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【夏の瀬戸内の青い海】宮島と本土の海峡 狭隘部 大野瀬戸、西端の下灘〜鳴川海岸
観光では見ない安芸の宮島(厳島)の別の顔。夏の瀬戸内の青い海と島。
1廿日市の大野瀬戸と呼ばれる厳島と本土の海峡の最短部分。島の浜辺は室浜海岸である。
2下灘〜鳴川の海岸 よくマリンスポーツや海釣りをしている人がいる国道2号線沿いの浜辺あ〜宮島の最西端部分を眺める。西側のコンビナートは隣の大竹市の重化学工業のもの。
鳴川を越えると昔でいえば旧山陽道の玖波宿である
晴海臨海公園(宮島海峡を望む海に面した公園)と小方港 広島県大竹市
ローカルスポット。宮島の海峡の西端に面した臨海公園と小方港散策。廿日市のおおの自然観察の森へ森林浴へ行こうとしたが林道通行止めで行けず 大竹に回る。
大竹市玖波の錦龍の滝も通行止めらしいので、国道2号線近くの小方港方面へ。
宮島の隣 阿多多島(牡蠣やはまち養殖などで有名)への航路などが出ている港、漁船なども停泊している。防潮堤では釣り人などもいましたね。
傍には晴海臨海公園があり散策や球技など運動やウオーキングができる デイキャンプも可能らしい。
県がコロナ緊急事態で散策のみおkでありました。瀬戸の島や山が見えて悪くはない。晴れてれば良いでしょうな。海の傍だが木陰がないので夏は暑そうw
西側入り口〜東入り口へ一回りして景色を眺めただけの記録。ストーンアートなどもありました。弥栄ダム建設時に出た岩石を使い市内各所にあるらしい。
厳島神社外宮「地御前神社」と「地御前本道(ほんみち) 」【後編】(西向寺〜釈迦堂〜外宮 地御前神社まで)
西国街道から宮内串戸あたりで西へ分岐した古い道で、宮内〜地御前へ抜ける。地御前=じのごぜんの意で、本宮厳島神社が御前、本土側が地の御前という意味。
行程=〜西向寺参拝(見事な蓮華松)〜正行寺〜釈迦堂、大歳神社や大銀杏〜地御前神社境内と国道開鑿碑。長くなってしまった・・。
明治維新後、旧西国街道に替わり交通の利便性の高い新しいみちが求められ開削され。小己斐峠(井口)〜地御前〜大竹へかけて今の海岸沿いの国道2号線が作られた。それまでは海岸沿いの道路はなく宮内から 峠、山越えのある険しいみちであった。
地御前神社のところまで続く。昔の地御前神社へ至る参詣の道でもあり、生活道として使われた(今も現役)
参考資料=地御前コミュニティセンター地御前の史跡、広島大百科、wikiを参照しています)
20年くらい前は古い街並みなど残っていたようです。現在もまだまだ幾らか町家やその風情が残っている。絵を残しておこう。古い道標なども残っていたり、御堂、お寺、神社、大木などいろいろある。
最近参拝に行くと新しくなった家が増えていますね時代です。
余談〜昔、海側の宮島街道が開かれるまでは、西へ行く道は宮内村から四郎峠を越えて行く(今も迂回路として交通量が多い)旧山陽道(西国街道)しかなかった。ただ、厳島に参詣し、その後 地御前から旧山陽道のおおの中山へ抜けた話が、室町初期の九州探題=今川了俊の道行ぶり(紀行文)にもあり迂回路も存在したようです。山越えですが。
前編行程=藤掛橋、宮内別れ〜宮内串戸・道の始まり〜御手洗川〜新広島四国八十八ヶ所5番智秀山 観音堂〜真宗 西向寺山門まで。長すぎるのでとりあえずここまでで。
旧厳島神社兼帯社 「大頭(おおがしら)神社」と豪快な妹背の滝 広島県廿日市市大野
厳島神社摂社として推古天皇の時代に創建(603年)された古社。
江戸時代までは厳島神社の(兼帯七社の一つ)兼帯社であった。祭祀や修築の用材提供などを厳島神社が全て行っていた。
大正2年に周囲の開発化が進んだため元宮のあった桑原というところから城山の東の麓にある昔から景勝地で知られた妹背の滝のある現在地へ遷座した。
インター近くの朱の両部鳥居の扁額は東久世熾仁親王の筆。
昔は厳島神社の神事である烏喰式なども境内で行われていたようですが最近はやってないみたい。
この辺りは〜西国街道にあたり長州征伐の時、長州軍VS幕府軍の激戦地の一つ。千人塚も残る。
妹背の滝
雄滝と雌滝の二つがあり雌雄滝、めおと滝とも呼ばれていた。神社遷座の頃か妹背の滝と命名された。
雌滝=落差50mの優雅な滝である。雄滝=落差30mの岩のすごい豪壮な滝である。
城山=厳島と本土の間の海峡を睨んだ大内氏の城で門山城があった山。厳島合戦前に毛利が攻め落として廃城となる。妹背の滝の上の公園から登山道がある。また大野浦駅近くからも登れる。戦国時代などは妹背の滝あたりから敵が攻めてきたり合戦なども行われたようである。
行き方
山陽自動車道の大野インターを降りて、右折します(左へ行くと国道2号線方面や新幹線高架沿いに阿品台団地やバイパス方面へ抜ける)
神社前に市の借りているらしい駐車場があるのでそこへ止めましょう。
国道2号線からインター方面への道を(大野中央)抜けてもいけます。
山陽本線の電車だとJR大野浦駅から30分くらい東へ歩くことになるかな。駅から駅前通りを東へと 向かいスーパー藤三のところを左折して山の方へ両部鳥居を抜けて、大野インター前を過ぎたらすぐ。
厳島神社外宮「地御前神社」と「地御前本道(ほんみち) 」【まとめ記録編】
サムネ=客人宮と大楠。いくつか画像を追加、整理 し直して記録として流れでまとめておく。
西国街道から宮内串戸あたりで西へ分岐した古い道で、宮内〜地御前へ抜ける。地御前=じのごぜんの意で、本宮厳島神社が御前、本土側が地の御前という意味。
行程=藤掛橋、宮内別れ〜宮内串戸・道の始まり〜御手洗川〜新広島四国八十八ヶ所5番智秀山 観音堂〜真宗 西向寺山門〜西向寺参拝(見事な蓮華松)〜正行寺〜釈迦堂、大歳神社や大銀杏〜地御前神社境内と国道開鑿碑。
明治維新後、旧西国街道に替わり交通の利便性の高い新しいみちが求められ開削され。小己斐峠(井口)〜地御前〜大竹へかけて今の海岸沿いの国道2号線が作られた。それまでは海岸沿いの道路はなく宮内から 峠、山越えのある険しいみちであった。
地御前神社のところまで続く。昔の地御前神社へ至る参詣の道でもあり、生活道として使われた(今も現役)
参考資料=地御前コミュニティセンター地御前の史跡、広島大百科、wikiを参照しています)
20年くらい前は古い街並みなど残っていたようです。現在もまだまだ幾らか町家やその風情が残っている。絵を残しておこう。古い道標なども残っていたり、御堂、お寺、神社、大木などいろいろある。
最近参拝に行くと新しくなった家が増えていますね時代です。
余談〜昔、海側の宮島街道が開かれるまでは、西へ行く道は宮内村から四郎峠を越えて行く(今も迂回路として交通量が多い)旧山陽道(西国街道)しかなかった。ただ、厳島に参詣し、その後 地御前から旧山陽道のおおの中山へ抜けた話が、室町初期の九州探題=今川了俊の道行ぶり(紀行文)にもあり迂回路も存在したようです。山越えですが。
西国街道 玖波宿を出て〜黒川へ向けての高台から海の景色 (広島県大竹市)
昔の西国街道は玖波宿を出ると山麓を黒川村〜小方村〜さらに苦の坂をこえ小瀬川河畔の木野へ出ていた。開発が進み山麓は道路と住宅街となり昔の街道筋はわからなくなっている。
ガイドブックなどでは大筋街道沿いの山裾をゆく道を紹介しており、高台なので景色がよく雰囲気も良い。恵川を越え坂を登った病院があるところから海を眺めた様子。
この辺りは廿日市から山陽自動車道沿いに走る、国道2号線の混雑を避ける抜け道になっており意外に車が多い。転々と景色のいい場所がある。
ここを抜けると黒川あたりに出て亀居城北側を抜け大竹駅方面や山越で立戸(途中動物の彫刻が可愛い河内神社がある)から小瀬川河畔の採石場のある場所にでれる(この間見てきたのでまた動画あげます)
真冬の厳島へ2 眺めの良い対岸の岡から「宮島(厳島)」厳島の海峡を眺める
宮島へ向かう途中対岸からの風景2 宮島口の上にある対厳山 の小さな公園から宮島の全景と宮島と本土の間の海峡を眺めの映像。この後宮島へ渡りました。
この公園は例年夏の海上花火大会などでは見物客が多く集まる。だいぶ以前ここから初日の出を見たことがあります。普段はあまり人がいない静かな公園。滑り台の上から撮影しました^^;
バイパスから阿品台を抜け、宮島口あたりの国道2号線を避け西へ向かう抜け道になっているので結構走ることが多い。
ここを下ると更地地区に出て右へ行くと旧山陽道(山側に未舗装路がのこる)沿いの道で新幹線高架や山陽自動車道の下を並走し大竹方面へと続く。左にいくと国道2号線へ合流する。
今川了俊=足利義満から九州探題を拝命し南朝軍と戦った武将、歌人でもあり「難太平記」、紀行文「道行きぶり」などを現す。おおの浦・・・の和歌は〜西国街道を了俊が通過した折に残したもので。道行きぶりに記載されている歌。了俊は宮内から地御前神社へさらに山越えで中山に入り西へ進んだらしいです。
山陽自動車道の傍の側道から 晩秋の厳島の海峡の眺め 広島県廿日市市
旧山陽道付近〜宮島の眺め。錦帯橋へ行くので、国道2号線から阿品台を抜け旧道に入り〜廿日市市の西にある宮浜温泉を過ぎ、大竹市玖波へ抜ける 迂回路からの眺め。抜け道は狭いのだが車の交通は結構多いです。真後ろの少し上には山陽自動車道が走ります。
この辺は大雑把に言いますと旧山陽道(西国街道)が走っていた場所の近くです。
「大野浦を これかととえばやまなしの かたえの紅葉色に出つつ」 今川了俊
<室町時代初期九州探題の今川了俊がこの辺りを九州へ向かう途中詠んだという歌らしいです
南朝方を殲滅し九州を鎮圧する室町幕府の最高司令官でした>
大野浦駅近くを通過した時よく見えそうな場所から大内氏の門山城跡の山をしたから眺めて写真を撮ったのでまたあげます。昔何回か登山で行きました。
旧山陽道(西国街道)【 旧跡 】小瀬の渡し場跡の桜 R3年
大竹市木野と岩国市小瀬を結ぶ両国橋。西国街道(旧山陽道)の国境線である渡し場があった場所。
令和三年3月下旬2019年以来久しぶりに川辺に桜が咲いていたので眺めてきた。
岩国領と芸州藩の境に位置しており江戸時代までは防衛上の問題から橋はかけられず船で渡っていた。安芸国側=木野(この)渡し場、周防側=小瀬の渡し場と言われた。
この先に錦帯橋の川上、関戸の国道2号線へ出る関々バイパスがあるため車が次々の通過して離合したりする。渡し場跡あたり〜バイパスまでの道が狭い。
安政の大獄のおり吉田松陰が最後にこの川を渡った時 惜別の歌を読んだので歌碑が建てられている。
歌碑の近くあたりには昔は一里塚があったらしい。その奥は旧道の小瀬峠越えの道がある。狭いが今も車で通過できる。急なのと狭いので一部離合がキツイ部分がある。
この後松陰東遊記念碑を見に旧道を辿り関戸へ向かった。
小瀬峠越えで関戸へ(サブ垢)sm34599992
獺祭〜千年杉【岩国市周東町の山間】「川越地区」を行く!(1)〜獺越(おそごえ)三瀬川(さんぜがわ)〜 山口県探検 岩国市周東町(川越地区)
日帰りで岩国市周東町へ半日ほどの初見探検です。この地域は川上地区までしか行ったことがないので初めて。国道2号線から県道5号周東美川線を行く予定が道を間違えてしまいまして、まずは蓮華山の麓にある谷津地区へ
県道5号へ入ると獺越地区〜三瀬川地区まで行きました。初めてなんで見落とし、いけなかったところもあると思います。
その1の内容
1玖珂町の谷津・比叡神社 2隕石発見石碑 3丹生河内神社(さんざん探してニノ鳥居まで・・スズメバチがきたあああ。残念)3旭酒造 獺祭ストアの風景。
その2の予定 獺越 河内神社周辺 三瀬川の川越大神宮辺り 川上の鮎原劔神社へ
撮ったつもりが間違って削除したか・・集落あたりの写真がない また行くつもり。
蛇漬渕とか三瀬川 河内神社へ行き損ねておる。檜余地(ひよじ)地区もいってないです(八代に近いあたりらしい400m越えの標高)東川(島田川系)、根笠川(錦川系)の源流地帯。
獺越(おそごえ)とは周北小学校のサイトによれば、昔々下の川上村でカワウソが人をよく馬鹿して里人が追いかけこの辺りまできたから獺越え・・と言われたという話もあるそうです。
玖波 大歳神社と神生(みあれ)石(西国街道 玖波宿の鎮守) 広島県大竹市 記録
広島藩(芸州藩)西端の宿場 玖波(クバ)宿のすぐ近くに、行者山麓の鎮座する。行者山は修験道の山で現在は石鎚神社系の修験道の山である。ハイカーがよく訪れる山でもある。
玖波(クバ)大歳神社=恵川の傍に鎮座し、後ろは行者山がある。鎮守の森がこん森している。
やや山側には山陽新幹線、神社の南には広島岩国道路(山陽自動車道へ接続)の橋脚があり現代と古いものが混在している。
社殿は昭和42年コンクリート再建(拝殿は流造、向拝付瓦葺き、神殿は神明作り銅板葺)昭和20年の枕崎台風以来3度の大きな風水害で痛み再建されたものだ。
社殿は白を基調にしていて造りも自然な感じなので意外に周囲の感じとあっていると思い悪くはない。
また神社の社殿の横には神の降り来る磐座が今も祀られており神生石(みあれいし)として鎮座している。社殿はこの祭祀対象の石を避けて横へのちに建立されてきたものらしい。
ここ玖波と周防の山里=山代地方(今の岩国市になる)の生見は昔から縁が深いようです。御幣が玖波から山代の生見まで飛んでいったというようなお話もの残る。また岩国の堅石明神(御神体の大岩がある)の縁起にもここの神社が出てくるらしい。
玖波(クバ)について余談
この玖波という地区は古くは古代山陽道 遠管駅家が置かれた場所といわれ古代から安芸の国西部のにおける交通の要衝の一つであった。
厳島にも近く瀬戸内の海運の港として、玖波谷へ山から降る道は周防山代など山間部地域から物資の降ってくるルートとして用いられたようだ。現代では役目を終え静かな町でわずか昔の面影を残す。
今は海が近く国道2号線が走りますが、昔は海側に道が無く廿日市から山越えで鳴川の石畳(遺跡がある)を抜け鉾の峠〜から唐船浜を経て馬試しの山をこえて玖波宿へ入っていようである。今はうま試しの山には隧道が通り玖波宿へ(旧道)また海側はおそらく削られ国道2号が開通している。江戸時代までは山側に旧山陽道が通っていた。
*神社の歴史などは玖波大歳神社サイトと大竹歴史研究会サイトを参照させていただいた。人
なかなか詳しいです。
初秋の半べい庭園 聚花山の庭(Syukazan Garden) 長尺版 広島市南区本西浦
庭園レストラン 半べい庭園 長めです 記録用として。
古庭園研究や作庭家の重森三玲氏が築庭の庭園がある。
二代目社長が重森氏に依頼して築庭したそうです。ふんだんに石が使われています。
庭の名前の聚花山の庭=花をあつめた山の庭 ほどの意味です。半べい庭園は昔は広島遊園地と呼ばれつつじの名所として有名らしいです(花の時期は未だ訪問したことがないんですが)
8月の終わりに訪問・・猛暑の終わり頃、池の水がやや濁り気味状態が悪かったです。造園業者が入っていて隣の庭は見れませんでした。料亭の庭なのでライトアップ資材など人工物ががあちこちあるのは仕方がないですね。年月が経ちますがよく保存はされています。
重森氏は元来花道の専門家でのち独学で庭園を研究し様々な古庭園の修復や新しい庭の創造を行われた。私が実際行ったところでは〜周南市漢陽寺、松尾大社なども築庭している。宇部市宗麟寺 龍心庭も重森三玲氏が修復している。
邇保姫神社前バス停が一番近いです (広電バス〜4号線仁保車庫、向洋行)車だと国道2号線を広島市中心部から走ると東雲の先で本浦交番前交差点で右折する。右手に看板が見える。案内に沿って広島市工業高校周囲を回り込むようにすすむ。一方通行が多い地域なので注意。
*レストランか料亭、入浴施設などを利用されると見学できます。
レストランと入浴施設はコロナ禍で廃業になりました。メインの料亭のみになりました。
西国街道を行く 芸州藩 西端の宿場 <玖波宿〜小方 付近を散策する>(1)
大体(ほぼ、大まかに)西国街道散策。西国街道(旧山陽道)は江戸時代の街道。広島城下をでて廿日市宿についで玖波宿は芸州藩の正式な最後の宿場であった。
隣の小方は間ノ宿で(基本休息用に利用され、補完的に収容しきれない場合宿泊なども受け持った)と言われる。
江戸末期、廿日市宿もそうだが玖波宿も長州征伐の時、長州毛利藩により攻撃され本陣以下街並みが 灰燼に帰したと言います。町は幕末以後再建された。
玖波の街道筋はすぐ南側は海であった。本陣も大変美しい建物だったようで文人墨客が宿泊したり文化の華が咲いたと言われたが幕末失われた。町家的な古い町並みも今は建て代わりあまり残っていない。
白壁の建物や蔵、高札場跡や共同井戸(行者山の行者が水垢離などもした)などがわずかに風情を残す。
海岸沿いには今は国道2号線がありますが、昔は山側に街道がつけられていた。
今回は映してないが「馬試し」の山が東の宿場入り口にあり(今はトンネルがある)、街並みの中ほどの旧本陣あたりからから山側へ街道は通り(JR線路下を抜け)浄土宗 称名寺前から山裾を西へ抜けていたらしい。
今回歩いたルート=行者山の風景を見ながら駅前〜恵川に出て〜線路を超え、新広島八十八箇所二番霊場前〜川を渡り〜病院のある岡へ上がり(上がり切った所を直進し高速高架の向こう山へ入ると行者山の 西山社がある)〜岡を左折し景色を眺めながら進む。昔の街道筋の道は開発で消えている。
ガイドブックを片手に西国街道の道筋(開発等で道筋が消えている部分もあるので景色の良さそうなところを)だいたいその辺という程度で散策ウオーキングして行きました。
大竹方面へ行った折に11月12月に二回くらいに分けて散策しています。
その二 小方宿へ sm38009566
創建天平元年〜 臨済宗 樂音山 「日光寺」〜 山口県岩国市寺山
サムネは本堂の眺め。山の樹々風情がとても良い。高照寺山麓の長宝寺でも同じ感想を持ちました。
情報がないので国道の案内板にあった情報のみ。
古い伽藍はもう残っていないようだけど・・1300年の歴史のある寺院ですね。
寺歴がよくわからないんですがおそらく天平時代(行基創建)密教寺院〜臨済宗の流れかと。
長寶寺とやはり歴史も似てますよね。
本尊は釈迦如来=寺社の紹介サイトにあった。臨時天龍寺派。
明治に開かれた岩国の南八十八ヶ所巡礼の第四十八番霊場。薬師如来。
この霊場のことはGoogleマップで霊場案内図を作っている方がありそこで知りました。
場所 国道2号線 岩国市保木を過ぎたあたりの大きなカーブ鳴滝橋を渡る手前の山への道をとる。Googleマップだと迫田橋バス停が最寄りのようです。
渓流沿いに山へ入る。途中田んぼが多く緑がきれいな田園地帯。道の最後部まで行くが見つからず都合2回行きました。最奥部(行き過ぎです)やや手前に脇へ登る道があり寺院下へ至る。
案内板等ないので分かりづらい。2号線分岐から車で5分程度を目安に。
寺山地区をあちこちぐるぐる回りました。細い道がたくさんある。
<車載>令和3年初春2日目 宮島街道 厳島の眺めの良い海岸線を走る
岩國方面へ行く途中景色がいいところなので一度車載してみたかったので。側面映像。晴れてれば海が綺麗なんですけどね。
瀬戸大橋 与島PA 往復 【前編】
瀬戸大橋与島PAを往復してみました。 前編は国道2号線岡山市古新田付近から与島PAまで・・・
岩国の神社巡り〜延喜式内社論社 岩隈八幡宮(令和二年春)岩国市玖珂(久重山)
岩隈八幡宮(旧玖珂の総鎮守)〜元来は熊毛大神を祀っていたと云われる。
和銅七年(714年)宇佐八幡宮より勧請、初め下祖生にあったものを元禄四年(1691年)参勤交代の大名の参詣に便利な様に吉川広紀 (ひろのり)公により遷座された。
玖珂の三市をはじめとして、近郷53ヶ村の 総氏神であった(山口県歴史散歩より)
情報がないので詳細は不明だが、社殿はおそらく古いものを移築したものではないかと思われる。
その後、下祖生(現岩国市周東町)に災害が続くので元の岩隈山に神社は再勧請されて居ます。動画あり。
延喜式内社熊毛神社論社(元は下祖生なのでまあそちらが本来の論社でしょうね)ただ熊毛郡から延喜式神名帳の時代には玖珂郡は分離していたらしいっす。相当な古社は間違いない。
国道から入口が狭いので一昨年まで参拝を躊躇っていました。狭いの入り口だけで車でも入れます中は広い駐車場あり。残念ながら宮司さんは今は居られないので、高森の椙杜八幡宮で祭祀をされていますからそちらで希望なら御朱印はいただけます。
国道437号線が岩徳線をくぐり国道2号線と合流する辺り〜国道2号線の脇に参道への入口がある(古い狛犬がある)入り口が狭いが車で入れる。わずか山の方へ入ると駐車場あり、さらに拝殿下広場へも入れるが道が狭い。令和三年初詣に行きましたら宮司さんが新たに就任されていました^^
まあ山なので静かで雰囲気はいいです。杉などの大きな木もあったりします。社殿が大きくて見事。 境内者宗本神社の石鳥居からの眺めがいいですね。
防長路巡り https://www.nicovideo.jp/series/19894?ref=user_series
西国街道(旧山陽道)沿いの 旧村社 新宮神社 広島県廿日市市新宮
旧村社 新宮神社 元々は傍の藤掛山にあった桜尾城の支城=藤掛城の鎮守として祀られた御社。しかし藤掛城は陶晴賢に攻め落とされた。後に永禄年間に地元で熊野新宮から祭神を勧請され下平良の鎮守としたと言われている。今でも本地仏の懸け仏が祀られている。
平良(へら)と廿日市南東部の地域は、延喜式内名神大社 速谷神社などがあるエリアで古代山陽道の「へら」駅家があったとされるあたりでもある。
今は住宅街になっており 藤掛山も開発され団地や道路が走る(西広島バイパス〜木材港下りる道路がある)麓の海側も旧国道2号線宮島街道が通る。昔はこの山のため山陽道は海のそばを通れずやや山側を宮内村へ抜けていたらしい。
廿日市天満宮hp記載の縁起によれば江戸時代廿日市天満神(旧天神坊)が廿日市の鎮守とされ新宮社の祭神も勧請し、ここを御旅所としたそうです。今も廿日市天満宮が祭祀を続けているようです。
いつお参りしても綺麗に箒の掃き跡があり 手入れがされ花が植えられ公園のようになっている。いこいの空間的な旧村社である。古木にはしめ縄がされ神木として鎮守の森も守られております。
近くへ行ったので花の頃でもあり参拝しました。初夏の匂いがもうしています。
帰る前に近くの 厳島神社外宮のある地御前の海から宮島を眺め帰りました。
【車載動画】竹原市に行ってみた(往路)
広島県竹原市に行ったときの車載動画です。
国道2号線:尾道バイパス出口→国道185号線:道の駅たけはら
復路・・・sm20210300
メモ
●ビデオカメラ:ソニー SONY HDR-CX590V
●カメラ:ニコンD5200
レンズ:AF-S DX NIKKOR 10-24mm f/3.5-4.5G ED
初秋の半べい庭園 聚花山の庭(Syukazan Garden)ショート版 広島市南区本西浦
庭園レストラン 半べい庭園〜古庭園研究や作庭家の重森三玲氏が築庭の庭園がある。
二代目社長が重森氏に依頼して築庭したそうです。ふんだんに石が使われています。
庭の名前の聚花山の庭=花をあつめた山の庭 ほどの意味です。半べい庭園は昔は広島遊園地と呼ばれつつじの名所として有名らしいです(花の時期は未だ訪問したことがないんですが)
8月の終わりに訪問・・猛暑の終わり頃、池の水がやや濁り気味状態が悪かったです。造園業者が入っていて隣の庭は見れませんでした。料亭の庭なのでライトアップ資材など人工物ががあちこちあるのは仕方がないですね。年月が経ちますがよく保存はされています。
重森氏は元来花道の専門家でのち独学で庭園を研究し様々な古庭園の修復や新しい庭の創造を行われた。私が実際行ったところでは〜周南市漢陽寺、松尾大社なども築庭している。宇部市宗麟寺 龍心庭も重森三玲氏が修復している。
邇保姫神社前バス停が一番近いです (広電バス〜4号線仁保車庫、向洋行)車だと国道2号線を広島市中心部から走ると東雲の先で本浦交番前交差点で右折する。右手に看板が見える。案内に沿って広島市工業高校周囲を回り込むようにすすむ。一方通行が多い地域なので注意。
*レストランか料亭、入浴施設などを利用されると見学できます。
ちなみにレストランきすいは半べい温泉と同じ場所にあります。リーズナブルなメニューからミニ懐石まであります。
2020.11.8武漢発コロナウイルス拡大と恐慌により温泉とレストラン部門は廃業されました。政府がきっちり保証してあげないからです・・・これからこういう事案増えるぞ!::
【長距離 車載動画】東瀬戸内大周遊_03/14
本四架橋が高くなって四国にいけなくなる前に明石海峡大橋や瀬戸大橋をわたるべく大周遊車載動画を行ってみました。
03では相生付近~姫路SAまでを走ります。日暮れにかかるため途中から見難いかもしれません。ご了承ください。
なお全編早送り再生加工済みです。
マイリスト:mylist/18883116
【長距離 車載動画】東瀬戸内大周遊_02/14
本四架橋が高くなって四国にいけなくなる前に明石海峡大橋や瀬戸大橋をわたるべく大周遊車載動画を行ってみました。
02では備前付近~相生付近までを走ります。
なお全編早送り再生加工済みです。
マイリスト:mylist/18883116
【車載動画】国道2号線バイパスから岡山国際への道(行き)
先日のマツダファンフェスタに行くときミニゴリラの指示(距離優先)に従って走ってみたけどすれ違い困難場所もあるしF1開催場所に行くとは思えん道でしたw
潮岬から適当ドライブ【山口県周南市】 #157
だいたいこのあたりを走行中 https://goo.gl/maps/oBG2Z
最初から sm22050619
その他 車載 mylist/31405708