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ちょうみりょうぱーてぃー しーずん11 第11食目 チョコ三昧回
11の11!3人のお正月の報告や好きな正月料理など、少し遅めのトークで盛り上がりつつ今回挑戦するのは今から旬のこちら!【ハッピーバレンタイン!チョコ対決三本勝負!】2/14はバレンタイン!今まで様々なチョコ企画に挑戦してみましたが、今回はクイズ対決!ご褒美か罰ゲームなチョコを賭けて、3問のうち2問以上正解を目指して3人が共闘します!カカオや恐竜!?など難問珍問に挑戦果たして結果は…!?【調味料擬人化計画!】第9食目にて3人がラベルのデザインを考案した新商品「ちょみぱワイン」デザインが完成!美味しく、楽しくワインをお楽しみ下さい!
出演:マヨネーズ:吉成由貴、ケチャップ:藤川茜、しょうゆ:永野希
制作:楽天TV、エムケイクリエイティブ/キャラクターデザイン:種田優太/4コマ:むっく/ディレクター:フォノビジョンフィルム 棚田清/プロデューサー:国重彰宏、佐藤スーツ博之、神田正明
©ちょうみりょうぱーてぃー
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『同時責め』お嬢様の隠し事 2/14
あらすじ
夜1人になったあとR系の本を読むことにはまっているお嬢様。
最近のお気に入りは3P。
その本を読んでいる時にウトに見つかってしまう。
【ボーマス50】 また誰もいない部屋に辿りついてしまった 【クロスフェード】 【再投稿版】
※2023年2月に投稿した動画の再投稿版です。
機流音のCDをボーマス50で頒布します!
初頒布 2023年2月19日 THE VOC@LOiD M@STER 50
http://ketto.com/tvm/
B01, 02 「フミヅキレコーズ」
BOOTHにてCD通販します!(2/14より予約受付中)
https://fumito.booth.pm/items/4541314
3/7に各種ストリーミングサービス(Spotify、Apple Music、amazon music、LINE MUSIC他)で配信開始予定!
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『また誰もいない部屋に辿りついてしまった』
CD版(イベント頒布、BOOTH通販):1000円
DL版(BOOTH, bandcamp):800円
BOOTH: https://fumito.booth.pm/items/4541314
bandcamp: https://fumito.bandcamp.com/album/--7
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制作:文月フミト mylist/64046673 https://x.com/fumito_fumizuki
イラスト:紫ノ月 https://x.com/violetmoon_1582
エナ!ドリ! (eurobeat remix) / 文月フミト feat. KAITO 【再投稿版】
※2022/2/14に投稿した動画の再投稿版です。
以前作ったゆかりさんの森メタルのセルフアレンジです。
原曲:sm39675775
KAITOの記念日なので、ご好評いただいているグルメユーロビートシリーズ風味に仕上げました。
※セルフアレンジなのでプロセカNEXT応募楽曲ではありません
作詞・作曲・編曲・動画:文月フミト mylist/59534141 https://x.com/fumito_fumizuki
曲、オフボーカル音源のDLはこちらから
https://piapro.jp/fumito
【EXVS2IB】ですともおじさんのイニブ珍道中180
イニブ→mylist/78857064 エクバ→mylist/42887378 オバブ→mylist/75384231
2/14の試合になります。
そういえばFA-ZZやνHWSやフルグランサのメインにおまけミサつけといてなんでアリオスにはないんですか。
アーチャーがいるから?そんな理由では納得できません。
まったりとクッキー作り!(無料ギフト待ってます 2026/2/14(土) 13:63開始 ニコニコ生放送
しらいっ各種リンク https://lit.link/shiraiccham
【EXVS2IB】ですともおじさんのイニブ珍道中179
イニブ→mylist/78857064 エクバ→mylist/42887378 オバブ→mylist/75384231
2/14の試合になります。
スエッソン直撃してて草。
代滅ぶ! 危うい覇権【夕刊シチ 4月13日号 376年12月】
【376年12月】
資治通鑑原文1947文字(235/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
3/4-慕容垂-5/3
3/15-苻堅-4/22
3/26-謝安-4/22
3/29-謝玄-4/25
4/7-拓跋珪-5/17
・準メインキャスト
2/14-拓跋什翼犍▲
3/17-姚萇-5/1
3/24-呂光-5/7
4/3-慕容徳-5/13
4/9-桓玄-5/11
【できごと】
拓跋什翼犍が死亡しました。息子の拓跋寔君に殺され、残された拓跋珪は賀蘭部に引き取られた、と書かれます。一方で晋書や宋書、南斉書では拓跋什翼犍が拓跋珪により前秦軍に捕らえられ、後日連行先の長安で客死した、と書かれます。これのどちらが正しいのでしょうか、よくわかりません。確実に言えるのは、ここで前秦が代を滅ぼし、五胡政権として最大の中原版図を築いた、ということです。このため資治通鑑が載せる代国遠征周りの詳細は全て省き「そういうことがあったらしい」で片付けます。あ、二点だけ書いておきます。ひとつは拓跋珪の叔父、拓跋窟咄が、この当時すでにいい歳であったのに拓跋什翼犍にまともに取り合われていなかったこと。もうひとつは滅ぼされた代が劉衛辰と劉庫仁とで分割統治されると「功労者であるはずの自分が劉庫仁より取り分が少ないのが気に食わない!」と劉衛辰が劉庫仁に襲いかかるも打ち破られた、と言うのも。いやほんと劉衛辰さんのこの……。
苻堅はこの大戦果を誇りますが、一方で前秦にいる慕容恪や慕容垂の息子たちが慕容垂に「秦国内の綱紀が乱れてきている」と指摘、決起を慕容垂に勧めていました。慕容垂は「いまは時ではない」と彼らをたしなめています。前秦、栄光の陰でなかなかに不穏です。
対する晋では、対前秦シフトが進みます。ここで朱序が襄陽に赴任します。蜀が落ちている以上、対前秦の最前線です。また桓豁が死亡したため、改めて桓沖が荊州、即ち西府の総取締に。またここで北府は謝玄が大抜擢を受けます。謝安による縁故人事かよ、とも言われるのですが、謝安となかなかにバチバチであった郗超が「あの有能を身びいきと見られても押し切れてしまうのが謝安の恐ろしいところだ」と語っています。実際に謝玄は赴任早々、劉牢之らをはじめとした猛将を召し抱え、精強な軍を編成しています。なお、これまで平然と「北府」と呼んできていますが、実はこのタイミングが初出です。だって便利なんですもの。
こうして南北の緊張が高まるなか、鮮卑乞伏部において乞伏国仁が大人として立ちました。このひとは淝水の戦いののち、西秦を建てることになるのです。
【EXVS2IB】ですともおじさんのイニブ珍道中178
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2/14の試合になります。
あえて敵の近くに着地することで動揺を誘う高度なテクニック(適当)
苻堅外征! 文は?【夕刊シチ 4月12日号 376年01月】
【376年01月】
資治通鑑原文2090文字(220/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
3/4-慕容垂-5/3
3/15-苻堅-4/22
3/26-謝安-4/22
3/29-謝玄-4/25
4/7-拓跋珪-5/17
・準メインキャスト
2/14-拓跋什翼犍-4/13
3/17-姚萇-5/1
3/24-呂光-5/7
4/3-慕容徳-5/13
4/9-桓玄-5/11
【できごと】
苻堅、前年に「私は文の充実に動くぞ!」と宣言したはずですが、そういうタイミングで張天錫が乱政に走ります。なんかもうここまでの苻堅の動き方を見ると「本当かよ」って疑いたくもなってきて仕方がないのですが、ともあれ十三万もの軍を興し、前涼攻略を開始。はじめ強気に立ち向かった張天錫でしたが、そもそもにして軍の厚みが比べものになりません。あっという間に追い詰められ、降伏。ここに前涼が滅亡しました。常拠と言う人物は善戦の果てに都の方を向いて自害をしていますが、その都では張天錫があっさり降伏と、例によって配下とトップのコントラストがアンバランスすぎます。このとき晋も朱序をはじめとした軍を動かして前秦軍の後背を衝かせるような動きをさせたのですが、全く意に介されませんでした。
さて、劉衛辰。たびたび拓跋什翼犍に攻められていましたが、ここでついに改めて苻堅に泣きつきます。苻堅もまたこれを好機だと思ったのでしょう、代討伐の軍を立ち上げます。こちらの軍はおよそ三十万規模であったそうです。ねえ文は? 劉衛辰の先導により、前秦軍は破竹の勢いで代国領を進みます。この事態を受け、拓跋什翼犍は匈奴独孤部の劉庫仁に十万騎を授けて防戦させました。ちなみに独孤部ですから、当然その血族は後の世の北周・隋・唐において外戚となる独孤氏にも連なっています。ただこのときの劉庫仁は前秦軍にまるで抵抗できずに大敗。さらにこれを受けていままで拓跋氏に頭を押さえ込まれていた諸部族も反乱を起こし始めます。こうして、代はいきなり滅亡の瀬戸際にまで追い込まれました。
前秦が西や北の併呑に動いている際、晋は淮水北部の民を南部に避難させています。遠方の動きが一段落すれば前秦の牙が南に向くのは必然、と言うしかないのです。ここで北方エリアに配される名前はのちの淝水の戦いでもその名前を聞く人物が増えてきます。ちなみに資治通鑑は書いていませんが、この頃淮水エリア、州区分けで言うところの兗州を守っていた将の名前は、朱序と言います。上の方でもちらりと名前を載せてみましたが、ここでもまた出てきました。朱序、朱序をよろしくお願いします。
【EXVS2IB】ですともおじさんのイニブ珍道中177
イニブ→mylist/78857064 エクバ→mylist/42887378 オバブ→mylist/75384231
今回から2/14の試合になります。
お前もお兄ちゃんにしてやるってんだよ!!
王猛死亡! 対する晋は【夕刊シチ 4月11日号 375年02月】
【375年02月】
資治通鑑原文860文字(327/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
3/4-慕容垂-5/3
3/15-苻堅-4/22
3/20-王猛▲
3/26-謝安-4/22
3/29-謝玄-4/25
4/7-拓跋珪-5/17
・準メインキャスト
2/14-拓跋什翼犍-4/13
3/17-姚萇-5/1
3/24-呂光-5/7
4/3-慕容徳-5/13
4/9-桓玄-5/11
【できごと】
この年、晋の政局体制がほぼ謝安と桓沖のツートップ状態となります。桓温の弟たちと言えば桓豁もいるんですが、たぶん桓温の母親が最も家門が高く、次に桓沖、くらいの感じだったのでしょう。桓沖は中央の政治を謝安に任せ、自身は京口に出ました。つまり北府の統括です。そしてこの当時の西府統括は桓豁であり、「むしろ桓氏が軍務で引き続き重要な立場にあった」というのが凄まじい。謝安という重石のすごさ、そして目の前に迫ってきている前秦がどれほどの脅威であったかを占えよう、と言うものです。
そして、その前秦。ここで決定的な転機が訪れます。王猛の死亡です。王猛はその死の床において苻堅の今後を本気で、めちゃくちゃ、心底心配しており「始め良くても終わり全うできた王が少ないことを肝に銘じてくれな」「はっきり言っていま晋攻めるの下策だからな」「そんなことより鮮卑と羌を除いとかないとやべーぞ」と言い残し、死亡。苻堅はギャン泣きして 「天は私に天下を統一させたくないのか! なぜこれほど早く、私から景略を奪うのだ!」と叫んだ、とされているのですが……これ、石勒や苻健の嘆きと全く同じ内容なんですよね。ともあれ苻堅は王猛という重要な片腕を失ったことに対する不安を抱いたのか、「いまは武を収め文を養うこととしたい」と宣言、そのための政策を打ち出しています。
ここで東晋に話を戻します。孝武帝の皇后に王氏が就きました。これまでも様々に王氏が出てきているので、ここで改めて紹介しておきましょう。晋には著名な王氏の流れがふたつあります。王導が属する琅邪王氏。もうひとつが、太原王氏です。ここで王皇后は太原王氏の出身でした。これまでも太原王氏出身の名士は多くいたのですが混乱を避けるために紹介を避けていました。ただ東晋末を追う上でこの一族がまた重要になってくるので、この辺りでリマインドをしておきたいと思います。陳郡謝氏、琅邪王氏、太原王氏、そして譙郡桓氏。こうした一族が組んずほぐれつをし、淝水前夜、つまり晋末前夜を彩るのです。あと彭城劉氏。現在、ただの金魚のフンです。
蜀反攻! 鮮卑も危うい【夕刊シチ 4月10日号 374年02月】
【374年02月】
資治通鑑原文544文字(339/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
3/4-慕容垂-5/3
3/15-苻堅-4/22
3/20-王猛-4/11
3/26-謝安-4/22
3/29-謝玄-4/25
4/7-拓跋珪-5/17
・準メインキャスト
2/14-拓跋什翼犍-4/13
3/17-姚萇-5/1
3/24-呂光-5/7
4/3-慕容徳-5/13
4/9-桓玄-5/11
【できごと】
桓温のいなくなった中央では謝安がその統率権を握りますが、ここで謝安の音楽趣味が書かれます。謝安はいついかなる時でも音楽を演奏させることにこだわっていた、と書かれるのです。これを同僚にしばしば諫められましたが、謝安はその趣味を決してやめることがなく、これがそのまま宮中の風習となりました。司馬光さん「謝安の功績大だが、同時に政治の退廃も招いたのだ」とでも言わんばかりですね。もちろんこれは先に書いておきましょう、「結果から逆引きすればそのように描けてしまいます」。事実がどうであったか、など関係がありません。
一方、前秦に制圧されたばかりの蜀ではさっそく前秦に対する反乱が起きています。こうした反乱は晋にとっても好都合です、桓豁自身が直接軍を率いて蜀に乗り込み、攻勢を仕掛けます。これははじめこそ上手く行ったのですが、やがて蜀で決起したものたちが仲間割れを始めてしまい、さらにそこに、長安から送り込まれた鄧羌らの反攻に遭い、蜀奪回作戦は頓挫します。桓豁については書かれていませんが、どうにかこうにか蜀からの脱出は果たしたようです。
前秦、絶好調です。しかし悪い前兆もまた止まりません。前秦の宮城に何者かが侵入し「甲申、乙酉の年、魚と羊が人を食う。悲しいかな、生き残る者はいない!」と叫びました。なおこの干支を西暦に直すと384、385です。そして魚と羊を組み合わせると、鮮。こうして鮮卑を警戒しろ、という声が高まる中、苻堅は他でもない鮮卑たる慕容垂の側妾のひとりと「同じ車に乗って」お出かけします。すぐさま配下からの怒られをくらって彼女を車から降ろすのですが、何やってんだこいつ感は否めません。
さてこの年、再び拓跋什翼犍が劉衛辰を攻撃。劉衛辰は南へ逃走しました。なんか前にも同じような内容を見た気もします。ともあれ、これはさすがに、劉衛辰も拓跋部に対して本格的にキレそうですね。前秦、各地に火種を抱えまくりです。
桓温死亡! 蜀も陥落【夕刊シチ 4月9日号 373年03月】
資治通鑑原文1702文字(250/365位)
【登場人物】
・メイン
3/4-慕容垂-5/3
3/8-桓温▲
3/15-苻堅-4/22
3/20-王猛-4/11
3/26-謝安-4/22
3/29-謝玄-4/25
4/7-拓跋珪-5/17
・準メイン
2/14-拓跋什翼犍-4/13
3/17-姚萇-5/1
3/24-呂光-5/7
4/3-慕容徳-5/13
【できごと】
桓温、意をまっとうしきれないまま、死亡。このとき桓温のもとに九錫、人臣の枠を超えた、皇帝にも等しき大功臣に与えられる特権がもたらされる予定でしたが、この授与を謝安らが引き伸ばしたため、立ち消え。この処遇に桓温は不満を抱いていましたが、一方で謝安らの手管も痛感していたため、桓沖らに対しては「間違えても謝安らと敵対することのないように」と言って聞かせました。この状況を謝安側も理解していたため、この連帯を受け入れ、桓温には逆臣ではなく大功臣として「宣武」、国威復興をその武で成し遂げた、位の極上の諡がもたらされました。また桓温の爵位については末子の桓玄が継承。これはまた後日の火種にこそなりますが、目の前に前秦というどでかい圧力があった以上、また極上の措置であった、と評価しうるでしょう。この措置に桓温の弟や息子らに不満が起こっていますが、こうした勢力を桓沖が追放という形で対応しています。
ここで中央では、三度褚太后が臨朝として駆り出されました。この方の政策周りにおける意思決定がどのようであったかを調べられると、東晋中期の性格をだいぶ伺えそうです。
さて、晋のこうした不安定は前秦にとってはまたとない好機です。仇池を獲得したことから、仇池、そして漢中を経由し、蜀に侵攻を開始しました。桓温死亡以前から荊州を守っていた桓豁も救援軍を送りこそしたのですが、どうしようもありませんでした。あっという間に蜀は陥落、こうして長江上流に毛当、楊安、そして姚萇という前秦屈指の名将が配され、ますます荊州守備の重要性が増します。ここで建康が桓氏を圧迫していたら、この結果は蜀だけでは済まなかったことでしょう。
ただ、この頃前秦では「慕容を飼い続けるのは危ういのでは?」という議論が巻き起こってもいました。ここで苻堅は「私は天下のみなを家族にしたいと願っていると言うのに、なぜそのようなことを言うのか!」と激怒しています。まあこのひと、宗族に案外恵まれてないですしね。自分を慕ってくれる異民族たちこそを拠り所としたくなっていたのかもしれません。とは言えこの方向性がどのような結果をもたらすかについては、もはや皆さんご存知、と言うしかありません。
桓温威圧! 謝安堂々?【夕刊シチ 4月8日号 372年04月】
通鑑原文2272文字(195/365位)
【登場人物】
・メイン
3/4-慕容垂-5/3
3/8-桓温-4/9
3/15-苻堅-4/22
3/20-王猛-4/11
3/26-謝安-4/22
3/29-謝玄-4/25
4/7-拓跋珪
・準メイン
2/14-拓跋什翼犍-4/13
3/17-姚萇-5/1
3/24-呂光-5/7
4/3-慕容徳-5/13
【できごと】
ひと通りの地ならしを終えたと判断したか、王猛が鄴から長安に帰還します。代わりに派遣されたのは苻堅の弟、苻融。苻堅が最も信頼した弟であり、つまり旧前燕統治の重要さ、難しさが裏打ちされた形です。いきなり東方に崩れられてしまうと、北方や西方、大本命たる南方攻略など夢のまた夢ですものね。なお資治通鑑は、改めて王猛と苻融がどれだけ優れた政治家であったのかをかなり熱量高く語ります。そりゃ司馬光さんも王猛に君子であってほしかったんだろうなあ、と納得できてしまうレベルで。ちなみに苻融は君子です。
対する晋です。黙って殺されてなるものかと庾希が決起しました、が、すぐさま鎮圧、滅ぼされました。これで桓温の立場が安定、というわけにも行きません。簡文帝、即位したそばからいきなり病を得てしまいます。簡文帝はもう結構な年でしたが、息子らしい息子は当時十歳であった司馬曜くらいしかいませんでした。このため司馬曜が太子につけられます。ただしこのとき簡文帝は桓温に禅譲する旨の詔勅を書いていたりもします。これは謝安らによって握りつぶされ、「桓温よ、諸葛亮や王導のように息子を補佐してくれ」と書き直させられ、崩御しました。そのまま司馬曜が即位します。孝武帝です。
この事態に我慢ならないのが桓温です。皇帝はおろか、宰相としての全権すら握れない。このためいちど任地に引きこもりました。そこに謝安が招聘の使者として遣わされます。考えるだけで胃が痛くなりそうな交渉の末、なんとか桓温は出仕。これは軍を率いたものであったため、百官はみな震え上がりましたが、その中で謝安一人が悠然と対応。「この一挙がお国の命運を分けるのだ」とうそぶいたあと、桓温に対しては「あなた様の振るまいに義がおありというのであれば堂々となさっておれば良い。何故軍をわざわざお引きいになる必要があるのです?」と言ってのけ、これには桓温も苦笑、軍を解散し、そこから謝安と歓談を交わしました。
……このエピソードで謝安の肝っ玉を讃えられることが多いですが、「事前に謝安が使者として出向いている」ことを知っているかどうかで、だいぶ印象が変わりますね。もちろん肝っ玉がヤバいこと、そのものに異論はありません。
桓温廃帝! 簡文立つ【夕刊シチ 4月7日号 371年04月】
【371年04月】
資治通鑑原文4087文字(97/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
3/4-慕容垂-5/3
3/8-桓温-4/9
3/15-苻堅-4/22
3/20-王猛-4/11
3/26-謝安-4/22
3/29-謝玄-4/25
拓跋珪-5/17
・準メインキャスト
2/14-拓跋什翼犍-4/13
3/17-姚萇-5/1
3/24-呂光-5/7
4/3-慕容徳-5/13
【できごと】
前燕を滅ぼした前秦、ここからは無双のターンです。まずはこれまで山間部にあった小骨のように存在していた仇池を完全降伏させました。これが何を意味するかと言えば、前涼と晋との遮断です。と言うわけで王猛、ここから前涼に圧力をかけます。「このまま存続しきれると思ってんのか?」と言うわけです。このため張天錫はここで臣下の礼を前秦に対して取りました。この事態を受けて吐谷渾もまた前秦に対し貢納品を献上しています。
この年、代では拓跋什翼犍の長子、拓跋寔が死亡。ただし拓跋寔は一粒種を残していました。その子が誕生し、渉圭と名付けられます。いや、ここはのちの名前で呼んでしまったほうが早いでしょう。拓跋珪、です。
前秦が一気に膨らみました。こうした中、晋はどうだったでしょうか。桓温はこの先蜀が襲撃を受けることを予期して蜀の守りを固めつつ、自身は簒奪のために動き出した、と語られます。ここで有名なセリフ「男子たるもの、芳名を百世に流すことができぬなら、悪名を万年に残すべきである!」が飛び出ます――まぁ晋書よりも前の時代に編纂されている世説新語ではこのセリフ、「わしは芳名も悪名も流せんのか!」と悲嘆に暮れた、となってるんですけどね。ともあれ、では、何をするか。「霍光の功を立てよ」と、郗超に言われます。つまり前漢の名臣、霍光の例にならい、無能な皇帝を廃し、有能な皇帝を即位させよ、と言うのです。ただしここで廃帝に大した過失がなかったため下半身事情をでっち上げて廃し、司馬昱を帝位につけました。簡文帝です。すると桓温は「新帝奉戴」の功績をもとに、殷浩の一族、庾亮の一族を粛清して回りました。この頃の桓温の動きは、ひとくちに言って「自身亡きあとの桓氏が不安」に尽きたのでしょう。
さて、前秦では慕容垂が苻堅に「慕容評はクソなので誅殺してください」と願い出ましたが、これを苻堅は却下しました。するとここで司馬光さんが出てきて「ああいうやつをのうのうと飼うなぞ、民を愛していないということではないか! だからこそこのあとやらかすのだ!」と赫怒します。地雷のありかが謎。
王猛疾風! 前燕滅ぶ【夕刊シチ 4月6日号 370年05月】
資治通鑑原文4604文字(78/365位)
【登場人物】
・メイン
3/4-慕容垂-5/3
3/8-桓温-4/9
3/15-苻堅-4/22
3/20-王猛-4/11
3/26-謝安-4/22
3/29-謝玄-4/25
・準メイン
2/14-拓跋什翼犍-4/13
3/17-姚萇-5/1
3/24-呂光-5/7
4/3-慕容徳-5/13
【できごと】
先に書いてしまいましょう。あまりにも鮮やかな勝利でした。まったく意味がわかりません。枋頭の翌年、前秦に対し舐めた対応をした前燕でしたが、ここで王猛率いる討伐軍の前になすすべなく、滅亡。勝利が敗北を招くとは歴史でよく言われる話ですが、ここまでの鮮やかな結果は、そうそう見ることもないでしょう。
王猛の出撃に際し、苻堅が送別の宴を催し、言います。「そなたに先鋒を任せる。私も追って向かおうと思う、ともに鄴の城を落とそうではないか」。すると王猛の返答はにべもありません。「王は城にいてください。待っててください、来ないでください」。そして出撃します。ただ苻堅、王猛のこの発言をツンデレっぽく受け取った気配があります。困ったものですね!
進撃した王猛は、一言で言えば無敵でした。あっという間に前燕の各城を落とし、途中命令違反を決めた将を殺そうとしたら鄧羌に「あいつを殺す気か、よーしならこっちにも考えがあるからな」と挙兵されかけたりしつつも、またたく間に慕容評が率いる十万規模の軍と対峙します。この軍容を見て王猛は「あいつの率いる軍なぞ億兆でも恐るるに足らんと言うのに、わずか十万とはな!」とあざ笑います。そして本当に完勝。なんなんでしょうこの人は。一方で慕容恪については「一代の奇士である」と祭祀しています。あと苻堅が「今から行くからね!」と言い出したので「来んな!」と言いましたが、結局苻堅が来てしまいました。
というわけで鄴攻めははからずも共同作業となりましたが、あっさり陥落。逃げようとした慕容暐らを捕らえ、長安に連れ帰り、臣下として抱え込みます。また王猛には旧前燕領の統治が任じられました。それがまさか、慕容暐の妹や弟の身にあんなことを引き起こさせてしまうなんて……。
あと桓温が枋頭の敗戦の責任を配下に押し付けて反乱を引き起こさせ、そのまま誅滅したり、拓跋什翼犍が暗殺されかけて息子の拓跋寔に庇われたり、それと、このタイミングでなんとなく前秦に臣属していた仇池が前秦に逆らったりとかもありますが、まあおまけです。とりあえずここでは、とめどない前秦の急激な強大化に、桓温の焦りが加速していく、とさえ拾っておけば良いでしょう。
枋頭の戦い! 燕もほつれる【夕刊シチ 4月5日号 369年05月】
【369年05月】
資治通鑑原文6237文字(38/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
3/4-慕容垂-5/3
3/8-桓温-4/9
3/15-苻堅-4/22
3/20-王猛-4/11
3/26-謝安-4/22
3/29-謝玄-4/25
・準メインキャスト
2/14-拓跋什翼犍-4/13
3/17-姚萇-5/1
3/24-呂光-5/7
4/3-慕容徳-5/13
【できごと】
桓温、前燕破砕のため進軍。すると出兵に反対した郗超が、さらに献策を重ねます。「やるなら一気に鄴に雪崩れ込み攻め落としてしまうか、黄河と済水の間でしっかりと軍資を貯めてから攻撃に赴くかのどちらかです、こうした手も打たずに北上しても利がないどころか、単に食糧の欠乏どころでは済まない事態を引き起こすこととなりましょう」……というわけで、そう、いつものやつ、というわけですね。
一度進軍を始めてしまえば、桓温軍の破壊力は圧倒的です。こうした事態を受け、慕容評が鄴を捨て、元の都であった龍城、当時は名称を改めて和龍に引き返すべきではないのか、と言いだします。慕容暐もまたその意見に賛成しかけましたが、ここで立ち上がったのが、慕容垂でした。「おれに攻撃をさせてください。おれが勝てなかったならば、それから逃げても遅くはないでしょう」と出撃を申し出ます。この進言は採択されました。またほぼ同時に前秦にも救援依頼が飛ばされました。幾分の紛糾の末、苻堅も援軍派出を受け入れます。
さて、桓温。突き進みますが、軍は徐々に疲弊、その上で慕容垂が出てきた、と聞くわけです。桓温はこれ以上の継戦が不可能と判断、撤退を開始しました。しかしこの時すでに退路は慕容徳が固め、さらに前秦軍も迫っています。結果桓温は完膚なきまでに打ち破られ、晋に落ち延びました。これがいわゆる、枋頭の戦い。そしてこの戦いを総括すると、晋と前燕が多大な被害を出し、前秦はほぼ無傷、という状態でした。
すると、勝った前燕が、ここで二つの大ポカをかまします。一つは救国の英雄である慕容垂の発言力が高まる事を恐れて暗殺を企み、結果慕容垂を前秦へ亡命させてしまった事。そしてもう一つが、前秦に援軍の見返りとしていたはずの洛陽一帯の割譲を反故にした事、です。この措置に苻堅は大いに怒り、洛陽制圧の軍を編成します。そして洛陽陥落。これがひとつの、決定的な転機となりました。以降、前燕は一気に破滅の道を辿ります。
郗超暗躍! パパ左遷【夕刊シチ 4月4日号 368年06月】
【368年06月】
資治通鑑原文848文字(329/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
3/4-慕容垂-5/3
3/8-桓温-4/9
3/15-苻堅-4/22
3/20-王猛-4/11
3/26-謝安-4/22
3/29-謝玄-4/25
・準メインキャスト
2/14-拓跋什翼犍-4/13
3/17-姚萇-5/1
3/24-呂光-5/7
4/3-慕容徳-5/13
【できごと】
五公の乱は、結局のところ苻堅の抱える将帥らの能力のお披露目くらいの結果になった印象です。苻双・苻武・苻柳は各将の活躍により皆斬られました。残った苻廋もまた捕まり、長安に連行されました。ここで苻堅がなぜ反乱を起こしたのかと聞けば、苻廋は「兄弟らが皆反乱を起こしたため、自分もこのままでは殺されてしまうと思い、乱を企てました」と語っています。と言うわけで苻生の弟らによる「初めの」宗族反乱が終結します。初めの、ですから、まだまだ続きます。ここで苻堅は苻廋の子に爵位を継がせて祭祀を継続させましたが、自分の弟である苻双の祭祀は断絶させました。
前秦が大きく揺れる中、前燕では皇族や大臣らが自身の封地に小作人を抱え込むことで国に税が満足に収められなくなる、といった事態を招いていました。この状態を憎んだ悦綰が「小作人を解放して国家の用に充てるべきです」と進言。採用、施行され始めたところ、しかし悦綰が急死したため中断されました。ちなみにこの措置によって悦綰は皇族らより恨まれるようになったとわざわざ特記されており、資治通鑑も「本当にただの過労でござるかぁ〜?」的な疑念を隠しきれなかったようです。
こうした揺らぎが北で起こる中、桓温は北府軍の長になったばかりの郗愔を会稽、言ってみれば晋における南東の安全地帯の長官に左遷、自身が北府軍の軍権を、西府軍と共に掌握することに成功しています。すでに郗超が桓温の配下にいた事は語った通りですが、この郗超、父親の筆跡を真似ることに長けており、郗愔が桓温に宛てて「一緒に前燕をやっつけましょう!」と書いた手紙を破棄のうえ「私に北府の任は重いので桓温殿に後事を託します」と捏造し、前線から追いやったのです。こうして桓温は満を辞して前燕討伐の軍を興すに至りました。この起兵は、他ならぬ郗超より「いま軍を興しても、到底軍資が足りません!」という反対を受けてこそいたのですが、桓温は聞く耳を持ちません。
こうして桓温一世一代の大博打、よく呼ばれる名に言うところの、枋頭の戦いが幕を開けるのです。
五公の乱! 鈍い慕容評【夕刊シチ 4月3日号 367年07月】
【367年07月】
資治通鑑原文1572文字(264/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
3/4-慕容垂-5/3
3/8-桓温-4/9
3/15-苻堅-4/22
3/20-王猛-4/11
3/26-謝安-4/22
3/29-謝玄-4/25
・準メインキャスト
2/14-拓跋什翼犍-4/13
3/17-姚萇-5/1
3/24-呂光-5/7
慕容徳-5/13
【できごと】
この年は拓跋が前燕と喧嘩をしたり、劉衛辰を襲撃していたりと、これまでのおとなしさはいったい何だったんだという活動を見せ始めます。まぁ活動はしていたけど史書には載らなかった、ということなのでしょう。たとえば拓跋の北にも遊牧民族はいたはずで、そうした部族との争いは、中華側からは一切見えませんものね。ともあれ拓跋什翼犍よりの襲撃を受けた劉衛辰は前秦に逃げ込みました。
ただ、前秦も劉衛辰にばかり構ってはいられません。ついに勃発します、五公の乱。苻幼の反乱に共謀していた苻生の弟である苻柳・苻廋・苻武、苻堅の弟の苻双が一斉に決起します。ここで苻堅は「私はお前たちをこれまで愛してきたではないか! 今からでも遅くない、矛と兵を収めるのだ、さすればこの決起もなかったこととして扱おう」と声明を上げるのですが、知らん顔です。
五公決起は長安を中央とし、見事に包囲網を敷く形でした。中でも陝城に陣取る苻廋は洛陽のすぐ側。つまり前燕とも通じやすい位置関係であったため、実際に援軍要請をしています。しかし、この要請に対し前燕の反応はやや鈍め。と言うのも警戒心の強い慕容評が前秦への介入を躊躇してしまったのです。ここには慕容垂の弟、慕容徳が「千載一遇の好機です!」と発破をかけたりもしたのですが、ダメでした。こうした鄴の動勢を受け、さらに苻廋より直接救援依頼の手紙を受けていた慕容垂は皇甫真と共に、「ここで動けんのであればどうしようもないのに」と切歯しています。
五公の乱は、はじめ五公有利で推移します。しかしこうした中で呂光が気炎を吐き、苻双・苻武を大破。そして王猛と鄧羌もまた、苻柳を撃破。瞬く間に情勢が逆転します。こうなってくると、苻廋もまた時間の問題である、と言えるでしょう。
五公の乱がかまびすしすぎるせいで、この年の晋についての内容は、たったひとつ。郗鑒の子、そして郗超の父でもある郗愔が北府軍の長となった、と言うものでした。この人事もまた、後日の伏線となるのです。
慕容恪死す! 三国の行方は【夕刊シチ 4月2日号 366年07月】
【366年07月】
資治通鑑原文1441文字(275/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
3/4-慕容垂-5/3
3/8-桓温-4/9
3/15-苻堅-4/22
3/20-王猛-4/11
3/26-謝安-4/22
3/29-謝玄-4/25
・準メインキャスト
2/14-拓跋什翼犍-4/13
3/17-姚萇-5/1
3/24-呂光-5/7
【できごと】
前秦軍、ついに晋を攻撃。王猛・楊安・姚萇、このうち真ん中の人物は仇池王族系の人物であり、やはり名将と讃えられていますので、前秦軍指折りの名将たちによる攻撃でした。この攻撃に対し桓豁が迎撃に出ると、前秦軍は一万世帯あまりの民を略奪したのみで引き上げました。のみ、という規模でもない気はしますが、威力偵察的な感じではあったのでしょう。
一方このタイミングで前涼が前秦に対して断交を告げています。この頃まだ蜀経由の晋との通交ルートが残っていたのかもしれません。このほかにもいくつもの勢力が前秦に対し叛旗を翻しています。苻幼の反乱が何を意味しているのかを察していたのかもしれません。とは言えこうした各地の反乱はすぐに鎮圧され、また前涼も矛を収めています。決して大きな火となるには至っていません。ええ、このタイミングでは、まだ。
東晋では司馬昱が丞相・録尚書事となりました。桓温を外向きの最高責任者とするならば、司馬昱が内向きの最高責任者となった形です。また北方方面を守っていた将のひとり、庾希は庾亮の甥でしたが、この頃前燕に押し込まれ続きでいいところ無しでした。さて庾氏と言えば明帝皇后の時代より外戚として連なり、さらに桓温を引き立ててくれた家門でもあります。しかし、桓温がここまで立場を高めると、今度はもはや障害でしかありません。このためここから桓温は庾氏の排除に動き始めます。その手始めが、庾希の敗戦責任による免職措置でした。
微妙に揺らぐ両国でしたが、この年は前燕の衝撃が最も大きいです。晋をちょくちょく攻撃していたさなか、前燕の大黒柱であった慕容恪が、死亡。慕容恪は死の床にて慕容暐に「慕容垂の将相の才は臣に十倍し、管仲や蕭何に並びます」と言い残しました。言い残したのです、が。
この事態を受けて苻堅はいまこそ前燕を滅ぼす好機と考え、使者を送るていで国情を探らせました。すると使者は「国情をシリアスに考えているのは皇甫真くらいのもので、あとのものの危機感は薄いです」と報告。これを聞いても、しかし苻堅は「いやそんなうまい話はないだろう」とやや及び腰でした。まぁ確かに、敵国の内情などそう見通せるものでもないのですよね。
前秦不穏! 苻幼決起【夕刊シチ 4月1日号 365年08月】
【365年08月】
資治通鑑原文501文字(344/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
3/4-慕容垂-5/3
3/8-桓温-4/9
3/15-苻堅-4/22
3/20-王猛-4/11
3/26-謝安-4/22
3/29-謝玄-4/25
・準メインキャスト
2/14-拓跋什翼犍-4/13
3/17-姚萇-5/1
3/24-呂光-5/7
【できごと】
苻堅はひとまず苻生の弟たちの処遇を終えると、北方で起こった匈奴の反乱の制圧に向かいます。この反乱はつつがなく鎮圧、ついでに鄧羌が劉衛辰を撃破、捕まえています。そのまま苻堅は北方各地を巡幸、慰撫に当たりました。こうした動きを受け、拓跋什翼犍は副官の燕鳳を苻堅のもとに派遣、多くの効能物を献上しました。
するとここで長安に動きがあります。苻堅の不在をいいことに苻生の弟のひとり、苻幼が長安を襲撃したのです。この襲撃はあっさり鎮圧され、苻幼も斬られました。これは苻堅の不用心なのか、あるいは王猛による釣り出しであったのか。個人的には後者だったのではないかな、と思わずにおれません。
ここで、ちらりと鮮卑禿髪部の話が出てきます。西晋が天下統一を成す直前に大規模反乱を起こした禿髪寿機能のいとこの子孫、禿髮椎斤が死亡、子の禿髮思復鞬が部民を継承、と言うものです。なお、この禿髮思復鞬の子が、淝水の戦いののちに南涼を立てることになる禿髪烏孤です。ここで禿髪部は音が近いところから、拓跋に近い一族だったのではないか、とされています。
西方情勢、なかなかに不穏です。晋でも漢中を守っていた司馬勲が前年に起こっていた蜀の統治者交代を自立の機会と見なし、蜀を襲撃。諫めてくる部下を殺害の上成都城を包囲しました。この事態を受け、桓温は配下将のひとり、朱序を蜀に派遣。司馬勲を撃破して建康に送り込みます。桓温は司馬勲とその一派を斬首に処しました。なお、ここに出てきている朱序という人物も追うとめっちゃ面白いひとなので、是非ご記憶いただきたいところです。
こうした中、前燕では慕容暐が親政するのに十分な年齢になったということで、これまで政権を預かっていた慕容恪と慕容評が共に慕容暐に政権を返上し、隠棲したいと願い出ましたが、これは認められませんでした。このあたりの手続きは鮮卑というよりも漢人的であり、当時の前燕朝廷にどれだけ漢人式統治手法が浸透していたかが伺えます。実際この当時、前燕高官には多く漢人の名が挙がり、その血統は北魏にも繋がっていたりするのです。
洛陽陥落! 哀帝も死ぬ【夕刊シチ 3月31日号 364年08月】
【364年08月】
資治通鑑原文1602文字(260/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
3/4-慕容垂-5/3
3/8-桓温-4/9
3/15-苻堅-4/22
3/20-王猛-4/11
3/26-謝安-4/22
3/29-謝玄-4/25
・準メインキャスト
2/14-拓跋什翼犍-4/13
3/23-姚萇-5/1
3/24-呂光-5/7
【できごと】
桓温、建康に接近。荊州を上の弟の桓豁に、武昌を下の弟の桓沖に任せた上での接近です。軍を率いていますから、それこそ建康にとっては王敦の再来くらいの気持ちであったことでしょう。立場こそ国の枢要ですが、もうこの頃になるとほぼ敵対のような装いです。こうした状態に圧迫されたか、哀帝が死亡しました。この事態を受けで哀帝の弟、司馬奕が即位します。廃帝海西公と呼ばれます。引き続き諡号がオチと化していてしんどいことこの上ありません。
一方、前燕がついに洛陽に本格攻勢をかけました。このときもともと洛陽を守っていた陳祐は逃げ出しており、あとには沈勁と言う武将が残されていました。彼は王敦の乱で王敦についていた武将、沈充の息子。父親が逆賊の汚名を着せられていたからこそ、自身が忠臣となって戦うことで汚名を晴らそうと誓っていました。武運拙く洛陽は陥落、自身も慕容恪のもとに囚われてしまうのですが、その気骨を慕容恪より惜しまれ、燕で働かないかと誘いを受けますが、拒絶。最終的には処刑され、その死は燕晋両国にて悼まれるほど、更には司馬光さんも突然「こういう孝行息子こそが最高なのだ!」と身を乗り出しています。司馬光さんのコメントは基本的に自身が感極まったとき、と見なすのが良いのでしょう。
ところで、何やらふんわりと治世がすごかったとばかり書かれ、なかなか具体的な動きのなかった前秦に動きがあります。苻生の弟たちの反乱です。ただ、このタイミングではその前段のみが書かれます。王猛が苻堅に散々「あいつら排除しないと大変なことになりますよ」と言ってきたのですが、苻堅はそれを無視し彼らを厚遇。すると彼らはだんだん奢侈に流れるようになっていました。これに苻堅が激怒、彼らの爵位を降格しました。この措置が、翌年以降の苻氏宗族大反乱祭に繋がっていきます。
また、これまで全然統治の書かれていなかった拓跋什翼犍の記事がここに来て増えてきました。これまで何をしてきていたかには触れず、やれ部下の失敗を赦しただの、反乱者を赦しただのといった人望的な話ばかりが載ります。そんな拓跋什翼犍も、ここからは劉衛辰のせいで前秦と絡まざるを得なくなっています。
庚戌土断! しかし帝は【夕刊シチ 3月30日号 363年09月】
資治通鑑原文562文字(338/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
3/4-慕容垂-5/3
3/8-桓温-4/9
3/15-苻堅-4/22
3/20-王猛-4/11
3/26-謝安-4/22
3/29-謝玄-4/25
・準メインキャスト
2/14-拓跋什翼犍-4/13
3/23-姚萇-5/1
3/24-呂光-5/7
【できごと】
晋で、改めて土断がなされます。この土断について少し話しておきましょう。晋側の記録しかないから「晋に多くの民が流れ込んでいる」という風に書かれますが、そもそもにして戦乱のうち続いている時代です、各国間で民の流動が激しかったのでしょう。ならば放っておくと戸籍に載らない流入民が増え、そして「戸籍に載っていたはずの民が消える」こともまた多かったのでしょう。これが逃亡か、はたまた土豪に小作人として囲い込まれたかは、時の状況にもよるのでしょうけれど。こうした事態もあり、定期的に戸籍整理を行わないと取れるはずの税が取れなかったりすることになったのだと思われます。ただし、その効力は政府の地方に対する影響力の大きさ次第。のちに劉裕の時代において、土断はこのタイミング、つまり桓温の威名が国内に響き渡っていたときのものが最も成果を挙げた、と書かれています。
対して、この当時の皇帝、哀帝。神仙思想にかぶれ、穀物を断ち、怪しげな薬を服用し始めていました。臣下の諫めがあっても聞きません。結果病に冒され、政務も取れなくなってしまいました。このため褚太后が再び駆り出されています。こうした事態の原因は桓温に抑え込まれての憂悶からの逃避、が一般的なのですが、どちらかと言えば間近にいる摂政宗族に頭を押さえ込まれていた、と考えたほうが正しいような気もします。
こうした中、前燕との戦いは一進一退。許昌を奪還、しかし再び失陥という、なかなかにしんどい状態が続いています。桓温自身合肥にまで出向くのですが、状況を大きく覆すには至りませんでした。同時期、弟の桓沖が武昌に移鎮します。微妙に状況が王敦や庾氏っぽくなっています。この辺りはそうならざるを得ない、と評価するのが正しいのでしょう。つまり建康から見て長江の上流の守りを固めさせるためにはどうしても西方の軍閥の半独立化がないと上手く回らない、と言うやつです。
北方では拓跋什翼犍が高車を撃破、苻堅は前涼で実権を握った張天錫の元に使者を送り服属を誓わせています。なお高車はこの先もずっと拓跋の隣で攻め込まれ続ける謎の国です。ともあれ微妙に代と前秦との間に対立構図が表出してきた感じもありますね。なかなかきな臭くなって参りました。
髯參短簿! 謝玄もおるで【夕刊シチ 3月29日号 362年10月】
【362年10月】
資治通鑑原文635文字(335/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
3/4-慕容垂-5/3
3/8-桓温-4/9
3/15-苻堅-4/22
3/20-王猛-4/11
3/26-謝安-4/22
謝玄-4/25
・準メインキャスト
2/14-拓跋什翼犍-4/13
3/23-姚萇-5/1
3/24-呂光-5/7
【できごと】
前燕からの圧力はただごとではなく、桓温が派遣していた配下将らは次々に南に押し下げられています。しかも、敢えて洛陽には直接攻め込まないままで、です。つまりこれは洛陽がどんどん孤立する形です。このタイミングで晋が洛陽を保持し続けるメリットはほぼない、と言うかデメリットばかりなのですが、とはいえ先帝の陵墓がある以上手放すわけにもいかない。こうした晋側のジレンマを、前燕が的確に突いている印象です。
桓温の遷都提議に乗るわけにはいかない、とはいっても桓温の軍才を頼らないわけにもいかない。この当時の建康政権は、戦略的にも政治力学的にも身動きが取れなさすぎる印象です。このため桓温には、ひとまず「大司馬・都督中外諸軍・録尚書事」、雑に言えば軍の統率権、国内外の軍略策定権、そして軍務にまつわる諸手続きの決定権をも握る、という、その気になれば独裁できる権限が与えられました。さらに、その配下として王導の孫王珣、郗鑒の孫郗超、ともに同世代ではトップクラスの逸材が配されます。この両名は美髯の郗超とおちびの王珣が桓温を大いに喜ばせ、怒らせもしたようで、蒙求、中国史における著名人物数え歌みたいなやつのかなり初めの方で「郗超髯參,王珣短簿」と歌われるほどでした。更には謝安の甥、謝玄。謝安の子供世代でも、文武およびそのフリーダムさで名を知られた人物が、やはり桓温の下に加わっています。もはや東晋第三世代オールスターズくらいの勢いです。
ところで、ここまで晋における司馬昱や桓温への言及の少なさを散々愚痴っていたわけですが、この年は逆に前秦に何があったのかがまるで書かれておらず、気になるところです。その代わりに書かれているのが、前涼です。張天錫が、張玄靚の母に暗殺されかけたため逆襲して張玄靚を殺害、前涼を乗っ取っています。とはいえこの当時の張天錫は十八歳。張玄靚がこの当時十四才でしたから、案外年齢が違いません。これで前涼の全権を握っていたというのも微妙な話ですし、このあたりもまた涼州のどろどろぶりが見えづらく、なにやらソワソワしてしまいます。
るんちゃん - 【25】斉藤由貴「卒業」【歌詞付き・高音質】2026.02.14
【2時間】一曲毎にクライナーカラオケᴗ ̫ ᴗ
2026/2/14(土) 17:26開始(2時間20分)の切り抜きです。
※音質はデフォルトではノーマルなので、高音質にするには、⚙→音質→高音質にしてください。
るんちゃん 様→user/135448555
※るんちゃん 様に許可を得てアップロードしています。無断転載等はご遠慮ください。
このみ(兄) 様 penn 様 ニコニ広告ありがとうございます👩🎓🌸
都は洛陽! 異論は認める【夕刊シチ 3月28日号 361年10月】
【361年10月】
資治通鑑原文1840文字(246/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
3/4-慕容垂-5/3
3/8-桓温-4/9
3/14-王羲之▲
3/15-苻堅-4/22
3/20-王猛-4/11
3/25-謝安-4/22
・準メインキャスト
2/14-拓跋什翼犍-4/13
3/23-姚萇-5/1
3/24-呂光-5/7
【できごと】
この年、范寧という人物が叫んでいます。「この国をズタズタにしたのは清談、清談なのだ! この気風を起こした曹魏の何晏どもの罪は桀や紂にもまさる!」とのことです。つくづく司馬光さんは自身の思いを躊躇なく古人の言葉に託してくるな、と笑顔とどめきれません。
さてこの年は、洛陽をめぐる動きが激しいです。洛陽を守る晋将は陳佑と言いましたが、その手勢わずか数千。晋、なんと言うか本気で守ろうという気を感じません。なので前燕でも洛陽をこのあたりで取ってしまうべき、という議論が起こるのですが、桓温、すかさず配下将を北上させて対応します。そして朝廷にはこう言うのです。
「今こそ都を洛陽に移すべきです!」
当時の情報伝達スピードであれば洛陽の守りを敢えて薄くしておいて前燕を釣りだし、その上で危機感を煽る、などという戦略を打つことは難しいので、桓温としても「いま自分に見える範囲の情報を整理すれば、洛陽遷都くらいの決議を動かさないと次の一手を取れない」くらいの危機感に基づいたものだったのでしょう。しかしここで、建康は「桓温、自身の権勢を保つためのポーズとして洛陽遷都を訴え出ているくさいですよ(笑)」みたいなノリで桓温の遷都建議を退けています。資治通鑑の書きぶりは完全に桓温悪者論に偏っている印象ですが、これだけ建康に足を引っ張られていれば、さすがに桓温としても堪忍袋の緒が切れそうだよな、とも感じてしまいます。
前燕はイケイケモードですが、前秦は引き続き内政促進です。内政促進というよりは統率機構固め、と言ったほうがピンとくる気はします。ともあれ、このタイミングで国内の治安が劇的に改善された「そうです」。ここで成の李雄の時代にも見たような内政改善のテンプレート、田畑が整い、倉庫が満ち、ひとは手に職をつけた、が載せられ、笑顔になってしまいます。
そして前涼では、張天錫が宰相の座についています。可愛い甥の輔弼、という名の、実質全権掌握です。こうしてみると、前涼もいよいよ最終局面を迎えた感じがあります。
三国混戦! 勃勃パパもアレ【夕刊シチ 3月27日号 360年11月】
【360年11月】
資治通鑑原文1166文字(300/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
3/4-慕容垂-5/3
3/8-桓温-4/9
3/14-王羲之-3/28
3/15-苻堅-4/22
3/20-王猛-4/11
3/25-謝安-4/22
・準メインキャスト
2/14-拓跋什翼犍-4/13
3/23-姚萇-5/1
3/24-呂光-5/7
【できごと】
洛陽を奪還した桓温の功は特大。ここで桓温に南郡公、つまり荊州の州治である江陵城周辺の食邑が与えられました。これをもう少しわかりやすく言うと「大都市への封爵は国家元勲レベル、と言うかほぼ皇族級」と言うことです。しかも、よりによってこのタイミングで元服したばかりの穆帝が死亡しました。ここで次なる皇帝に選ばれたのが司馬丕、成帝の嫡子であったが幼かったため康帝に帝位が行ってしまったひとです。しかもその後の帝位がそのままいとこに行ってしまったわけで、タイミングがタイミングなら問題なく帝位を継げていたであろう人物が、二代ぶんの雌伏を経て、ようやく帝位に就きました。哀帝です。諡号で語ると「このあとオチが待っています」になってしまうのがどうしようもないですね。
東晋は権臣の前に幼帝続きで実に不安定、同じ幼帝でも叔父の手厚いサポートがあった前燕とは大違いです。とはいえその前燕も、慕容暐が自分の即位にケチをつけた賢臣に恨みを抱いていたため強権を発動させて左遷という、なかなか将来が悪い意味で楽しみなふるまいをしています。そして、中央の統制にも課題があるならば、地方はもっとです。洛陽にほど近い野王という城に詰めていた前燕将が晋に寝返ったり、その動静を受けて桓温が許昌一帯を奪回したり。と思えば前燕と接する前秦軍、つまり張平が前燕に寝返った……と見せかけて再び裏切り、前秦に戻ると言い出したため苻堅から「貴様を信じられるわけがないだろう」と殺されたり。なかなか安定には程遠い状態です。このため慕容恪自身が出征、野王を陥落させています。そして慕容恪ですから、その後には野王の民の慰撫に務めました。
三国、バチバチです。こうした中、西方ではこの当時の匈奴鉄弗部を率いていた劉衛辰が苻堅に奴隷を献上したため怒りを買い、逆ギレして代に服属。前涼でも宰相に任じられていた宋混が死亡するとその副官が宋混の一族を殺し、実権を握りました。この体制を補佐する中には張重華の末の弟、張天錫がいました。そしてこの張天錫、才人でした。才人です、あとはわかりますね?
