浪曲|清水次郎長伝 14「石松と身受山」広沢虎造

浪曲|清水次郎長伝 14「石松と身受山」広沢虎造

讚岐の金毘羅樣に次郎長親分の代參を濟ませた森の石松は、歸りの路用で大阪と京都を見物いたしました。その清水への歸り道、草津追分に通りかゝる。その根生ひの身受山鐮太郎といふ貸元は頃日なにかと評判が好い。石松は「俺は秤ぢやあないが、ちよいとその鎌太郎といふ親分の貫禄を測ってみようかな」と考へます……────────────────なぜ今更この清水次郎長伝をポストしたかと申しますと、いま私たちが当然だと信じてゐる「平和主義」といふ主義の実態を、視聴者の皆さんと、どうしても確認する必要があると思ったからで御座います。こゝは紙幅に限りがありますので、詳しくはこの記事をお読みください。↓ https://misora-tsushin.hatenadiary.com/entry/2026/05/03/124635 ────────────────御存じ先代 広沢虎造の、この有名な次郎長伝はいったい何に取材した物語か。およそ清水次郎長の物語の原典は、ひろく黔首に膾炙してゐた次郎長の口伝を補完するかたちで著された『東海遊俠傳 一名次郎長物語』でございます。 https://dl.ndl.go.jp/pid/900130 その出來を探れば後に明治大帝の侍従になった山岡鉄舟に逢着いたします。鉄舟は幕末の剣豪であり、彼の紹介で一時次郎長に望まれて次郎長の養子になった天田五郎といふひとがあった。このひとの父は磐城国は平藩 安藤対馬守の家来、甘田平太夫といふ侍であり、後に五郎は鉄舟の門下で國學を學ぶ。この天田五郎が次郎長の恩義に報いるために記したのがかの『東海遊侠伝』でございます。するとこれは又聞きのお噺なぞではない。今日的に謂ふなれば「現場に入って取材したドキュメンタリー」なのだから、道理で眞に迫ってゐるわけです。御維新に伴って次郎長は在所に裨益する事業を起こし、本書が出版されたときには旣に貸元ではなかった。にも關はらず彼はこのとき不条理にも、新政府の「賭博犯處分規則」が遡求して咎められ、逮捕されてゐた。本書が出版されたことで次郎長への同情と支持が全国に広がり、明治17年に捕縛された次郎長であったが、翌年の18年には釋放されたのでした。────────────────この天田五郎が山岡鉄舟の門下で學んだ國學の名著を復刊いたしました。 https://amzn.asia/d/eEXyv51

http://www.nicovideo.jp/watch/sm46484511