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楠木氏ゆかり・山形県鶴岡市「玉川寺」と国史跡の名庭園
出羽三山のふもとにある玉川寺は、凡そ七百有余年前の鎌倉時代(1251年)に曹洞宗の開祖道元禅師の高弟だった了然法明禅師によって開山されたと伝えられています。
了然法明禅師は朝鮮高麗の生まれで、中国の径山寺で修行し、日本に渡来し羽黒山に参詣しての帰途、観音堂を拡めて禅刹の基礎を築いた。
その後、室町期に至る約二百年間の歴史は審かではないが、享徳二年(1453年)、楠木正成の孫・楠木正勝(傑堂能勝禅師)が開いた新潟県の村上市の耕雲寺の三代目住職・南英謙宗禅師が、庄内の領主・藤原氏の懇請により玉川寺を再興し、現在に至っている古刹。
御本尊はに霊験あらたかな聖観世音菩薩を祀り、近郷に多くの末寺をもつ曹洞宗寺院では日本でも古い旧蹟である。
荘内平和観音三十三霊第十七番礼所にもなっている。
玉川寺庭園がまた見事で、1450年代に作庭され、1650年代の改修を経て、室町の遺風を今に伝えられている。
自然の山から流れ落ちる滝を配し、大きな池を中心とした池泉廻遊式蓬莱庭園は石組も鋭く、地方稀に見る名園。
1987年に国の文化財名勝に指定され現在に至る。
楠木正成の孫・正勝が創建した山形・荘内地方の古刹・泉藏寺
泉蔵寺は当時この地方を治めていた横山城の城主・武藤氏の菩提所として建立された寺院。
御本尊として釈迦牟尼如来・両祖大師がお祭りしてあり、楠正成の孫である楠正勝が創建した。
古刹・泉蔵寺の本堂には二基の石碑がある。
その一つが五輪塔で横山城の城主・武藤氏廣の墓,
この塔は天正年代の創設と推測され、重厚でかつ地方色豊かな造りになっている。
昭和49年に山形県東田川郡三川町横山の文化財に指定され現在に至る。
当日はアポ無しで参拝したが、偶然にも副住職様からお話しをお伺いする事ができ、楠木正勝と当寺との貴重なお教えを頂いた。
大阪河内長野の紅葉の名所 観心寺は国宝・重要文化財豊富な楠木正成ゆかりの古刹
大阪河内長野の紅葉の名所に行きました。
観心寺は、大阪・奈良・和歌山の三県の境に位置し、役行者が開き、弘法大師が再興したといわれる名刹です。南朝ゆかりの寺で楠木正成幼少の頃の学問所でもあります。
金堂や建掛塔など境内には国宝や重要文化財がたくさんあり、秋には赤のモミジや黄色のイチョウで美しく彩られます。春は桜の名所としても知られ、関西花の寺二十五番霊場にも数えられます。
観心寺の後は、美しい林道を通って、もう一つの紅葉の名所、延命寺に行きました。
延命寺と奥河内もみじ公園はまた別動画で紹介させていただきます。
大阪市内から一時間足らずで行けるお勧めの紅葉の名所です。
楠木正成の孫・楠木正勝が開いた寺院・山形県「耕福寺」
山形県置賜郡高畠町の耕福寺は、楠木正勝(能勝傑堂禅師)が開いた寺院。
建武2年、楠木正成は後醍醐天皇から、この地を所領として安堵され、楠木家の領地となった。
正成の孫・正勝(能勝傑堂)が、自身の寺である耕雲寺(現・新潟県村上市)から、旧楠木家所領近くの、日本三大文珠の一つで古刹「亀岡文珠」に参詣に訪れた際、高畠の地元の人々が「是非とも、元領主・正成の孫であるあなた(正勝)に、この地で寺院を開いてほしい」と依頼された。
地元の人々の熱い誓願を受け、正勝(能勝傑堂)が建立したのが耕福寺である。
関西から遠く離れた山形県で、楠木家の元所領があった事に驚きであった。
この発見があった現地調査の帰り道、大きな虹が出現。
先祖の御霊が喜んでくれている事を強く感じた。
【リアル登山アタック】静けさの中を古刹から往く剣山RTA
だいぶ間が開いてしまっていますが、
カ◯ニキから呪いが回ってきたので登山してきました。
らいねんの登山祭を待たずにお祓い投稿です。
サラバ!呪い!
早朝や夕方は涼しくなってきました。
くもりで日光が無い日は風が肌寒いですね。
登山にはいい時期です。
つぎの山はどこにしようかな?
てがるな山がいいですね(^^)
sm42288040←前回 ◇ 次回→未定
登山動画 投稿リスト:mylist/48376523
お借りした素材
https://commons.nicovideo.jp/works/nc204856
https://commons.nicovideo.jp/works/nc280079
https://commons.nicovideo.jp/works/nc285102
https://commons.nicovideo.jp/works/nc305386
https://commons.nicovideo.jp/works/nc305820
https://commons.nicovideo.jp/works/nc307897
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im11202199
件の動画
https://www.nicovideo.jp/watch/sm42808289
第725回『関西150の古刹が「神仏霊場会」◇鳥居美恵子講演会は10月10日締切』【「水間条項」会員動画】
■【日本再興連携動画「南京・朝鮮半島問題完全粉砕」「日本製普及」支援版画一覧表(画像がある版画は申込み可能です) - 【水間条項国益最前線】
http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/blog-entry-2962.html?sp
令和5年6月4日遍照寺副住職、金花山宝泉寺開催の花宝苑開園記念コンサート「おてらJAZZ」を見にゆく
広沢山遍照寺副住職が京都支所仲間のよしみで京北の「金花山宝泉寺」さん開催の
花宝苑開園記念コンサート「おてらJAZZ」に参らせて頂きました。
「花宝苑 癒やしの歌声コンサート」
トランペット/ボーカル:五屋聡
ピアノ:内藤直樹
ベースギター:渡辺春雄
①Fly me to the moon
②But not for me
③Danny Boy
④Alone together
⑤Old folks
⑥I cant give you anything but love
⑦花は咲く
⑧On the sunny side of the street
以下、宝泉寺概略
金花山宝泉寺の歴史は古く、平安末期の傑僧文覚上人(1139)に依る開創と伝承されています。当時、弘法大師が真言密教の根本道場とされた古刹神護寺(京都市高雄)は、荒廃の極みにあって「人法共に断絶堂屋ことごとく破滅」と云う状況となっていました。
文覚上人は直ちに神護寺の再興を発願され勧進僧として歩みますがその道、非常に厳しく、都度三度に亘る流罪に処せられます。しかし後白河上皇や源頼朝の助縁を得て神護寺の再興にその半生をかけ成し遂げられたのであります。
この当時、再建された山内に宝泉院と称する塔頭寺院がありましたが、この寺院こそ後日、文覚上人による当山創建の伝承の源となったお寺であります。
南北朝時代の延文元年(1356)心蓮上人はこの塔頭寺院であった宝泉院を下熊田村に移し、十一面観音を秘仏の本尊として寺号を宝泉寺と改め開山されました。以来、宝泉寺が病気平癒に格別の霊験のあるお寺として、人々の信仰を集めております。
永い歴史を有する当山は、平安時代~鎌倉時代の古写大般若経を始め、甚だ珍重すべき什物など優品が保管されています。
毎年7月の土用の日は宝物の虫干しと大般若経祈祷会が行われています。当山は、四季折々の風光に恵まれて信仰と癒しの場として親しまれており、特に4月の桜は見事で天を突く巨大な「京紅しだれ桜」は圧巻です。 宝泉寺は、真言宗総本山仁和寺の末寺として年中行事や教化活動を通じて地域に広く貢献しています。
金花山宝泉寺概略
宗旨:古義真言宗 御室派
総本山:御室 仁和寺(世界遺産)
本尊:十一面観世音菩薩
開基:延久元年(1069年)初代開基第1世 心蓮上人
【Voicepeak 】〜御朱印祭2023〜臨済宗 漢陽寺 重森三玲作庭の「曲水の庭」と潮音洞 山口県周南市鹿野
御朱印祭2023参加 ラストです^^; ギリ間に合う。令和4年11月28日の記録をまとめた。
中国山地 山口県 周南市鹿野(かの)
臨済の古刹鹿苑山 漢陽寺 中国33観音霊場15番札所。御本尊=聖観世音菩薩。
歴史=周防太守大内氏の大内弘世が鹿苑庵を建立し明で禅の修行したという名僧 用堂明機禅師 を招き開山。大内盛見(もりみ/りはる)公が大内盛見が伽藍を建立した臨済の名刹で大内氏祈願所とされた。
かつて十刹に数えられ明治以前は200ヶ寺の末寺を持つ臨済宗用堂派を形成したほどの寺院であった。
漢陽寺の案内板を再度確認するとどうも 用堂明機禅師(ようどうみんき ぜんじ)と読むようですね。
境内、潮音(ちょうおん)洞〜山口県、周南市等HP文化財などによると。
鹿野の住人 岩崎惣左衛門が私財を投げ打ち(後に鹿野の民衆も協力)寺の裏山をくりぬき隧道を掘り、錦川の支流 渋木川から取水路を作り引き込み開通させたもの。
藩政時代の記念碑的灌漑施設 長州藩政時代 灌漑用水の史跡 潮音洞の清流(灌漑隧道の県重要文化財指定 史跡)
江戸時代 萩毛利藩領の都農郡 鹿野において台地のため水が少く田が開けないので新田開発及び生活用水のため開かれた。崎は藩士の籍に復帰した。
2022.11.28初旬 紅葉の頃漢陽寺 参詣時の庭園拝観記録動画。
庭園 七つの庭園がある
1曹源一滴の庭(宋代の玉澗の山水画のイメージを取り込んだ桃山様式の庭。)
2本堂前の2曲水の庭(曲水の宴をおこなう平安様式の庭に蓬莱山、枯滝を表す枯山水の組み合わせ)
3祖師西来の庭(達磨大師による禅の招来をイメージしている苔と石組みの庭、本堂側には水路が流れる)
4蓬莱山池庭 鎌倉様式 築山、豪快な石組、潮音洞から流れを引いた池が前面を巡る。
5地蔵遊化の庭=平安様式 地蔵菩薩がこらと遊ぶイメージを表す。
庭園=1、2は重森三玲氏の作庭、3は御弟子さんの斎藤忠一氏の作庭。
他に瀟湘八景の庭(通常は非公開)
九山八海の庭(書院の室内からガラス越し見ます。写真が失敗していたため取り上げていない)
周辺の見所 二所山田神社 杉の大木の多い式内社二俣神社論社、弾正桜(龍雲寺のところにある)
歴史詳細〜漢陽寺パンフレット及びサイトと境内掲示、コトバンク、wiki、臨済ネットHP、wiki漢陽寺、大内氏等ページ等参照。
【Voicepeak】〜御朱印祭2023〜久遠山 海蔵寺と江戸時代の作庭〜石組庭園 【禅宗寺院庭園】 広島市西区草津
Voicepeak版リニューアル増補 曹洞宗 久遠山 海蔵寺と石組庭園(池泉庭園)
広島市西区草津 行者山山腹にある西国街道沿いの古刹。最寄駅 広島電鉄 宮島線 草津電停
米帝の原爆投下で焼けたため広島市内の古庭園はほとんどない。
江戸期庭園の遺構が残るのは=貴重なものであります。今回で3回目訪問。
Voicepeakは音声案内してもらっいてます。公式の立ち絵はOP・EDのみ利用しました。
広告大変恐れ入ります^^;人 感謝感謝であります
久遠山海蔵寺 御本尊=十一面観世音菩薩
本堂=天保年間建立で江戸期の寺の本堂建築を今に残す。被曝建物でもあります。
旧市内は古い寺院本堂はほとんど焼けているため残るものが大変少ない。
本堂は方丈の形式だが通常より大きな作りになっているそうです。
西区草津
草津の旧西国街道沿いにある寺社である。周囲には草津八幡(近代に遷座している)、鷺森神社や古い蔵元、寺社、コテ絵を観れる古民家なども点在するエリア。漁師町でしたが今は都市化され埋め立てが進んでいる。現在の牡蠣養殖を盛んにしたのも草津かららしいですね。
石組庭園=元禄時代に築庭された寺院庭園。本堂北側の斜面にあり。
本堂(方丈)書院から見る形式かな。岩が多用されていて三角形に近い池がある。石組は池の護岸から池上部にかけて重厚に組まれている。
西側(向かって左)には滝石組があり落水されていた(今もわずかにあるそうですが、枯れたりもしてるみたい)この時は枯滝のようでした。
滝石の横(左)にも横石を用いた石組が築山から下の方へ組まれている。滝石と横石の石組のあたりの築山はちょうど谷のような形状になっている。庭園ガイドさんのHPを拝見すると以前の写真からしたら山からの土砂が石の間に増えていますね。
夏なので草が茂っています。
海蔵寺サイト、海蔵寺さんの御由緒書、新広島八十八ヶ所H P寺院紹介、庭園ガイド(庭の紹介HP) サイト海蔵寺の項参照させていただきました。
音楽
ニコニ・コモンズ のる様作
忘却の都~ノスタルジックなBGM~他
令和5年4月16日遍照寺副住職、金花山宝泉寺開催の「癒やしの歌声コンサート」を見にゆく
広沢山遍照寺副住職が京都支所仲間のよしみで京北の「金花山宝泉寺」さん開催の
「癒やしの歌声コンサート」に参らせて頂きました。
「花宝苑 癒やしの歌声コンサート」
歌:Misera 千代道子
http://sinoyemusic.com/blog
音響:森崇
〈曲目〉
・越天楽・春
・蘇州夜曲
・蓮音
・いつも何度でも
・花は咲く
・人生の扉
・歓びを広げよう
・光明真言~光のうた
・ふるさと
以下、宝泉寺概略
金花山宝泉寺の歴史は古く、平安末期の傑僧文覚上人(1139)に依る開創と伝承されています。当時、弘法大師が真言密教の根本道場とされた古刹神護寺(京都市高雄)は、荒廃の極みにあって「人法共に断絶堂屋ことごとく破滅」と云う状況となっていました。
文覚上人は直ちに神護寺の再興を発願され勧進僧として歩みますがその道、非常に厳しく、都度三度に亘る流罪に処せられます。しかし後白河上皇や源頼朝の助縁を得て神護寺の再興にその半生をかけ成し遂げられたのであります。
この当時、再建された山内に宝泉院と称する塔頭寺院がありましたが、この寺院こそ後日、文覚上人による当山創建の伝承の源となったお寺であります。
南北朝時代の延文元年(1356)心蓮上人はこの塔頭寺院であった宝泉院を下熊田村に移し、十一面観音を秘仏の本尊として寺号を宝泉寺と改め開山されました。以来、宝泉寺が病気平癒に格別の霊験のあるお寺として、人々の信仰を集めております。
永い歴史を有する当山は、平安時代~鎌倉時代の古写大般若経を始め、甚だ珍重すべき什物など優品が保管されています。
毎年7月の土用の日は宝物の虫干しと大般若経祈祷会が行われています。当山は、四季折々の風光に恵まれて信仰と癒しの場として親しまれており、特に4月の桜は見事で天を突く巨大な「京紅しだれ桜」は圧巻です。 宝泉寺は、真言宗総本山仁和寺の末寺として年中行事や教化活動を通じて地域に広く貢献しています。
金花山宝泉寺概略
宗旨:古義真言宗 御室派
総本山:御室 仁和寺(世界遺産)
本尊:十一面観世音菩薩
開基:延久元年(1069年)初代開基第1世 心蓮上人
☆☆ Voicepeak ♪♫ 【彩澄りりせ&フリモメンと行く】尾道寺社巡りの旅 (リニューアル版)
この動画は寺社巡りしております^^人 令和2年1月の記録 この日尾道巡拝で回ったお寺リスト以下
持光寺〜光明寺〜尾道 吉備津彦神社、宝土寺〜海雲塔(卒塔婆塔)、天寧寺まで。
光明寺ではご住職がおられてので、目的の一つ朱印帳を授与いただき(猫の宝船の絵柄)御朱印を頂戴しました。波分千手観世音の文字ががいいですねえ。御朱印ですが、天寧寺はご住職不在でした。500羅漢は表情が様々で面白いです行かれたら是非(撮影は遠慮しときました)
混乱の幕開けコロナ禍直前で参拝した記録動画のリニューアル再編集です。
習作なんでご意見やアドバイスがあればコメントくださいな(=^ェ^=)
記載予定の御朱印祭2023用に再編集してみたけど、御朱印が一件しかいだいけなかったので長い割に
御朱印メインな感じじゃないんで寺社動画としてうPします。
・・初め御朱印祭用に作りかけてたからお借りしたロゴが紛れて消しわすれて残ってる修正します^^;=済み。
他に持光寺では握り仏作成体験などもされているみたいです。
宝土寺さんは陶器の窯を設けておられる模様
時々猫に会うのも楽しみです。続きもリニューアルするか?未定w
2多分この後の御袖天神まで(疲れてて撮影がwいまいちなんでちょいと出来が悪が)
3西国寺、4西郷寺あたりの以前うpした元データーが見つからず一旦完結です。
Voice peak版 案内 彩澄りりせ 解説 フリモメン
絹本著色普賢延命像
文化庁 文化遺産オンラインサイト https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/159085
古刹大聖院と〜もみぢの名所〜紅葉谷の紅葉風景 2022.11/15
宮島の紅葉の模様。
秋季大祭の大聖院の紅葉
紅葉谷公園の紅葉
もみぢ荘周辺 紅葉谷の奥を散策
四宮神社周辺の紅葉
厳島神社裏(長橋あたり)の紅葉
大鳥居と海
来年はぜひ秋の宮島へどうぞ
これで宮島の秋の風景動画は完了。総集編があった・・火渡りの・・まだまだ続く。
晩秋の三滝観音 ダイジェスト 広島市西区三
広島市近郊で歴史のある古刹で渓流や滝もあり風光明媚で知られる。
11月14日15時から16時半ごろにかけて訪問散策に訪れた。ダイジェスト。また本編作ります。
今年の紅葉速報。まだまだです。一部色づきあり18日から紅葉祭りらしい。
☆日帰り旅行祭★ 山口県最古の庭園へ行こう!→【松江山(ずんごうざん)宗隣寺 龍心庭】 山口県宇部市(2019夏)
宇部市小串 松江山(ずんこうざん)宗隣寺 臨済宗東福寺派の古刹 2019訪問
写真等調整し庭園への旅動画として全部作り直してた^^;>間に合った。
ゆっくりのナレーションをつけた。
00:00〜宇部へ宇部線 電車風景、小串通りの彫刻など
02:20 宗隣寺参道〜境内風景〜如意輪観音堂
04:45 龍心庭拝観
元は宝亀八年(777年)唐からの渡来僧の為光和尚が 普済寺として創建〜寛文十年(1670年) 毛利藩の家老で宇部を領した福原氏の福原広俊が父の号からとり 福原氏の菩提寺 「宗隣寺」として再興した。
中国観音霊場 の一つで如意輪観音十八番札所。山陽花の寺 御朱印もある。
本堂北面の庭園は普済寺の庭園を基にした(築庭は古く南北朝時代650年前に遡る)築山 泉水庭園です
夜泊まり石風な石組みや浅瀬の干潟様の古風な趣向が残されています。
夜泊り石=蓬莱島へ向かう宝船が夜停泊している様子を表現した庭園の守護石の一種らしいです。
干潟様(ひがたよう)=池の水際を小石などを敷いて、池泉の水が増減しますとまるで、干潟のようになる趣向の意匠。平安期の策庭記という書物にも記載されている。
ただ、現在確認できるのは平泉毛越寺と宇部宗隣寺だけだそうです。
本堂は平成十年再建だそうで、庭園も昭和四十三年に古庭園の研究 修復専門家の 重森三玲(みれい)氏により調査修復されています。
そんなに広い庭ではないのですが綺麗な庭です。鑑賞時にはご住職がテープで解説を流していただけるのでわかりやすいです。
築山の奥には旧領主 福原氏墓所があり幕末の家老福原越後さんのお墓もある。年に一度公開され参詣可能。
山口県最古層の庭として国の名勝指定され歴史的庭園であります。
ニコニ・コモンズ のるさまの曲
ゆくも!を利用させていただきました。
高照寺山麓 祖生(そお)新宮神社、長寶寺(創建1200年)岩国市周東町祖生(旧玖珂郡周東町)
一分弱登山動画祭であげた氷室ヶ岳の関連として山向こうの祖生(そお)を散策します。
山口県の東部の周防(すおう)旧玖珂郡を廻りました。
この日の行程〜まず旧山陽道を経由して難所の中峠を越えて玖珂(くが)市街に向かわず周東町祖生ヘの道をたどりました(これは毎回定番コースです)新宮神社、長寶寺を回り〜この後先に動画をうpした藤生の松巖院へ行きました。動画は新宮神社から〜
新宮神社」
岩国市周東町 祖生(そお)にある古社。社殿の姿が大変いいです^^
この地はお盆にある「柱松」などの伝統行事で有名。
かつて祖生は厳島神社別当寺 水精寺(今の大聖院の前身)の寺領であったそうでその関係で大内氏の名により源宗光が厳島明神を勧請したという。社(やしろ)はそれ以前から存在した模様。
江戸時代は吉川氏の祈願所だった。
他に祖生には近くに延喜式内熊毛神社論社「岩隈八幡宮」(古い方)などもあります。
洪福山 長寶寺(ちょうほうじ) 観音霊場の 創建1200年は経つと思われるの古刹
行基菩薩が行脚中に高照山中の高所に補陀落に似た場所を見つけ観音菩薩像を彫り祀ったことから
始まった縁起がある。創建時は密教寺院で大同年間の記録などもあるようです〜1338年普明国師により臨済宗に変わり中興されたが江戸時代古い伽藍を焼失したのち現在地へ寺院を降ろしたということです。
山門をくぐると大変見晴らしのいい境内があり本堂がある。
一段高い場所に観音堂があり、十一面観音菩薩を祀る。
周防三十三ヶ所観音霊場二番。この霊場は大内弘世が勧請した霊場で古いものである。
霊場のHPによれば観音菩薩像は見た感じから藤原期(平安時代)の作ではないかとの記述もあった。
33年毎開帳の秘仏で明治以後は7年ごとにのみ開帳されています。
周防33ヶ所観音霊場、長寶寺サイト参照。
修正機能試してみた いいね^^
東北の古刹・天台寺と「あじさいの海」【ぶらりドライブ日帰り旅#2】
7月初めに天台寺(岩手県二戸市浄法寺町)までドライブしてきました。
「お参りに行ってみたい!」とずーっと思っていましたが、遠いのでなかなか行けず・・・。
今回、ちょうど「天台寺あじさい祭り」の期間中ということで、意を決して一人だけで運転して行ってきました。念願のお参りができた上に、見頃になった沢山の美しいあじさいも見る事ができて嬉しさマシマシ!特に「あじさいの海」は絶景でした!!行った気分で楽しんでいただけましたらうれしいです。
(撮影日:2022年7月6日)
永興寺 薬師堂の枯山水と室町期庭園遺構
永興寺 庭園 岩國随一の古刹 薬師堂の枯山水と境内奥の室町期の庭園遺構(城山を利用している)
大内氏の創建で仏国国師開山。今の城山周辺は永興寺の境内だったという大寺院であった。大内氏が安芸へ進出するときは宿所や陣所につかわれていた。
薬師堂建立(仏像はなかなかいい)の時に作られたようで前側の枯山水はあたらしいものですが地元の造園業者さんが作庭されたそうです。時代の味がつけばさらにいいでしょうね。
奥の室町期の庭園は城山の斜面を枯れ滝(なかなかいい感じ)に見立てた古いものであるがさらに整備が必要な感じでした。悪くはないです。よくみに行きます。
今境内墓地があるあたりは昔は紅葉などの林だったらしいです。今は面影がないようです。参道には紅葉の木が残り初夏や秋には緑や紅いトンネルにになります。
吉川氏が岩国領主となると寺院を解体、築城、御館、武家屋敷などに転用した。その後請願により再興されたが大きく規模は縮小された。
明治後、廃仏毀釈により縮小されて存続した。
参考
隣の曹洞宗の洞泉寺さんも本堂までの参道も綺麗にされていて梅の古木があるので2月梅の頃が良いです。
【紅葉風景】厳島神主家菩提寺 曹洞宗 洞雲禅寺 広島県廿日市市
境内の大銀杏の紅葉、サザンカ、境内社の風景。
應龍山(おうりゅうざん)洞雲寺(とううんじ)初冬の銀杏など紅葉風景。
廿日市駅の北口を出て近い場所にあり以前は、周りは山林が多かったが、開発され住宅、スーパー、新しい道路(佐方へ抜ける)ができて都市化されつつあるエリア。
金岡用兼(きんこうようけん)禅師は周南市にある陶氏の菩提寺古刹 龍門寺の住職であった名僧で洞雲寺の開祖である。本山の永平寺復興などに携わった名僧だった。
金岡禅師の門下は金剛派として周防 渓月院、長門 功山寺、阿波 丈六寺などと4大道場と言われたらしい(以前参拝した渓月院の由緒書にあった)
陶晴賢の墓所、友田(藤原)興藤墓所、桜尾城主として赴任していた桂本元澄や穂井田(ほいた)元清夫妻(毛利元就の子で長府藩祖 毛利秀元の実父)の墓所もあるようです。 2020年秋頃に訪問
【三滝観音】三滝名水と幽明の滝 編 広島市西区三滝山
幽明の滝、三滝名水の落水の画像をいくつか追加して再編集まとめ直した。
第一の滝(雌滝)幽明〜ゆうみょう〜の滝=落差45尺 13.5m(鎮守堂前にある)
三滝名水=本堂裏にあり三滝寺を詠んだ詩の書が壁にかけられている。名水は上の滝の落水が流れてきて滝のように落ちている。原爆投下の日八月六日の平和記念式典にて七つの献水の一つとして供えられる。
広島市西区三滝山にある真言宗の古刹。江戸時代から三滝観音として信仰され親しまれてきた。
風光明媚な渓流や滝のある境内は夏の避暑や秋の紅葉などもある。
「中国観音霊場」「廣島新四國88ヶ所霊場」の札所でもあり参詣者が後をたたない。
古刹 三滝寺 梵音之滝と補陀落庭 広島市西区三滝山
少し画像追加して再編集版 龍泉山 三滝寺の庭園とニノ滝の映像をコンパクトにまとめたもの。
補陀落の庭=Potaraka こと補陀落浄土を指す言葉。元々あった寺院庭園を重森三玲氏が改修した庭園です。普段は中は非公開。参道からは見ることができる。
梵音の瀧=庭園奥にある二の滝である。落差90尺=27mの瀑布。梵音は、梵天王(最高神ブラフマン)の発する音声、仏の声又は読経の声などの意味がある。R3 秋
広島市の寺院【三滝観音】龍泉山「三滝寺」(三)補陀落の庭と茶堂・梵音の滝〜多宝塔 広島市西区三滝山
広島市西区三滝山にある真言宗の古刹。江戸時代から三滝観音として信仰され親しまれてきた。
風光明媚な渓流や滝のある境内は夏の避暑や秋の紅葉などもある。「中国観音霊場」「廣島新四國88ヶ所霊場」の札所でもあり参詣者が後をたたない。
字幕訂正=梵音の滝は字幕では落差つ90m〜90尺27mが正しいです。
その3=その3は下山しながらと十六羅漢。茶堂、梵音の滝と補陀落の庭〜多宝塔(国の重要文化財)
その2= 本堂、三滝名水〜鎮守堂、幽明の滝〜三鬼堂まで(猫も出ます)sm39664828
その1sm39657016
久々の(以前登山の時だから五年ぶり?)散策時に綺麗なので写真沢山撮りましたので活用してみました。秋の午後で曇り加減だった。寺の裏山は宗箇山と言われ 上田宗箇が縮景園から借景として大きな松を山頂に植えた故事からその山名がついた山。
大同四年(809年)空海の開基と伝わる古刹で江戸時代後期に入山した明禅僧正により六十年の期間にわたり再興された。その後鞍馬寺で修行された四廣四鬼神和尚により復興が継承されたという。弥山の寺にて住職も兼ねていたので、宮島の弥山に祀られていた三鬼大権現(追帳鬼神、時眉鬼神、魔羅鬼神からなる弥山 山岳信仰の守護神)の三鬼神権現堂が勧請され建立されている。
現在の場所にある弥山の三鬼権現堂(御堂は江戸期までは現在の御山神社のある岩盤の上にあったようです)建立したのもこの和尚だということです。
原爆の被害を受けおり当時の建物で現存するのは 鎮守堂、三鬼権現堂、稲荷社、鐘堂、想親観音堂。
本堂は原爆と風水害の被害を受けたため昭和四十九年に古い日本の様式で総檜、寄棟、瓦葺にて再建。
音楽 のる様作(ニコニコモンズ)蓮の花。.*:+☆ゆったりヒーリング・ピアノあとは沢音。
事歴に関しての歴史事項は、広島市西区役所作成配布の三滝散策マップ境内、参道周辺地図の記事を参照しています。)お近くの方は気が向かれたら是非参詣ください。
広島市の寺院【三滝観音】龍泉山「三滝寺」(二)本堂と三滝名水〜鎮守堂と幽明の滝 広島市西区三滝山
広島市西区三滝山にある真言宗の古刹。江戸時代から三滝観音として信仰され親しまれてきた。
風光明媚な渓流や滝のある境内は夏の避暑や秋の紅葉などもある。「中国観音霊場」「廣島新四國88ヶ所霊場」の札所でもあり参詣者が後をたたない。
その2= 本堂、三滝名水〜鎮守堂、幽明の滝〜三鬼堂まで(猫も出ます)その3は下山しながら茶堂、庭園と十六羅漢像、多宝塔。こちらは見どころが多いので三回くらいに分割してます。
その1sm39657016
久々の(以前登山の時だから五年ぶり?)散策時に綺麗なので写真沢山撮りましたので活用してみました。秋の午後で曇り加減だった。寺の裏山は宗箇山と言われ 上田宗箇が縮景園から借景として大きな松を山頂に植えた故事からその山名がついた山。
大同四年(809年)空海の開基と伝わる古刹で江戸時代後期に入山した明禅僧正により六十年の期間にわたり再興された。その後鞍馬寺で修行された四廣四鬼神和尚により復興が継承されたという。弥山の寺にて住職も兼ねていたので、宮島の弥山に祀られていた三鬼大権現(追帳鬼神、時眉鬼神、魔羅鬼神からなる弥山 山岳信仰の守護神)の三鬼神権現堂が勧請され建立されている。
現在の場所にある弥山の三鬼権現堂(御堂は江戸期までは現在の御山神社のある岩盤の上にあったようです)建立したのもこの和尚だということです。
原爆の被害を受けおり当時の建物で現存するのは 鎮守堂、三鬼権現堂、稲荷社、鐘堂、想親観音堂。
本堂は原爆と風水害の被害を受けたため昭和四十九年に古い日本の様式で総檜、寄棟、瓦葺にて再建。
音楽 のる様作(ニコニコモンズ)忘却の都~ノスタルジックなBGM~ あとは沢音。
事歴に関しての歴史事項は、広島市西区役所作成配布の三滝散策マップ境内、参道周辺地図の記事を参照しています。https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/nishiku/226361.html(ここで地図が見れます)お近くの方は気が向かれたら是非参詣ください。
広島市の寺院【三滝観音】龍泉山「三滝寺」(1)本堂までの参道、鐘堂、龍神堂他 広島市西区三滝山
広島市西区三滝山にある真言宗の古刹。江戸時代から三滝観音として信仰され親しまれてきた。
風光明媚な渓流や滝のある境内は夏の避暑や秋の紅葉などもある。「中国観音霊場」「廣島新四國88ヶ所霊場」の札所でもあり参詣者が後をたたない。
*お詫び= 龍神社は龍神堂が正しいです訂正いたします。昔から御寺では祀られていたそうです。
久々の(以前登山の時だから五年ぶり?)散策時に綺麗なので写真沢山撮りましたので活用してみました。秋の午後で曇り加減だった。寺の裏山は宗箇山と言われ 上田宗箇が縮景園から借景として大きな松を山頂に植えた故事からその山名がついた山。
(1)参道入り口あたり〜鐘堂〜龍神堂〜六角堂〜本堂 直下の磨崖仏までです(途中にある茶堂、庭園と十六羅漢像他は下山時に観ます)こちらは見どころが多いので三回くらいに分割。
その2=sm39664828
大同四年(809年)空海の開基とも言われる古刹で江戸時代後期に入山した明禅僧正により六十年の期間にわたり再興されたという。
その後鞍馬寺で修行された四廣四鬼神和尚により復興が継承されたという。弥山の寺にて住職も兼ねていたので、宮島の弥山に祀られていた三鬼大権現(追帳鬼神、時眉鬼神、魔羅鬼神からなる弥山 山岳信仰の守護神)の三鬼神権現堂が勧請され建立されている。
現在の場所にある弥山の三鬼権現堂(御堂は江戸期までは現在の御山神社のある岩盤の上にあったようです)建立したのもこの和尚だということです。
原爆の被害を受けおり当時の建物で現存するのは 鎮守社、三鬼権現堂、稲荷社、鐘堂、想親観音堂。
本堂は原爆と風水害の被害を受けたため昭和四十九年に古い日本の様式で総檜、寄棟、瓦葺にて再建。
音楽 のる様作(ニコニコモンズ)忘却の都~ノスタルジックなBGM~ あとは沢音。
事歴に関しての歴史事項は、広島市西区役所作成配布の三滝散策マップ境内、参道周辺地図の記事を参照しています。https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/nishiku/226361.html(ここで地図が見れます)お近くの方は気が向かれたら是非参詣ください。
広島市の古刹寺院「三滝寺」(入り口あたり〜鎮守社、渓流など)
編集中。序盤部分テスト投稿。参道〜観音堂〜鎮守龍神社まで〜渓流の様子。
本編以下
その1=sm39657016
その2=sm39664828
三滝寺なかなかよろしいですね。5年ぶりに参詣しました。蚊がまだいましたw
真言宗の古刹 「上不見山 極楽寺」 広島県廿日市市(極楽寺山山頂付近)
廿日市市の極楽寺山693m山頂付近にある古刹。1200年を超える歴史がある。
本堂は毛利元就の寄進で再興されたもの。天明年間大きな修理が行われているらしいので、現存する本堂建立時の永禄年間の木材は少ないという。
周囲はモミの原生林があり大変自然豊かな場所。時に野猿の姿もある。
正規の参道は登山道であります。この日も登山客が何組かいましたね。
残念なのはよく知らないため寺務所横の赤樫の巨樹を見忘れたこと^^; 何度来てるかダメだね。
境内展望所からは広島湾の島々が見える。
他に蛇の池があり、睡蓮が夏には咲いて綺麗です。周りを散策できます。
阿弥陀大仏様 は今期は参拝せず。
同山にいたナナフシsm39550620
音楽
のる様作 ニコニコ・モンズより
「雫 ~優しく穏やか メロディックなピアノソロ~」
古刹の風景 龍泉山 三滝寺(Mitaki dera)
広島市内の霊場で、渓流沿いに滝や伽藍、鎮守社が並ぶ涼しい場所。宗箇山の山麓にある、三滝寺 参拝の一コマ。庭園と茶堂、滝、多宝塔など。
とりあえずミニ動画として。 21 /9/ 24 参拝
【廿日市 天神 山麓界隈散策】〜真宗 蓮教寺と大蘇鉄 (はつかいち市天然記念物)
天満宮の山麓界隈を散策。本陣後の楠と石碑〜JR駅側からの風景〜西側山麓の浄土真宗 古刹 蓮教字と県下第4位ソテツの古木、境内風景。広島県歴史散歩に出ていたのでお参りしてきた。結構風情があります。
注)三業惑乱(さんごうわくらん)=浄土真宗で江戸時代本山学頭 功存により 意(心)口(言葉) 身(身体活動)の三業を通して弥陀仏に救済を求め全てに信心帰命の姿が伴わねばばらぬとした自力要素のあるものだった。これに対し批判が起こり 安芸の学僧大瀛(だいえい)らはその資料を集め団結、批判を展開した。宗派内では解決できず幕府の寺社奉行の前で討論がなされ古義派の安芸学僧らが勝って異安心(異端説)が正された。しかし騒動中に死者や獄死者や遠島、本山の閉門100日間の沙汰も出るほどの騒動となり真宗史上の大事件であった。wiki参照
廿日市天満宮 創建は厳島神主家 藤原氏の桜尾城の鎮守として建立された。篠尾山sasao yamaちょいとだけ山登りです。大変眺めが良い。都市化されてしまっていますが広島湾の島々がよく見て取れます。宮島なども指呼の間に見えて厳島神主家の支配の出城とされた場所です。
厳島神主家が滅んだ後、次第に社運衰微して慶長五年に広島藩西の商業都市廿日市の氏子により再建されたといい「別当寺天神坊」と号した。その後、町の鎮守として続いてきた。
江戸期は、佐方八幡(佐方地区)、新宮社(下平良)をも勧請し広島藩の西の大きな宿場である廿日市の総氏神とされた。
明治以後、別当寺正覚院と天満宮が分離独立された。山上で並んでますけどね。
【作業用BGM】「雨の清水寺」 島根県安来市 雨の音/雨音/環境音/自然音/ASMR【EMOCAL(エモーカル)】
○他の動画はこちら mylist/71500192
○島根県安来市「みさき親水公園」の動画はこちら so39120031
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○瑞光山 清水寺(ずいこうざん きよみずでら)
用明天皇二年(587)尊隆上人によって創建された天台宗の古刹です。十一面観音様をご本尊とする厄払いの寺として有名です。創建当時、この山は一滴の水も出ませんでしたが、7日間祈願したところ水が湧出し、一年を通して常に清い水を湛えたところから清い水の出る寺、清水寺と命名されたと伝えられています。
本堂奥にそびえる三重塔は高さ33m、山陰唯一の木造の多宝塔であり、実際に登ることができ、「出雲の国神仏霊場第11番」「出雲の国観音霊場第21番」「中国観音霊場第28番」の霊場として親しまれています。
境内には宿泊施設として「紅葉館」「松琴舘」があります。
また各宿泊施設やお食事処「ゆう心」では精進料理を楽しむこともできます。
○EMOCAL「雨の清水寺」
静かな境内に小雨が降る日の清水寺を感じることができます。5万坪という広大な境内では、春の桜、ツツジ、秋の紅葉、冬の雪景と四季を通じて美しい色彩を感じることができます。
清水寺・島根観光ナビ
https://www.kankou-shimane.com/destin...
清水寺公式サイト
http://www.kiyomizudera.jp/
出雲國神仏霊場を巡る旅 清水寺紹介
https://shinbutsu.jp/shrines-temples/...
【制作】
EMOCAL(エモーカル)
https://catchystuck.jp/emocal/
【協力】
島根県安来市
https://www.city.yasugi.shimane.jp/
○EMOCAL(エモーカル)とは?
地域の音とイラストを使って日本全国を応援する地方創生プロジェクトで、無料で動画コンテンツの制作を行なっております。完成した動画や描きおろしたチーコのイラストデータをご共有いたしますので、その後の宣伝活動などにご活用いただけます。ご興味のある方は公式サイトよりお問い合わせください。
https://catchystuck.jp/emocal/
【厳島神主家の菩提寺】曹洞宗 應龍山 (おうりゅうざん)洞雲禅寺(とううんぜんじ) 広島県廿日市市
應(応)龍山(おうりゅうざん)洞雲寺(とううんじ)。
廿日市市北口にあり前は周りは山林が多かったが、開発され住宅、スーパー、新しい道路(佐方へ抜ける大きな道が今工事中)ができて都市化されつつあるエリア。
金岡用兼(きんこうようけん)禅師は周南市にある大内氏の重臣であった陶氏(すえ氏)の菩提寺で周南市にある古刹 龍門寺(りゅうもんじ)の住職であった名僧で洞雲寺の開祖である。本山の永平寺復興などに携わった名僧だった。
金岡禅師の門下は金剛派として周防 渓月院、長門 功山寺、阿波 丈六寺などと4大道場と言われたらしい(以前参拝した渓月院の由緒書にあった)→サブ垢〜小周防の渓月院=sm37215231
厳島合戦の敗者 陶晴賢の墓所、桜尾城主として赴任していた桂本元澄や穂井田(ほいた)元清夫妻(毛利元就の子で長府藩祖 毛利秀元の実父)の墓所もあるようです。
コメントありがとうございます^^
寺号読み記載しました。忘れてました(^^;;
写真そうですね傾いてますね。春にも行って桜の頃撮ったのもあったんですけど誤って消しちゃいました。残念。春も綺麗です。
令和3年4月10日遍照寺副住職「金花山宝泉寺」へ花見にゆく
広沢山遍照寺副住職が京都支所仲間のよしみで京北の「金花山宝泉寺」さんへ花見に参らせて頂きました。
動画内で法泉寺さんの案内をしておりますが「ぶんかくしょうにん」は間違いで「もんがくしょうにん」が正しいです。
この場にて訂正させて頂きます。
以下、法泉寺さんの案内全文を記載しておきます。
金花山宝泉寺の歴史は古く、平安末期の傑僧文覚上人(1139)に依る開創と伝承されています。当時、弘法大師が真言密教の根本道場とされた古刹神護寺(京都市高雄)は、荒廃の極みにあって「人法共に断絶堂屋ことごとく破滅」と云う状況となっていました。
文覚上人は直ちに神護寺の再興を発願され勧進僧として歩みますがその道、非常に厳しく、都度三度に亘る流罪に処せられます。しかし後白河上皇や源頼朝の助縁を得て神護寺の再興にその半生をかけ成し遂げられたのであります。
この当時、再建された山内に宝泉院と称する塔頭寺院がありましたが、この寺院こそ後日、文覚上人による当山創建の伝承の源となったお寺であります。
南北朝時代の延文元年(1356)心蓮上人はこの塔頭寺院であった宝泉院を下熊田村に移し、十一面観音を秘仏の本尊として寺号を宝泉寺と改め開山されました。以来、宝泉寺が病気平癒に格別の霊験のあるお寺として、人々の信仰を集めております。
永い歴史を有する当山は、平安時代~鎌倉時代の古写大般若経を始め、甚だ珍重すべき什物など優品が保管されています。
毎年7月の土用の日は宝物の虫干しと大般若経祈祷会が行われています。当山は、四季折々の風光に恵まれて信仰と癒しの場として親しまれており、特に4月の桜は見事で天を突く巨大な「京紅しだれ桜」は圧巻です。 宝泉寺は、真言宗総本山仁和寺の末寺として年中行事や教化活動を通じて地域に広く貢献しています。
金花山宝泉寺概略
宗旨:古義真言宗 御室派
総本山:御室 仁和寺(世界遺産)
本尊:十一面観世音菩薩
開基:延久元年(1069年)初代開基第1世 心蓮上人
難読漢字
玄翁は、玄翁和尚(げんのうおしょう)が鬼退治をしたという逸話か語源とのことです。
よく見るとハンマーとは違うので、興味があったら調べてみてください。
叩頭は、言葉の使い方としては、叩頭して詫びる、叩頭政治とか。
頭を地につけておじぎをすることを意味するそうです。
古刹は、由緒ある古い寺。古寺。古刹めぐりといえば、古寺巡りのこと
白帯下は、おりもの とも。医療用語です。
作者の独り言:玄翁について調べていたところ、インターネットの記事で、すごい道具だ!
と熱く記事内で語られていたので、胸が熱くなりました。
子供のころ、年配の方に、ちょっと玄翁持ってきて、そう、それ、うーんと、ハンマー、金槌!
と言われたのを思い出しました。当時はよくわからなくって、なんだろう・・でした。