ロッシーニ:小ミサ・ソレムニス(管弦楽版)

ロッシーニ:小ミサ・ソレムニス(管弦楽版)

Youtubeからの転載です( https://www.youtube.com/watch?v=23kxe3tl8S8 )。1863年、71歳のロッシーニはミサ・ソレムニスを作曲しました( sm43288946 )。この作品は歌手12人、伴奏はピアノ2台とハルモニウムのみという小規模編成で演奏されることから、ロッシーニは「小ミサ・ソレムニス(Petite messe solennelle)」と名付け、1864年に行われた非公開初演では、参加した聴衆の間で高く評価されました。ほどなくして、本作の出来に感動した多くの聴衆から「演奏規模を拡大した、管弦楽伴奏による編曲版を作ってほしい」という要望がロッシーニに届くようになりました。当初、ロッシーニは小規模編成による演奏こそ本作にふさわしいと考え、管弦楽への編曲に取り掛かるつもりはありませんでした。しかし1867年になって、ロッシーニは考えを改めて管弦楽編曲版を作成します。といっても、その動機は「どうせ自分が死んだ後に誰か別の作曲家が編曲するだろう。そうなれば、自分の作曲意図とかけ離れた編曲がされるに違いない。だったら、作曲者である自分があらかじめ編曲した方がずっといい」といった後ろ向きなものでしたが、ロッシーニは単なる管弦楽編曲版の作成にとどまらず、讃美歌「救いの力ある聖体よ(O salutaris hostia)」をソプラノのアリアに編曲した楽章を追加し、女声合唱を取り入れる(ロッシーニは少年合唱団の響きを嫌っていた)など、実質的に改訂版といえる出来になりました。しかし、ロッシーニが教会に演奏許可を求めたのに対して、教会は聖堂内での女声合唱を拒否し、激怒したロッシーニは「管弦楽版は自分が死ぬまで絶対に演奏するな」と要求しました。その要望通り、管弦楽版は彼の死(1868年11月13日)から約3か月後の1869年2月24日に初演されました。現在では、ロッシーニ自身が室内楽版を好んだにも関わらず、本作は管弦楽版で演奏される方が多くなっています。アレクサンドリーナ・ペンダチャンスカ(ソプラノ)マヌエラ・カスター(アルト)ステファーノ・セッコ(テノール)ミルコ・パラッツィ(バス)ミヒャエル・シェーンハイト(オルガン)リッカルド・シャイー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団ライプツィヒ・ゲヴァントハウス合唱団ライプツィヒ歌劇場合唱団Sören Eckhoff(合唱指揮)

http://www.nicovideo.jp/watch/sm43316040