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【肝高】琉球国勝連城(かつれんグスク) 平成30年(2018) 晩春
2018年の4月中旬、 沖縄県うるま市の勝連(かつれん)グスクを訪れました。
13~14世紀に茂知附(もちづき)按司(あじ)によって築城されたとされ、
勝連半島の付け根にある標高80m程の丘の上にあります。
15世紀の初め、阿麻和利(あまわり)が城主となり、
大和の鎌倉に例えられる程の繁栄をみせますが、
護佐丸・阿麻和利の乱で、中山(首里)の軍勢に攻められ、
勝連グスクは落城、阿麻和利は自害しました。
一の郭~四の郭と東の郭の五つの郭からなるグスクで、
布積みの綺麗な城壁に蘇鉄の木が印象的でした。
2000年には、琉球王国のグスク及び関連遺産群として
ユネスコの世界遺産に登録されています。
護佐丸が築城した「座喜味グスク」→sm33092887
北山王の居城「今帰仁グスク」→sm33128989
護佐丸最期の城「中グスク」→sm33203091
お城→mylist/37297571
【読谷山】琉球国座喜味城(ざきみグスク) 平成30年(2018) 晩春
2018年の4月中旬、沖縄県中頭郡読谷村にある座喜味(ざきみ)グスクを訪れました。
15世紀初期、読谷山の按司(あじ=王族)の護佐丸(ごさまる)が築城したと伝わり、
沖縄島中南部の座喜味集落の北端に位置し、標高127mの山頂に築かれました。
沖縄島中南部のグスクは琉球石灰岩崖上に築城されることが多いですが、
このグスクは国頭マージ(赤~黄色の土壌)の台地上に立地しています。
石灰岩の城壁は屏風状に屈曲しており、カーブの各角に丸みをもつ
沖縄特有の城郭形態をしており、アーチ型の拱門(きょうもん)の上部に
はめこまれているくさび石はこのグスクにしか見られないそうです。
2000年に「琉球王国のグスク及び関連遺跡群」として世界遺産に登録されました。
動画の途中には泊城(トゥマイグシク)跡も登場します。
※城址・史跡巡り備忘録 殿、広告ありがとうでござる
※タグを追加してくれた方ありがとうございます
北山王の居城「今帰仁グスク」→sm33128989
阿麻和利の居城「勝連グスク」→sm33168574
護佐丸最期の城「中グスク」→sm33203091
お城→mylist/37297571
“被災”熊本城の復旧着々と 天守閣の仮設屋根撤去
熊本地震で被災し復旧工事が進む熊本城天守閣(熊本市中央区)の大天守を覆っていたテント形の白い巨大な防水シートが4月3日外され、瓦がきれいにのった大天守の最上階(6階)の屋根部分がわずかに姿を見せた。
午前8時半に工事を開始。シートをゆっくりとクレーンでつり上げ、地上に降ろした。シートは瓦をのせる際、隙間を埋めるしっくいが雨水などで濡れるのを防ぐため、市が昨年11月に設置していた。天守閣の周囲はまだ落下物を防ぐシートで覆われている。天守閣全体の復旧完了は2021年春ごろの予定。
https://this.kiji.is/353750998466167905?c=92619697908483575
【一場春夢】山城国伏見城 平成30年(2018) 初春
2018年の2月下旬、京都府伏見区にある伏見城址を訪れました。
文禄3年(1594)、豊臣秀吉は指月(しげつ)伏見城を築きますが、慶長伏見地震で天守が倒壊し、
慶長元年(1596)、秀吉は木幡山(こはたやま)に木幡山伏見城を築城しました。
秀吉は木幡山伏見城で亡くなりました。
関ヶ原の前哨戦の伏見城の戦いで、石田三成等の西軍の大軍が攻め寄せ、
伏見城は落城・焼失。徳川家康の重臣・鳥居元忠等は討死にしました。
関ヶ原の合戦後、徳川家康によって伏見城は再建されますが、
元和9年(1623)、廃城となりました。
昭和39年(1964)、近鉄が遊園地の伏見桃山城キャッスルランドを建設し、
シンボルとして天守(伏見桃山城)が木幡山伏見城の北西跡に築かれました。
平成15年(2003)、同園も閉園し、天守も解体されるはずでしたが、
地元の要望によって残されることになりました。
開園時は天守の中に入れましたが、耐震性不十分の為、
現在は中に入れなくなっています。
伏見城の周りには、現在でも当時の大名屋敷の名残を町名に残し、
御香宮神社の前には黒田節発祥の地と説明があるなど、
周囲を散策するだけでも楽しめました。
※しのしの殿、広告ありがとうございまする。
お城→mylist/37297571
【良禽択木】伊勢国津城(安濃津城) 其の二 平成30年(2018) 晩冬
2018年の1月、三重県津市にある津城址を訪れました。
津はかつて安濃津(あのつ)と呼ばれ、古くから港町として栄えており、
筑前の博多津と共に三津の一つでした。(三つ目は摂津の堺津又は薩摩の坊津)
永禄年間(1558-1569年)に、長野氏の一族の細野藤光が安濃川・岩田川の間に
安濃津城を築いたのが起源とされ、その後は織田信長の伊勢侵攻により、
織田信包が入城、石垣や堀、五重の天守のある城に改修しました。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、城主・富田信高は東軍についた為、
毛利秀元率いる西軍の攻撃を受け開城しました。
慶長13年(1608年)、築城の名手と知られる藤堂高虎が入城、大改修を施しました。
津城其の一→sm32554204
お城→mylist/37297571
【伊勢は津で持つ】伊勢国津城(安濃津城) 其の一 平成30年(2018) 晩冬
2018年の1月、三重県津市にある津城址を訪れました。
津はかつて安濃津(あのつ)と呼ばれ、古くから港町として栄えており、
筑前の博多津と共に三津の一つでした。(三つ目は摂津の堺津又は薩摩の坊津)
永禄年間(1558-1569年)に、長野氏の一族の細野藤光が安濃川・岩田川の間に
安濃津城を築いたのが起源とされ、その後は織田信長の伊勢侵攻により、
織田信包が入城、石垣や堀、五重の天守のある城に改修しました。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、城主・富田信高は東軍についた為、
毛利秀元率いる西軍の攻撃を受け開城しました。
慶長13年(1608年)、築城の名手と知られる藤堂高虎が入城、大改修を施しました。
津城其の二→sm32584829
お城→mylist/37297571
バイクで行く!日本100名城ツーリング【第16回】
バイクで行く!日本100名城ツーリングの第16回です。
沖縄編です。
よろしくお願いします。
その他製作物mylist/56245681
【埋もれた古城】武蔵国世田谷城 平成29年(2017) 仲冬
2017年の12月、東京都世田谷区にある世田谷城址を訪れました。
貞治5年(1366)、吉良治家が築城したと伝わり、
世田谷御所とも呼ばれ、吉良氏が200年間治めましたが、
天正18年(1590)、豊臣秀吉の後北条氏討伐により、
後北条氏と縁戚関係であった吉良氏朝は上総国生実に逃れ、
世田谷城は廃城となりました。
井伊家の菩提寺である豪徳寺は吉良氏の御所跡と考えられ、
城跡の南の一部が世田谷城阯公園として整備されており、
土塁と堀跡を確認することができます。
昭和には、狐狸庵先生こと遠藤周作先生がここを訪れたことが
短編「埋もれた古城」を執筆するきっかけとなりました。
※漫画『東京城址女子高生』の第1話の舞台でもあります。
※招き猫殿、広告ありがとさんでござんす♡
井伊家の彦根城→sm32027826
お城→mylist/37297571
【天下無双】武蔵国江戸城 北の丸編 平成29年(2017) 仲冬
2017年の12月、東京都千代田区にある江戸城を訪れました。
長禄元年(1457)、扇谷上杉氏の家臣、太田道灌が築城し、
慶長8年(1603)、征夷大将軍となった徳川家康が天下普請により、
天下人にふさわしい日本史上最大の城郭を築きました。
今回は北の丸を散策します。
江戸城西の丸下編→sm28993126
江戸城内堀編→sm29038662
江戸城本丸編→sm30167992
江戸城西丸(乾通り一般公開秋)編→sm34363339
お城→mylist/37297571
【百万石】加賀国金沢城 其の三 石川門~城下町編 平成29年(2017) 仲秋
2017年の9月下旬、石川県金沢市にある金沢城を訪れました。
天文15年(1546)、本願寺の一向一揆の衆が尾山御坊を建立し、
天正8年(1580)、佐久間盛政が尾山御坊を攻め落とし、金沢城と改称しました。
天正11年(1583)、 賤ヶ岳の戦いの後に前田利家が入城し、
高山右近が改修を担当しました。
幕末まで加賀百万石の居城として前田氏が城主を務めました。
今回は石川門から兼六園、妙立寺、にし茶屋街、長町武家屋敷跡、
東内惣構跡、ひがし茶屋街を散策します。
其の一(大手~二ノ丸編)→sm32221765
其の二(二ノ丸~本丸編)→sm32253321
お城→mylist/37297571
【過ぎたるもの】近江国佐和山城 平成29年(2017) 仲秋
2017年の9月中旬、滋賀県彦根市にある佐和山城址を訪れました。
建久年間(1190~1199年)に、近江守護職であった佐々木定綱の
六男・佐保時綱が築いた砦が始まりとされ。
戦国時代には北近江に勢力を振るった浅井氏に従った
礒野員昌(いそのかずまさ)が城主を務め、織田信長の侵攻の前に
8ヶ月もの籠城戦に耐えました。
丹羽長秀・堀尾吉晴が城主を務めた後、
石田三成が近江佐和山19万4,000石で城主となりました。
関ヶ原の合戦後、佐和山城は東軍の攻撃により落城、
三成の父・正継や兄・正澄等の一族は自害しました。
城は徹底的に破城されましたが、
本丸からは石田三成も見たであろう近江の景色を眺望できます。
佐和山城の石垣を転用した彦根城→sm32027826
お城→mylist/37297571
【三十五万石】近江国彦根城 其の四 大手~埋木舎編 平成29年(2017) 仲秋
2017年の9月中旬、滋賀県彦根市にある彦根城を訪れました。
慶長8年(1603年)、関ヶ原の合戦の傷が元で死去した井伊直政の子の
井伊直継が築城を開始し、7か国12大名が普請を手伝い、
元和8年(1622年)、天下普請の城として彦根城が完成しました。
井伊氏は徳川幕府筆頭の家臣として、後に35万石を擁し、
大老職を5代6度務める等、譜代大名筆頭の家柄を誇りました。
琵琶湖のほとりに築かれた城もその家格にふさわしく素晴らしいものでした。
今回は大手門から米蔵、西の二ノ丸、船町口門跡、西の三郭、
埋木舎を散策します。
其の一(佐和口~天守編)→sm32027826
其の二(本丸~山崎曲輪編)→sm32064861
其の三(二ノ丸東~二ノ丸南編)→sm32103432
お城→mylist/37297571
【三十五万石】近江国彦根城 其の三 二ノ丸編 平成29年(2017) 仲秋
2017年の9月中旬、滋賀県彦根市にある彦根城を訪れました。
慶長8年(1603年)、関ヶ原の合戦の傷が元で死去した井伊直政の子の
井伊直継が築城を開始し、7か国12大名が普請を手伝い、
元和8年(1622年)、天下普請の城として彦根城が完成しました。
井伊氏は徳川幕府筆頭の家臣として、後に35万石を擁し、
大老職を5代6度務める等、譜代大名筆頭の家柄を誇りました。
琵琶湖のほとりに築かれた城もその家格にふさわしく素晴らしいものでした。
今回は松原内湖跡から二ノ丸を散策します。
其の一(佐和口~天守編)→sm32027826
其の二(本丸~山崎曲輪編)→sm32064861
其の四(大手~埋木舎編)→sm32140919
お城→mylist/37297571
【三十五万石】近江国彦根城 其の二 本丸~山崎郭編 平成29年(2017) 仲秋
2017年の9月中旬、滋賀県彦根市にある彦根城を訪れました。
慶長8年(1603年)、関ヶ原の合戦の傷が元で死去した井伊直政の子の
井伊直継が築城を開始し、7か国12大名が普請を手伝い、
元和8年(1622年)、天下普請の城として彦根城が完成しました。
井伊氏は徳川幕府筆頭の家臣として、後に35万石を擁し、
大老職を5代6度務める等、譜代大名筆頭の家柄を誇りました。
琵琶湖のほとりに築かれた城もその家格にふさわしく素晴らしいものでした。
今回は本丸から西ノ丸、山崎曲輪を散策します。
其の一(佐和口~天守編)→sm32027826
其の三(山崎曲輪~二ノ丸編)→sm32103432
お城→mylist/37297571
【一藩百義】陸奥国白河小峰城 其の二 二ノ丸~搦手編 平成29年(2017) 初秋
2017年の8月中旬、福島県白河市にある白河小峰城を訪れました。
前回は大手道~本丸を散策し、今回は二ノ丸~搦手を散策します。
東日本大震災の影響でまだまだ散策できる範囲が限られていますが、
天守相当の建築物として日本で最初の木造復元である三重櫓や、
丹羽長重が築いた石垣等は必見です。
震災からの完全復活にはまだまだ時間がかかりそうですが、
復興を目に焼き付け、応援する為に訪れてもよいのではないでしょうか。
※世界の味殿、広告ありがとさんでござんす。
其の一(大手~本丸編)→sm31943811
お城→mylist/37297571
岸和田城と夕方の風景
だんじりで有名な岸和田にある岸和田城を撮ってみました
小さいながらも立派な構えのお城です
石垣の犬走りが見どころ
◇岸和田城
南海電鉄南海本線「蛸地蔵駅」より徒歩10分ほど
UPしたもの
2017:mylist/58093224
2016:mylist/56266147
【白河以北】陸奥国白河小峰城 其の一 大手~本丸編 平成29年(2017) 初秋
2017年の8月中旬、福島県白河市にある白河小峰城を訪れました。
14世紀中頃、結城親朝が小峰ヶ岡に築城したのが始まりと言われ、
江戸幕府成立後の寛永四年(1627)に、初代白河藩主となった丹羽長重が
大改修を行い、現在の白河の町の基礎ができあがりました。
築城の名手、長重が奥州の大名の抑えとして築いた城は、北方の守りを
意識して造られ、10万石には稀な総石垣造りの大城郭となっています。
その後、榊原・本多・松平(奥平)・松平(結城)・松平(久松)・阿部と
城主が代りましたが、戊辰の頃は城主不在の幕府領となり、
奥羽列藩同盟と新政府軍との戦闘により、城と城下町の一部が焼失しました。
今回は大手道~本丸を散策します。
※世界の味殿、広告ありがとさんでござんす。
其の二(二ノ丸~搦手編)→sm31986368
お城→mylist/37297571
【独眼竜】陸奥国仙台城 其の二 三ノ丸・二ノ丸編 平成29年(2017) 初秋
2017年の8月中旬、宮城県仙台市にある仙台城(青葉城)を訪れました。
伊達政宗の築城以前は、国分氏の千代城があったとされ、
現在の仙台城は、関ヶ原の合戦後、伊達政宗によって築城されました。
仙台平野を一望できる青葉山に築かれた仙台城(本丸の標高は約120m)は、
北と東を流れる広瀬川が天然の堀となり、南は深さ約40mの竜ノ口渓谷が遮断し、
西は青葉山の丘陵が続く天然の要害となっています。
国宝に指定されていた大手門は1945年の仙台空襲により焼失しました。
現在は大手門の隅櫓が復元されています。
今回は二ノ丸と三ノ丸を散策しています。
仙台城其の一(大手~本丸編)→sm31781665
岩出山城→sm24603519
若林城→sm21747404
お城→mylist/37297571
【独眼竜】陸奥国仙台城 其の一 大手~本丸編 平成29年(2017) 初秋
2017年の8月中旬、宮城県仙台市にある仙台城(青葉城)を訪れました。
伊達政宗の築城以前は、国分氏の千代城があったとされ、
現在の仙台城は、関ヶ原の合戦後、伊達政宗によって築城されました。
仙台平野を一望できる青葉山に築かれた仙台城(本丸の標高は約120m)は、
北と東を流れる広瀬川が天然の堀となり、南は深さ約40mの竜ノ口渓谷が遮断し、
西は青葉山の丘陵が続く天然の要害となっています。
国宝に指定されていた大手門は1945年の仙台空襲により焼失しました。
現在は大手門の隅櫓が復元されています。
今回は広瀬川から大手門跡を通り、本丸を散策しています。
仙台城其の二(二ノ丸・三ノ丸編)→sm31815583
岩出山城→sm24603519
若林城→sm21747404
お城→mylist/37297571
松山城に向かう男。
初めての外配信で少し緊張じじいでした。本当は城の中まで行きたかったですが、ライブ配信の許可が下りずに断念しました。
【南海の巨城】土佐国高知城 其の三 三ノ丸~搦手編 平成29年(2017) 仲春
2017年の3月上旬、高知県高知市にある高知城を訪れました。
南北朝時代の14世紀に大高坂氏が大高坂山に築いた城が、高知城の前身と言われ、
戦国時代には長宗我部元親が大高坂山に築城したようですが、
水はけが悪い土地だったので、浦戸城へ移りました。
関ヶ原の合戦後、土佐国一国24万2千石を与えられた山内一豊が、
大高坂山に築城し、河中山(こうちやま)城と改名し、さらに高智山城と改名後、
高知城と呼ばれるようになりました。
今回は杉ノ段、三ノ丸、獅子ノ段、等を散策します。
高知城其の一 追手門~二ノ丸編→sm30999485
高知城其の二 本丸・天守編→sm31040261
お城→mylist/37297571
【南海の巨城】土佐国高知城 其の二 本丸・天守編 平成29年(2017) 仲春
2017年の3月上旬、高知県高知市にある高知城を訪れました。
南北朝時代の14世紀に大高坂氏が大高坂山に築いた城が、高知城の前身と言われ、
戦国時代には長宗我部元親が大高坂山に築城したようですが、
水はけが悪い土地だったので、浦戸城へ移りました。
関ヶ原の合戦後、土佐国一国24万2千石を与えられた山内一豊が、
大高坂山に築城し、河中山(こうちやま)城と改名し、さらに高智山城と改名後、
高知城と呼ばれるようになりました。
今回は本丸の御殿、天守、東多聞櫓、廊下橋、西多聞櫓を散策します。
高知城其の一 追手門~二ノ丸編→sm30999485
高知城其の三 杉ノ段~三ノ丸編→sm31100890
お城→mylist/37297571
【南海の巨城】土佐国高知城 其の一 追手~二ノ丸 平成29年(2017) 仲春
2017年の3月上旬、高知県高知市にある高知城を訪れました。
南北朝時代の14世紀に大高坂氏が大高坂山に築いた城が、高知城の前身と言われ、
戦国時代には長宗我部元親が大高坂山に築城したようですが、
水はけが悪い土地だったので、浦戸城へ移りました。
関ヶ原の合戦後、土佐国一国24万2千石を与えられた山内一豊が、
大高坂山に築城し、河中山(こうちやま)城と改名し、さらに高智山城と改名後、
高知城と呼ばれるようになりました。
今回は追手門から杉ノ段、三の丸、二の丸を散策します。
※本丸、天守は第2回になります。
高知城其の二・本丸編→sm31040261
お城→mylist/37297571
【虎】土佐国安芸城(安芸土居) 平成29年(2017) 仲春
2017年の3月上旬、高知県安芸市にある安芸城址を訪れました。
鎌倉時代末期の延慶2年(1309)に安芸親氏が築城したと伝わり、
戦国時代には土佐七雄と呼ばれ、安芸郡を支配した安芸氏が居城としていました。
安芸国虎は長宗我部元親との八流の戦いに敗れ、安芸城に籠城するも
味方が離反し、城内の井戸に毒を投げられる等した為、降伏し、
城兵の助命と引き換えに浄貞寺で自害しました。
長宗我部氏の支配の後、江戸時代は山内氏の重臣、五藤氏が安芸城主となり、
一国一城令の後は、安芸土居として廃城せずに存続しました。
武家屋敷跡である土居廓中、安芸氏の菩提寺である浄貞寺も訪れています。
お城→mylist/37297571
【七つ酢漿草】土佐国岡豊城 平成29年(2017) 仲春
2017年の3月上旬、高知県南国市にある岡豊(おこう)城址を訪れました。
13世紀~14世紀に長宗我部氏によって築城されたと伝わり、
戦国時代には長宗我部元親がここを拠点に土佐を統一、
その勢いのまま四国統一の直前まで進撃しました。
香長平野(かちょうへいや)の北西端に位置する岡豊山(標高97m)に築かれた山城で、
すぐ南の国分川が天然の堀になっています。
城址の動画の後に長宗我部氏縁の地も訪れています。
司馬遼太郎氏の『夏草の賦』の舞台を訪れて感無量でした。
戸次川の戦いを辿る旅→sm28047015
お城→mylist/37297571
【麋】美濃国大垣城 平成29年(2017) 初春
2017年の2月下旬、岐阜県大垣市にある大垣城を訪れました。
天文4年(1535)、土岐氏一族の宮川安定が築城したと伝わり、
永禄2年(1559)、氏家直元(卜全)が城主となり、改修しました。
寛永12年(1635)、戸田氏鉄が城主となった後は戸田氏が幕末まで城主を務めました。
西美濃のほぼ中央に位置し、東は木曽三川、西は関ヶ原を抑える要衝の地であり、
天下分け目の関ヶ原の合戦では、大垣城は西軍の本拠地として、
石田三成等の軍勢がここから関ヶ原へ出陣して行きました。
江戸期には三重の水堀に囲まれた水の城でしたが、現在、堀を埋められ往時の姿を
偲ぶことはできません。
個人的には、山中城の戦いで討死した大垣城主を務めた一柳直末のことが思い出されました。
お城→mylist/37297571
【国盗り】尾張国小牧山城 その二 平成29年(2017) 晩冬
2017年の1月下旬、愛知県小牧市にある小牧城址を訪れました。
永禄6年(1563)、織田信長が美濃国侵攻の為、築上した城で、
濃尾平野の平地の中に一つだけ突き出た小牧山に造られました。
信長は小牧山城に本拠を移した後、4年後には美濃国の稲葉山城を攻略し、
岐阜城に本拠を移しました。
小牧・長久手の合戦では、徳川家康は小牧山城に布陣し、
秀吉軍に備えて、堀や土塁等を大幅に改修しました。
北は犬山城、南の名古屋城からもよく見える小牧山城は、
標高85mの小牧山全体を城として、濃尾平野に睨みを利かせる存在です。
今回は城の西側から時計周りに一周し、搦手口や東の帯曲輪を散策します。
小牧山城その一→sm30623446
お城→mylist/37297571
【国盗り】尾張国小牧山城 その一 平成29年(2017) 晩冬
2017年の1月下旬、愛知県小牧市にある小牧城址を訪れました。
永禄6年(1563)、織田信長が美濃国侵攻の為、築上した城で、
濃尾平野の平地の中に一つだけ突き出た小牧山に造られました。
信長は小牧山城に本拠を移した後、4年後には美濃国の稲葉山城を攻略し、
岐阜城に本拠を移しました。
小牧・長久手の合戦では、徳川家康は小牧山城に布陣し、
秀吉軍に備えて、堀や土塁等を大幅に改修しました。
北は犬山城、南の名古屋城からもよく見える小牧山城は、
標高85mの小牧山全体を城として、濃尾平野に睨みを利かせる存在です。
今回は大手周辺と主郭を散策します。
小牧山城その二→sm30664519
お城→mylist/37297571
【扇】豊前国中津城 平成29年(2017) 晩冬
2017年の1月下旬、大分県中津市にある中津城を訪れました。
天正16年(1588)、 黒田孝高(官兵衛)が築城を開始し、
元和7年(1621)、細川氏の時代に扇形の縄張りの城が完成しました。
細川氏の後は小笠原氏、奥平氏が城主を務めました。
中津川が豊前海(周防灘)に注ぐ河口に築かれた海城で、
天守は模擬で資料館になっており、奥平氏関係の展示を見ることができます。
見所は本丸北面の石垣で、黒田氏と細川氏の石垣を見比べることが可能です。
動画の最後には、中津城で暗殺された城井鎮房の家臣が討ち死にしたとされる
赤壁寺こと合元寺も訪れています。
城井鎮房の城井谷城→sm24147641
お城→mylist/37297571
【月さびよ】美濃国妻木城 平成28年(2016) 仲冬
2016年の12月下旬、岐阜県土岐市にある妻木城址を訪れました。
築城年代は不明ですが、南北朝時代に土岐氏が築城したとされ、
戦国時代には明智光秀の家臣、妻木広忠が居城としていました。
江戸時代には妻木氏7500石の城として三代続きましたが、
跡継ぎがなく妻木氏は廃絶、妻木城も廃城となりました。
土岐市南部の標高409mの山に築かれた山城で、麓には城主の屋敷がありました。
麓の士屋敷跡から山城の主郭は比高150m、徒歩30分程の登山で、
士屋敷跡・主郭ともに石垣等が良好に残っており、
三の曲輪からは土岐市街が一望できます。
城主、妻木広忠の娘・妻木煕子は黒髪売りの逸話で有名な明智光秀の正室でもあります。
※霞舞伎殿、広告ありがとうでござんす。
妻木の景色と愛宕百韻の光秀の発句のコメントまでありがとうございます。
お城→mylist/37297571
【金鯱】尾張国名古屋城 其の四 三の丸編 平成28年(2016) 仲冬
2016年の12月中旬、愛知県名古屋市にある名古屋城を訪れました。
16世紀前半に今川氏親が築いた柳の丸が名古屋城の起源とされ、
織田信長の父、織田信秀が今川氏豊から城を奪い那古屋城と改名しました。
信秀の後、織田信長も清洲城に移るまで居城としていました。
江戸時代は御三家筆頭の尾張徳川家の居城として、
天下普請により巨大な城郭が築かれました。
今回は外堀沿いに歩き、三の丸を散策します。
名古屋城其の一、本丸編→sm30284154
名古屋城其の二、御深井丸編→sm30356297
名古屋城其の三、二の丸編→sm30397049
お城→mylist/37297571