晩春の 大竹 疫神社・大治社大竹市元町

晩春の 大竹 疫神社・大治社大竹市元町

広島県西端の街大竹市 鎮守大瀧神社の元の鎮座地(弥ヶ迫)にある「疫神社」(疫病を鎮めるため祭られた)と大治(おおし)社(宗像三神中でも田心姫命を祀る)大瀧神社〜御神幸の終点でもある。桜のころも撮影したので桜模様はまたうpします。大竹地域の言い伝えでは=ここの場所あたりに厳島神社創建社として知られる流刑中の佐伯鞍職(くらもと)が居住していた場所と言われる。厳島明神鎮座伝説中では所の翁とも呼ばれる。疫神社境内の 山の方に所塚(佐伯鞍職の形代をおさめているという)注)この時は上までは行かなかったのですが、推古桜(途中で折れてる)が見えるところまで上がりました。そこから見た感じでは楕円形の石がいくつか据えてありちょうど墓所に花筒にシキミが供えてあるように見えたもんで。写真は失敗してた。もしかしたら所塚自体はさらに奥かもしれません。墓の可能性も機会があればまた見てみようかな。大瀧神社 宮司家=所 氏ですからね 佐伯氏の系譜か?大治(し)社=田心姫を祭るお社。恵比寿様も合祀されているようです。疫神社(やくじんじゃ)大国主命、少名彦命(字幕=打ち間違えてます訂正します^^; 動画はこのままにします)、素盞嗚命〜祭神は元は牛頭天王なんでしょうね。所の翁=伝説ですが、厳島明神が厳島へ来た時、海上で出会った釣りをする翁。どこのものかと問えば所のものですと答えたという伝説で(この土地のものです意味)厳島神社創建の佐伯鞍職である。佐伯鞍職(大竹の説話では)、または別の人物とも・・。歴史的なものは大竹歴史研究会のHP記事を参照しています。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm40763932