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【神道シリーズ・シーズン3(思想編)】第15回・大国隆正と国家神道
明治以降、平田篤胤の思想の影響を受けた者たちは、基本的に、人は死後、地球上の周りにある幽界という空間を霊魂となって彷徨い、体は風、火、土、金というエレメントになって循環し、やがてはそれに魂が宿り、人間は再生する、という道教的な死生観と、地球を創生したのは日本の神のイザナギとイザナミであるからして、日本の天皇が全世界の上に総主として君臨すべし、という超誇大妄想的天皇世界総主論だけは引き継ぐという傾向を共有していたが、本田親徳は、平田思想の中でも特に人と神霊とのコミュニケーションに興味を持ち、その研究と実践のほとんどは神霊の人間への憑依を目指すことに向けられた。
死者や動物や神仏の憑依は修験道や民間信仰の間にも古くからあったが、そうした憑依が可能なのは特定の能力を持った者か、あるいは神や仏や死者などから指名された特定の人物に限られていたが、本田は、誰でも一定の術式に従って行えば神霊の人への降臨・憑依は可能であるとした。
本田は、神憑りには36通りの在り方があると言ったが、それを大きく3つに分類して、霊がいきなり憑依する場合、一部の素質のある人が一人で神霊を呼び寄せる場合、そして本田が提唱した審神者と神主を通じて、たとえ能力者や偶然の邂逅でなくても意識的に神霊を呼び寄せ憑依させることが可能な鎮魂帰神法があり、本田は自ら開発したこの鎮魂帰神法を通じ、神の言葉を直接聞くという方法で古事記理解の正誤を確認するという作業を行い、「難古事記」という著作にまとめた。
それによると、人はみな神の子であり、直霊という正しい心の霊を持ち、勇気と調和と愛と探求の心を呼び出す荒魂、和魂、幸魂、奇魂という四つの魂を持っているとし、善を行えばこれらの魂の量は増え、悪を行えば減るとした。
儒教の魂観の擦り直しと見れないこともないが、とにかく、本田の神霊降臨術・鎮魂帰神法は、その後、弟子の
長澤雄盾を通じ、大本教の出口王仁三郎や大本教を経た神道天行居の友清歓真ら多数の平田系神道カルト教祖たちに伝えられ、明治以降、古神道を名乗る平田派神道系カルトの中核的思想となって行った。
本田の鎮魂帰神法を継いだ者たちは、鎮魂帰神法とともに平田篤胤の超誇大妄想とも言える
天皇世界総主論、つまり、地球上の世界を創ったのは日本の神だから天皇が世界を治めるべきだと言う部分を強く受け継いでおり、彼らが本田の鎮魂帰神法による神託を担保とし、彼らはますます狂信的に持論にのめり込み、それは世界恐慌後の社会不安が広がる中、その狂気は国民を戦争の時代へと引き込んでいくこととなったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】第16回・本田親徳と鎮魂帰神法
明治以降、平田篤胤の思想の影響を受けた者たちは、基本的に、人は死後、地球上の周りにある幽界という空間を霊魂となって彷徨い、体は風、火、土、金というエレメントになって循環し、やがてはそれに魂が宿り、人間は再生する、という道教的な死生観と、地球を創生したのは日本の神のイザナギとイザナミであるからして、日本の天皇が全世界の上に総主として君臨すべし、という超誇大妄想的天皇世界総主論だけは引き継ぐという傾向を共有していたが、本田親徳は、平田思想の中でも特に人と神霊とのコミュニケーションに興味を持ち、その研究と実践のほとんどは神霊の人間への憑依を目指すことに向けられた。
死者や動物や神仏の憑依は修験道や民間信仰の間にも古くからあったが、そうした憑依が可能なのは特定の能力を持った者か、あるいは神や仏や死者などから指名された特定の人物に限られていたが、本田は、誰でも一定の術式に従って行えば神霊の人への降臨・憑依は可能であるとした。
本田は、神憑りには36通りの在り方があると言ったが、それを大きく3つに分類して、霊がいきなり憑依する場合、一部の素質のある人が一人で神霊を呼び寄せる場合、そして本田が提唱した審神者と神主を通じて、たとえ能力者や偶然の邂逅でなくても意識的に神霊を呼び寄せ憑依させることが可能な鎮魂帰神法があり、本田は自ら開発したこの鎮魂帰神法を通じ、神の言葉を直接聞くという方法で古事記理解の正誤を確認するという作業を行い、「難古事記」という著作にまとめた。
それによると、人はみな神の子であり、直霊という正しい心の霊を持ち、勇気と調和と愛と探求の心を呼び出す荒魂、和魂、幸魂、奇魂という四つの魂を持っているとし、善を行えばこれらの魂の量は増え、悪を行えば減るとした。
儒教の魂観の擦り直しと見れないこともないが、とにかく、本田の神霊降臨術・鎮魂帰神法は、その後、弟子の
長澤雄盾を通じ、大本教の出口王仁三郎や大本教を経た神道天行居の友清歓真ら多数の平田系神道カルト教祖たちに伝えられ、明治以降、古神道を名乗る平田派神道系カルトの中核的思想となって行った。
本田の鎮魂帰神法を継いだ者たちは、鎮魂帰神法とともに平田篤胤の超誇大妄想とも言える
天皇世界総主論、つまり、地球上の世界を創ったのは日本の神だから天皇が世界を治めるべきだと言う部分を強く受け継いでおり、彼らが本田の鎮魂帰神法による神託を担保とし、彼らはますます狂信的に持論にのめり込み、それは世界恐慌後の社会不安が広がる中、その狂気は国民を戦争の時代へと引き込んでいくこととなったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第17回・川面凡児の禊行(伊勢神宮・全国神社の祭祀創設)
豊前国(現・大分県宇佐郡両川村小坂)に、酒造業と呉服業を営む家の次男として生まれた川面凡児は、教育の為に預けられた宇佐神宮の神職で父の義弟の溝口千秋のもとで多くの勤王の志士たちとの出会いがあり、その中の常遠翁に漢籍を学び、13歳にして地元の馬城嶺に登り、自称697歳の童仙・蓮池貞澄から仙道を学び、
その後3年間馬城嶺で修験道の修行を経た川面は、15歳にして入津(豊後高田市)の私塾「涵養(かんよう)舎」で仏教、法律、経済を学んだあと、21歳で熊本県隈庄町に私塾「稚竜同盟谷」を開き、子供たちの教育に携わった。その後、24歳にして政治の世界を目指し上京するが、途中で宗教研究に転向し、小石川の浄土宗寺院・伝通院に住み込みながら、様々な宗教家たちと交流を続けたが、生活苦の中、浄土宗の本山・増上寺から後援で宗教雑誌への投稿や女学校の教師などをして糊口を凌いだ。
その後、自由党機関紙や長野新聞、そして和歌山の自由党機関紙など主筆となり、45歳の時に下谷区三崎町に「全神教趣大日本世界教」を旗揚げし、稜威(みいつ)会を創立した。そして、川面凡児が48歳になった1908年(明治42年)から片瀬などで修禊を開始し、その6年後には男爵の高木兼寛を会長に、古典を通じて日本の神々を学ぶ古典考究会を設立、『古典講義録』を刊行し、同会には秋山真之、八代六郎、平沼騏一郎、杉浦重剛、頭山満、筧克彦など、トップクラスの軍人や政治家らが加わった。
1917年(大正6年)川面が56歳になった頃から滝行など禊の行を会員とともに各地で始め、後の皇学館大学開設者の今泉定助が支持したことにより各地の有力な神職の賛同を得、海浜や滝水での禊行事が全国的に流行した。
現在の伊勢神宮や全国神社の滝打ち禊行は川面凡児が創設したものだが、川面は禊行のみならず、その宗教思想面も含めて日本の神道を明治期から大正期にかけて創設した人物とも言える。
逆に言えば、日本の神道とはこの時期に確立したとも言えるのである。
【神道シリーズ・シーズン3】第19回・千家尊福と出雲国造【前編】出雲国造の歴史
朝鮮半島にルーツを持ち、仏教伝来以前の古代より続いてきた出雲信仰を引き継ぐ出雲国造は、1600年以上の歴史を持ち、その歴史は、奈良時代以降に始まった伊勢神宮より古く、そしてその歴史観は朝廷の編纂した古事記・日本書紀とは異なり、独自の出雲伝承のストーリーで語られている。
古き出雲信仰は「出雲風土記」に基づき、新羅より渡来した神・スサノオの神霊を継ぐアメノホヒを始祖とする
出雲氏が、朝廷より管轄を依頼された出雲国造として、朝廷に従属する形で国造職を担ってきたが、大化の改新で国造職が廃止された後も「出雲国造」を名乗りながら出雲信仰信仰圏を維持して行った。
そこでは出雲国造は人ではなく、アメノホヒそのものであり、現人神であった。出雲国造は島根県東北部の意宇の熊野大社を拠点としていたが、平安時代には島根県西北部の杵築に拠点を移し、アメノホヒの神霊の元である
スサノオを、アメノホヒそのものである出雲国造が祀り、中世から近世にかけては天台宗の鰐淵寺と蔵王権現とスサノオの本地垂迹関係を結んでいた。
しかし、江戸時代後期になると、76代国造の千家俊秀の弟・俊信は、本居宣長の門人となり、国学に傾倒するようになった結果、国造に代わって指揮を執り、これまでの天台宗鰐淵寺との本地垂迹関係を解消し、杵築大社の祭神をスサノオから大国主に変更し、平田篤胤による大国主イコール幽界の支配者の思想を採り入れ、出雲信仰はしだいに平田国学の復古神道的となり、国学に基づく出雲神道が形成されることとなった。
こうした背景を持つ出雲国造家は、明治以降、祭政一致を目指す復古神道の思想により、「うつくしよ」と呼ばれた人間界を支配するのは天皇で、「かくりよ」と呼ばれた死後の世界・幽界を支配するのは大国主という顕幽二元論を掲げて新政府の宗教改革政策に積極的に関与したが、明治6年の神道事務局創立の際に起きた、事務局の祭神・造花三神と天照以外に大国主も同時に祀るべきという、所謂「祭神論争」が起き、出雲派はこの論争に敗北することにより、在野で独自の教団を形成する決意をし、明治13年に80代国造の千家尊福が出雲大社教を立ち上げ、政府の管理する神社神道とは異なる独自の信仰路線を進む一方、神秘思想に埋没していった古神道と呼ばれる平田系神道カルト集団とも距離を置き、今日まで続く独自の出雲信仰を形成して行ったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第22回・宮地水位と宮地神仙道
嘉永5年1852年に土佐の国潮江村(現・高知市土居町)に潮江天満宮の祠官の家に生まれた宮地水位の宮地常盤は、平田篤胤の没後門人で、異界と現界を往来し、道教の神仙思想と古神道を融合させた宮地神仙道の祖であった。水位は10歳の頃より父・常盤より脱魂法による異界訪問、つまり、特殊な瞑想法により、自分の意識が、平田篤胤が唱えた幽冥界に飛び、異界を彷徨い、また現実の世界に戻ってくる、という修行を繰り返していた。しかし、その父・常盤は、その霊能力が優れて門人を増やしたことや、当時、山崎闇斎の崎門派と言われた垂加神道が土佐の神職たちの間で中心となっており、垂加神道の儒教的要素を否定する平田国学を信奉する宮地常盤はまわりの神職たちから嫌われた為、潮江天満宮の祠官の職を追われてしまい、当時12歳だった宮地水位が父の祠官の職を継ぐこととなり、幼くして神職としての自覚を促される結果となった。
水位は、神職としてだけではなく、10代前半にして神職の身でありながら、高野山や法隆寺に住み込み、仏学などの見聞も広め、やがて17歳になると、四国の手箱山、石鎚山、金比羅を巡拝し、鉱山や薬草の知識に長けていた水位は、途中鉱山を発見したり、仙薬を開発したりしていた。
宮地水位は多数の著作を残しているが、彼の人生のほとんどは潮江天満宮の中での瞑想による異境訪問で費やされており、その異境訪問は、10歳の頃から53歳で帰幽するまで数百回におよぶと言われており、その異境、つまり平田篤胤の言う幽界での体験をまとめたものが「異境忘備録」という彼自身の著作であった。
客観的にはたから見れば、ただ単に神社の中で座って一日中瞑想にふけっているだけのように見えるものの、彼自身の中では何度も何度も頭のイメージの中で繰り返されっる異境幽界訪問であり、その幽界のイメージには一貫性があり、4層に分かれる神界と彼が呼んだ幽冥界の様子が「異境忘備録」には詳細に記述されている。
しかしながら、そこに描かれている神仙界の世界はまさに道教の神仙思想の描く神仙界に酷似しており、自らも土佐の高山手箱山で出会ったと言う推定年齢2300歳の朝鮮国から来た仙人・川丹に導かれた、と主張するが、水位に言わせれば、中国の道教とは、出雲の神の少名彦那が中国で作ったものであり、元は日本の神道であると主張する。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)大石凝真素美と言霊学
言霊というと、あたかも太古の昔より「言葉には魂が宿ると言われてきた」と考えがちであるが、実は江戸時代より前に残る記録の中で言霊という言葉を使っていたのは9世紀に空海が書いた「声字実相(しょうじじっそうぎ)」という書の中で「五大に皆響き有り、十界に言語を具す、六塵悉く文字なり、法身は是れ実相なり」と、真言密教の真言について述べていたわけで神道とはまったく無関係だったのだが、言霊を神道と結び付けようという動きは、幕末の国学者・中村孝道から始まっている。
中村孝道は自ら開発した水茎文字というハングルに酷似した文字を神代文字だとし、それを現在のかな75音に置き換え、この75音は宇宙全体の神霊エネルギーを発していると主張した。
大石凝真素美は、天保3年(1832年)伊賀の国上野に生まれ、本名は望月春雄といい、医者の家系の家に運れたが、中村孝道の門人だった祖父の幸智から国学を教えられ、自ら医者の道を絶ち、国学者として生きていく決意をした。
1868(慶応4)年には、美濃の修験者で中村孝道の言霊思想を深く理解していると言う山本秀道の噂を聞いて訪ね、その知識と霊威に感じ入って師事し、そのまま居候して孝道の言霊学を学んだ。
その秀道と行った本田霊学の鎮魂帰神法の結果、自分はイシコリドメの生まれ変わりと悟り、名前を大石凝真素美と改名した。
大石凝は、中村孝道の真須美鏡を元にして言霊による宇宙や地球や人類の発生を説明しようとし、それによると、日本語の清音・半濁音・濁音を合わせた75音は「こえのこ」と呼ばれる神霊元子であり、この神霊元子の発生が宇宙を誕生させ、至大天球と言われる儒教の天空宇宙観を思わせる宇宙空間はこの神霊元子による言霊パワーによって形成され、その天球の中心部に大気が結晶して「地球」になったと主張する。
さらには、最初の人間達は、土の中で何年も過ごして、体が成熟すると土から出て来て爬虫類のような姿で何年も過ごし、その後で脱皮して人間の姿になったと言う。
人間は、眼・耳・鼻・舌・身・意識の「六識」を持ち、欲である「七識」と良心である「八識」、そして仏の智である「十識」を持つ、という実に仏教的な人間観を持っている。
大石凝は、宇宙を司るのは天御中主で、地球を司るのは大国主だとし、事代主は75音を司り、スクナビコナは外国語を司るとしたが、大国主が司る日本語は宇宙発生時以来の75音であり、日本語は世界言語のルーツだとまで主張した。
【神道シリーズ・シーズン3】第24回・竹内巨麿と竹内文書
竹内巨麿と言えば、まぼろしの「竹内文書」が有名であるが、竹内巨麿やピラミッド日本起源説を唱えた酒井勝軍など、現在の日本で流行っている心霊・UFO・宇宙人・終末論・超能力・超常現象・都市伝説等のオカルトブームはまさに彼らの生きた大正期から昭和初期から始まっていると言っても間違いではない。
竹内宿祢の孫、平群真鳥の血統を継ぐ自称竹内宿祢67世を名乗る竹内巨麿は、1944年(昭和19年)の第二次天津教事件で逮捕された時の特高警察調書によると、実際には木挽職、つまり、のこぎりで木を切る仕事を生業とする森山勇吉の私生児として生まれ、小作農竹内庄蔵の養子となり竹内姓を受けることになったのだった。
巨麿の人生は、こうして自らの履歴の詐称から始まり、平群真鳥の時代から受け継がれてきたと自称する竹内文書も実は自ら著していたもので、その長編空想小説ともいえる文書は、小出しにしながら公開すると称して、実は自ら書き続けていたのである。
その竹内文書によると、もともと地球上には日本しか存在せず、日本は紀元前3175年より王朝があり、古事記で言うところの神代七代の神々は実は天皇で、その王朝は、その後、上古25代、ウガヤフキアエズ朝75代、そして、神武天皇以降の現在の王朝は「かむやまとちょう」と呼ばれるとした。
神代七代の天皇の時代には、天皇が天空浮船と呼ばれるUFOのような宇宙船に乗って世界中を巡遊しながら世界を統治したと言い、3000年以上前には上古2代の天皇の16人の兄弟姉妹たちが世界中に散り、彼らの名前が現在の世界各地の有名な都市名である、ニューヨークとかロンドンとかボストンのような名称になっていると言った。
さらに、モーゼもキリストも釈迦も孔子も孟子も日本の神道の教えを乞うて日本に来日し、残りの余生を送ったと書かれている。 よって、彼らの墓も日本にあると言うのである。
中でもキリストの墓として比定された青森県三戸郡新郷村は、今でも村おこし事業として竹内文書を根拠とする
「伝説のモーゼパーク」を運営している。
しかし、このように荒唐無稽な、まるでアニメの世界のような世界観・歴史観は、当時、1929年の世界恐慌後に社会不安と逼塞感が高まる中、当時の著名な宗教家や思想家、あるいは一流と言われた学者たちなどの著名人や陸軍海軍の中将大将レベルの軍人たちの間にも強い共感を呼び、当時のウルトラナショナリズム的な潮流の中で繁栄していくこととなる。
本田親徳の鎮魂帰神法を基軸とする明治以降の古神道を名乗る平田系カルトグループは、宮地水位の霊界神仙思想や大石凝真素美の言霊学や、神代文字で書かれたとする竹内巨麿の竹内文書などがやがてカルト思想のデパートととでも言うべき大本教の流れに大きく収束して行くのであった。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第26回・大本教(その①)大本教の思想遍歴
大本教の歴史は、開祖出口なおが、57歳の時、放火容疑で収監された牢獄の中で神憑りになり、文盲であったはずなのにいきなり全文ひらがなで艮の金神からのメッセージを書き留めた自動書記と言われる現象から始まった。
当時、頻繁にいきなり神憑りとなり意味不明の言葉を発していたなおは周りから精神異常者と見做されており、それが故に無実ながらも放火事件の容疑をかけられ逮捕拘留されていた。
しかし、なおは、意味不明のメッセージを発するだけではなく、同時に神憑りになり、多くの人の病気神霊治療も行っており、周りのなおの評価は二分していた。
そんななおが63歳になった時、丹波出身で、本田親篤の弟子の長澤雄楯から言霊学や古神道を学んだ上田喜三郎と出会い、宗教的知識のある喜三郎はなおを補佐しながら次第になおの神憑りによる筆書きは宗教団体としての体裁を得ていくこととなる。
上田喜三郎はなおの5女すみと結婚して出口家に養子縁組し、なおの勧めで名を出口王仁三郎と名乗ることとなった。当時、すみの母なおは65歳で、王仁三郎は30歳の若者であった。
なおと王仁三郎は対立や協調を繰り返す中、次第に曖昧だったなおの艮の神や世の立て直しの神託は王仁三郎によってより明確な大本神道理論となり、艮の金神は国常立尊であり、立て直しで実現するのは弥勒菩薩の降臨であると宗教理論の体型を確立して行った。
もともとなおが信仰していた天理教や金光教の教えである万教同根論、つまり、すべての宗教は同じもの、という考え方や神の願いに叶った生き方をすべしという考え方がベースにあったが、これが、なおの死後、王仁三郎により、より平田国学的な解釈が強まり、日本を中心とした汎神論や、世界宗教日本起源説や、日本が世界を統一することにより
弥勒菩薩の降臨を呼ぶ、と言うような日本中心主義を強調することにより、多くの軍人や右翼団体の幹部たちの広範な支持を受けることとなった。
第一次大本教弾圧後、王仁三郎の思想は、当時の社会不安が拡大する風潮を背景に急進化し、自らがメシア、つまり世界の救世主であり、自分こそがイエスキリストの生まれ変わりであり、同時に弥勒菩薩そのものだと主張するようになり、軍人たちが世界を制覇したのちには自分が天皇の輔弼となり世界を治めるべきとまで訴えるようになった。
大本は政府により潰されたが、大本に心酔した軍人の中からはクーデターを企画したり、政府を脅したりと、戦争拡大と日米戦による日本の破滅への道を進めることとなったのである。
マタギの嫁
古神道の祝詞 かんながらたまちはえませ
ANIMATOTIX
https://commons.nicovideo.jp/material/nc192897
新作『マタギの嫁』
ゲームアツマールで無料公開しました
https://game.nicovideo.jp/atsumaru/games/gm26421?link_in=index_play-history
(あらすじ)
ある年の暑い夏
村の猟師が行方不明になる事件が多発する
そんなある日の夜
山の猟師マタギの家の戸を叩く音
戸を開けると,そこには美しい少女が立っていた
cv 川乃瀬由羽 さま
https://www.fanbox.cc/@maihal-yuu
【スピ入門1】科学的アプローチと日本神道から見えない世界を紐解く
◇ WAS(ワス)の生い立ちと目覚めのきっかけ
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◇ 目次 ◇
00:00 WAS(ワス)の自己紹介
01:00 アインシュタインが語った神
01:30 原子核と電子はスカスカ
03:13 ビッグバン理論とE=mc2
03:55 般若心経の意味と空の悟り
04:30 ホログラムとバラフライ・エフェクト
05:14 人が現実に行動を起こすステップ
05:52 宗教勧誘に遭った時の話し
06:30 日本神道にみる神の定義
07:51 神なる働きは真善美に現れる
08:21 神人合一してた人々の一例
08:57 仏の役割と悟りの定義
09:30 神の啓示とその役割
10:07 世界の五大宗教の特性
11:03 日本神道が包含する懐の深さ
12:40 神道の最高神は女神様
13:42 古神道は縄文時代から始まる
14:47 ZOOM座談会とLINE@
◇ BGM提供 ◇
フリーBGM素材集 爽やか系1【作業用BGMにもどうぞ】
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#量子力学 #神の定義 #科学的アプローチ
古神道の秘儀体系と人生に必要な全てを学べるニュータイプ・浄霊師・閉じ師【養成講座3】
◇ WAS(ワス)の生い立ちと目覚めのきっかけ
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◇ 目次 ◇
00:00 WASとTENのダブルメンター制度
01:41 ニュータイプ養成講座の内容
04:01 浄霊師・閉じ師コースの追加秘儀
05:06 養成コースそれぞれの期間と人数
07:00 一連のステップで得られるもの
08:08 あの世に至っても神仏から守護される
09:01 サイキック x 在宅ビジネス x 芸術ノウハウ
09:47 なぜ今こうした養成講座を開くのか?
11:12 超巨大な変革のビッグウェーブが到来!
12:20 ものすごい豪華特典が付きます。
12:50 人生に必要な全てのことが学べる講座
◇ 関連動画 ◇
再生リスト「スピリチュアル入門と最新情報」
https://www.youtube.com/watch?v=nBjwV2aHhG0&list=PLu4GA6cV5YM2UmYw54Lb6TPe2hEORTe8H&index=1
再生リスト「WAS ARTの世界」
https://www.youtube.com/playlist?list=PLu4GA6cV5YM3j5EnEePsxq-D0xMqqdyOS
#養成講座 #霊的覚醒 #神霊能力
◇ Special Thanks ◇
かわいいフリー素材集 いらすとや
動画と画像のフリー素材
動画制作を手伝ってくれた人
HUNTER x HUNTER / 冨樫義博 / 集英社
ドラゴンボール / 鳥山明 / 集英社
宇宙世紀ガンダムシリーズ / 富野由悠季
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第60回・長澤雄盾・水谷清・岡田茂吉・九鬼盛隆・鬼倉足日公
平田篤胤にルーツを持つ平田系神道カルトは、明治以降の展開として、その中核になったのは、平田の死者の黄泉がえりや死者の生まれ変わりなどの体験に基づいた幽界研究にルーツを持つ霊界と現界との交流を目指す本田親徳の確立した本田霊学・鎮魂帰神法にあり、この神憑依法を駆使することにより、古事記に登場する神々を降ろし、実際にインタビューしてみると実は古事記に書かれたことはすべてデタラメで、実は、篤胤が言っていたように宇宙を創ったのも地球や月や太陽を創ったのも日本の神々で、気も遠くなるような太古の時代には地上には日本しかなく、日本の天皇が全世界を君臨しており、世界中の人たちは日本の神道を信仰していたと言う。
しかし、長い長い歴史の中で地上は乱れ、神道は間違って伝わり、それがキリスト教になったり仏教になったり儒教や道教になったりとし、まるで世界は仏教で言うところの末法の世の厭離穢土となってしまったと言う。
こうした超誇大妄想といういうべきオカルト的新興宗教勢力はみずからを古神道と名乗り、この信念の下、言霊学や神代文字や神霊学などを産みだし、このスピリチャリズムは、世界大戦や世界恐慌の中で混乱した当時の日本社会の中で軍人を中心に多くの信者が集まり、太古の日本や世界天皇としての天皇の復活など、ウルトラ国粋主義者たちの間で強い支持者たちを集めた。
長澤雄盾は、本田霊学の直系の継承者として大本の出口王仁三郎らに鎮魂帰神法を伝え、水谷清は、大石凝眞素美の言霊学を伝え、九鬼盛隆は、道教仙術家として長澤から鎮魂帰神法を学び、浅野和三郎は、著名な翻訳家・英文学者でありながら息子の病気をきっかけに神霊療法に興味を持ち、大本に入信するが、後に心霊科学研究所を設立し、日本におけるスピリチャリズムの先駆けとなった。岡田茂吉は大本教を経たのち、自らの神秘体験を通じて世界救世教を設立する。鬼倉足日公は、右翼団体玄洋社のメンバーで朝鮮や中国大陸で様々な諜報活動に励んでいたが、やがて神祇伯の白川伯家神道の復活を目指し、すめら教を創立した。