キーワード 伊勢 が含まれる動画 : 11759 件中 129 - 160 件目
種類:
- タグ
- キーワード
対象:
拉致被害者全員奪還ツイキャス 2018年05月06日放送分半井小絵さん コメント無し
拉致被害者全員奪還ツイキャス 2018年05月06日放送分
shellymamy1さんのライブです。
出演者は、しぇりーさんです。本日のゲストは、先頃 虎ノ門ニュースをご卒業された拉致問題を訴える愛国心ある才女 であり女優の半井小絵さんをお招きしての放送となります。皆さんぜひお聞きください。
来週05月13日の放送の来週のゲストは日本のこころ 衆議院東京都第七支部代表 吉田康一郎さんです。みなさん、次週日曜日も拉致被害者全員奪還キャスにお越しください。
吉田康一郎WEB
http://k-yoshida.jp/koichiro/modules/tinyd0/?id=1
拉致被害者全員奪還ツイキャス運営からのお知らせ
5月13日日曜日には埼玉県浦和駅西口伊勢丹前で14?16時まで拉致被害者家族と共に街頭活動があります。
お時間ありましたらご参加下さい。
しぇりーさんのライブ(拉致被害者全員奪還ツイキャス)はこちらです。毎週日曜日22時から定期放送があります。
http://twitcasting.tv/shellymamy1
【神道シリーズ】第65回・武州御嶽信仰(神社神道化で廃れた御嶽信仰)【前編】
武州御嶽(ぶしゅうおんたけ)と言うとあまり馴染みが無いと感じる人が多いかもしれませんが、ここは、元々は他の山岳信仰と同様に8世紀頃からの役小角や行基菩薩による開山伝承はあるものの、実際に記録が残っているのは12世紀からの真言系の世尊寺が武州御嶽山の別当寺になっていたところからで、その世尊寺では住職が1世から3世までの間に100年以上の空位が出ており、その空位を埋めたのが、(真言系の)両部神道の理論形成に貢献してきた神主の大中臣氏の系統の大中臣国兼とその子孫が「社僧」(放送で説明)となり、その後、その氏族の後裔の浜名氏などによって受け継がれていきました。
一方、スポンサーともいえる檀那と言われる人たち(壬生氏・清原氏など)や配札で信仰を広めた御師(おし・おんし)も一緒に武州御嶽信仰を支えてきたのですが、江戸中期以降、金毘羅詣りや伊勢詣りなど有名観光地(参詣先)に人気を奪われる中、経営困難となり、江戸後期以降は吉田神道や復古神道(吉川神道)による再建策を受け入れ、神社神道化(国学神道化)していきます。
【神道シリーズ・シーズン3】第14回・平田系神道カルトの系譜(大きな流れ)
平田篤胤の流れを汲む平田学派は、幕末から明治にかけて5つの大きな流れを形成して行ったが、それは、後に国家神道を形成する流れとなる祭政分離論の大国隆正のグループと、篤胤が晩年熱中した道教研究と死後の魂との交流というテーマに繋がる本田親徳の鎮魂帰神法と、道教神仙思想を篤胤の神道用語で解釈しなおした神仙神秘思想と、篤胤が存在すると強弁した神代文字を似非研究した竹内巨麿や、国学の日本語研究の流れを汲む平田門人の中村孝道の水茎文字や真澄の鏡から独自の言霊学を形成した大石凝真素美らから成るが、
神仙神秘思想系の川面凡児は、伊勢神宮を始めとする全国神社の滝打ち禊修行などの新祭祀を開発したが、神仙神秘系は次第に影響力を失い、残りの本田霊学と言霊学と神代文字学の三潮流が古神道と自称するようになり、
明治以降の平田系カルトの中心的勢力となって行った。
この三潮流は、本田霊学を中心として、神道カルト理論を形成し、やがて大本教の下に合流していくこととなった。
平田系神道カルトは、教団によって温度差はあるものの、共通していることは、元祖平田篤胤の、地球形成後に世界を作ったのは日本の神であり、日本人は世界を統一して天皇中心の地球にするべきだという超誇大妄想的な選民思想部分である。
しかし、この日本人選民思想部分は、国粋主義的な軍人や政治家たちを惹きつけ、首相閣僚クラスの政治家や陸軍大臣、海軍大臣、陸海軍大将までが信者になったりシンパになったりするほどの影響力を与えた。
この動きは放置すれば右側の立場よりの革命論や政府転覆論、軍掌握論なども生じかねないということで、政府や公安警察は厳重にこうした団体を監視するようになった。
政府公安警察は、彼らが政府見解と異なる神道解釈をしたことが天皇陛下を侮辱してるとし、不敬罪の名目で
逮捕、弾圧を続け、大正10年(1921年)と昭和10年(1935年)には大本教の宗教施設をすべて破壊する、というほどの弾圧をしたが、大本から派生した友清歓真の神道天行居は陸軍の皇道派に多くの信者を持ち、
その青年将校たちが226事件を起こし、日本はまさに狂気の時代へと突入したのである。
【神道シリーズ】第62回・八百万の神⑰金毘羅大権現【前編】(真言宗金光院松尾寺とともに始まった金毘羅信仰)
金毘羅さんと言えば、ほとんどその名を聞いたことが無い人がいないと言えるほど有名ですが、しかし、この金毘羅信仰というものは意外と歴史が浅く、17世紀の天正から慶長年間の間であったと言われています。
金毘羅さん(金毘羅大権現)を祀る讃岐(香川県)の象頭山(ぞうずさん)には明治前まで、その信仰の中心をなしたのは金光院松尾寺(まつおじ)という真言宗のお寺で(金光院とは高野山真言宗の系統で、15世末頃から象頭山の別当(地域の管理者)として明治前まで象頭山信仰を支配してました)、その金光院4代の宥盛(ゆうぜい)の時代(17世紀)に形成され、急発展したのでは?とされてます。
金毘羅信仰が始まる前の讃岐(象頭山を含む)は、もともと宗教的に真言宗の支配圏で、三十番神(法華経の守護神)が信仰されていました。
金毘羅信仰は江戸時代になると日本最大の流行り神となり、伊勢講を凌ぐ代参講(お金を出し合って代表者に参拝させる集団信仰)となり繁栄しました。
明治政府は神仏分離策で、象頭山の金光院松尾寺を廃寺にし、強制的に神社化(琴平神社)とし、大物主神を祀神としまし、松尾寺は麓に普門院を作り生き延びましたが、今でも普門院松尾寺は金毘羅信仰や金毘羅祭の中心となっています。
【神道シリーズ・シーズン3】第19回・千家尊福と出雲国造【前編】出雲国造の歴史
朝鮮半島にルーツを持ち、仏教伝来以前の古代より続いてきた出雲信仰を引き継ぐ出雲国造は、1600年以上の歴史を持ち、その歴史は、奈良時代以降に始まった伊勢神宮より古く、そしてその歴史観は朝廷の編纂した古事記・日本書紀とは異なり、独自の出雲伝承のストーリーで語られている。
古き出雲信仰は「出雲風土記」に基づき、新羅より渡来した神・スサノオの神霊を継ぐアメノホヒを始祖とする
出雲氏が、朝廷より管轄を依頼された出雲国造として、朝廷に従属する形で国造職を担ってきたが、大化の改新で国造職が廃止された後も「出雲国造」を名乗りながら出雲信仰信仰圏を維持して行った。
そこでは出雲国造は人ではなく、アメノホヒそのものであり、現人神であった。出雲国造は島根県東北部の意宇の熊野大社を拠点としていたが、平安時代には島根県西北部の杵築に拠点を移し、アメノホヒの神霊の元である
スサノオを、アメノホヒそのものである出雲国造が祀り、中世から近世にかけては天台宗の鰐淵寺と蔵王権現とスサノオの本地垂迹関係を結んでいた。
しかし、江戸時代後期になると、76代国造の千家俊秀の弟・俊信は、本居宣長の門人となり、国学に傾倒するようになった結果、国造に代わって指揮を執り、これまでの天台宗鰐淵寺との本地垂迹関係を解消し、杵築大社の祭神をスサノオから大国主に変更し、平田篤胤による大国主イコール幽界の支配者の思想を採り入れ、出雲信仰はしだいに平田国学の復古神道的となり、国学に基づく出雲神道が形成されることとなった。
こうした背景を持つ出雲国造家は、明治以降、祭政一致を目指す復古神道の思想により、「うつくしよ」と呼ばれた人間界を支配するのは天皇で、「かくりよ」と呼ばれた死後の世界・幽界を支配するのは大国主という顕幽二元論を掲げて新政府の宗教改革政策に積極的に関与したが、明治6年の神道事務局創立の際に起きた、事務局の祭神・造花三神と天照以外に大国主も同時に祀るべきという、所謂「祭神論争」が起き、出雲派はこの論争に敗北することにより、在野で独自の教団を形成する決意をし、明治13年に80代国造の千家尊福が出雲大社教を立ち上げ、政府の管理する神社神道とは異なる独自の信仰路線を進む一方、神秘思想に埋没していった古神道と呼ばれる平田系神道カルト集団とも距離を置き、今日まで続く独自の出雲信仰を形成して行ったのである。
【辛坊治郎】ズーム そこまで言うか!H28/05/28【オバマ大統領の広島訪問】
『オバマ大統領の広島訪問』から一夜が明けて、各方面からの様々な反応が伝わってきていますが、予想以上に(?)高評価なようで何よりですね。~って、そりゃまぁ、何せあの民進党ですら賞賛せざるを得ない感動的なものでしたから、当然の評価だとは思いますが(^^
私も、リアルタイムで観ていましたが、オバマ大統領の演説の様子もさることながら、あの被爆者代表・坪井直さんとの笑顔での握手のシーンが心にグッときて、森重昭さんとの抱擁のところでもう涙腺が決壊しちゃいました(^^ゞ
そんなわけで、この[5月27日]は歴史的な一日となりましたが、実は昨日って、我らが増山アナのお誕生日でもあったんですよ! ――そう、遂に大台に~って、おや、誰か来たようで(ry (笑
□mylist/50437895□mylist/36340069□mylist/41644857
鹿島(タケミカヅチ)太刀、釣り鯛の文 ほつまつたえ 第十文
伊勢で大騒ぎになった。
フトマニという霊術で調べたら伊勢を攻めようとする計画をしている
この状態では大きな戦争になる。
それで何とか解決しなければ・・・・・・・・と
魅せられた美女
※本作品には性的または残虐的なシーンが含まれておりますが、権利者の意向により原作品と同内容を配信いたします。ご了承ください。
※本作品はスマートフォンおよびモバイル機器での視聴が出来ません、予めご了承ください。
江戸川乱歩の美女シリーズ 魅せられた美女 江戸川乱歩の「十字路」
人気急上昇中のアイドル歌手、沖晴美。芸能プロ社長伊勢の妻が嫉妬に狂ったことから、彼女の悲劇は始まった!!浴室に転がる無惨な死体。夜陰に隠れて展開される自殺偽装計画。そして、晴美の兄、天才棋士の良介と伊勢との最悪の形の出会いが、さらに悲劇を加速させる。今、運命の十字路にそれぞれの思いが交差する・・・・・・。
前の作品「エマニエルの美女」
次の作品「五重塔の美女」
【神道シリーズ・シーズン3】第20回・千家尊福【中編】千家尊福と祭神論争
慶応4年の大政奉還直後から始まった新政府による王政復古政策は、古代の祭政一致を目指し、神祇官を復活させ、さらに神祇省まで創設して律令政治時代の日本の政治体制の復活を目指したものの、全国で実施していた廃仏毀釈を伴う神仏分離政策は各地で住民や仏教勢力の抵抗に遭い、特に浄土真宗からは農民蜂起や暴動をも含む強い抵抗があり、神祇官制度はまったく実態を伴わないままわずか3年あまりで廃止になり、その後、神道国教化に向けて仏教勢力を含めた宣布運動を目指し、島地黙雷率いる浄土真宗からの提案で教部省を立ち上げたもののの、宣布するはずの神道の中身が不明で、しかも途中から台頭してきた薩摩閥により、教部省内の僧侶たちに
祝詞を読むことを強制したりするようになるとそれに抗議した浄土真宗が脱退することにより大教宣布運動は収束し、同時に教部省も崩壊し、その後、教部省の教導職、つまり、当時唯一宗教的布教を認められていた職権を
継承した神道事務局は、薩摩出身で伊勢神宮の大宮司の田中頼庸は事務局の祭神を造化三神とアマテラスだけとしたが、事務局に参加してきた出雲大社宮司で80代出雲国造の千家尊福は祭神のオオクニヌシも同等に祀るべきと主張し、両者は平行線のまま祭神論争が続いたが、全国の事務局教導職者の圧倒的多数と本居 豊穎や平田 銕胤など平田派は全面的に出雲派の尊福の支持に回り、形成は圧倒的に出雲派の優勢で推移した。
銕胤など平田派は全面的に出雲派の尊福の支持に回り、形成は圧倒的に出雲派の優勢で推移した。
何度も合同会議を開き、教導職の代表を集めた会議での多数決でも出雲派が圧倒的勝利をするも田中頼庸はこの結果を潔く認めず、出雲派の紛糾が続く中、政府中枢から桜井能監を派遣し、合議の末、大国主の合祀の合意に至り調印までするものの、尚も伊勢派の頼庸はその結果を認めず、最後には薩摩閥の重鎮で内務卿の松方正義を頼り、三条実美を通じて明治天皇の直截という形で出雲派の要求は退けられ、アマテラスのみが事務局の祭神となり、圧倒的優勢だった出雲派の敗北は決定的となった。
この後、千家尊福は事務局から脱退し、出雲大社教を立ち上げ、政府の神社神道路線とは別の路線を歩むこととなるが、これを境に政府は平田派を政府から完全に追放し、政府は祭政分離に基づく神社神道、つまり国家神道と、政府が公認する教派神道13派の二流に分け、近代国家日本の建設の為、幕末以来討幕派が目指した祭政一致の理想を完全に放棄することになったのである。
【SFC版】信長の野望・武将風雲録で斎藤道三をやってみた(茶器縛り・その15)
前 https://www.nicovideo.jp/watch/sm38640037
次 https://www.nicovideo.jp/watch/sm38676382
シナリオ1・実力編で斎藤道三を担当。いわゆる「茶器回し」を禁止(褒美として茶器を与えられるのは大名のみ、茶器の没収や購入は誰でもできる、調略の誘降に茶器を使うのは可能)した上で、がっつりと腰を据えて東国支配の大大名、そして征夷大将軍任命を目指す…がすでに将軍には任じられているので、あとは東国支配を完全なものにしたいのだが、なかなか姉小路家が外交努力で屈服しない。
そこで調略の混乱で少しずつ飛騨国の国力をそぎ落としつつ圧力を加え続ければと考えているうちに、島津家が鉄砲の生産、さらには鉄甲船の実装を始めたとの報があり、斎藤家でも鉄甲船を量産し、島津家をつるべ打ちで討ち倒すことを目標に加える。
鉄甲船は摂津国と伊勢国での量産を決定。優秀な家臣に少しずつ実装させていく。最初に備えた斎藤道三自身による鉄甲船初デビューは讃岐国での対三好家の戦い。三好家を言葉通り吹き飛ばし(敵武将が二人も討ち死に)、被害皆無で制圧。おそろしや。
【ソフト名】スーパー信長の野望・武将風雲録
【機種】スーパーファミコン
【発売元】光栄(現コーエーテクモゲームス)
【メディア】ロムカセット
【定価】12980円(税込)
【発売日】1991年12月21日
【セーブ領域】内蔵(2か所)
(C)1991 KOEI CO.,LTD.
【走行音】50000形(VSE) 小田急線・箱根登山線 特急はこね53号 新宿~箱根湯本
収録車両:デハ50301 7号車 喜多見検車区 50001F編成
停車駅
新百合ヶ丘 20:52
町田 29:00
海老名 40:00
伊勢原 48:18
秦野 56:24
小田原 73:24
箱根湯本 90:00
ぶらり安国寺紀行(第一回東海遠征 2日目伊勢参宮)
2019年9月17日の生放送の動画です。
東海旅行1日目の記録です。
生男ch 0225 番外公開放送~男子ing Carnival~
ニコニコ動画でも人気のイケメンと呼ばれている人を
ゲストに迎えて視聴者とお話していくトークバラエティです!
【MC】
水嶋那緒
http://ameblo.jp/mizushimanao/
【ゲスト】
小野賢章
http://ameblo.jp/ono-kensyo/
桑野晃輔
http://ameblo.jp/kuwano-kosuke/
岸本卓也
http://ameblo.jp/kstk57/
伊勢大貴
http://ameblo.jp/ise4056/
小西成弥
http://ameblo.jp/seiya-konishi/
生男ch 0916 番外公開放送~ウォルター・ミティにさよなら:再~
ニコニコ動画でも人気のイケメンと呼ばれている人を
ゲストに迎えて視聴者とお話していくトークバラエティです!
【MC】
水嶋那緒
http://ameblo.jp/mizushimanao/
【ゲスト】
西島顕人
http://ameblo.jp/nishilabo/
伊勢大貴
http://ameblo.jp/ise4056/
椎名鯛造
http://ameblo.jp/taizo-shiina-blog/
Sori
http://ameblo.jp/sorisorisorisorisori/
【第71回】『銀河英雄伝説』公式ニコ生番組「公式さんと語ろう!」アーカイブ舞台「銀河英雄伝説 Die Neue These ~第三章 嵐の前~」公演開始スペシャル映
舞台「銀河英雄伝説 Die Neue These ~第三章 嵐の前~」当日券もあります。【東京公演】日程:2019年10月24日(木)~10月27日(日)会場:Zepp DiverCity(TOKYO)【大阪公演】日程:2019年11月2日(土)~11月3日(日・祝)会場:Zepp Namba(OSAKA)オフィシャルホームページhttps://www.gineiden.jp/キャスト銀河帝国ラインハルト・フォン・ローエングラム 永田聖一朗ジークフリード・キルヒアイス 加藤 将オスカー・フォン・ロイエンタール 畠山 遼ウォルフガング・ミッターマイヤー 釣本 南ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ 君島光輝パウル・フォン・オーベルシュタイン 藤原祐規自由惑星同盟ヤン・ウェンリー 小早川俊輔アレックス・キャゼルヌ 米原幸佑ダスティ・アッテンボロー 伊勢大貴ユリアン・ミンツ 小西成弥オリビエ・ポプラン 碕 理人ジェシカ・エドワーズ 汐月しゅうワルター・フォン・シェーンコップ 大高雄一郎フレデリカグリーンヒル 福永マリカウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ 平川和宏ムライ 稲田恵司ヨブ・トリューニヒト 海部 剛オットー・フォン・ブラウンシュバイク 川上和之アレクサンドル・ビュコック 有川マコトオフレッサー 内堀克利ドワイト・グリーンヒル 堤 匡孝アンドリュー・フォーク 谷戸亮太フランツ・フォン・マリーンドルフ 大力クラウス・フォン・リヒテンラーデ 中村哲人アーサー・リンチ すがおゆうじアドリアン・ルビンスキー 冨田佳孝アンサンブル 大城智哉 中田章人 山田裕也 宇多海音 佐藤良唯 利川純一 池田紫陽ナレーション 下山 吉光公演情報東京公演 Zepp Diver City(TOKYO) 10月24日(木)〜10月27日(日)大阪公演 Zepp Namba(OSAKA) 11月2日 (土)〜11月3日 (日)問い合わせ 東京 イープラス 0570-06-9919 全日10:00〜18:00大阪 キョードーインフォメーション 0570-200-800 全日10:00〜18:00
「安倍暴走を立憲主義なら糾せる!」2/2 第72回ゴー宣道場 拡大版
憲法記念日に開催された、拡大版ゴー宣道場!
ゲストは東京大学教授・井上達夫氏、東京外国語大学教授・伊勢﨑賢治氏、山尾志桜里衆院議員、そして、枝野幸男立憲民主党代表。
右も左も、組織動員と、上からのご託宣と、シュプレヒコールで、予定調和の自己満足に浸るだけの頭を使わない集会しか行われていない中で、唯一、立憲的改憲を目指すこのゴー宣道場だけが、熟議のある憲法集会だった!
コスタリカ憲法は非武装中立というのは嘘、ガンジー主義は自衛を否定していない、など、世間に流布された欺瞞を引っぺがす刺激的議論!
そして枝野氏の「立憲民主党は立憲的改憲政党であり、教条主義的護憲派はいない」との断言!
マスコミにも大きく取り上げられ、「立憲的改憲」という第3の選択肢があることを広く知らしめることとなった歴史的道場、完全版動画!
【ONE&伊勢ともか先生登壇!】裏サン編集部分室 第1回
裏サンデープレゼンツ!裏サン編集部分室では普段めったに人前に表れない人気マンガ家さん達をゲストに招き、裏サンデーだから出来る限界ギリギリのトークイベントになります。
制作の裏話から今後の展開、裏サンデー編集部の秘密や先生方のプライベートまで、パネルディスカッション形式で根ほり葉ほり聞いちゃいましょう!記念すべき第一回目のゲストは『モブサイコ100』でお馴染みONE先生と先日感動の最終回を迎えたばかりの『懲役339年』の伊勢ともか先生です。
※この動画は、7月31日(金)に行われたイベントの内容を編集したものになります。
【神道シリーズ】第23回・春日信仰(藤原氏の正体(百済人)・真言密教系神道(両部神道)の影)②
春日大社は藤原氏(不比等・永手ら)によって政治的な意図で作られた神社であることは①の方で説明しましたが、そもそもこの藤原氏とは何なのか?
今回はそれと三社託宣(春日・八幡・伊勢)に見られる両部神道(真言密教が作った神道)の影響に焦点を当て春日大社創建の背景を見て行きたいと思います。
藤原氏の出自に関してはさまざまな研究と見解がありますが、どれも共通していることは「日本人ではなく百済人である」という点です。
朝廷の祭祀を司る役職にいた中臣氏の家系の中に滅亡百済王族がどのように入り込んで来たのか?
百済王族は、藤原氏の計らいで百済王氏としてその後も朝廷の中で生き続け、桓武天皇の母親(高野新笠)などを輩出したりしてますが、百済村と呼ばれる地域に住み、百済人の濃厚な血筋を維持しながら朝廷内で生き続けて行きました。
一方、三社託宣では、春日・八幡・伊勢の三社が同時に儒教・道教的な道徳的訓示を託宣発表するという事になり、その中でアマテラスは真言密教理論に基づく両部神道で描かれた雨宝童子という16歳の少女として描かれています。
百済系の藤原氏の政治的思惑と興福寺のバックアップの中で生まれ、真言密教によって理論づけされ春日信仰は誕生します。
「安倍暴走を立憲主義なら糾せる!」1/2 第72回ゴー宣道場 拡大版
憲法記念日に開催された、拡大版ゴー宣道場!
ゲストは東京大学教授・井上達夫氏、東京外国語大学教授・伊勢﨑賢治氏、山尾志桜里衆院議員、そして、枝野幸男立憲民主党代表。
右も左も、組織動員と、上からのご託宣と、シュプレヒコールで、予定調和の自己満足に浸るだけの頭を使わない集会しか行われていない中で、唯一、立憲的改憲を目指すこのゴー宣道場だけが、熟議のある憲法集会だった!
コスタリカ憲法は非武装中立というのは嘘、ガンジー主義は自衛を否定していない、など、世間に流布された欺瞞を引っぺがす刺激的議論!
そして枝野氏の「立憲民主党は立憲的改憲政党であり、教条主義的護憲派はいない」との断言!
マスコミにも大きく取り上げられ、「立憲的改憲」という第3の選択肢があることを広く知らしめることとなった歴史的道場、完全版動画!
【136氏朗読】宮大工シリーズ(二)
ねとらじで初見一発読みされた作品を、朗読者様(136氏)の許可を頂いて編集・アップロードしました。
ニコニコ動画にない作品を選んでいるつもりですが、もしかして重複しているものもあるかもしれません。
朗読者様のツイッター https://twitter.com/IsAM0136
朗読者様のコミュニティ co1018824
収録作品
土着の神社の建て替え/女神主の神社/奥の滝壺の社/公園も併設している神社の建て替え/オオカミ様の涙/伊勢神宮参り/少年/邂逅の時/
【神道シリーズ・シーズン3】(戦後編)第65回・神社本庁【前編】
戦前、日本の全国神社は、神社局の後継の神祇局が一元的に公的に管理していたが、終戦直後、GHQは、神道指令の発動により、その神祇局が廃止され、国家による神社管理支配を禁止した。それまで公務員的な立場にあった
神社の神職たちはいきなり民間の神社として独立することを余儀なくされ、
特に氏子人口の少ない地方神社は路頭に迷おうとしていた。そこで、戦前から活動していた三つの神道系組織によって新たな包括的な神社連合体の組織が提案された。それは、かつて明治期に神職の全国組合的な全国神職会の後裔組織である日本神祇会と、教派神道13派の一つで、伊勢講から発展した神宮教の流れである神宮奉斎会と、かつて出雲と伊勢の祭神論争が行われた神道事務局の後継組織である皇典講究所が合併統一して出来た神社本庁であった。GHQは、戦前の国家神道、つまり、神道を宗教と見做さず、単なる祭祀と見做したために当時の日本政府が掲げた政教分離や信教の自由に触れることなく全国神社の国家管理が出来るとした体制を警戒し、日本政府がこうした巧妙な抜け道を用いて再び軍国主義や国家主義のイデオロギーを国民に吹聴させない為にも国家によるありとあらゆる神社介入を禁止していた為、神社本庁は、民間の包括的宗教法人格を獲得することにより、戦前には国家が行ってきた神社管理を自らが一元的に国家神道的解釈のもと、つまり、神道を宗教と見做さず、祭祀のみを行う集団だという解釈で、全国神社の経営や人事権まで掌握することとなった。神社本庁は、所属神社の信仰内容は問わないということを前提のもと、祭祀を司る集団として、戦前の国家神道形式で所属神社の賽銭や寄付寄進による収入から多額の上納金を納めさせ、宮司などの人事に介入し、「信教の自由を侵すことなく」それらの神社を悉く支配下に置いた。
国家神道形式とは、形式上、伊勢神宮をトップに全国神社を格付けし、本庁が決めた社格の高い神社(現在では315社)から全国の末端に至る小規模の地方神社まですべてをその系列化に納め、伊勢神宮から配布された神宮大麻の札を販売し、その収益はすべて神宮に上納し、その上納金の半分を神社本庁が受け、それを様々な形で所属神社に再分配するという形を示す。神社本庁は、形式的な国家神道形式の復活だけでは飽き足らず、戦後、積極的に保守運動にも参加し、「日本を守る会」や「日本を守る国民会議」などの横断的保守連合組織に参加して「建国記念の日制定促進協議会」や「靖国神社国家護持法案」や「元号法制化国民会議」などの運動で生長の家や統一教会などとともに中心的な役割を果たした。
また、現在295名の衆参両院議員を有する神道政治連盟国会議員懇談会もこの頃に形成され、一丸となって憲法改正の運動に突き進んでいる。
3.29bikou師自販機食堂x264.aac.mp4
釣れたらいいね!コミュのbikou師(監督)の 3月29日 自販機食堂 群馬県伊勢崎市TSが見れない方用に作ってみました。一定期間で削除しますのでよろしくお願いします。
【神道シリーズ】第55回・八百万の神⑫庚申信仰【後編】日本の信仰の根底に道教思想
日本に正式に庚申信仰が伝わった時期は判定が難しいところですが、日本書紀などにはすでに4世紀頃から庚申という言葉が使われていた記述がみられたりします。
日本書紀の記述では、皇極天皇は道教の熱烈な信者で、「皇極」という名称自体も道教の最高神の北斗星の北辰神の「北辰」という意味で、しかも、旱(ひでり)のひどい時に北辰神を祀って道教儀式をして雨を降らせた、という記述さえあります。
日本に正式に庚申信仰が伝えられたのは天台座主3代の知証大師(円珍)が唐より帰国する際に持ち込んだ、とされていますが、それより以前の養老8年(727年)にも「続日本紀」の記録で、宮中内裏の酒宴で「庚申」という言葉出てきています。
日本で初の「庚申待」が行われたのは、「日本略記」によれば、朱雀天皇の天慶2年(939年)に「庚申御遊(ごゆう)」が行われたとあります。
こうした、中国から朝鮮半島や日本に伝わった庚申信仰は、日本では本格的に庶民の間で爆発的に流行したのは室町時代の終わりから江戸時代中期頃までにかけてで、明治になると政府によって禁止されています。
三宝荒神と言い、庚申と言い、道祖神と言い、そして宮中や伊勢神宮までも含めて道教思想は日本の信仰の根底をなしていることだけは間違いありません。(詳細は動画内で)
作業用DMF14HZカミンズサウンド 参宮線・紀勢本線 キハ48-5302 伊勢市~亀山
キハ40系のボックスシートに腰掛けて、カミンズのエンジンを満喫できるのもあと僅かとなりました。かつてはC51が参宮快速を牽引した、線形のよい軌道を力強く疾走します。2013年の収録です
キハ48-5302 1981年(昭和56年) 富士重工製
参宮線・紀勢本線 934D
伊勢市 #00:00 山田上口 #03:25 宮川 #11:25 田丸 #16:00 外城田 #20:15 多気 #24:20 徳和 #31:30 松阪 #36:40 六軒 #44:40 高茶屋 #52:30 阿漕 #57:15 津 #62:45 一身田 #68:50 下庄 #76:30 亀山 #84:12
【SFC版】信長の野望・武将風雲録で河野通宣をやってみた(その4)
前 https://www.nicovideo.jp/watch/sm38248238
次 https://www.nicovideo.jp/watch/sm38283197
シナリオ2・入門編(上級)で河野通宣を担当。生き残ることを第一目標。そして少なくとも自分の背景を元に瀬戸内海の諸国を支配し、できれば京の都にも手が伸ばせればなぁ、という感じを最終目標とする。あと、出来れば海戦がメインになるといいな、と。
祖国の伊予国を捨て、富んだ摂津国、さらには山城国まで支配下に治めたものの、瀬戸内海への侵攻はなかなか見られない河野勢。「殿、瀬戸内海の支配はどうなっておるのですか」との問いに「本拠地としたい山城国を安全国にするのと、織田家との本格的な戦いは避けたいので、織田家との戦線を最小限にとどめるためにある程度東進する」との返答。河野家に驚愕走る。
越前国~近江国~伊勢国のラインで対東諸国との防衛線を張った上で瀬戸内海攻めをするようだが、果たして上手く行くことやら。
しかし織田家の心変わりの激しいことよ。織田信長の弟の織田信包を捕縛したら兵を引き連れて浅井家に寝返り、その浅井家との戦いの最中に再びこちらに裏切るとは。
【神道シリーズ・シーズン3】第13回・三河大浜騒動(浄土真宗の反撃)
明治新政府は、寺院統廃合と神仏分離政策、および、宮中、伊勢神宮、全国神社の祭祀統一などにより、欧米のキリスト教のような一神教的神道国家の形成を目指したが、そこに大きく立ちはだかったのは浄土真宗とその膨大な数の門徒たちであった。
新政府は寺院の数を減らしたり、寺院を神社に変えたりすることにより仏教の弱体化と国家が直接管理する全国神社により「神道国家日本」を目指したが、その過程で多くの真言宗、天台宗、曹洞宗、臨済宗、日蓮宗などの寺院が廃寺化されたが、それはすべて朝廷の命令の下にという口実で強権を持って進められた。
しかし、阿弥陀如来以外を信仰対象としない浄土真宗にはもともと権現とか明神と言った神祇信仰は持たなかった為、国家神道を押し付ける新政府の政策には強く抵抗した。
寺院統廃合政策に対して浄土真宗は全国で抵抗を続けたが、明治4年(1972年)2月に富山で2000人以上の真宗門徒農民の一斉蜂起が起きた翌月の3月には三河の大浜で真言宗僧侶や門徒農民数千人による大浜騒動が起き、暴動自体は鎮圧されたものの、それにより大浜での寺院統廃合および神道化政策は中止となり、この動きは全国的な真言宗の抵抗運動に大きな弾みをつけると同時に、新政府の神仏分離政策や廃仏毀釈運動に対して大きなブレーキをかけて行くこととなった。
現在の愛知県碧南市、西尾市、安城市を含む三河大浜の地域は、当時、千葉県に本拠地を置く菊間藩の遠隔飛び地として菊間藩の管轄下にあり、藩は、平田国学の門下生で小参事の服部純を大浜の寺院統合および神道化政策のトップとして派遣した。
この動きに不満を訴えた大浜の真宗寺院の僧侶たちは暮戸会所に集まり、藩の本部である大浜陣屋に談判に出かけることを決めたが、その道中、多数の真宗門徒農民たちが集まり、談判団の数は数千人に膨れ上がり、僧侶たちは彼らに解散を求めたが応じず、結局大浜陣屋北の片山家庄屋で暴動となり、藩側が砲撃により鎮圧に乗り出すこととなった。
結果は、事態の大きさに対して藩側の処罰は予想よりはるかに軽く、このことからしても真宗を挑発することの恐怖感を藩が感じていたことを物語る。
新政府の強引ともいえる国家神道化計画は、当時東部中国地方から畿内、中部地方全域、そして関東の一部にまで勢力を持ち、当時の人口の三分の一から二分の一近くを占める真宗門徒たちを無視して進めることはできず、結果、神道化政策もかなり形骸化される結果となったのである。
【神道シリーズ】第39回・両部神道①(まずは真言密教とは何か?から)
いよいよ日本の中世から近世にかけて圧倒的な宗教的ヘゲモニーを握った真言密教系神道である両部神道のお話に入りますが、その前にまずは真言宗(真言密教)とは何か?を理解していないと、両部神道のみならず、その後に展開された伊勢神道や吉田神道という中世から近世にかけて重要な役割をした中世神道を理解することが出来ません。
ちなみに、伊勢神道は両部神道(真言密教系)と道家(道教)の結合によって生まれ、さらに吉田神道は、その伊勢神道(両部神道+道教)に儒教思想が加わって出来ています。
奈良時代までは雑密と言う未完成な呪術中心の密教の下で朝鮮半島由来の古代信仰(神祇信仰)と習合が進み、神宮寺の形成により雑密仏教が神祇信仰を支配する仕組みが出来ていましたが、中世以降は純密と言われる真言宗系密教が神祇信仰をその傘下において発展していきます。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第17回・川面凡児の禊行(伊勢神宮・全国神社の祭祀創設)
豊前国(現・大分県宇佐郡両川村小坂)に、酒造業と呉服業を営む家の次男として生まれた川面凡児は、教育の為に預けられた宇佐神宮の神職で父の義弟の溝口千秋のもとで多くの勤王の志士たちとの出会いがあり、その中の常遠翁に漢籍を学び、13歳にして地元の馬城嶺に登り、自称697歳の童仙・蓮池貞澄から仙道を学び、
その後3年間馬城嶺で修験道の修行を経た川面は、15歳にして入津(豊後高田市)の私塾「涵養(かんよう)舎」で仏教、法律、経済を学んだあと、21歳で熊本県隈庄町に私塾「稚竜同盟谷」を開き、子供たちの教育に携わった。その後、24歳にして政治の世界を目指し上京するが、途中で宗教研究に転向し、小石川の浄土宗寺院・伝通院に住み込みながら、様々な宗教家たちと交流を続けたが、生活苦の中、浄土宗の本山・増上寺から後援で宗教雑誌への投稿や女学校の教師などをして糊口を凌いだ。
その後、自由党機関紙や長野新聞、そして和歌山の自由党機関紙など主筆となり、45歳の時に下谷区三崎町に「全神教趣大日本世界教」を旗揚げし、稜威(みいつ)会を創立した。そして、川面凡児が48歳になった1908年(明治42年)から片瀬などで修禊を開始し、その6年後には男爵の高木兼寛を会長に、古典を通じて日本の神々を学ぶ古典考究会を設立、『古典講義録』を刊行し、同会には秋山真之、八代六郎、平沼騏一郎、杉浦重剛、頭山満、筧克彦など、トップクラスの軍人や政治家らが加わった。
1917年(大正6年)川面が56歳になった頃から滝行など禊の行を会員とともに各地で始め、後の皇学館大学開設者の今泉定助が支持したことにより各地の有力な神職の賛同を得、海浜や滝水での禊行事が全国的に流行した。
現在の伊勢神宮や全国神社の滝打ち禊行は川面凡児が創設したものだが、川面は禊行のみならず、その宗教思想面も含めて日本の神道を明治期から大正期にかけて創設した人物とも言える。
逆に言えば、日本の神道とはこの時期に確立したとも言えるのである。
【走行音】350系 東武伊勢崎線・日光線 特急きりふり283号 浅草~新栃木
収録車両:モハ353-3 2号車 南栗橋車両管区本区
停車駅
とうきょうスカイツリー(業平橋) 3:44
北千住 12:21
春日部 34:34
栃木 75:31
新栃木 80:38
スタンダップコメディライブ「おはようインコさん その4」in紀伊國屋ホール
2017年12月23日に新宿・紀伊國屋ホールにて開催されたスタンダップコメディライブ「おはようインコさん その4」のライブ映像です。
一部のネタ(「ポートランドのDIYショップ」)については、映像の構成上カットさせていただきました。
OP
0:02:14 よくわからない劇場の名前
0:10:40 恥ずかしいことに気づく
0:13:50 クソリプ
0:23:15 パクるアイドル
0:27:43 ビュッフェ不要論
0:35:58 コールアンドレスポンス
0:42:25 CAT
0:47:30 病院の人
0:54:05 満員電車はスポーツ
0:58:16 iPhoneのプレゼンテーション
1:06:40 地獄の喫茶店
1:19:25 EDムービー
スタンダップコメディライブ「おはようインコさん その4」
2017年12月23日 新宿 紀伊國屋ホール
出演:インコさん
演出:フルタジュン(劇団フルタ丸)
舞台監督:鳥養 友美 田中惇子
演出部:杉山小夜
照明:satoko
音響:水野 裕
映像:ALi(anttkc)
美術:泉 真
当日運営:加藤 恵梨花 阿部りん 前山若菜
宣伝美術:モコミック
写真:伊勢谷 浩一
イラストレーション:リタ・ジェイ
音楽
theme music 「Dive IN-KO the World」
sound produced by こんなはずじゃなかった隊
企画・制作 BULLET.Inc
【SFC版】信長の野望・武将風雲録で斎藤道三をやってみた(茶器縛り・その8)
前 https://www.nicovideo.jp/watch/sm38554709
次 https://www.nicovideo.jp/watch/sm38574099
シナリオ1・実力編で斎藤道三を担当。いわゆる「茶器回し」を禁止(褒美として茶器を与えられるのは大名のみ、茶器の没収や購入は誰でもできる、調略の誘降に茶器を使うのは可能)した上で、がっつりと腰を据えて東国支配の大大名を目標とする。できれば征夷大将軍になれれば。
東国最大の敵となる上杉家との対決はひとまず後回しにし、嫡男の斎藤義竜の仇討ちとばかりに北条家への侵攻を継続。小田原城を失った北条家などさほど怖いものではなく、最後に安房国に逃げ込んだところを籠城戦の末、殲滅。大人しくご退場願う。
残すは東北の小大名諸勢。敵の援軍としてやってきた名将最上義光を捕らえ、配下に。数少ない道三の茶器コレクションのうち1つを与えてがっつりハートをつかむ。ともあれ、これら小大名勢を打ち滅ぼした上でないと、越後国に居残る上杉家への波状攻撃は難しいだろう。一方で織田家がいつになっても伊勢国に侵攻しないのが気になるところ。大人しすぎるな。
【ソフト名】スーパー信長の野望・武将風雲録
【機種】スーパーファミコン
【発売元】光栄(現コーエーテクモゲームス)
【メディア】ロムカセット
【定価】12980円(税込)
【発売日】1991年12月21日
【セーブ領域】内蔵(2か所)
(C)1991 KOEI CO.,LTD.
【SFC版】信長の野望・武将風雲録で斎藤道三をやってみた(茶器縛り・その13)
前 https://www.nicovideo.jp/watch/sm38604750
次 https://www.nicovideo.jp/watch/sm38640037
シナリオ1・実力編で斎藤道三を担当。いわゆる「茶器回し」を禁止(褒美として茶器を与えられるのは大名のみ、茶器の没収や購入は誰でもできる、調略の誘降に茶器を使うのは可能)した上で、がっつりと腰を据えて東国支配の大大名、そして征夷大将軍任命を目指す…がすでに将軍には任じられているので、あとは東国支配を完全なものに。
部下の忠誠心を思いっきり下げ濃姫を磔にされながらも排除を決めた対織田戦。万全の準備を整えた上で、美濃国から斎藤道三自らが指揮を執る形で出陣。総兵力4万、うち2万は鉄砲隊という重装備で、竹中半兵衛や山本勘助、そして初陣となる真田昌幸という豪華な陣営。尾張国での猛戦は長きにわたり、鉄砲玉が山のように飛び交うも、最後には斎藤道三の手で織田信長自身を捕らえることに。
晴れて織田陣営の有力な武将を傘下に治め、富んだ国となっていた尾張国を支配下に。せっかくだからと伊勢国の北畠家、そして大和国の松永家まで攻め入り、これを制圧する。次は三好家か。いやその前に姉小路家を屈服させないと。
【ソフト名】スーパー信長の野望・武将風雲録
【機種】スーパーファミコン
【発売元】光栄(現コーエーテクモゲームス)
【メディア】ロムカセット
【定価】12980円(税込)
【発売日】1991年12月21日
【セーブ領域】内蔵(2か所)
(C)1991 KOEI CO.,LTD.