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初音ミクによる Evo zore evo dana 1942ver (クロアチア軍歌 日本語吹き替え版)
今年もあと僅かになり、クリスマスも過ぎましたが、そんな事とは一切関係なくリクエストのクロアチア軍歌「夜明けぞ来たり、朝日ぞ来たり」という曲を、うちの孫(ミクさん)に歌ってもらっております。
この曲、最初4拍子や3拍子で叩けなくて混乱していたじじいですが、どうも「6+6+6+4拍子=22拍子」でワンセットな気がしてきました。(多分元が民謡なので変な曲です。)
なお、現在YouTubeにある音源は1992年版で、Dražen Zečić氏がクロアチア独立戦争中に歌詞を変更し演奏されたものであり、動画中の歌詞(1942年版)とは異なります、悪しからず。
参考1942verと1991ver:https://hr.wikisource.org/wiki/Evo_zore,_evo_dana
参考1992ver他:https://en.wikipedia.org/wiki/Evo_zore,_evo_dana
因みに1992年バージョンの歌詞を一部抜粋し翻訳すると
「おおクロアチアよ兄弟よ、深き水はドリナに流れる。ドリナを駆けろ、セルビアを焼き尽くせ。燃やして燃やして、何も残すな。」とか、やべー歌詞を歌ってたりします。
歌の内容は、ウスタシェ(クロアチアのファシズム&民族主義政党)の「黒き軍団」(I. stajaći djelatni zdrug Crna legija:第1独立行動旅団 ブラックレギオン)が1942年夏にクプレス(Kupres)の戦いで活躍し勝利した事を讃えております。(歌に出てくる「ユレ、ボーバン、ヴォキッチ」は指揮官の名前で、「ロマニア」は山、「ドリナ」は川、リカは街の名前です。)
この時の黒き軍団はボスニア人とクロアチア人難民で構成されており、イスラム教徒もいた様子。
彼らの敵はチェトニック(セルビアのゲリラ組織)とユーゴスラビア人のパルチザンであり、主にロマニヤ山系、トレベビッチ、イグマン等のサラエボの地において銃火を交えたそうな。
そして、双方共に民間人に対する虐殺で悪名高いのじゃった・・・。(セルビア人のチェトニックはイスラム教徒やクロアチア人の民間人を虐殺し、黒き軍団はセルビア人の民間人を虐殺していた・・・。)
いやはや・・・。
次弾装填:日本海海戦 (ちょっと順番変更)
★本日のうちのMMD的家系図
ままま式 Appearance Miku Alan Smithy型
広告に関する謝辞:秋月型初月様、一気に他の動画にも広告を頂け驚き&感謝です。ありがとうございます。
結月ゆかりによる Sprem'te se sprem'te četnici(クロアチア軍歌 日本語吹替版 6番まで)
今回のリクエスト曲は「チェトニックは準備万端たり」というクロアチア&セルビア語の歌だっぺよ~。(因みにセルビア語の題名だと Српска ми труба затруби「スルプスカに響くラッパ」)
この歌、近代バージョンだと1番と6番を繰り返すだけで間の2~5番の歌詞がねぇですよ…。
まぁ、いつものワールドワイド、かつFullverでお届けしますのでよろしゅう。
歌の内容は1900年初頭のセルビア軍 対 ブルガリア軍の戦いで頭角を表したヨハン・バブンスキー公爵による(本名:Jovan Stojković ヨハン・ストイコビッチ 1878年生まれ。)「ドレノヴァ村の戦い」です。
バブンスキー公は、第1次・第2次バルカン戦争、第1次世界大戦にて活躍したチェトニック(セルビアのゲリラ組織)指揮官で、第1次バルカン戦争勃発時、マセドニア革命組織に弟と甥を殺害され、その復讐の為チェトニック指揮官としてマセドニア、旧セルビア、バルカン半島等を転戦し、各地のブルガリア軍、及びオスマン帝国軍と生涯にわたって戦うという人生を送ったそうな…。(1920年にベレスにて死亡。)
歌詞に出てくる敵役のStevan Dimitrov ステーヴァン・ディミトロフ将軍はブルガリアの貴族で、Tuva 出身。(「トゥーバ」モンゴル、アルタイ、ハカス等と接している地域 露語:Тыва)
Vasil Veleški ヴァシリ・ヴェレシキー公爵は内通者としてステーヴァンの場所をバブンスキー公に教えたそうな。(動画中最後の写真に、実はバブンスキー公がいます。)
★オリジナル軍歌のアイデアを募集しておりましたが締め切りました。皆様ありがとうございました!
次弾装填:航空決死兵
★本日のうちのMMD的家系図
くま式 結月ゆかり ChaChaMARU型
広告に関する謝辞:xpucmo様、広告ありがとうございました。