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【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第60回・長澤雄盾・水谷清・岡田茂吉・九鬼盛隆・鬼倉足日公
平田篤胤にルーツを持つ平田系神道カルトは、明治以降の展開として、その中核になったのは、平田の死者の黄泉がえりや死者の生まれ変わりなどの体験に基づいた幽界研究にルーツを持つ霊界と現界との交流を目指す本田親徳の確立した本田霊学・鎮魂帰神法にあり、この神憑依法を駆使することにより、古事記に登場する神々を降ろし、実際にインタビューしてみると実は古事記に書かれたことはすべてデタラメで、実は、篤胤が言っていたように宇宙を創ったのも地球や月や太陽を創ったのも日本の神々で、気も遠くなるような太古の時代には地上には日本しかなく、日本の天皇が全世界を君臨しており、世界中の人たちは日本の神道を信仰していたと言う。
しかし、長い長い歴史の中で地上は乱れ、神道は間違って伝わり、それがキリスト教になったり仏教になったり儒教や道教になったりとし、まるで世界は仏教で言うところの末法の世の厭離穢土となってしまったと言う。
こうした超誇大妄想といういうべきオカルト的新興宗教勢力はみずからを古神道と名乗り、この信念の下、言霊学や神代文字や神霊学などを産みだし、このスピリチャリズムは、世界大戦や世界恐慌の中で混乱した当時の日本社会の中で軍人を中心に多くの信者が集まり、太古の日本や世界天皇としての天皇の復活など、ウルトラ国粋主義者たちの間で強い支持者たちを集めた。
長澤雄盾は、本田霊学の直系の継承者として大本の出口王仁三郎らに鎮魂帰神法を伝え、水谷清は、大石凝眞素美の言霊学を伝え、九鬼盛隆は、道教仙術家として長澤から鎮魂帰神法を学び、浅野和三郎は、著名な翻訳家・英文学者でありながら息子の病気をきっかけに神霊療法に興味を持ち、大本に入信するが、後に心霊科学研究所を設立し、日本におけるスピリチャリズムの先駆けとなった。岡田茂吉は大本教を経たのち、自らの神秘体験を通じて世界救世教を設立する。鬼倉足日公は、右翼団体玄洋社のメンバーで朝鮮や中国大陸で様々な諜報活動に励んでいたが、やがて神祇伯の白川伯家神道の復活を目指し、すめら教を創立した。
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05:06 養成コースそれぞれの期間と人数
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再生リスト「スピリチュアル入門と最新情報」
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HUNTER x HUNTER / 冨樫義博 / 集英社
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宇宙世紀ガンダムシリーズ / 富野由悠季
【スピ入門1】科学的アプローチと日本神道から見えない世界を紐解く
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◇ 目次 ◇
00:00 WAS(ワス)の自己紹介
01:00 アインシュタインが語った神
01:30 原子核と電子はスカスカ
03:13 ビッグバン理論とE=mc2
03:55 般若心経の意味と空の悟り
04:30 ホログラムとバラフライ・エフェクト
05:14 人が現実に行動を起こすステップ
05:52 宗教勧誘に遭った時の話し
06:30 日本神道にみる神の定義
07:51 神なる働きは真善美に現れる
08:21 神人合一してた人々の一例
08:57 仏の役割と悟りの定義
09:30 神の啓示とその役割
10:07 世界の五大宗教の特性
11:03 日本神道が包含する懐の深さ
12:40 神道の最高神は女神様
13:42 古神道は縄文時代から始まる
14:47 ZOOM座談会とLINE@
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マタギの嫁
古神道の祝詞 かんながらたまちはえませ
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新作『マタギの嫁』
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(あらすじ)
ある年の暑い夏
村の猟師が行方不明になる事件が多発する
そんなある日の夜
山の猟師マタギの家の戸を叩く音
戸を開けると,そこには美しい少女が立っていた
cv 川乃瀬由羽 さま
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【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第26回・大本教(その①)大本教の思想遍歴
大本教の歴史は、開祖出口なおが、57歳の時、放火容疑で収監された牢獄の中で神憑りになり、文盲であったはずなのにいきなり全文ひらがなで艮の金神からのメッセージを書き留めた自動書記と言われる現象から始まった。
当時、頻繁にいきなり神憑りとなり意味不明の言葉を発していたなおは周りから精神異常者と見做されており、それが故に無実ながらも放火事件の容疑をかけられ逮捕拘留されていた。
しかし、なおは、意味不明のメッセージを発するだけではなく、同時に神憑りになり、多くの人の病気神霊治療も行っており、周りのなおの評価は二分していた。
そんななおが63歳になった時、丹波出身で、本田親篤の弟子の長澤雄楯から言霊学や古神道を学んだ上田喜三郎と出会い、宗教的知識のある喜三郎はなおを補佐しながら次第になおの神憑りによる筆書きは宗教団体としての体裁を得ていくこととなる。
上田喜三郎はなおの5女すみと結婚して出口家に養子縁組し、なおの勧めで名を出口王仁三郎と名乗ることとなった。当時、すみの母なおは65歳で、王仁三郎は30歳の若者であった。
なおと王仁三郎は対立や協調を繰り返す中、次第に曖昧だったなおの艮の神や世の立て直しの神託は王仁三郎によってより明確な大本神道理論となり、艮の金神は国常立尊であり、立て直しで実現するのは弥勒菩薩の降臨であると宗教理論の体型を確立して行った。
もともとなおが信仰していた天理教や金光教の教えである万教同根論、つまり、すべての宗教は同じもの、という考え方や神の願いに叶った生き方をすべしという考え方がベースにあったが、これが、なおの死後、王仁三郎により、より平田国学的な解釈が強まり、日本を中心とした汎神論や、世界宗教日本起源説や、日本が世界を統一することにより
弥勒菩薩の降臨を呼ぶ、と言うような日本中心主義を強調することにより、多くの軍人や右翼団体の幹部たちの広範な支持を受けることとなった。
第一次大本教弾圧後、王仁三郎の思想は、当時の社会不安が拡大する風潮を背景に急進化し、自らがメシア、つまり世界の救世主であり、自分こそがイエスキリストの生まれ変わりであり、同時に弥勒菩薩そのものだと主張するようになり、軍人たちが世界を制覇したのちには自分が天皇の輔弼となり世界を治めるべきとまで訴えるようになった。
大本は政府により潰されたが、大本に心酔した軍人の中からはクーデターを企画したり、政府を脅したりと、戦争拡大と日米戦による日本の破滅への道を進めることとなったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】第24回・竹内巨麿と竹内文書
竹内巨麿と言えば、まぼろしの「竹内文書」が有名であるが、竹内巨麿やピラミッド日本起源説を唱えた酒井勝軍など、現在の日本で流行っている心霊・UFO・宇宙人・終末論・超能力・超常現象・都市伝説等のオカルトブームはまさに彼らの生きた大正期から昭和初期から始まっていると言っても間違いではない。
竹内宿祢の孫、平群真鳥の血統を継ぐ自称竹内宿祢67世を名乗る竹内巨麿は、1944年(昭和19年)の第二次天津教事件で逮捕された時の特高警察調書によると、実際には木挽職、つまり、のこぎりで木を切る仕事を生業とする森山勇吉の私生児として生まれ、小作農竹内庄蔵の養子となり竹内姓を受けることになったのだった。
巨麿の人生は、こうして自らの履歴の詐称から始まり、平群真鳥の時代から受け継がれてきたと自称する竹内文書も実は自ら著していたもので、その長編空想小説ともいえる文書は、小出しにしながら公開すると称して、実は自ら書き続けていたのである。
その竹内文書によると、もともと地球上には日本しか存在せず、日本は紀元前3175年より王朝があり、古事記で言うところの神代七代の神々は実は天皇で、その王朝は、その後、上古25代、ウガヤフキアエズ朝75代、そして、神武天皇以降の現在の王朝は「かむやまとちょう」と呼ばれるとした。
神代七代の天皇の時代には、天皇が天空浮船と呼ばれるUFOのような宇宙船に乗って世界中を巡遊しながら世界を統治したと言い、3000年以上前には上古2代の天皇の16人の兄弟姉妹たちが世界中に散り、彼らの名前が現在の世界各地の有名な都市名である、ニューヨークとかロンドンとかボストンのような名称になっていると言った。
さらに、モーゼもキリストも釈迦も孔子も孟子も日本の神道の教えを乞うて日本に来日し、残りの余生を送ったと書かれている。 よって、彼らの墓も日本にあると言うのである。
中でもキリストの墓として比定された青森県三戸郡新郷村は、今でも村おこし事業として竹内文書を根拠とする
「伝説のモーゼパーク」を運営している。
しかし、このように荒唐無稽な、まるでアニメの世界のような世界観・歴史観は、当時、1929年の世界恐慌後に社会不安と逼塞感が高まる中、当時の著名な宗教家や思想家、あるいは一流と言われた学者たちなどの著名人や陸軍海軍の中将大将レベルの軍人たちの間にも強い共感を呼び、当時のウルトラナショナリズム的な潮流の中で繁栄していくこととなる。
本田親徳の鎮魂帰神法を基軸とする明治以降の古神道を名乗る平田系カルトグループは、宮地水位の霊界神仙思想や大石凝真素美の言霊学や、神代文字で書かれたとする竹内巨麿の竹内文書などがやがてカルト思想のデパートととでも言うべき大本教の流れに大きく収束して行くのであった。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)大石凝真素美と言霊学
言霊というと、あたかも太古の昔より「言葉には魂が宿ると言われてきた」と考えがちであるが、実は江戸時代より前に残る記録の中で言霊という言葉を使っていたのは9世紀に空海が書いた「声字実相(しょうじじっそうぎ)」という書の中で「五大に皆響き有り、十界に言語を具す、六塵悉く文字なり、法身は是れ実相なり」と、真言密教の真言について述べていたわけで神道とはまったく無関係だったのだが、言霊を神道と結び付けようという動きは、幕末の国学者・中村孝道から始まっている。
中村孝道は自ら開発した水茎文字というハングルに酷似した文字を神代文字だとし、それを現在のかな75音に置き換え、この75音は宇宙全体の神霊エネルギーを発していると主張した。
大石凝真素美は、天保3年(1832年)伊賀の国上野に生まれ、本名は望月春雄といい、医者の家系の家に運れたが、中村孝道の門人だった祖父の幸智から国学を教えられ、自ら医者の道を絶ち、国学者として生きていく決意をした。
1868(慶応4)年には、美濃の修験者で中村孝道の言霊思想を深く理解していると言う山本秀道の噂を聞いて訪ね、その知識と霊威に感じ入って師事し、そのまま居候して孝道の言霊学を学んだ。
その秀道と行った本田霊学の鎮魂帰神法の結果、自分はイシコリドメの生まれ変わりと悟り、名前を大石凝真素美と改名した。
大石凝は、中村孝道の真須美鏡を元にして言霊による宇宙や地球や人類の発生を説明しようとし、それによると、日本語の清音・半濁音・濁音を合わせた75音は「こえのこ」と呼ばれる神霊元子であり、この神霊元子の発生が宇宙を誕生させ、至大天球と言われる儒教の天空宇宙観を思わせる宇宙空間はこの神霊元子による言霊パワーによって形成され、その天球の中心部に大気が結晶して「地球」になったと主張する。
さらには、最初の人間達は、土の中で何年も過ごして、体が成熟すると土から出て来て爬虫類のような姿で何年も過ごし、その後で脱皮して人間の姿になったと言う。
人間は、眼・耳・鼻・舌・身・意識の「六識」を持ち、欲である「七識」と良心である「八識」、そして仏の智である「十識」を持つ、という実に仏教的な人間観を持っている。
大石凝は、宇宙を司るのは天御中主で、地球を司るのは大国主だとし、事代主は75音を司り、スクナビコナは外国語を司るとしたが、大国主が司る日本語は宇宙発生時以来の75音であり、日本語は世界言語のルーツだとまで主張した。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第22回・宮地水位と宮地神仙道
嘉永5年1852年に土佐の国潮江村(現・高知市土居町)に潮江天満宮の祠官の家に生まれた宮地水位の宮地常盤は、平田篤胤の没後門人で、異界と現界を往来し、道教の神仙思想と古神道を融合させた宮地神仙道の祖であった。水位は10歳の頃より父・常盤より脱魂法による異界訪問、つまり、特殊な瞑想法により、自分の意識が、平田篤胤が唱えた幽冥界に飛び、異界を彷徨い、また現実の世界に戻ってくる、という修行を繰り返していた。しかし、その父・常盤は、その霊能力が優れて門人を増やしたことや、当時、山崎闇斎の崎門派と言われた垂加神道が土佐の神職たちの間で中心となっており、垂加神道の儒教的要素を否定する平田国学を信奉する宮地常盤はまわりの神職たちから嫌われた為、潮江天満宮の祠官の職を追われてしまい、当時12歳だった宮地水位が父の祠官の職を継ぐこととなり、幼くして神職としての自覚を促される結果となった。
水位は、神職としてだけではなく、10代前半にして神職の身でありながら、高野山や法隆寺に住み込み、仏学などの見聞も広め、やがて17歳になると、四国の手箱山、石鎚山、金比羅を巡拝し、鉱山や薬草の知識に長けていた水位は、途中鉱山を発見したり、仙薬を開発したりしていた。
宮地水位は多数の著作を残しているが、彼の人生のほとんどは潮江天満宮の中での瞑想による異境訪問で費やされており、その異境訪問は、10歳の頃から53歳で帰幽するまで数百回におよぶと言われており、その異境、つまり平田篤胤の言う幽界での体験をまとめたものが「異境忘備録」という彼自身の著作であった。
客観的にはたから見れば、ただ単に神社の中で座って一日中瞑想にふけっているだけのように見えるものの、彼自身の中では何度も何度も頭のイメージの中で繰り返されっる異境幽界訪問であり、その幽界のイメージには一貫性があり、4層に分かれる神界と彼が呼んだ幽冥界の様子が「異境忘備録」には詳細に記述されている。
しかしながら、そこに描かれている神仙界の世界はまさに道教の神仙思想の描く神仙界に酷似しており、自らも土佐の高山手箱山で出会ったと言う推定年齢2300歳の朝鮮国から来た仙人・川丹に導かれた、と主張するが、水位に言わせれば、中国の道教とは、出雲の神の少名彦那が中国で作ったものであり、元は日本の神道であると主張する。
【神道シリーズ・シーズン3】第19回・千家尊福と出雲国造【前編】出雲国造の歴史
朝鮮半島にルーツを持ち、仏教伝来以前の古代より続いてきた出雲信仰を引き継ぐ出雲国造は、1600年以上の歴史を持ち、その歴史は、奈良時代以降に始まった伊勢神宮より古く、そしてその歴史観は朝廷の編纂した古事記・日本書紀とは異なり、独自の出雲伝承のストーリーで語られている。
古き出雲信仰は「出雲風土記」に基づき、新羅より渡来した神・スサノオの神霊を継ぐアメノホヒを始祖とする
出雲氏が、朝廷より管轄を依頼された出雲国造として、朝廷に従属する形で国造職を担ってきたが、大化の改新で国造職が廃止された後も「出雲国造」を名乗りながら出雲信仰信仰圏を維持して行った。
そこでは出雲国造は人ではなく、アメノホヒそのものであり、現人神であった。出雲国造は島根県東北部の意宇の熊野大社を拠点としていたが、平安時代には島根県西北部の杵築に拠点を移し、アメノホヒの神霊の元である
スサノオを、アメノホヒそのものである出雲国造が祀り、中世から近世にかけては天台宗の鰐淵寺と蔵王権現とスサノオの本地垂迹関係を結んでいた。
しかし、江戸時代後期になると、76代国造の千家俊秀の弟・俊信は、本居宣長の門人となり、国学に傾倒するようになった結果、国造に代わって指揮を執り、これまでの天台宗鰐淵寺との本地垂迹関係を解消し、杵築大社の祭神をスサノオから大国主に変更し、平田篤胤による大国主イコール幽界の支配者の思想を採り入れ、出雲信仰はしだいに平田国学の復古神道的となり、国学に基づく出雲神道が形成されることとなった。
こうした背景を持つ出雲国造家は、明治以降、祭政一致を目指す復古神道の思想により、「うつくしよ」と呼ばれた人間界を支配するのは天皇で、「かくりよ」と呼ばれた死後の世界・幽界を支配するのは大国主という顕幽二元論を掲げて新政府の宗教改革政策に積極的に関与したが、明治6年の神道事務局創立の際に起きた、事務局の祭神・造花三神と天照以外に大国主も同時に祀るべきという、所謂「祭神論争」が起き、出雲派はこの論争に敗北することにより、在野で独自の教団を形成する決意をし、明治13年に80代国造の千家尊福が出雲大社教を立ち上げ、政府の管理する神社神道とは異なる独自の信仰路線を進む一方、神秘思想に埋没していった古神道と呼ばれる平田系神道カルト集団とも距離を置き、今日まで続く独自の出雲信仰を形成して行ったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第17回・川面凡児の禊行(伊勢神宮・全国神社の祭祀創設)
豊前国(現・大分県宇佐郡両川村小坂)に、酒造業と呉服業を営む家の次男として生まれた川面凡児は、教育の為に預けられた宇佐神宮の神職で父の義弟の溝口千秋のもとで多くの勤王の志士たちとの出会いがあり、その中の常遠翁に漢籍を学び、13歳にして地元の馬城嶺に登り、自称697歳の童仙・蓮池貞澄から仙道を学び、
その後3年間馬城嶺で修験道の修行を経た川面は、15歳にして入津(豊後高田市)の私塾「涵養(かんよう)舎」で仏教、法律、経済を学んだあと、21歳で熊本県隈庄町に私塾「稚竜同盟谷」を開き、子供たちの教育に携わった。その後、24歳にして政治の世界を目指し上京するが、途中で宗教研究に転向し、小石川の浄土宗寺院・伝通院に住み込みながら、様々な宗教家たちと交流を続けたが、生活苦の中、浄土宗の本山・増上寺から後援で宗教雑誌への投稿や女学校の教師などをして糊口を凌いだ。
その後、自由党機関紙や長野新聞、そして和歌山の自由党機関紙など主筆となり、45歳の時に下谷区三崎町に「全神教趣大日本世界教」を旗揚げし、稜威(みいつ)会を創立した。そして、川面凡児が48歳になった1908年(明治42年)から片瀬などで修禊を開始し、その6年後には男爵の高木兼寛を会長に、古典を通じて日本の神々を学ぶ古典考究会を設立、『古典講義録』を刊行し、同会には秋山真之、八代六郎、平沼騏一郎、杉浦重剛、頭山満、筧克彦など、トップクラスの軍人や政治家らが加わった。
1917年(大正6年)川面が56歳になった頃から滝行など禊の行を会員とともに各地で始め、後の皇学館大学開設者の今泉定助が支持したことにより各地の有力な神職の賛同を得、海浜や滝水での禊行事が全国的に流行した。
現在の伊勢神宮や全国神社の滝打ち禊行は川面凡児が創設したものだが、川面は禊行のみならず、その宗教思想面も含めて日本の神道を明治期から大正期にかけて創設した人物とも言える。
逆に言えば、日本の神道とはこの時期に確立したとも言えるのである。
【神道シリーズ・シーズン3】第16回・本田親徳と鎮魂帰神法
明治以降、平田篤胤の思想の影響を受けた者たちは、基本的に、人は死後、地球上の周りにある幽界という空間を霊魂となって彷徨い、体は風、火、土、金というエレメントになって循環し、やがてはそれに魂が宿り、人間は再生する、という道教的な死生観と、地球を創生したのは日本の神のイザナギとイザナミであるからして、日本の天皇が全世界の上に総主として君臨すべし、という超誇大妄想的天皇世界総主論だけは引き継ぐという傾向を共有していたが、本田親徳は、平田思想の中でも特に人と神霊とのコミュニケーションに興味を持ち、その研究と実践のほとんどは神霊の人間への憑依を目指すことに向けられた。
死者や動物や神仏の憑依は修験道や民間信仰の間にも古くからあったが、そうした憑依が可能なのは特定の能力を持った者か、あるいは神や仏や死者などから指名された特定の人物に限られていたが、本田は、誰でも一定の術式に従って行えば神霊の人への降臨・憑依は可能であるとした。
本田は、神憑りには36通りの在り方があると言ったが、それを大きく3つに分類して、霊がいきなり憑依する場合、一部の素質のある人が一人で神霊を呼び寄せる場合、そして本田が提唱した審神者と神主を通じて、たとえ能力者や偶然の邂逅でなくても意識的に神霊を呼び寄せ憑依させることが可能な鎮魂帰神法があり、本田は自ら開発したこの鎮魂帰神法を通じ、神の言葉を直接聞くという方法で古事記理解の正誤を確認するという作業を行い、「難古事記」という著作にまとめた。
それによると、人はみな神の子であり、直霊という正しい心の霊を持ち、勇気と調和と愛と探求の心を呼び出す荒魂、和魂、幸魂、奇魂という四つの魂を持っているとし、善を行えばこれらの魂の量は増え、悪を行えば減るとした。
儒教の魂観の擦り直しと見れないこともないが、とにかく、本田の神霊降臨術・鎮魂帰神法は、その後、弟子の
長澤雄盾を通じ、大本教の出口王仁三郎や大本教を経た神道天行居の友清歓真ら多数の平田系神道カルト教祖たちに伝えられ、明治以降、古神道を名乗る平田派神道系カルトの中核的思想となって行った。
本田の鎮魂帰神法を継いだ者たちは、鎮魂帰神法とともに平田篤胤の超誇大妄想とも言える
天皇世界総主論、つまり、地球上の世界を創ったのは日本の神だから天皇が世界を治めるべきだと言う部分を強く受け継いでおり、彼らが本田の鎮魂帰神法による神託を担保とし、彼らはますます狂信的に持論にのめり込み、それは世界恐慌後の社会不安が広がる中、その狂気は国民を戦争の時代へと引き込んでいくこととなったのである。
【神道シリーズ・シーズン3(思想編)】第15回・大国隆正と国家神道
明治以降、平田篤胤の思想の影響を受けた者たちは、基本的に、人は死後、地球上の周りにある幽界という空間を霊魂となって彷徨い、体は風、火、土、金というエレメントになって循環し、やがてはそれに魂が宿り、人間は再生する、という道教的な死生観と、地球を創生したのは日本の神のイザナギとイザナミであるからして、日本の天皇が全世界の上に総主として君臨すべし、という超誇大妄想的天皇世界総主論だけは引き継ぐという傾向を共有していたが、本田親徳は、平田思想の中でも特に人と神霊とのコミュニケーションに興味を持ち、その研究と実践のほとんどは神霊の人間への憑依を目指すことに向けられた。
死者や動物や神仏の憑依は修験道や民間信仰の間にも古くからあったが、そうした憑依が可能なのは特定の能力を持った者か、あるいは神や仏や死者などから指名された特定の人物に限られていたが、本田は、誰でも一定の術式に従って行えば神霊の人への降臨・憑依は可能であるとした。
本田は、神憑りには36通りの在り方があると言ったが、それを大きく3つに分類して、霊がいきなり憑依する場合、一部の素質のある人が一人で神霊を呼び寄せる場合、そして本田が提唱した審神者と神主を通じて、たとえ能力者や偶然の邂逅でなくても意識的に神霊を呼び寄せ憑依させることが可能な鎮魂帰神法があり、本田は自ら開発したこの鎮魂帰神法を通じ、神の言葉を直接聞くという方法で古事記理解の正誤を確認するという作業を行い、「難古事記」という著作にまとめた。
それによると、人はみな神の子であり、直霊という正しい心の霊を持ち、勇気と調和と愛と探求の心を呼び出す荒魂、和魂、幸魂、奇魂という四つの魂を持っているとし、善を行えばこれらの魂の量は増え、悪を行えば減るとした。
儒教の魂観の擦り直しと見れないこともないが、とにかく、本田の神霊降臨術・鎮魂帰神法は、その後、弟子の
長澤雄盾を通じ、大本教の出口王仁三郎や大本教を経た神道天行居の友清歓真ら多数の平田系神道カルト教祖たちに伝えられ、明治以降、古神道を名乗る平田派神道系カルトの中核的思想となって行った。
本田の鎮魂帰神法を継いだ者たちは、鎮魂帰神法とともに平田篤胤の超誇大妄想とも言える
天皇世界総主論、つまり、地球上の世界を創ったのは日本の神だから天皇が世界を治めるべきだと言う部分を強く受け継いでおり、彼らが本田の鎮魂帰神法による神託を担保とし、彼らはますます狂信的に持論にのめり込み、それは世界恐慌後の社会不安が広がる中、その狂気は国民を戦争の時代へと引き込んでいくこととなったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】第14回・平田系神道カルトの系譜(大きな流れ)
平田篤胤の流れを汲む平田学派は、幕末から明治にかけて5つの大きな流れを形成して行ったが、それは、後に国家神道を形成する流れとなる祭政分離論の大国隆正のグループと、篤胤が晩年熱中した道教研究と死後の魂との交流というテーマに繋がる本田親徳の鎮魂帰神法と、道教神仙思想を篤胤の神道用語で解釈しなおした神仙神秘思想と、篤胤が存在すると強弁した神代文字を似非研究した竹内巨麿や、国学の日本語研究の流れを汲む平田門人の中村孝道の水茎文字や真澄の鏡から独自の言霊学を形成した大石凝真素美らから成るが、
神仙神秘思想系の川面凡児は、伊勢神宮を始めとする全国神社の滝打ち禊修行などの新祭祀を開発したが、神仙神秘系は次第に影響力を失い、残りの本田霊学と言霊学と神代文字学の三潮流が古神道と自称するようになり、
明治以降の平田系カルトの中心的勢力となって行った。
この三潮流は、本田霊学を中心として、神道カルト理論を形成し、やがて大本教の下に合流していくこととなった。
平田系神道カルトは、教団によって温度差はあるものの、共通していることは、元祖平田篤胤の、地球形成後に世界を作ったのは日本の神であり、日本人は世界を統一して天皇中心の地球にするべきだという超誇大妄想的な選民思想部分である。
しかし、この日本人選民思想部分は、国粋主義的な軍人や政治家たちを惹きつけ、首相閣僚クラスの政治家や陸軍大臣、海軍大臣、陸海軍大将までが信者になったりシンパになったりするほどの影響力を与えた。
この動きは放置すれば右側の立場よりの革命論や政府転覆論、軍掌握論なども生じかねないということで、政府や公安警察は厳重にこうした団体を監視するようになった。
政府公安警察は、彼らが政府見解と異なる神道解釈をしたことが天皇陛下を侮辱してるとし、不敬罪の名目で
逮捕、弾圧を続け、大正10年(1921年)と昭和10年(1935年)には大本教の宗教施設をすべて破壊する、というほどの弾圧をしたが、大本から派生した友清歓真の神道天行居は陸軍の皇道派に多くの信者を持ち、
その青年将校たちが226事件を起こし、日本はまさに狂気の時代へと突入したのである。
【神道シリーズ・シーズン3】第9回・秋葉・祇園・天満宮・白山の廃仏毀釈
明治の神仏分離政策で多くの寺院が破却され、その寺院がそのまま神社に改変されることにより寺院の神社化が次々と進められて行った。
稲荷大社、春日大社、住吉大社、鹿島大社などの氏神の系統の神社を除けば、それ以外のすべての神社は明治時代に寺院を廃してそのまま神社化したケースや、寺院が管理する権現社、明神社、堂宇、宮などを神社にしてしまったケースのどちらかに属している。
つまり、伊勢神宮の系列、および上記の氏神系神社の系列を除けば現在存在する神社のほぼすべては明治前までは寺院ないし寺院の管理する仏教系の神々を祀る社であったのである。
秋葉信仰は、明治前までは秋葉寺が中心となった火消しの神・秋葉三尺坊の信仰が続いていたが、明治になると秋葉寺は新政府により廃寺にされ、秋葉寺は仏像仏具を取り除かれ、そのまま新設の
秋葉神社に改変改装されたが、今でも秋葉山の信仰は火消しの神、秋葉三尺坊大権現の信仰のままであり、秋葉山の祭祀やお祭りも秋葉寺や曹洞宗の寺院・可睡斎が中心で行われており、明治に新設された秋葉神社にはまったく存在感がない。
一方、京都の八坂神社は明治前までは天台宗の寺院・観慶寺の感心院の境内に設けられた仏教の神・牛頭天王を祀る社殿で、祇園社と呼ばれていた。
牛頭天王は播磨の廣峯社を中心に蘇民将来説話の武塔天神と同一視され薬師如来の垂迹とされ、また、中国の道教神の天刑星とも習合した仏教神で、その信仰は、京都祇園も含め全国に点在するように広がっていた。
祇園社では、牛頭天王とその妻、ハリサイニョと、8人の息子たち八王子を祀っていたが、明治政府は、それをスサノオとクシナダヒメとスサノオの8人の息子たちに置き換え、祇園社を八坂神社と言う神社にしてしまった。
しかしながら、現在でも八坂では祇園祭が行われており、全国でも牛頭天王を祀っていた現神社元寺院の地域では現在でも各地で天王祭が行われている。
北野天満宮は元道真を祀る天台宗の朝日寺の曼殊院門跡であり、大宰府天満宮は大宰府の真言宗の寺院・安楽寺であった。
十一面観音を本尊とし、雷神と道真の御霊が習合した天神信仰を、明治政府はこれを北野神社と改めたが、今でも天満大自在天神社と「大自在天」の名称が残っている。
そして、北野も大宰府も今でも祭神は道真のみで記紀の神は充てられていない。
白山を囲む三つの白山神社はもともといずれも平泉寺、長瀧寺、白山寺という天台系の寺院で、明治政府はこれらの寺院を強引に神社に変えたものの、今でも平泉寺白山神社、長瀧白山神社と、寺院の名称を残し、修験道的な神事を残している。
3分で流せない日本思想 葦津珍彦『国家神道とはなんだったのか』
前回は江戸時代の古神道をご紹介したので、今回は明治以降の国家神道をご紹介します。
国家神道はマルクス主義や国粋主義など様々な立場で論じたものがありますが、今回は在野の宮司の立場で総括したものをご紹介します。
歴史ネタが強いと、入れたい要素が多くなり、3分ではとても流せませんでした…。
前回:sm40025917、思想:mylist/69237326、文学:mylist/72373795
葦津珍彦(1909-1992)
国家神道とは何だったのか(1987)
音楽:おとわび(https://otowabi.com/)、M-ART(http://mart.kitunebi.com/)、魔王魂(https://maou.audio/)
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3分で流す日本思想 平田篤胤『鬼神新論』
前回は幕末の新宗教をご紹介しましたが、今回は江戸時代に再整理された古神道をご紹介します。
平田篤胤の復古神道は、新宗教も含め、幕末以降の神道観に多大な影響を与えました。
前:sm39996510
次:sm40133106
思想:mylist/69237326
文学:mylist/72373795
平田篤胤(1776-1843)
鬼神新論(1805)
https://www.dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1104010
音楽:おとわび(https://otowabi.com/)
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【神道シリーズ・シーズン3】第1回・廃仏毀釈と平田国学の復古神道①
日本の歴史史上最大の汚点とされる廃仏毀釈は、大政奉還の翌年3月の慶応4年1868年3月に薩長新政府により神仏混淆禁止令がだされると翌4月に日吉社の社司・樹下茂国と生源寺希徳らが吉田神道配下の者たちで結成した神威隊40名を引き連れ、日吉社に祀られた仏像仏具経典などを破壊しつくした暴力的破壊活動を契機に明治元年以降の数年間に全国いくつかの地域で過激な寺院破壊活動が展開された事件のことを言う。
廃仏寺院統合の動きは明治前より水戸藩、岡山藩、薩摩藩、土佐藩、津和野藩などいくつかの朱子学・陽明学・国学の影響が強かった藩で江戸時代初期、中期、後期、末期から見られていたが、それらはあくまで寺院の統廃合であって仏像仏具什器などの破壊を意図するものではなかった。
しかし大政奉還後に始まった廃仏毀釈運動は仏教や僧侶たちに対する憎悪と嫌悪が動機となっており、この上からの仏教破壊活動は仏教を信仰する住民
との間に大きな摩擦を引き起こしていった。
廃仏毀釈運動の特徴は、長州・薩摩・津和野など陽明学国学の影響を強く受けた旧藩主や藩士たちがこぞって新政府の神仏分離政策を口実に各地で過激な仏教破壊活動を行い、仏教を信仰する村民たちや浄土真宗を中心とした仏教勢力からの根強い抵抗を受けることとなり、やがて新政府によってそうした破壊活動が罰せられることにより収束に向かった一連の暴力活動を指す。
廃仏毀釈活動は明治元年から4年ぐらいまでの間に集中し、明治9年にはほとんどの破壊活動は終了するが、
廃仏毀釈運動とは別に進められた神仏分離政策も地元の抵抗に会いながら新政府は朝廷からの命令という言葉を盾に強引に推し進め、結果、明治10年頃には日本の寺院の約半数は消滅し、さらに廃仏毀釈で失われた国宝クラスの文化財は日本の文化財全体の三分の二以上に及んだと言われる。
廃仏毀釈活動は、慶応4年の日吉社の仏像仏具経典破壊を引きりに明治元年から明治4年ぐらいにかけ、松本、苗木、佐渡、富山、隠岐などで特に酷い暴力的破壊活動が行われ、これらの破壊活動の首謀者は旧藩主、旧長州藩士、平田国学の影響を強く受けた旧幕臣らで、いずれのケースも平田国学という点で一つの線で結ばれている。
仏教の神・権現神や仏教帰依した氏神明神が長く定着していた日本の国土に平田国学の復古神道というこれまでの歴史に無かった新興宗教を強制的に根付かせる事が一連の破壊活動の根底にあった。
形式的には神仏分離という名目で過去に長く定着していた権現明神信仰を消し去り、新設神社に新たな由緒社伝を捏造したものの、それは同時に信仰の無い神社を増産していくことになったのである。
時代は煉獄#1
「鬼滅の刃」の炎柱、煉獄杏寿郎が教えてくれる生き方を、古神道の視点から解説します。それがこの激動の時代をくぐり抜ける指針となれば幸いです。
#1は精神とは何かを様々な視点から解説しています。
「時代は煉獄」シリーズは#3まで配信します。
動画素材→Pexels投稿者、Steve B、CROX、Poolside Creative、Colin Jones、GamOl、Karolina Grabowska、cottonbro、Robert Goldenowl、Ivan Samkov、Motion Places - Free Stock Video、Taryn Elliott、RODNAE Productions、MART PRODUCTION、Kampus Production、Roy Buri、Atakan Ozkan、ANTHONY SHKRABA production、Apoorv Srivastava、Anastasia Shuraeva、Mixkit -Free Video Assets、fauxels、ArtHouse Studio、Monstera、fauxels、Pavel Danilyuk、Dmitry Glazunov、George Morina、Anastasia Shuraeva、Pressmasterさん、どうもありがとうございました。
写真素材→photoAC投稿者Whitechocolateさん、どうもありがとうございました。
音楽→フリーBGN DOVA-SYNDROMEより 「予告」田中芳典さん、どうもありがとうございました。
【神道シリーズ・シーズン2】第36回・平田篤胤【中編】「霊能御柱」篤胤の宇宙観・死生観
文化9年(1812年)、平田篤胤37歳のとき、相思相愛で結ばれた妻、織瀬を亡くし、これを契機に篤胤は亡き妻の死後のありかを気にかけ、間違っても師宣長が言うような黄泉の国という暗くて汚く恐ろしいところではなく、死後も自分の身の回りにいて自分を見守ってほしいという気持ちから人の死後の世界、幽冥界のイメージを作り上げ、「霊能御柱」という著書を書き上げた。
これは、篤胤の師である宣長の高弟子・服部中庸が宣長の著「古事記伝」の付録として書かれた宇宙形成論「三大考」をベースとして書かれているものだが、そもそも中庸自身も師宣長の宇宙観を逸脱して、
当時日本に流入した最新の西洋天文学の惑星宇宙の知識が導入されており、もともと一つであった天と地と泉、つまり、天津国と国津国と黄泉の国は、実は分離して太陽・地球・月となっており、
人は死ぬと黄泉の国、つまり月に行くのだという宇宙観・死生観になっていた。
篤胤は、この中庸の「三大考」という10段階の変化図を、人は死後黄泉の国、つまり月には行かず、あくまで人の住む地球上のどこかに魂だけは彷徨い続けるのだと言う幽冥界論を展開して書き換え、その10段階変化を自著「霊能御柱」の中に書き留めた。
自説をベースに書き換えられた服部中庸はそれでも篤胤に対して一定の理解を示したが、故・宣長の門人たちの間ではこうした篤胤による恩師宣長の根本思想、つまり、人は死後黄泉の国へ行くんだという主張を否定され、篤胤に対する反発は強まって行った。
篤胤の宇宙観や死生観は、仏経・儒教・道教陰陽五行、そしてキリスト教からの借用が多々見られるが、実は、これは借用というよりも、こうした宗教諸思想のいいとこ取りの総合作品と言った方が的確にその性質を示していると言える。
しかし、篤胤はそうした借用や盗用を否定し、彼に言わせれば、46億年前に宇宙や神々が誕生した時から神道はあり、仏経や儒教やキリスト教は、そうした皇国日本の神道が誤ってインドや中国や西洋に伝わったものだと主張し、皇国の神道がすべての宗教思想の起源であると居直り強弁するのであった。
【神道シリーズ・シーズン2】第29回・本居宣長【後編】「直毘霊」「古事記伝」と妄想的皇国至上主義へ (2)
医者になるために京都に遊学し、堀景山から医学のみならず契沖や荻生徂徠などの国学を学んだ宣長は、松坂の一夜で出会った賀茂真淵の指導の下、万葉集の読解に精を出したが、興味の方向は、真淵の嫌う中世風の源氏物語や新古今集で、次第に粗削りで素朴な古代日本人を好む真淵の教えから離れて、優雅で儒仏の影響を受けた中世文学を溺愛するようになった。
しかし、その一方では宣長がライフワークとした古事記の解釈研究にも取り組み、次第に宣長の思想は、皇国日本を中心とする強烈な国粋主義に走って行き、万葉仮名や日本語文法の研究、そして独自の字音仮名の開発とともに独善的とも言える唯我独尊的な古事記解釈を進めて行った。
源氏物語を溺愛した宣長は、一方では男女の色恋事の不条理や不貞行為を肯定的に受け止める「もののあわれ」の感情を日本人の気質とし、またその一方では、
太陽の神アマテラスを皇祖皇宗として戴く皇国日本は、その末裔たる天皇が国を治め、今日まで持続してることこそ日本が世界を君臨すべき地位になると豪語するような、ある意味偏狭とも言えるウルトラナショナリズム的な主張をする、という両極端な思想に走って行くのであった。
儒仏や道家を嫌う宣長は、外来の思想が入ってくる以前の皇国日本には「皇国の正音」というオリジナルな日本語があり、古事記に書かれたような日本の神々の信仰があったのだという主張の下、古事記をバイブル視するようになるが、残念ながらその主張の根拠となるものはなく、そこを同じ国学者の上田秋成から突かれた宣長は「あるからあるんだ」的な強弁になり、宣長は自ら作った復古神道にますますのめりこんで行った。
古事記を一般人が読める書にした宣長の功績は大きいものの、誇大妄想とも言える皇国日本中心主義は、皮肉なことに幕末の水戸藩天狗党の悲劇や昭和の日中戦争、太平洋戦争推進のスローガンともなり、戦後も日本保守運動の骨格部分となったのであった。
【神道シリーズ・シーズン2】第25回・荻生徂徠(古文辞学の立場より孔子・朱子批判)
江戸時代に入り、林羅山、山崎闇斎、中江藤樹など朱子学や陽明学の研究は全盛となり、本来の古典的な儒教の教えが隅に押しやられてしまっていた中、古学派の伊藤仁斎は儒教本来の孔子が論語で訴えた徳目修身の原点に立ち返り朱子学・陽明学を批判していたところ、苦学独学で儒教を習得した荻生徂徠はその伊藤仁斎の朱子学批判では飽き足らず、孔子の論語ではなく、孔子以前に中国の先王聖人らが打ち立てた礼楽刑政の思想に立ち返り、先王たちの礼楽を
たんなる仁義礼智という、個人で習得すべし徳目として把握していた孔子を痛烈に批判し、さらにはその孔子の論語の立場にたつ伊藤仁斎も厳しく批判した。
荻生徂徠は、孔子とか朱子と言った先王聖人の時代からみて後世の学者たちによる六経の偏向的解釈を論破する為、古代の中国語を学び、五経も日本語の訓読みではなく、オリジナルの中国語の発音で読み理解するという方法論を採った。
そこから徂徠が得たものとは、本当に理解すべきは堯舜以前の時代から先王たちにより築かれて行った経世済民を目指す礼楽の制度そのものがあればこそ民は仁義礼智のような徳を身に着けた民なれ、天下も丸く治まるのだ、という政治制度の重要さで、それを孔子や朱子のように個人の努力で皆が徳目を習得する修身に心がけるとか、宇宙の理と個人の性を一致させる努力などに歪曲して解釈されてることが許せなかったのである。
尚、この徂徠の、古典をその時代の言葉で読み解くという古文辞学という方法論は、対象はまったく異なるものの、後の国学者本居宣長の古事記の万葉仮名読みによる分析にも引き継がれていくことなり、この宣長の古事記解釈はその後の復古神道を産むきっかけとなり、一方荻生徂徠はその復古神道派からは中国かぶれの批判的評価が下されるという皮肉な運命になるのであった。
【神道シリーズ・シーズン2】第14回・「神皇正統記」北畠親房(伊勢神道を継ぐ者たち①)
渡会家行の後、後継者なく途絶えそうになっていた伊勢神道は、内宮の荒木田氏により救出され引き継がれることとなったものの、その法統も南北朝の戦乱の中、再び途絶えようとしていた時期に、南朝の重臣の北畠親房や天台僧の慈円らによってその流れが引き継がれることになりました。
伊勢神道自体の復興は江戸時代の 度会延佳の時代を待たねばならなかったものの、この南北朝時代に伊勢神道の流れを継いだ北畠親房の「神皇正統記(じんのうしょうとうき)」の中では、道教的な思想が中心であった伊勢神道に儒教(朱子学)的なイデオロギーを注入したのが特徴で、実はこの流れはこの先の吉田神道や江戸時代の儒家神道・水戸国学・復古神道にも強い影響を与えて行くことになります。
漢字の訓読みから読み解く縄文の世界。和の精神、八百万の神々、お盆の起源
前回の動画( https://youtu.be/Z3Rb1tvK93w )に引き続き、縄文の世界を探検していきます。 今回は漢字の訓読みから縄文の宇宙観を読み解いていきます。
様々な角度から縄文時代をみていくと、お彼岸やお盆の起源も縄文時代に遡れそうで、様々な日本文化の根底に縄文文化があると言えそうです。
またこれから平和な世界を築いていくためのヒントを縄文社会から見出すことができると思います。 皆様にとっての何かの参考になれば幸いです。
【参考文献】
・千賀一生 著『0(ゼロ)フォース 1(私)が∞(超私)となる神域(ゾーン)の実在』→https://amzn.to/3gRPlUg
・千賀一生 著『和の心 コズミックスピリット: 世界を照らす縄文の叡智』→https://amzn.to/33KuqyE
・小林達雄 著『縄文文化が日本人の未来を拓く』→https://amzn.to/3kHZzJa
・山田康弘 著『縄文時代の歴史』→https://amzn.to/2DCfiJc 【関連動画】
・縄文時代が平和だった理由。縄文の宇宙観と「円」の秘密→https://youtu.be/Z3Rb1tvK93w
・ガイアの法則:東西文明800年周期説。次は東洋文明、日本の時代→https://youtu.be/XprCdAx76_8
・古代から遡る日本宗教史。我々の精神はどこから来てどこへ行くのか。古神道、仏教、アニミズム、ニューエイジ→https://youtu.be/NwHedhK8OUo
・江戸時代の日本を訪れた欧米人たちは何に驚いたのか?→https://youtu.be/DLhwd3pO-98
・明治初期のカラー写真 150年前の都市・農村の実態→https://youtu.be/gvkKTgHSGAU
縄文時代が平和だった理由。縄文の宇宙観と「円」の秘密
今回は日本の縄文時代に焦点を当てていきます。 縄文時代といえば、争いの痕跡がほとんど見られない平和的な時代が1万年以上も続いたと言われます。
なぜ、そのような社会を築くことができたのか、その秘密は縄文時代の宇宙観にあります。 その宇宙観は日本文化の軸になっており、「和(環)の精神」の根底にはそれが確実に生きています。 縄文時代の在り方を深く知ると、現代の日本(または世界)の在り方を見つめなおす良いキッカケとなるでしょう。
【続きの動画】
・漢字の訓読みから読み解く縄文の世界。和の精神、八百万の神々、お盆の起源 →https://youtu.be/prYqH9HkOzA
【参考文献】
・千賀一生 著『和の心 コズミックスピリット: 世界を照らす縄文の叡智』→https://amzn.to/33KuqyE
・小畑弘己 著『タネをまく縄文人: 最新科学が覆す農耕の起源』→https://amzn.to/3ir6Wmt
・山田康弘 著『縄文時代の歴史』→https://amzn.to/2DCfiJc 【関連動画】
・ガイアの法則:東西文明800年周期説。次は東洋文明、日本の時代→https://youtu.be/XprCdAx76_8 ・古代から遡る日本宗教史。我々の精神はどこから来てどこへ行くのか。古神道、仏教、アニミズム、ニューエイジ→https://youtu.be/NwHedhK8OUo
・江戸時代の日本を訪れた欧米人たちは何に驚いたのか?→https://youtu.be/DLhwd3pO-98
・明治初期のカラー写真 150年前の都市・農村の実態→https://youtu.be/gvkKTgHSGAU
【神道シリーズ・シーズン2】第1回・伊勢神道①(伊勢神道の基本構造)
神道シリーズ・シーズン2では、両部神道から伊勢神道、吉田神道、儒家神道、復古神道と、中世から近世の終わりまでの神道各派の流れを解説していく予定です。
まず、最初に伊勢神道ですが、伊勢神道は、真言宗系の両部神道を土台として、そこから密教的要素を排除し、代わりに道家(道教・陰陽五行)思想で理論付けするという形で形成されますが、この流れは後の吉田神道や江戸時代以降の儒家神道(垂加神道・吉川神道など)に引き継がれていきます。
今回はこの伊勢神道形成までの過程の概略を説明し、第2回以降にはそれぞれの過程の詳細説明をして行こうと思っています。
トランスヒューマニズムの歴史。ロスチャイルド、ロックフェラーとの関係。MKウルトラ計画、ニューエイジとの共通性
今回はトランスヒューマニズムの歴史に迫ります。 テクノロジーによる世界統一構想は、大英帝国時代のフェビアン協会に属していたオルダス・ハクスリーやH・G・ウェルズなどによって描かれていました。
その構想が実際に形作られ始めたのが、アメリカのメイシー会議によるサイバネティクスの研究においてです。 その構想とトランスヒューマニズムという言葉が融合し始めたのが80年代の頃で、サイバーパンクの代表作の『ニューロマンサー』などのSF作品によって、機械と人間が融合するという未来図が大衆文化に溶け込み始めます。 そしてレイ・カーツワイルやニック・ボストロムなどの未来学者たちがトランスヒューマニズムによる永遠の命の獲得の可能性を示唆し始めます。 その裏側の仕掛け人は一体どのような人物なのか。
やはりロスチャイルドやロックフェラーなどが関係してくるのでしょうか。 それを知るためには、1960年代に始まったニューエイジ運動の舞台裏を知る必要があります。MKウルトラ計画、タヴィストック研究所などを辿っていくと、ニューエイジ運動とトランスヒューマニズムの奇妙な関係性が見えてきます。
それは一体どのような関係なのでしょうか。 また、精神転送技術なるもので、意識というものを機械に転送できるのかどうかという点について、個人的な見解を述べます。
【関連過去動画】
・ムーンショット計画。内閣府が目指す「素晴らしい新世界」。トランスヒューマニズム、やりすぎ都市伝説、関暁夫、マイクロチップ→https://youtu.be/WWQ5mbnHZR8
・FRB国有化?米国で旋風を起こすQアノンの正体。グノーシス派、スライブとの関係→https://youtu.be/yDtxFwKCVEg
・大量逮捕後は遂にデジタルドル発行!?トランスヒューマニズムも推進か?→https://youtu.be/rC5RmS6K6FQ
・古代から遡る日本宗教史。我々の精神はどこから来てどこへ行くのか。古神道、仏教、アニミズム、ニューエイジ→https://youtu.be/NwHedhK8OUo
・AI主導の世界政府プラン、遂に始動?迫り来る惨事便乗型全体主義→https://youtu.be/MC1N6Dui_Zw
大量逮捕後は遂にデジタルドル発行!?トランスヒューマニズムも推進か?
前回の動画の続きです→Qアノンが伝える、水面下で行われようとしているトランプ大統領の大量逮捕作戦は本当に行われるのでしょうか。そしてパンデミック対策として遂にデジタルドルの法案が提出されましたが、アメリカはこれからどう変わろうとしているのでしょうか?
※訂正:動画中でSDRの発行元を国際決済銀行(BIS)としていましたが、正しくはIMFです。お詫びして訂正いたします。
【前回の動画】
・FRB国有化?米国で旋風を起こすQアノンの正体。グノーシス派、スライブとの関係→https://youtu.be/yDtxFwKCVEg
【関連過去動画】
・古代から遡る日本宗教史。我々の精神はどこから来てどこへ行くのか。古神道、仏教、アニミズム、ニューエイジ→https://youtu.be/NwHedhK8OUo
・ロスチャイルドの世界恐慌シナリオ。ハイパーインフレでドル崩壊?→https://youtu.be/axgbf4I41x4
・AI主導の世界政府プラン、遂に始動?迫り来る惨事便乗型全体主義→https://youtu.be/MC1N6Dui_Zw
『神との対話』 →http://urx.red/Sner
古代から遡る日本宗教史。我々の精神はどこから来てどこへ行くのか。古神道、仏教、アニミズム、ニューエイジ
前回の動画で「我々はスピリチュアルな面からこの世界を理解し、霊性を高める必要性がある」と話しました。 そのためにもまずは日本の宗教史を振り返り、日本人の精神の変遷を見る必要があると思います。そうすることで歴史の流れの中での我々現代人の立ち位置がわかりますし、今何が必要な教えで何が不必要かも分かります。 ということで、今回は日本の宗教の歴史を縄文時代から振り返りました。そして現代のスピリチュアルの話にまで展開していきます。中高生の時に習った日本の歴史を振り返る感覚で見て頂ければと思います。
動画でおすすめした本はこちら
・『君あり、故に我あり』 →http://urx.red/8VaU
・『神との対話』 →http://urx.red/Sner
死印実況プレイ【ノベル系ホラーアドベンチャー】Part12
零やってるばりに難しい言葉がくるぅぅぅ
怨嗟(えんさ)⇒うらみなげくこと。慧眼(けいがん)⇒物事の本質を見抜く優れた眼力。
廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)⇒仏教を廃するために仏像などを壊したり破棄すること。
古神道(こしんとう)、御一新(ごいっしん)、神仏判然令についてはWikiって下さい(笑)
前⇒sm36392519
次⇒sm36418447
Part1⇒sm36252263
死印実況プレイリンク⇒mylist/67406857
実況プレイPart1リンク⇒mylist/45588393
Twitter⇒https://twitter.com/kurimabo
くりまぼんPのコミュ⇒co2559333
【神道シリーズ】第65回・武州御嶽信仰(神社神道化で廃れた御嶽信仰)【前編】
武州御嶽(ぶしゅうおんたけ)と言うとあまり馴染みが無いと感じる人が多いかもしれませんが、ここは、元々は他の山岳信仰と同様に8世紀頃からの役小角や行基菩薩による開山伝承はあるものの、実際に記録が残っているのは12世紀からの真言系の世尊寺が武州御嶽山の別当寺になっていたところからで、その世尊寺では住職が1世から3世までの間に100年以上の空位が出ており、その空位を埋めたのが、(真言系の)両部神道の理論形成に貢献してきた神主の大中臣氏の系統の大中臣国兼とその子孫が「社僧」(放送で説明)となり、その後、その氏族の後裔の浜名氏などによって受け継がれていきました。
一方、スポンサーともいえる檀那と言われる人たち(壬生氏・清原氏など)や配札で信仰を広めた御師(おし・おんし)も一緒に武州御嶽信仰を支えてきたのですが、江戸中期以降、金毘羅詣りや伊勢詣りなど有名観光地(参詣先)に人気を奪われる中、経営困難となり、江戸後期以降は吉田神道や復古神道(吉川神道)による再建策を受け入れ、神社神道化(国学神道化)していきます。
ニコニ・コモンズ 素材紹介動画 古神道の祝詞 かんながらたまちはえませ
ニコニ・コモンズに登録している動画素材のデモ映像です。
使用した素材はコンテンツツリーの親作品に登録してあります。
ニコニ・コモンズID : nc192897
ニコニコ動画にてご利用の際は nc192897への親登録をお願い致します。
【巡音ルカV4X & KAITO V3】メビウスの破綻【Jazz風】
古神道がテーマのJazzっぽい曲を歌ってもらいました。
よろしくお願いします。
作品:mylist/40548925