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綽名から逃げられない 『徒然草 気まま読み』#37
今回扱うのは、第四十五段。
全文を紹介すると…
公世(きんよ)の二位の兄に、良覺僧正と聞えしは極めて腹惡しき人なりけり。坊の傍に大きなる榎の木のありければ、人、「榎木僧正(えのきのそうじょう)」とぞ言ひける。この名然るべからずとて、かの木を切られにけり。その根のありければ、「切杭(きりくひ)の僧正」と言ひけり。愈(いよいよ)腹立ちて、切杭を掘りすてたりければ、その跡大きなる堀にてありければ、「堀池(ほりけ)の僧正」とぞいひける。
あだ名をつけられやすい人って、いる。
それはその人のキャラクターのためであって、当人がいかに気に入らなくても、そのあだ名で呼ばれないようにするための工夫をいくらやろうとも、そのキャラクターが変わらない限り一切無駄なのです!
「清げなる男」徒然草気まま読み#118
今回扱うのは、第四十三段。
短いので、全文をご紹介。
春の暮つかた、のどやかに艷なる空に、賤しからぬ家の、奧深く木立ものふりて、庭に散りしをれたる花見過しがたきを、さし入りて見れば、南面の格子を皆下して、さびしげなるに、東にむきて妻戸のよきほどに開(あ)きたる、御簾のやぶれより見れば、かたち清げなる男(をのこ)の、年二十ばかりにて、うちとけたれど、心にくくのどやかなる樣して、机の上に書をくりひろげて見居たり。いかなる人なりけむ、たづね聞かまほし。
徒然草の中でも、いったい何が言いたいんだろうと首をかしげてしまう、なんとも不可解な話。
ある晩春の頃、のどかで優雅な雰囲気の空の下を歩いていた兼好。特に気になる家が目に入って、それで取った行動とは…?
もしかして兼好って、アブナイ人だったのか?
あまりに奇妙なため、様々な解釈を生んでいる異色の段。
こんな一面もあったのかという、不思議な兼好をご紹介。
無駄話 『徒然草 気まま読み』#74
今回扱うのは、第百六十四段。
全文を紹介すると…
世の人相(あい)逢ふ時、しばらくも默止することなし。必ず言葉あり。そのことを聞くに、おほくは無益の談なり。世間の浮説、人の是非、自他のために失多く得少し。これを語る時、互の心に無益のことなりといふことを知らず。
前回紹介した第二百三十三段にも、「言葉すくなからんには如かじ」と自制の勧めがあったように、兼好法師は無駄に口数が多い人を特に嫌う。
この段でも、短い文章で無駄話をすることを手厳しく非難しているのだが、ふと考えてみると、そう言っている兼好に対してもちょっと疑問が…。
季節の移り変わり 『徒然草 気まま読み』#83
最初は、徒然草とは関係ないけれども『新しい公民教科書』の宣伝から。
「新しい歴史教科書をつくる会」による検定合格本教科書の市販本が5月20日、自由社から発売された。
中学生だけではなく、政治家を含む大人たちが知っておかなければならない政治と社会の仕組みを学ぶ初めての教科書。
文科省は教科書検定において、検閲といっていいほどの過酷な検定意見をつけてきた。市販本の巻末には「特別報告」として、執筆者による論考と実際の検定意見、検定で全面削除された原文を掲載。現在の文科省がどうなっているのかを知るにも最適の書となっている。
そして今回扱うのは、第十九段。
冒頭だけ紹介すると…
折節の移り変わるこそ、物ごとに哀れなれ。
「物の哀れは秋こそまされ」と、人ごとに言ふめれど、それも然(さ)るものにて、今一きは心も浮きたつものは、春の景色にこそあめれ。鳥の聲などもことの外に春めきて、のどやかなる日かげに、垣根の草萌え出づる頃より、やゝ春ふかく霞みわたりて、花もやうやう氣色(けしき)だつほどこそあれ、折しも雨風うちつゞきて、心あわたゞしく散りすぎぬ。青葉になり行くまで、萬(よろづ)にただ心をのみぞ悩ます。
兼好法師にとっての春夏秋冬それぞれの季節の魅力が、美しい調べで綴られる。
それは既に古典に何度も書かれていることで、全く目新しいことではないけれども、それでもかまわないから書く! という割り切り方も面白い。
文章から情景がありありと伝わってくる描写など、ぜひ原文で味わっていただきたい一段。
【徒然草×アイマス】兼好的なアイドルマスター
つれづれなるままに、現代語訳版を読んでいたらティンときたので、その中から面白そうなエピソードをアイマスのアイドルたちのエピソードとしてアレンジしてみました。この動画で徒然草に興味を持っていただいたら幸いです。 マイリストmylist/25562775 前の動画sm15384803 解説編sm15480502 次の動画sm15553168
自分の分際を知る 『徒然草 気まま読み』#6
今回扱うのは、第百三十二段。
全文は、こちら。
貧しきものは財をもて禮とし、老いたるものは力をもて禮とす。
おのが分を知りて、及ばざる時は速かに止むを智といふべし。許さざらんは、人の誤りなり。分を知らずして強ひて勵むは、おのれが誤りなり。
貧しくして分を知らざれば盜み、力衰へて分を知らざれば病をうく。
当たり前といえば当たり前なのだけれども、なかなかそれができない、自分の「身の程」を知るということ。
兼好法師は漢籍を踏まえつつ、これを自分なりにアレンジして説いている。
よくわからない超意訳 徒然草 #1 - 第二~五段
教科書でも習う兼好法師の『徒然草』を手書き紙芝居動画で超意訳してみた。
第二段「いにしへのひじりの御代の」:#0:08
第三段「よろづにいみじくとも」:#2:09
第四段「後の世の事」:#4:07
第五段「不幸に愁に沈める人の」:#4:57
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注:参考文献を元にした悪意ある独自解釈が含まれています。信じないで下さい。
空のなごり 『徒然草 気まま読み』#50
今回扱うのは、第二十段。
全文を紹介すると…
某(なにがし)とかやいひし世すて人の、「この世のほだし もたらぬ身に、たゞ空のなごりのみぞ惜しき。」と言ひしこそ、まことにさも覺えぬべけれ。
ワンセンテンスの、短い段。
この某という人物とは誰か? 「空のなごり」とは何のことか?
諸説あるのだが、ここはそれにはあまりこだわらずに、自分なりの解釈をしてみよう。
いろんな解釈ができて、それぞれに味わい深い感覚を持つことができるだろう。
道具の品格は持ち主の人格 『徒然草 気まま読み』#67
今回扱うのは、第八十一段。
前段を紹介すると…
屏風・障子などの繪も文字も、かたくななる筆樣(ふでやう)して書きたるが、見にくきよりも、宿の主人(あるじ)の拙く覺ゆるなり。
屏風や障子の絵や文字が、まずい筆つきで書かれていると、それが見苦しいというよりも、そんな調度品を使っている主人がつまらない人物に思えてくる。
持っているもの、使っているものによって、その人の人格が測られてしまうものだ…
いろんな場面で今でも起こりそうなことだけれども、心当たりはないでしょうか?
人を勝手に裁くな 『徒然草 気まま読み』#8
今回扱うのは、第百九十三段。
人を評価する時には、何を基準にするべきなのか?
暗愚な人ほど居丈高になって、人を見下した態度をとる。
自分は知っている、わかっていると思って疑わず、それを基準にして、他の人間は自分より下だと決めつけてかかるからである。
だがそれは非常に恥ずかしいことだという美意識を兼好は持っていた。
優秀な専門家ほど、態度は謙虚になるものである。
知らず知らずのうちに思い上がって人を見下したりしていないだろうか?と、ちょっと自省もしてみよう。
子は不要 『徒然草 気まま読み』#33
今回扱うのは、第六段。
冒頭で「我が身のやんごとなからんにも、まして數ならざらんにも、子といふもの無くてありなん」
と言い切る兼好。
前回扱った段では「妻を持ってはならぬ」と断言し、さらにここでは、身分が高い人だろうと、取るに足らないものであろうと関係なく、「子は不要」だと断言する。
しかも、子は不要とする根拠が、功成り名を遂げた人の中で子のいなかった者の例ばかり集めてきたり、聖徳太子について史実ではない伝説のエピソードを持ってきたりと、こじつけ感がハンパない。
いったいどうしたんだ、兼好!?
しかしこれも徒然草の味わいの一つ。ここでこう言っているからと言って、それが絶対だと兼好自身も考えていたとは限らない。柔軟性を持って読んで行こう。
「上には上がある」徒然草気まま読み#109
今回扱うのは、第百七十七段。
前半を紹介すると…
鎌倉の中書王にて御鞠ありけるに、雨ふりて後、未だ庭の乾かざりければ、いかゞせむと沙汰ありけるに、佐々木隱岐入道、鋸の屑を車に積みて、多く奉りたりければ、一庭に敷かれて、泥土のわづらひ無かりけり。「取りためけむ用意ありがたし」と、人感じあへりけり。
親王の御所で蹴鞠が催されることになっていたのだが、雨が降って庭がぬかるみになっていた。そこに佐々木隱岐入道がおがくずをたくさん車に積んで持ってきて庭に敷いたので、蹴鞠を行うことができた。
用意のいい人だと、皆が感心してその話をしていたのだが、その評判がたった一言でひっくり返る。
思い込みで評価をしていたら、簡単なことで足をすくわれる。
なんだかいつでもどこでも起こりそうな話で、用心用心。
謎の和歌『徒然草 気まま読み』#4
今回は、第六十二段をご紹介。
短いので全文をご紹介すると…
延政門院 幼くおはしましける時、院へ參る人に、御言づてとて申させ給ひける御歌、
ふたつ文字 牛の角文字 直ぐな文字 ゆがみもじとぞ君はおぼゆる
恋しく思ひ参らせ給ふとなり。
後嵯峨天皇の第二皇女、延政門院が幼い頃、普段なかなか会えない父親に、人を介して一首の歌を送った。
果たして、その意味は?
賤しげなるもの 『徒然草 気まま読み』#5
今回は、第七十二段をご紹介。
全文は、こちら。
賎しげなるもの。居たるあたりに調度の多き、硯に筆の多き、持佛堂に佛の多き、前栽に石・草木の多き、家のうちに子孫(こうまご)の多き、人にあひて詞の多き、願文に作善多く書き載せたる。
多くて見苦しからぬは、文車の文(ふみ)、塵塚の塵(ちり)。
枕草子にも同じく「賤しげなるもの」について書かれていて、それを意識したとも思えるが、さすがに兼好法師と清少納言の視点は全く異なり、読み比べても面白いかも。
いかにも兼好法師らしさを感じる、ちょっとひねった感覚も入った「賤しげなるもの」とは?
逃げ道はない 『徒然草 気まま読み』#12
今回扱うのは、第九十二段。
ある人が弓を習って、二本の矢を持って的に向かうと、師が「初心者は二本の矢を持ってはいけない」と言った。その理由は何か?
まさかそんなことはありえないと思うようなところに、油断は入り込む。全て退路を断って臨まなければならないという、万事に通じる戒めがそこにある!
無駄な感動 『徒然草 気まま読み』#7
今回扱うのは、第二百三十六段。
これまで紹介してきたものとは一風変わった、まるで現代のコントに出てきても不思議はないような、ちょっと笑っちゃうようなエピソードをご紹介。
丹波の出雲という場所に、出雲大社の御神霊をお招きして立派な社殿の神社が作られていた。
ある秋の日、聖海聖人が大勢を引き連れてこの神社を参拝すると、その社頭に、他の神社には見られないような光景があった。聖海聖人はこれにいたく感激するが…
ちょっと異色、でもしたり顔でわかってもいないことを偉そうに講釈する人など大嫌いという、兼好法師らしさにもあふれている一篇。
時期を選ぶな 『徒然草 気まま読み』#15
今回扱うのは、第百五十五段。
物事を成就するには、好機を選び、それにふさわしい時期を待つべきであるというのも、一面においては正しい。
しかし、そんなことは言っていられないこともある。
人生には、いつ何が起きるか分からない。本当に重要なことは、時期を待っている場合じゃないものなのだ。
自然の摂理、春夏秋冬の季節の移ろいを観察していると、わかることがある。
ましてや、人の生老病死の移ろいを思うと、悠長なことなど決して言ってはいられないのである!
賢人とは? 『徒然草 気まま読み』#13
今回扱うのは、第八十五段。
世の中には、賢人もいれば愚者もいるが、圧倒的に多いのは凡人。
しかし、凡人は賢人にもなれるし、愚者にもなる。
果たして、その分かれ目はどこにあるのか?
それは、実際に賢人を見た時の態度によって決まる。
兼好法師の分析は、現代にも当てはまる。
そして現代は、愚者になることを自ら選ぶ凡人が増大している時代なのかもしれない。
嘘をめぐる十タイプ 『徒然草 気まま読み』#9
今回扱うのは、第百九十四段。
嘘をつかれた人は、その時どんな反応を示すか?
兼好はそのリアクションを、10の類型に分類している。
その観察力、分析力はさすがという他ないが、もしかして、ここに出てくる「嘘つき」は兼好で、兼好自身が人に嘘をついてみて、その反応を観察していたんじゃないかという疑念も。
それはともかく、いろんな人の反応の様は、今でもありそうで笑ってしまう。
達人の人を見る眼は、少しも誤るところはない。
ご譲位後の上皇 『徒然草 気まま読み』#24
今回扱うのは、第二十七段。
全文を紹介すると…
御國ゆづりの節會行はれて、劒(けん)・璽・内侍所わたし奉らるゝほどこそ、限りなう心ぼそけれ。
新院のおりゐさせ給ひての春、よませ給ひけるとかや、
殿守の伴のみやつこ(御奴)よそにしてはらはぬ庭に花ぞ散りしく
今の世のことしげきにまぎれて、院にはまゐる人もなきぞ寂しげなる。かゝるをりにぞ人の心もあらはれぬべき。
先頃、200年ぶりの天皇ご譲位が行われたが、譲位が当たり前だった時代の『徒然草』に書かれた譲位はどういうものだったのかというと、それは大層侘しさを感じさせるものだった。
そこに書かれた譲位は、95代・花園天皇から96代・後醍醐天皇へのものであると推測されている。
つまり、南北朝の動乱前夜の譲位であったという事情がそこにはあった。
今回、祝賀の中でご譲位が実現したのは実に幸福なことだったと実感。
さらには、ご譲位に伴い行われる三種の神器の継承について、桓武天皇の時代から鏡だけは動かされなかったという定説に対して、実は鏡も動かされていたのではないかと思われる記述があるという、興味深い余談も登場!
財産は残すな 『徒然草 気まま読み』#10
今回扱うのは、第百四十段。
この段にも兼好の生活哲学、美意識が強く表れている。
死んだ後には、何も残らないようにすべきだという兼好。遺品につまらないものがあるとみっともない、というのはまだわかるが、立派なものがあっても、それはそれでみっともないという。
さらに財産など残せば、遺族に余計な争いが起こりかねない。
執着を捨て、シンプルライフを目指せという兼好の意識、これも現在に通用する。
仏はどこから来たのか 『徒然草 気まま読み』#11
今回扱うのは、第二百四十三段。
徒然草最後の段ですが、順不同で取り上げているので、これが最終回ではありません。
兼好が8歳の時、父親に「仏とはどういうものなのでしょうか」と尋ねた。
父親は、「仏は人がなったものだ」と答えたので、さらに兼好は「人はどうやって仏になったのか」と尋ねる。
父親が「仏の教えによるものだ」と答えると、さらに兼好は「その仏は何が教えたのか」と問いを重ねる。そしてついに答えきれなくなった父親は…
ちょっと微笑ましくもある、子供時代の思い出話。
兼好法師の自慢話「徒然草気まま読み」#163(最終回)
長らくお楽しみいただいた「徒然草気まま読み」、今回が最終回となります!
最後に扱うのは、第二百三十八段。
一部を紹介すると…
一、賢助僧正に伴ひて、加持香水(かうずゐ)を見はべりしに、いまだ果てぬほどに、僧正かへりて侍りしに、陣の外(ほか)まで僧都見えず。
ある人物が七か条にわたって自慢話を書きとどめたことがあったことに倣って、それなら自分もとばかり、兼好法師が七つ挙げた自慢話の数々。
一条から五条までは自分の教養・知識をひけらかす類の話なのだが、六番目にちょっと不思議な話が出てくる。さらに最後の七番目の自慢話がまた可笑しい。
3年3か月にわたって気ままに読み続けた徒然草、何かの折にものを考えるヒントになれば幸いです!
保守の神髄 『徒然草 気まま読み』#14
今回扱うのは、第百二十七段。
全文を紹介すると…
改めて益なきことは、改めぬをよしとするなり。
これだけ。これで全文である。
だが、このワン・センテンスに、「保守の神髄」が語られている!
このわずかな文章の中に、いろんな含みがあり、単に頑迷固陋に古いものを固守することを推奨しているわけでもないし、その一方で、予測不可能な未来に対しては慎重に臨むべきだと諭す意味も含まれている!
果たしてそれを、読み取れるか?
孤独こそ良い 『徒然草 気まま読み』#26
今回扱うのは、第七十五段。
つれづれわぶる人は、いかなる心ならむ。紛るゝ方なく、唯一人あるのみこそよけれ。
この冒頭部分に、言いたいことが凝縮されている。
孤独で退屈な状態でいることを嫌がる人は、どういう心境なのだろう、その気が知れない。たった一人でいることこそがいいのだと兼好は言う。
世に従い、人に交われば、それに迎合し、自分自身を失うというのである。
兼好はその生き方を貫き、自分を通したからこそ『徒然草』を後世に残した。
兼好の生きた時代ですら、このようなことを批判しなければならなかったのである。
それならば、SNSによって、とにかく人と繋がりたい、人の評価を受けたいという意識が強迫観念にまでなっているような現代を兼好が見たら、一体何を思っただろうか…?
愛欲の道 『徒然草 気まま読み』#41
今回扱うのは、第九段。
一部を紹介すると…
事に觸れて、うちあるさまにも、人の心をまど(惑)はし、すべて女の、うちとけたる寝(い)も寝(ね)ず、身を惜しとも思ひたらず、堪ふべくもあらぬ業にもよく堪へ忍ぶは、たゞ色を思ふがゆゑなり。
女性の色香ほど人を惑わすものはない。
その色欲の止めがたいことは、他のどんな欲望とも比較にならず、老人も若者も、智者も愚者も変わりがないと力説する兼好。
女の色香が人を惑わす力の強さについて、未だにどの研究者にも出典がわからない形容句を用いて警告を発する兼好。
兼好…いったい、女性と何があった?
話し方で人品が知れる 『徒然草 気まま読み』#31
今回扱うのは、第五十六段。
一部を紹介すると…
久しく隔たりて逢ひたる人の、わが方にありつる事、數々に殘りなく語り續くるこそあいなけれ。隔てなく馴れぬる人も、程経て見るは、恥しからぬかは。次ざまの人は、あからさまに立ち出でても、今日ありつる事とて、息もつぎあへず語り興ずるぞかし。
人と話をする時の態度で、その人が一流か二流かがわかると、何とも手厳しい分析をする兼好。
思わず「私は二流だ~」と嘆くもくれんさん。でも、これって誰にも覚えがあることでは?
それに、言ってることの中には、単に兼好の好みじゃないの?とか、それはいまの時代では違うんじゃないの?とか言いたくなるようなこともちらほら。
とはいえ、やっぱり耳の痛いところを突いているところがあって、思わず知らず反省会になってしまう一段。
【実況初心者】 徒然草 part2 【頑張ってみた】
ついにバトル! しかし、元ネタが分からない私たち…シューが可愛い part1⇒sm7425031/part3⇒sm7491705/マイリスmylist/13173063
妻帯するな! 『徒然草 気まま読み』#32
今回扱うのは、第五十六段。
一部を紹介すると…
妻といふものこそ、男の持つまじきものなれ。「いつも獨り住みにて」など聞くこそ、心憎けれ。
「たれがしが婿になりぬ」とも、又、「いかなる女をとりすゑて、相住む」など聞きつれば、無下に心劣りせらるゝわざなり。異なることなき女を、よしと思ひ定めてこそ、添ひ居たらめと、賤しくもおし測られ、よき女ならば、此の男をぞ、らうたくして、あが佛と守りゐたらめ。
普段はなるほどと思わされる含蓄のある話ばかりの『徒然草』ではありますが、今回ばかりは「どうしたんだ、兼好!?」と思ってしまう一段。
とにかく男たるもの、妻だけは持ってはいけないと口を極めて罵る兼好。
大したことのない女を良いと思って妻にしている男はつまらない、と言うのはまだわかるけれども、素晴らしい女性に尽くされていても「その程度の男か」と言い放つ。女性に対して厳しい論調は以前にもあったけれども、ここまでくると、一体何があったの?と思ってしまう。
誤解がないようにと、高森氏が自身の結婚観などについても語ります!
親しき人を見直す 『徒然草 気まま読み』#25
今回扱うのは、第三十七段。
全文を紹介すると…
朝夕へだてなく馴れたる人の、ともある時に、我に心をおき、ひきつくろへる様に見ゆるこそ、今更かくやはなどいふ人もありぬべけれど、猶げにげにしく、よき人かなとぞ覺ゆる。
疎き人の、うちとけたる事などいひたる、また、よしと思ひつきぬべし。
この段では、人間関係の距離感の取り方について考察する。
一見、今さら気を使わなくてもいいじゃないかと思えるような間柄の相手でも、その時に合わせて、しかるべき時に然るべき態度を取れるかどうかというのは重要なこと。
そこに、他人を他人として尊重した上で親しんでいるのか、そうではないのかということが表れる。
短い表現の中に、現在にも通用する教訓が語られている。
「富む」とは何か 『徒然草 気まま読み』#52
今回扱うのは、第百二十三段。
重要な部分を紹介すると…
人の身に止む事を得ずして營む所、第一に食ふ物、第二に著る物、第三に居る所なり。人間の大事、この三つには過ぎず。飢ゑず、寒からず、風雨に冒されずして、しづかに過(すぐ)すを樂しみとす。但し人皆病あり。病に冒されぬれば、その愁へ忍び難し。醫療を忘るべからず。藥を加へて、四つの事、求め得ざるを貧しとす。この四つ、缺けざるを富めりとす。この四つの外を求め營むを、驕(おごり)とす。四つの事儉約ならば、誰の人か足らずとせん。
衣食住に「医」を加えているところが兼好独自の考え。この4つが揃っていれば「富」、それが満たされないのが「貧」、それ以上のものを求めるのが「驕」。実に明快な、兼好ならではの人生の価値観。