キーワード 厳島神社 が含まれる動画 : 508 件中 65 - 96 件目
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【零~濡鴉ノ巫女~】をホラー耐性ない俺が初見実況プレイ33
またお嬢様言葉風で行きます。零怖いけど面白いです。今日結構プレイしました。厳島神社に似てるよな。
その34→エンコ終わり
※よくリンク貼るの忘れてるので「次ねえのか」って思ってくれる方はマイリスト見てみてくださいw
零~濡鴉の巫女→mylist/73486149
バイオ8→mylist/73498670
他の実況→mylist/73498650
東方実況→mylist/73498651
他のプレイ動画など→mylist/7247045
高照寺山麓 祖生(そお)新宮神社、長寶寺(創建1200年)岩国市周東町祖生(旧玖珂郡周東町)
一分弱登山動画祭であげた氷室ヶ岳の関連として山向こうの祖生(そお)を散策します。
山口県の東部の周防(すおう)旧玖珂郡を廻りました。
この日の行程〜まず旧山陽道を経由して難所の中峠を越えて玖珂(くが)市街に向かわず周東町祖生ヘの道をたどりました(これは毎回定番コースです)新宮神社、長寶寺を回り〜この後先に動画をうpした藤生の松巖院へ行きました。動画は新宮神社から〜
新宮神社」
岩国市周東町 祖生(そお)にある古社。社殿の姿が大変いいです^^
この地はお盆にある「柱松」などの伝統行事で有名。
かつて祖生は厳島神社別当寺 水精寺(今の大聖院の前身)の寺領であったそうでその関係で大内氏の名により源宗光が厳島明神を勧請したという。社(やしろ)はそれ以前から存在した模様。
江戸時代は吉川氏の祈願所だった。
他に祖生には近くに延喜式内熊毛神社論社「岩隈八幡宮」(古い方)などもあります。
洪福山 長寶寺(ちょうほうじ) 観音霊場の 創建1200年は経つと思われるの古刹
行基菩薩が行脚中に高照山中の高所に補陀落に似た場所を見つけ観音菩薩像を彫り祀ったことから
始まった縁起がある。創建時は密教寺院で大同年間の記録などもあるようです〜1338年普明国師により臨済宗に変わり中興されたが江戸時代古い伽藍を焼失したのち現在地へ寺院を降ろしたということです。
山門をくぐると大変見晴らしのいい境内があり本堂がある。
一段高い場所に観音堂があり、十一面観音菩薩を祀る。
周防三十三ヶ所観音霊場二番。この霊場は大内弘世が勧請した霊場で古いものである。
霊場のHPによれば観音菩薩像は見た感じから藤原期(平安時代)の作ではないかとの記述もあった。
33年毎開帳の秘仏で明治以後は7年ごとにのみ開帳されています。
周防33ヶ所観音霊場、長寶寺サイト参照。
修正機能試してみた いいね^^
新思ひ出作り最終回「宮島」
ご視聴ありがとうございます(゜▽゜)
去年の12月4日の出来事ですが、今回をもって最終回となりました。
自己満足満載の茶番動画でしたが、見てくださった皆さま、本当にありがとうございました。
車載成分少な目ですが一応あるのでタグはつけました。
【広島編】日本1周趣味の旅【Part25】
尾道で修行しました!
ツイッター:https://twitter.com/native_animest
引き続きいろんな都道府県のおすすめ(食事や観光スポットほかなんでも!)募集してますのでよろしく!
〜令和4年〜 厳島管絃祭の島〜摂末社巡り 長浜神社、本宮、三翁神社、荒胡子神社
厳島神社大祭 管絃祭の当日 午後から島へ渡り 拙者、末社のいくつかを巡りながら本宮参拝
朱印をいただいて帰る。摂社や末社も佇まいはよろしいですな・・。
コロナ禍によりR2年から御座船、漕ぎ伝馬船は行われていない。
今年は参拝だけでもできてよかった。
(今年も神官さんだけで催行、神事のみでモーター付きの船をチャーターして行われたようです)
通常=まず本宮を十六時ごろ祭典があり〜御座船に移譲〜伝馬船に引かれ大鳥居前の儀〜移動〜火立岩沖〜地御前神社前〜長浜神社前〜大元神社前〜本宮と行こうていで祭事と管絃を演奏して巡る。
今回は参拝が遅くなり十五時ごろでしたので祭典を待って本殿前に10数人くらい人だかりができていましたね。
なので人が写りまくりなんもので飾られた鳳輦や弓矢盾などの飾りの写真はなしであります^^
過去動画にはあるんですけどね。
できるだけ余分な人は映さない方針でやっとりますんで^^
2021年の祭りの様子(本宮の飾り風景もあり) sm39114027
2019年(古いアカウントのうp)https://www.nicovideo.jp/watch/sm35662094
晩春の 大竹 疫神社・大治社大竹市元町
広島県西端の街大竹市 鎮守大瀧神社の元の鎮座地(弥ヶ迫)にある「疫神社」(疫病を鎮めるため祭られた)と大治(おおし)社(宗像三神中でも田心姫命を祀る)大瀧神社〜御神幸の終点でもある。
桜のころも撮影したので桜模様はまたうpします。
大竹地域の言い伝えでは=ここの場所あたりに厳島神社創建社として知られる流刑中の佐伯鞍職(くらもと)が居住していた場所と言われる。厳島明神鎮座伝説中では所の翁とも呼ばれる。疫神社境内の 山の方に所塚(佐伯鞍職の形代をおさめているという)
注)この時は上までは行かなかったのですが、推古桜(途中で折れてる)が見えるところまで上がりました。そこから見た感じでは楕円形の石がいくつか据えてありちょうど墓所に花筒にシキミが供えてあるように見えたもんで。写真は失敗してた。
もしかしたら所塚自体はさらに奥かもしれません。墓の可能性も機会があればまた見てみようかな。
大瀧神社 宮司家=所 氏ですからね 佐伯氏の系譜か?
大治(し)社=田心姫を祭るお社。恵比寿様も合祀されているようです。
疫神社(やくじんじゃ)
大国主命、少名彦命(字幕=打ち間違えてます訂正します^^; 動画はこのままにします)、素盞嗚命〜祭神は元は牛頭天王なんでしょうね。
所の翁=伝説ですが、厳島明神が厳島へ来た時、海上で出会った釣りをする翁。どこのものかと問えば
所のものですと答えたという伝説で(この土地のものです意味)厳島神社創建の佐伯鞍職である。
佐伯鞍職(大竹の説話では)、または別の人物とも・・。
歴史的なものは大竹歴史研究会のHP記事を参照しています。
晩春の周防山代地方阿賀(あか)の古社 「 速田神社」 2022晩春
岩国市湖者速田神社。神社部分だけ。美和町の阿賀 。里の鎮守 速田神社。
何度か来ているが久々に記録動画(ここへくる前にカフェに寄ってきて夕方近く)
山里ながら古来厳島神社とも関係が深かったようで言い伝えでは厳島明神から神供米が送られていたこともあったらしい。
今も御烏喰式(おとぐいしき)も行われる。
現在の社殿は江戸時代後期の建立のようで三間社流造り〜岩国市の有形文化財指定。
現在地には阿賀の藤木というところから明治時代遷座した模様。
祭神など由緒など境内になく不明。おそらく市杵島姫など宗像神を祀っているのではと思われる。
縁起が不明なため探して美和町阿賀ブログラブHPの縁起に関しての記述を参照しました。
縁起説話については「神が女人姿で降臨し、早稲(イネ)を速く成熟して見せ里を守ると告げて田圃へ消えた」というものだそうで市杵島姫などを連想させるきもしますが・・どうなんでしょう。
この辺りは岩国往来(岩国城下と山代街道を繋ぐ道)が通っていた。近くの雲照寺付近から県道とは別に昔の峠道があるらしい。県道130号線は雲照寺峠を越えて本郷へ続く。
速田神社という社号にかんして安芸の式内名神大社「速谷神社」が江戸の頃まで厳島の隆盛により
厳島の摂社的な位置になり速田神社と号していたと云いますのでそこから勧請した可能性が高い。
速谷の御祭神は安芸国造の祖神系=阿岐速玉男命ですからね?
みち、みちて。第7話 ぶちうまっ!広島うまいもの巡りと駅メモ広電イベント 第20回広島旅2日目
2泊3日の広島旅 2日目です。
この日は飲食に全力。
ちょうど駅メモが広電とコラボしたデジタルスタンプラリーイベントをしていたのでそれに参加しつつ、広島市と宮島でおいしいものを飲み食いします。
今回の主な行先
広島県廿日市市宮島町(厳島)
・厳島神社
広島県広島市
ある日の桜島(その332)<なんとなく桜島に渡ってビーチ近くの神社お参りしてトンボ帰りしつつ「うどん」食べてきた>
ある日,とある場所からの桜島を数分間眺めていただく動画です。
桜島港近くにあるレインボービーチ。
…の近くに小さな神社があるのをご存知でしょうか。
名前はなんと「厳島神社」
たしかに,鳥居は満潮時には海に浸かる位置ですね。
賽銭箱も無い小さな祠という佇まい。
石碑があり,「漁業の神様として云々…寄付者誰それ…」とあります。
フェリーターミナルを含めた桜島港を見守る神様。
レインボー桜島などに行かれる際には是非立ち寄ってみてください。
あとはトンボ帰りしつつ「やぶ金」のかけうどんをいただきつつ。
カメラを進行方向左側側面(南向け)に向けて放置…等々。
それだけです。
その331→ sm40709434
その333→ sm40750927
mylist/71239378
【広島/Hiroshima】厳島神社参拝 | Go to Itsukushima shrine(World Heritage Site)
ご視聴ありがとうございます。
この動画は「フェリーで宮島」の続編です。
(JR西日本宮島フェリーで宮島口から宮島に渡ります)
いよいよ厳島神社に行きます。
動画の内容
1.厳島神社参拝
祓殿→拝殿→右楽房→右門客神社
→平舞台→左楽房→左門客神社
→祓殿→拝殿→天神社→能舞台
2.平重盛公お手植えの松
厳島神社出口を出てすぐの場所にあります。
3.後白河法皇お手植えの松
厳島神社参拝後の帰り道にあります。
お土産屋さんが並んでいない方を通って見学します。
当動画では、ここまでですが、
今後、五重塔やお土産の紹介動画も作成します。
参考:
厳島神社
http://www.itsukushimajinja.jp/index.html
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使用した音素材 冒頭:OtoLogic(https://otologic.jp)
外宮 地御前神社 御陵衣祭(1)(舞楽 蘭陵王) 令和4年6月3日(旧暦5月5日)
抜粋 トリミングしてできるだけ参拝客さんはカットしています(画質が少し落ちているかな)
長いので興味のある人はテキトーに飛ばしてみてください。画面は綺麗に見える大きさで調整してください。
蘭陵武王=6世紀の支那大陸の北斉の皇族 高長恭 の王号。
武勇に優れ、北周と戦い勝利した。大変な大変な美顔の持ち主であり、弱しと侮られぬようそれを隠すため仮面をつけて戦に臨んだという。しかし軍事才能が優れていたので北斉の後主に疎まれ33歳で、毒で自裁させられた。その後政治混乱や軍事的に弱まった国は滅んだ。
舞楽の面は=龍頭を模しているとか(wiki蘭陵王記事参照)
途中見物の方や子供達なんかいっぱい境内にいて騒いでおりますw なかなか賑やかです。
厳島神社境外摂社 外宮 地御前神社 御陵衣祭(馬飛ばし)旧暦端午の節句の祭り
神事と御祓いの後〜 舞楽 蘭陵王など二曲あり 長いね蘭陵王だけで=15分近くあったよ・・・。
太鼓?に合わせて登場する時がかっこえかった(個人見解ですが)
結構人が多かったです。菖蒲と蓬が置いてあり 地御前では邪を払うので軒に吊るすらしいです。
暑いやら涼しい風が入るやら複雑でした。 長丁場でした。また来年行けたらいいな。
次は馬飛ばし風景とか釈迦堂などの様子でも。
厳島明神 兼帯七社の一つ 「三翁神社」(角振・山王社)〜広島県安芸郡府中町〜
厳島神社旧兼帯七社の一つ 角振・山王社 現「三翁神社」訪問記。
創建は不詳ながら鎌倉時代以前から存在した古社。
祭神は春日系の角振隼総明神、(厳島神からみの三翁神)佐伯の翁(宮司系の佐伯氏か?) 所の翁(大瀧神社絡み) 岩木の翁(これは速谷の地主神とも言われる)
日吉山王の祭神は見当たらないのは天台臭がするため明治に変えられたのだろうか?
厳島の末社三翁社もやはり平家関係と三翁や綿津見神などになっていますね
この辺りは安芸国の国衙庁があり在庁官人田所氏の屋敷があり現在 田所神社が祀られている。(これは後でようつべの詳しい方に教えていただいたもので未訪問)
田所氏の古文書には 田所氏や厳島明神、角振社(その免田など)の関わりなども記載されているそうです。
天文年間(1532〜42年)に旧角振社が社殿が朽ち果て境内社の山王社(比叡山王でしょう)にやむなく合祀されたとの記録がありそれ以来 角振・山王社などとも呼ばれたようです。
江戸時代まで(いつ頃からは?)厳島神社の兼帯社であったそうです。
扁額=衆議院議員 中川秀直筆
兼帯社は以下
府中=惣社(現 多家神社)、角振、佐東郡=安芸津彦社 佐伯郡=速谷、天王社、大頭(おおがしら)、 大瀧の計七社。
厳島明神より祀官が来て祭祀を行い、修築の資材なども給された。
コンクリート再建なので心配したが拝殿は2階にそのまま移築されている模様。
広告恐れ入ります^^
外宮 地御前神社 御陵衣祭(舞楽 蘭陵王のワンシーン)令和4年6月3日(旧暦5月5日)
厳島神社境外摂社 外宮 地御前神社 御陵衣祭(馬飛ばし)旧暦端午の節句の祭り
神事と御祓いの後〜 舞楽 蘭陵王など二曲あり 長いね蘭陵王=15分近くあったよ・・・。太鼓?に合わせて登場する時がかっこえかった(個人見解ですが)
結構人が多かったです。菖蒲と蓬が置いてあり 地御前では邪を払うので軒に吊るすらしいです。
暑いやら涼しい風が入るやら複雑でした。 長場でした。
厳島御神能を開催中の宮島へ「晩春の宮島の新緑と桜を見ながらウロウロ 」 R 4・4.16
春の海と桜と新緑 宮島を散歩します。季節はもう初夏かって感じですね
2年ぶりに厳島神社桃花(とうか)祭御神能(ごじんのう)が通常開催された。宮島へ渡り配管へ向かう。どうせ遅刻と脇道を寄り道しながら晩春らしい景色を眺めつつ神社へさらに大聖院へ向かいました。人混みが嫌いなので商店街は通りませんでした・・^^;
春の宮島を点描風に振り返る動画。
ラストの一枚はチベット仏教の砂曼荼羅。
ちなみに梵鐘をついているのは安国寺恵瓊大好きな妖怪系生主様です。
【広島】JR西日本宮島フェリーで宮島に行く | Go to Miyajima by ferry
ご視聴ありがとうございます。
宮島口には、JR西日本宮島フェリーと松大汽船の
ふたつのフェリーの乗り場があります。
当動画では、JR西日本宮島フェリーで宮島に渡ります。
JR西日本宮島フェリーは、
宮島の大鳥居寄りのコースを通って宮島に行くため、
松大汽船より大鳥居に近づくことができます。
(現在は大鳥居の修復中なので見えません。)
動画の内容
1.宮島口のフェリー乗り場から宮島へ行く
2.平清盛像
宮島に到着したら、まず平清盛像前を通ります。
3.海辺を歩いて厳島神社方面へ向かう
途中、海辺でくつろぐ鹿がいます。
4.大鳥居と厳島神社
海上に浮かぶ大鳥居と厳島神社を見学します。
当動画では、ここまでです。
気が向いたら、続編も作って公開します。
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使用した音素材 冒頭:OtoLogic(https://otologic.jp)
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動画にない補足情報やグルメ・旅行の情報をツイートしています。
大竹市元町 疫神社・大治社と神楽山 薬師寺【芭蕉の弟子 志太野坡 記念の浅生塚】
広島県西端の街大竹市 鎮守大瀧神社の元の鎮座地(弥ヶ迫)にある「疫神社」(疫病を鎮めるため祭られた)と大治(おおち)社(宗像三神中でも田心姫命を祀る)大瀧神社〜御神幸の終点でもある。
言い伝えではここの場所あたりに厳島神社創建社として知られる佐伯鞍職(くらもと)が居住していた場所と言われる。伝説では所の翁とも呼ばれる。山の方に所塚(佐伯鞍職の形代をおさめているという)
真言宗 神楽山「薬師寺」
小さなお寺ですが、広島新四国88ヶ所霊場四番札所となっている。後ろの山上にかつて存在したという西福寺の後継の寺院で護摩堂を麓に移し創建したと言われている。
市内でも古い宝篋印塔(なかなか大きなもの)や古い仏像も多いようです。これらは江戸時代の災害など多い頃建立されたらしい火伏せ地蔵、法華塔の地蔵尊(宝篋印塔の守護)などもある
本堂の写真は没でした(失敗)本尊は薬師瑠璃光如来(六十年ごとにしか拝めませんです)
本堂上に浅生塚があり、芭蕉の弟子で軽みを継いだという芭蕉の弟子 志太(浅生庵)野坡(やば)の門人で、ここ大竹の芦蕗たち竹里連(俳諧を行う集まり)が野坡三十三回忌に建立した石碑。
野坡は西国方面で活動し、ここ広島藩最西端の地へも何度も訪れ連句を巻き、指導をおこなった。
【広島県の神社巡り】旧厳島神社兼帯社 大瀧(おおたき)神社 広島県大竹市
広島県西端の街〜大竹市の古社 大瀧神社(旧村社) 厳島神社の旧兼帯(社)七社の一つ。江戸期までは厳島神社から祀官が来て祭祀を行っていた謂れがある。
社伝では推古天皇5年創建らしい。村の拡大に伴い元亀年間(戦国期)、元文年間(江戸期)2度の遷座があり現在地 歯朶山の上に鎮座する。
祭神=宗像三神の一柱〜多岐都比賣命を主祭神として他七柱、
小高い山上にあり鎮守の森が覆う野鳥が多く自然が守られている。東麓には招魂社が鎮座しており境内は神社の駐車場も兼ねている。
狛犬、社殿も見応えがなかなかあります。4〜5回目なんだが環境も良いので運動がてら参拝もよかった(何度か通ってみないとわからないもんですな)
宮司さんは所さんといわれるそうで 厳島神社の鎮座伝説にもいう所の翁の後裔といわれるそうです。
拝殿の彫刻がなかなかよかった。
境内社=市内の祇園、淡島社、七福神社が合祀して祀られる社がある。
境内入り口の神明型鳥居は市内一大きな石造物だそうです。一ノ鳥居は本町筋側にあり離れているかつてはこの辺りまでが境内地だったらしい。
また街が拡大して埋め立てられる前は本町筋の先に船をつけて参拝したといわれているそうです。
今は埋め立てなど進み内陸側にあるが海の神として漁業者などの信仰も厚かったといわれる。
細かい歴史は大竹市歴史研究会のサイト参照(なかなか詳しいです)
音楽 のる様作 ニコニ・コモンズより
やさしいひととき。.*:+☆ジャズ風・優しいピアノソロ
鎮守の森~和風&アンビエントなピアノソロ~
旧厳島神社兼帯社 「大頭(おおがしら)神社」と豪快な妹背の滝 広島県廿日市市大野
厳島神社摂社として推古天皇の時代に創建(603年)された古社。
江戸時代までは厳島神社の(兼帯七社の一つ)兼帯社であった。祭祀や修築の用材提供などを厳島神社が全て行っていた。
大正2年に周囲の開発化が進んだため元宮のあった桑原というところから城山の東の麓にある昔から景勝地で知られた妹背の滝のある現在地へ遷座した。
インター近くの朱の両部鳥居の扁額は東久世熾仁親王の筆。
昔は厳島神社の神事である烏喰式なども境内で行われていたようですが最近はやってないみたい。
この辺りは〜西国街道にあたり長州征伐の時、長州軍VS幕府軍の激戦地の一つ。千人塚も残る。
妹背の滝
雄滝と雌滝の二つがあり雌雄滝、めおと滝とも呼ばれていた。神社遷座の頃か妹背の滝と命名された。
雌滝=落差50mの優雅な滝である。雄滝=落差30mの岩のすごい豪壮な滝である。
城山=厳島と本土の間の海峡を睨んだ大内氏の城で門山城があった山。厳島合戦前に毛利が攻め落として廃城となる。妹背の滝の上の公園から登山道がある。また大野浦駅近くからも登れる。戦国時代などは妹背の滝あたりから敵が攻めてきたり合戦なども行われたようである。
行き方
山陽自動車道の大野インターを降りて、右折します(左へ行くと国道2号線方面や新幹線高架沿いに阿品台団地やバイパス方面へ抜ける)
神社前に市の借りているらしい駐車場があるのでそこへ止めましょう。
国道2号線からインター方面への道を(大野中央)抜けてもいけます。
山陽本線の電車だとJR大野浦駅から30分くらい東へ歩くことになるかな。駅から駅前通りを東へと 向かいスーパー藤三のところを左折して山の方へ両部鳥居を抜けて、大野インター前を過ぎたらすぐ。
台風の襲来の中、【御朱印集め】改め【出雲国神仏霊場めぐり】スタート!!
出雲観光? そんなものありません!
御朱印集めが思いのほか集まって油断しているイチバラさんに
新たなお題として『出雲神仏霊場巡り』という、
とってもありがた~い企画に挑戦してもらいます!
だがしかし、突然の企画なので時間が足りない――!
そんな中でディレクター陣が絞り出した苦肉の策とは!?
「厳島神社&出雲大社をお参りしながら御朱印を集めようの旅」改め
「出雲神仏霊場巡り Part1」
【御朱印集め】きれいでありがた~い出雲大社でゆっくり観光――なわけがない!?
旅の第2目的地である「 出雲大社 」へ向けて出発。
出雲大社の周辺では多くの御朱印をいただけるようで、これは楽勝とイチばらさんも観光気分に!
――しかし、そんな甘い考えをスタッフが断ち切る!
ゆる~い企画だと油断していた彼に告げられた『 真の企画 』とは!?
「厳島神社&出雲大社をお参りしながら御朱印を集めようの旅 2日目・前編」
【御朱印集め】宮島(厳島)で御朱印を大量ゲット!! その夜、早速ご利益が…!?
ついに縁深い厳島神社へ到着!!
初日にして多くの御朱印を集められ、ご満悦なイチバラさん。
順調な旅を続けた我々はその夜、”摩訶不思議”な現象に遭遇する――。
コレが厳島神社のご利益なのか!?
「厳島神社&出雲大社をお参りしながら御朱印を集めようの旅 1日目・後編」
【御朱印集め】厳島神社と出雲大社を目指して御朱印集めの旅!・・・しかし真の目的は・・・
イチばらさんも馬鹿じゃない!!
2回も御朱印集めで呼び出されていたら、そりゃ予想できますよね!
しかし、表向きの目的に隠された、真のドッキリ企画とは・・・?
「厳島神社&出雲大社をお参りしながら御朱印を集めようの旅 1日目・前編」
紅葉が美しい境内/素盞嗚命と神武天皇を祀る 旧村社 宮内天王社〜黄落と大銀杏 (旧・厳島神社兼帯社) 2021
2021年 R3三年。初冬。今年最後の参道大イチョウの黄落が鮮やかな境内風景。定点観測。紅葉時期 今年は1週間あけて2回参拝したのでまとめ。
場所
廿日市市宮内は県道30号線が走り県道と御手洗川がぶつかる所の旧道を少し川沿いに遡ると参道入り口がある。ちょうど交番のところを入れば良い(交差点のところには吉賀町の柿木村アンテナショップがある)駐車スペースは細長く社前の道は意外に車が来るので注意。ゆっくり待ってバックでいれるのが吉か?すぐ近くのスーパー(買い物でもして)に止める手もある。
廿日市駅近くに廿日市天満宮があり(低い山だがかつての城跡)廿日市のそう鎮守でここの祭祀もしている。展望が良い。合わせてわせて参拝をお勧めする。
歴史
元来は広田神社の元鎮座地の麓にあったが、天正年間に海の近くなので津波災害で現在の宮内へ遷座した。元来は祇園社で牛頭天王を習合した神仏混交の社だった。
祭神=素戔鳴命、神武天皇など
明治後は八坂神社と改称したが戦後昭和44年頃 氏子の希望で宮内天王社へ社号を再度改称した。
名称は長い神仏習合時代の牛頭天王の語感を生かしたか神武天皇伝説の絡みからなどと言われる。
江戸時代〜厳島神社兼帯七社の一つだった(祭祀を厳島神社の祀官が行い社殿などの修築も厳島神社が賄った神社)境内にあります社殿修築の寄進者を記載した石碑を見ますと、厳島神社が多くの寄進をしていました。
境内は大木も多くあり村社として守られてきたようです。旧山陽道が近くを通っていた場所でもある。御手洗川沿いあたりは大体山陽道にあたるらしい。
旧山陽道富海宿3 楼拝殿が素晴らしい 旧郷社 国津姫神社 (山口県防府市富海)
旧山陽道(西国街道)に沿った宿場後に鎮座する古い神社。修正版
伝説では、天武天皇の御世 里人が海岸守護のため祖神として、宗像三神(田心姫命、多岐都比賣命、世市杵島姫命)を奉斎したのに始まる。
他に景行天皇の御世 熊蘇征伐に向かう朝廷軍が周防娑婆(さば)に寄港した時にいち早く帰順し周防娑婆一体を領した女首長=神夏磯姫を合わせて祀る。
国津姫とはこの地域の支配者の祖神である神夏磯姫を指すのではないかと思う。
永禄年間、毛利軍の防長侵攻に伴い焼失した為〜毛利元就により再建された記録もあるようです。祭神が毛利が尊崇した厳島神社と同じでもある。
江戸時代 幾度か造営がなされた 鎮座地の浮洲が開墾可能な土地なため藩命で遷座されたものの不作などが続き神威を恐れて十年で旧地の浮洲へ再度遷座されたと言われる。
明治二年 宮坊 神祥院寺が廃寺とされた。神宝などが多く失われたという。旧社格郷社となる
神社庁記事より。
音楽
のる様作ニコニ・コモンズ
KANADE ~ゆったりリラックス系 ピアノソロ~KANADE ~ゆったりリラックス系 ピアノソロ~
忘却の都~ノスタルジックなBGM~
【天正年間創建】廣瀬大明神「廣瀬神社」〜広島市中区広瀬
廣瀬大明神「廣瀬神社」〜広島市中区広瀬
市杵島比賣命、多紀理毘比賣命、多岐都比賣命の三神を祀る。相殿に天照大神、素盞嗚命、神倭伊波禮彦命を配する。主祭神は厳島神社と同じですね。
歴史=天正年間 毛利輝元が広島城を築城し本拠を広島に移した折、菩提寺 洞春寺(現在は山口市にある)をこの地に移したという。その鎮守として祀られたのが広瀬 市杵島大明神である
広島の城下町 西部一帯の氏神とされた
享保年間広瀬大明神と社号を改めさらに明治後に広瀬神社と号し村社と定められた。
広大な境内地に巨木古木が並ぶ境内だったそうですが米軍の国際法違反の原子爆弾投下により灰燼に帰す。戦後の区画整理で境内地も狭くなり現在の社域が定まった。
現社殿は拝殿が昭和二十四年建立、本殿は昭和五十年造営だそうです
行き方 広島駅や宮島線からだと~広島電鉄の十日市電停を下車して歩道(左側)を横川方面へ向かう。寺町電停の手前、広瀬町信号の交差点を左へすぐ。
JR横川からだと広電に乗り寺町電停で降りて少しだけ歩くと同じ交差点へ着く社殿が駐車場越しに見えます。
この日は横川あたりから寺町を散策しながら行きました。
【広島市の神社巡り】「安芸津彦神社」(旧名 官幣社) 広島市安佐南区祇園
江戸時代までは厳島神社の七つの兼帯社の一つであった。明治5年 現在の社号に改めた。
JR可部線に沿うように走る県道277号線(旧道)沿いにある。所々古い屋並みも残る道だが 今でも交通量は半端なく多い路線その街道沿いの一角に旧官幣社こと安芸津彦神社がある。
安芸津彦神社(旧名称=官幣社)安芸津彦命、安芸津姫命を祭神とする神社~安芸津彦命は阿岐(安芸)国造 飽速玉男命(速谷神社御祭神)の祖神である.
平成になる直前に焼失した後社殿は 残念ながら社殿は鉄筋コンクリート再建である。
写真を見直してみますと綺麗に撮れていました。
末社の建物は古い感じでした。
祇園の名の由来である、安神社がごく近い。
広島市の古社「安神社」(旧 祇園社) 広島市安佐南区祇園
清和天皇の御世 貞観年間に諸国に勧請された祇園社の一つだそうです神仏混淆の素盞嗚命と習合したした牛頭天王を祀る社だった。明治二年神仏分離し安神社と改称。
住宅に囲まれ 社頭を県道277号線が走り、背後にJR可部線が通過する場所にある。
鳥居から遥かに銀山(かなやま)=武田山〜佐東銀山城跡(安芸武田氏の根拠地)が見える。
佐東銀山城(武田山)の麓にあったが正安元年1299年に厳島神主家に攻められ兵火で焼けたため、武田氏により現在地で再建されのだそうです。
祭礼中の戦火で御神体は御神幸中で助かったという。
何度かこの辺は通行していたが、今回初めて参拝させていただいた。
県道277=西区横川〜安佐南区のJR古市橋駅前まで続く県道 旧国道54号で弓道と呼ばれバス通りでもあり交通量は相当多い。道は結構狭い。
近くに厳島神社兼帯七社の一つ 古社の安芸津彦神社があるようです。
字幕訂正2:43〜 武田、大内、毛利、福島。浅野など歴代領主にも尊崇されていた祇園社だった
大人のマイクラPart18 『厳島神社を作る』
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令和二年晩秋編 吉川氏の歴代の神霊を祀る〜「吉香神社」山口県岩国市(吉香公園内)
吉香神社 吉川氏歴代二十八柱神霊を祀る 社殿は享保十三年(1728年)建立 国の重要文化財指定
歴史
元は安芸国新庄の龍山八幡(広島で厳島神社についで古い社殿で吉川元春再建)にあった峰垂明神(吉川興経公が祭神)が始まりで社号は光明大明神〜霊社大明神〜峰垂明神と改号された。
正徳年間岩国へ勧請、さらに享保十三年(1728年)になり白山比咩神社内に社殿が造営され峰垂大明神と号した(この社が今の吉香神社の社殿)→さらに治功大明神と改号された。
その後に吉川経義(駿河の吉川氏の祖)を祀る「高秀社」、吉川広家を祭神とする「鎮昭社」が同所に建立された。
明治になり吉川氏が東京へ移住を命じられたため三社は廃社となる所、岩国の旧士民が吉川氏に要請しこれを受けて三社を合祀しさらに吉川元春、経幹(幕末に活躍した正式に諸侯に列した岩国藩初代藩主)を祭神として+され計五柱の吉香神社が誕生した。
さらに明治十二年郷社昇格、吉川友兼(駿河吉川氏二代)、経基(安芸吉川氏十一代で鬼吉川と呼ばれた)、元長(元春の長子)を祀り八柱の祭神とした。
明治十八年遷座しさらに県社に昇格した。昭和二十五年 吉川広嘉(錦帯橋をかけた領主)を祭神に加えた。 昭和三十九年吉川家正統十九柱を祭神に加えて計二十八柱を祀る神社となる。
紅葉間近で十月の終わりに訪問 神社の歴史・山口県〜文化財の解説 HP参照。初めて知りました^^;
使用音楽 のる様作ニコニコモンズより
鎮守の森~和風&アンビエントなピアノソロ~
蓮の花。.*:+☆ゆったりヒーリング・ピアノ
戦艦大和のボトルシップ作ってみたよ。
戦艦大和のボトルシップです。
3dsmax及びVrayで制作。海はphoenixFDを使用しています。
ツイッター
https://twitter.com/zozi009
潜水空母 伊400浮上
伊400潜水艦の動画です。
冒頭はもちろん広島県呉市のアレイからすこじまでの撮影です。
3dsmax及びVrayで制作。海はphoenixFDを使用しています。
うちのマシンi9-9980XE、メモリ128Gじゃこのあたりが限界。
水の一粒が7cmもあるし、泡も3000万粒までしか出せないので、もっと速いマシンが欲しいなり。
1カットの計算が全部で1~2週間くらいかかったりする。