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ゾクチェンの教え チベットが伝承した覚醒の道
何年にもわたって仏教の教義を学んできた僧侶がゾクチェンのラマに尋ねた。僧侶「ゾクチェンの行者はいつ瞑想するのか」、ラマ『何か瞑想すべき対象があるのか』、僧侶「ということは、瞑想しないということか」、ラマ『わたしがいつ気をそらしたことがあるだろうか』
クリシュナムルティ 「生の書物」
「20年以上前にも私はスリランカのコロンボで講話をしたことがあります。その折カンディを訪れてブッダの歯が保存されている『歯の寺院』を見物しました。寺院に入った時はすべてが大変儀式的で荘厳でした。豪華な宝石がちりばめてある箱に歯がしまってありましたが、巨大で黄色っぽく腐蝕していました。それが本当に人間の歯なのかと怪しく思いました。馬の歯かと思うほど大きかったのです。」(「キッチン日記」より)
クリシュナムルティ 「思考の限界」
「『ニルヴァーナはサンサーラと何ら異ならず、サンサーラはニルヴァーナと何ら異ならない』という龍樹の偉大な言葉をクリシュナムルティに伝え、どう思うか尋ねたことがあります。しばらく沈黙した後、クリシュナムルティは聞きました。『ブッダは、そうしたことに何と言っていますか?』と。わたしは『何も』と答えました。するとクリシュナムルティは言いました。『それが正しい、そのとおりです。なぜなら、わたしは以前から、ニルヴァーナとサンサーラは同じだと明確に断定した龍樹の言明を受け入れることに疑問を持っていました』と。」(「ブッダとクリシュナムルティ」より) クリシュナムルティ「時間の終焉」→sm22423980
クリシュナムルティ 「人間は変われるか?」
「洞察は即座に起こるか、さもなければ起こらないままか、どちらかなのです。」 『ブッダとクリシュナムルティ 人間は変われるか?』に収録された対話の一部→sm26175189
クリシュナムルティ、ザーネン、1970
「心がはっきりと決心できなければ問題が起こる。つまり問題は『決心』です。頭脳は機械的に活動できるように、つまり問題が起こらないことを求めます。しかし、いろいろなことが起こる人生はそんなことを許しません。そこで思考は『信念』という壁を立てて抵抗し、それが問題をつくるのです。」
井上義衍 禅 もう迷うことはない!
「思ったから備わったんじゃないんです、思う前に皆備わっている。それで備わった道具としてのものと環境の必然性において、これ(身)は活動するんです。誰も知らないでしょう、知らないのだけれどもとにかく、眼にはものが入ってくるように、耳は必ず声が聞こえるように出来ている。万事そういう風に出来ている。内臓だって、知らなくても活動しているから生きているんです。」井上義衍老師のインタビュー動画→http://tensekisha.com/inouegienvideo.html
意識と中身 クリシュナムルティが説いたこと
宗教を否定したからクリシュナムルティは信用できる、では「無宗教」を信仰することと変わらない。「意識と中身」、「思考者と思考」、「自己イメージと世界のイメージ」、分割してるけどイメージを作り出す源泉は同じ。褒められて嬉しい時、「自己イメージ」を評価されて喜ぶのは誰?「クリシュナムルティと禅」→sm25075645
クリシュナムルティ、ザーネン、1976
「行為には、観念から生まれるものと、自由から生まれるものとがあります。私たちはいま、皆さんの同意や不同意ではなく、皆さんの頭脳の機敏さを必要とする何かに探りを入れつつあるのです。」
ロクリアン正岡:「明鏡止水の釈迦牟尼仏」-演奏者を超えて
(R-18)ご注意:部分部分を飛ばし聞き(虫食い聴取)しても何も開かれないだろう。わずか5分足らずの曲です。そのプロセス全部を味わうことによって、あなたの意識は自身の故郷に出会えましょう!ー史上最高最大の聖人に敬意を表しつつ LM拝
ロクリアン正岡:「明鏡止水の釈迦牟尼仏」-演奏者を超えて
(スポーツ)ご注意:部分部分を飛ばし聞き(虫食い聴取)しても何も開かれないだろう。わずか5分足らずの曲です。そのプロセス全部を味わうことによって、あなたの意識は自身の故郷に出会えましょう!ー史上最高最大の聖人に敬意を表しつつ LM拝
ロクリアン正岡:「明鏡止水の釈迦牟尼仏」-演奏者を超えて
(ゲーム)ご注意:部分部分を飛ばし聞き(虫食い聴取)しても何も開かれないだろう。わずか5分足らずの曲です。そのプロセス全部を味わうことによって、あなたの意識は自身の故郷に出会えましょう!ー史上最高最大の聖人に敬意を表しつつ LM拝
只管打坐とは何か
渡辺充(わたなべ・みつる)1950年東京生まれ。東京大学理学部物理学科卒。曹洞宗、原田祖岳禅師門下、佐藤正真老師より印可証明を受ける。続けておすすめ→「クリシュナムルティ、ザーネン、1979」sm25246246
クリシュナムルティとブッディストの対話 (1978)
クリシュナムルティは仏教なのか?テーラワーダ仏教の権威、ワルポラ・ラーフラとの対話録がついに翻訳されました。ワールポラ・ラーフラ「ブッダが説いたこと」も岩波文庫から出ているので合わせて読むとより興味深いです。動画は翻訳本『ブッダとクリシュナムルティ― 人間は変われるか? ―』(P.97-100)の部分です。 そして、1980年11月にスリランカ政府から国賓として招待され、当時の首都コロンボにおいて行った全4回の講話の記録「生の書物」も出ました。続けておすすめ→「クリシュナムルティ、マインドフルネスを語る」sm26175189
チョギャム・トゥルンパ 「タントラへの道」
「つねに酒杯を片手に講義をするとか、女の弟子には片はしから性タントラを教えるとか、ロンドンではLSDをやっていたとか、アメリカ人の度肝を抜く一方、バター油の煙と神秘に包まれていたチベット仏教を師がはじめてかくも的確な現代の英語で語ったことは、欧米の若い世代にとってはショッキングな恩恵だったのです。(訳者ノートより)」 「瞑想とは何か? 覚者と活仏の対話」→sm26223744
瞑想とは何か? 覚者と活仏の対話
[ジッドゥ・クリシュナムルティ、左]神智学協会にスカウトされ、星の教団の教祖として英才教育を受けるが、自ら教団の解散を宣言。既存の宗教や哲学によらず、精神をあらゆる条件付けから解放することを説いた。 [チョギャム・トゥルンパ、右]転生活仏として認定され、カギュ派、スルマン僧院の院長に就任。自動車事故を転機に、僧衣のかげに安住して自己の精神的安定をもとめる暮らしを放棄し俗世間に自己を投げ入れる決意をした。通訳なしで西洋人に法を説き語ることのできる最初のラマ僧だった彼は、アメリカでの人気が急上昇、 一躍、精神世界のリーダーとして注目される。1972年、サンディエゴでの対話。
クリシュナムルティ、マインドフルネスを語る
クリシュナムルティは仏教なのか?テーラワーダ仏教の権威、ワルポラ・ラーフラとの対話録がついに翻訳されました。動画は翻訳本「ブッダとクリシュナムルティ― 人間は変われるか? ―」(P.249-263)の部分です。ワールポラ・ラーフラ「ブッダが説いたこと」も岩波文庫から出ているので合わせておすすめです。これ見てると「ブッダとクリシュナムルティ」のDVD版も欲しくなるなぁ。「クリシュナムルティ、瞑想を語る」→sm25116373
クリシュナムルティ、ザーネン、1985
ザーネンでの講話を打ち切るというKの決断は集会の終わり近くになるまで発表されなかった。集会を打ち切ろうとした理由は、九十歳になり、旅行回数を多少なりとも減らすべきだと思ったためである。ザーネン最後の集会には三千人以上の人々がテントを埋めつくした。
【ベトナム仏教】僧侶の読経風景
ベトナム仏教は中国仏教の影響が強い大乗仏教が多く、道教色が濃厚であると言われています。元々、中国である時期、混交したとも言われる浄土教と禅の影響が強いそうです。ベトナムには上座部仏教も存在します。【YouTube: https://www.youtube.com/watch?v=kOdqhWcY3BIから】
クリシュナムルティ、ブロックウッド・パーク、1980
「Kの長兄は医者になったが、その子息のG・ナラヤンがリシ・バレーのクリシュナムルティ学校の校長であった。彼は以前英国のルドルフ・シュタイナー学校の教師であった。デヴィッド・ボームはアインシュタインの友人で、ロンドン大学の理論物理学の教授であった。彼は1961年以来、ヨーロッパやカリフォルニアでほとんどすべてのKの講話に参加し、何回も討論を重ねていた。80年には4月に8回、6月にブロックウッドで5回の対話があり、『時間の終焉』という本にまとめられた。」(「クリシュナムルティ・開いた扉」より) 動画の9分頃、なぜかクリシュナムルティが笑い出す場面があります。「旅行しすぎたりせず」とは講話のために世界中を飛び回っていた自分自身を指すクリシュナムルティ流のジョークです。
クリシュナムルティ、瞑想を問う
「意識的な瞑想は少しも瞑想ではありません。意図的な瞑想はビジネスにおける達成のようなものです。どちらも望みのものを追求しているのです。一方を霊的と呼び、他方をビジネスと呼んでいるだけです。そしてそのどちらも私たちは渇望しているのです。意識的でも意図的でもない瞑想があります。その瞑想には完全な静寂があります。それは思考の静寂ではありません。その静寂は思考の産物ではないのです。」(「神話と伝統を超えて」第6章、瞑想について)続けておすすめ→「時間の終焉」sm22423980
5分で知るクリシュナムルティの教え (「変化への挑戦」より)
ジッドゥ・クリシュナムルティ(Jiddu Krishnamurti, 1895年5月12日 - 1986年2月17日)は、インド生まれの宗教的哲人、教育者。既存の宗教や哲学によらず、生を通しての十全な気付きにより、精神をあらゆる条件付けから解放することを説いた。 洞察による脳細胞の変容などを指摘した彼の教えは、その現代的なアプローチから宗教という枠にとどまらず、幅広い支持者を獲得した。続けておすすめ→sm25310922
【タイ仏教】ラック・ムアン【テーラワーダ】
ラック・ムアンはタイの仏教徒が、願をかける柱です。諸外国の仏教同様タイ仏教も様々な信仰の、シンクレティズムであると言われています。シャーマニズムやアニミズム、精霊信仰、バラモン教のデーヴァ崇拝、呪術、占星術、民間療法、薬草学などが渾然一体となった民間信仰の実践は仏教徒及び仏教僧侶が担うと言われています。ラック・ムアンはタイの先住民族に由来する風習であると言われています。【YouTubeから】https://www.youtube.com/watch?v=3ZVk78-NDwU
【サフラン革命】ミャンマー反政府デモ 2007
ミャンマーで2007年に起きた反政府デモの様子です。デモ鎮圧を撮影中に、長井健司さんがミャンマー軍兵士によって銃で命を奪われました。【YouTubeから】https://www.youtube.com/watch?v=WfwzWVMKOpM
スリランカ仏教の重要儀礼 エサラ・ペラヘラ祭
エサラ・ペラヘラ祭はウエサック祭(sm24341262)、ポソン祭(sm25264397)と並んでスリランカのシンハラ人仏教を支える最も重要なバラモン教に由来する、儀式です。この祭りで中心的な役割を担うのが、スリランカ仏教の最大派閥シャム派の僧侶達と占星術師と民間の呪術師です。ペラヘラとは行進のことです。釈迦の歯である仏歯を寺から、スリランカ土着の神と釈迦が習合した「サマン神」の神殿まで奉じる行進だったようですが、近年はサマン神中心の儀礼となっているようです。しかし実際、この祭りに仏歯が導入されたのは、1775年からのことで元来は、ヒンドゥー教の神々やヴェッダ人(sm25306821)の神サマンを祀る祭祀であったそうです。【YouTubeから】https://www.youtube.com/watch?v=dvKDobQ2FvY
クリシュナムルティ 「未来の生」
「あなたは『まさにその通りです。それは仏陀によって言われたことに似ています。』と言い、自分の問題を解決したと考えます。しかし重要なことはすべての権威をかなぐり捨てて、探究し、見出すことであって、比較することではないのです。比較は権威の崇拝であり、目覚めていない精神の性質なのです。」
クリシュナムルティ 「生と覚醒のコメンタリー」
「今の中に一切の時間があり、今を理解することが時間から自由になることなのです。『なること』は『あること』を含みません。『あること』は常に現在であり、変容の至高形態なのです。何かになろうとすることは、時間、悲嘆を持続させるのです。」
クリシュナムルティ 「自由への道」
「自分自身の活動、日常の動きを観察してみれば、自分が何をすべきか、どう行動すべきかについての観念と実際の行動がはっきりと区別されていることが見えます。その二元性が葛藤を招くのです。精神は絶えず自分に話しかけています。精神が言葉による表現に訴えないとき、生は一個の運動です。そこから全的な行為が湧き起こるのです。」(「瞑想と自然」より)
「ザーネンのクリシュナムルティ」
質問者「多くのグルが『Kと同じことを教えている』と言います。このことをどう思いますか?」K「彼らが私と比較する意図は何でしょう?便乗でしょうか。彼らの何人かと話し合いましたが、『あなたは真理を体現されているが、私たちは一般人を相手にしなければならない』『私は彼らとあなたの橋渡し役だ』など、たわごとを言って立ち去るのです。」「ザーネンのクリシュナムルティ」に収録された講話(質疑応答)の一部→sm25336998