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ブッダクラス buddha class 序章③
序章は誰でもご覧になれます。第1回からは、会員登録が必要となります。ぜひ、お気軽にご登録下さい。
第39回「ブッダにまつわる仏像」
今回の「畑田紗李のヲタ充」は、ブッダにまつわる仏像についてご紹介させていただきます!手塚治虫先生の「ブッダ」を元に、海外にある仏像もご紹介します!所属事務所「ライトワンネスオフィス」http://www.loo-tokyo.jp/畑田紗李オフィシャルブログ「さりポンは世界を救う!」http://ameblo.jp/sallymusic0323/生放送始めました!【畑田紗李のコミュニティ】co1867049
【マプーカ】ブッダの曲
はじめまして。初ぅpです。「マプーカ」が「ブッタ」に聞こえるのは自分だけ?全国デビューおめでとう!SPANKY GIRLS『マプーカ』!
クリシュナムルティ 「思考の限界」
「『ニルヴァーナはサンサーラと何ら異ならず、サンサーラはニルヴァーナと何ら異ならない』という龍樹の偉大な言葉をクリシュナムルティに伝え、どう思うか尋ねたことがあります。しばらく沈黙した後、クリシュナムルティは聞きました。『ブッダは、そうしたことに何と言っていますか?』と。わたしは『何も』と答えました。するとクリシュナムルティは言いました。『それが正しい、そのとおりです。なぜなら、わたしは以前から、ニルヴァーナとサンサーラは同じだと明確に断定した龍樹の言明を受け入れることに疑問を持っていました』と。」(「ブッダとクリシュナムルティ」より) クリシュナムルティ「時間の終焉」→sm22423980
クリシュナムルティ、ザーネン、1976
「行為には、観念から生まれるものと、自由から生まれるものとがあります。私たちはいま、皆さんの同意や不同意ではなく、皆さんの頭脳の機敏さを必要とする何かに探りを入れつつあるのです。」
クリシュナムルティ、ザーネン、1985
ザーネンでの講話を打ち切るというKの決断は集会の終わり近くになるまで発表されなかった。集会を打ち切ろうとした理由は、九十歳になり、旅行回数を多少なりとも減らすべきだと思ったためである。ザーネン最後の集会には三千人以上の人々がテントを埋めつくした。
【仏教過激派組織969】ウィラトゥによるヘイトスイピーチ
ミャンマーのネオナチとも呼ばれる仏教過激派組織969運動の指導者ウィラトゥによるイスラム教徒に対するヘイトスピーチです。ミャンマーでは多数派の仏教徒と少数派のイスラム教徒の対立が激しく先のメイッティーラ暴動においても、969の影響で多数の死傷者が出たと言われています(【ミャンマー仏教過激派組織が警察の前でイスラム教徒を襲う】sm24248886)。尚、ウィラトゥはスリランカの仏教過激派組織BBSと連携している模様です(BBSとはsm24241113)[参考:【969 Movement】http://en.wikipedia.org/wiki/969_Movement【Ashin Wirathu】http://en.wikipedia.org/wiki/Ashin_Wirathu] YouTubeからhttps://www.youtube.com/watch?v=2akqDSJDUDE
ブッダマシンとギターとドラムでジャムってみた
ブッダマシンを鳴らしっぱなしにしてギターとドラムでジャムってみました。Buddha Machinehttp://www.fm3buddhamachine.com/v2/
見聞覚知 宇宙における精神
140827KB会より。唯識が説く八識説とは、表層心→「眼耳鼻舌身」(五感)、意識(思考)と深層心→末那識(自我執着心)、阿頼耶識(根本心)の八つの識があると考える。続けておすすめ→「心理的な葛藤の根源」sm23737388
クリシュナムルティ 「自由への道」
「自分自身の活動、日常の動きを観察してみれば、自分が何をすべきか、どう行動すべきかについての観念と実際の行動がはっきりと区別されていることが見えます。その二元性が葛藤を招くのです。精神は絶えず自分に話しかけています。精神が言葉による表現に訴えないとき、生は一個の運動です。そこから全的な行為が湧き起こるのです。」(「瞑想と自然」より)
「ザーネンのクリシュナムルティ」
質問者「多くのグルが『Kと同じことを教えている』と言います。このことをどう思いますか?」K「彼らが私と比較する意図は何でしょう?便乗でしょうか。彼らの何人かと話し合いましたが、『あなたは真理を体現されているが、私たちは一般人を相手にしなければならない』『私は彼らとあなたの橋渡し役だ』など、たわごとを言って立ち去るのです。」「ザーネンのクリシュナムルティ」に収録された講話(質疑応答)の一部→sm25336998
クリシュナムルティ 「暴力からの解放」
「人は『である』という言葉に条件づけられています。その言葉は過去・現在・未来を含んでいます。あなた自身という感覚は『である』という言葉によって大きくなっています。人は『である』という言葉を持たずに生きられるでしょうか?『である』という言葉を捨てて生きることの意味を発見してください。」1980年11月にスリランカ政府から国賓として招待され、当時の首都コロンボにおいて行った全4回の講話の記録が「生の書物」というタイトルで翻訳されました。「暴力からの解放」の訳者あとがきを読んでずっと気になっていたので翻訳されて良かった。
クリシュナムルティ 「生の全変容」
「欲望を開花させることが、その欲望の終わりなのです。欲望が起こり、開花するさまを見守り、負けたり抵抗せず、起こりつつあることに注意深く気づくようにすると、やがてそれが活力を失っていくのを見られるでしょう。気づき、見守れば、そこには何の制御もないのです。」
ブッダクラス buddha class 序章②
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ブッダ系主人公、バグる
恋心によってバランス厨部分が若干剥がれた凌駕さん
これは総統の同類ですわ…
自分の影の部分を直視したのに彼女が泣いてるから後回しな!で済ませられる凌駕さんやっぱおかしいよ!
リーザ可愛い…可愛くない?
クリシュナムルティ 「生と覚醒のコメンタリー2」
なぜ「何もしない」ことが問題解決なのか。クリシュナムルティの「わからなさ」と只管打坐の「わからなさ」がシンクロする→「只管打坐とは何か」sm27508831
チョギャム・トゥルンパ 「タントラ 狂気の智慧」
「本当の精神性は戦いではない。二元性の壁は排除すべきものでも、破壊すべきものでも、清め去るものでもない。あるがままの感情を見きわめたなら、サンサーラという概念とニルヴァーナという概念は、相補的に依存していることがはっきりする。迷妄のないところにはまた智慧もないのである。」「タントラへの道」→sm26497409
道元のことば
[道元(どうげん)] 鎌倉時代初期の禅僧。曹洞宗の開祖。いたずらに見性を追い求めず、ただ坐禅にうちこむこと(只管打坐)が最高の修行であると主張した。『正法眼蔵』は、和辻哲郎、ハイデッガーなど西洋哲学の研究家からも注目を集めた。「クリシュナムルティと禅」→sm25075645
クリシュナムルティ、マインドフルネスを語る
クリシュナムルティは仏教なのか?テーラワーダ仏教の権威、ワルポラ・ラーフラとの対話録がついに翻訳されました。動画は翻訳本「ブッダとクリシュナムルティ― 人間は変われるか? ―」(P.249-263)の部分です。ワールポラ・ラーフラ「ブッダが説いたこと」も岩波文庫から出ているので合わせておすすめです。これ見てると「ブッダとクリシュナムルティ」のDVD版も欲しくなるなぁ。「クリシュナムルティ、瞑想を語る」→sm25116373
クリシュナムルティ 「未来の生」
「あなたは『まさにその通りです。それは仏陀によって言われたことに似ています。』と言い、自分の問題を解決したと考えます。しかし重要なことはすべての権威をかなぐり捨てて、探究し、見出すことであって、比較することではないのです。比較は権威の崇拝であり、目覚めていない精神の性質なのです。」
クリシュナムルティ 「静けさの発見」
「お尋ねしてよろしければ、私が悟ったということを、あなたはどのようにして知るのでしょうか。その経験の理解を持つには、あなたもまた経験しなければなりません。さらに、私が悟ったか否か、それが何事であるというのでしょうか。たとえ私が悟っていないとしても、私は真理を語っていないでしょうか。誰が悟っているかということは全く重要ではないのです。」
クリシュナムルティ 「智恵からの創造」
重要なことは、問題の解決への探求ではなく、問題を理解することです。「私は何をすべきでしょうか」と質問した瞬間、あなたはすでに、あなたを分割することになる思考の体系に入ったのではないでしょうか。そのときあなたは一つの体系を持ち、私はもうひとつの体系を持つのです。私たちは体系・体制を持っているかぎり、人々に関心がありません。これの重要性を見てください。ただ人間だけがあるのです。