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【神道シリーズ・シーズン2】第21回・吉川神道(吉田神道陰陽論と朱子学力説のフュージョン)
吉田神道吉田家の萩原兼従より吉田神道第54代の道統を継いだ魚屋出身の吉川コレタリは、吉田家出身ではない惟足をよろしく思わない吉田家の反発をよそに神道理論の奥義を深める研鑽を続けたが、時のはやりの朱子学の理気学説に影響を受け、やがて両者を統合するような独自の神道理論を確立し、吉川神道として吉田家とは断絶した。
しかし、独自神道理論とは言え、ベースは伊勢神道や吉田神道のような道教理論に基づく混沌からの万物発生論であり、そこに朱子学理気論を接ぎ木して朱子学的な陰陽五行説で日本書紀の神代巻を解説しようとしたのが吉川神道である。
理気学神道を唱える一方で、伊勢神道、吉田神道の流れで一貫してる心の内清浄、つまり正直な心が神と一体化する道だと説く真言密教さながらの即身成仏論を彷彿させる論理は吉川神道の底辺を流れており、吉川惟足はこの正直な心なるものを陰陽五行説で強引に儒教徳目でもっとも重視される敬に結び付け、さらには真言密教の即身成仏を彷彿させるような神人合一、つまり神と人は敬を通じて一体化するという論理に至った。
吉川神道の目指したところは、最高絶対神である国常立と人は、自然と湧き上がる国常立への至上と言われる感謝と敬の気持ちがこの絶対神の末裔である天皇を敬う気持ちに繋がるのだと結論づけることで、実はこの論理の飛躍が彼の神道論全体に大きな矛盾を生むこととなる。
一方で人は自然と絶対神の末裔たる天皇に敬の気持ちを抱くとしつつ、一方では不徳の天皇は追放されても当然であるという所謂放伐論が共存し、絶対真理たる朱子学の理ともいえる国常立の子孫ながら不徳の者がいるのかはまったく説明されていない。
吉川神道では和歌を声を上げて読むことにより人と神は一体となることができるとしたが、実は後に国学者たちが和歌の研究に力を入れ、そこから純日本を発見しようとした動きはこの頃から端を発していると言われる。
一方吉川神道の天皇放伐論はその後の儒学や国学にも大きな影響を与えることになった。
【神道シリーズ】第48回・八百万の神⑤(七福神信仰)日本神1柱・中国神3柱・インド3神柱(インターナショナル神信仰)
七福神と言えば、日本各地で福の神としてめでたい時の出し物として祝われたり、お守りなどでも人気のアイテムとして定着してますが、実は、今の七福神のメンバーが揃うのは江戸時代に入ってからで、メンバーによって古くは聖徳太子の時代(毘沙門天)から、そして平安時代末頃からは恵比寿神、大黒天、弁才天、室町時代に入ると、密教神道や吉田神道による中世神道の解釈が加わり(例えば、恵比寿神は蛭子からとか、スクナビコナからとか、また密教的解釈も加わり<宇賀弁財天など>)、さらに江戸自体になると中国から道教の神の福禄寿や寿老人が加わり、さらには中国(南宋時代)で実在した布袋和尚が仏教の神として日本に伝わり今の七福神のメンバーの陣容が整ってきます。
日本の神(恵比寿)、インドの神(大黒天・弁財天・毘沙門天)、中国の神(福禄寿・寿老人・布袋尊)と、実にインターナショナルな顔ぶれの七福神は日本の八百万の神の中でも大きな存在感を持ち続けています。
【神道シリーズ・シーズン2】御流神道と三輪流神道(両部神道主要二派)
11世紀頃から発生してきた真言宗を中心とする(一部天台宗寺門派も含む)真言密教系神道理論は12世紀から15世紀にかけ両部神道を形成し、中世の日本の宗教界を支配していくことになりますが、その両部神道は主に室生山で発生した御流神道と三輪山で発生した三輪流神道が中心となって行きます。13世紀後半より形成された伊勢神道や15世紀に形成された吉田神道もこの両部神道(真言神道)を下敷きにしており、ある意味日本における「神道」という宗教を成立させた根本にもなってる存在だと言えます。
【神道シリーズ・シーズン2】第7回・両部(真言)神道の理論書(真言付法纂要抄・中臣祓訓解・麗気記など)
今回は、両部神道を形成した両部神道の理論書の主なものを紹介したいと思います。
まずは真言宗小野流(三宝院流の系統)の成尊(せいぞん)著作の「真言付法纂要抄(しんごんふほうさんようしょう)」、そして伊勢神宮の仙宮院で生まれた「中臣祓訓解(なかとみはらえのくんげ)」、それから室生山で生まれた御流神道(真言系)の「麗気記(れいきき)」の三つを中心に紹介します。
特に後者2著は後の伊勢神道や吉田神道の形成に絶大な影響を与えて行くことのなります。
【神道シリーズ・シーズン2】第14回・「神皇正統記」北畠親房(伊勢神道を継ぐ者たち①)
渡会家行の後、後継者なく途絶えそうになっていた伊勢神道は、内宮の荒木田氏により救出され引き継がれることとなったものの、その法統も南北朝の戦乱の中、再び途絶えようとしていた時期に、南朝の重臣の北畠親房や天台僧の慈円らによってその流れが引き継がれることになりました。
伊勢神道自体の復興は江戸時代の 度会延佳の時代を待たねばならなかったものの、この南北朝時代に伊勢神道の流れを継いだ北畠親房の「神皇正統記(じんのうしょうとうき)」の中では、道教的な思想が中心であった伊勢神道に儒教(朱子学)的なイデオロギーを注入したのが特徴で、実はこの流れはこの先の吉田神道や江戸時代の儒家神道・水戸国学・復古神道にも強い影響を与えて行くことになります。
【神道シリーズ・シーズン2】第16回・吉田神道(時代に乗ったフェイク神道)
吉田神道は、南北朝の争いで南朝方に加担した伊勢神宮が伊勢神道の影響力が地に落ち、そして戦国時代の夜明けとも言える応仁の乱のあとに伊勢神道を受け継ぐようなかたちで京都の吉田神社で誕生した。
吉田神道の創始者の吉田かねともはアメノコヤネを始祖とする中臣氏の流れの卜部氏の系統のヨシダケ出身で、ある意味武家社会が本格的に朝廷を上回る政治的立場を確立した時代にマッチした神道理論を提案する絶好の機会であったとも言える。
当時も農民を中心とした一般庶民の信仰は100%仏教で、神道理論は庶民というよりも貴族や武家などその時代の支配者たちに提供された体制保障の論理であり、それがこれまで末法時代の克服論であったり救民救済であったりしたのが、武家社会が朝廷を圧倒する戦国時代になると封建支配体制正当化の儒教朱子学理論を軸とした神道理論が武家の間で重宝されるようになったのである。
吉田かねともはそうした時代の流れに狡猾にもうまく乗り、仏教儒教道教を総合しつつも儒教的君民統治論に重点をシフトした神道論を武家の支配層への時代ソルーションとして提供することに成功した。
しかし、その為にかねともは過去に存在してなかった自称古書を自らの著作で捏造し、あたかも太古の昔から吉田神道が存在したような主張をし、さらにかつて密教勢力や伊勢神道の渡会行忠がやったような偽書捏造を通じて京都の吉田神社境内に建てたサイジョウこそが絶対神の国常立のみことの聖地とし、この日本書紀書き換えには伊勢神宮からの強い反発を招き、両者は鋭く対立を続けることとなったのである。
吉田かねともは、吉田神道こそはアメノコヤネ以来日本で唯一こんにちまで伝えられた唯一の元本宗源神道であると主張し、仏教も儒教も道教も同一の理念である理由はこの吉田神道がそれらの起源であるからだとまで豪語したが、問題はその中味がその仏教儒教道教の理論書からの切り貼りであり、すべての宗教の根源とする神道なるものの姿がまったく見えてこないところにあった。
しかしながら、これまで豪族貴族の始祖か御霊のみに限り死者を神と祀って来た過去の歴史を刷新するように時の権力者や儒教的な忠君論的立場より死者を神として祀ることを提唱した吉田神道は、豊臣秀吉や徳川家康など時の権力者たちから受け入れらることとなり、吉田神道は政治的にその地位を確保することになったのであった。
【神道シリーズ・シーズン2】第1回・伊勢神道①(伊勢神道の基本構造)
神道シリーズ・シーズン2では、両部神道から伊勢神道、吉田神道、儒家神道、復古神道と、中世から近世の終わりまでの神道各派の流れを解説していく予定です。
まず、最初に伊勢神道ですが、伊勢神道は、真言宗系の両部神道を土台として、そこから密教的要素を排除し、代わりに道家(道教・陰陽五行)思想で理論付けするという形で形成されますが、この流れは後の吉田神道や江戸時代以降の儒家神道(垂加神道・吉川神道など)に引き継がれていきます。
今回はこの伊勢神道形成までの過程の概略を説明し、第2回以降にはそれぞれの過程の詳細説明をして行こうと思っています。
【神道シリーズ】第65回・武州御嶽信仰(神社神道化で廃れた御嶽信仰)【前編】
武州御嶽(ぶしゅうおんたけ)と言うとあまり馴染みが無いと感じる人が多いかもしれませんが、ここは、元々は他の山岳信仰と同様に8世紀頃からの役小角や行基菩薩による開山伝承はあるものの、実際に記録が残っているのは12世紀からの真言系の世尊寺が武州御嶽山の別当寺になっていたところからで、その世尊寺では住職が1世から3世までの間に100年以上の空位が出ており、その空位を埋めたのが、(真言系の)両部神道の理論形成に貢献してきた神主の大中臣氏の系統の大中臣国兼とその子孫が「社僧」(放送で説明)となり、その後、その氏族の後裔の浜名氏などによって受け継がれていきました。
一方、スポンサーともいえる檀那と言われる人たち(壬生氏・清原氏など)や配札で信仰を広めた御師(おし・おんし)も一緒に武州御嶽信仰を支えてきたのですが、江戸中期以降、金毘羅詣りや伊勢詣りなど有名観光地(参詣先)に人気を奪われる中、経営困難となり、江戸後期以降は吉田神道や復古神道(吉川神道)による再建策を受け入れ、神社神道化(国学神道化)していきます。
【神道シリーズ】第41回・両部神道③大日如来=天照大神説が中世日本を支配する
日本の神道とはいつ形成されたのか?と言う問いに対して、縄文時代とか弥生時代からと信じてる人は多いように見受けますが、実際宗教としての神道が作られ始めたのは鎌倉時代(元寇以降)で、完成を見たのが室町時代(吉田神道)と言うのが学者たちの間で共通してる認識です。
もちろん仏教伝来(6世紀)以前に朝鮮半島からの移民による氏神信仰というのが渡来豪族たちの間で存在していたのですが、仏経が伝来するとすぐに豪族や朝廷の間で仏教信仰が始まり、8世紀になると神身脱落と言って、氏神たちがこぞって仏教徒になり、護法善神として仏教を守りながら(神たちが)仏教の修行に励むという時代になりました。
9世紀に真言密教や天台密教が広まり、鎌倉時代の元寇を境に真言密教による神道(両部神道)が形成され、密教理論による神国日本論が展開され、天照大神が大日如来の化身であり、日本は第六天魔王の支配下にあるという思想が平家物語や太平記と言った大衆文学の間にも見られるようになり、まさに(真言密教による)両部神道は中世の精神支配(国民を含めて)を確立します。
今回は、その両部神道の理論書とも言われる麗気記や中臣祓訓解などを紹介していきたいと思います。
両部神道はその後、真言系の当山派修験として全国に広がり、古事記や日本書紀に出てきた神々に密教的解釈を加え、所謂「八百万の神」の伝承や信仰を作って行きます。
【神道シリーズ】第39回・両部神道①(まずは真言密教とは何か?から)
いよいよ日本の中世から近世にかけて圧倒的な宗教的ヘゲモニーを握った真言密教系神道である両部神道のお話に入りますが、その前にまずは真言宗(真言密教)とは何か?を理解していないと、両部神道のみならず、その後に展開された伊勢神道や吉田神道という中世から近世にかけて重要な役割をした中世神道を理解することが出来ません。
ちなみに、伊勢神道は両部神道(真言密教系)と道家(道教)の結合によって生まれ、さらに吉田神道は、その伊勢神道(両部神道+道教)に儒教思想が加わって出来ています。
奈良時代までは雑密と言う未完成な呪術中心の密教の下で朝鮮半島由来の古代信仰(神祇信仰)と習合が進み、神宮寺の形成により雑密仏教が神祇信仰を支配する仕組みが出来ていましたが、中世以降は純密と言われる真言宗系密教が神祇信仰をその傘下において発展していきます。
【神道シリーズ・シーズン3】第1回・廃仏毀釈と平田国学の復古神道①
日本の歴史史上最大の汚点とされる廃仏毀釈は、大政奉還の翌年3月の慶応4年1868年3月に薩長新政府により神仏混淆禁止令がだされると翌4月に日吉社の社司・樹下茂国と生源寺希徳らが吉田神道配下の者たちで結成した神威隊40名を引き連れ、日吉社に祀られた仏像仏具経典などを破壊しつくした暴力的破壊活動を契機に明治元年以降の数年間に全国いくつかの地域で過激な寺院破壊活動が展開された事件のことを言う。
廃仏寺院統合の動きは明治前より水戸藩、岡山藩、薩摩藩、土佐藩、津和野藩などいくつかの朱子学・陽明学・国学の影響が強かった藩で江戸時代初期、中期、後期、末期から見られていたが、それらはあくまで寺院の統廃合であって仏像仏具什器などの破壊を意図するものではなかった。
しかし大政奉還後に始まった廃仏毀釈運動は仏教や僧侶たちに対する憎悪と嫌悪が動機となっており、この上からの仏教破壊活動は仏教を信仰する住民
との間に大きな摩擦を引き起こしていった。
廃仏毀釈運動の特徴は、長州・薩摩・津和野など陽明学国学の影響を強く受けた旧藩主や藩士たちがこぞって新政府の神仏分離政策を口実に各地で過激な仏教破壊活動を行い、仏教を信仰する村民たちや浄土真宗を中心とした仏教勢力からの根強い抵抗を受けることとなり、やがて新政府によってそうした破壊活動が罰せられることにより収束に向かった一連の暴力活動を指す。
廃仏毀釈活動は明治元年から4年ぐらいまでの間に集中し、明治9年にはほとんどの破壊活動は終了するが、
廃仏毀釈運動とは別に進められた神仏分離政策も地元の抵抗に会いながら新政府は朝廷からの命令という言葉を盾に強引に推し進め、結果、明治10年頃には日本の寺院の約半数は消滅し、さらに廃仏毀釈で失われた国宝クラスの文化財は日本の文化財全体の三分の二以上に及んだと言われる。
廃仏毀釈活動は、慶応4年の日吉社の仏像仏具経典破壊を引きりに明治元年から明治4年ぐらいにかけ、松本、苗木、佐渡、富山、隠岐などで特に酷い暴力的破壊活動が行われ、これらの破壊活動の首謀者は旧藩主、旧長州藩士、平田国学の影響を強く受けた旧幕臣らで、いずれのケースも平田国学という点で一つの線で結ばれている。
仏教の神・権現神や仏教帰依した氏神明神が長く定着していた日本の国土に平田国学の復古神道というこれまでの歴史に無かった新興宗教を強制的に根付かせる事が一連の破壊活動の根底にあった。
形式的には神仏分離という名目で過去に長く定着していた権現明神信仰を消し去り、新設神社に新たな由緒社伝を捏造したものの、それは同時に信仰の無い神社を増産していくことになったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】(戦後編)第63回・儒教招魂社・靖国神社その③(富田メモ)
日本の神社で明治以前に実在の人物が合祀されたのは、古代から中世にかけては恨みを以って亡くなった豪族や貴族の怨霊を鎮めるための目的で建てられた御霊神社や、近世になると、道教と儒教に基づいた神道理論を立て、時の権力者であった豊臣秀吉や徳川家康に取り立てられた吉田兼倶の創設した吉田神道に基づく、権力者や大名藩主の死後の神格化の為の神社などに限られており、少なくとも、戦没者が神として祀られることは一度もなかった。また、人の死後の埋葬に
関しては、鎌倉時代前頃までは、豪族・貴族は、中国や朝鮮半島と同様に墳丘墓が一般的で、庶民に至ってはそのまま死体が道端に遺棄されるのが普通であった。しかし、仏教伝来以降、豪族貴族皇族および天皇に至るまで仏教式に火葬して墓に納骨する者が増え、鎌倉時代以降は、庶民もそうした仏教的な火葬を行うのが一般的になってきた。幕末頃から造られた神式葬儀とは、中身は儒教の葬儀と同じで、火葬したり四十九日とかいう観念も仏教と同じものである。こうした実在人物の死後の神社合祀として戦没者が祀られるのは靖国神社が日本史上初であり、それまでの日本の伝統的死生観とはまったく異なるものであった。
これはむしろ、中国の儒教や道教で死後軍神として祀られた関帝廟のようなもので、しかも、歴史的に一座に複数の神が祀られた神社はなく、靖国神社のように一座に240万柱もの神が鎮座するというのも靖国神社のみである。よって、これは日本の伝統ではなく、靖国神社という新宗教による合祀方式である。
また、合祀基準も、当初は戊辰戦争や西南戦争で官軍として従軍し、戦死した戦没者だけが対象だったのが、明治16年に国事受難者全体が合祀の対象となると、幕末の勤王の志士で幕府と戦って無くなった長州薩摩土佐などの藩士や暗殺された藩士たちも合祀の対象となった。
しかし、この無原則な合祀対象の拡大は、日清日露戦争以降戦没者の数が跳ね上がると同時に
国威高揚の意味からも従軍者で病死や自殺した者から軍属全体にまで合祀対象が広がり、
さらには、日中戦争や太平洋戦争に突入すると、そうした合祀対象の把握さえ困難になって行ったのである。
【学習用】伊勢神道の基本構造解説(両部神道⇒伊勢神道⇒吉田神道⇒儒家神道の流れの概略)
伊勢神道の詳細説明をするにあたって、両部神道から伊勢神道、そしてその後の吉田神道や江戸時代以降の儒家神道の一貫した流れを理解しておかないと伊勢神道自害がよく分からなくなってしまうので、1時間17分ではありますが、この概略を初心者にも分かりやすく説明した動画を作りました。
【神道シリーズ・シーズン3】第2回・廃仏毀釈②(佐渡・隠岐・富山)
廃仏毀釈は、慶応4年1868年3月8日の吉田神道配下と日吉社社司ら40名による日吉社の仏壇仏具の破壊焼却に始まり平田国学の影響を強く受けた一部の藩主藩士や庄屋豪農らにより明治元年より明治4年の終わりぐらいまでの間に全国5か所ぐらいの地域で過激な仏教排撃、寺院破壊と僧侶の強制還俗と帰農、そしてぶっそうさい火葬の禁止と神葬祭土葬の強要が実施され、やがて寺院や民衆の方から政府や朝廷に抗議の請願が出され、実地調査をした新政府がその惨状に驚き、事件関係者を処罰し明治4年の後半頃より収束をみることとなった。明治以前より廃仏寺院統合や廃仏毀釈が行われてきた水戸藩、薩摩藩、岡山藩、津和野藩、土佐藩などを除くと明治以降に平田国学の影響を強く受けて過激で破壊的な廃仏毀釈が行われたのは、松本、苗木、佐渡、隠岐、富山の5地域であるが、これらの地域に共通している点は、いずれも浄土真宗の強力な勢力圏であり、真言宗や
天台宗や浄土宗、禅宗の寺院が次々と破壊され、僧侶たちには還俗が強制される中、浄土真宗だけは民衆門徒やtouzai本願寺の政治力も含め、実に根強い抵抗を見せ、この力がやがてこうした一連の過激な廃仏毀釈活動を終息させていくこととなった。
結局一連の過激な廃仏毀釈活動が齎したものは、実行犯たちの思惑に反していかに仏教が国民にとって切り離せない唯一の信仰になっていたかを改めて証明した結果になったのだ。
うんこちゃん『ニコ生最高』3/4
2015/07/06(月) 開演21:01 放送ID:lv227230361
ついきゃすはいってよし
1/4→sm26651650 2/4→sm26652226
3/4→sm26652428 4/4→sm26652508
雑談連続再生用→mylist/47505173
※#11:48から#12:11までtmtです。
(tmtの間、数分カットしています)
【吉田神・実況生活最終日】2020年1月9日園田競馬 吉田勝彦アナウンサーのレース実況引退セレモニー
2020年1月9日園田競馬 吉田勝彦アナウンサーのレース実況引退セレモニー
【競馬】 SJT2008 第1ステージ第3戦 シルバービット賞 +表彰式
スーパージョッキーズトライアル2008・第1ステージ(笠松)の第3戦+吉田勝彦アナの司会による表彰式です。(表彰式の映像はありません) 参加騎手14名で争いますが、笠松はフルゲートの頭数が少ないため、3戦に分けて各騎手を2回ずつ騎乗させています。 第1、第2ステージ(大井)の合計獲得ポイント1位の騎手が、ワールドスーパージョッキーズシリーズ(阪神)の地方枠騎手に選ばれます。 SJT2008騎手紹介→sm4755376 第1戦→sm4759349 第2戦→sm4759884 第2ステージ第1戦→sm4976191 地方競馬マイリスト→mylist/8940177
【実況】俺の嫁にFF14をヤらせてみた Part10.0【タムタラ後半】
病気療養等で、前回うpからかなり時間があいてしまいました。
遅くなってしまいすみません。
Part9.0うp後に広告してくださった方へ。
60名以上の広告主名を確認できなくなってしまったので、
申し訳ありませんが、広告主紹介をお休みさせていただきました。
Part9.0 → sm26910016 | mylist/49879560 | Part11.0 → sm27488681
キャラクリ編 → sm26185671
他Part1集 → mylist/49856518
コ:co2813438
ツ:@kenpow2525
FF14フリートライアル → sqex.to/FF14ft
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【競馬】 SJT2008 第1ステージ騎手紹介
園田競馬の実況でお馴染み、吉田神こと吉田勝彦アナによるスーパージョッキーズトライアル2008・第1ステージ(笠松)の騎手紹介です。この人のパワフルな司会ぶりを、じっくりと、そしてたっぷりとご堪能下さい。 なお、第1、第2ステージ(大井)の合計獲得ポイント1位の騎手が、ワールドスーパージョッキーズシリーズ(阪神)の地方枠騎手に選ばれます。 第1戦→sm4759349 第2戦→sm4759884 第3戦+表彰式→sm4762637 第2ステージ第1戦→sm4976191 地方競馬マイリスト→mylist/8940177
吉田勝彦 競馬実況集
そのだひめじ 実況ひとすじ 吉田勝彦 毎回、ニコニコ内の動画は極力使わないようにしているんですが、吉田神については、素材が手元にないのでそれが難しいです。というわけで次はありません。 投稿動画+α→mylist/22609959
福山競馬のあんまりネットには上がっていないだろうレース映像
2006年にコースを改修するまで、以前使われていた1400および2400メートルでレースが実施できるように3コーナーと4コーナーの間は直線になっていた。なので4コーナーが非常に難しかったものの、久保河内は4コーナーを舐めるように走らせることができた。それは収録映像でもわかります。この中でお気に入りはグランプリヒーローに騎乗する岡山重男の姿。
週刊ゲーム売上ランキングTop20(2010年11月15日~21日)
メディアクリエイトが発表した2010年11月15日~11月21日のコンシューマソフト週刊販売ランキングを動画化したものです。作品の点数は11月28日時点のものです。
前週(11月8日~14日):sm12860178|週刊マイリス:mylist/22341455|次週(11月22日~28日):sm12921246
■PS2名作ゲームベスト100:mylist/22000979
■【動画】第4回みんなで決めるゲーム音楽ベスト100【2ch】:mylist/21570326
new! 2011年3月後半新作ゲーム紹介→sm13865252 【タイトル】コール オブ デューティ ブラックオプス スーパーカセキホリダー アガレスト戦記2 クリミナルガールズ CRエヴァンゲリオン 始まりの福音 肉弾 Kinect 毛糸のカービィ Wii ゴッドイーター バースト ポケモン ブラック ホワイト レイジングブラスト2
【競馬】SJT2009 第2ステージ騎手紹介
園田競馬の実況でお馴染み、吉田神こと吉田勝彦アナによるスーパージョッキーズトライアル2009・第2ステージ(園田)の騎手紹介です。この人のパワフルな司会ぶりを、じっくりと、そしてたっぷりとご堪能下さい。 SJT2008第1S騎手紹介→sm4755376
江戸時代に神話伝承を虚構と見抜いた天才 富永仲基 【世界史べーた(仮)】
本動画はYouTubeチャンネル「世界史べーた(仮)」と同日投稿しております。
【HP】https://sekaishi-beta.com/
【ニコ動内リンク】mylist/72650162
■普段投稿している解説動画
中国国歌の成立 sm41157160
『易経』 sm41059188
Twitter https://twitter.com/JingzhongKeichu
■使用合成音声
・アベルーニ(Voiced by https://CoeFont.CLOUD)
・琴葉葵(A.I.VOICE)
■主要参考文献
・富永仲基『翁の文』富士屋長兵衛 出版 1746
・吉田兼倶『唯一神道名法要集』林和泉掾 出版 1655
・加藤周一 責任編集『日本の名著18:石田梅岩 富永仲基』中央公論社1983
・釈徹宗『天才 富永仲基:独創の町人学者』新潮社(新潮新書)2020
・梅谷文夫 水田紀之『富永仲基研究』 和泉書院1983
・宮川康子『自由学問都市大阪』講談社 2002 67-68 頁
・宮川康子『富永仲基と懐徳堂』ぺりかん社 1998 183-187 頁
・武内義雄『支那学研究法』岩波書店1949
・白鳥庫吉「支那古伝説の研究」(『白鳥庫吉全集』8 巻所収)岩波書店1970
・白鳥庫吉「尚書の高等批評:特に堯舜禹に就いて」(『白鳥庫吉全集』8 巻所収)岩
波書店1970
・内藤湖南『研幾小録 : 一名支那学叢考』弘文堂1928
・内藤湖南『支那上古史』弘文堂1944
・顧頡剛 著 小倉芳彦ら訳『中国古代の学術と政治』大修館書店1978
・顧頡剛 著 平岡武夫 訳『ある歴史家の生い立ち:古史辨自序』岩波書店(岩波文
庫)1987
・竹元 規人「顧頡剛の疑古学説と同時代日本の諸説の比較」『九州中国学会報 52 号
2014
・神谷尚紀『神道入門:民俗伝承学から日本文化を読む』筑摩書房(ちくま新書)2018
・伊藤聡『神道の中世:伊勢神宮・吉田神道・日本中世紀』中央公論社(中公選書)2020
・平岡聡『大乗仏典の誕生:仏伝の再解釈でよみがえるブッダ』筑摩書房(筑摩選書)201
5
・青木美知男ら『日本史B』三省堂2010
■参考サイト
・日本古典文学テキスト(『翁の文』)
2012/12/13 園田競馬 ゴールデンジョッキーカップ 騎手紹介
2012/12/13 園田競馬 ゴールデンジョッキーカップ 騎手紹介 (吉田勝彦アナウンサーによる進行) 映像途中よりワイプに切り替わります。 出場騎手:岩田康誠騎手、蛯名正義騎手、内田博幸騎手、村上忍騎手、戸崎圭太騎手、東川公則騎手、戸部尚美騎手、赤岡修次騎手、山口勲騎手、田中学騎手、木村健騎手、川原正一騎手
【軽量版】2012年京都に行ってきた(61)~(63)
2012年の京都動画の軽量版です。その61~63をまとめました。
前→sm18805254 次→sm18805759 京都関連動画→mylist/15106515
アップ一覧(その1)→mylist/15106514 (その2)→mylist/33326050
第49回兵庫大賞典 エリモアラルマ
2013年5月3日園田競馬第11レース 第49回兵庫大賞典 勝ち馬 エリモアラルマ
【茨城】 [水戸] 内原~河和田~千波町
久しぶりに水戸を撮影。※動画は約2.5倍速
河和田~千波町間は以前撮影した区間です。→sm6147844(2009年2月撮影)
内原から河和田、千波の山新から吉田神社のところまでを新たに撮影しました。
【茨城の車載動画】
[県北・県央] mylist/10200288 [水戸] mylist/17121736 [日立] mylist/18612877
[県南・県西・鹿行] mylist/10200291 [つくば・土浦] mylist/20537824
【東北地方】mylist/29307210
【首都高・東京】 mylist/19811892
【その他】 mylist/25726552
アラブ系競走馬の名馬2
パート2です。吉田神の声が若いです。ローゼンホーマに関しては、Wikipediaに詳しく記載されてます。ようつべから転載。パート1sm8383612
【吉田神の】10/03/04 六甲盃【本領発揮】
10/03/04 兵庫競馬 六甲盃 重賞1
3角まくり・向こう正面まくりに定評のある兵庫競馬。
吉田神のボルテージも最高潮!
しかし・・・
【茨城】 [水戸] 河和田~千波
河和田のD2から千波の山新への道。※動画は約2倍速
内原~吉田神社→sm16172491
水戸の動画→mylist/17121736
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