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特選B級アイドルコレクション
涙の太陽/安西マリア ヒッチハイク/あきいずみ パパはもうれつ/しのづかまゆみ 恋のインディアン人形/リンリン・ランラン 恋は気分/ポピーズ 恋に木枯らし/ザ・リリーズ
初音ミク&鏡音リン 「恋のインディアン人形」
大百科スレでの熱烈なリクエストにお応えしました。Lipsync/さなり様バージョン利用です。
☆昭和歌謡大全はこちら→mylist/2921197、リスト職人さん渾身の調査結果はこちら→mylist/2827152
アイドルマスター 『恋のインディアン人形』
x-iで初キャプなのですが、HDでなかったのであまり向上が見られませんでした。HDDの増設ケーブルを買い忘れたもので…。BBで輪郭にじみが減るかなー。双子でやるのはめんどいので春香と律子にしました。
ピンク・レディー『S.O.S』広東語版1…リンリンランラン「中秋明月照」
リンリンランランって、インディアンかと信じていたら香港人(アメリカ人中国人のハーフ)でした。もともと彼女らは樂家姊妹(ロッカー・シスターズ)という香港のアイドルで、スカウトされて74年に日本デビュー。売れなくなって香港に帰った後、当時の日本のアイドルソングを広東語や北京語でカバーしていましたが、その1つが78年の『S.O.S』のカバー。「中秋明月照」って漢詩みたいなタイトルですが、中秋の夜にはみんなでお月見して、夜通し歌って踊って冗談言い合って楽しく笑おうという内容。。♪S.O.S、S.O.S♪の部分は♪你唱我唱、你笑我笑♪と歌ってます。それにしても、リンリンランランとピンクレディーって振りが似てますね。リンリンランランが日本へ来なかったら、ピンクレディーは生まれなかった?
リンリンランラン『恋のインディアン人形』広東語版…「泵泵蘇之恋」
インディアンかと思っていたら、実は香港人(白人とのハーフ)だったリンリンランラン。その代表曲『恋のインディアン人形』は1974年ですが、香港でも「泵泵蘇之戀」の名で広東語カバーされています。広東語ポップスの大部分は中国語の標準語(北京語)で書かれた歌詞を広東語の発音で歌うのですが、この曲はほとんど口語体の広東語なので難解。何回も♪ポンポンソーガウディ~ン♪(泵泵蘇で一丁上がり!)と繰り返してますが、泵泵蘇とはどうやら『恋のパッコンNo.1』のパッコンと同じみたいです。この曲は76年にテレビ番組のテーマソングになり、翌77年に森森と斑斑の姉妹が歌いましたが、香港に戻ったリンリンランランは、ピンクレディー『SOS』のカバー(sm22888038)は歌っても、ポンポンソーは歌ってない模様。
恋のインディアン人形のベースを演奏してみました
Bass Podの初期版が手に入ったので、最近聴いた曲から選んで弾いてみました。
チューブプリアンのシミュレーターで適当に設定しましたが、説明書がなかったのでよくわかりません。
70年代の曲もかっこいい曲が多いですね。
よかったら聞いてみてください。
リンリンランラン『恋のインディアン人形』北京語版…陳傑[一隻小綿羊]
インディアンかと思っていたら、実は香港人(白人とのハーフ)だったリンリンランラン。その代表曲『恋のインディアン人形』は1974年ですが、翌75年にシンガポールで出た北京語カバーが「一隻小綿羊」。香港でも「泵泵蘇之恋(sm23268084)」の名で広東語カバーされてます。
桜田淳子『知ってるくせに』広東語版…リンリンランラン[誰明白我心事]
てっきりインディアンかと思っていたら、実は香港人(中国人と白人のハーフ)だったリンリンランラン。『恋のインディアン人形』で日本でデビューする前から、香港では芸能活動をしていて、その時の芸名は樂家姊妹(ロッカー・シズターズ)。日本で売れなくなって香港へ戻った後、広東語や北京語で歌い続けていましたが、その中の一つが78年に歌った『知ってるくせに』の広東語カバー「誰明白我心事」。桜田淳子では他に『十七の夏(sm24701121)』や『ゆれてる私(sm25293519)』『ひとり歩き(sm23486109)』などもカバーしてました。ちなみに『恋のインディアン人形』は別の人が広東語カバー(sm23268084)して、リンリンランランは広東語では歌わずじまい。
桜田淳子『ゆれてる私』広東語版1…リンリンランラン「春光無限好」
てっきりインディアンかと思ったら、実は香港人(アメリカ人と中国人のハーフ)だったリンリンランラン。香港では樂家姊妹(ロッカー・シスターズ)という名前でデビューしていましたが、来日にあたって当時ブームだったパンダ(カンカンランラン)にあやかって、改めて付けられた芸名がリンリンランラン。 日本で売れなくなり、香港へ戻った後もしばらく歌手を続けて、広東語や北京語のアルバムを出していましたが、日本のカバー曲が多く、同じ事務所だった桜田淳子の歌はいくつかカバーしていた模様。
桜田淳子『十七の夏』広東語版…リンリンランラン「熱舞狂歌」
てっきりインディアンかと思っていたら、実は香港人(中国人と白人のハーフ)だったリンリンランラン。『恋のインディアン人形』で日本でデビューする前から、香港では芸能活動をしていて、その時の芸名は樂家姊妹(ロッカー・シズターズ)。日本で売れなくなって香港へ戻った後、広東語や北京語で歌い続けていましたが、その中の一つが78年に歌った『十七の夏』の広東語カバー「熱舞狂歌」。タイトルを訳せば、「踊って歌ってフィーバー」。そういえば、『サタデー・ナイト・フィーバー』が流行ったのもこの頃で、香港での映画タイトルは「週末狂熱」でした。ちなみに『恋のインディアン人形』は別の人が広東語カバー(sm23268084)して、リンリンランランは広東語では歌わずじまい。
桜田淳子『ひとり歩き』広東語版…リンリンランラン「童年時光」
インディアンかと思いきや、香港人だったリンリンランラン。もともと来日前に香港で楽家姉妹(ロッカー・シスターズ)という名のタレントで、テレビ番組で歌ってたりしていたので、日本で売れなくなって香港へ戻った後は、再び香港で歌手に戻りました。ピンクレディーの広東語カバー(sm22888038)を歌ったりもしましたが、多くカバーしていたのが桜田淳子。リンリンランランとは事務所(サンミュージック)が同じと言うつながりだったからでしょうか?