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【講義アーカイブ】「思想」から考える日本仏教の歴史 第一回(講師:亀山隆彦)[2021年3月14日]
この動画は、「上七軒文庫チャンネル in シラス」 https://shirasu.io/c/kami7kenbunkoshirasu で開講している連続講義「「思想」から考える日本仏教の歴史」の講義アーカイブです。毎月1日、15日に1回分ずつアップロードしていく予定です。
この番組は「思想」という視点から、日本の各時代(各地域)の仏教の特徴を解説する入門講義です。末木文美士、ベルナール・フォール、阿部龍一等、国内外の最新の研究成果を踏まえ、古代、中世、近世、そして現代日本のそれぞれで展開した仏教思想について分かりやすくお話しするつもりです。
第一回の講義は、講師自身のこれまでの研究・講義活動の成果を題材に、本講義の中核にある問題意識、日本仏教思想を読み解く視点がどのようなものか、お話できればと思います。よろしくお願いします。
【講義アーカイブ】『成唯識論』を読む 第27回(講師:師茂樹)[2022年3月9日]
『成唯識論』(じょうゆいしきろん)は、唯識思想を大成したとされる世親(ヴァスバンドゥ)の『唯識三十頌』に対する注釈書を、三蔵法師・玄奘(602-664)が編集・翻訳したとされる文献です。冒頭(第1〜2巻)で我(アートマン)と法(ダルマ)の実在を主張する諸説を徹底的に批判したあと、唯識思想の大きな特徴である八識説、すなわちアーラヤ識(第2〜4巻)、マナ識(第4〜5巻)、六識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)と煩悩などの心所法(第5〜7巻)について説明されます。続いて、あらゆるものが識を離れないこと(一切唯識)について説明され(第7〜8巻)、空思想の唯識思想的説明である三性・三無性説が説かれます(第8〜9巻)。そして最後の第10巻では、修行の階梯が明らかにされます。
※ 今回も第3巻を読み進めています。
東アジアにおける唯識思想はこの『成唯識論』の注釈・解釈を中心に発展しました。前近代の日本仏教において大きな勢力を持っていた興福寺が、根本聖典の一つとしていたことでも知られています。東アジア仏教、日本仏教を考える上で大変重要な文献です。
これほど重要なテキストでありながら、現在のところ『成唯識論』を手軽に読めるような状況ではありません。本講義は、『成唯識論』の通読を試みるものです(したがって、全何回になるかはわかりません)。あまり細かい議論を追いかけることはせず、最後までたどり着くことを目指します。
※ レジュメ( http://ow.ly/ijYf30scUN8 )と現代語訳( http://ow.ly/VtQe30s70km )を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。今回は、現代語訳の135ページ「上座部による擁護」から読んでいます。
【遊心×道宣×飲茶】仏教の未来と『大僧正 島耕作』
曹洞宗の遊心さん、道宣さんと仏教の未来や可能性について語りました。
『大僧正 島耕作』構想についても!仏教界にもサラリーマン的な要素があるんですね!案外、島耕作的な人が仏教界を変えてくれるかも。
【講義アーカイブ】『五輪九字明秘密釈』を読む 第20回(講師:亀山隆彦)[2022年2月23日]
院政期を代表する真言密教僧、覚鑁(1095~1144)には既にまとまった研究がいくつも存在するが、それらは等しくある研究課題を克服できないままと考える。日本仏教史であれ真言密教史であれ、従来の研究は常に覚鑁を一つないし複数の思想潮流の「中途」に位置付け、その観点からしか同僧とその思想の意義を分析してこなかった。
具体例をいくつか挙げておくと、覚鑁は空海没後、荒廃の極みにあった高野山と真言教学を「復興」し、後の真言宗隆盛の礎を作ったと先ず主張される。あるいは鎌倉中期の頼瑜(1226~1304)に先んじて、後の新義真言教学の基礎を樹立したともいわれる。さらに平安「旧」仏教から鎌倉「新」仏教への転換期に生き、それらの橋渡し役となる、法然や親鸞にとっての先駆の役割を果たしたと説かれることもある。今日の古義と新義の両真言宗、あるいは鎌倉「新」仏教を目的地とする道程の途中に、覚鑁のための場が設けられてきた。
フランスの哲学者であるルイ・アルチュセール(1918~1990)の言葉を借りれば、覚鑁は常に「目的地」を想定し「前未来形」で書かれる歴史の中で解釈され、その外に出ることは稀であった。このような「目的論的」(teleological)な理解から覚鑁とその言葉を解放し、同僧の思想の全体性・体系性を回復することこそが、本講義の最終的な目標である。
具体的には平安末期の日本仏教界と真言密教の状況を細かく把握した上で、覚鑁の主著ともいわれる『五輪九字明秘密釈』の読解を試みる。『五輪九字明秘密釈』は、非常に複雑な構造を有す文献でありながら、例えばその「密教浄土教」的な主張ばかり強調される等、総体として本書を読む試みはほとんどなされてこなかった。本講義では、まさにこの『五輪九字明秘密釈』を総体として読み、その中に隠された体系を解明すると共に、覚鑁の言葉や思考を規定していただろう深層の「規範」(paradigm)についても分析したい。
※ この講義の配布資料( http://ow.ly/Sr2630scu97 )を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
2022.2.28【不動護摩供】11時
◆吉祥寺チャンネルへようこそ!山梨県上野原市秋山にあるお寺です。お寺の行事やその他の動画を紹介しています。 チャンネル入会・フォローをしていただき応援いただけると嬉しいです。 ♦毎月28日のお不動様の御縁日の配信は会員限定になります。 【会員の方で祈願希望者は始まる前にメッセージを頂ければご祈願させていただきます。】ユーチューブhttps://www.youtube.com/channel/UC059yZhV54RMCtk5MOHdOMw 住職の仏画ギャラリーインスタグラム http://instagram.com/akiyamafudo/ ツイッター https://twitter.com/akiyamafudo ご祈願・ご供養の依頼、お悩み相談等はこちらまでメールしてください [email protected]
【遊心×道宣×飲茶】曹洞宗の禅僧に「世襲坊主界VS野良坊主界」の戦いを聞いてみた
曹洞宗の大本山で修行したガチ禅僧さんに「お坊さんってやっぱり世襲なの?ガチで仏教を志す人はいるの?」的なこと聞いてみました。
【講義アーカイブ】『成唯識論』を読む 第26回(講師:師茂樹)[2022年2月9日]
『成唯識論』(じょうゆいしきろん)は、唯識思想を大成したとされる世親(ヴァスバンドゥ)の『唯識三十頌』に対する注釈書を、三蔵法師・玄奘(602-664)が編集・翻訳したとされる文献です。冒頭(第1〜2巻)で我(アートマン)と法(ダルマ)の実在を主張する諸説を徹底的に批判したあと、唯識思想の大きな特徴である八識説、すなわちアーラヤ識(第2〜4巻)、マナ識(第4〜5巻)、六識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)と煩悩などの心所法(第5〜7巻)について説明されます。続いて、あらゆるものが識を離れないこと(一切唯識)について説明され(第7〜8巻)、空思想の唯識思想的説明である三性・三無性説が説かれます(第8〜9巻)。そして最後の第10巻では、修行の階梯が明らかにされます。
※ 今回も第3巻を読み進めています。
東アジアにおける唯識思想はこの『成唯識論』の注釈・解釈を中心に発展しました。前近代の日本仏教において大きな勢力を持っていた興福寺が、根本聖典の一つとしていたことでも知られています。東アジア仏教、日本仏教を考える上で大変重要な文献です。
これほど重要なテキストでありながら、現在のところ『成唯識論』を手軽に読めるような状況ではありません。本講義は、『成唯識論』の通読を試みるものです(したがって、全何回になるかはわかりません)。あまり細かい議論を追いかけることはせず、最後までたどり着くことを目指します。
※ レジュメ( http://ow.ly/l5Rl30sa6jG )と現代語訳( http://ow.ly/VtQe30s70km )を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。今回は、現代語訳の131ページから読んでいます。
【毘沙門天咒】7返 必勝祈願・邪気祓い・商売繁盛・仏法守護等
毘沙門天咒【オンベイシラマンダヤソワカ】
種字はベイ
四天王の一尊多聞天と同体。
七福神の一神でもあります。
武神でもある毘沙門天は戦国時代に多くの武将から信仰されていました。上杉謙信が毘沙門天を篤く信仰し、自らを毘沙門天の生まれ変わりであると称していたのは有名な話です。
御真言は3回か、7回か、21回か、108回唱えます。
※宗派や伝によって唱え方は様々です。
この動画が皆様のお役に立てば幸いです。□
コメントやgoodボタン・チャンネルフォローを押していただけると嬉しいです。(‘∀‘)
Kichijoji is a temple of the Koyasan Shingonsect.
Introducing how to chant sutras and mantras.
We hope that the Shingon Esoteric Buddhism transmitted by Kukai will be useful in your life.
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ご視聴いただきましてありがとうございます。□
毎月28日には、不動護摩供を厳修し皆様の祈願をお祈りしております。どなたでもご参拝いただけます。ニコニコで生放送を配信しています。(会員限定)
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【講義アーカイブ】『五輪九字明秘密釈』を読む 第19回(講師:亀山隆彦)[2022年1月26日]
院政期を代表する真言密教僧、覚鑁(1095~1144)には既にまとまった研究がいくつも存在するが、それらは等しくある研究課題を克服できないままと考える。日本仏教史であれ真言密教史であれ、従来の研究は常に覚鑁を一つないし複数の思想潮流の「中途」に位置付け、その観点からしか同僧とその思想の意義を分析してこなかった。
具体例をいくつか挙げておくと、覚鑁は空海没後、荒廃の極みにあった高野山と真言教学を「復興」し、後の真言宗隆盛の礎を作ったと先ず主張される。あるいは鎌倉中期の頼瑜(1226~1304)に先んじて、後の新義真言教学の基礎を樹立したともいわれる。さらに平安「旧」仏教から鎌倉「新」仏教への転換期に生き、それらの橋渡し役となる、法然や親鸞にとっての先駆の役割を果たしたと説かれることもある。今日の古義と新義の両真言宗、あるいは鎌倉「新」仏教を目的地とする道程の途中に、覚鑁のための場が設けられてきた。
フランスの哲学者であるルイ・アルチュセール(1918~1990)の言葉を借りれば、覚鑁は常に「目的地」を想定し「前未来形」で書かれる歴史の中で解釈され、その外に出ることは稀であった。このような「目的論的」(teleological)な理解から覚鑁とその言葉を解放し、同僧の思想の全体性・体系性を回復することこそが、本講義の最終的な目標である。
具体的には平安末期の日本仏教界と真言密教の状況を細かく把握した上で、覚鑁の主著ともいわれる『五輪九字明秘密釈』の読解を試みる。『五輪九字明秘密釈』は、非常に複雑な構造を有す文献でありながら、例えばその「密教浄土教」的な主張ばかり強調される等、総体として本書を読む試みはほとんどなされてこなかった。本講義では、まさにこの『五輪九字明秘密釈』を総体として読み、その中に隠された体系を解明すると共に、覚鑁の言葉や思考を規定していただろう深層の「規範」(paradigm)についても分析したい。
※ この講義の配布資料( http://ow.ly/aMha30s8ZOX )を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
【講義アーカイブ】『成唯識論』を読む 第25回(講師:師茂樹)[2022年1月12日]
『成唯識論』(じょうゆいしきろん)は、唯識思想を大成したとされる世親(ヴァスバンドゥ)の『唯識三十頌』に対する注釈書を、三蔵法師・玄奘(602-664)が編集・翻訳したとされる文献です。冒頭(第1〜2巻)で我(アートマン)と法(ダルマ)の実在を主張する諸説を徹底的に批判したあと、唯識思想の大きな特徴である八識説、すなわちアーラヤ識(第2〜4巻)、マナ識(第4〜5巻)、六識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)と煩悩などの心所法(第5〜7巻)について説明されます。続いて、あらゆるものが識を離れないこと(一切唯識)について説明され(第7〜8巻)、空思想の唯識思想的説明である三性・三無性説が説かれます(第8〜9巻)。そして最後の第10巻では、修行の階梯が明らかにされます。
※ 今回も第3巻を読み進めています。
東アジアにおける唯識思想はこの『成唯識論』の注釈・解釈を中心に発展しました。前近代の日本仏教において大きな勢力を持っていた興福寺が、根本聖典の一つとしていたことでも知られています。東アジア仏教、日本仏教を考える上で大変重要な文献です。
これほど重要なテキストでありながら、現在のところ『成唯識論』を手軽に読めるような状況ではありません。本講義は、『成唯識論』の通読を試みるものです(したがって、全何回になるかはわかりません)。あまり細かい議論を追いかけることはせず、最後までたどり着くことを目指します。
※ レジュメ( http://ow.ly/gZVY30s70ke )と現代語訳( http://ow.ly/VtQe30s70km )を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。今回は、現代語訳の127ページから読んでいます。
【講義アーカイブ】『五輪九字明秘密釈』を読む 第18回(講師:亀山隆彦)[2021年12月22日]
院政期を代表する真言密教僧、覚鑁(1095~1144)には既にまとまった研究がいくつも存在するが、それらは等しくある研究課題を克服できないままと考える。日本仏教史であれ真言密教史であれ、従来の研究は常に覚鑁を一つないし複数の思想潮流の「中途」に位置付け、その観点からしか同僧とその思想の意義を分析してこなかった。
具体例をいくつか挙げておくと、覚鑁は空海没後、荒廃の極みにあった高野山と真言教学を「復興」し、後の真言宗隆盛の礎を作ったと先ず主張される。あるいは鎌倉中期の頼瑜(1226~1304)に先んじて、後の新義真言教学の基礎を樹立したともいわれる。さらに平安「旧」仏教から鎌倉「新」仏教への転換期に生き、それらの橋渡し役となる、法然や親鸞にとっての先駆の役割を果たしたと説かれることもある。今日の古義と新義の両真言宗、あるいは鎌倉「新」仏教を目的地とする道程の途中に、覚鑁のための場が設けられてきた。
フランスの哲学者であるルイ・アルチュセール(1918~1990)の言葉を借りれば、覚鑁は常に「目的地」を想定し「前未来形」で書かれる歴史の中で解釈され、その外に出ることは稀であった。このような「目的論的」(teleological)な理解から覚鑁とその言葉を解放し、同僧の思想の全体性・体系性を回復することこそが、本講義の最終的な目標である。
具体的には平安末期の日本仏教界と真言密教の状況を細かく把握した上で、覚鑁の主著ともいわれる『五輪九字明秘密釈』の読解を試みる。『五輪九字明秘密釈』は、非常に複雑な構造を有す文献でありながら、例えばその「密教浄土教」的な主張ばかり強調される等、総体として本書を読む試みはほとんどなされてこなかった。本講義では、まさにこの『五輪九字明秘密釈』を総体として読み、その中に隠された体系を解明すると共に、覚鑁の言葉や思考を規定していただろう深層の「規範」(paradigm)についても分析したい。
※ この講義の配布資料( http://ow.ly/U32e30s5l0A )を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
<告知映像>VR作品『空海 祈りの形』
弘法大師 空海が、言葉では表現できない究極の教えを伝えるために作り上げた「祈りの形」とは。
804年、空海は留学僧として唐に渡り、密教の正統な後継者となります。そして、人々を救う真の教えを日本に持ち帰りました。823年に東寺を帝より託された空海は、密教の教えの中心となる建物を講堂と位置づけ、その建築に取りかかります。講堂内部に空海が作り上げたものとは、言葉では表現できない究極の教えを伝えるための世界。
密教彫刻の傑作とされている東寺講堂 立体曼荼羅の魅力をVRで解き明かしてゆきます。
本編配信は終了しました。(2021年10月13日~12月25日)
【講義アーカイブ】『成唯識論』を読む 第24回(講師:師茂樹)[2021年12月8日]
『成唯識論』(じょうゆいしきろん)は、唯識思想を大成したとされる世親(ヴァスバンドゥ)の『唯識三十頌』に対する注釈書を、三蔵法師・玄奘(602-664)が編集・翻訳したとされる文献です。冒頭(第1〜2巻)で我(アートマン)と法(ダルマ)の実在を主張する諸説を徹底的に批判したあと、唯識思想の大きな特徴である八識説、すなわちアーラヤ識(第2〜4巻)、マナ識(第4〜5巻)、六識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)と煩悩などの心所法(第5〜7巻)について説明されます。続いて、あらゆるものが識を離れないこと(一切唯識)について説明され(第7〜8巻)、空思想の唯識思想的説明である三性・三無性説が説かれます(第8〜9巻)。そして最後の第10巻では、修行の階梯が明らかにされます。
※ 今回も第3巻を読み進めています。
東アジアにおける唯識思想はこの『成唯識論』の注釈・解釈を中心に発展しました。前近代の日本仏教において大きな勢力を持っていた興福寺が、根本聖典の一つとしていたことでも知られています。東アジア仏教、日本仏教を考える上で大変重要な文献です。
これほど重要なテキストでありながら、現在のところ『成唯識論』を手軽に読めるような状況ではありません。本講義は、『成唯識論』の通読を試みるものです(したがって、全何回になるかはわかりません)。あまり細かい議論を追いかけることはせず、最後までたどり着くことを目指します。
※ レジュメ( http://ow.ly/Zumu30s3hki )と現代語訳( http://ow.ly/mjfz30s01mO )を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。今回は、現代語訳の123ページから読んでいます。
【講義アーカイブ】『五輪九字明秘密釈』を読む 第17回(講師:亀山隆彦)[2021年11月24日]
院政期を代表する真言密教僧、覚鑁(1095~1144)には既にまとまった研究がいくつも存在するが、それらは等しくある研究課題を克服できないままと考える。日本仏教史であれ真言密教史であれ、従来の研究は常に覚鑁を一つないし複数の思想潮流の「中途」に位置付け、その観点からしか同僧とその思想の意義を分析してこなかった。
具体例をいくつか挙げておくと、覚鑁は空海没後、荒廃の極みにあった高野山と真言教学を「復興」し、後の真言宗隆盛の礎を作ったと先ず主張される。あるいは鎌倉中期の頼瑜(1226~1304)に先んじて、後の新義真言教学の基礎を樹立したともいわれる。さらに平安「旧」仏教から鎌倉「新」仏教への転換期に生き、それらの橋渡し役となる、法然や親鸞にとっての先駆の役割を果たしたと説かれることもある。今日の古義と新義の両真言宗、あるいは鎌倉「新」仏教を目的地とする道程の途中に、覚鑁のための場が設けられてきた。
フランスの哲学者であるルイ・アルチュセール(1918~1990)の言葉を借りれば、覚鑁は常に「目的地」を想定し「前未来形」で書かれる歴史の中で解釈され、その外に出ることは稀であった。このような「目的論的」(teleological)な理解から覚鑁とその言葉を解放し、同僧の思想の全体性・体系性を回復することこそが、本講義の最終的な目標である。
具体的には平安末期の日本仏教界と真言密教の状況を細かく把握した上で、覚鑁の主著ともいわれる『五輪九字明秘密釈』の読解を試みる。『五輪九字明秘密釈』は、非常に複雑な構造を有す文献でありながら、例えばその「密教浄土教」的な主張ばかり強調される等、総体として本書を読む試みはほとんどなされてこなかった。本講義では、まさにこの『五輪九字明秘密釈』を総体として読み、その中に隠された体系を解明すると共に、覚鑁の言葉や思考を規定していただろう深層の「規範」(paradigm)についても分析したい。
※ この講義の配布資料( http://ow.ly/8v3S30s1Ivu )を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
【講義アーカイブ】『五輪九字明秘密釈』を読む 第16回(講師:亀山隆彦)[2021年10月27日]
院政期を代表する真言密教僧、覚鑁(1095~1144)には既にまとまった研究がいくつも存在するが、それらは等しくある研究課題を克服できないままと考える。日本仏教史であれ真言密教史であれ、従来の研究は常に覚鑁を一つないし複数の思想潮流の「中途」に位置付け、その観点からしか同僧とその思想の意義を分析してこなかった。
具体例をいくつか挙げておくと、覚鑁は空海没後、荒廃の極みにあった高野山と真言教学を「復興」し、後の真言宗隆盛の礎を作ったと先ず主張される。あるいは鎌倉中期の頼瑜(1226~1304)に先んじて、後の新義真言教学の基礎を樹立したともいわれる。さらに平安「旧」仏教から鎌倉「新」仏教への転換期に生き、それらの橋渡し役となる、法然や親鸞にとっての先駆の役割を果たしたと説かれることもある。今日の古義と新義の両真言宗、あるいは鎌倉「新」仏教を目的地とする道程の途中に、覚鑁のための場が設けられてきた。
フランスの哲学者であるルイ・アルチュセール(1918~1990)の言葉を借りれば、覚鑁は常に「目的地」を想定し「前未来形」で書かれる歴史の中で解釈され、その外に出ることは稀であった。このような「目的論的」(teleological)な理解から覚鑁とその言葉を解放し、同僧の思想の全体性・体系性を回復することこそが、本講義の最終的な目標である。
具体的には平安末期の日本仏教界と真言密教の状況を細かく把握した上で、覚鑁の主著ともいわれる『五輪九字明秘密釈』の読解を試みる。『五輪九字明秘密釈』は、非常に複雑な構造を有す文献でありながら、例えばその「密教浄土教」的な主張ばかり強調される等、総体として本書を読む試みはほとんどなされてこなかった。本講義では、まさにこの『五輪九字明秘密釈』を総体として読み、その中に隠された体系を解明すると共に、覚鑁の言葉や思考を規定していただろう深層の「規範」(paradigm)についても分析したい。
※ この講義の配布資料( http://ow.ly/I4rS30s05ry )を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
【講義アーカイブ】『成唯識論』を読む 第23回(講師:師茂樹)[2021年11月10日]
『成唯識論』(じょうゆいしきろん)は、唯識思想を大成したとされる世親(ヴァスバンドゥ)の『唯識三十頌』に対する注釈書を、三蔵法師・玄奘(602-664)が編集・翻訳したとされる文献です。冒頭(第1〜2巻)で我(アートマン)と法(ダルマ)の実在を主張する諸説を徹底的に批判したあと、唯識思想の大きな特徴である八識説、すなわちアーラヤ識(第2〜4巻)、マナ識(第4〜5巻)、六識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)と煩悩などの心所法(第5〜7巻)について説明されます。続いて、あらゆるものが識を離れないこと(一切唯識)について説明され(第7〜8巻)、空思想の唯識思想的説明である三性・三無性説が説かれます(第8〜9巻)。そして最後の第10巻では、修行の階梯が明らかにされます。
※ 今回から第3巻を読み始めています。
東アジアにおける唯識思想はこの『成唯識論』の注釈・解釈を中心に発展しました。前近代の日本仏教において大きな勢力を持っていた興福寺が、根本聖典の一つとしていたことでも知られています。東アジア仏教、日本仏教を考える上で大変重要な文献です。
これほど重要なテキストでありながら、現在のところ『成唯識論』を手軽に読めるような状況ではありません。本講義は、『成唯識論』の通読を試みるものです(したがって、全何回になるかはわかりません)。あまり細かい議論を追いかけることはせず、最後までたどり着くことを目指します。
※ レジュメ( http://ow.ly/9CYI30s01mN )と現代語訳( http://ow.ly/mjfz30s01mO )を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。今回は、現代語訳の118ページから読んでいます。
【ウイグルの声#49】日本企業は大歓迎?北京五輪はなぜ問題か / ウイグルと仏教の歴史[R3/10/26]
「ウイグルの声」Uyghurlar Awazi は、中国共産党により民族浄化の危機にあるウイグル人の現状やニュース・文化・歴史等を多言語でご紹介する番組です。
進行:
グリスタン・エズズ(日本ウイグル協会)
三浦小太郎(評論家 / 日本ウイグル協会)
『Uyghurlar Awazi』Puroguramimiz Xitay tajawuz chilirining Uyghurlargha qaritaelip beriwatqan atmulatsiye siyasiti astida Yoqulush girdawigha duch kiliwatqan Uyghurlarning Medeniyiti, Tarixi we Hazirqi ehwallirini koptilliq shekilde Dunyagha tarqitishni mexset qilidu.
日本ウイグル協会
http://uyghur-j.org
◆ウイグル「ジェノサイド」国会議員アンケート・集計結果
http://www.ch-sakura.jp/1633.html
◆有料番組 ch桜大学開校!
https://sakura-daigaku.jp/
◆チャンネル桜・別館
https://www.youtube.com/channel/UCGbSDhzR4hbRAmSuRK-z_ng
※チャンネル桜では、自由且つ独立不羈の放送を守るため、『日本文化チャンネル桜二千人委員会』の会員を募集しております。以下のページでご案内申し上げておりますので、全国草莽の皆様のご理解、ご協力を、何卒宜しくお願い申し上げます。
http://www.ch-sakura.jp/579.html
◆チャンネル桜公式HP
http://www.ch-sakura.jp/
荒神咒 21返 火と竈の神
荒神咒 【おんけんばやけんばやそわか】
火と竈の神であり、神棚は家の中で最も清浄な場所である台所に祀られています。
功徳(不浄浄化・火難除去・除災・厄除け・除病・仏法守護など)
御真言は3回か、7回か、21回か、108回唱えます。□
※宗派や伝により唱え方は様々です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ご視聴いただきましてありがとうございます。□
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【講義アーカイブ】『成唯識論』を読む 第22回(講師:師茂樹)[2021年10月13日]
『成唯識論』(じょうゆいしきろん)は、唯識思想を大成したとされる世親(ヴァスバンドゥ)の『唯識三十頌』に対する注釈書を、三蔵法師・玄奘(602-664)が編集・翻訳したとされる文献です。冒頭(第1〜2巻)で我(アートマン)と法(ダルマ)の実在を主張する諸説を徹底的に批判したあと、唯識思想の大きな特徴である八識説、すなわちアーラヤ識(第2〜4巻)、マナ識(第4〜5巻)、六識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)と煩悩などの心所法(第5〜7巻)について説明されます。続いて、あらゆるものが識を離れないこと(一切唯識)について説明され(第7〜8巻)、空思想の唯識思想的説明である三性・三無性説が説かれます(第8〜9巻)。そして最後の第10巻では、修行の階梯が明らかにされます。
東アジアにおける唯識思想はこの『成唯識論』の注釈・解釈を中心に発展しました。前近代の日本仏教において大きな勢力を持っていた興福寺が、根本聖典の一つとしていたことでも知られています。東アジア仏教、日本仏教を考える上で大変重要な文献です。
これほど重要なテキストでありながら、現在のところ『成唯識論』を手軽に読めるような状況ではありません。本講義は、『成唯識論』の通読を試みるものです(したがって、全何回になるかはわかりません)。あまり細かい議論を追いかけることはせず、最後までたどり着くことを目指します。
※ レジュメ( http://ow.ly/ehWj30rWSMI )と現代語訳( http://ow.ly/XJTv30rNN7N )を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。今回は、現代語訳の113ページから読んでいます。
※ 今回で第2巻を読み終わりました!
【講義アーカイブ】『五輪九字明秘密釈』を読む 第15回(講師:亀山隆彦)[2021年9月29日]
院政期を代表する真言密教僧、覚鑁(1095~1144)には既にまとまった研究がいくつも存在するが、それらは等しくある研究課題を克服できないままと考える。日本仏教史であれ真言密教史であれ、従来の研究は常に覚鑁を一つないし複数の思想潮流の「中途」に位置付け、その観点からしか同僧とその思想の意義を分析してこなかった。
具体例をいくつか挙げておくと、覚鑁は空海没後、荒廃の極みにあった高野山と真言教学を「復興」し、後の真言宗隆盛の礎を作ったと先ず主張される。あるいは鎌倉中期の頼瑜(1226~1304)に先んじて、後の新義真言教学の基礎を樹立したともいわれる。さらに平安「旧」仏教から鎌倉「新」仏教への転換期に生き、それらの橋渡し役となる、法然や親鸞にとっての先駆の役割を果たしたと説かれることもある。今日の古義と新義の両真言宗、あるいは鎌倉「新」仏教を目的地とする道程の途中に、覚鑁のための場が設けられてきた。
フランスの哲学者であるルイ・アルチュセール(1918~1990)の言葉を借りれば、覚鑁は常に「目的地」を想定し「前未来形」で書かれる歴史の中で解釈され、その外に出ることは稀であった。このような「目的論的」(teleological)な理解から覚鑁とその言葉を解放し、同僧の思想の全体性・体系性を回復することこそが、本講義の最終的な目標である。
具体的には平安末期の日本仏教界と真言密教の状況を細かく把握した上で、覚鑁の主著ともいわれる『五輪九字明秘密釈』の読解を試みる。『五輪九字明秘密釈』は、非常に複雑な構造を有す文献でありながら、例えばその「密教浄土教」的な主張ばかり強調される等、総体として本書を読む試みはほとんどなされてこなかった。本講義では、まさにこの『五輪九字明秘密釈』を総体として読み、その中に隠された体系を解明すると共に、覚鑁の言葉や思考を規定していただろう深層の「規範」(paradigm)についても分析したい。
※ この講義の配布資料( http://ow.ly/rxSp30rVM2P )を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
【講義アーカイブ】『成唯識論』を読む 第21回(講師:師茂樹)[2021年9月22日]
※ レジュメ( http://ow.ly/n1yt30rUImK )と現代語訳( http://ow.ly/XJTv30rNN7N )を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。今回は、現代語訳の109ページ・下から2行目から読んでいます。
『成唯識論』(じょうゆいしきろん)は、唯識思想を大成したとされる世親(ヴァスバンドゥ)の『唯識三十頌』に対する注釈書を、三蔵法師・玄奘(602-664)が編集・翻訳したとされる文献です。冒頭(第1〜2巻)で我(アートマン)と法(ダルマ)の実在を主張する諸説を徹底的に批判したあと、唯識思想の大きな特徴である八識説、すなわちアーラヤ識(第2〜4巻)、マナ識(第4〜5巻)、六識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)と煩悩などの心所法(第5〜7巻)について説明されます。続いて、あらゆるものが識を離れないこと(一切唯識)について説明され(第7〜8巻)、空思想の唯識思想的説明である三性・三無性説が説かれます(第8〜9巻)。そして最後の第10巻では、修行の階梯が明らかにされます。
東アジアにおける唯識思想はこの『成唯識論』の注釈・解釈を中心に発展しました。前近代の日本仏教において大きな勢力を持っていた興福寺が、根本聖典の一つとしていたことでも知られています。東アジア仏教、日本仏教を考える上で大変重要な文献です。
これほど重要なテキストでありながら、現在のところ『成唯識論』を手軽に読めるような状況ではありません。本講義は、『成唯識論』の通読を試みるものです(したがって、全何回になるかはわかりません)。あまり細かい議論を追いかけることはせず、最後までたどり着くことを目指します。
【講義アーカイブ】“空有の論争”とは何か 日本編(講師:師茂樹)[2021年8月28日]
※ レジュメ( http://ow.ly/hymA30rSivW )を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
7世紀後半にインドを旅した義浄『南海寄帰内法伝』によれば、インドの大乗仏教には「中観」と「瑜伽」という二つの学派があったという。前者は、ナーガールジュナ(龍樹、2〜3世紀)の『根本中頌(中論)』で確立された空の理論を重視する学派であり、6世紀頃に活躍しバーヴィヴェーカ(清弁)が「中観派」を自称するようになる。一方後者は、「ヨーガを実践する人々」(ヨーガチャーラ)とよばれた人々が、空の理論や経量部の学説などを取り入れ、アーラヤ識説や三性説をはじめとする理論体系を構築した学派である。瑜伽行派、瑜伽行唯識派などと言われている。
両派のあいだでは、空の理解について違いがあったため、「有空諍論」「空有の論争」「無と有との対論」などとよばれる論争があったと言われている。実際、両派の著作には、お互いを批判するような言説が見られる。しかし、玄奘の『大唐西域記』などでは、論争がなかったかのような記事も見られる。玄奘の弟子たちの著作のなかでは、バーヴィヴェーカを強く批判する者がいる一方、両者のあいだには論争はなかった、という者もおり、様々な議論が展開された。
日本に仏教が伝わり、奈良時代になると、ナーガールジュナの著作にもとづく三論宗と、瑜伽行唯識派の流れをくむ法相宗のあいだで様々な対立が起きた。中国ではじまった三論宗においてバーヴィヴェーカの著作が研究されることはなかったが、日本の三論宗はバーヴィヴェーカの著作を自宗のものとして受け入れ、法相宗とのあいだでインド以来の議論を繰り返すような論争が行われた。
本講義では、インドから日本に至る「空有の論争」について、その連続性と断絶とを意識しながら、解説したい。
※ この動画は、インド〜日本編です。
【講義アーカイブ】『五輪九字明秘密釈』を読む 第14回(講師:亀山隆彦)[2021年8月25日]
※ この講義のレジュメ( http://ow.ly/1Ind30rSoRn )を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
院政期を代表する真言密教僧、覚鑁(1095~1144)には既にまとまった研究がいくつも存在するが、それらは等しくある研究課題を克服できないままと考える。日本仏教史であれ真言密教史であれ、従来の研究は常に覚鑁を一つないし複数の思想潮流の「中途」に位置付け、その観点からしか同僧とその思想の意義を分析してこなかった。
具体例をいくつか挙げておくと、覚鑁は空海没後、荒廃の極みにあった高野山と真言教学を「復興」し、後の真言宗隆盛の礎を作ったと先ず主張される。あるいは鎌倉中期の頼瑜(1226~1304)に先んじて、後の新義真言教学の基礎を樹立したともいわれる。さらに平安「旧」仏教から鎌倉「新」仏教への転換期に生き、それらの橋渡し役となる、法然や親鸞にとっての先駆の役割を果たしたと説かれることもある。今日の古義と新義の両真言宗、あるいは鎌倉「新」仏教を目的地とする道程の途中に、覚鑁のための場が設けられてきた。
フランスの哲学者であるルイ・アルチュセール(1918~1990)の言葉を借りれば、覚鑁は常に「目的地」を想定し「前未来形」で書かれる歴史の中で解釈され、その外に出ることは稀であった。このような「目的論的」(teleological)な理解から覚鑁とその言葉を解放し、同僧の思想の全体性・体系性を回復することこそが、本講義の最終的な目標である。
具体的には平安末期の日本仏教界と真言密教の状況を細かく把握した上で、覚鑁の主著ともいわれる『五輪九字明秘密釈』の読解を試みる。『五輪九字明秘密釈』は、非常に複雑な構造を有す文献でありながら、例えばその「密教浄土教」的な主張ばかり強調される等、総体として本書を読む試みはほとんどなされてこなかった。本講義では、まさにこの『五輪九字明秘密釈』を総体として読み、その中に隠された体系を解明すると共に、覚鑁の言葉や思考を規定していただろう深層の「規範」(paradigm)についても分析したい。
【講義アーカイブ】“空有の論争”とは何か インド〜中国・朝鮮半島編(講師:師茂樹)[2021年8月14日]
※ レジュメ( http://ow.ly/zeh830rQZmD )を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
7世紀後半にインドを旅した義浄『南海寄帰内法伝』によれば、インドの大乗仏教には「中観」と「瑜伽」という二つの学派があったという。前者は、ナーガールジュナ(龍樹、2〜3世紀)の『根本中頌(中論)』で確立された空の理論を重視する学派であり、6世紀頃に活躍しバーヴィヴェーカ(清弁)が「中観派」を自称するようになる。一方後者は、「ヨーガを実践する人々」(ヨーガチャーラ)とよばれた人々が、空の理論や経量部の学説などを取り入れ、アーラヤ識説や三性説をはじめとする理論体系を構築した学派である。瑜伽行派、瑜伽行唯識派などと言われている。
両派のあいだでは、空の理解について違いがあったため、「有空諍論」「空有の論争」「無と有との対論」などとよばれる論争があったと言われている。実際、両派の著作には、お互いを批判するような言説が見られる。しかし、玄奘の『大唐西域記』などでは、論争がなかったかのような記事も見られる。玄奘の弟子たちの著作のなかでは、バーヴィヴェーカを強く批判する者がいる一方、両者のあいだには論争はなかった、という者もおり、様々な議論が展開された。
日本に仏教が伝わり、奈良時代になると、ナーガールジュナの著作にもとづく三論宗と、瑜伽行唯識派の流れをくむ法相宗のあいだで様々な対立が起きた。中国ではじまった三論宗においてバーヴィヴェーカの著作が研究されることはなかったが、日本の三論宗はバーヴィヴェーカの著作を自宗のものとして受け入れ、法相宗とのあいだでインド以来の議論を繰り返すような論争が行われた。
本講義では、インドから日本に至る「空有の論争」について、その連続性と断絶とを意識しながら、解説したい。
※ この動画は、インド〜中国・朝鮮半島編です。
【講義アーカイブ】『成唯識論』を読む 第20回(講師:師茂樹)[2021年8月11日]
※ レジュメ( http://ow.ly/Ufru30rQFt0 )と現代語訳( http://ow.ly/XJTv30rNN7N )を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。今回は、現代語訳の105ページ(四分説の箇所)から読んでいます。
『成唯識論』(じょうゆいしきろん)は、唯識思想を大成したとされる世親(ヴァスバンドゥ)の『唯識三十頌』に対する注釈書を、三蔵法師・玄奘(602-664)が編集・翻訳したとされる文献です。冒頭(第1〜2巻)で我(アートマン)と法(ダルマ)の実在を主張する諸説を徹底的に批判したあと、唯識思想の大きな特徴である八識説、すなわちアーラヤ識(第2〜4巻)、マナ識(第4〜5巻)、六識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)と煩悩などの心所法(第5〜7巻)について説明されます。続いて、あらゆるものが識を離れないこと(一切唯識)について説明され(第7〜8巻)、空思想の唯識思想的説明である三性・三無性説が説かれます(第8〜9巻)。そして最後の第10巻では、修行の階梯が明らかにされます。
東アジアにおける唯識思想はこの『成唯識論』の注釈・解釈を中心に発展しました。前近代の日本仏教において大きな勢力を持っていた興福寺が、根本聖典の一つとしていたことでも知られています。東アジア仏教、日本仏教を考える上で大変重要な文献です。
これほど重要なテキストでありながら、現在のところ『成唯識論』を手軽に読めるような状況ではありません。本講義は、『成唯識論』の通読を試みるものです(したがって、全何回になるかはわかりません)。あまり細かい議論を追いかけることはせず、最後までたどり着くことを目指します。