの角谷浩一とジャーナリストの神保哲生が、4月28日の補選とその後の政局、そして今回の裏金疑獄をきっかけに日本の政治が変わる可能性などについて議論した。
(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
<マル激・後半>NATOの拡大で変わる欧州の安全保障と日本が考えるべきこと/遠藤乾氏(東京大学大学院法学政治学研究科教授)
昨年のフィンランドに続き、スウェーデンが今年3月7日、NATO(北大西洋条約機構)に加盟した。200年以上も非同盟中立を守ってきたスウェーデンの方針転換はヨーロッパの安全保障のあり方を根底から変えるかもしれない。
元々ロシアのプーチン大統領にとって、ウクライナへの軍事侵攻はNATO東方拡大への対抗の意味合いを持っていた。しかし、結果的に侵攻によってNATOが益々拡大することになった。遂にNATOという軍事同盟は、フィンランドの1,500キロに及ぶロシアとの国境を隔てて、ロシアと直接向き合うことになってしまった。
東京大学大学院法学政治学研究科教授でヨーロッパの安全保障に詳しい遠藤乾氏は、ロシアによるウクライナ侵攻がなければスウェーデン、フィンランドがNATOに加盟することはなかったという意味では、ロシアのオウンゴールのようなものだという。その上で、ロシアと近接しながらこれまでNATOには加盟せずに「ノルディックバランス」を保ってきた両国が加盟に踏み切った最大の理由は、ウクライナに対するプーチンによる核の脅しだったという。核兵器の使用も辞さないプーチンの姿勢を目の当たりにして、もはやNATOの核の傘に入らなければ自国の安全を保てないとの確信を得たことが、NATOへの加盟を後押ししたと遠藤氏は指摘する。
結果的にスウェーデンとフィンランドがNATOに加盟したことにより、バルト海はNATO加盟国に取り囲まれることになった。これまではEUには加盟してもNATOとは一定の距離を置いてきたスウェーデン、フィンランドの両国がNATOに加盟したことで、EUとNATOの版図がほぼ一致することになり、結果的に東西の境界がより鮮明になった。また、NATOという軍事同盟がNATOを脅威に感じるロシアと直接向き合うことになったことで、自ずと欧州の軍事的緊張は高まることが避けられない。
さらにここに来て大きな問題となっているのが、NATOの盟主であるアメリカが果たしてNATOにとどまり続けるかどうかが怪しくなっていることだ。11月の大統領選挙で実際に再選される可能性が出てきているトランプ前大統領は、度々NATOからの脱退も仄めかしてきた。NATOというアメリカを中心に形成された同盟体制が、スウェーデンとフィンランドの加盟でより盤石になったように見えても、アメリカが抜けてしまえば、すべての前提が崩れてしまう。
遠藤氏はアメリカ抜きのNATOで各国が足並みを揃えてロシアに太刀打ちすることは難しいだろうと語る。アメリカの動静次第では、欧州の安全保障が第二次大戦後もっとも視界不良な時代に突入する可能性が出てきているのだ。
一方で、今週、訪米中の岸田首相が米連邦議会で演説を行ったが、その中で首相は、日本がアメリカと肩を並べて世界秩序の維持に邁進する覚悟があると大見得を切った。また、日本はグローバルな秩序の維持にもアメリカと一緒になって取り組むとまで約束している。国賓待遇で歓待してくれているアメリカへのリップサービスの面があるにしても、いつ日本はそんなことを決めたのだろうか。そもそも憲法の制約がある中で、そんな空手形を切って大丈夫なのか。バイデン大統領から日本が最重要な同盟国などと持ち上げられて喜んでいる首相のはしゃぎ過ぎが心配だ。
欧州の安全保障も東アジアの安全保障も、結局のところ20世紀の大半で圧倒的な優位性を誇っていたアメリカの力が相対的に落ちているところに問題がある。そうした中で日本は引き続きアメリカ一辺倒の外交政策を続け、かつてアメリカが果たしてきた軍事的な役割を世界規模で肩代わりするところまでやるつもりなのか。その力が日本にあるのか。それが日本の真の国益に適うことなのか。今一度厳しく検証する必要があるだろう。
中立を保ってきた北欧諸国が軍事同盟に参加することで欧州の軍事バランスはどう変わるのか。「もしトラ」が実現しアメリカが再び極端な孤立主義路線に転じた時、欧州や日本の安全保障はどうなるのかなどについて、東京大学大学院法学政治学研究科教授の遠藤乾氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
前半はこちら→so43655636
(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
<マル激・前半>NATOの拡大で変わる欧州の安全保障と日本が考えるべきこと/遠藤乾氏(東京大学大学院法学政治学研究科教授)
昨年のフィンランドに続き、スウェーデンが今年3月7日、NATO(北大西洋条約機構)に加盟した。200年以上も非同盟中立を守ってきたスウェーデンの方針転換はヨーロッパの安全保障のあり方を根底から変えるかもしれない。
元々ロシアのプーチン大統領にとって、ウクライナへの軍事侵攻はNATO東方拡大への対抗の意味合いを持っていた。しかし、結果的に侵攻によってNATOが益々拡大することになった。遂にNATOという軍事同盟は、フィンランドの1,500キロに及ぶロシアとの国境を隔てて、ロシアと直接向き合うことになってしまった。
東京大学大学院法学政治学研究科教授でヨーロッパの安全保障に詳しい遠藤乾氏は、ロシアによるウクライナ侵攻がなければスウェーデン、フィンランドがNATOに加盟することはなかったという意味では、ロシアのオウンゴールのようなものだという。その上で、ロシアと近接しながらこれまでNATOには加盟せずに「ノルディックバランス」を保ってきた両国が加盟に踏み切った最大の理由は、ウクライナに対するプーチンによる核の脅しだったという。核兵器の使用も辞さないプーチンの姿勢を目の当たりにして、もはやNATOの核の傘に入らなければ自国の安全を保てないとの確信を得たことが、NATOへの加盟を後押ししたと遠藤氏は指摘する。
結果的にスウェーデンとフィンランドがNATOに加盟したことにより、バルト海はNATO加盟国に取り囲まれることになった。これまではEUには加盟してもNATOとは一定の距離を置いてきたスウェーデン、フィンランドの両国がNATOに加盟したことで、EUとNATOの版図がほぼ一致することになり、結果的に東西の境界がより鮮明になった。また、NATOという軍事同盟がNATOを脅威に感じるロシアと直接向き合うことになったことで、自ずと欧州の軍事的緊張は高まることが避けられない。
さらにここに来て大きな問題となっているのが、NATOの盟主であるアメリカが果たしてNATOにとどまり続けるかどうかが怪しくなっていることだ。11月の大統領選挙で実際に再選される可能性が出てきているトランプ前大統領は、度々NATOからの脱退も仄めかしてきた。NATOというアメリカを中心に形成された同盟体制が、スウェーデンとフィンランドの加盟でより盤石になったように見えても、アメリカが抜けてしまえば、すべての前提が崩れてしまう。
遠藤氏はアメリカ抜きのNATOで各国が足並みを揃えてロシアに太刀打ちすることは難しいだろうと語る。アメリカの動静次第では、欧州の安全保障が第二次大戦後もっとも視界不良な時代に突入する可能性が出てきているのだ。
一方で、今週、訪米中の岸田首相が米連邦議会で演説を行ったが、その中で首相は、日本がアメリカと肩を並べて世界秩序の維持に邁進する覚悟があると大見得を切った。また、日本はグローバルな秩序の維持にもアメリカと一緒になって取り組むとまで約束している。国賓待遇で歓待してくれているアメリカへのリップサービスの面があるにしても、いつ日本はそんなことを決めたのだろうか。そもそも憲法の制約がある中で、そんな空手形を切って大丈夫なのか。バイデン大統領から日本が最重要な同盟国などと持ち上げられて喜んでいる首相のはしゃぎ過ぎが心配だ。
欧州の安全保障も東アジアの安全保障も、結局のところ20世紀の大半で圧倒的な優位性を誇っていたアメリカの力が相対的に落ちているところに問題がある。そうした中で日本は引き続きアメリカ一辺倒の外交政策を続け、かつてアメリカが果たしてきた軍事的な役割を世界規模で肩代わりするところまでやるつもりなのか。その力が日本にあるのか。それが日本の真の国益に適うことなのか。今一度厳しく検証する必要があるだろう。
中立を保ってきた北欧諸国が軍事同盟に参加することで欧州の軍事バランスはどう変わるのか。「もしトラ」が実現しアメリカが再び極端な孤立主義路線に転じた時、欧州や日本の安全保障はどうなるのかなどについて、東京大学大学院法学政治学研究科教授の遠藤乾氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
後半はこちら→so43655579
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<マル激・後半>5金スペシャル・急激すぎる経済成長が韓国にもたらした超競争社会と超少子化から日本が学ぶべきこと/金明中氏(ニッセイ基礎研究所上席研究員)
月の5回目の金曜日に特別企画を無料でお届けする5金スペシャル。今回の5金は通常の番組編成で、韓国の社会問題に詳しい金明中(キム ミョンジュン)氏をゲストに迎え、超のつく低出生率が世界に衝撃を与えている韓国社会に今、何が起きているのか、その背景にある過剰な競争社会はどのように形成されたのかなどについて議論した。
韓国の昨年の出生率は0.72。1人の女性が生涯に産む子どもの平均的な人数である合計特殊出生率は2.07で人口が維持されるとされる。出生率1.26の日本でも少子化は十分に待ったなしの危機的状況だが、先進国の中で出生率が唯一1を下回る韓国は日本よりもさらに状況は深刻だ。
この急速な少子化の原因の1つに韓国社会の過度に熾烈な競争があると金氏は指摘する。韓国は人口と就業者の50%以上が、面積で12%に過ぎない首都圏に集中しているのだが、良い仕事を得て成功するために首都圏に集まった若者たちの間の競争は熾烈を極める。その競争環境の下で若者達は競争に打ち勝つために、結婚や出産よりもキャリアでの成功を最優先しなければならない状態に置かれている。その結果、人口の集中するソウルの出生率が0.55と、とりわけ低くなっているのだ。
競争を勝ち抜いた成功者は高い年収を得て、結婚し家庭を持ち、子どもを作ることもできるが、それは全体のほんの一握りに過ぎず、大半の負け組にはそれができない。
競争に勝ち抜くと簡単に言うが、それは並大抵のことではない。金氏によると有名大学に入るためには学校とは別に多くの塾に通わなければならない。中には月に30万円以上もかけて、ありとあらゆる塾に通い、さらに少しでも内申書の内容をよくするために、深夜に水泳教室に通ったり、資格を取得するための塾に通っている人も多いのだという。こうなると、子どもを産んで育て、競争に勝ち抜くための費用を負担できる家庭は限られてくる。今や韓国では良い企業に就職できなければ結婚・出産はできないという感覚が社会の共通認識になっていると金氏は言う。これでは出生率が下がり続けるのも無理はない。
しかし、なぜ韓国はそのような状況に陥ってしまったのか。金氏は韓国の経済成長の過程に原因の少なくとも一端があると指摘する。韓国の戦後の発展は「圧縮成長」と言われるほど、日本の高度経済成長よりも更に短期間に急速な経済成長を実現した。金氏は、韓国が経済に力を入れすぎた結果、社会保障や福祉の整備がそれに追いつかず、それが結果的に格差を生む原因となっていると指摘する。加えて韓国は1997年のアジア通貨危機の際に経済破綻をきたしIMFからの支援を受けざるを得なくなった。IMFへの債務を返済するまでは事実上韓国は経済主権を失った状態にあり、その間、開発経済の世界では批判の多いIMF・世銀の構造調整プログラム(SAP)の下で、極度に新自由主義的な経済・社会的制度の改革を強いられた。
その結果、韓国は先進国でも希にみるような格差社会へと変質してしまった。韓国の相対的貧困率、とりわけ年金が未整備の時代に働き、韓国の経済成長を支えた高齢者の貧困率は約4割とOECDでは最も高い水準にある。
格差社会の現実を目の当たりにして、韓国では何とか勝ち組になろうと、誰もが必死で高学歴を得ようとする。韓国の大学進学率は7割を超え、日本の57.7%を遥かに凌ぐ。そしてその大学生たちは誰もが狭き門の大企業を目指すのだ。日本でも中小企業の生産性や賃金の低さが問題視されているが、韓国ではほんの一握りの大企業と中小企業の間の賃金や労働条件の格差が非常に大きい。そのため、若者たちは何とか大企業に入りたいがために、まずは有名大学に入った上で資格やTOEICのスコアを上げるなどのスペックを上げることに血眼になるのだという。
さらに韓国では貧困の固定化も問題となっている。以前は自分が頑張れば上に上がれる社会だと言われた。しかし今は生まれた家庭によって生活水準が固定化されている。有名大学に入るためには塾などで莫大な教育費がかかるため、裕福な家庭でなければ競争に勝ち抜くための教育を受けることが難しくなっているというのだ。
平均賃金で日本を抜き去り、1人当たりGDPでも間もなく日本を抜き去りそうな勢いで成長を続けながら、極度の少子化に直面する韓国が内包している深刻な矛盾とはどのようなものなのか。韓国ではなぜここまで競争が激しくなってしまったのか。過度に急激な経済成長が韓国にもたらした諸問題を、ある面では共通し、ある面では異なる問題を抱える日本に住むわれわれはどう考えるべきかなどについて、ニッセイ基礎研究所上席研究員の金明中氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
前半はこちら→so43596830
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<マル激・前半>5金スペシャル・急激すぎる経済成長が韓国にもたらした超競争社会と超少子化から日本が学ぶべきこと/金明中氏(ニッセイ基礎研究所上席研究員)
月の5回目の金曜日に特別企画を無料でお届けする5金スペシャル。今回の5金は通常の番組編成で、韓国の社会問題に詳しい金明中(キム ミョンジュン)氏をゲストに迎え、超のつく低出生率が世界に衝撃を与えている韓国社会に今、何が起きているのか、その背景にある過剰な競争社会はどのように形成されたのかなどについて議論した。
韓国の昨年の出生率は0.72。1人の女性が生涯に産む子どもの平均的な人数である合計特殊出生率は2.07で人口が維持されるとされる。出生率1.26の日本でも少子化は十分に待ったなしの危機的状況だが、先進国の中で出生率が唯一1を下回る韓国は日本よりもさらに状況は深刻だ。
この急速な少子化の原因の1つに韓国社会の過度に熾烈な競争があると金氏は指摘する。韓国は人口と就業者の50%以上が、面積で12%に過ぎない首都圏に集中しているのだが、良い仕事を得て成功するために首都圏に集まった若者たちの間の競争は熾烈を極める。その競争環境の下で若者達は競争に打ち勝つために、結婚や出産よりもキャリアでの成功を最優先しなければならない状態に置かれている。その結果、人口の集中するソウルの出生率が0.55と、とりわけ低くなっているのだ。
競争を勝ち抜いた成功者は高い年収を得て、結婚し家庭を持ち、子どもを作ることもできるが、それは全体のほんの一握りに過ぎず、大半の負け組にはそれができない。
競争に勝ち抜くと簡単に言うが、それは並大抵のことではない。金氏によると有名大学に入るためには学校とは別に多くの塾に通わなければならない。中には月に30万円以上もかけて、ありとあらゆる塾に通い、さらに少しでも内申書の内容をよくするために、深夜に水泳教室に通ったり、資格を取得するための塾に通っている人も多いのだという。こうなると、子どもを産んで育て、競争に勝ち抜くための費用を負担できる家庭は限られてくる。今や韓国では良い企業に就職できなければ結婚・出産はできないという感覚が社会の共通認識になっていると金氏は言う。これでは出生率が下がり続けるのも無理はない。
しかし、なぜ韓国はそのような状況に陥ってしまったのか。金氏は韓国の経済成長の過程に原因の少なくとも一端があると指摘する。韓国の戦後の発展は「圧縮成長」と言われるほど、日本の高度経済成長よりも更に短期間に急速な経済成長を実現した。金氏は、韓国が経済に力を入れすぎた結果、社会保障や福祉の整備がそれに追いつかず、それが結果的に格差を生む原因となっていると指摘する。加えて韓国は1997年のアジア通貨危機の際に経済破綻をきたしIMFからの支援を受けざるを得なくなった。IMFへの債務を返済するまでは事実上韓国は経済主権を失った状態にあり、その間、開発経済の世界では批判の多いIMF・世銀の構造調整プログラム(SAP)の下で、極度に新自由主義的な経済・社会的制度の改革を強いられた。
その結果、韓国は先進国でも希にみるような格差社会へと変質してしまった。韓国の相対的貧困率、とりわけ年金が未整備の時代に働き、韓国の経済成長を支えた高齢者の貧困率は約4割とOECDでは最も高い水準にある。
格差社会の現実を目の当たりにして、韓国では何とか勝ち組になろうと、誰もが必死で高学歴を得ようとする。韓国の大学進学率は7割を超え、日本の57.7%を遥かに凌ぐ。そしてその大学生たちは誰もが狭き門の大企業を目指すのだ。日本でも中小企業の生産性や賃金の低さが問題視されているが、韓国ではほんの一握りの大企業と中小企業の間の賃金や労働条件の格差が非常に大きい。そのため、若者たちは何とか大企業に入りたいがために、まずは有名大学に入った上で資格やTOEICのスコアを上げるなどのスペックを上げることに血眼になるのだという。
さらに韓国では貧困の固定化も問題となっている。以前は自分が頑張れば上に上がれる社会だと言われた。しかし今は生まれた家庭によって生活水準が固定化されている。有名大学に入るためには塾などで莫大な教育費がかかるため、裕福な家庭でなければ競争に勝ち抜くための教育を受けることが難しくなっているというのだ。
平均賃金で日本を抜き去り、1人当たりGDPでも間もなく日本を抜き去りそうな勢いで成長を続けながら、極度の少子化に直面する韓国が内包している深刻な矛盾とはどのようなものなのか。韓国ではなぜここまで競争が激しくなってしまったのか。過度に急激な経済成長が韓国にもたらした諸問題を、ある面では共通し、ある面では異なる問題を抱える日本に住むわれわれはどう考えるべきかなどについて、ニッセイ基礎研究所上席研究員の金明中氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
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<ディスクロージャー&ディスカバリー>いじめ調査報告書はどこまで公開されるべきか
学校で起こるいじめを苦に自死する子どもが、残念ながら後を絶たない。
いじめをめぐっては、いじめの発生を学校ぐるみで隠ぺいしたり、学校がいじめと自死の関係を頑なに認めないなど、当事者やその家族にとってはつらい事態が相次いで起きていることは周知の事実だ。中には学校がいじめを認知していながら適切な対応を取っていなかったり、教員がいじめに加担しているケースなど悪質なものもあるが、その事実が家族にさえ十分に提供されない場合もある。
いじめを原因とする自死事件をきっかけにいじめが社会問題として認知された1985年以降、いじめ対策は制度的には進んできたが、いじめの認知件数は年々増加し、2022年度には681,948件にものぼっている。
このような危機的な状況を受けて、2013年にはいじめ防止推進法が制定され、重大事態と認知されたいじめについては調査報告が法律で義務づけられた。しかし、逆にそのことで調査報告書や調査過程の情報の公開が以前より問題になる事例が増えている。また、いじめを認知した際に学校から教育委員会に出される報告文書の情報公開も、いじめの加害者、被害者双方の個人情報などが多く含まれているため、被害者やその家族の希望とは裏腹に、どこまで情報公開ができるかについては未だに明確な基準が定まっていない状況だ。
いじめの調査報告に関する情報公開は「いじめの重大事態の調査に関するガイドライン」に定められてはいる。しかし、ガイドラインでは「情報公開条例の不開示事由を踏まえて適切に行うこと」とされ、無条件の公開を義務づけているわけではないため、その不開示事由の適用範囲が常に問題になる。しかも、被害者本人が死亡している場合、家族であっても個人情報保護法の壁が立ちはだかる。法定代理人は本人が生きている間は有効だが、死亡した場合は、家族でも他人と同じ扱いになるからだ。家族にも満足な情報が開示されない一方で、調査報告の公開については、「当事者家族の意向」を理由に幅広く黒塗りされたものしか出てこない場合が多く、実際はそれが当事者家族側の意向とは異なる対応だったことが後になって判明する場合も多い。
確かに子どものいじめ問題は情報公開上デリケートな側面があることは間違いない。しかし、それを理由に行政や教育委員会、ひいては学校による隠ぺいや責任逃れを許してはならない。本人や家族の無念を晴らすためにも、また社会として問題の所在を共有するためにも、適切な情報公開は必要だ。
いじめ問題の情報公開について、具体的な事例を参照しながら、情報公開クリアリングハウス理事長の三木由希子とジャーナリストの神保哲生が議論した。
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<永田町ポリティコ> 岸田政権は自民党の、そして日本の存亡がかかっていることが、未だに理解できていないようだ
自民党の二階俊博元幹事長は3月25日、次期衆院選に出馬しない意向を表明した。4月初旬にも予定されている裏金議員に対する処分の先手を打った形だが、早くも自民党内では二階氏に対する処分を見送る方針が取り沙汰されているという。
どうやら岸田政権も自民党も、今回のパーティ裏金疑獄が党の存亡に関わる重大な問題であることが未だに認識できていないばかりか、もしかすると、それを理解する能力を失ってしまっているように見える。
今回明らかになった裏金問題は政治の根幹に関わる。一つは裏金がどのように使われたのかを考える時、日本が21世紀になった今も金権政治、つまり金で政策や政治的決定が左右されるような後進国並の政治が横行していたことだ。
また、もう一つは裏金の原資となっている多額の企業団体献金によって、政府の政策による既得権益企業や団体、あるいは本来であれば護られるべきではない利権をもった企業や団体の保護が続いていることがうかがえることだ。これが、世界各国が次々とIT化や脱カーボン化を進める中、日本は相変わらず旧態依然たる企業が時価総額のトップ10を占めるなど、一向に産業構造を改革できていないことの少なくとも一要因になっている可能性が高い。
その意味で裏金問題は今の日本が直面する国家存亡に関わる諸問題の根幹に関わる。
ところが岸田政権としては、4月初旬に発表される処分案で除名や離党勧告まではいかないまでも、党員資格停止などそこそこ厳しい措置を取れば、世論の怒りはある程度は抑えられると見ているのだろう。そこで4月に国賓として渡米し外交の岸田よろしくバイデン大統領との蜜月ぶりをアピールした上で、4月の賃上げで庶民の懐が暖まった中で5月にゴールデンウィークを迎えることができる。そして、6月に定額減税、7月にはパリ五輪で日本選手の活躍に国中が沸き上がれば、裏金問題は過去の物になるだろう。そんな感じで高を括っているように見える。
しかし、果たして日本の有権者はそんなに無知蒙昧で寛容だろうか。賃上げといってもそれは大企業などほんの一部のことだ。定額減税分と合わせても、とてもではないが昨今の物価高を吸収できるとは思えない。また、オリンピックで日本選手が活躍すれば、本当に岸田政権や自民党の支持率が回復するのだろうか。
今回の裏金問題とその後の自民党の対応能力の無さは、自民党という政党が根っこから腐りきっているとの印象を多くの有権者に与えている。過去には一時的に政権の支持率が下がっても、目先で弥縫策を講じれば、政権支持率は再浮上していた。しかし、それは根底に自民党という政党に対する信頼があったからではないか。信頼さえ残っていれば、自民党が時に弛んでいたり傲りが見えた時は、お灸を据えて反省してもらおうという感覚だった。
しかし、今回は自民党と有権者の間の根本的な信頼関係が傷ついてしまった。どうも鈍感力がウリの岸田首相には、それがわからないらしい。
先にあげた4月以降の政治日程は、有権者の良識が問われることにもなる。果たして日本の政治がこれまでのような隠蔽体質と既得権益の擁護を繰り返し、日本の国際的な地位を低下させ先進国から脱落させていくことを許すのか、それとも有権者の良識によって日本の政治を先進国と呼ばれるに相応しいレベルに変えることができるのか。
与党もダメだが野党もダメだなどとわけ知り顔で言っている人は、この国会で野党の提出した法案を一つでも読んだことがあるのか。自民党政権が続いてくれた方が何かと都合がいい既存メディアの土俵の上で踊らされていないか。
この4月からの数カ月、自民党の存亡が問われると同時に、有権者の良識も問われている。そしてそれは日本の未来が問われていることも意味している。
政治ジャーナリストの角谷浩一とジャーナリストの神保哲生が議論した。
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<マル激・後半>ガザのジェノサイドを黙殺してはならない/岡真理氏(早稲田大学文学学術院教授)
ガザで今、何が起きているかを知りながら何もしないことは、加害者に加担することと同じだ。アラブ文学が専門でパレスチナ情勢に詳しい早稲田大学文学学術院教授の岡真理氏がこう語り、日本のマスコミ報道や市民社会の姿勢に対する苛立ちを露わにする。
実際、ガザでは毎日100人以上の一般市民がイスラエル軍によって殺されている。そしてその大半は何の罪もない子どもたちだ。
しかも、イスラエルによる電気や水、食料などの封鎖により、230万人のガザの市民生活は崩壊の淵に瀕している。パレスチナ自治区ガザ地区の保健省は3月21日、昨年10月戦闘開始以降のガザ側の死者が3万1988人にのぼると発表した。また、国連の世界食糧計画(WFP)は3月18日、ガザの人口の半分に相当する111万人が飢餓のリスクに晒されるとの見通しを明らかにしている。
にもかかわらず、日本ではガザの惨状はほとんど報道されなくなっている。メディアはドジャースの大谷翔平の通訳の賭博問題に多くの時間を割く一方で、爆撃のみならず栄養失調や劣悪な衛生環境が原因で日々、多くの子ども達が死んでいる現実をほとんど報じていない。
しかし、岡氏が指摘するように、イスラエルは意図的にすべてのインフラを停止し、病院を次々と爆撃して破壊している。パレスチナの市民を根絶やしにしようとしているとしか思えない。これは21世紀のジェノサイドに他ならない。ジェノサイドを放置することは、人類史に汚点を残すことになる。
イスラエルは10月7日のハマスの「テロ行為」に対する報復を主張し、西側先進国は自衛権を理由にイスラエルの攻撃を容認してきた。しかし、そもそもこれが10月7日のハマスによる攻撃の報復であるという受け止め方自体が、パレスチナの歴史をまったく理解していないことの反映だと岡氏は言う。
元々イスラエルは建国当初から、パレスチナの地からパレスチナ人を放逐して、ユダヤ人だけの国家建設を目指していた。それが今日、665万人ものパレスチナ難民を生んでいた。更にイスラエルは2007年、ユダヤ人入植者とイスラエル軍をガザから完全撤退すると同時に、ガザを完全封鎖した。以来ガザは「世界最大の野外監獄」と言われるような状態が続き、ガザの人々は自治権を認められないまま、生殺与奪をイスラエルに握られた中で暮らしてきた。元々農業や漁業で生計を立てる人が多い地域だったが、農産物の域外への販売は制限され、漁業水域も大幅に限定されたため、ガザは経済的に成り立たない状態に陥った。失業率も46%にのぼる。
まさに生き地獄と表現されるような状況の下で、しかも国際社会がまったく助けてくれない中、侵略者イスラエルに対する抵抗権の行使としてハマスは奇襲攻撃を行った。それに対する報復が今も続いているイスラエルのガザに対する軍事攻撃だ。
今回のハマスの奇襲攻撃とイスラエルによる軍事侵攻を正しく認識するためには、そもそもイスラエル建国時の1947年の国連分割決議の矛盾点にまで立ち返る必要があると岡氏は言う。
ナチスのホロコーストを生き延びたものの帰るところがなくなったユダヤ人難民が戦後、ヨーロッパに大量に生まれた。戦争に勝利して新たな国際秩序を構築しなければならない連合国側にとっては、彼らをどうするかが戦後処理の最大の課題の一つだった。そこで連合軍や国連は、パレスチナの地に帰ろうというパレスチナ人のシオニズム運動を利用しようと考え、1947年11月、国連総会でパレスチナの土地を2つに分割し、イスラエルに57%の土地を与える決議が採択された。それが1948年のイスラエル建国につながっていった。しかし、これはホロコーストを止められなかったことの贖罪とヨーロッパのユダヤ難民問題の解決を、まったく関係のないパレスチナ人に全て押し付けることを意味していた。
国連決議当初から、このような分割案は決してうまくいかないという批判があった。特に、このような案ではパレスチナ側の生存権が守られないとの指摘が根強かった。しかし、世界が冷戦体制に突入する中、アメリカとソ連はパレスチナ問題やユダヤ難民問題に深く関与している余裕はなく、結果的にすべての負担をパレスチナに押し付けることで、無理矢理この問題の解決を図ってしまった。
国連安保理は3月22日、アメリカが提案したパレスチナ自治区ガザの即時停戦を呼びかける決議案を中国、ロシアの拒否権によって否決した。結局、イスラエルの軍事行動はまだ止まらないということだ。そして、ガザの市民の犠牲はこの先も増え続けることになる。
「われわれに何ができるか」との問いに、岡氏は「できることは何でもしなければならない」と答えた。罪のない人命が失われていることを知りながら、これを黙って見ていることは、われわれが何よりも大切にしなければならない人権という価値観を自らの手で日々、破壊していることになる。
まずはガザで今何が起きているのかを知り、そのような惨劇が起きている歴史的な背景を知った上で、日本が、そしてわれわれ一人一人が何をすべきかなどについて、岡真理氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の吉見俊哉が議論した。
前半はこちら→so43565911
(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
<マル激・前半>ガザのジェノサイドを黙殺してはならない/岡真理氏(早稲田大学文学学術院教授)
ガザで今、何が起きているかを知りながら何もしないことは、加害者に加担することと同じだ。アラブ文学が専門でパレスチナ情勢に詳しい早稲田大学文学学術院教授の岡真理氏がこう語り、日本のマスコミ報道や市民社会の姿勢に対する苛立ちを露わにする。
実際、ガザでは毎日100人以上の一般市民がイスラエル軍によって殺されている。そしてその大半は何の罪もない子どもたちだ。
しかも、イスラエルによる電気や水、食料などの封鎖により、230万人のガザの市民生活は崩壊の淵に瀕している。パレスチナ自治区ガザ地区の保健省は3月21日、昨年10月戦闘開始以降のガザ側の死者が3万1988人にのぼると発表した。また、国連の世界食糧計画(WFP)は3月18日、ガザの人口の半分に相当する111万人が飢餓のリスクに晒されるとの見通しを明らかにしている。
にもかかわらず、日本ではガザの惨状はほとんど報道されなくなっている。メディアはドジャースの大谷翔平の通訳の賭博問題に多くの時間を割く一方で、爆撃のみならず栄養失調や劣悪な衛生環境が原因で日々、多くの子ども達が死んでいる現実をほとんど報じていない。
しかし、岡氏が指摘するように、イスラエルは意図的にすべてのインフラを停止し、病院を次々と爆撃して破壊している。パレスチナの市民を根絶やしにしようとしているとしか思えない。これは21世紀のジェノサイドに他ならない。ジェノサイドを放置することは、人類史に汚点を残すことになる。
イスラエルは10月7日のハマスの「テロ行為」に対する報復を主張し、西側先進国は自衛権を理由にイスラエルの攻撃を容認してきた。しかし、そもそもこれが10月7日のハマスによる攻撃の報復であるという受け止め方自体が、パレスチナの歴史をまったく理解していないことの反映だと岡氏は言う。
元々イスラエルは建国当初から、パレスチナの地からパレスチナ人を放逐して、ユダヤ人だけの国家建設を目指していた。それが今日、665万人ものパレスチナ難民を生んでいた。更にイスラエルは2007年、ユダヤ人入植者とイスラエル軍をガザから完全撤退すると同時に、ガザを完全封鎖した。以来ガザは「世界最大の野外監獄」と言われるような状態が続き、ガザの人々は自治権を認められないまま、生殺与奪をイスラエルに握られた中で暮らしてきた。元々農業や漁業で生計を立てる人が多い地域だったが、農産物の域外への販売は制限され、漁業水域も大幅に限定されたため、ガザは経済的に成り立たない状態に陥った。失業率も46%にのぼる。
まさに生き地獄と表現されるような状況の下で、しかも国際社会がまったく助けてくれない中、侵略者イスラエルに対する抵抗権の行使としてハマスは奇襲攻撃を行った。それに対する報復が今も続いているイスラエルのガザに対する軍事攻撃だ。
今回のハマスの奇襲攻撃とイスラエルによる軍事侵攻を正しく認識するためには、そもそもイスラエル建国時の1947年の国連分割決議の矛盾点にまで立ち返る必要があると岡氏は言う。
ナチスのホロコーストを生き延びたものの帰るところがなくなったユダヤ人難民が戦後、ヨーロッパに大量に生まれた。戦争に勝利して新たな国際秩序を構築しなければならない連合国側にとっては、彼らをどうするかが戦後処理の最大の課題の一つだった。そこで連合軍や国連は、パレスチナの地に帰ろうというパレスチナ人のシオニズム運動を利用しようと考え、1947年11月、国連総会でパレスチナの土地を2つに分割し、イスラエルに57%の土地を与える決議が採択された。それが1948年のイスラエル建国につながっていった。しかし、これはホロコーストを止められなかったことの贖罪とヨーロッパのユダヤ難民問題の解決を、まったく関係のないパレスチナ人に全て押し付けることを意味していた。
国連決議当初から、このような分割案は決してうまくいかないという批判があった。特に、このような案ではパレスチナ側の生存権が守られないとの指摘が根強かった。しかし、世界が冷戦体制に突入する中、アメリカとソ連はパレスチナ問題やユダヤ難民問題に深く関与している余裕はなく、結果的にすべての負担をパレスチナに押し付けることで、無理矢理この問題の解決を図ってしまった。
国連安保理は3月22日、アメリカが提案したパレスチナ自治区ガザの即時停戦を呼びかける決議案を中国、ロシアの拒否権によって否決した。結局、イスラエルの軍事行動はまだ止まらないということだ。そして、ガザの市民の犠牲はこの先も増え続けることになる。
「われわれに何ができるか」との問いに、岡氏は「できることは何でもしなければならない」と答えた。罪のない人命が失われていることを知りながら、これを黙って見ていることは、われわれが何よりも大切にしなければならない人権という価値観を自らの手で日々、破壊していることになる。
まずはガザで今何が起きているのかを知り、そのような惨劇が起きている歴史的な背景を知った上で、日本が、そしてわれわれ一人一人が何をすべきかなどについて、岡真理氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の吉見俊哉が議論した。
後半はこちら→so43565914
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<マル激・後半>いまや国民病となった花粉症が鳴らす人類への警鐘とわれわれはいかに向き合うか/小塩海平氏(東京農業大学国際食料情報学部教授)
スギ花粉の飛散がピークを迎える3月上旬から中旬にかけて、日本では花粉症もピークを迎えている。多くの日本人がこの時期になると、鼻水、鼻づまり、目のかゆみなどの症状に苦しんでいる。国民の5割近くを毎年苦しめる花粉症は、もはや日本の国民病といっても過言ではないだろう。
しかも、パナソニックの試算によると、花粉症による労働力低下の経済的損失の総額は1日あたり約2,340億円にのぼるという。花粉が飛ぶシーズンが約2カ月続くことを考えると、日本では花粉症のせいで毎年10兆円を超える損失が生じていることになる。これは国家予算の約1割にのぼる規模だ。
花粉症の原因となる植物としてはスギ、ヒノキ、ブタクサなど様々な種類があるが、日本人の花粉症の多くはスギ花粉によるものだ。戦争によって荒れ果てた日本の山林の復興を急いでいた政府や地方自治体は、戦後急増した住宅需要に対応するために植林事業に着手。その多くで成長が早いスギが選ばれたが、この時点ではまさか将来、これが花粉症の温床になるとはまったく考えられていなかった。実際、日本で花粉症が初めて確認されたのは1960年代に入ってからで、一般社会にその言葉が浸透したのは1980年代以降のことだ。
日本では1950年代から1970年代にかけて毎年30万ヘクタールを超える植林が行われたが、その大半はスギだった。しかし70年代、海外からの安価な輸入建材が入るようになり国産木材の需要が減ると、大量に植えられたスギは、間伐も伐採も行われないまま放置されるようになった。日本のいたるところで細長いスギの木が密生した放置林が散見されるのはこのためだ。
『花粉症と人類』の著者で、スギ花粉の飛散を抑制するための先駆的な研究を行っている東京農業大学の小塩海平教授は、花粉症とは単に医学的な問題ではなく、自然に対する行き過ぎた働きかけの結果、生態系がバランスを崩し、ある特定の植物が過剰に繁茂した結果生じている社会的、政治・経済的な問題だと指摘する。イギリスでは巨大な肉食の需要に応えるために農地開拓、とりわけ牧草地が急増した結果、夏場になるとヘイ・フィーバーと呼ばれる牧草の花粉症が全国的に発生するようになった。アメリカでは、西部開拓に伴い裸地や空き地が増えるとブタクサが繁茂し、深刻な花粉症を招いた。スギ花粉症が全国的に発生する日本の場合は、スギに偏った過度な植林とその後の管理不足が原因だった。このように花粉症は、多分に人災としての側面を持つ。
林野庁は花粉症の発生源対策として「3つの斧」というものを掲げている。それは「伐採して利用する」、「無花粉スギなどに植え替える」、「花粉を出させない」の3つだ。しかし、日本には現在約440万ヘクタールのスギ林があり、日本の林業従事者は4.4万人なので、1人あたり100ヘクタールのスギを伐採しなければならないことになる。ちなみに100メートル四方を意味する1へクタールには約900本のスギが植わっているため、計算上は花粉を出すタイプのスギを全て植え替えるためには軽く見積もっても100年以上の年月が必要になる。しかも、高さが10m以上の木を切るには5万円程度かかるのに対し、それを売っても1本3000円ほどにしかならない。スギを切れば切るほど損失が出ることになる。しかもそんな状態だから、林業従事者は年々減少を続け、高齢化も進んでいる。3つの斧のうちの1番目の「伐採して利用する」や2番目の「無花粉スギなどに植え替える」だけでは、とてもではないが今後更に悪化することが予想される花粉症の猛威には到底、太刀打ちできない。
そこで小塩氏は今、スギを植え替えることなく花粉を出させなくする技術の開発に乗り出した。まだ試験段階ではあるが、既に一定の成果を収めているという。スギの花粉は雄花から発生しているが、特定の物質をスギにかけると雄花が枯れ花粉が作れなくなるという性質を持つことが分かっている。これを利用すれば、スギの木自体を枯らすことなく、花粉の飛散だけを抑え込むことが可能になる。
小塩氏が色々な薬剤を試す中で、ある日サラダ油を試してみたところ、雄花だけが枯れてとても高い効果が見られた。とは言え、サラダ油を大量に撒けば水質汚染などにつながるので、サラダ油の中のどの成分が効果を上げているかを更に研究したところ、オレイン酸が含まれる分解性のある界面活性剤に行き着いた。小塩氏は天然油脂由来の界面活性剤をスクリーニングしてパルカットというスギ花粉飛散防止薬を開発し、それが2016年には農薬として登録された。オレイン酸は食品だが、大量に散布するためには農薬としての認可を得る必要があったからだ。
ただしこれをヘリコプターで撒くには膨大な予算が必要で、現在の林野庁の予算ではとてもではないが、実効性のある施策とはならない。年間10兆円は超えようかという経済的損失をもたらしている花粉症に対処するためには、林業を管轄する林野庁だけでなく経産省や厚労省、国交省や、はたまた受験生の負担軽減につながるという理由で文科省までを巻き込んで、省庁横断的に予算を確保すべきだと小塩氏は言う。
そもそも花粉症とは何なのか、なぜ花粉症は貴族病や文明病と呼ばれるのか、スギ花粉症は環境や生態バランスを置き去りにもっぱら経済成長を追い求めた日本にどのような警告を鳴らしているのかなどについて、小塩海平氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
前半はこちら→so43531953
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<マル激・前半>いまや国民病となった花粉症が鳴らす人類への警鐘とわれわれはいかに向き合うか/小塩海平氏(東京農業大学国際食料情報学部教授)
スギ花粉の飛散がピークを迎える3月上旬から中旬にかけて、日本では花粉症もピークを迎えている。多くの日本人がこの時期になると、鼻水、鼻づまり、目のかゆみなどの症状に苦しんでいる。国民の5割近くを毎年苦しめる花粉症は、もはや日本の国民病といっても過言ではないだろう。
しかも、パナソニックの試算によると、花粉症による労働力低下の経済的損失の総額は1日あたり約2,340億円にのぼるという。花粉が飛ぶシーズンが約2カ月続くことを考えると、日本では花粉症のせいで毎年10兆円を超える損失が生じていることになる。これは国家予算の約1割にのぼる規模だ。
花粉症の原因となる植物としてはスギ、ヒノキ、ブタクサなど様々な種類があるが、日本人の花粉症の多くはスギ花粉によるものだ。戦争によって荒れ果てた日本の山林の復興を急いでいた政府や地方自治体は、戦後急増した住宅需要に対応するために植林事業に着手。その多くで成長が早いスギが選ばれたが、この時点ではまさか将来、これが花粉症の温床になるとはまったく考えられていなかった。実際、日本で花粉症が初めて確認されたのは1960年代に入ってからで、一般社会にその言葉が浸透したのは1980年代以降のことだ。
日本では1950年代から1970年代にかけて毎年30万ヘクタールを超える植林が行われたが、その大半はスギだった。しかし70年代、海外からの安価な輸入建材が入るようになり国産木材の需要が減ると、大量に植えられたスギは、間伐も伐採も行われないまま放置されるようになった。日本のいたるところで細長いスギの木が密生した放置林が散見されるのはこのためだ。
『花粉症と人類』の著者で、スギ花粉の飛散を抑制するための先駆的な研究を行っている東京農業大学の小塩海平教授は、花粉症とは単に医学的な問題ではなく、自然に対する行き過ぎた働きかけの結果、生態系がバランスを崩し、ある特定の植物が過剰に繁茂した結果生じている社会的、政治・経済的な問題だと指摘する。イギリスでは巨大な肉食の需要に応えるために農地開拓、とりわけ牧草地が急増した結果、夏場になるとヘイ・フィーバーと呼ばれる牧草の花粉症が全国的に発生するようになった。アメリカでは、西部開拓に伴い裸地や空き地が増えるとブタクサが繁茂し、深刻な花粉症を招いた。スギ花粉症が全国的に発生する日本の場合は、スギに偏った過度な植林とその後の管理不足が原因だった。このように花粉症は、多分に人災としての側面を持つ。
林野庁は花粉症の発生源対策として「3つの斧」というものを掲げている。それは「伐採して利用する」、「無花粉スギなどに植え替える」、「花粉を出させない」の3つだ。しかし、日本には現在約440万ヘクタールのスギ林があり、日本の林業従事者は4.4万人なので、1人あたり100ヘクタールのスギを伐採しなければならないことになる。ちなみに100メートル四方を意味する1へクタールには約900本のスギが植わっているため、計算上は花粉を出すタイプのスギを全て植え替えるためには軽く見積もっても100年以上の年月が必要になる。しかも、高さが10m以上の木を切るには5万円程度かかるのに対し、それを売っても1本3000円ほどにしかならない。スギを切れば切るほど損失が出ることになる。しかもそんな状態だから、林業従事者は年々減少を続け、高齢化も進んでいる。3つの斧のうちの1番目の「伐採して利用する」や2番目の「無花粉スギなどに植え替える」だけでは、とてもではないが今後更に悪化することが予想される花粉症の猛威には到底、太刀打ちできない。
そこで小塩氏は今、スギを植え替えることなく花粉を出させなくする技術の開発に乗り出した。まだ試験段階ではあるが、既に一定の成果を収めているという。スギの花粉は雄花から発生しているが、特定の物質をスギにかけると雄花が枯れ花粉が作れなくなるという性質を持つことが分かっている。これを利用すれば、スギの木自体を枯らすことなく、花粉の飛散だけを抑え込むことが可能になる。
小塩氏が色々な薬剤を試す中で、ある日サラダ油を試してみたところ、雄花だけが枯れてとても高い効果が見られた。とは言え、サラダ油を大量に撒けば水質汚染などにつながるので、サラダ油の中のどの成分が効果を上げているかを更に研究したところ、オレイン酸が含まれる分解性のある界面活性剤に行き着いた。小塩氏は天然油脂由来の界面活性剤をスクリーニングしてパルカットというスギ花粉飛散防止薬を開発し、それが2016年には農薬として登録された。オレイン酸は食品だが、大量に散布するためには農薬としての認可を得る必要があったからだ。
ただしこれをヘリコプターで撒くには膨大な予算が必要で、現在の林野庁の予算ではとてもではないが、実効性のある施策とはならない。年間10兆円は超えようかという経済的損失をもたらしている花粉症に対処するためには、林業を管轄する林野庁だけでなく経産省や厚労省、国交省や、はたまた受験生の負担軽減につながるという理由で文科省までを巻き込んで、省庁横断的に予算を確保すべきだと小塩氏は言う。
そもそも花粉症とは何なのか、なぜ花粉症は貴族病や文明病と呼ばれるのか、スギ花粉症は環境や生態バランスを置き去りにもっぱら経済成長を追い求めた日本にどのような警告を鳴らしているのかなどについて、小塩海平氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
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<永田町ポリティコ> 日本は自浄能力を失った自民党に失望している場合ではない
自民党に新たなパーティ問題が持ち上がっている。
そもそも今年の政局は自民党派閥の政治資金パーティ裏金問題をめぐり、年初から大紛糾を続けている。その最中に、今度は自民党和歌山県連が主催するパーティに過激な衣装を身にまとったダンサーを呼び、口移しでチップを渡すシーンの写真などが流出して、あらためて炎上している。このパーティが開かれた昨年11月18日は、東京地検特捜部が政治資金裏金問題をめぐり、会計責任者に事情聴取を開始した日だった。しかし、自民党内ではこの捜査に戦々恐々とするどころか、どこ吹く風とでも言わんばかりにこんなセクシーパーティが開かれていたのだ。危機感はおろか、政治家としての最低限の常識や倫理観が問われる事態となっている。
そもそもこのパーティの費用がどこから支払われたか。自民党の梶山弘志幹事長代行は8日の記者会見で「公費が出ていないことだけは確認できている」と発言しているが、そもそもおカネに色は付いていないし、自民党は政党交付金として160億円の税金が投入されている公党だ。もし本当に公費が使われていなかったとなると、全額会費で賄われたのでなければ、裏金から捻出したのではないかという疑念も浮上する。
前回のポリティコでも議論してきたが、政治資金規正法には大穴が空いている。しかも、現行の政治資金収支報告書の公開制度では、公開データがすべてデータ化されていないPDF形式のため、検索やソートができず、何十万ページあるのか何百万ページあるのかもわからない膨大な量の収支報告書を厳しくチェックすることは物理的、時間的に不可能だ。
その一方で、自民党は総裁選でも未だに票集めのために実弾(現金)が飛び交うとされるし、選挙の際に票集めに動いてくれる地方議員への資金提供のためにも、裏金はいくらあっても足りない。
だから政治資金規正法の明らかな欠陥を正しつつ、誰もが簡単に政治家やその政治団体の資金状況や大口の寄付者が調べられるように収支報告書をデータ化する一方で、金がモノを言う前時代的な総裁選や選挙運動の仕組みを変えない限り、政治と金の問題はこれからも繰り返されることは必至だ。
自民党は4月の衆院補欠選挙の前に、裏金問題の議員に対する党内処分を行うことを決めたが、党規約で定める1~8段階の処分のうち一番厳しい除名を決断できるかどうかが、自民党の本気度を推し量るバロメーターになるだろう。これだけ不祥事を拡大させておきながら、除名もできないとすれば、もはや自民党は完全に自浄能力を失った烏合の衆と断じざるを得ない。
今回の裏金問題と、それを受けた自民党の目も当てられないようなお粗末な対応は、自民党政治が実は未だに金権政治でしかなく、そのような政党には決して政権を担う資格も能力もないことを露呈させた。当然、自民党や岸田政権の支持率は低下し続けているが、その一方で、反自民の受け皿とならなければならない野党の支持率は必ずしも上がっていない。自民もダメだが野党にも期待できないというのが、今のところの多くの有権者の思いだろう。
しかし、もし自民がダメだというのなら、われわれは野党を育てていかなくてはならない。結局のところ、自民党をここまで堕落させたのは、野党が政治に緊張感をもたらすことができなかったからであり、それはイコール有権者が野党を育てる努力を怠ってきたからだ。
与野党が拮抗する緊張感のある政治を再興させない限り、30年間停滞し続けている日本の復活は期待できない。国際情勢が大きく激動する中で、日本は金権政治スキャンダルなどでのたうちまわっている場合ではない。
政治ジャーナリストの角谷浩一とジャーナリストの神保哲生が「自民党もダメだが野党もダメだ論」をぶった切った。
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<マル激・前半>「もしトラ」から「ほぼトラ」に移りつつあるアメリカで今何が起きているのか/三牧聖子氏(同志社大学グローバル・スタディーズ研究科准教授)
もしかするとまたトランプ政権になるかもしれないが「もしトラ」。ほぼトランプ政権になりそうが「ほぼトラ」。
そして今、「ほぼトラ」、つまりドナルド・トランプ前大統領の再登板が現実的なものになりつつある。
アメリカは来週、今年11月の大統領選挙に向けて、民主・共和両党の公認候補者選びの山場となるスーパーチューズデーを迎えるが、トランプは共和党の候補者を決める予備選で、序盤から他の候補を圧倒し、既に共和党の公認候補となることが確実視されている。対する民主党も、現職大統領のバイデンが自ら身を引かない限り公認指名が確実な情勢のため、2024年11月5日に行われる大統領選挙では、2020年と同じくバイデンvsトランプの図式となることがほぼ確定的となっている。
しかし、それにしてもだ。バイデンは齢81歳。最近は記者会見で言葉が思うように出てこなかったり、人の名前をたびたび間違えたりするかと思えば、足下がふらつくシーンを何度となくカメラで捉えられるなど、高齢からくる衰えはどうにも隠せなくなっている。アメリカがウクライナ戦争やパレスチナ問題、台湾海峡問題など極めて重要かつデリケートな国際情勢に直面する中、就任時には82歳となるバイデンにさらに4年の任期が全うできるかを不安視する声は根強い。
一方、トランプも年齢的には77歳と決して若くはない。当選すれば2025年1月の大統領就任時には78歳と200日を超え、2021年のバイデンの記録を抜き、米国史上最高齢の大統領となる。もっともトランプ自身の健康状態は良好と見え、演説なども相変わらずの力強さを見せているが、その一方でトランプは数多くの裁判を抱えている。民事訴訟としてはすでに、1月26日に性的暴行事件で約123億4,000万円の損害賠償命令を、2月16日に融資不正事件で約533億円の罰金命令を受けているほか、2020年大統領選における選挙不正や2021年1月6日の議会襲撃事件を扇動した罪など4つの刑事事件でも起訴されている。刑事被告人の大統領選の立候補を禁じる法律はないが、もしもトランプが当選した場合、現職大統領がその任期中に刑事事件で有罪判決を受けるという前代未聞の事態に陥る可能性があるばかりか、現職の大統領が刑務所に収監される可能性すらある。
無論、これは前代未聞の事態だが、トランプの支持者たちは、これらはいずれも民主党政権による政治的な策略だとして、全く意に介していない様子だ。
しかし、それにしてもなぜアメリカほどの大国が、記憶も足元もおぼつかない高齢の候補と、多数の刑事事件を抱える刑事被告人からしか大統領候補を出せなくなっているのだろうか。
同志社大学グローバル・スタディーズ研究科准教授でアメリカの政治や社会に詳しい三牧聖子氏は、アメリカではあらゆる階層で分断が進んでいるため、民主・共和両党ともにそのすべてを束ねることができる一人の候補者を選び出すことが難しくなっているという。
例えば、パレスチナ情勢については、アメリカのユダヤロビーは伝統的には民主党の強い支持基盤だが、民主党支持層の中でも特に若い世代にはイスラエルの過剰な武力行使に対する反発があり、反イスラエル・親パレスチナが増えている。その一方で、トランプ支持層の中核を成すキリスト教福音派に宗教上の教義を理由とするイスラエル支持者が多いため、むしろ共和党が強い親イスラエル路線に傾くなど、これまでのアメリカ政治の常識が通用しなくなっている。
ウクライナ戦争をめぐっては、トランプがウクライナ支援からの撤退を表明しているほか、プーチンの権威主義的な主張はトランプ支持層の考え方との親和性が高い。ここに来てプーチンがリベラル批判のトーンを強めているのは大統領選挙におけるアメリカの分断を狙ったものとの見方があるが、それがリベラルによって自分たちが抑圧されていると感じているアメリカの共和党支持者の共感を呼んでおり、プーチンの狙いがまんまと功を奏している状況だ。いざアメリカがトランプ政権になれば、アメリカの対ウクライナ政策や対イスラエル政策が大転換する可能性があり、それが国際情勢にも多大な影響を与えることが避けられない。
グローバルサウスの隆盛により、これまで欧米的な感覚では独裁と言われてきたロシアや中国のような体制が、必ずしも世界では孤立した状態ではなくなっているところにトランプ政権が誕生すれば、世界の秩序が大きく変わりかねない。政治とカネの問題に揺れる日本に、その状況に対応するための備えはできているのか。
今回は大統領選挙を8カ月後に控え、候補者選びの予備選が山場を迎えているアメリカで、今何が起きているのか。アメリカの変化が世界にどのような影響を与えるのかなどについて、同志社大学グローバル・スタディーズ研究科准教授の三牧聖子氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
後半はこちら→so43474680
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<マル激・後半>「もしトラ」から「ほぼトラ」に移りつつあるアメリカで今何が起きているのか/三牧聖子氏(同志社大学グローバル・スタディーズ研究科准教授)
もしかするとまたトランプ政権になるかもしれないが「もしトラ」。ほぼトランプ政権になりそうが「ほぼトラ」。
そして今、「ほぼトラ」、つまりドナルド・トランプ前大統領の再登板が現実的なものになりつつある。
アメリカは来週、今年11月の大統領選挙に向けて、民主・共和両党の公認候補者選びの山場となるスーパーチューズデーを迎えるが、トランプは共和党の候補者を決める予備選で、序盤から他の候補を圧倒し、既に共和党の公認候補となることが確実視されている。対する民主党も、現職大統領のバイデンが自ら身を引かない限り公認指名が確実な情勢のため、2024年11月5日に行われる大統領選挙では、2020年と同じくバイデンvsトランプの図式となることがほぼ確定的となっている。
しかし、それにしてもだ。バイデンは齢81歳。最近は記者会見で言葉が思うように出てこなかったり、人の名前をたびたび間違えたりするかと思えば、足下がふらつくシーンを何度となくカメラで捉えられるなど、高齢からくる衰えはどうにも隠せなくなっている。アメリカがウクライナ戦争やパレスチナ問題、台湾海峡問題など極めて重要かつデリケートな国際情勢に直面する中、就任時には82歳となるバイデンにさらに4年の任期が全うできるかを不安視する声は根強い。
一方、トランプも年齢的には77歳と決して若くはない。当選すれば2025年1月の大統領就任時には78歳と200日を超え、2021年のバイデンの記録を抜き、米国史上最高齢の大統領となる。もっともトランプ自身の健康状態は良好と見え、演説なども相変わらずの力強さを見せているが、その一方でトランプは数多くの裁判を抱えている。民事訴訟としてはすでに、1月26日に性的暴行事件で約123億4,000万円の損害賠償命令を、2月16日に融資不正事件で約533億円の罰金命令を受けているほか、2020年大統領選における選挙不正や2021年1月6日の議会襲撃事件を扇動した罪など4つの刑事事件でも起訴されている。刑事被告人の大統領選の立候補を禁じる法律はないが、もしもトランプが当選した場合、現職大統領がその任期中に刑事事件で有罪判決を受けるという前代未聞の事態に陥る可能性があるばかりか、現職の大統領が刑務所に収監される可能性すらある。
無論、これは前代未聞の事態だが、トランプの支持者たちは、これらはいずれも民主党政権による政治的な策略だとして、全く意に介していない様子だ。
しかし、それにしてもなぜアメリカほどの大国が、記憶も足元もおぼつかない高齢の候補と、多数の刑事事件を抱える刑事被告人からしか大統領候補を出せなくなっているのだろうか。
同志社大学グローバル・スタディーズ研究科准教授でアメリカの政治や社会に詳しい三牧聖子氏は、アメリカではあらゆる階層で分断が進んでいるため、民主・共和両党ともにそのすべてを束ねることができる一人の候補者を選び出すことが難しくなっているという。
例えば、パレスチナ情勢については、アメリカのユダヤロビーは伝統的には民主党の強い支持基盤だが、民主党支持層の中でも特に若い世代にはイスラエルの過剰な武力行使に対する反発があり、反イスラエル・親パレスチナが増えている。その一方で、トランプ支持層の中核を成すキリスト教福音派に宗教上の教義を理由とするイスラエル支持者が多いため、むしろ共和党が強い親イスラエル路線に傾くなど、これまでのアメリカ政治の常識が通用しなくなっている。
ウクライナ戦争をめぐっては、トランプがウクライナ支援からの撤退を表明しているほか、プーチンの権威主義的な主張はトランプ支持層の考え方との親和性が高い。ここに来てプーチンがリベラル批判のトーンを強めているのは大統領選挙におけるアメリカの分断を狙ったものとの見方があるが、それがリベラルによって自分たちが抑圧されていると感じているアメリカの共和党支持者の共感を呼んでおり、プーチンの狙いがまんまと功を奏している状況だ。いざアメリカがトランプ政権になれば、アメリカの対ウクライナ政策や対イスラエル政策が大転換する可能性があり、それが国際情勢にも多大な影響を与えることが避けられない。
グローバルサウスの隆盛により、これまで欧米的な感覚では独裁と言われてきたロシアや中国のような体制が、必ずしも世界では孤立した状態ではなくなっているところにトランプ政権が誕生すれば、世界の秩序が大きく変わりかねない。政治とカネの問題に揺れる日本に、その状況に対応するための備えはできているのか。
今回は大統領選挙を8カ月後に控え、候補者選びの予備選が山場を迎えているアメリカで、今何が起きているのか。アメリカの変化が世界にどのような影響を与えるのかなどについて、同志社大学グローバル・スタディーズ研究科准教授の三牧聖子氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
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<ディスクロージャー&ディスカバリー>事故調の持つ情報が非公開のままでは事故の真相には迫れない
第17回目となるディスクロージャーは、乗り物事故を始めとする重大事故の調査記録の情報公開問題を取り上げた。
年明け早々に羽田空港で離陸のために滑走路上で待機していた海上保安庁の航空機に、着陸してきた日本航空の大型旅客機が衝突し、海保機は大破、日航機も炎上する重大事故が起きた。辛うじて日航機の乗員・乗客は全員避難し難を逃れたが、海保機の6人の乗組員うち5人が死亡する痛ましい事故となった。
事故の直後から、警視庁が業務上過失致死傷などの疑いで捜査に着手し、警察による現場検証が行われた。このように日本では乗り物事故に際し当たり前のように警察の捜査が始まるが、これは実際には先進国としては異例なことだ。
アメリカを始めとする多くの先進国では航空機や鉄道、船舶の事故が起きた時、警察ではなく専門の調査機関による調査が行われ、事故原因の究明が最優先される。アメリカではNTSB(連邦運輸安全委員会)の調査が優先され、テロや犯罪などが絡んでいる疑いがない限りFBIが捜査を行うことはない。日本でも運輸安全委員会(旧事故調査委員会=事故調)が事故原因の究明調査を担当するが、警察による過失責任を問うための捜査も同時に始まる。そして、日本では警察の捜査が優先されるばかりか、運輸安全委員会が入手した証言や情報がそのまま警察に提供されるようになっている。
これは事故の調査を通じて得た情報は、事故原因の究明調査以外の目的で利用してはならないことを定めた国際航空民間条約(シカゴ条約)に明確に違反しているが、日本では1972年に事故調査委員会が発足する際、警察と運輸省の間で交わされた覚え書きの中で、警察の捜査に優先権があることや、事故調が入手した情報を警察が利用することを認めることなどが定められている。
事故調査は事故原因を究明し、それを再発防止につなげることが最大の目的だが、警察の捜査は過失責任の所在を明確にした上で、罰するべき対象に然るべき処罰を下すことを目的としている。事故調査に全面協力した結果、そこでの証言や提供した証拠などが刑事捜査に転用され、結果的に自身の過失責任が問われる恐れがあるとなれば、事故調への全面的な協力を得にくくなることは避けられない。
そもそも日本も署名・批准している国際条約で事故調が得た情報の刑事捜査への転用は禁じられていることに加え、結果的に重大事故の際にもっとも重要となる原因究明の妨げとなるようなことが、日本ではなぜ今も続いているのだろうか。
日本の事故調査は警察の捜査に転用が可能なため、関係者からの全面協力を得にくくなるというハンディを負っていることに加え、もう一つ情報公開上も大きな問題がある。
それは通常1年から3年もかかる長期の調査で膨大な情報を集めた後、事故調は最終的な事故調査報告書を公開するが、実際に公開されるのは、この報告書だけにとどまることだ。事故調の調査結果に疑問を持った人が、その根拠となる調査情報の開示を求めて通常の情報公開請求を行っても、「公開されることで調査対象との信頼関係を毀損する恐れがある」との理由から、最終的な調査報告以外は基本的にすべて不開示となる。しかし、事故原因の究明以外の目的には使用しないという前提で行った調査内容を開示することが、調査対象との信頼関係を毀損する恐れがあると言っておきながら、原因究明を目的として捜査しているわけではない警察には情報を提供するのは、明らかにダブルスタンダードではないか。
事故調の結論に疑義が持たれ、しかも根拠とするデータも開示されないことが、事故調の出した調査結果の正当性を弱める。実際、大きな事故の度に様々な憶測や中には陰謀論まがいの説まで乱発される背景には、事故調の情報公開に対する否定的な姿勢がある。個人のプライバシーや刑事責任を問われかねない情報にはマスキングを行うなど一定の配慮が必要な場合もあろうが、最終報告書以外は何も表に出さないという姿勢は、社会全体の英知を結集して事故の真相究明と再発防止策を考える上では大きな障害となる。
今回は国際条約違反でもあり先進国としては明らかに異例な対応が続いている日本の事故調査と警察の捜査の関係や、事故の真相究明の妨げとなっている事故調の情報公開をめぐる問題を、情報公開クリアリングハウスの三木由希子とジャーナリストの神保哲生が議論した。
(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
<マル激・後半>現行の政治資金制度のここを変えなければ疑獄事件は何度でも繰り返される/郷原信郎氏(弁護士、元検事)
裏金欲しさにわざと話をすり替えているのではないか。そう言わざるを得ないほど、ここまで出てきている政治と金に対する自民党の対応は見事なまでに急所を外している。
年末から大規模態勢で行われた東京地検特捜部による政治資金パーティ裏金事件の捜査は、国会議員3人と会計責任者や秘書7人が起訴されたことで事実上終結した。自民党の各派閥は各議員へのキックバックが政治資金収支報告書に記載されていなかったとして、報告書の訂正を行い、現時点では政倫審などでいかに裏金議員の責任追及を行うべきかなどに焦点が移ってきている。無論責任追及は重要だが、より重要なのは今回の事件で明らかになった現行制度の欠陥や問題点を精査した上で、それを今後にどう活かすかだ。しかし、ここまで出てきた改革案は派閥の解散やパーティの禁止など、今回の裏金疑惑とは直接関係のないものばかりで、このままではまた政治と金の疑獄事件が繰り返されることが避けられそうにない。
そもそも今回の裏金疑惑とは何だったのか。リクルート事件や佐川事件、日歯連事件などを受けて改正された現行の政治資金規正法では、政治家個人や政治家の団体への企業・団体献金は禁止されているが、その抜け穴として使われてきたのが政治資金パーティだった。自民党の各派閥、とりわけ今回解散に追い込まれた清和政策研究会(旧安倍派)は20年前から主に企業や団体に対して所属議員にパーティ券を売らせ、ノルマを超えた分を議員にキックバックさせていた。本来、派閥から政治家の政治団体への寄付は、両者が適切に収支報告書に記載していればそれ自体は違法ではない。今回の裏金問題も、元はと言えば神戸学院大学の上脇博之教授が、パーティ券を購入した政治団体が収支報告書に記載していた支出が、派閥の報告書に収入として記載されていないことを発見し、刑事告発したことから始まった、単なる「不記載事件」だった。
収支報告書への不記載については、検察の捜査とその後の自己申告などにより、最終的に100人近い議員が裏金を受け取りながらそれを収支報告書に記載していないことが明らかになったわけだが、最終的に派閥側でパーティ収入や裏金の支出を適切に申告しなかった罪で3つの派閥の経理責任者が立件された他は、裏金の金額が4,000万円を超えていた3人の議員とその秘書と、3,500万円を超えていた二階俊博議員の秘書が立件されただけで、残りの議員は少なくとも法的には全員不問に付されることとなった。そもそもまず、そこに現行の政治資金規正法の明らかに重大な欠陥がある。
現行制度の下では政治家は複数の政治団体を持つことができるため、仮に裏金を受け取っても、それをどの団体に入れたのかが明らかになっていなければ、報告書への不記載で立件ができない建付けになっていると弁護士で検事として裏金事件の捜査に当たった経験を持つ郷原信郎氏は言う。郷原氏によると、どの団体がその資金を受け取ったのかが明らかになっていないと「起訴状が書けない」のだそうだ。政治資金収支報告書の不記載罪で立件するためには、起訴状に受け取った団体名を明記した上で、その団体が本来は記載しなければならない資金を記載しなかった事実が指摘されていなければならないからだ。
この理屈は民間に置き換えると、例えば2つの会社を経営する経営者は、収入をどちらの会社に入れるかを決めていなければ申告しなくても脱税に問われないことになってしまうようなもので、一般の常識ではにわかには信じがたい解釈だが、これが現行の政治資金規正法の不記載罪を適用する上での大きな欠陥であり、「真ん中に空いた大穴」なのだと郷原氏はいう。
まずは何を措いても、その大穴を埋めない限り、今回の裏金スキャンダルから何ら教訓を得ていなかったことになってしまうが、今のところその大穴を埋めるための改革案はどこからもまったく提案されていない。これは政治家が複数のお財布を持つことを認められているために起きている問題なので、政治資金を入れられる団体を一つに限定する法改正を行うか、もしくは郷原氏が提案しているような、どこの団体にも入っていない分も含めた「政治資金収支総括報告書」の提出を義務づけるかのいずれかの改正が早急に必要だ。その大穴は今も空いたままになっているのだ。
もう一つの大穴は現行法の下では政治家個人への寄付が禁止されているにもかかわらず、政党による寄付だけは例外的に許されていることだ。そして、それを受け取った政治家がその資金を政策活動費として使ったと言ってしまえば、その使途さえ公開しないでいいことになっている。これが二階幹事長が党から50億もの金を受け取っていながら、それが何に使われたのかがわからないというようなあり得ない事態を生んでいたことも今回明らかになった。これを解決するためには、政治家個人への寄付を禁止している政治資金規正法22条におまけのように付け加えられた第2項の「ただし政党からの寄付を除く」という条文を削除すると同時に、政策活動費と名乗れば一切使途を公開しなくてもいいという現行制度を変える必要がある。岸田首相は政策活動費の使途公開について「政治活動の自由が損なわれる」との理由から反対の意向のようだが、そもそも表に出せない資金を用いた政治活動とは何なのか。
もう一つ、待ったなしであり、最優先で取り組まなければならない問題が、現行の政治資金収支報告書の公開方法だ。日本には政治資金収支報告書を提出している政治団体が少なくとも6~7万団体以上あり、それそれが数ページから数十ページ、政党にいたっては数百ページから千ページを超える政治資金収支報告書を提出している。これは毎年提出されている報告書の総ページ数が恐らく数十万から数百万ページに及ぶことを意味している。収支報告書は総務省のホームページなどでオンライン閲覧が可能となっているが、これが何とすべてPDF形式でしか公開されていない。PDF形式ではデータ化されていないため検索やソートができない。そのため例えば政治家の名前から、その政治家の持つ政治団体名を検索することもできないし、寄付者の名前からその人物や団体が誰にいくら寄付をしているかも逆引きすることもできない。そしてそもそも数百万ページはある収支報告書のすべてを誰も確認も監視もしていない。アナログ方式で何百万ページもの報告書を確認などできるわけがないのだ。・・・
まず政治資金収支報告書のデジタル化を実行することが、すべての改革に先立って行われなければならない。なぜならば政治資金規正法はその第一条で政治を国民の不断の監視と批判の下に置くために同法があることを高らかに謳っているからだ。政治資金を完全にガラス張りにすれば、派閥の機能も政治資金パーティや企業・団体献金の功罪もすべて白日の下に晒され、自ずと常識的な制度に落ち着くはずだ。
むしろ最も基本中の基本と思われるこの改革を行わないまま、派閥を解散させたりパーティや企業献金を禁止し、連座制の適用などの厳罰化などを行えば、政治資金はより深く地下に潜り、政治資金規正法の目的とは逆の方向に政治が向かってしまう可能性が高い。それはひいては政治を劣化させ、国民の期待に応える政治が行われにくくなってしまうことを意味する。
パーティ券裏金問題の本質とは何だったのかを再確認した上で、政治不信を助長する疑獄事件を繰り返さないためには現行の政治資金制度の何を変えなければいけないのか、また何は変えるべきではないのかなどについて、元検事の郷原弁護士とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
前半はこちら→so43444794
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<マル激・前半>現行の政治資金制度のここを変えなければ疑獄事件は何度でも繰り返される/郷原信郎氏(弁護士、元検事)
裏金欲しさにわざと話をすり替えているのではないか。そう言わざるを得ないほど、ここまで出てきている政治と金に対する自民党の対応は見事なまでに急所を外している。
年末から大規模態勢で行われた東京地検特捜部による政治資金パーティ裏金事件の捜査は、国会議員3人と会計責任者や秘書7人が起訴されたことで事実上終結した。自民党の各派閥は各議員へのキックバックが政治資金収支報告書に記載されていなかったとして、報告書の訂正を行い、現時点では政倫審などでいかに裏金議員の責任追及を行うべきかなどに焦点が移ってきている。無論責任追及は重要だが、より重要なのは今回の事件で明らかになった現行制度の欠陥や問題点を精査した上で、それを今後にどう活かすかだ。しかし、ここまで出てきた改革案は派閥の解散やパーティの禁止など、今回の裏金疑惑とは直接関係のないものばかりで、このままではまた政治と金の疑獄事件が繰り返されることが避けられそうにない。
そもそも今回の裏金疑惑とは何だったのか。リクルート事件や佐川事件、日歯連事件などを受けて改正された現行の政治資金規正法では、政治家個人や政治家の団体への企業・団体献金は禁止されているが、その抜け穴として使われてきたのが政治資金パーティだった。自民党の各派閥、とりわけ今回解散に追い込まれた清和政策研究会(旧安倍派)は20年前から主に企業や団体に対して所属議員にパーティ券を売らせ、ノルマを超えた分を議員にキックバックさせていた。本来、派閥から政治家の政治団体への寄付は、両者が適切に収支報告書に記載していればそれ自体は違法ではない。今回の裏金問題も、元はと言えば神戸学院大学の上脇博之教授が、パーティ券を購入した政治団体が収支報告書に記載していた支出が、派閥の報告書に収入として記載されていないことを発見し、刑事告発したことから始まった、単なる「不記載事件」だった。
収支報告書への不記載については、検察の捜査とその後の自己申告などにより、最終的に100人近い議員が裏金を受け取りながらそれを収支報告書に記載していないことが明らかになったわけだが、最終的に派閥側でパーティ収入や裏金の支出を適切に申告しなかった罪で3つの派閥の経理責任者が立件された他は、裏金の金額が4,000万円を超えていた3人の議員とその秘書と、3,500万円を超えていた二階俊博議員の秘書が立件されただけで、残りの議員は少なくとも法的には全員不問に付されることとなった。そもそもまず、そこに現行の政治資金規正法の明らかに重大な欠陥がある。
現行制度の下では政治家は複数の政治団体を持つことができるため、仮に裏金を受け取っても、それをどの団体に入れたのかが明らかになっていなければ、報告書への不記載で立件ができない建付けになっていると弁護士で検事として裏金事件の捜査に当たった経験を持つ郷原信郎氏は言う。郷原氏によると、どの団体がその資金を受け取ったのかが明らかになっていないと「起訴状が書けない」のだそうだ。政治資金収支報告書の不記載罪で立件するためには、起訴状に受け取った団体名を明記した上で、その団体が本来は記載しなければならない資金を記載しなかった事実が指摘されていなければならないからだ。
この理屈は民間に置き換えると、例えば2つの会社を経営する経営者は、収入をどちらの会社に入れるかを決めていなければ申告しなくても脱税に問われないことになってしまうようなもので、一般の常識ではにわかには信じがたい解釈だが、これが現行の政治資金規正法の不記載罪を適用する上での大きな欠陥であり、「真ん中に空いた大穴」なのだと郷原氏はいう。
まずは何を措いても、その大穴を埋めない限り、今回の裏金スキャンダルから何ら教訓を得ていなかったことになってしまうが、今のところその大穴を埋めるための改革案はどこからもまったく提案されていない。これは政治家が複数のお財布を持つことを認められているために起きている問題なので、政治資金を入れられる団体を一つに限定する法改正を行うか、もしくは郷原氏が提案しているような、どこの団体にも入っていない分も含めた「政治資金収支総括報告書」の提出を義務づけるかのいずれかの改正が早急に必要だ。その大穴は今も空いたままになっているのだ。
もう一つの大穴は現行法の下では政治家個人への寄付が禁止されているにもかかわらず、政党による寄付だけは例外的に許されていることだ。そして、それを受け取った政治家がその資金を政策活動費として使ったと言ってしまえば、その使途さえ公開しないでいいことになっている。これが二階幹事長が党から50億もの金を受け取っていながら、それが何に使われたのかがわからないというようなあり得ない事態を生んでいたことも今回明らかになった。これを解決するためには、政治家個人への寄付を禁止している政治資金規正法22条におまけのように付け加えられた第2項の「ただし政党からの寄付を除く」という条文を削除すると同時に、政策活動費と名乗れば一切使途を公開しなくてもいいという現行制度を変える必要がある。岸田首相は政策活動費の使途公開について「政治活動の自由が損なわれる」との理由から反対の意向のようだが、そもそも表に出せない資金を用いた政治活動とは何なのか。
もう一つ、待ったなしであり、最優先で取り組まなければならない問題が、現行の政治資金収支報告書の公開方法だ。日本には政治資金収支報告書を提出している政治団体が少なくとも6~7万団体以上あり、それそれが数ページから数十ページ、政党にいたっては数百ページから千ページを超える政治資金収支報告書を提出している。これは毎年提出されている報告書の総ページ数が恐らく数十万から数百万ページに及ぶことを意味している。収支報告書は総務省のホームページなどでオンライン閲覧が可能となっているが、これが何とすべてPDF形式でしか公開されていない。PDF形式ではデータ化されていないため検索やソートができない。そのため例えば政治家の名前から、その政治家の持つ政治団体名を検索することもできないし、寄付者の名前からその人物や団体が誰にいくら寄付をしているかも逆引きすることもできない。そしてそもそも数百万ページはある収支報告書のすべてを誰も確認も監視もしていない。アナログ方式で何百万ページもの報告書を確認などできるわけがないのだ。・・・
まず政治資金収支報告書のデジタル化を実行することが、すべての改革に先立って行われなければならない。なぜならば政治資金規正法はその第一条で政治を国民の不断の監視と批判の下に置くために同法があることを高らかに謳っているからだ。政治資金を完全にガラス張りにすれば、派閥の機能も政治資金パーティや企業・団体献金の功罪もすべて白日の下に晒され、自ずと常識的な制度に落ち着くはずだ。
むしろ最も基本中の基本と思われるこの改革を行わないまま、派閥を解散させたりパーティや企業献金を禁止し、連座制の適用などの厳罰化などを行えば、政治資金はより深く地下に潜り、政治資金規正法の目的とは逆の方向に政治が向かってしまう可能性が高い。それはひいては政治を劣化させ、国民の期待に応える政治が行われにくくなってしまうことを意味する。
パーティ券裏金問題の本質とは何だったのかを再確認した上で、政治不信を助長する疑獄事件を繰り返さないためには現行の政治資金制度の何を変えなければいけないのか、また何は変えるべきではないのかなどについて、元検事の郷原弁護士とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
後半はこちら→so43444796
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民間人の籠池泰典さんはいきなり証人喚問、「裏金」疑惑国会議員は非公開の政倫審。あり得ない‼️ 原口一博 2024-02-24
youtubeの動画に同時配信のニコ生のコメントを載せた動画を作っています
[放送URL] lv344417208
https://www.youtube.com/watch?v=rC68YgB3r0Y
#検索用 リクルート事件 金丸事件 ロッキード事件 朝まで生テレビ 田原総一朗 神保哲生 後藤祐一
中林美恵子 証人喚問 鈴木宗男 TSMC 裏金 パーティー券 ウォーターゲート事件 ジュリアーニ 日本新党
<永田町ポリティコ> 裏金問題の本質は政治資金規正法の抜け穴と公開方法にある
パーティ券裏金問題で日本の政治が揺れ続けている。しかし、どうも争点があらぬ方向に向かっているように思えてならない。
依然としてメディア上では裏金を収支報告書に記載していなかった安倍派幹部の責任を問う声が根強い。マイナンバーやインボイスによって収入を1円単位まで政府に握られるようになった国民感情からすれば、もともと資金管理について大きな自由裁量が認められている政治家が、さらに裏金まで溜め込んだり使ったりしていたという事実や、使途の公表が義務づけられていないのをいいことに私的流用が疑われている政策活動費が、まったく非課税扱いになっていることについては、怒りの声があがるのは当然のことだろう。
もちろん責任追及は重要だが、そこに目を奪われて、今回の政治資金不正問題の本質を見誤ってはならない。
まず今回、派閥から裏金を還流されていた政治家のほとんどが立件されなかったのは、政治資金規正法に明確な抜け穴があるからだ。それは派閥を含めた政治団体から政治側に資金が還流された場合、その政治家は複数あるどの政治団体に資金を入れるかを決めない限り、報告義務が生じないというおかしな建て付けにこの法律がなっていることだ。しかも、使用目的は「政策活動費」だったと言いさえすれば、その内訳についても開示義務がない。
まずは現行法のその抜け穴を埋めない限り、いくら派閥を解散しようが、パーティを禁止しようが、裏金はなくならないし、政治腐敗は一掃されない。
次に、そもそも今回の事件は、しんぶん赤旗と神戸学院大学の上脇博之教授が公開された政治資金収支報告書を徹底的に調べ上げた結果、派閥のパーティ収入と支出の間に大きなギャップがあることを突き止め、刑事告発したことで検察の捜査が始まったというのが発端だった。これは政治資金収支報告書を丹念に調べ上げれば不正の事実を明らかにすることができることの証左であると同時に、そもそも現行の収支報告書の公開方法では、1人の人間が何年もかけて公開された収支報告書を徹底的に精査しない限り、入りと出の金額に億単位の差があることすら明らかにすることができないことの証左でもあった。
現行の政治資金収支報告書は基本的にPDF方式で公開され、その状態での閲覧が可能になっている。しかし、これではまったくデジタル化されているとは言えない。なぜならば、PDF上の一つ一つのデータはあくまで画像として公開されているのであって、その内容が数値データになっているわけではないからだ。これがデータ化されていれば検索も可能になるし、1人の政治家の名前を入力すればその政治家の関係の政治団体の名前が一瞬にして表示されるはずだ。また、それぞれの団体がどの企業や個人から幾らの寄付を受け取っているかも、またどの企業や団体が誰に幾らの寄付をしているかも、すべて瞬時に確認することが可能になる。
政治資金規正法はその1条で政治資金をガラス張りにすることによって、政治を国民の不断の監視の下に置くことが目的だと謳っている。しかし、実際には公開はされているものの、国民が監視できるような状態で公開されていないため、この法律の目的が実現されていない。そもそも登録されている政治団体だけで少なくとも6~7万団体以上あり、それが提出した収支報告書の総ページ数は数十万から数百万ページに上る。これを閲覧者自身が手作業で一枚一枚検証して精査することは物理的に不可能だ。現行の政治資金規正法では、そもそも法律の目的である「国民の不断の監視」がまったく可能になっていないのだ。
公開されている政治資金収支報告書を先進国として恥ずかしくないレベルにするためには、これがデータ化され、検索やソートが可能になっていることが最低限の条件となる。実際、これは法律を改正しないでも総務省にその機能を担わせればいいだけのことだが、もし法改正が必要ならただちに実行すべきだろう。
派閥の解消だのパーティの禁止だのはすべて、まず政治資金を最低限にガラス張りにした上で、検討すべきことだ。資金の流れがガラス張りになれば、派閥やパーティの功罪もたちどころに明らかになるはずだ。
むしろ、政治家、とりわけ自民党は、政治資金の収支報告を真にガラス張りにされることだけは何とか避けたいと思っているのではないか。そこれで論点をすり替えるために、派閥の解消だの、安倍派幹部の責任追及など、メディアが飛びつきたくなるようなネタを提供しているのではないか。
また、そもそも裏金が物を言うのは、党内ポリティクス、とりわけ自民党の総裁選の多数派工作で裏金が決定的に物を言う仕組みが放置されているところに問題がある。どれだけ金を使っても、自民党の総裁になることができれば、それはイコール日本の内閣総理大臣だ。見返りは十分にあるし、その実現に貢献した子分に対しても分け与えるポストや利権は掃いて捨てるほどある。その腐敗した利権構造にメスを入れない限り、政治から裏金が一掃されることはないだろう。
裏金問題の本質は政治資金規正法の抜け穴と公開方法にある。政治改革の一丁目一番地はその抜け穴を埋めることと、公開方法を「国民の不断の監視」が可能なものに変更することだ。それ以外のすべての改革は、ガラス張りになった政治を監視する中で本来は国民が決めることであって、政治家が勝手に決めるべきことではない。
これからも政府や自民党が次々に打ち出してくるくせ玉や変化球に惑わされることなく、今回の裏金問題の本質を見極めた上で、何が政治腐敗を一掃させるために適切な措置なのかを正しく理解する必要があるだろう。
政治ジャーナリストの角谷浩一とジャーナリストの神保哲生が議論した。
(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
<マル激・後半>5金スペシャル・壊れゆく日本を生き抜くためにはホームベースが必要だ
その月の5回目の金曜日に特別企画をお送りする5金スペシャル。今回は12月17日に東京・大井町「きゅりあん」で行われた「年末恒例マル激ライブ」の模様を無料放送する。
今回のマル激ライブでは、パーティ券裏金問題を入口に、もはや日本の政治や経済、社会の底が抜けているのは明らかなのだから、日本という沈みゆく船の中で他の人たちを踏み台にしながら少しでも上に行こうとするのではなく、この船がこれ以上沈まないように何をすればいいか、そして日本を再浮上させるために自分たちに何ができるかを一緒に考えていこうではないかという議論をした。
目下、永田町を揺るがしているパーティ券裏金問題では、メディアは相変わらず検察のリーク情報を垂れ流すことで、裏金をもらっていた政治家の名前や大物政治家の逮捕はあるのかといったワイドショー仕立ての人間ドラマに世間の耳目を集めようとしている。しかし、そもそもこの問題は、パーティ券の購入を通じた派閥や政治家への寄付が、本来は20年以上も前に禁止されていたはずの企業・団体献金の抜け穴になっている点、つまり裏金ではなく表金の方により重大な問題がある。
パーティ券の購入を通じて今も事実上、億単位の企業献金が可能となっており、それが日本が過去30年にわたり有効な経済政策や産業構造や社会構造の改革を実行することができなかったことと決して無関係ではないことを、われわれは今あたらめて再確認する必要があるだろう。日本では多額のパーティ券購入という寄付によって、ビジネスモデルが陳腐化し本来であれば退場すべき生産性の低い企業や業界の利益が手厚く保護され続けてきた。逆に言えば、それがなければ本来は営利団体である企業や業界の利益を代表する業界団体が、自民党やその派閥や有力政治家に億単位の寄付を行う理由などないのだ。
結果的に1995年に1人当たりGDPで主要先進国で1位まで登りつめ、文字通り経済大国となった日本は、その後30年間、停滞に次ぐ停滞を続け、遂にはG7の最下位はおろか、今や先進国の地位からも転げ落ちようかというところまで堕ちている。本来であれば人口減少を相殺するペースで生産性を上げていかなければ経済が縮小してしまうことが自明であったにもかかわらず、先進国では日本だけが陳腐化した非効率な産業構造や人口ボーナスがあった頃の高度経済成長時代の社会構造を引きずりつづけ、30年もの長きにわたり経済成長も賃金の上昇も実現できなかった。その一方で、人口減少の原因である少子化対策も、何ら有効な手を打てていない。
ここまで沈みかけた日本という大きな船を修理し、それを再浮上させるのは容易なことではない。しかし、幸か不幸か、たまたまこのような局面で生きる希有な運命を背負った今を生きる日本人にとって、船の中で少しでもいい座席を取ろうと奮闘することが、本当に有意義な生き方と言えるだろうか。日本という国を、せめてもう少し展望を持てる国にした上で、次の世代にバトンタッチする方がよくないだろうか。
しかし、1人では長くは戦えない。戦うためには仲間が必要だ。また、発進基地であり、帰還基地となるホームベースも必要だ。いつでも帰れると思える信頼できる仲間がいてホームベースがあればこそ、ホームベースの外で存分に闘うことができる。高度経済成長期に農村共同体に取って代わる形で登場した企業共同体は、小泉改革以降の数々の新自由主義的政策によって正規と非正規労働者に分断され、もはや崩壊状態にある。結果的に大半の日本人が何の共同体にも属さない、つまりホームベースを持たない中で日々暮らしている。教会やチャリティなどの地域の共同体が伝統的に存在しない日本では、個々人が能動的に共同体を作り、自らそこに参加しようとしなければ、ホームベースを持つことはできない。しかし、自分さえその気になれば、それは十分に可能だ。
2023年最後となるマル激では、なぜ日本が壊れ続けているのか、どうすればこの沈没を反転できるか、壊れゆく社会をいかに生き抜くかなどについて、ジャーナリストの神保哲生と宮台真司が議論した。
前半はこちら→so43210941
(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
<マル激・前半>5金スペシャル・壊れゆく日本を生き抜くためにはホームベースが必要だ
その月の5回目の金曜日に特別企画をお送りする5金スペシャル。今回は12月17日に東京・大井町「きゅりあん」で行われた「年末恒例マル激ライブ」の模様を無料放送する。
今回のマル激ライブでは、パーティ券裏金問題を入口に、もはや日本の政治や経済、社会の底が抜けているのは明らかなのだから、日本という沈みゆく船の中で他の人たちを踏み台にしながら少しでも上に行こうとするのではなく、この船がこれ以上沈まないように何をすればいいか、そして日本を再浮上させるために自分たちに何ができるかを一緒に考えていこうではないかという議論をした。
目下、永田町を揺るがしているパーティ券裏金問題では、メディアは相変わらず検察のリーク情報を垂れ流すことで、裏金をもらっていた政治家の名前や大物政治家の逮捕はあるのかといったワイドショー仕立ての人間ドラマに世間の耳目を集めようとしている。しかし、そもそもこの問題は、パーティ券の購入を通じた派閥や政治家への寄付が、本来は20年以上も前に禁止されていたはずの企業・団体献金の抜け穴になっている点、つまり裏金ではなく表金の方により重大な問題がある。
パーティ券の購入を通じて今も事実上、億単位の企業献金が可能となっており、それが日本が過去30年にわたり有効な経済政策や産業構造や社会構造の改革を実行することができなかったことと決して無関係ではないことを、われわれは今あたらめて再確認する必要があるだろう。日本では多額のパーティ券購入という寄付によって、ビジネスモデルが陳腐化し本来であれば退場すべき生産性の低い企業や業界の利益が手厚く保護され続けてきた。逆に言えば、それがなければ本来は営利団体である企業や業界の利益を代表する業界団体が、自民党やその派閥や有力政治家に億単位の寄付を行う理由などないのだ。
結果的に1995年に1人当たりGDPで主要先進国で1位まで登りつめ、文字通り経済大国となった日本は、その後30年間、停滞に次ぐ停滞を続け、遂にはG7の最下位はおろか、今や先進国の地位からも転げ落ちようかというところまで堕ちている。本来であれば人口減少を相殺するペースで生産性を上げていかなければ経済が縮小してしまうことが自明であったにもかかわらず、先進国では日本だけが陳腐化した非効率な産業構造や人口ボーナスがあった頃の高度経済成長時代の社会構造を引きずりつづけ、30年もの長きにわたり経済成長も賃金の上昇も実現できなかった。その一方で、人口減少の原因である少子化対策も、何ら有効な手を打てていない。
ここまで沈みかけた日本という大きな船を修理し、それを再浮上させるのは容易なことではない。しかし、幸か不幸か、たまたまこのような局面で生きる希有な運命を背負った今を生きる日本人にとって、船の中で少しでもいい座席を取ろうと奮闘することが、本当に有意義な生き方と言えるだろうか。日本という国を、せめてもう少し展望を持てる国にした上で、次の世代にバトンタッチする方がよくないだろうか。
しかし、1人では長くは戦えない。戦うためには仲間が必要だ。また、発進基地であり、帰還基地となるホームベースも必要だ。いつでも帰れると思える信頼できる仲間がいてホームベースがあればこそ、ホームベースの外で存分に闘うことができる。高度経済成長期に農村共同体に取って代わる形で登場した企業共同体は、小泉改革以降の数々の新自由主義的政策によって正規と非正規労働者に分断され、もはや崩壊状態にある。結果的に大半の日本人が何の共同体にも属さない、つまりホームベースを持たない中で日々暮らしている。教会やチャリティなどの地域の共同体が伝統的に存在しない日本では、個々人が能動的に共同体を作り、自らそこに参加しようとしなければ、ホームベースを持つことはできない。しかし、自分さえその気になれば、それは十分に可能だ。
2023年最後となるマル激では、なぜ日本が壊れ続けているのか、どうすればこの沈没を反転できるか、壊れゆく社会をいかに生き抜くかなどについて、ジャーナリストの神保哲生と宮台真司が議論した。
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<ニュース・コメンタリー>裏金もさることながら表金こそが問題だ パーティ裏金疑惑で抜け落ちている重要な視点
現職議員に対する強制捜査にまで発展している自民党派閥のパーティ券裏金問題。政治資金規正法に違反して支出や収入を収支報告書に記載しないことで資金を裏金化することはもちろん大きな問題だが、世の中の目が検察の捜査に注がれる中、いくつか重要な論点が抜け落ちているのが気になる。
それは、現行の政治資金規正法では裏金もさることながら「表金」にも重大な問題があるということだ。
忘れてはならないことは、今回は政治資金収支報告書の不記載や虚偽記載が問題になっているが、そもそもパーティ券の販売でどれだけの寄付を集めようが、またその一部を政治家に還流させる、いわゆるキックバックを行おうが、その金額を収支報告書に記載さえすれば、現行法の下では何の問題もなかったということだ。
パーティ券収入というのは、早い話が企業・団体献金の抜け穴だ。20万円以上の寄付者については収支報告書への記載義務があり、1つの団体から1回のパーティあたり150万円までしか集められないという上限はあるが、これは早い話が1つ1つのコップには150万円という制限があるが、コップはいくつあっても構わないという制度なのだ。100社から150万円ずつ集めれば1億5,000万円の寄付を合法的に集められることになる。
そもそも現行の政治資金規正法が改正された時、政治家個人への企業・団体献金は禁止することが決まっていた。これはロッキード、リクルート、佐川急便、日歯連事件等々、過去の贈収賄事件がいずれも企業が有力政治家に資金を提供し、その影響力によって利益を得ようとしたものだったことへの反省の上に立っている。そして、企業・団体献金と引き換えに国民1人あたり250円、総額で300億円あまりの政党交付金が議席数に応じて毎年、各政党に支出されている。そもそも企業・団体献金はなくなっていたはずなのだ。
しかし、政治家個人への企業・団体献金は禁止されたものの、5年という待機期間が設けられたことで政治改革熱のほとぼりが冷め、政党と政党の資金団体に対する企業・団体献金は禁止されなかった。そして、パーティ券の販売という企業・団体献金の抜け穴まで作られた結果、企業・団体から政党や派閥に寄せられた寄付が合法的に政治家個人に還流されることが可能となってしまった。政党や派閥から政治家個人への寄付には事実上何の制限もないからだ。
企業・団体献金が罪深いのは、企業・団体は何のメリットもないのに政治に多額の寄付を行うわけがないため、そこには何らかの便宜供与というリターンが伴うことが前提にあるということだ。そして、その便宜供与のために日本の経済政策や産業政策が歪められることで、単に市場での競争が阻害されるだけでなく、日本の産業構造の改革が難しくなってしまう。実際に、競争力を失い市場で競争できなくなった企業や、本来は正当化できない利権を握っている団体ほど、政治の庇護を必要とすることは想像に難くないだろう。
1990年代の中庸まで日本は、国民1人あたりのGDPで世界でトップの座に君臨するなど、文字通り経済大国だった。しかし、その後、人口ボーナスの解消と呼応するかのように日本は経済力を失い、今や1人あたりGDPを始めとするあらゆる経済指標で先進国の最下位グループに沈んでいる。それもそのはずで日本は産業構造改革に根本的に失敗しているからだ。現在の日本の時価総額トップ10企業はいずれも高度成長期以前に創業された企業ばかりで、トップにGAFAMやテスラなどの新興企業がひしめき合うアメリカとは明らかな対照を成している。
検察にはぜひ裏金をしっかりと取り締まるようお願いしたいが、市民は特捜の捜査の推移を見守りつつも、この際、表金問題をきちんと制御するよう政治資金規正法やその他の法律や制度を整備するよう、政府をしっかりと監視する必要があるだろう。
また、もう1つ、現在の事件報道から抜け落ちている重要な視点が、われわれは検察のリークをあまりにも鵜呑みにしすぎてはいないかという点だ。中曽根、竹下元首相に安倍晋太郎、宮澤喜一、森喜朗など当時の大物政治家が新規で上場され値上がりが確実だとされたリクルートコスモス社株を大量に割り当てられていたリクルート事件は、大山鳴動よろしく大騒ぎした挙げ句、逮捕された政治家は藤波孝生元官房長官と公明党の池田克也衆院議員の2人だけだった。事件で名前があがったそれ以外の政治家はいずれも
検察のリークを記者クラブメディアが垂れ流したものだった。
ビデオニュース・ドットコムで毎週お送りしている「マル激トーク・オン・ディマンド」では、社会学者の宮台真司とジャーナリストの神保哲生が毎回のように、マックス・ウェーバーが説く政治と官僚のハルマゲドン(最終戦争)について言及している。その趣旨は民主政は、市民から選挙で選ばれた政治家が政府、つまり官僚をしっかりとコントロールすることによってのみ正常に機能するというもの。官僚は有権者から投票で選ばれたわけでなく、しかも常に予算の獲得と人事が最大の関心事である「現状維持の権化」であるため、必ずしも市民に沿った行動は取らないし、下手をすると暴走する危険性も内包している。しかし、選挙で選ばれた政治家が市民益を代表し、巨大な官僚機構を制御することで、市民の望む政府が実現するという考え方だ。そして、それが故に政治と官僚は絶えず両者の間で熾烈な権力闘争を繰り広げる宿命にある。
政治は選挙があるので市民の統制を受け、政治家が作る法律や制度に縛られる行政は政治家に弱い。その三つ巴の関係が民主政の適正なチェック・アンド・バランスを生む。
しかし、政治に対して行政が圧倒的に強くなればなるほど、政治は市民益から遠ざかる。昨今、日本の国会で審議され成立している法律のほとんどは閣法、つまり行政が作った法案であり、議員立法ではない。そもそも今の政治制度の下では、政治に独自の法案を作成する能力は皆無に等しい。日本の政治にはそれだけの資金もなければリソースもない。今日の日本のような行政が政治を事実上支配し、政治はそのうわ水の利益配分にあやかるくらいしか関われない現状が続く限り、決して市民に優しい政治は実現しない。そして記者クラブを通じて行政と一体化しているマスメディアが報道の大元を独占している限り、市民は行政の専横によってどれだけ市民益が損なわれているかを知ること自体が難しい。
違法行為は現に取り締まられなければならないし、裏金など言語道断であることは言うまでもない。しかし、それと同時に今回のパーティ裏金問題は、そもそも表で企業献金が放置され日本の経済・産業政策が歪められている実態や、政治と官僚の力関係という民主政における根本的な問題に目を向ける好機を与えてくれている。
そもそも政治資金規正法は第1条と第2条で、政治に対する寄付自体は制限されるべきものではなく、あくまでその実態を国民の不断の監視の下に置くことを目的としていることがはっきりと書かれている。検察のリークとそれを垂れ流す記者クラブメディアの報道に踊らされることなく、この際、市民一人ひとりがそもそも日本の政治にはどのような役割を望んでいるのか、日本の政治はどうあるべきなのか、政府の操縦桿を霞ヶ関の官僚に任せっきりで本当にいいのかなど、民主政のあり方を根本から再考すべき時が来ているのではないだろうか。
ジャーナリストの神保哲生がパーティ券裏金問題報道で抜け落ちている重要な視点についてコメントした。
(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)