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大竹市大膳川河口から宮島など瀬戸の海の風景
大竹市大膳川河口から宮島など瀬戸の海の風景 小瀬川沿いの和木の瀬田八幡へ行こうとしたが雨が強くなり行けなくなったので大竹までドライブ・・ついたら雨止んだ。さらに小瀬川沿いに走り立戸から下り小方の大善川河口あたりへ来て車を止めて少し海を見た映像。
雨上がりでしたので曇り気味で太陽光がない。この辺りはかつては海。埋め立て地帯です。かつて山際には旧山陽道が通り、福島正則の大要塞の亀居城が(江戸初期わずか数年で破却)作られていた。
眺めはいいです。少し歩くと大きな公園でグラウンドや遊歩道、遊具のある晴海臨海公園までいけるようです。
西国街道 玖波宿を出て〜黒川へ向けての高台から海の景色 (広島県大竹市)
昔の西国街道は玖波宿を出ると山麓を黒川村〜小方村〜さらに苦の坂をこえ小瀬川河畔の木野へ出ていた。開発が進み山麓は道路と住宅街となり昔の街道筋はわからなくなっている。
ガイドブックなどでは大筋街道沿いの山裾をゆく道を紹介しており、高台なので景色がよく雰囲気も良い。恵川を越え坂を登った病院があるところから海を眺めた様子。
この辺りは廿日市から山陽自動車道沿いに走る、国道2号線の混雑を避ける抜け道になっており意外に車が多い。転々と景色のいい場所がある。
ここを抜けると黒川あたりに出て亀居城北側を抜け大竹駅方面や山越で立戸(途中動物の彫刻が可愛い河内神社がある)から小瀬川河畔の採石場のある場所にでれる(この間見てきたのでまた動画あげます)
信仰の山 玖波行者山 山麓からの風景 広島県大竹市
西国街道玖波宿後にある 行者山 山頂には小祠の石鎚神社がある。現在も息づく修験道の山である。ハイカーも手頃な展望の良い山として多いところ。西国街道散策ついでに玖波谷と河口から眺めてきた。
ここは10回以上登ってる。登りやすいし、岩や、展望、お堂など盛りだくさん。
本当は登りたいんでだけど・・体調崩してから無理なんだよね。
【巨樹の風景】 旧厳島神社兼帯(けんたい)社「宮内天王社」と社叢 夏の終わりに
宮内天王社(みやうちてんのうしゃ)と社叢の風景。ムクロジ(字幕は打ち間違えてます)、イヌマキ、イチョウ、モミ、ケンポナシなど・・大木が多い鎮守の森。
旧西国街道沿いである。元来は海岸近くにあったが、天正年間に津波災害で現在の宮内へ遷座した。
社叢に現在の残る何本かの巨樹大木は鎮座後に人により植えられたものらしい。
神武天皇東征時に海岸近い元宮のあたりに立ち寄ったという伝説があり天王宮と云われたという。ただ八坂神社と称したところを見ると元来は祇園社で牛頭天王を習合した神仏混交の社だったのではないかと思うんだがどうだろうか(詳細は不明)
主祭神=素戔鳴命、神武天皇のニ座 と相殿神がある。
祭祀は廿日市天満宮により兼務で行われています。
明治後は八坂神社と改称したが戦後昭和44年頃 氏子の希望で宮内天王社へ社号を再度改称した。
江戸時代〜厳島神社兼帯七社厳島神社 旧兼帯七社 〜江戸時代まで兼務の社が7箇所あったらしい、速谷神社(速田神社)、廿日市の大頭神社や大竹市大瀧神社、広島市祇園の安芸津彦神社、三翁神社、府中の惣社(今の多家神社の元になった神社の一つ)
祭祀を厳島神社の祀官が行い社殿などの修築も厳島神社が賄った。境内にあります社殿修築の寄進者を記載した石碑を見ますと、厳島神社が多くの寄進をしていました。
境内は大木も多くあり村社として守られてきたようです。旧山陽道が近くを通っていた場所でもある。御手洗川沿いあたりは大体 旧山陽道にあたるらしい。風情はありますよ。
廿日市市宮内は県道30号線が走り県道と御手洗川がぶつかる所の旧道を少し川沿いに遡ると参道入り口がある。ちょうど交番のところを入れば良い(交差点のところには島根県吉賀町の柿木村アンテナショップがあるがオススメw)駐車スペースが細長く狭い。
*同市内 県指定天然記念物津田の大カヤの木と真幡神社 sm39209336
*宮内天王社 紅葉途中の頃 sm37905347(この頃はムクロジに苔がないな)
使用音楽 のる様作(ニコニココモンズ)1雫~優しく穏やかメロディックな ピアノソロ2KANADE~ゆったりリラックス系 ピアノソロ
初夏の風と鎮守の森〜広島県の神山・三倉岳山麓【宮久保神社 社叢】
広島県大竹市栗谷 三倉岳(ミクラダケ)の麓 宮久保神社と社叢&山と里の風景動画..初夏の頃の撮影で残っていた写真から作成。
宮久保神社=元々は山口県美和町の河内神社を勧請したもので、天御中主神が主祭神(+倉山津見神 大山津見)相殿〜大歳神、伝説があるらしく神武天皇、地元の神さま三倉神などを合祀している。他境内社には稲荷社がある。
大竹市栗谷町広島県大竹市栗谷。広島の西部の山である岩峰「三倉岳(みくらだけ)」(夕陽岳、中岳、朝日岳=福・徳・寿を表す信仰の対象)山麓からの遠景。三本槍と言われる鋭鋒。
山仲間と2回、一人で1回登りましたが、急な上に二箇所かな?鎖場があり(まあ慎重に行けば危なくはないんですが)結構ハードな山。修験者が好みそう。
広島近辺のロッククライミングのメッカでクライマーの事故もあったと聞きます(で・・ビビリなもんでもう十年以上いってません^^; 登山道はそうでもないんだけどね)
三倉大明神とも言われる山岳信仰の絡んだ山のようです。室町期までは厳島神社神主家の神領であったそうですので弥山の密教、修験信仰との絡みもあるかもしれません。
旧佐伯町方面友和から山間部をぬけ大竹方面に抜けようと栗谷を通過したとき久々に見て見事な姿に撮影記録した。
神社庁HP記事、三倉岳の案内所でもある〜三倉岳休憩所サイトの解説(縁起関係にに詳しい)を参照しています。
三倉岳絡みで2本目です。
広島市佐伯区の古社 臼山八幡神社 sm39195340
周防山代の山里と古社 生見八幡 sm39152180
津田の大カヤ巨樹 sm39209336
BGM利用=鎮守の森~和風&アンビエントなピアノソロ~ ねる様 作
題材にちょうどぴったりのテーマ曲でした。また使わせていただきます^^
晴海臨海公園(宮島海峡を望む海に面した公園)と小方港 広島県大竹市
ローカルスポット。宮島の海峡の西端に面した臨海公園と小方港散策。廿日市のおおの自然観察の森へ森林浴へ行こうとしたが林道通行止めで行けず 大竹に回る。
大竹市玖波の錦龍の滝も通行止めらしいので、国道2号線近くの小方港方面へ。
宮島の隣 阿多多島(牡蠣やはまち養殖などで有名)への航路などが出ている港、漁船なども停泊している。防潮堤では釣り人などもいましたね。
傍には晴海臨海公園があり散策や球技など運動やウオーキングができる デイキャンプも可能らしい。
県がコロナ緊急事態で散策のみおkでありました。瀬戸の島や山が見えて悪くはない。晴れてれば良いでしょうな。海の傍だが木陰がないので夏は暑そうw
西側入り口〜東入り口へ一回りして景色を眺めただけの記録。ストーンアートなどもありました。弥栄ダム建設時に出た岩石を使い市内各所にあるらしい。
【拝殿の彫刻がかわいい 】三ツ石 「河内神社」(広島県大竹市三ツ石町)修正版
旧PCが起動してデータ救出ができたので保存用として。字幕の抜けを直しサウンド追加。
地方の神社巡り。広島県の西端大竹市にある 神社。大竹市の県道117号線沿いの三ツ石町にある鎮守社。江戸時代やや下の御薗〜苦の坂峠へかけて西国街道が通っていた。
大竹の御園のあたりから入り三石浄水場前から小瀬川沿の穂二原(ほにはら)あたりへ出る県道横の岡の上にある。小高いところに姿のいい赤い鳥居が目立つのでこの道を走ったことがある方は見ているはずですが。以前1回行ったことがあるんですが様子をよく覚えていないのと駐車スペースがないのが大変。
此の間、御祭り前に幟がたったり幕を張ってある時行きたかったんですが、ようやく時間を見つけて
今頃参拝してきた。前から鳥居が気になっていたので記録してきた。
ただ由緒などは不明、佐伯神社庁のHPに名前以外ない。
境内はすごく綺麗にされていていいですよね。拝殿の動物の彫刻が丁寧でいいです^^
神社あたりを少し過ぎて浄水場手前の路側に駐車できるスペースが若干あるので車ならそこがいいでしょうが厳しい。神社周辺の三石地区は駐車スペースはない。眺めは良かったですまた行きたいです。
隣がお不動様を祀るお堂(四角いコンクリート製かな?祭壇のちゃんとしているサッシもはまって立派)神仏習合の名残かもしれませんが?
宮島の島の桜スポット sm38597393
大竹市周辺
大竹市 桜の名所 福島正則の亀居城跡へ(西国街道沿い)前編 sm38506561
岩国市 令和三年 最盛期の錦帯橋の桜模様 sm38531266
【福島正則夢のあと】「 亀居城跡 」と桜(5分咲き) 後編(公園南側入り口〜亀居城城跡本丸へ)
【西国街道】江戸初期に福島正則が五年の歳月をかけて築城した要塞 亀居城である。
完成後間も無くわずか3年余りで幕府の命令により破却された城。あまりに大規模な堅城であったのが、災いしたのかもしれませんね。長く忘れさられていたが発掘され石垣など遺構が保存され城跡 亀居公園となっている。
元々は小方白と言われていたが山が亀の甲羅のような形なので亀居と呼ばれるようになった。
現代では広島県西端の桜の名所として有名。本丸跡からの眺めも良い。
行程=JR玖波駅で下車〜駅から西へまっすぐに国道2号沿いに進み(この方が早い)〜黒川地区から間の宿(あいのしゅく、休憩などに使われた宿場)小方(おがた)へ入り〜陸橋を越え線路向こうの西念寺横を抜けて城跡公園入り口(松の丸辺り)〜松の丸〜なしの丸、有の丸〜三の丸〜二の丸〜本丸展望所。
小方あたりには古代山陽道の遠管(おが)駅があったと言われているそうです。海側から道はあまり広くなく坂がキツい。山の北側に車が入る公園入り口があり駐車場もある。北側には山陽自動車道が走る。
南は海、堀を巡らし、北側は急峻な山があり、西は山陽道苦の坂の難所があり要害の地であった。
4月初め再訪したので別に桜満開の補遺編をあげます。
お城歴史的な事項に関しての情報〜 公園掲示板、大竹歴史研究会記事より参照。
福島正則の亀居城跡へ(西国街道沿い)前編 sm38506561
補遺編 亀居城 満開の花模様 sm38557402
旧山陽道(西国街道)【 旧跡 】小瀬の渡し場跡の桜 R3年
大竹市木野と岩国市小瀬を結ぶ両国橋。西国街道(旧山陽道)の国境線である渡し場があった場所。
令和三年3月下旬2019年以来久しぶりに川辺に桜が咲いていたので眺めてきた。
岩国領と芸州藩の境に位置しており江戸時代までは防衛上の問題から橋はかけられず船で渡っていた。安芸国側=木野(この)渡し場、周防側=小瀬の渡し場と言われた。
この先に錦帯橋の川上、関戸の国道2号線へ出る関々バイパスがあるため車が次々の通過して離合したりする。渡し場跡あたり〜バイパスまでの道が狭い。
安政の大獄のおり吉田松陰が最後にこの川を渡った時 惜別の歌を読んだので歌碑が建てられている。
歌碑の近くあたりには昔は一里塚があったらしい。その奥は旧道の小瀬峠越えの道がある。狭いが今も車で通過できる。急なのと狭いので一部離合がキツイ部分がある。
この後松陰東遊記念碑を見に旧道を辿り関戸へ向かった。
小瀬峠越えで関戸へ(サブ垢)sm34599992
【福島正則夢のあと】「 亀居城跡 」と桜 前編(JR玖波駅〜亀居城公園へ入るまで)
【西国街道】江戸初期に福島正則が五年の歳月をかけて築城した要塞 亀居城。
完成後間も無くわずか3年余りで幕命ににより破却された城。長く忘れさられていたが発掘され石垣など遺構が保存され城跡 亀居公園となっている。現在公園から離れた海側の「妙見丸」には厳神社がある。
現代では広島県西端の桜の名所として有名。本丸跡からの眺めも良い。
行程前半部分=JR玖波駅で下車〜駅から西へまっすぐに国道2号沿いに進み(この方が早い)〜黒川地区から間の宿(あいのしゅく、休憩などに使われた宿場)小方(おがた)へ入り〜陸橋を越え線路向こうの西念寺横を抜けて城跡公園入り口(松の丸辺り)まで。小方あたりには旧山陽道の遠管(おが)駅があったと言われているそうです。
道はあまり広くなく坂がキツい。ちょいと長いので分けた。ようつべにあげたものを増補改訂した。
山の北側に車が入る公園入り口があり駐車場もある。
後編は城跡や桜を散策します。sm38555020
補遺編(満開の時期の様子) sm38557402
浄土宗 知海山 西念寺 追記=調べ直してみた。厳島光明院の運誉上人が破却された亀居城址のあたりに隠棲念仏修行されていたところ。民衆は大変上人を慕い、領民からの嘆願があり上人を尊崇していた領主の福島正則が元和元年(1615年)旧城内にあった圓通寺の建物を寄進して移築し西念寺としたようです。大楠は樹齢は四百年だそうです。
幕末長州征伐のおりは長州軍が占拠し幕府軍により砲撃がありその跡もああるそうです。
大竹歴史研究会記事、西念寺HPより参照。
【 西国 街道 】木野「大元神社」と旧跡「太閤さんの振舞い井戸」 〜広島県大竹市木野(この)〜
江戸時代の官道〜旧山陽道(西国街道)沿い木野(Kono)集落。街道沿いの二ヶ所の小さな旧跡を訪ねた。大元神社と太閤の振舞い井戸。
小瀬川沿いに面した川にせまる急な山に囲まれた場所。大竹の御薗〜苦の坂を越えた街道は、やや川下の「木野の渡し場」へと続く。今は両国橋がかかりかつての国境線を繋いでいる。
*ちなみに小瀬川は江戸期までは木野川(芸州藩)、小瀬川(長州藩)で名前が違っていた。
この辺りはよく通るので、久々に登ってみた。神社も井戸も交通量も多く車だとそばには止められないのでやや不便。 高速道路、山、川に田園、風景にそこはかとない風情を感じます。
この後は、県境を越え錦帯橋へ臥竜梅など梅の花を拝見に行きました。バテた^^;
臥竜の梅〜観梅と吉川公菩提寺 洞泉寺 sm38335880
大元神社=上木野の鎮守。天正年間以前の勧請だそうですので眼下に西国街道を長く見守っていたと思われる御社。急な山の山腹にあり長いスロープと石段がある。明治期に二度河川氾濫のおり土石流が社殿の両脇を流れ落ちた。祭神=国常立尊を祀る。厳島神社の摂社「大元神社」を勧請したと思われる。木野神楽団の根拠地。訂正〜参道修復碑をよくみますと狛犬→唐獅子のようです。
太閤振る舞い井戸=地元で云う「つぼかわの井戸」の別名。九州征伐の折(または文禄の役の折にもか)と思われるが、山陽道を進む軍勢がこの地で休息、太閤秀吉に里人は井戸の水で湯を沸かし茶を点て振る舞ったと云い、太閤はことのほか上機嫌に喜んだという故事に因んで呼ばれる。飲料水、田畑への灌水と長く里を潤してきた井戸は今も守られている。大竹歴史研究会記事参照。
やや川下の同県道沿いに駐車スペースがありました。
またやや川上の県道沿いに「苦の坂」入り口(古戦場跡入り口)「ちきり神社」(油見トンネル木野側出口)がある。川下〜木野渡し場跡の広場。両国橋の向こう側岩国市に吉田松陰歌碑。
三倉大明神伝説「三倉岳」(夕陽岳、中岳、朝日岳)遠景 大竹市栗谷町
広島の山である岩峰「三倉岳(みくらだけ)」(夕陽岳、中岳、朝日岳=福・徳・寿を表す信仰の対象)山麓からの遠景。大竹市栗谷町広島県大竹市栗谷の三倉岳。三本槍と言われる鋭鋒。
山仲間と2回、一人で1回登りましたが、急な上鎖場があり(まあ慎重に行けば危なくはないんですが)結構ハードな山。修験者が好みそう。
広島近辺のロッククライミングのメッカでクライマーの事故もあったと聞きます(で・・ビビリなもんでもう十年以上いってません^^; 登山道はそうでもないんだけどね)
三倉大明神とも言われる山岳信仰の絡んだ山のようです。室町期までは厳島神社神主家の神領であったそうですので弥山の密教、修験信仰との絡みもあるかもしれません。
旧佐伯町方面友和から山間部をぬけ大竹方面に抜けようと栗谷を通過したとき久々に見て見事な姿に撮影記録した。
神社庁HP記事、三倉岳の案内所でもある〜三倉岳休憩所サイトの解説(縁起関係にに詳しい)を参照しています。
お近くの山岳信仰の山(周防岩国ですが・・)
弥山本社日宛山神社(日宛地区の氏神)と展望台(西側の山並み)sm38193721
【GUMI-Native】はるかなる帰郷【オリジナル実写PV】
故郷に帰ることは「不要不急」ではありません。
だけど、あなたと私を守るために、今年は我慢しました。
作詞、作曲、動画制作 メグカップP mylist/19701796
ロケ地 山口県玖珂郡和木町(遠景に岩国市、広島県大竹市)
撮影年 1973年〜2016年
・VOCALOID生放送新着枠(lv330007009)でご紹介頂きました。
【広告御礼】ましろ様、P-Gengen様、RIKO様 ありがとうございます!
西国街道を行く 芸州藩 西端の宿場 <玖波宿〜小方間宿跡鍵型の辻を散策する>(2)
大体(ほぼ、大まかに)西国街道散策。西国街道(旧山陽道)は京都から下関までを芸州藩では西国街道とよんだ江戸時代の五街道に次ぐ主要街道の一つ街道。広島城下をでて廿日市宿についで芸州藩の玖波宿は正式な最後の宿場であった。
隣の小方は間ノ宿で(基本休息用に利用され、補完的に収容しきれない場合宿泊なども受け持った)と言われる。
江戸末期、廿日市宿もそうだが玖波宿や小方宿も長州征伐の時、長州毛利藩により攻撃され本陣以下街並みが 灰燼に帰したと言います。再建の古い町並みは建て代わりあまり残っていないですが、小方あたりもいくらか残っている。昭和的な古い町並みがある。
旧黒川村〜小方・間宿入り口には大きく折れ曲がった鍵型の道がある。このあたりから白壁の古い町屋などいくつか見られる。終点は 芭蕉のけごろもの句碑(俳諧愛好家が元禄時代建立)まで。その先は高速インターを作る道路工事が行われつつあった。
ガイドブックを片手に西国街道の道筋(開発等で道筋が消えている部分もあるので景色の良さそうなところを)だいたいその辺という程度で散策ウオーキングして行きました。
大竹方面へ行った折に11月12月に二回くらいに分けて散策しています。
訂正=芭蕉の裘の句碑150回忌記念ですから元禄時代ではなく天保年間建立です。
次は、草津間宿あたりを再訪してみたいですね。
西国街道を行く 芸州藩 西端の宿場 <玖波宿〜小方 付近を散策する>(1)
大体(ほぼ、大まかに)西国街道散策。西国街道(旧山陽道)は江戸時代の街道。広島城下をでて廿日市宿についで玖波宿は芸州藩の正式な最後の宿場であった。
隣の小方は間ノ宿で(基本休息用に利用され、補完的に収容しきれない場合宿泊なども受け持った)と言われる。
江戸末期、廿日市宿もそうだが玖波宿も長州征伐の時、長州毛利藩により攻撃され本陣以下街並みが 灰燼に帰したと言います。町は幕末以後再建された。
玖波の街道筋はすぐ南側は海であった。本陣も大変美しい建物だったようで文人墨客が宿泊したり文化の華が咲いたと言われたが幕末失われた。町家的な古い町並みも今は建て代わりあまり残っていない。
白壁の建物や蔵、高札場跡や共同井戸(行者山の行者が水垢離などもした)などがわずかに風情を残す。
海岸沿いには今は国道2号線がありますが、昔は山側に街道がつけられていた。
今回は映してないが「馬試し」の山が東の宿場入り口にあり(今はトンネルがある)、街並みの中ほどの旧本陣あたりからから山側へ街道は通り(JR線路下を抜け)浄土宗 称名寺前から山裾を西へ抜けていたらしい。
今回歩いたルート=行者山の風景を見ながら駅前〜恵川に出て〜線路を超え、新広島八十八箇所二番霊場前〜川を渡り〜病院のある岡へ上がり(上がり切った所を直進し高速高架の向こう山へ入ると行者山の 西山社がある)〜岡を左折し景色を眺めながら進む。昔の街道筋の道は開発で消えている。
ガイドブックを片手に西国街道の道筋(開発等で道筋が消えている部分もあるので景色の良さそうなところを)だいたいその辺という程度で散策ウオーキングして行きました。
大竹方面へ行った折に11月12月に二回くらいに分けて散策しています。
その二 小方宿へ sm38009566
【 拝殿の彫刻がかわいい 】三ツ石 「河内神社」(広島県大竹市三ツ石町)
広島県の神社巡り〜ローカルネタすぎますがまたもやです。広島県の西端大竹市にある 神社。大竹市の県道117号線沿いの三ツ石町にある鎮守社。江戸時代やや下の御薗〜苦の坂峠へかけて西国街道が通っていた。
字幕抜け=4分23秒〜テキスト入れ忘れてました=「河内神社 御本殿です」^^;
大竹の御園のあたりから入り三石浄水場前から小瀬川沿の穂二原(ほにはら)あたりへ出る県道横の岡の上にある。小高いところに姿のいい赤い鳥居が目立つのでこの道を走ったことがある方は見ているはずですが。以前1回行ったことがあるんですが様子をよく覚えていないのと駐車スペースがないのが大変。
此の間、御祭り前に幟がたったり幕を張ってある時行きたかったんですが、ようやく時間を見つけて
今頃参拝してきた。前から鳥居が気になっていたので記録してきた。
ただ由緒などは不明、佐伯神社庁のHPに名前以外ない。
境内はすごく綺麗にされていていいですよね。拝殿の動物の彫刻が丁寧でいいです^^
神社あたりを少し過ぎて浄水場手前の路側に駐車できるスペースが若干あるので車ならそこがいいでしょうが厳しい。神社周辺の三石地区は駐車スペースはない。眺めは良かったですまた行きたいです。
隣がお不動様を祀るお堂(四角いコンクリート製かな?祭壇のちゃんとしているサッシもはまって立派)神仏習合の名残かもしれませんが?
大竹市周辺
大竹市 桜の名所 福島正則の亀居城跡へ(西国街道沿い)前編 sm38506561
岩国市 令和三年 最盛期の錦帯橋の桜模様 sm38531266
大竹市木野(西国街道)大元神社と太閤振舞い井戸 sm38361367
大竹市木野 西国街道=渡し場跡と古い町並み sm35994416
<車載>大竹市 弥栄ダムにかかる弥栄大橋〜県境を越える〜(広島県大竹市〜山口県岩国市美和町)
岩国の阿品弥山へ行く途中。弥栄ダムにかかる弥栄大橋を走行した。一度車載してみたかったので。対向車やすれ違い部分ははカットとエフェクトかけてます。なかなか美しい橋です。
弥栄ダムは小瀬川に作られたダムである。もう少し上流にも一つ小瀬川ダムもある。
ちなみに橋を渡った岩国側栗の産地で岸根(がんね)クリとして有名です実が大きい。臨時の直売所でで売られていました。
車載シリーズ https://www.nicovideo.jp/series/27367?ref=user_series
山陽自動車道の傍の側道から 晩秋の厳島の海峡の眺め 広島県廿日市市
旧山陽道付近〜宮島の眺め。錦帯橋へ行くので、国道2号線から阿品台を抜け旧道に入り〜廿日市市の西にある宮浜温泉を過ぎ、大竹市玖波へ抜ける 迂回路からの眺め。抜け道は狭いのだが車の交通は結構多いです。真後ろの少し上には山陽自動車道が走ります。
この辺は大雑把に言いますと旧山陽道(西国街道)が走っていた場所の近くです。
「大野浦を これかととえばやまなしの かたえの紅葉色に出つつ」 今川了俊
<室町時代初期九州探題の今川了俊がこの辺りを九州へ向かう途中詠んだという歌らしいです
南朝方を殲滅し九州を鎮圧する室町幕府の最高司令官でした>
大野浦駅近くを通過した時よく見えそうな場所から大内氏の門山城跡の山をしたから眺めて写真を撮ったのでまたあげます。昔何回か登山で行きました。
令和2年 緊急事態宣言・自粛で静かな【 新緑が映える錦川 錦帯橋と吉香公園風景】 記録 山口県岩国市
新緑の色映る錦川を散策した記録。錦帯橋を渡り吉香公園へ。
緑が濃い清流と五連の名橋。
私の定番コースで大竹市の186号線でゆうみトンネルを抜けたところ木野集落から入り
旧山陽道の小瀬渡し場跡の新緑、小瀬川の流れと吉田松陰の歌碑〜錦帯橋と錦川の清流、古社の白山神社、吉香公園の風景など
この時期は城山が若葉で埋まり錦川に映えますな。
2020 .5
田舎でもあり十分な空間があり固まらず、人と密接な接触をしない、マスクなしで喋らない。人がいればマスクをする。食事にしゃべらない。洗わない手で目鼻などを触らない。自他の安全を配慮すれば場所にもよるが、散策など体で動かせます。
京大藤井教授らの提言されるレジリエンス実践ユニットの半自粛方針を支持します^^
*R2年 錦帯橋周辺 岩国城下 吉香公園の秋を探して sm37700712
岩国市美川町根笠(Mikawachou Ngasa) 国天然記念物指定 岩屋観音窟 sm37522898
小さな鍾乳洞にあり木造でありながら石仏になった古い観音様です。
寂地峡(Jakuchi kyou)滝と自然観察路B(合成音声ガイド入り)sm37527628
岩国市錦町宇佐(旧玖珂郡錦町)県名勝 西中国山地国定公園内。
西国街道を行く 安芸と周防国境「木野(この)」里の風景(広島県大竹市)画質改良
西国街道を行く
広島市周辺の旧山陽道(西国街道)の一部を何回かに分けて歩いてみます。面影はわずかだと思いますが 歴史のある道ですから。
前より高画質化して若干増補改訂しました。
玖波宿、小方宿を過ぎ、(山越えで)苦の坂峠を越えますと 広島県と山口県の境を流れる小瀬川沿いにある山間の集落である大竹市木野(この)に出る。江戸時代西国街道が通り安芸と周防の国境線として渡し場があった。
小瀬川(江戸時代までは安芸国側は木野川、周防側は小瀬川と呼んだ)には今は新しく両国橋がかかり車でも渡れる。
車載でまず走り。次いで小瀬川沿いに山が迫る木野の里の景観や旧跡を見て歩いた。
木野の渡し場と古い町並み編 sm35994416
2019 早春
西国街道を行く 安芸と周防国境「木野(この)の渡し場跡」と古い街並み情緒 (広島県大竹市)画質改良
西国街道を行く
広島市周辺の旧山陽道(西国街道)の一部を何回かに分けて歩いてみます。面影はわずかだと思いますが 歴史のある道ですから。
前より高画質化して若干増補改訂しました。
玖波宿、小方宿を過ぎ、苦の坂峠を越えますと広島県と山口県の境を流れる小瀬川沿いの山間の集落である大竹市木野(この)に出る。江戸時代西国街道が通り安芸と周防の国境線として渡し場があった。
小瀬川(江戸時代までは安芸国側は木野川、周防側は小瀬川と呼んだ)には今は新しく両国橋がかかり車でも渡れる。
昔の街並みが少し残る通りや厳島神社、史跡の渡し場など川沿いの山が迫る独特の景観などを見て歩いた。
対岸の小瀬(岩国市)集落にはかつて一里塚などあったらしい。
今は吉田松陰「夢路にも帰らぬ関をうち越えて今をかぎりと渡る小瀬川」の歌碑が静かに流れる川を見つめている(揮毫は元宰相 岸信介)
この和歌いいですよね。 2019 早春
小瀬からは山道が小瀬峠を越えて岩国の関戸宿へと続いていた。今は新しく車道に変わり狭隘ながら車で越えることもできる 近くに関々バイパスのトンネルもできている。岩国錦帯橋、新岩国駅方面へ行くには近道になっている。
大竹の(JR玖波駅辺り)玖波宿あたりも古い家並みが少し残っているけどここの木野の方が街並みがいいですね。小瀬峠の向こう岩国の関戸へも行きましたがほとんど残っていません。 客神社や吉田松蔭東遊記念石碑、本陣の崩れかけた土塀が往時を偲ばせるだけです。
西国街道行く 鳴川石畳遺構〜鉾ノ峠〜玖波宿,〜小方宿(間の宿)へ 総集編
西国街道行く
広島市周辺の旧山陽道(西国街道)の一部を何回かに分けて歩いてみます。面影はわずかだと思いますが 歴史のある道ですから。
ルート=廿日市市の西端 大野鳴川〜石畳道〜鉾ノ峠〜唐船浜〜玖波(くば)宿跡〜黒川を経て
小方(間の宿跡)までのロングバージョン
石畳道は昔の街道のもので西国街道の遺構です。峠越えはJRのトンネル上を通過しますので少しスリルがある。馬試しと言われる峠は旧道にトンネルができ、国道二号線が海側にできているので使われなくなっており通れない。
玖波宿=安芸国最後の宿場(隣の小方の休息などに使われた予備的な間の宿と補完しあっていた)
洪量館が本陣で文化人なども集い文化の華が咲いたと言い伝えられている。四境の役(長州征伐)で長州軍に焼かれ灰燼に帰す。その後再建された古民家や蔵などが残り風情ある町並みをまだ残している。
間の宿(あいのしゅく)=正規の宿場本陣などがいっぱいの場合、脇本陣などへ宿泊をさせたそうです。
厳(いつき)神社=厳宮(ごんのみや)大明神と呼ばれた古社。かては福島正則の亀居城本丸あたりにありましたが廃城となり妙見丸跡に遷座された。城が忘れさられても社は今に残りました。
その昔、厳島のお島周り式(島を回り七つの浦の神社で神事をする)御烏喰式(おとぐい)式というのがあり養父崎で団子を筏で流し神烏(おがらす)が取りに来るんだそうですが現れない場合は、厳宮(ごんのみや)出しといいこの宮の前まで船で漕ぎ出して拝したと言います
前の動画と玖波宿のところが被りますが、宿場と間の宿の相補的関係があり振り返りながら1本にまとめました。
西国街道行く 四郎峠〜鳴川石畳遺構〜鉾ノ峠〜玖波宿
西国街道行く
広島市周辺の旧山陽道(西国街道)の一部を何回かに分けて歩いてみます。面影はわずかだと思いますが 歴史のある道ですから。
ルート=宮内から四郎峠〜中山の疣観音(今川了俊歌碑)〜JR大野浦(今川了俊歌碑)をいくつか紹介して鳴川手前まで車載。
廿日市市の西端 大野鳴川(なるかわ)〜石畳道〜鉾ノ峠〜唐船浜(からふねはま)〜玖波(くば)宿跡へ
大野向原あたりからさらに山へいくあたりから残念社(長州征伐の時、幕軍伝令で長州軍に撃たれた依田半蔵を祀る)経由の古道(四境の役の古戦場)ですがで山道でもありパスしてます。寂しい古戦場を一人では歩きたくないもんな。
山を超えた場合、鳴川手前の団地のあたりに出てきます
石畳道は昔の街道のもので西国街道の遺構です。峠越えはJRのトンネル上を通過しますので少しスリルがある。馬試しと言われる峠は旧道にトンネルができ、国道二号線が海側にできているので使われなくなっており通れない。
唐船浜(とうせん浜)=太閤秀吉がこの浜で外航船を作らせたとか言われます。
玖波(kuba)宿
安芸国最後の宿場(隣の小方(ogata)=休息などに使われた予備的な間の宿と補完しあっていた)
洪量館が本陣で文化人なども集い文化の華が咲いたと言い伝えられている。四境の役(長州征伐)で長州軍に焼かれ灰燼に帰す。その後再建された古民家や蔵などが残り風情ある町並みを一部まだ残している。
<車載> 旧西国街道(旧山陽道)木野集落から関戸越えルート
大竹市国道186号線を行き、油見トンネルを抜けた辺り〜すぐ左折し
木野(この)集落へ〜両国橋〜小瀬〜小瀬峠〜関戸まで。
歴史のある旧街道筋を走ります。
現在の道は近代になり作られたモノで旧街道そのものではない。徒歩で一部歩ける山道があるようです。かなり昔は難所だったようです。
峠は数メートル掘り下げられ現在の道が作られたようです。
関々バイパスができるまでは抜け道として(岩国〜大竹間)狭いんだが結構交通量があり、すれ違いも多く結構冷や冷やしたものです。
音量訂正しました。
御庄〜柱野〜欽明舘 sm34616606
*欽明路を越えて その2sm34670099
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【けんけん動画】広島県道202号線《大竹停車場・2015年》
山陽本線で広島県最南西端にある大竹駅と国道186号とをつなぐ大竹停車場線を走ります。
かつては50mの短さでしたが2014年に延伸され、現在は みどり橋西詰交叉点までの500m以上の長さになっています。
●撮影日:2015/11/29
●BGM:多夢さん(TAM Music Factory:http://www.tam-music.com/)
◆うpリスト その16:mylist/49163046/車載動画以外:mylist/33852123(Dance×Mixerなど)/mylist/42492795(ゲーム系)
国道2号線を走破してみた Part4
大阪から北九州を結ぶ大動脈、国道2号線を走破します。Part4は岩国市の野口交差点から広島県廿日市市の佐方SAまで走ります。
前→sm25169083
次→sm25460709
まとめ→mylist/47260277
ゲーム実況!【パワプロ】キラキラネームで栄冠ナイン #14
栄冠ナインを優勝目指してプレイします( ー`дー´)
実況パワフルプロ野球15の栄冠ナインです。
今回は大竹東高校との対戦!!
wikiPediaより元となった思われる大竹高校について
※広島県立大竹高等学校は大竹市白石にある県立高校である。
最寄り駅はJR西日本山陽本線大竹駅である。なおこの高校は広島県では最も西にある高校である。
part1 sm24832261
sm24915571 ←前 次→ sm24934103
まとめ mylist/46413280
潮岬から適当ドライブ【広島県大竹市】 #146
だいたいこのあたりを走行中 https://goo.gl/maps/pxZfi
最初から sm22050619
その他 車載 mylist/31405708
海自艦「おおすみ」衝突事故 竹田恒泰が解説してみた。|竹田恒泰チャンネル
広島県大竹市の阿多田島沖の瀬戸内海で15日朝、海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」が釣り船と衝突した事故について、竹田恒泰が解説致します。
※この動画は、2014年1月16日に生放送した番組です。
内容は、生放送時の情報に基づいたものになります。
中国地方の海に架かる橋を端から端まで走りたい。 ~広島色々~
その名の通り
中国地方の海に架かる橋を走る動画です。
第11回目は、広島県の海に架かる橋色々です。
広島市、宇品にある「暁橋」。
大竹市、阿多田島の「阿多々大橋」
大崎上島町の「長島大橋」
おまけに竹原の「町並み竹灯り」祭り。
竹原は、アニメ「たまゆら」のロケ地
・・・見た事無いからよう判らん。
前作 ⇒ 第10回 山口県下関編 sm21896054
次作 ⇒ 第12回 第二音戸大橋 sm22516514
今まで走った橋 ⇒ mylist/37130332