ukiyojingu+結月ゆかり『境界都市のサウンドスケープ、或いは分割不能な私たちの「ずれ」を媒介とする都市の試論(もしくは私たちの不愉快なノイズにかき消された私の声を探すための、貴方による実践)』

ukiyojingu+結月ゆかり『境界都市のサウンドスケープ、或いは分割不能な私たちの「ずれ」を媒介とする都市の試論(もしくは私たちの不愉快なノイズにかき消された私の声を探すための、貴方による実践)』

非在探求#6解説: https://note.com/ukiyojingu/n/nf886f214db7d?sub_rt=share_pw この音楽は誰かに発見されたがっている。無数のノイズによって分断・かき消された声は、貴方によって発見される機会を待ち望んでいる。私たちの言葉は「薄い」のだとして、貴方はこの映像に隠された言葉に何を認識することができるのだろうか。そんな薄っぺらい私たちとは何者かを問いかけるために、このサウンドスケープは実施される。この音楽は生成AIとの対話のうえで作り上げられた。ボカコレにて生産される数多くの楽曲を含んだ合成音声音楽の世界における傾向を文章として生産してきた私のこれまでの蓄積をアルゴリズムが分析し、その傾向に対する「真逆」を意図して生成させるよう、指示を行った結果がこの音楽である。したがって、この音楽は合成音声音楽と真逆に位置するだろう。ボカコレが合成音声音楽を代表するプロジェクトなのだとしたら、この音楽はまたボカコレから最も遠く離れた楽曲であるとも言うべきかもしれない。それは多くの人間にとってきっと、不安と不快感を提供するだろう。だがしかし、そんな不安感や不快感こそ、私たちに求められるべき要素ではないだろうかと私は考えている。合成音声音楽がどこか薄っぺらいのだとしたら、その薄っぺらさの正体には現代のコミュニケーションが内包する薄っぺらさがあるのではないかと考えているからだ。合成音声音楽、ひいてはこのデジタル空間における言葉の表層化、および情動化に対する危機感について、筆者はこれまで多くの場面で提唱してきた。たった140字でユニット化された私たちの言葉は深さを知り得ず、それを起点としてあらゆるものが薄くなっているのではないかという問題意識は、合成音声音楽に限定されず、すべての事項において問題であると考えるべきことではないだろうか。もはや音楽と認定されるべきか否かの境界線に位置するであろうこの音楽は、そんな私たちの「薄さ」を解体し、奥深さを取り戻してくれるだろうか。生成されるノイズと合成されるサウンドスケープ、そこに隠された「  」を見つけること。私はそこに言語化できないような無数もの思索と感情を複雑なまま提示する。それこそ、アルゴリズムにも支配されず、また独りよがりにもならないための「海辺」だと私は考えている。無数のノイズによって分断・かき消された声は、貴方によって発見される機会を待ち望んでいるのだから。この音楽は誰かに発見されたがっている。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm45323735