ukiyojingu+結月ゆかり『価値と承認に汚染された我々は、いつしか捧げた半分の身体に支配権を奪われていた。だからこそ、私は私の正気を取り戻すため、血の滲んだこの映像を電波に流す必要がある。』

ukiyojingu+結月ゆかり『価値と承認に汚染された我々は、いつしか捧げた半分の身体に支配権を奪われていた。だからこそ、私は私の正気を取り戻すため、血の滲んだこの映像を電波に流す必要がある。』

思考実装  #6解説: https://note.com/ukiyojingu/n/n7c910a3796b1ukiyojingu です。 電波に自身を乗せて流している私たちはすべからく、必ず他者に見てもらいたい、あるいは承認を得たいという感情を抱えている( https://note.com/ukiyojingu/n/n6e6d085c7a33 ) 。私たちはそれを無視することはできない。だが、その欲望に過剰になればなるほど、私たちはいつの間にか数学的に管理される承認そのものによって、駆動させられてしまうことにもなる。本来の目的を喪失し、数学に支配されてしまった私たちのことを、この映像では「情報空間上のゾンビ」と呼んだ。私たちは自分自身を表現したいが、それを電波に乗せている以上、ある程度のでコードを受ける必要がある。つまり、私たちは半分だけ自分自身を表現し、電波に流しているのだが、情報空間上のゾンビたちは、他者に自分の表現を伝達するためにささげた半身が逆説的に、本来の自分を汚染することによって生まれてくる存在だろう。 情報空間上のゾンビにならないために、どのような方法を考えるべきだろうか。私の血液と、私の呼吸と、私の思想は唯一無二のものであると、私は本当に言えるのだろうか。数学から解放されるにはどうしたらいいのか?音楽であることをやめればいいのだろうか?あるいは、口をつぐみ、耳を塞いで、何もしないべきなのだろうか? これまで私は、新しさを作るための試みを自分としてはやってきたつもりだ。それは時に30分間にも及ぶ日記の記述や( https://www.nicovideo.jp/watch/sm39224978 )、自身の楽曲の解体と再構築( https://www.nicovideo.jp/watch/sm39496094 )、未完成の表出( https://www.nicovideo.jp/watch/sm39481424 )、そして呼吸の挿入( https://www.nicovideo.jp/watch/sm39829243 )などだ。それらは私自身にしかできない要素を詰め込むがために作り上げられたはずだったが、どこかで限界が現れる。しかし、そこにあるものを超えることによって、何か新しい世界が見えてくる気もする。だからこそ、私は今日もこの意味不明なことを続ける必要があるのだと、考えている。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm40364529