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種ともこ『Mermaid In Blue』広東語版…林憶蓮「東方西方」
林憶蓮(サンディ・ラム)1987年。映像は89年の天安門事件の抗議コンサートのもの。
小比類巻かほる『悲しきMoon Light』広東語版…林憶蓮「戲仮情真」
林憶蓮(サンディ・ラム)1987年。映像は91年のコンサート。
荻野目洋子『Something About You』北京語版…林憶蓮「放縦全部的愛」
林憶蓮(サンディ・ラム)1996年
荻野目洋子『Something About You』広東語版…林憶蓮「你令我性感」
林憶蓮(サンディ・ラム)1990年
小比類巻かほる『NEVER SAY GOODBYE』広東語版…林憶蓮「心碎巷」
1990年代に中華圏でブレイクし、日本でも評判になった林憶蓮(サンディ・ラム)。85年のデビュー当時は、中学の同級生だったカワイ子ちゃんアイドルの陳慧嫻(プリシラ・チャン)がトップスター(sm22753871)に君臨する一方で、「スイカが大好きな女の子」がキャッチフレーズのイモアイドル。聖子のカバー(sm23014647)なんかを歌ってパッとしませんでしたが、やっぱアイドルソングより失恋ソングの方が似合うよと翌86年に出したのがこの曲。タイトルを直訳すれば「ハートブレイクの袋小路」。後にサンディは北京語で失恋バラードを歌うようになり、台湾で大ヒットします。それにしても安上がりなMTVでw台湾で出た『NEVER SAY GOODBYE』の北京語カバーはこれ(sm26880951)。
ZOO「Gorgeous」広東語カバー|林憶蓮(サンディ・ラム)/震撼
オリジナルは92年、このカバーが世に出たのは93年、このライブ映像は96年のもの
ちなみに北京語版のタイトルは「相愛時候到了」。
南翔子『泣きまね』広東語版2…林憶蓮「長街的一角」
南翔子の『泣きまね』は1986年の曲。日本ではたいしてヒットしてませんが、香港では同じ年に陳慧嫻(プリシラ・チャン)の「Love Me Once Again(sm26173296)」と、林憶蓮(サンディ・ラム)の「長街的一角(sm26173315)」の2つの広東語カバーが登場して、人気絶頂のアイドルだったプリシラの「Love Me Once Again」の方が大ヒット。サンディは90年代に北京語の歌でブレイクしますが、当時はまだ「スイカが好きな女の子」のキャッチフレーズでデビューしたてのイモアイドルでしたもんねぇ。
『時には母のない子のように』広東語版2…林憶蓮「不想你走」
『時には母のない子のように』はカルメン・マキの1969年のヒット曲ですが、香港や台湾ではカバーの嵐となり、北京語版が「孤兒淚」「心茫茫」「河邊的人」「遇」「一滴眼涙」「失去了你」「誰来陪伴我」「等待」、広東語版が「不想你走」「心酸酸(sm23180700)」「一双燕子」、台湾語版が「流星」などなど…。「不想你走」は林憶蓮(サンディ・ラム)が85年に出したデビューアルバムに入っていた曲で、タイトルを訳せば「行かないで」。90年代に北京語の歌でブレイクするサンディですが、当時は「スイカが好きな女の子」がキャッチフレーズのB級アイドル。
中森明菜『Fin』広東語版2…林珊珊(サンディ・ラム)「晴天雨天」
香港に「サンディ・ラム」という歌手は2人いて、1人は1990年代にブレイクした林憶蓮ですが、もう1人は80年代半ばのカワイ子ちゃんアイドルの林珊珊。もともとラジオ局のDJでしたが、歌や映画に進出。ロリっとした顔立ちと低身長(つまりチビ)さが合っていてかなり人気を集め、88年に出したのがこの曲。当時はイモアイドルだった林憶蓮を差し置いて、「サンディ」といえば林珊珊だったのに、いつしか人気は逆転。90年代に入ると林珊珊はCBSソニーのスタッフになり、名前も「サンディ・ラムブ」になって、今ではレコード会社や芸能事務所の重役です。
松田聖子『Rock’n Rouge』広東語版…林憶蓮「揺擺口紅」
1990年代前半にアーティストとして一世を風靡した香港の女性シンガー・林憶蓮(サンディ・ラム)。82年に16歳でDJとしてデビューし、85年に「スイカが好きな女の子」というキャッチフレーズでアイドル歌手に転向した当初は、『天使のウィンク』の広東語版(sm23014647)やこの曲など、松田聖子のカバーを立て続けに歌っていましたがヒットせず、映画のオファーはブス役…(哀)。「歌手を辞めて美容師になる」と言い出したのを社長に説得され、90年代に入って北京語の歌を出したらブレイクしたという次第。『Rock’n Rouge』の北京語版(sm23595818)は、台湾で伊能静が歌ってます。
原田知世『時をかける少女』広東語版…林憶蓮「第一次約会」
『時をかける少女』は1983年の角川映画で、主演した原田知世が主題歌も。『セーラー服と機関銃』の薬師丸ひろ子の二代目を狙ったんでしょうけど、ハッキリ言って原田知世の歌は、声がひっくり返ってるし…学校で「原田知世の歌のマネ」が流行った記憶がありますw。『セーラー服と機関銃』は広東語版2つ(sm23314659とsm23251910)に、北京語版2つ(sm23250114とsm23316737)のカバーが出ましたが、『時をかける少女』のカバーは85年の「第一次約会」だけでした。タイトルは「初めてのデート」という意味で、夕陽を見ようとデートに誘われた女の子がウキウキしている歌。90年代に北京語の歌でブレイクする林憶蓮(サンディ・ラム)ですが、当時は「スイカが好きな女の子」のキャッチフレーズで売り出し中の新人アイドル。
川上麻衣子『少しずつ さ・よ・な・ら』広東語版…林憶蓮「少女的心」
川上麻衣子って、いましたね。。。真ん丸な顔してて、アイドル歌手かと思ったら、すぐヌードになった気がしますが。で、川上麻衣子が1983年に出した最後のシングル『少しずつ さ・よ・な・ら』を、香港で88年に林憶蓮(サンディ・ラム)がカバー。サンディは90年代に入ってブレイクしますが、この頃は「スイカの好きな女の子」がキャッチフレーズで、コメディ映画に出ればいわゆる「美人を引き立てる役」。日本で売れなかったアイドルの曲を、香港の売れないアイドルがカバーした状態でした。
松田聖子『天使のウィンク』広東語版…林憶蓮「愛情 I don't know」
1990年代前半にアーティストとして一世を風靡した香港の女性シンガー・林憶蓮(サンディ・ラム)のデビュー作が、松田聖子『天使のウィンク』の広東語カバー「愛情 I don't know」。サンディは82年に16歳でDJとしてデビューし、85年にアイドル歌手に転向してこの曲を歌いましたがヒットせず、「歌手を辞めて美容師になる」と言い出したのを社長に説得され、90年代に入って北京語の歌を出したらブレイクしたという次第。当時の香港では、中森明菜のカバーは梅艶芳や譚詠麟、張国栄、張学友らトップシンガーたちが歌ったのに対し、松田聖子のカバーは少なく、かつB級アイドルが歌っていたところに、香港が「明菜派一辺倒」だった状況(sm22996640)が伺えます。台湾ではトップアイドルも聖子のカバーを歌っていたんだけどねぇ。。。