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懐かしの助っ人外国人選手 タフィ・ローズ
つべより。近鉄時代は2001年にシーズン最多本塁打55本を達成しリーグ優勝に貢献。2004年は年俸問題で巨人に移籍しセリーグ最多本塁打王を記録。巨人退団後は一旦引退するが2007年新生オリックスで復帰。2008年、新生オリックスとしては初のAクラスに入る活躍に貢献した。しかし翌年は怪我によりまたも年俸でもめて退団。現在は半引退状態らしい。
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懐かしの助っ人外国人選手 トロイ・ニール
ようつべより。メジャー時代にはマーク・マグワイアとクリーンナップを組んでいた事もある。95年に「アスレチックスの4番打者」という触れ込みでオリックスに入団。この年指名打者としてベストナインに輝くなど当時のオリックス全盛期を支えた選手の一人である。2000年オフに退団後は韓国でプレーしていたが暴力事件を起こし解雇。98年には下痢を我慢しながらホームランを放ったり、翌年にはグリーンスタジアムで結婚式を挙げている。
【オリックスブルーウェーブ】シェルドン内野手
youtubeから02~03年在籍。『メジャー時代に(消化試合で)1試合中に全ポジションを守った珍記録保持者』というあまり期待できない売り文句だった。日本では主に一・三塁を守り、1年目は26本塁打を放ったものの得点圏打率.168ととんでもなくチャンスに弱くかったうえリーグ最多の155三振を記録。2年目はオーティズ・ブラウンの現役メジャーコンビの陰に隠れあまり目立てなかった。
【大阪近鉄バファローズ】バーンズ外野手
再うp。04年在籍、登録は外野手だったがほとんどDH専門。シーズン序盤の故障が響き34試合出場、打率.252、4本塁打といまいちの成績だった。長打力のあるマリオが途中入団して以降は投手3人制(パウエル・バーン・カラスコ)に阻まれ藤井寺暮らし。(アレな画質は勘弁してください)
元日本ハムファイターズのイースラー
ただ単に、 sm2827498 の動画と sm4271503 の音声をくっつけただけです。つくったもの mylist/30146699
【東北楽天】ロペス内野手
再うp。05年在籍。序盤は大不振だったにもかかわらず選手層の薄さのおかげで三塁スタメンで使い続けられ、最終的には普通のハズレ外国人程度の数字は残した。異常に高かった得点圏打率とネタ応援のおかげでファンからの人気は高かった。
懐かしの助っ人選手 グレッグ・ラロッカ
つべより。2004年に広島と契約。当初はあまり注目されなかったが、シーズンが始まると打撃が爆発し打率3割40本塁打100打点をマークした。翌年は4番としての活躍を期待されたが多大なる故障によりオフに解雇。2006年はヤクルトと契約し、同僚のラミレス・リグスと共にクリーンナップを組んでいた。それなりの成績は残したが、シーズン途中で戦線離脱したのが影響しオフに解雇。2007年はオリックスと契約しこの年久々に規定打席に到達し、また1シーズン最多死球の記録も塗り替えた。しかしその後は怪我や同じ三塁手のバルディリスの活躍により2010年オフに解雇となった。現オリックス米駐スカウト。
懐かしの助っ人外国人選手 ヘクター・カラスコ
つべより。メジャー通算498試合登板の実績を売りに近鉄に2004年在籍。それまでクローザーを務めていた大塚が抜けてしまったので新たなクローザーとして期待されたが制球難からよく炎上が発生するため勝てる試合も負けてしまう事が多々あった。因みにこの年近鉄・オリックスの吸収合併騒動があった為、メジャー時代のストライキの経験をアドバイスをしていた。
懐かしの助っ人選手 フェルナンド・セギノール
つべより。2002年にオリックスと契約。しかし低打率により1年で解雇となる。その後ヤンキースを経て2004年に日ハムと契約。オリックス時代とは打って変わり、月刊MVP・ベストナインを受賞するなど急成長を見せた。2007年オフに解雇となり、2008年はメキシカンリーグからシーズン途中に楽天と契約。2009年オフに解雇となりその後は独立リーグでプレーしていたが、2010年途中で古巣のオリックスと契約するも調整不足を露呈するような成績しか残せず解雇となった。現巨人駐米スカウト。
懐かしの助っ人選手 ケビン・ミッチェル
つべより。メジャー通算220本塁打という実績をもった現役バリバリのメジャーリーガーとして1995年にホークスと契約。開幕戦で初打席満塁本塁打を放つという華やかなデビューを果たすもその後は低迷。しかもメジャー時代はトラブルメーカーとして名が知られ、日本でも様々なトラブルを起こした。結局、推定4億以上と言われる年俸とは不釣り合いな成績を残してオフに退団となった。
懐かしの助っ人選手 ロブ・マットソン
つべより。1998年に近鉄と契約。メジャー経験はなく(主にメキシカンリーグでプレー)また当時としてはNPBとしては珍しいナックルボーラーだった。この年はチームの勝ち星稼ぎとなり、チーム最多の9勝を挙げる。翌年は敵球団に徹底的に攻略され解雇となった。
懐かしの助っ人 グレン・ブラッグス
つべより。メジャーでは通算70本塁打を放ちワールドシリーズ制覇に貢献した実績を持つ現役バリバリのメジャーリーガーとして1993年にベイスターズと契約。29試合連続ヒットを放ち歴代助っ人の連続安打記録を更新する。翌年はベイの4番として35本塁打を放つなど凄まじい活躍を見せたが96年は死球による不調でこの年限りで引退した。ちなみに同期は後の「マシンガン打線」の一角を担ったロバート・ローズ。
懐かしの助っ人外国人選手 フリオ・フランコ
つべより。メジャー時代に3度のシルバースラッガー賞受賞・91年には首位打者を獲得した実績を評価されて95年にロッテに入団。しかし、助っ人としては長打力不足であることと当時のGMとの確執で一度退団する。その後メジャーの球団を転々とし確執相手のGMが辞任したことにより98年に再びロッテに入団。その時は助っ人では珍しくチームの主将を務めた。
懐かしの助っ人選手 コーリー・ポール
つべより。独立リーグ・台湾リーグを点々としていた所を西武に拾われ、1999年シーズン途中に契約し入団。初打席で本塁打を放つなどの活躍を見せこの年12本塁打を記録する。同期の助っ人がことごとく不発だったので来シーズンも期待されたが、2000年は新助っ人の活躍でシーズンの大半を2軍暮らしとなる。2001年はカブレラ・マクレーンのツインバズーカに隠れてしまい1軍登録なしでオフに解雇となった。
懐かしの助っ人外国人選手 ジャレッド・フェルナンデス
つべより。アストロズ時代は防御率54.00と自己ワースト記録を出している。2007年に広島へ入団。いわゆる「ナックルボーラー」と呼ばれるタイプの投手で、主にナックルを使いプレーしていた。しかし牽制は上手いものの、肝心のナックルが100km/h程しか出ないことから打ちこまれることが多く、防御率6点台とあまり活躍できずに1年限りで退団した。
チャーリー・スパイクス伝説
「ドラゴンズ最強の助っ人」という触れ込みでやってきながら、評判倒れに終わった彼が残した伝説の数々を伊集院が語ります。
懐かしの助っ人選手 マイケル・ブロワーズ
1999年に阪神と契約。メジャー時代は三度の二桁本塁打を記録した実績を持つ。
阪神時代は主に四番を務めたが、外角のスライダーに極端に弱い事が発覚してからの成績は急激に落ちた。
2年契約で総額2億2000万円の年俸に見合う成績とは言い難く、一年のシーズン途中で解雇となった。
グレン・エリック・ブラッグスのテーマ
1993年から1996年まで横浜ベイスターズに所属した助っ人外国人。ものすごいスイングと強肩、そして乱闘でファンを魅了した。この曲は、2001年ジョン・ズーバーの応援歌に流用された。2013年後半戦よりトニ・ブランコのチャンステーマに!(2013年8月追記)
懐かしの助っ人選手 メル・ホール
つべより。メジャー時代は通算134本塁打を放ち、4番を務めた実績がある。1993年にロッテと推定年俸2億2000万円で契約。主に指名打者として活躍し、チーム四冠王(打率、本塁打、打点、盗塁)に輝いた。1994年オフに退団し、95年に中日と契約するも両膝の故障で不振に陥り、1年で解雇となった。引退後はバスケの教え子の女子にわいせつな行為をしたとして逮捕された。
懐かしの助っ人選手 ベン・リベラ
つべより。メジャー時代には1993年に13勝を挙げている。中華リーグ時代は抑えとして19セーブを挙げている。1998年に阪神と契約。阪神では150km超の速球を使い抑えとして活躍しこの年27セーブを挙げる。翌年はシーズン途中までは防御率0.70、13セーブを挙げるも故障で帰国。走者を背負った場面に対しての不安定さからそのまま退団となった。現阪神タイガース中南米担当スカウト。
懐かしの助っ人 キップ・グロス
ようつべより。開幕早々に解雇となったカンポスの代わりに1994年日ハムに入団。メジャー通算は8勝しか挙げていなかったものの、3年連続二桁勝利(95、96年は最多勝を受賞)を挙げるなど日ハムの先発ローテーションを担う存在となっていた。1998年に退団し、レッドソックスでメジャー復帰を果たしている。
懐かしの助っ人選手 ハービー・プリアム
つべより。1998年にオリックスと契約。ニールと共にクリーンナップを組んでいた時期もあった。当初は成績を残せなかったがシーズン途中から急成長を遂げる。ロッテの17連敗を記録した試合で9回2アウト2ストライクから逆転のホームランを黒木から放っている。この年は18本塁打を放ち、翌年20本塁打を放っている。1999年退団。
【野球】8/16 埼玉西武vsオリックス ボカチカ自作自演!!平尾サヨナラ弾!!
2008/08/16 埼玉西武ライオンズvsオリックスバファローズブラゼル・ボカチカの致命的なエラーで7回に4失点で逆転されるも3点差の9回裏、ボカチカが起死回生同点3ラン!さらには、10回代打・平尾博嗣が完璧に捕らえた代打サヨナラホームラン!で、ライオンズ劇的勝利! mylist/7832679
【ダイエーホークス】 バークハート
2002年に1年だけ在籍。
友人との会話で話題に上げた時、誰も覚えていない(知らない)ので動画を見せようと思ったらどこにもなかったので、保持していた映像記録から引っ張り出して来ました。
1年在籍していたとはいえ、1軍にいたのは6月頃までと、オープン戦を含めても実質3ヶ月しか見ることができなかった選手なので、覚えていないのも無理はないかもしれません。
ちなロの主としてはこの映像の後半の試合、珍しく地上波で放送される試合をこの人のHRから逆転され敗戦したり、小坂選手がこの人と交錯して骨折したりしたので、印象に残っている選手でした。
また、両打ちの選手でしたが左右でフォームが全く違うのも印象的でした。
【1試合目】2002年4/24福岡
【2試合目】2002年4/29千葉
懐かしの助っ人選手 ブレント・ブリード
つべより。1999年にロッテと契約。入団当時27歳と若く、球団からの期待も高かった。開幕スタメンで起用されたが、徐々に打てなくなりシーズン途中に手術で帰国。そのまま退団した。ちなみに同期はフランク・ボーリック。登録名は「ブレイディー」。
懐かしの助っ人選手 T.ウッズ
つべより。韓国リーグで本塁打王・打点王に輝いた実績を引っ提げて2003年に横浜と契約。2003年・2004年に本塁打王に輝くもチャンスに弱い・高齢であることを理由に2004年オフに解雇。2005年からは中日と契約し、2006年に本塁打王・打点王に輝くも徐々に年齢を重ねることに衰え、2008年オフに解雇となった。