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【会員限定】小飼弾の論弾2021/11/2「メタなMetaの話題とイーロン・マスクの発言とガバメントクラウドにAWSを採用」
ブロガー・小飼弾が、プログラマー脳で今時のニュースを一刀両断する!
プログラマー/書評家/ブロガーの小飼弾が帰ってきた
社会問題から科学、IT、書評まで、四方八方に語り散らかす60分
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【朝活アーカイブ】【#遊戯王】【#雀魂】【#FF14】など私だってゲームしたい!【雑談・ながら作業枠】【2026/05/29】
裏ではフクロモモンガのケージの掃除をしていますが、同時に朝ごはんを食べながらゲームをしたりしています。
その記録をせっかくなら動画にも残したいと思いますので、もしよろしければ見ていっていただけると嬉しいです。
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遊戯王
遊戯王MDです
雀魂
麻雀アプリです
FF14
ファイナルファンタジーXIVです
© SQUARE ENIX
使用機材
わんコメ
https://onecomme.com/
#0:00 遊戯王MD:カードデコーダー
#5:19 遊戯王MD:ライブリプレイ
#5:44 遊戯王MD:off-Meta:バージェストマ・ティスティナ
#50:09 雀魂
#1:33:03 FF14
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BGM
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MeTa SaKaE -メタサカエ- ~ SKE48ヲタク・フィロソフィカル・トーク・バラエティ
10/11(木)21:00~
「MeTa SaKaE -メタサカエ-
~ SKE48ヲタク・フィロソフィカル・トーク・バラエティ」
▼出演
いときん
三溝似弄
▼概要
SKE48 10周年を記念して、これまでより大きな視点から、ミクロよりもマクロな、そしてメタな視点からSKE48を振り返るトーク番組です。
けふはえびのように悲しい
角やらひげやら
とげやら一杯生やしてゐるが
どれが悲しがつてゐるのか判らない。
(老いたるえびのうた / 室生犀星)
森脇透青×青山俊之×國安孝具×栁田詩織「『意味の時代』に批評はなにができるか」(2023/11/3収録)@satodex @toshitiru @kooniyaas @meta_3_ #学問のミライ
【収録時のイベント概要】
若手研究者を応援するシリーズ「学問のミライ」、通常は配信のみの企画ですが、第5回目は特別編として会場参加ありで開催します!
ゲストは哲学研究者・批評家の森脇透青さんです。森脇さんはジャック・デリダを専門とし、『ジャック・デリダ「差延」を読む』(共著、読書人)を上梓されています。また哲学研究にとどまらず、批評のための運動体「近代体操」の立ち上げや『週刊読書人』での論壇時評の連載など、批評家としても注目を集めています。本年9月初旬に行われた、脱構築研究会主催・東浩紀を交えてのシンポジウム「25年後の『存在論的、郵便的』から『訂正可能性の哲学』へ」でもご活躍されました。
今回のイベントではまず森脇さんとともに、9月に発売された『訂正可能性の哲学』を読み解きます。東の批評活動を「既存の制度空間を批判しつつその外に自分の領域を作り、それを広げていくという活動家の実践」と評した森脇さんは、『訂正可能性の哲学』をどう読んだのでしょうか。ゲンロンの院生スタッフから青山・國安・栁田の三人も加わり、若手から見た『訂正可能性の哲学』を議論します。
イベント後半では、森脇さんの研究や批評活動をご紹介いただくとともに、哲学研究・批評の未来について考えます。森脇さんは、現代はあらゆる人が作品に「意味」を読み取り考察する「意味の時代」であると考えられている一方で、批評という営み自体に不可解さや困難さがあると感じられているようです(それを表すかのように、堀之内出版noteでの新連載はまさに「いま、何も言わずにおくために」と題されています)。しかし森脇さんを筆頭に、若手による批評活動はいまあらたに盛り上がりつつあるようにも見えます。
『批評空間』1999年の共同討議「いま批評の場所はどこにあるのか」から24年。いまの批評・思想シーンを、新しい世代はどのように考え、何を引き継ごうとしているのか?
今回は「学問のミライ」初の現地観覧での開催。当日は森脇さんにたっぷりお話を聞くとともに、若手同士の交流の場になることも期待しています。もちろんそれ以外のどんな方でも、ぜひご参集ください!
【登壇者の森脇透青さんより】
私の関心は、ひとが何かを語ること、何かを書くこと、ある主体が「意味」を伝達したり作り出したりするプロセスにあります。現代は、かけがえのない「私」を語ることに強い意義が見出されている時代です。だからこそ私は、その「語り」のプロセスそのものを——そしてその「私」の発生と構造そのものを——もう一度哲学的に考えなおさなければならないと思っています(それは「私」を否定することではありません)。私とは何か(誰か)。哲学史のメインテーマとも言えるこの問いは、現代でも現象学、解釈学、文芸批評、あるいは精神分析といった営為を通じて彫琢されてきました。
私はジャック・デリダというフランスの思想家を中心として、哲学を研究してきました。現在はデリダにおける「秘密」という概念に着目して博士論文を準備しており、それも大雑把に言えばこうした関心から出発しています。しかし、私はそうした主題を「研究」の範疇でのみ考えることに、一種の息苦しさというか不義理のようなものを感じてきました。それは研究がつらいということではありません。私は研究の場所に恵まれており、研究制度にも順応できるほうだと思います。けれどもそこに安住することに、私は何か責任を果たせていないような、何かが欠落しているような、途方もない不安を感じもするのです。その懸念を私は忘れることができませんでした。今年上梓した共著『ジャック・デリダ「差延」を読む』(読書人)の私の文体には、その迷いや戸惑いが現れているかもしれません。
そのような不安の一つの理由は、私が東浩紀さんの著作から批評に触れ、また『存在論的、郵便的』からデリダを読みはじめたことにあるでしょう。東は(そしてそもそもデリダも)、既存の制度のあいだを動き回って撹乱してきた実践者だった。私が影響を受けてきた哲学者や批評家や活動家には、何かそういうパワーがある。それに応答しなければならないのではないか。そこで私はとにかく、自分の力で批評活動をはじめなければいけないという切迫に駆られたのです。批評とは、私にとって現代に対するより直接的で批判的な考察が可能になる場です。私が主宰する『近代体操』という同人誌はそのひとつの実践だと考えています。
したがって私は研究者としては一種の「不良」であるかもしれず、「学問のミライ」というタイトルにはいささか気後れを感じています。学問とは何だろうか……。それに私はイベントを企画する側はこなしてきましたが、ゲストには慣れていません。けれども、こうした私の二重化した書き方=生き方が(かつて柄谷行人は「書くことは生きること」だ、と言いました)、「学問のミライ」になにかしら寄与できればと思い、恥ずかしながら登壇させていただくことにしました。当日を楽しみにしています。
「意味の時代」に批評はなにができるか – ゲンロンカフェ
https://genron-cafe.jp/event/20231103/
伊勢康平 聞き手=栁田詩織 「『東洋哲学』をつくりなおす──中国思想のミライ」【学問のミライ#1】(2023/2/24収録)@yisikp @meta_3_ #ゲンロン230224 #学問のミライ
【収録時のイベント概要】ゲンロン・カフェ開業10周年を記念した新たな教養講座「ゲンロン・セミナー」。その開催に合わせて、若手研究者を応援するシリーズ「学問のミライ」がスタートします!
各分野で活躍する若手研究者をお招きし、研究分野やその内容について存分に語っていただく配信限定イベント。第一弾のゲストは、中国の現代思想の研究者で、Webゲンロンの連載「料理と宇宙技芸」やユク・ホイ『中国における技術への問い』の翻訳でもおなじみの伊勢康平さんです。
中国思想というと、孔子や孟子など教科書上の偉人が思い浮かぶかもしれません。しかし、近現代の中国にも注目すべき思想が多くあるそうです。
伊勢さんは、西洋哲学と正面から格闘した20世紀の中国思想を研究されています。日本でいえば京都学派に匹敵するようなそれらの思想を読み解くことで、いまの中国そのものを捉え返すこともできるそう。今回は、ホイ氏以外の中国の思想家や、日本も含めた「東洋哲学」の思想傾向についてもご紹介いただきます。
……と紹介すると難しく聞こえるかもしれませんが、聞き手の栁田は中国については門外漢。当日は伊勢さんに、中国留学時の写真も交えながら楽しく、時にアツくお話を伺う予定です。
中国や思想に関心がある方はもちろん、よく知らないという方も、ぜひ若き中国思想の新鋭にご注目ください!
【登壇者の伊勢康平より】
近現代の中国思想を研究していると言うと、よくこう訊かれます。いまの中国に哲学者なんているんですか? どうせ御用学者でしかないんでしょう? いいえ、そうではありません。中国が存在感を高めつつあるなか、シンプルに覇権主義を説くひともいれば、あらゆる覇権を否定して、ナショナリズムも帝国主義も乗り越えようとしているひともいます。さらには、そもそも「中国」とはなにかを深く反省する哲学者もいます。つまり日本とはまったくちがう独特の問題系があるのです。
また少しさかのぼると、『中国における技術への問い』の読者はご存じのとおり、日本に京都学派があったように、20世紀の中国にも伝統思想の再構築を試みた哲学者がいました。かれらの思想は(これまた京都学派と同様に)いまやすっかり過去のものとされていますが、しかし私の考えでは、それは思わぬかたちでこんにちの中国思想に影を落としています。
今回は、上記のような私の関心にもとづいて、ここ百年くらいの中国思想のある側面を紹介します。もっとも、これは必ずしも中華圏で完結する話ではありません。可能であれば、井筒俊彦や鈴木大拙といった哲学者にも触れながら、これを新しい「東洋哲学」の問題として考えたいと思います。
むろん、私がこのような視点や関心をもつまでには、さまざまな経緯がありました。北京大学への交換留学は大きな契機のひとつ。北京ではじつにさまざまなことがありました。日本でも未経験のポーカーに突如巻き込まれ人事不省になったこと、中国の銀行システムがヤバすぎて死にかけたこと……そしてそんな満身創痍の私を救済した一編の詩とは? こうご期待。
ユク・ホイ『中国における技術への問い』(ゲンロン)
「東洋哲学」をつくりなおす – ゲンロンカフェ
https://genron-cafe.jp/event/20230224/
