玖波 大歳神社と神生(みあれ)石(西国街道 玖波宿の鎮守) 広島県大竹市 記録 

玖波 大歳神社と神生(みあれ)石(西国街道 玖波宿の鎮守) 広島県大竹市 記録 

広島藩(芸州藩)西端の宿場 玖波(クバ)宿のすぐ近くに、行者山麓の鎮座する。行者山は修験道の山で現在は石鎚神社系の修験道の山である。ハイカーがよく訪れる山でもある。玖波(クバ)大歳神社=恵川の傍に鎮座し、後ろは行者山がある。鎮守の森がこん森している。やや山側には山陽新幹線、神社の南には広島岩国道路(山陽自動車道へ接続)の橋脚があり現代と古いものが混在している。社殿は昭和42年コンクリート再建(拝殿は流造、向拝付瓦葺き、神殿は神明作り銅板葺)昭和20年の枕崎台風以来3度の大きな風水害で痛み再建されたものだ。社殿は白を基調にしていて造りも自然な感じなので意外に周囲の感じとあっていると思い悪くはない。また神社の社殿の横には神の降り来る磐座が今も祀られており神生石(みあれいし)として鎮座している。社殿はこの祭祀対象の石を避けて横へのちに建立されてきたものらしい。ここ玖波と周防の山里=山代地方(今の岩国市になる)の生見は昔から縁が深いようです。御幣が玖波から山代の生見まで飛んでいったというようなお話もの残る。また岩国の堅石明神(御神体の大岩がある)の縁起にもここの神社が出てくるらしい。玖波(クバ)について余談この玖波という地区は古くは古代山陽道 遠管駅家が置かれた場所といわれ古代から安芸の国西部のにおける交通の要衝の一つであった。厳島にも近く瀬戸内の海運の港として、玖波谷へ山から降る道は周防山代など山間部地域から物資の降ってくるルートとして用いられたようだ。現代では役目を終え静かな町でわずか昔の面影を残す。今は海が近く国道2号線が走りますが、昔は海側に道が無く廿日市から山越えで鳴川の石畳(遺跡がある)を抜け鉾の峠〜から唐船浜を経て馬試しの山をこえて玖波宿へ入っていようである。今はうま試しの山には隧道が通り玖波宿へ(旧道)また海側はおそらく削られ国道2号が開通している。江戸時代までは山側に旧山陽道が通っていた。*神社の歴史などは玖波大歳神社サイトと大竹歴史研究会サイトを参照させていただいた。人なかなか詳しいです。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm40102468