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憲法改正の重要性について(О важности внесения поправок в Конституцию)
・若葉の候、益々ご清祥の事とお慶び申し上げます。
5月の3日の今日は…憲法記念日。
1948年に祝日として制定されてから、今年で「76年」の年月が経ちました。
45年に我が国が第二次世界大戦で米英仏ソ中率いる連合軍の前に敗れ、その後。
1.GHQとユナイテッドオブステイツ(アメリカ合衆国)の民主化や非武装化という名目で3S政策(SEX、スポーツ、スクリーン)が裏で現在も進行形で進められている
2.皇族、元貴族、右翼、在日米軍所属の兵隊さん及び永住権を獲得した外国人達の一部の少数派の方々を除き
3.大体の多数派の人が「風俗、野球観戦、
恋愛映画ばかりにマスコミも一般人ら大半の日本人が夢中」な状態が最早常識及びマナーとかしている
ですので政治、宗教、LGBTQ+含む小難しい話をすると、問答無用にみんなで誹謗中傷。
いじめの原因をつくっている(無気力、キレやすい、平和ボケ)
残念ですが、それが戦後社会の現実なのです。
その疑問を解き、ぜひ周囲の家族や知人、同僚と情報を共有し自身でXやFacebook、Telegram等のアカウントで発信してもらえれば幸いです。
詳しくはこちらへ↓
中国共産党 「日本解放第二期工作要綱」
http://satsumayamato77.web.fc2.com/textbooks/studymeeting2008m0405ext.pdf
HOME知る・学ぶグダグダ雑記帳
■ 第90話 ■ 3SのSって、なあに?
https://www.japanjournals.com/culture/gudaguda/16325-gudaguda-90.html
240426 ナショナリスト・ユダヤとグローバリスト・ユダヤ:バイデンとネタニヤフの相互憎悪の淵源
バイデンとネタニヤフの軋轢は、今回のガザ戦争の処理と見通しをより複雑なものにしている。
アメリカに住むユダヤ人は少なく見積もっても300万人以上。イスラエル国外では最大の人口を擁するのがアメリカなのだ。
しかし現在イスラエルに住むユダヤ人と、アメリカに住むユダヤ人の間には、決定的な違いがある。1948年に建国を宣言したイスラエルに、「ついに我がユダヤ民族の国家ができた」と歓喜してパレスチナの地に移住したのが、現在イスラエルに住むユダヤ人である。この愛国心あふれるグループを「ナショナリスト・ユダヤ」と呼ぼう。
これに対して、古代イスラエル王国の滅亡以来2600年以上ユダヤ民族の悲願であったはずの建国に参画しなかったのが、アメリカに留まったユダヤ人たちである。このグループの一部は、アメリカの権力構造に深く食い込んだ。女性初の国務長官であるチェコのユダヤ人:マドレーン・オルブライトや、現在の国務長官アントニー・ブリンケン、そして悪名高いヴィクトリア・ヌーランド前国務次官も、このグループである。
このグループの多くはニューヨークに拠点を持つ。だからアメリカ最強のシンクタンク「外交問題評議会」(CFR:Council of Foreign Relations)は、他の有力シンクタンクがワシントンDCに本部を構えているのに対して、CFRの本部はニューヨークのど真ん中にあるのである。
そしてニューヨークのユダヤ人たちは、アメリカの共産主義者の内、世界同時革命を目指すトロツキストと一体化していく。これがアービン・クリストルが創設したネオコン(Neo Conservative)の起源である。
こうしたナショナリスト・ユダヤとグローバリスト・ユダヤ、そしてネオコンとディープステートのかかわりを知らなければ、ウクライナ戦争もガザ戦争も、もっと言えばアメリカという国家の事すら、何も理解できないという事になる、
240426 ナショナリスト・ユダヤとグローバリスト・ユダヤ-バイデンとネタニヤフの相互憎悪の淵源
バイデンとネタニヤフの軋轢は、今回のガザ戦争の処理と見通しをより複雑なものにしている。
アメリカに住むユダヤ人は少なく見積もっても300万人以上。イスラエル国外では最大の人口を擁するのがアメリカなのだ。
しかし現在イスラエルに住むユダヤ人と、アメリカに住むユダヤ人の間には、決定的な違いがある。1948年に建国を宣言したイスラエルに、「ついに我がユダヤ民族の国家ができた」と歓喜してパレスチナの地に移住したのが、現在イスラエルに住むユダヤ人である。この愛国心あふれるグループを「ナショナリスト・ユダヤ」と呼ぼう。
これに対して、古代イスラエル王国の滅亡以来2600年以上ユダヤ民族の悲願であったはずの建国に参画しなかったのが、アメリカに留まったユダヤ人たちである。このグループの一部は、アメリカの権力構造に深く食い込んだ。女性初の国務長官であるチェコのユダヤ人:マドレーン・オルブライトや、現在の国務長官アントニー・ブリンケン、そして悪名高いヴィクトリア・ヌーランド前国務次官も、このグループである。
このグループの多くはニューヨークに拠点を持つ。だからアメリカ最強のシンクタンク「外交問題評議会」(CFR:Council of Foreign Relations)は、他の有力シンクタンクがワシントンDCに本部を構えているのに対して、CFRの本部はニューヨークのど真ん中にあるのである。
そしてニューヨークのユダヤ人たちは、アメリカの共産主義者の内、世界同時革命を目指すトロツキストと一体化していく。これがアービン・クリストルが創設したネオコン(Neo Conservative)の起源である。
こうしたナショナリスト・ユダヤとグローバリスト・ユダヤ、そしてネオコンとディープステートのかかわりを知らなければ、ウクライナ戦争もガザ戦争も、もっと言えばアメリカという国家の事すら、何も理解できないという事になる、
<マル激・後半>本来は厳格なはずの日本の政治資金規正法の下で政治とカネの問題が後を絶たない理由/孫斉庸氏(立教大学法学部准教授)
問題は法律そのものではなく、法の運用と意図的に作られた抜け穴にある。
未曾有の政治不信を引き起こしている裏金問題を受けて、国会で政治資金規正法の改正審議が始まった。しかし、残念ながら不祥事の当事者である自民党は、本気で実効性のある改正を行う気はさらさらないようだ。
そもそもここまで自民党から出てきている案は、おおよそ政治不信を払拭できるような踏み込んだものではない。しかも、与党内で公明党と調整した上で提出することになる与党案をゴールデンウィーク明けまで引き延ばしてしまった。これは4月28日の3補選の前に法案を出し渋ったからだろう。これでは、有権者を納得させられるような厳しい改正案を出す気がさらさらないことを、法案提出の前に宣言しているようなものだ。
政治とカネの問題は日本のみならず、多くの国が頭を悩ませてきた問題だ。政治活動が選挙運動や政策立案などに一定の資金を必要とする一方で、一歩まちがえば、カネは政治腐敗を生んだり、政策を歪めるような癒着といった、民主主義の屋台骨を揺るがすような問題を引き起こす可能性を孕んでいるからだ。かと思えばアメリカのように、政党や政治家に寄付をすることは国民の「政治意思の表明」という意味で表現の自由という憲法上の権利として保護されなければならないと考えられている国もある。
日本は今国会で政治資金規正法の改正を審議することになる。何ら実効性のない自民党案は論外としても、この審議は有権者として注視する必要がある。それは、いたずらに政治資金に対する規制を厳しくしても、政治とカネの問題の根本的な解決方法にならないことが明らかだからだ。
政治学者で立教大学法学部准教授の孫斉庸氏は各国の政治資金規制を、企業献金が認められているか、どこまで報告・公開を課しているかなど40以上のカテゴリーで詳細に比較した上で、それぞれの国の政治資金規制の厳格さをランク付けしている。それによると、実は日本の政治資金規正法は国際的に見ても厳しい部類に入るのだという。例えば、スイスやスウェーデンなど民主主義が成熟していると見られる国の多くでは、政治家個人への企業・団体献金が認められていたり、収支報告の公開義務さえない国もある。
興味深いのは、日本よりも政治資金に対する規制が厳しい国はメキシコやチリ、ポーランドなど過去に政治腐敗が指摘されたり汚職事件が多く起きている、いわばまだ民主主義が成熟していない国が多い。孫氏は政治資金規制が厳しいということは、法律を厳しくしなければ有権者の政治不信を払拭することができないような政治が行われていたり、過去に汚職や疑獄などが頻発していることの反映であり、これは必ずしも誇れることではないと指摘する。
確かに日本では政治家個人への企業・団体献金は禁止されているし、一定額以上の寄付に対しては寄付者の公開義務も課されている。民主政の国々、とりわけ北ヨーロッパの国々の中には、この程度の制限すらない国が多い。どうやら日本の政治とカネ問題の本質は法律の条文にあるのではなく、本来は制限されているはずの政治資金に多くの抜け穴があったり、実際にカネが物を言う選挙や政治が行われているところに根本的な問題があると言えそうだ。
日本の政治資金規正法は1948年の制定以来、過去に主に9回の改正を繰り返してきた。孫氏はそのたびにほぼ今回と同じような問題が指摘されてきたが、結果的に自民党は本質的な問題を解決せずに、弥縫策で切り抜けてきたと語る。
例えば、企業献金は仮に認めるにしてもその出と入をガラス張りにしなければ、経済政策が歪められる恐れがあることは誰にでもわかることだ。しかし、過去の自民党の政治とカネ問題はほぼ例外なく企業や業界団体からの違法献金だった。今回のパーティ券裏金問題も、そもそも政治資金パーティ自体が企業献金の抜け穴として作用しているものだ。自民党は企業献金が問題になるたびに、これを「企業・団体献金」などと呼ぶことで労働組合などからの献金と並立させたり、「赤旗」のような政党の機関誌からの収入もその範疇に入れるべきなどと主張することによって、野党や世論を揺さぶることで結果的に企業献金を生き残らせることに成功してきた。
国際的には日本は政治家個人への企業や団体からの献金は禁止されているため、OECD加盟国の中でも政治資金規制が「厳しい国」に分類されているが、実際は政党や政党支部への企業献金は1億円まで認められていることに加え、政治資金パーティのパーティ券購入という、一見最もらしいが明らかに脱法的な寄付行為によって、企業献金が政党のみならず政治家個人にも渡っていたことが、今回の裏金スキャンダルで白日の下に晒された。二階幹事長に党から5年間で50億円近い資金が流れていたことが明らかになっているが、政党から政治家個人への寄付や政治団体間の資金移動に制限はなく、しかもその資金が「政策活動費」の名目で全く使途を明らかにされないまま闇から闇へ消えている。このようなことが許されている国が、先進国の中でも政治資金規制が「厳しい部類に入る」などということがあり得るわけがない。
つまり、今日本が集中すべきは、いらずらに政治資金規正法を厳格化するのではなく、今ある制度の下で多くの政治家が当たり前のように使っている「抜け穴」を一つ一つしっかりと埋めていくことだ。さもなくば、このままでは日本は、「世界で最も厳しい政治資金規制がありながら、もっとも政治が腐敗している国」という不名誉な称号が与えられることになりかねない。
抜け穴については、先週のマル激でもご紹介している通り、上脇博之・神戸学院大学教授が理事を務める政治資金センターと、ビデオニュース・ドットコムで「ディスクロージャー・アンド・ディスカバリー」の司会を務める三木由希子氏の情報公開クリアリングハウスが共同で提出した意見書にある17項目の改正・修正が最低でも必要だ。これはいずれも制度そのものの改正ではなく、現行法の運用の改善やより高度な透明化(ガラス張り化)を求めるもので、仮にこの改正をすべて行っても、日本の政治資金規制の厳しさランキングが今よりあがることはないだろう。
有権者は形ばかりの厳格化に騙されてはならない。繰り返すが、必要なのは厳格化ではなく、今ある制度の下で堂々とまかり通っている抜け穴を一つ一つ埋めていくことなのだ。
孫氏は今の政治不信は日本にとっては大きなチャンスにもなり得ると、期待を込めて指摘する。日本、とりわけ万年与党たる自民党は、ここまで政治資金スキャンダルが起きるたびに意図的に抜け穴を残したまま弥縫策で誤魔化してきたが、ここにきていよいよそれが誤魔化しきれなくなっている。これを奇貨とすることで日本が、例えばAIを活用した政治資金収支報告書のデジタルデータ化を導入するなどして、世界の各国の模範となるような優れた、そして透明性の担保された政治資金規制を確立することは十分に可能だと孫氏は言う。そして、その成否はわれわれ有権者にかかっている。
国際的に見て政治資金規制が厳しいはずの日本で政治腐敗が止まらないのはなぜなのか、なぜあからさまな抜け穴が放置され続けてきたのか、誰が政治資金の透明化を阻んできたのか、日本の政治が有権者の信頼を取り戻すためにはどのような政治資金制度の改正が求められているのかなどについて、立教大学法学部准教授の孫斉庸氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
前半はこちら→so43713936
(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
<マル激・前半>本来は厳格なはずの日本の政治資金規正法の下で政治とカネの問題が後を絶たない理由/孫斉庸氏(立教大学法学部准教授)
問題は法律そのものではなく、法の運用と意図的に作られた抜け穴にある。
未曾有の政治不信を引き起こしている裏金問題を受けて、国会で政治資金規正法の改正審議が始まった。しかし、残念ながら不祥事の当事者である自民党は、本気で実効性のある改正を行う気はさらさらないようだ。
そもそもここまで自民党から出てきている案は、おおよそ政治不信を払拭できるような踏み込んだものではない。しかも、与党内で公明党と調整した上で提出することになる与党案をゴールデンウィーク明けまで引き延ばしてしまった。これは4月28日の3補選の前に法案を出し渋ったからだろう。これでは、有権者を納得させられるような厳しい改正案を出す気がさらさらないことを、法案提出の前に宣言しているようなものだ。
政治とカネの問題は日本のみならず、多くの国が頭を悩ませてきた問題だ。政治活動が選挙運動や政策立案などに一定の資金を必要とする一方で、一歩まちがえば、カネは政治腐敗を生んだり、政策を歪めるような癒着といった、民主主義の屋台骨を揺るがすような問題を引き起こす可能性を孕んでいるからだ。かと思えばアメリカのように、政党や政治家に寄付をすることは国民の「政治意思の表明」という意味で表現の自由という憲法上の権利として保護されなければならないと考えられている国もある。
日本は今国会で政治資金規正法の改正を審議することになる。何ら実効性のない自民党案は論外としても、この審議は有権者として注視する必要がある。それは、いたずらに政治資金に対する規制を厳しくしても、政治とカネの問題の根本的な解決方法にならないことが明らかだからだ。
政治学者で立教大学法学部准教授の孫斉庸氏は各国の政治資金規制を、企業献金が認められているか、どこまで報告・公開を課しているかなど40以上のカテゴリーで詳細に比較した上で、それぞれの国の政治資金規制の厳格さをランク付けしている。それによると、実は日本の政治資金規正法は国際的に見ても厳しい部類に入るのだという。例えば、スイスやスウェーデンなど民主主義が成熟していると見られる国の多くでは、政治家個人への企業・団体献金が認められていたり、収支報告の公開義務さえない国もある。
興味深いのは、日本よりも政治資金に対する規制が厳しい国はメキシコやチリ、ポーランドなど過去に政治腐敗が指摘されたり汚職事件が多く起きている、いわばまだ民主主義が成熟していない国が多い。孫氏は政治資金規制が厳しいということは、法律を厳しくしなければ有権者の政治不信を払拭することができないような政治が行われていたり、過去に汚職や疑獄などが頻発していることの反映であり、これは必ずしも誇れることではないと指摘する。
確かに日本では政治家個人への企業・団体献金は禁止されているし、一定額以上の寄付に対しては寄付者の公開義務も課されている。民主政の国々、とりわけ北ヨーロッパの国々の中には、この程度の制限すらない国が多い。どうやら日本の政治とカネ問題の本質は法律の条文にあるのではなく、本来は制限されているはずの政治資金に多くの抜け穴があったり、実際にカネが物を言う選挙や政治が行われているところに根本的な問題があると言えそうだ。
日本の政治資金規正法は1948年の制定以来、過去に主に9回の改正を繰り返してきた。孫氏はそのたびにほぼ今回と同じような問題が指摘されてきたが、結果的に自民党は本質的な問題を解決せずに、弥縫策で切り抜けてきたと語る。
例えば、企業献金は仮に認めるにしてもその出と入をガラス張りにしなければ、経済政策が歪められる恐れがあることは誰にでもわかることだ。しかし、過去の自民党の政治とカネ問題はほぼ例外なく企業や業界団体からの違法献金だった。今回のパーティ券裏金問題も、そもそも政治資金パーティ自体が企業献金の抜け穴として作用しているものだ。自民党は企業献金が問題になるたびに、これを「企業・団体献金」などと呼ぶことで労働組合などからの献金と並立させたり、「赤旗」のような政党の機関誌からの収入もその範疇に入れるべきなどと主張することによって、野党や世論を揺さぶることで結果的に企業献金を生き残らせることに成功してきた。
国際的には日本は政治家個人への企業や団体からの献金は禁止されているため、OECD加盟国の中でも政治資金規制が「厳しい国」に分類されているが、実際は政党や政党支部への企業献金は1億円まで認められていることに加え、政治資金パーティのパーティ券購入という、一見最もらしいが明らかに脱法的な寄付行為によって、企業献金が政党のみならず政治家個人にも渡っていたことが、今回の裏金スキャンダルで白日の下に晒された。二階幹事長に党から5年間で50億円近い資金が流れていたことが明らかになっているが、政党から政治家個人への寄付や政治団体間の資金移動に制限はなく、しかもその資金が「政策活動費」の名目で全く使途を明らかにされないまま闇から闇へ消えている。このようなことが許されている国が、先進国の中でも政治資金規制が「厳しい部類に入る」などということがあり得るわけがない。
つまり、今日本が集中すべきは、いたずらに政治資金規正法を厳格化するのではなく、今ある制度の下で多くの政治家が当たり前のように使っている「抜け穴」を一つ一つしっかりと埋めていくことだ。さもなくば、このままでは日本は、「世界で最も厳しい政治資金規制がありながら、もっとも政治が腐敗している国」という不名誉な称号が与えられることになりかねない。
抜け穴については、先週のマル激でもご紹介している通り、上脇博之・神戸学院大学教授が理事を務める政治資金センターと、ビデオニュース・ドットコムで「ディスクロージャー・アンド・ディスカバリー」の司会を務める三木由希子氏の情報公開クリアリングハウスが共同で提出した意見書にある17項目の改正・修正が最低でも必要だ。これはいずれも制度そのものの改正ではなく、現行法の運用の改善やより高度な透明化(ガラス張り化)を求めるもので、仮にこの改正をすべて行っても、日本の政治資金規制の厳しさランキングが今よりあがることはないだろう。
有権者は形ばかりの厳格化に騙されてはならない。繰り返すが、必要なのは厳格化ではなく、今ある制度の下で堂々とまかり通っている抜け穴を一つ一つ埋めていくことなのだ。
孫氏は今の政治不信は日本にとっては大きなチャンスにもなり得ると、期待を込めて指摘する。日本、とりわけ万年与党たる自民党は、ここまで政治資金スキャンダルが起きるたびに意図的に抜け穴を残したまま弥縫策で誤魔化してきたが、ここにきていよいよそれが誤魔化しきれなくなっている。これを奇貨とすることで日本が、例えばAIを活用した政治資金収支報告書のデジタルデータ化を導入するなどして、世界の各国の模範となるような優れた、そして透明性の担保された政治資金規制を確立することは十分に可能だと孫氏は言う。そして、その成否はわれわれ有権者にかかっている。
国際的に見て政治資金規制が厳しいはずの日本で政治腐敗が止まらないのはなぜなのか、なぜあからさまな抜け穴が放置され続けてきたのか、誰が政治資金の透明化を阻んできたのか、日本の政治が有権者の信頼を取り戻すためにはどのような政治資金制度の改正が求められているのかなどについて、立教大学法学部准教授の孫斉庸氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
後半はこちら→so43714382
(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
Tennessee Waltz〜Patti Page〜ウクレレで演奏してみました
『Tennessee Waltz』
1948年に
カントリーのソングライター
ピー・ウィー・キングと
レッド・スチュワートが
作った曲で
カントリーのシンガーが歌い
当時もヒットしましたが
1950年に
パティ・ペイジが
カバーして
世界的なヒットとなりました
日本では
1952年に
当時14歳の江利チエミさんが
日本語でカバーして
デビューしました
14歳でこの曲とは
かなり大人っぽいですよねー□
というのも、
恋人取られちゃう歌ですからねー□
ウクレレで弾くのは
キーはCで弾いていますが
結構、ハイポジションまで
使うので
練習になりますねー□
<マル激・後半>ガザのジェノサイドを黙殺してはならない/岡真理氏(早稲田大学文学学術院教授)
ガザで今、何が起きているかを知りながら何もしないことは、加害者に加担することと同じだ。アラブ文学が専門でパレスチナ情勢に詳しい早稲田大学文学学術院教授の岡真理氏がこう語り、日本のマスコミ報道や市民社会の姿勢に対する苛立ちを露わにする。
実際、ガザでは毎日100人以上の一般市民がイスラエル軍によって殺されている。そしてその大半は何の罪もない子どもたちだ。
しかも、イスラエルによる電気や水、食料などの封鎖により、230万人のガザの市民生活は崩壊の淵に瀕している。パレスチナ自治区ガザ地区の保健省は3月21日、昨年10月戦闘開始以降のガザ側の死者が3万1988人にのぼると発表した。また、国連の世界食糧計画(WFP)は3月18日、ガザの人口の半分に相当する111万人が飢餓のリスクに晒されるとの見通しを明らかにしている。
にもかかわらず、日本ではガザの惨状はほとんど報道されなくなっている。メディアはドジャースの大谷翔平の通訳の賭博問題に多くの時間を割く一方で、爆撃のみならず栄養失調や劣悪な衛生環境が原因で日々、多くの子ども達が死んでいる現実をほとんど報じていない。
しかし、岡氏が指摘するように、イスラエルは意図的にすべてのインフラを停止し、病院を次々と爆撃して破壊している。パレスチナの市民を根絶やしにしようとしているとしか思えない。これは21世紀のジェノサイドに他ならない。ジェノサイドを放置することは、人類史に汚点を残すことになる。
イスラエルは10月7日のハマスの「テロ行為」に対する報復を主張し、西側先進国は自衛権を理由にイスラエルの攻撃を容認してきた。しかし、そもそもこれが10月7日のハマスによる攻撃の報復であるという受け止め方自体が、パレスチナの歴史をまったく理解していないことの反映だと岡氏は言う。
元々イスラエルは建国当初から、パレスチナの地からパレスチナ人を放逐して、ユダヤ人だけの国家建設を目指していた。それが今日、665万人ものパレスチナ難民を生んでいた。更にイスラエルは2007年、ユダヤ人入植者とイスラエル軍をガザから完全撤退すると同時に、ガザを完全封鎖した。以来ガザは「世界最大の野外監獄」と言われるような状態が続き、ガザの人々は自治権を認められないまま、生殺与奪をイスラエルに握られた中で暮らしてきた。元々農業や漁業で生計を立てる人が多い地域だったが、農産物の域外への販売は制限され、漁業水域も大幅に限定されたため、ガザは経済的に成り立たない状態に陥った。失業率も46%にのぼる。
まさに生き地獄と表現されるような状況の下で、しかも国際社会がまったく助けてくれない中、侵略者イスラエルに対する抵抗権の行使としてハマスは奇襲攻撃を行った。それに対する報復が今も続いているイスラエルのガザに対する軍事攻撃だ。
今回のハマスの奇襲攻撃とイスラエルによる軍事侵攻を正しく認識するためには、そもそもイスラエル建国時の1947年の国連分割決議の矛盾点にまで立ち返る必要があると岡氏は言う。
ナチスのホロコーストを生き延びたものの帰るところがなくなったユダヤ人難民が戦後、ヨーロッパに大量に生まれた。戦争に勝利して新たな国際秩序を構築しなければならない連合国側にとっては、彼らをどうするかが戦後処理の最大の課題の一つだった。そこで連合軍や国連は、パレスチナの地に帰ろうというパレスチナ人のシオニズム運動を利用しようと考え、1947年11月、国連総会でパレスチナの土地を2つに分割し、イスラエルに57%の土地を与える決議が採択された。それが1948年のイスラエル建国につながっていった。しかし、これはホロコーストを止められなかったことの贖罪とヨーロッパのユダヤ難民問題の解決を、まったく関係のないパレスチナ人に全て押し付けることを意味していた。
国連決議当初から、このような分割案は決してうまくいかないという批判があった。特に、このような案ではパレスチナ側の生存権が守られないとの指摘が根強かった。しかし、世界が冷戦体制に突入する中、アメリカとソ連はパレスチナ問題やユダヤ難民問題に深く関与している余裕はなく、結果的にすべての負担をパレスチナに押し付けることで、無理矢理この問題の解決を図ってしまった。
国連安保理は3月22日、アメリカが提案したパレスチナ自治区ガザの即時停戦を呼びかける決議案を中国、ロシアの拒否権によって否決した。結局、イスラエルの軍事行動はまだ止まらないということだ。そして、ガザの市民の犠牲はこの先も増え続けることになる。
「われわれに何ができるか」との問いに、岡氏は「できることは何でもしなければならない」と答えた。罪のない人命が失われていることを知りながら、これを黙って見ていることは、われわれが何よりも大切にしなければならない人権という価値観を自らの手で日々、破壊していることになる。
まずはガザで今何が起きているのかを知り、そのような惨劇が起きている歴史的な背景を知った上で、日本が、そしてわれわれ一人一人が何をすべきかなどについて、岡真理氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の吉見俊哉が議論した。
前半はこちら→so43565911
(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
<マル激・前半>ガザのジェノサイドを黙殺してはならない/岡真理氏(早稲田大学文学学術院教授)
ガザで今、何が起きているかを知りながら何もしないことは、加害者に加担することと同じだ。アラブ文学が専門でパレスチナ情勢に詳しい早稲田大学文学学術院教授の岡真理氏がこう語り、日本のマスコミ報道や市民社会の姿勢に対する苛立ちを露わにする。
実際、ガザでは毎日100人以上の一般市民がイスラエル軍によって殺されている。そしてその大半は何の罪もない子どもたちだ。
しかも、イスラエルによる電気や水、食料などの封鎖により、230万人のガザの市民生活は崩壊の淵に瀕している。パレスチナ自治区ガザ地区の保健省は3月21日、昨年10月戦闘開始以降のガザ側の死者が3万1988人にのぼると発表した。また、国連の世界食糧計画(WFP)は3月18日、ガザの人口の半分に相当する111万人が飢餓のリスクに晒されるとの見通しを明らかにしている。
にもかかわらず、日本ではガザの惨状はほとんど報道されなくなっている。メディアはドジャースの大谷翔平の通訳の賭博問題に多くの時間を割く一方で、爆撃のみならず栄養失調や劣悪な衛生環境が原因で日々、多くの子ども達が死んでいる現実をほとんど報じていない。
しかし、岡氏が指摘するように、イスラエルは意図的にすべてのインフラを停止し、病院を次々と爆撃して破壊している。パレスチナの市民を根絶やしにしようとしているとしか思えない。これは21世紀のジェノサイドに他ならない。ジェノサイドを放置することは、人類史に汚点を残すことになる。
イスラエルは10月7日のハマスの「テロ行為」に対する報復を主張し、西側先進国は自衛権を理由にイスラエルの攻撃を容認してきた。しかし、そもそもこれが10月7日のハマスによる攻撃の報復であるという受け止め方自体が、パレスチナの歴史をまったく理解していないことの反映だと岡氏は言う。
元々イスラエルは建国当初から、パレスチナの地からパレスチナ人を放逐して、ユダヤ人だけの国家建設を目指していた。それが今日、665万人ものパレスチナ難民を生んでいた。更にイスラエルは2007年、ユダヤ人入植者とイスラエル軍をガザから完全撤退すると同時に、ガザを完全封鎖した。以来ガザは「世界最大の野外監獄」と言われるような状態が続き、ガザの人々は自治権を認められないまま、生殺与奪をイスラエルに握られた中で暮らしてきた。元々農業や漁業で生計を立てる人が多い地域だったが、農産物の域外への販売は制限され、漁業水域も大幅に限定されたため、ガザは経済的に成り立たない状態に陥った。失業率も46%にのぼる。
まさに生き地獄と表現されるような状況の下で、しかも国際社会がまったく助けてくれない中、侵略者イスラエルに対する抵抗権の行使としてハマスは奇襲攻撃を行った。それに対する報復が今も続いているイスラエルのガザに対する軍事攻撃だ。
今回のハマスの奇襲攻撃とイスラエルによる軍事侵攻を正しく認識するためには、そもそもイスラエル建国時の1947年の国連分割決議の矛盾点にまで立ち返る必要があると岡氏は言う。
ナチスのホロコーストを生き延びたものの帰るところがなくなったユダヤ人難民が戦後、ヨーロッパに大量に生まれた。戦争に勝利して新たな国際秩序を構築しなければならない連合国側にとっては、彼らをどうするかが戦後処理の最大の課題の一つだった。そこで連合軍や国連は、パレスチナの地に帰ろうというパレスチナ人のシオニズム運動を利用しようと考え、1947年11月、国連総会でパレスチナの土地を2つに分割し、イスラエルに57%の土地を与える決議が採択された。それが1948年のイスラエル建国につながっていった。しかし、これはホロコーストを止められなかったことの贖罪とヨーロッパのユダヤ難民問題の解決を、まったく関係のないパレスチナ人に全て押し付けることを意味していた。
国連決議当初から、このような分割案は決してうまくいかないという批判があった。特に、このような案ではパレスチナ側の生存権が守られないとの指摘が根強かった。しかし、世界が冷戦体制に突入する中、アメリカとソ連はパレスチナ問題やユダヤ難民問題に深く関与している余裕はなく、結果的にすべての負担をパレスチナに押し付けることで、無理矢理この問題の解決を図ってしまった。
国連安保理は3月22日、アメリカが提案したパレスチナ自治区ガザの即時停戦を呼びかける決議案を中国、ロシアの拒否権によって否決した。結局、イスラエルの軍事行動はまだ止まらないということだ。そして、ガザの市民の犠牲はこの先も増え続けることになる。
「われわれに何ができるか」との問いに、岡氏は「できることは何でもしなければならない」と答えた。罪のない人命が失われていることを知りながら、これを黙って見ていることは、われわれが何よりも大切にしなければならない人権という価値観を自らの手で日々、破壊していることになる。
まずはガザで今何が起きているのかを知り、そのような惨劇が起きている歴史的な背景を知った上で、日本が、そしてわれわれ一人一人が何をすべきかなどについて、岡真理氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の吉見俊哉が議論した。
後半はこちら→so43565914
(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
政治・経済、財政など世の中の出鱈目・嘘を斬る⑤
イエスの嘆き
忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。
「ゲヘナの子」がイエスが預言していた、後、
シオニストとなるアシュケナジーユダヤ人な訳です。
パリサイ人とは本当のユダヤ人ではあるが、
偽善の律法学者でイエスを磔刑に追いやった連中です。
現在のエルサレムは古代の「エルサレムの娘」と呼ばれていた所。
なぜか?
歴史は勝者によって書き換えられる。・
ヒトラー率いるナチスがユダヤ人を600万人ガス室で殺害したという嘘をでっちあげ、
世界の同情をひいて、虐待されたとするユダヤ人を率いて1948年に
パレスチナにイスラエルを建国する。
ユダヤの歴史・・・
3大宗教の聖地エルサレム
現在のイスラエルにおけるスファラディー
(聖書中の血統ユダヤ人=本当のユダヤ人)は二級市民。なぜ?
#パリサイ人 #ユダヤ人 #エルサレム #エルサレムの娘
#ヒトラー #ナチス #パレスチナ #スファラディー
Claude Debussy - Clair de Lune Suite bergamasque №3(クロード・ドビュッシー - 月の光 ベルガマスク組曲より) ガザの悲劇 P.つぅまっち
[ドビュッシーの月の光]
ドビュッシーの作品の中で最も親しみやすい曲想で知られる。
ベルガマスク組曲の内の第3曲であり、変ニ長調、Andante très expressif
ほとんどがピアニッシモで演奏される夜想曲であり、優しく切ない曲想。以上Wikipediaより抜粋
[優雅でかつ切ない夜想曲を敢えて反戦動画の音楽とした理由]
私は、身体的事情から夜間、外出することは滅多にありません。
しかし、病院帰りの冬の夜など、空に明るい月のあることにふと気がつくことはあります。
又しても人間の愚かさを曝け出した、ガザの悲劇と思いが重なり、
「地球に一つしかないこの月を、ガザの人々もきっと見ることだろう」と思ったことが始まりでした。
それは優雅とは真逆の日常を送るガザの人々にとって、赤く血に染まった月ではないだろうか・・・
同じ地球におりながら、私と彼らの日常があまりにも違うことへの恐れと怒り。これが答えです。
[音源について]
私は難病に侵される以前、友人の協力を得て幾つかのピアノ音源を録音していました。
中には実験的な音源もあり、今回も幾つかのリマスターを試みたのですが・・
[パレスチナ問題]
アラブ人とユダヤ人の対立、と言ってしまえば簡単ですが、対立の原因は、
元々アラブ人の住むパレスチナの地に、ユダヤ人国家が建国されたことにあります。
ここでいうパレスチナとは土地を指す名称であり、独立国家の名称ではありません。
ではユダヤ人が何故このような行為に及んだか。
第二次世界大戦における戦勝国の戦後処理において、一つの土地(パレスチナ)を
二つの民族に与えるという詐欺的手法を採ったことが、主原因であると私は考えます。
時期は1948年、これは主にイギリスのチャーチルが主張した意見であり、
アメリカは躊躇しながらもこれに賛成をしました。
他の戦勝国にとっては喫緊の課題ではありませんでしたが、
あろうことかチャーチルは、当時のスターリンに、今なら日本を滅ぼせるとけしかけたのです。
もちろん共産圏を東方に追いやることが狙いでした。
現在、イギリスの学校教科書からは、この部分がそっくり抜け落ちています。
イギリスの三枚舌外交とは、アラブ反乱に対する「フサイン・マクマホン協定」
「サイクス・ピコ協定」「バルフォア宣言」の協定締結。
もっと遡れば、イギリスは第一次世界大戦中にも、かつてのオスマン帝国切り崩しのため
アラブ人に対し同じ手口「三枚舌」を使っています。
残念ながら字数が尽きました。
※映像中の曲名はClair_de_Luneの誤りです。
お詫び申し上げます。
赤いレイ〜大橋節夫〜 ウクレレで弾いてみた
オッパチのニックネームで
日本のハワイアンをリードした
大橋節夫さんの作詞作曲の曲です
大橋節夫さんって
12歳からウクレレを始められたんですねー♪
その後スチールギターに転向されたそうです
1948年に「大橋節夫とハニーアイランダーズ」を
結成し、日本のハワイアン歌謡ブームを
支えました
この『赤いレイ』という曲は、
ハニーアイランダーズでもソロとしても
リリースされており
日本の代表的な
フラソングでもあります
今まで投稿したハワイアンの中で
初めての日本人作曲の曲かもです♪
ちょっと昭和感漂いますけどね〜□
スチームオゾーデン
『ドラえもん』をパッケージに描いたオゾ®こどもシロップ 9月1日(金)から新発売!
お子さまに親しみをもって服用いただけるよう、大人気キャラクターの『ドラえもん』を採用。
お子さまにとってつらいかぜ、鼻炎、せきの症状緩和には、各用法・容量をしっかりと守って服用いただくことが大切です。本製品はお子さまが服用しやすいように「いちご味」とし、のみやすいよう工夫した製剤設計です。
明治薬品は富山県で1948年に創業し、本年で75周年を迎える医療用医薬品の受託製造、一般用医薬品、健康食品の研究開発、製造、マーケティングを行っている会社です。
予防から治療までのセルフケアをモットーとし、人々の健康に寄与することで社会貢献してまいります。
赤鼻のトナカイ (詰め合わせ) / 東北きりたん (NEUTRINO)カバー【ボカロクラシカクリスマス祭2023】
メリークリスマス!
今回はきりたんに、皆さまお馴染みのクリスマスソングを歌っていただきました。
原曲は1948年(昭和23年)にアメリカで生まれた童謡、
「Rudolph the Red-nosed Reindeer」です。
日本では新田宣夫さんが訳詞したバージョンがメジャーかと思いますが、
実は他にも数多くの訳詞が存在します。
その中から三田恭次さん、山本ただしさん、水島哲さんの訳詞を
歌っていただきました。
(但し伴奏アレンジは、各原曲とは異なります)
全部で8分ほどありますが、気長に聞いていただければ幸いです。
皆様はいくつ聴いたことがあるでしょうか?
NEUTRINOは現在FANBOXにて先行公開されている、
「NEUTRINO Diffusion - Muon v2.4.1-beta」を使用しています。
「ボカロクラシカクリスマス祭2023」参加作品です。
◇お借りした作品
・東北きりたん立ち絵:夜刀 様 / im10273157
・雪降る背景1:華音3R 様 / nc186298
・サンタクロース:フリー素材あそび 様 / nc258629
うた:東北きりたん(NEUTRINO・VOICEPEAK)
前曲 sm43172580 | 次曲 sm43179962
他に歌っていただいた曲集 mylist/62951887 mylist/74426245
伴奏打ち込み曲集 mylist/72828829
Dr.オゾ
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AIきりたんによる Basco Rosso (元ドイツ軍歌のイタリア軍歌 日本語吹替え版 3番まで)
はてさて、今回送り届けます曲はイタリア空挺部隊の歌「赤きベレー帽」になります。(Canto del guerriero parà:パラシュート戦士の歌とも)
この歌も前回に引き続き、ドイツ軍歌「コンドル軍団分列行進曲」の旋律を用いたイタリア語版の替え歌という代物になります。
イタリアは空挺部隊に関しては先駆者的存在でして、1939年には正式な空挺部隊を設立したりしておりましたが規模は小さく大隊程度でした。
設立は早かったのに暫く手持ち無沙汰になった後、ドイツ降下猟兵の活躍に感化され、1942年には「ファルゴーレ師団(稲妻)」へと部隊規模拡大。
しかし第二次世界大戦の敗北時の条約によって2個空挺師団が解散、1948年頃になるまでは再編成できない状態となっておりました。
(連合軍からみると、かなり手ごわい相手であった為に強制解散させられたようです。)
現在は空挺部隊単体というよりは、様々な精鋭部隊と統合され(第3サヴォイア騎兵連隊をはじめ、サルディーニャ擲弾兵機械化旅団やら自走砲連隊等)
「フォルゴーレ空挺旅団」として、以前のようにイタリア随一の戦闘力を誇る存在となったようです。
なお、フォルゴーレの隊員達が被っている赤いベレー帽は「Basco amaranto」と言い、アマランサスがモチーフだそうです。
また、意外な事に赤いベレー帽は第二次世界大戦の時に敵であったイギリス空挺部隊(通称レッドデビル)の赤いベレー帽をインスパイアしたのだそうです。
イタリア空挺部隊も、1960年代までは灰緑色でペガサスとアマランサスをあしらった、旧ファルゴーレ師団のベレー帽を被っていたそうですが、この時代になりますとイギリスは敵ではなく味方となりました。
彼らは冷戦時代に各種海外での作戦において信頼できる同盟者となったイギリスに敬意を表し、
神話の時代のアマランサスのように女神の保護と慈悲をもたらし、羨望と不幸を退ける稲妻の化身として、毎年6月2日のパレードにおいて赤いベレー帽を被りつつ、大声で一斉にこの歌を歌うのだそうです。
(何でもこの部隊は定期的にテストがあり、戦闘能力を示せない者は強制除隊だとか・・・いやはや流石イタリア最精鋭部隊・・・。)
次回投稿予定:2023年11月16日
次弾装填:Dragões do Ar(ブラジル空挺部隊の歌)
★本日のうちのMMD的家系図
ふらすこ式風きりたん 金子卵黄型
ストラヴィンスキー:ミサ曲
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=vjn4-kal2ZI)。
ストラヴィンスキーの「ミサ曲」は1944年から徐々に作曲を進め、1948年に完成しました。彼が指揮者の
ロバート・クラフトに語った内容によると、作曲のきっかけとして「モーツァルトのミサ曲に苛立ったとい
うのが幾らかある。ロサンゼルスの古本屋であれらを見つけたのは1942年か1943年だった。ロココ・オペ
ラ的な罪の甘さを最後まで弾いたとき、自分のミサを、ただし本物を書かないといけないと気付いた」との
ことです。作品は先に完成した「キリエ」「グロリア」が部分的に初演され、全曲初演は1948年10月27日
にミラノにおいて、エルネスト・アンセルメ指揮スカラ座管弦楽団、合唱団によって行われました。
この頃のストラヴィンスキーは簡素で新古典的、反ロマン派的な美学に基づく作品を作曲していました。特
に「ミサ曲」は彼には珍しく、どこからも委嘱を受けることなく自発的に作曲しており、当時の彼の作風が
色濃く表れたものとなっています。
ジョージ・ベンジャミン指揮
アンサンブル・アンテルコンタンポラン
SWRシュトゥットガルト声楽アンサンブル
象印ポット【Capsule toy】ZOJIRUSHI Miniature Figure Vol.2 全5種コンプリート
昭和レトロミニチュア流行中なんですねぇ。
※時代も“昭和初期”に回帰していますもんね。
現在実製品が復刻販売中3種類
*フローラ
*花化粧
*ワインフラワー
1970年発売の廃盤製品をミニチュア
*花雲
*カトレア
Product/J.DREAM
Price/400yen
#CapsuleToy #ミニチュア #象印
炊飯ジャーと夏場の水分補給に水筒が好評だそうです。
象印マホービン株式会社
創業 1918年(大正7年)5月10日牡牛座
設立 1948年(昭和23年)12月29日山羊座
殷海光先生の故郷(二):湖北黄岡団風県上巴河鎮
殷海光先生編著「中国共産党之観察」(1948年出版)の日本語版電子書籍は弊社より2023年7月に出版いたしましたが、翻訳完成を前にした2023年4月、殷海光先生の地元である湖北省黄岡市団風県を訪れてみました。
前日までと同様、朝、長江を挟んで黄岡の対岸にある鄂州市内の中心部からバスに乗って鄂黄長江大橋を渡ると、上空は霧がかかっていましたが、バスを乗り換えて北上し、陳潭秋旧居を通り過ぎる頃には、霧はなくなっていました。今回は終点の上巴河バスターミナルでバスを降りました。上巴河鎮を散策してみると、地元出身の哲学者熊十力先生を記念して名付けられた団風県十力中学がありました。熊十力先生の墓は、これより北東に5km余り離れた場所にあり、それは上巴河大橋が架けられた巴河の上流にあたるようです。なお、殷海光先生は、生まれた回龍山鎮殷家楼から幼くしてこの上巴河鎮に引っ越してきましたが、ネット上の情報によれば、住んでいた場所は上巴河鎮の西街であるようなので、動画には西街の写真を多めに収めてみました。殷海光先生の衣冠塚も上巴河鎮にあるようです。
再びバスに乗って黄岡市中心部に戻り、李四光記念館の前を通って、黄州区図書館に入ってみると、殷海光先生の関連本もちゃんとありました。図書館を出ると、4月上旬の時期なので、道路沿いの樹木には花がたくさん咲いていました。さらに先に進むと、東坡赤壁にやって来ました。ここは蘇軾が「赤壁の賦」を詠んだ場所です。実はここも日本と関係があり、「中日友好之舎」と名付けられた建物もありました。時間の関係で先を急ぎ、長江の堤防の上に登ってみると、堤防から川岸までは1km程度あるようで、また、この辺りは長江がカーブしていて、中洲が発達している場所であり、この高度からだと、対岸の鄂州市内の様子は見えない感じでした。堤防から下りて、近くのバス停で待ってみても、鄂州行きの最終便が来なかったので、遺愛湖国家湿地公園の北東側までバスに乗り、そして、そこから南下して、再び歩いて鄂黄長江大橋を越え、鄂州市内に戻りました。
【10/11】1947年の地図にはイスラエルという国はありませんでした
[Podcast版:24分23秒]ポッドキャストは通常音声で聴くことができます《リンクあり概要へ》<br>
[掲示板]YouTubeのコメントが消される場合は掲示板へ投稿下さい《リンクあり概要へ》<br>
[ニコニコ動画]見逃した方はニコニコ動画へ《リンクあり概要へ》<br>
《概要》https://www.youtube.com/@itsumononews11/about<br>
◎地図はナクバの一年前1947年にナショナルグラフィック社から発行されました。当時「イスラエル」と呼ばれるものはありませんでした<br>
*ナクバ(Nakba)はアラビア語で破局・災厄/1948年イスラエル建国によりパレスチナの地に住んでいたアラブ人が居住区を追われ難民となったことを嘆く日のことを指します<br>
◎米海軍の空母ジェラルド・フォードが地中海東部に到着した。パレスチナとイスラエルの対立が激化する中米国は同地域への追加兵力の運用移管に引き続き取り組んでいるとアメリカ中央軍は述べた tass<br>
◎トルコのエルドアン大統領がアメリカを非難:「なぜ米空母はイスラエルに来るのですか?イスラエルの近くで何をしているのか?彼らは一体何がしたいのか?ガザを攻撃し大虐殺を行うつもりですか?ガザは」水も電気も止められた。人権派どこにある?人権宣言によれば水を止める権利はない」<br>
◎イスラエル政府が資金提供しているメディアのジャーナリストの女性ニコール・セデックは「ハマスが40人の赤ちゃんを惨殺したとイスラエル兵士が言っていた」と映像も兵士も出さずに英語で配信。トルコメディアのAnadoluがイスラエル軍に確認したところ「惨殺事件を確認できる情報はない」と答えた後ニコール・ゼデックは主張を撤回している<br>
◎米国ABC ニュースも同じく戦場にいるかのような報道の動画を撮っている地面に這いつくばり話す彼は戦地でいるつもりだがヘルメットの着用もしていない<br>
日付/2023.10.11<br>
企画/Tomoko Marutani<br>
制作/Kazuo Mizoo<br>
#ナクバの日<br>
#パレスチナ<br>
#エルドアン大統領<br>
#サルマン皇太子<br>
#アラブ首長国連邦<br>
#ヨルダン<br>
#メナヘムベギン<br>
超正統派ユダヤ教ラビのエルハナン・ベック氏のド正論
「聖地における平和のための解決策はひとつしかない。それは、1948年以前に戻り、
海から陸まですべての占領地をパレスチナ社会に返還することだ。他人の土地を占領
して被害者だと主張する社会は、世界でイスラエル社会だけだ」
<パレスチナ ガザ地区の現状>
・外部との交通は全てイスラエルとエジプトが遮断
・唯一の空港は、2001年にイスラエル軍が破壊
・唯一の海港ガザ港はイスラエルが制海権
・港は漁船以外の利用禁止
・港では貿易や外国への出入国不可
・救急医療要員や援助物資を運ぼうとした小型船でさえイスラエルが追い返した
・陸路は検問所を通してのみ通行可
・他はイスラエルの築いた分離壁によって封鎖
・外部との出入りを「治安上の理由」で厳しく規制
・危篤状態の人であっても許可はなかなか下りない
・電気・水道の供給が遮断
wikiより
短歌:殷海光忌に(2023年9月16日)
非常期に
堅い信念
守り抜き
言論以って
天下揺るがす
【短歌:殷海光忌に(2022年9月16日)】
独裁に
怯むことなき
自由の士
大河東流
阻めぬ民主
国共内戦末期に台湾に逃れた後、民主化を進めようとしない中国国民党政権と言論を以って闘い、その後、抑圧され、若くして亡くなることになる殷海光先生が大陸時代に上海で出版した「中国共産党之観察」(独立出版社、1948年)を翻訳し、2023年7月に日本語版電子書籍として出版いたしました。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B0CBT5D24R/ref=dbs_a_def_rwt_bibl_vppi_i0
殷海光先生の故郷:湖北黄岡団風県回龍山鎮殷家楼
殷海光先生編著「中国共産党之観察」(1948年出版)の日本語版電子書籍は弊社より2023年7月に出版いたしましたが、翻訳完成を前にした2023年4月、殷海光先生の地元である湖北省黄岡市団風県を訪れてみました。 朝、長江を挟んで黄岡の対岸にある鄂州市内の宿泊施設を出発、バスに乗って鄂黄長江大橋を渡り、さらに、団風県行きのバスに乗り換え、前日の乗車地点の手前数kmのバス停にて下車しました。バス停付近の交差点から北西の方角に幹線道路を歩いて行くと、地元出身の烈士を祀った墓園があったりしました。さらに進んで、高速道路を越えると、殷家楼に到着しました。溜池の端に設置されている注意書きの看板を見てみると、回龍山鎮江山村という記載があるので、殷家楼は江山村に属する集落といったところなのでしょう。集落を一周してから、幹線道路をさらに進むと、鴿子山村にやって来ました。手元にある参考文献によれば、殷海光先生は子どもの頃に薪を採集しに行って付近の山の崖から転落して軽い障害が残ったとのことであるから(汪幸福「殷海光传」湖北人民出版社、2000年、7ページ)、削られた山の斜面の写真を多めに撮影してみました。殷家楼を何度か巡ってみて、気付いたことは、やはり墓石に刻まれている方々の苗字が殷姓であることです。殷家楼と回龍山鎮は殷子衡、殷鑒等、李四光、林彪、林育南、林育英等といった名士を輩出した土地柄です。殷海光先生は幼くして殷家楼を離れ、そこから15km程離れた上巴河鎮に移り住み、さらに勉学のために地元を離れて以降、日中戦争、国共内戦、台湾への撤退という時代背景もあってか、帰郷する機会は少なかったようですが、今回、実際に訪れてみて、感慨深いものがあります。殷家楼の前にも長距離バスなら停車してくれますが、帰りも敢えて来た道を戻りました。天候はこれまで良かったのですが、南の空には雲が広がってきました。バスに乗って黄岡の市街地に戻り、東方広場を横切って、黄岡市博物館に行ってみると、すでに入館時間が過ぎていました。再度、バスに乗って鄂黄長江大橋を渡り、鄂州に戻ってから、古い歴史のある文星塔にやって来ました。北上して長江の河辺までやってくると、武昌門がありました。これは三国時代東呉の孫権が築いた武昌城にちなんで後の世に造られたものであるようです。昼間であれば、長江の中の小さな磯の上に建てられた観音閣を見ることができますが、夜間なので、もう暗くて見えないですね。殷海光先生の姉の家が鄂州の長江の近くにあって、殷海光先生も一時期、そこに身を寄せていた時期があるとのことであり(汪幸福「殷海光传」湖北人民出版社、2000年、28~30ページ)、殷海光先生もこれらの観光スポットをおそらく訪れたことがあったでしょうね。
カラー撮影された昭和23年(1948年)の東京
YouTubeからの転載
Tokyo in 1948 オリエンタルホテル皇居新橋
https://www.youtube.com/watch?v=XlXmPnavEAk
1948年にアメリカの陸軍将校が8ミリカラーで撮影した東京の姿。
今年11月3日公開の超大作怪獣映画の時代設定(エキストラ募集要項は1945~47年)より少しあと。
東京の都市部とはいえ、戦後を扱った数多の作品で見られた殺伐・混沌としたイメージとは違い、街並みは非常に洗練され整然としている。カメラを前に日常然としている市民の姿も印象的。
田母神俊雄さん著、国家の本音。日本には法の下の平等がない。ゲシュタポ並みの東京地検特捜部。日本の司法プロセスは独裁国家状態
国家の本音 田母神俊雄さん著
https://www.amazon.co.jp/dp/B0744FKVD7/
田母神/俊雄
1948年、福島県生まれ。第6航空団司令、統合幕僚学校長、航空総隊司令官を経て第29代航空幕僚長に就任。08年10月、アパグループの真の近現代史観に応募した論文が「日本は侵略国家ではない」とする内容で、政府見解と異なる主張をしたことで職を解かれる。同年11月定年退官。軍事評論家として講演、執筆活動に従事。2014年2月東京都知事選に立候補、61万票を獲得したが落選。同年12月東京第12区から衆議院選に立候補、落選。2016年4月、2年前の都知事選後の公選法違反(運動員買収)容疑で逮捕、その後起訴
ザイム真理教の書籍をサムネイルにおきましたのは、話しそびれたのですが、森永先生が
いつも、これ以上話すと逮捕されると話しているためです。
当局は無実の人をも、いかようにも逮捕起訴し逆にいかようにも犯罪者を不起訴にするということ。
【ささら/OИE/つづみ】栄冠は君に輝く(夏の甲子園の歌)【CeVIO カバー】
高校野球シーズンなので...
曲名:栄冠は君に輝く(全国高等学校野球大会の歌)(1948年)
作詞:加賀大介
作曲:古関裕而
歌手:さとうささら/OИE(CeVIO CS7)
すずきつづみ(CeVIO AI)
【お借りした物】---ありがとうございました!
●立ち絵:ふにちか様(ささら/OИE/つづみ)
im9969118 im10585578 im10554088
伴奏:Cakewalk by BandLab
歌声合成:CeVIO CS7, CeVIO AI
音声編集:Audacity, SoundEngine Free
背景制作:コミPo!
動画制作:Recotte Studio, 2Dキャラクター作成ツール
江西九江イギリス租界旧址、湖北黄岡黄州駅、鄂黄長江大橋
殷海光先生編著「中国共産党之観察」(1948年出版)の日本語版電子書籍は弊社より2023年7月に出版いたしましたが、翻訳完成を前にした2023年4月、殷海光先生の地元である湖北省黄岡市団風県を訪れてみました。
湖北省へ向かう当日朝、まずは九江駅の斜め向かいにある南湖公園東口から出発です。南門湖、甘棠湖の湖畔は工事のために設置されたフェンスが続き、有名な観光スポットである煙水亭まで来て、湖を見渡すことができました。この煙水亭は、三国志で有名な東呉の周瑜が出陣に当たって号令を発した場所であると伝わっているそうです。さらに、長江河畔に向かって歩くと、旧イギリス租界にやって来ました。ここには、嘗ての日本領事館、日本台湾銀行等の建物がありました。九江イギリス租界は、1927年に回収されました。
その後、時間の関係で、九江駅近辺までバスで戻りました。今回は、雨天であること、長江を挟んで黄岡市の対岸に位置する湖北省鄂州市の宿泊施設に予約を入れたこと、それと、列車の運行時間帯や乗車料金等を勘案して、殷海光先生等と共に台湾で雑誌「自由中国」の編集を担当された夏道平先生の地元である湖北省黄石大冶市を経由する長江南岸ルートではなく、黄梅戯で有名な黄岡市黄梅県や日本留学経験があって台湾や香港で活躍された徐復観先生の地元である黄岡市浠水県を経由する長江北岸ルートを選びました。
黄州駅で下車すると、駅周辺にも宿泊施設が少なからずありました。黄州駅から殷海光先生の地元である団風県回龍山鎮殷家楼までは、直線距離で数km程度であるものの、実際には大きく迂回する必要があり、荷物もあるので、とりあえず、駅周辺を少し歩いてみるにとどめました。
黄岡市と鄂州市を跨ぐバスは、黄岡市側と鄂州市側で運行路線名称が異なるようであり、市内バスではないからか、バス停に案内も記載されておらず、また、時間の関係もあってか、バスが来ないため、黄岡市から鄂州市への鄂黄長江大橋を歩いて渡りました。大橋上では、同じ方向へ帰宅する優しい市民の方が声を掛けてくださいましたが、結局、歩いて渡り切り、そのまま、鄂州市中心部まで歩きました。九江駅から鄂州駅に直接到着する夜の便を選んだ方が早く到着できただろうと思いますが、それはそれで経験になりました。
殷海光、Peace Culture (Shanghai) Translation Co., Ltd. 和文(上海)翻訳有限公司「中国共産党の観察(日本語版)」(2023年)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B0CBT5D24R/ref=dbs_a_def_rwt_bibl_vppi_i0
医者がひた隠すがん治療の真実 宗像久男先生
講演会フル「統合医学医師の会公開講演会」ワールドフォーラム連携企画2011年10月
※宗像久男先生が2021年9月22日(享年73歳)急逝されました。宗像久男先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
出典・ワールドフォーラム
https://www.youtube.com/channel/UC0D596LYDZO95xGiNAGYs2g
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◆宗像久男先生プロフィール・・・1948年福島県生まれ、昭和45年3月早稲田大学社会科学部卒業 1975年早稲田大学大学院経済研究科国際経済学専攻、96年3月長崎大学医学部卒業、2004年ナチュラルクリニック代々木開設、医療法人社団・一友会初代院長に就任、07年CCSクリニック院長に就任、08年医療法人社団一友会・理事長就任後、11年銀座ヘルスケアクリニック院長就任。
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