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〜桜と神社〜【山御所 阿刀明神社の桜】 R4・4
阿刀明神社 天保八年に古い阿刀神社と近くにあった宇豆八幡とが合祀された神社である。合祀後は社号を八幡宮と称したが、明治維新以後、旧名に復した。
春桜頃の映像。桜はそう多くはないが神社や社叢が良いもんで最近よく行きますね。
天保年間氏子により杉、ヒノキなど植樹された鎮守の森は広島市の天然記念物指定。
広島市安佐南区沼田町阿戸地区 旧戸山村と呼ばれた所(沼田郡阿戸村と吉山が合併していた)その後伴村などと合わさり沼田町〜広島市と合併し安佐南区沼田町に。
御祭神 主神=可美眞手命(ウマシマデノミコト) 天照大神 宗像三神 相殿=八幡神
古代には阿刀(あとう)氏の居住した土地でその祖神を祀る阿刀神社がもともとあった。その後天承年間(崇徳天皇の御代)大中臣権介正房により開拓された土地ということです(八幡神を祀ったのはこの一族らしいです)
境内社=大中神社と大年社、荒木社(社の右側の二小社)
阿刀氏は物部と同じ饒速日命を祖神とする氏族集団であるそうです。可美眞手命は饒速日の子神。
晩春の 大竹 疫神社・大治社大竹市元町
広島県西端の街大竹市 鎮守大瀧神社の元の鎮座地(弥ヶ迫)にある「疫神社」(疫病を鎮めるため祭られた)と大治(おおし)社(宗像三神中でも田心姫命を祀る)大瀧神社〜御神幸の終点でもある。
桜のころも撮影したので桜模様はまたうpします。
大竹地域の言い伝えでは=ここの場所あたりに厳島神社創建社として知られる流刑中の佐伯鞍職(くらもと)が居住していた場所と言われる。厳島明神鎮座伝説中では所の翁とも呼ばれる。疫神社境内の 山の方に所塚(佐伯鞍職の形代をおさめているという)
注)この時は上までは行かなかったのですが、推古桜(途中で折れてる)が見えるところまで上がりました。そこから見た感じでは楕円形の石がいくつか据えてありちょうど墓所に花筒にシキミが供えてあるように見えたもんで。写真は失敗してた。
もしかしたら所塚自体はさらに奥かもしれません。墓の可能性も機会があればまた見てみようかな。
大瀧神社 宮司家=所 氏ですからね 佐伯氏の系譜か?
大治(し)社=田心姫を祭るお社。恵比寿様も合祀されているようです。
疫神社(やくじんじゃ)
大国主命、少名彦命(字幕=打ち間違えてます訂正します^^; 動画はこのままにします)、素盞嗚命〜祭神は元は牛頭天王なんでしょうね。
所の翁=伝説ですが、厳島明神が厳島へ来た時、海上で出会った釣りをする翁。どこのものかと問えば
所のものですと答えたという伝説で(この土地のものです意味)厳島神社創建の佐伯鞍職である。
佐伯鞍職(大竹の説話では)、または別の人物とも・・。
歴史的なものは大竹歴史研究会のHP記事を参照しています。
山御所「阿刀明神社」安芸国 楽音寺神明帳記載の古社 〜 令和三年初秋 〜 広島市安佐南区沼田町阿戸
阿刀明神社 天保八年に古い阿刀神社と近くにあった宇豆八幡とが合祀された神社である。合祀後は社号を八幡宮と称したが、明治維新以後、旧名に復した。
春は桜もあり村の鎮守として昔ながら残された御社。
天保年間氏子により杉、ヒノキなど植樹された鎮守の森は広島市の天然記念物指定。
広島市安佐南区沼田町阿戸地区 旧戸山村と呼ばれた所(沼田郡阿戸村と吉山が合併していた)その後伴村などと合わさり沼田町〜広島市と合併し安佐南区沼田町に。
御祭神 主神=可美眞手命(ウマシマデノミコト) 天照大神 宗像三神 相殿=八幡神
古代には阿刀(あとう)氏の居住した土地でその祖神を祀る阿刀神社がもともとあった。その後天承年間(崇徳天皇の御代)大中臣権介正房により開拓された土地ということです(八幡神を祀ったのはこの一族らしいです)
境内社=大中神社と大年社、荒木社(社の右側の二小社)
阿刀氏は物部と同じ饒速日命を祖神とする氏族集団であるそうです。可美眞手命は饒速日の子神。
2020年以来 時々参拝に行きますが参道の石畳と社叢を背景にした社殿の見事さに惚れ惚れします。
戸山公民館で散策用のMap資料がおいてありいただけます。資料も少し置いてあった。
広島市 文化財HP,戸山散策マップ、wiki参照。
大竹市元町 疫神社・大治社と神楽山 薬師寺【芭蕉の弟子 志太野坡 記念の浅生塚】
広島県西端の街大竹市 鎮守大瀧神社の元の鎮座地(弥ヶ迫)にある「疫神社」(疫病を鎮めるため祭られた)と大治(おおち)社(宗像三神中でも田心姫命を祀る)大瀧神社〜御神幸の終点でもある。
言い伝えではここの場所あたりに厳島神社創建社として知られる佐伯鞍職(くらもと)が居住していた場所と言われる。伝説では所の翁とも呼ばれる。山の方に所塚(佐伯鞍職の形代をおさめているという)
真言宗 神楽山「薬師寺」
小さなお寺ですが、広島新四国88ヶ所霊場四番札所となっている。後ろの山上にかつて存在したという西福寺の後継の寺院で護摩堂を麓に移し創建したと言われている。
市内でも古い宝篋印塔(なかなか大きなもの)や古い仏像も多いようです。これらは江戸時代の災害など多い頃建立されたらしい火伏せ地蔵、法華塔の地蔵尊(宝篋印塔の守護)などもある
本堂の写真は没でした(失敗)本尊は薬師瑠璃光如来(六十年ごとにしか拝めませんです)
本堂上に浅生塚があり、芭蕉の弟子で軽みを継いだという芭蕉の弟子 志太(浅生庵)野坡(やば)の門人で、ここ大竹の芦蕗たち竹里連(俳諧を行う集まり)が野坡三十三回忌に建立した石碑。
野坡は西国方面で活動し、ここ広島藩最西端の地へも何度も訪れ連句を巻き、指導をおこなった。
【広島県の神社巡り】旧厳島神社兼帯社 大瀧(おおたき)神社 広島県大竹市
広島県西端の街〜大竹市の古社 大瀧神社(旧村社) 厳島神社の旧兼帯(社)七社の一つ。江戸期までは厳島神社から祀官が来て祭祀を行っていた謂れがある。
社伝では推古天皇5年創建らしい。村の拡大に伴い元亀年間(戦国期)、元文年間(江戸期)2度の遷座があり現在地 歯朶山の上に鎮座する。
祭神=宗像三神の一柱〜多岐都比賣命を主祭神として他七柱、
小高い山上にあり鎮守の森が覆う野鳥が多く自然が守られている。東麓には招魂社が鎮座しており境内は神社の駐車場も兼ねている。
狛犬、社殿も見応えがなかなかあります。4〜5回目なんだが環境も良いので運動がてら参拝もよかった(何度か通ってみないとわからないもんですな)
宮司さんは所さんといわれるそうで 厳島神社の鎮座伝説にもいう所の翁の後裔といわれるそうです。
拝殿の彫刻がなかなかよかった。
境内社=市内の祇園、淡島社、七福神社が合祀して祀られる社がある。
境内入り口の神明型鳥居は市内一大きな石造物だそうです。一ノ鳥居は本町筋側にあり離れているかつてはこの辺りまでが境内地だったらしい。
また街が拡大して埋め立てられる前は本町筋の先に船をつけて参拝したといわれているそうです。
今は埋め立てなど進み内陸側にあるが海の神として漁業者などの信仰も厚かったといわれる。
細かい歴史は大竹市歴史研究会のサイト参照(なかなか詳しいです)
音楽 のる様作 ニコニ・コモンズより
やさしいひととき。.*:+☆ジャズ風・優しいピアノソロ
鎮守の森~和風&アンビエントなピアノソロ~
旧山陽道富海宿3 楼拝殿が素晴らしい 旧郷社 国津姫神社 (山口県防府市富海)
旧山陽道(西国街道)に沿った宿場後に鎮座する古い神社。修正版
伝説では、天武天皇の御世 里人が海岸守護のため祖神として、宗像三神(田心姫命、多岐都比賣命、世市杵島姫命)を奉斎したのに始まる。
他に景行天皇の御世 熊蘇征伐に向かう朝廷軍が周防娑婆(さば)に寄港した時にいち早く帰順し周防娑婆一体を領した女首長=神夏磯姫を合わせて祀る。
国津姫とはこの地域の支配者の祖神である神夏磯姫を指すのではないかと思う。
永禄年間、毛利軍の防長侵攻に伴い焼失した為〜毛利元就により再建された記録もあるようです。祭神が毛利が尊崇した厳島神社と同じでもある。
江戸時代 幾度か造営がなされた 鎮座地の浮洲が開墾可能な土地なため藩命で遷座されたものの不作などが続き神威を恐れて十年で旧地の浮洲へ再度遷座されたと言われる。
明治二年 宮坊 神祥院寺が廃寺とされた。神宝などが多く失われたという。旧社格郷社となる
神社庁記事より。
音楽
のる様作ニコニ・コモンズ
KANADE ~ゆったりリラックス系 ピアノソロ~KANADE ~ゆったりリラックス系 ピアノソロ~
忘却の都~ノスタルジックなBGM~
<広島市の神社巡り > 桜満開〜春闌の頃「山御所 阿刀明神社」再訪
桜の満開の山御所 阿刀明神社。
1300年頃の楽音寺神明帳 四位十一前に記載される古社。
天保八年に古い阿刀神社と宇豆八幡とが合祀された神社である。元は八幡宮と称したが明治以後旧名に復した。春は桜もあり村の鎮守として昔ながら残された御社。
天保年間氏子により植樹された鎮守の森は広島市の天然記念物指定。
広島市安佐南区沼田町阿戸地区 旧戸山村と呼ばれた所(沼田郡阿戸村と吉山が合併していた)その後伴村などと合わさり沼田町〜広島市と合併し安佐南区沼田町に。山の中にある集落であるが団地などもでき結構家が多いし古い赤瓦のすごく大きな家がある)
御祭神 主神=可美眞手命(ウマシマデノミコト) 天照大神 宗像三神 相殿=八幡神
古代には阿刀(あと)氏の居住した土地でその祖神を祀る阿刀神社がもともとあった。その後天承年間(崇徳天皇の御代)大中臣権介正房により開拓された土地ということです(八幡神を祀ったのはこの一族らしいです)
境内社=大中神社と大年社、荒木社(社伝右側の二社)
阿刀氏は物部と同じ饒速日命を祖神とする氏族集団であるそうです。可美眞手命は饒速日の子神。
再訪して戸山公民館で資料をもらい車を止め、山仲間と(マスクして(^^; )神社まで散策してきた 境内も綺麗で、多くはないが境内社叢風景と相まって桜の頃も静かに花を見るにもよいもんです。 のあとしばらくして広島県も緊急事態宣言に。
<広島市の神社巡り >1300年楽音寺神名帳記載の「山の御所 阿刀明神社」 広島市安佐南区沼田町(旧戸山)
山御所 阿刀明神社 1300年頃の楽音寺神明帳 四位十一前に記載される古社。
天保八年に古い阿刀神社と宇豆八幡とが合祀された神社である。
元は八幡宮と称したが明治以後旧名に復した。春は桜もあり村の鎮守として昔ながらの姿が残された古い古い神社。最近まで知らなかった掘り出し物の神社でした
天保年間氏子により植樹された鎮守の森は広島市の天然記念物指定。
広島市安佐南区沼田町阿戸地区 旧戸山村と呼ばれた所(沼田郡阿戸村と吉山が合併していた)その後伴村などと合わさり沼田町〜広島市と合併し安佐南区沼田町に。山の中にある集落であるが団地などもでき結構家が多いし古い赤瓦のすごく大きな農家があったりします)
県道から眺めたら阿戸辺りは谷のようになっていて低いところが田畑になっているみたいでした。
県道71号線で大原、伴あたりから来るルートや湯来町からも433号線〜県道77号線が通る(そのまま行くと安佐北区久地方面へ抜ける)
御祭神 主神=可美眞手命(ウマシマデノミコト) 天照大神 宗像三神 相殿=八幡神
古代には阿刀(あと)氏の居住した土地でその祖神を祀る阿刀神社がもともとあった。その後天承年間(崇徳天皇の御代)大中臣権介正房により開拓された土地ということです(八幡神を祀ったのはこの一族らしいです)
阿刀氏は物部と同じ饒速日命を祖神とする氏族集団であるそうです。可美眞手命は饒速日の子神。
先日再訪散策してきた境内も綺麗で、社叢風景と相まって桜の頃も静かに花を見るもオススメです。御朱印もいただけるらしいですが、電話で問合せが必要。
訂正=一部 大中臣神社と字幕あり×〜 大中神社が正しい。 2020 3 訪問
【厳島・鎮座伝説の七社巡り】安芸の宮島一周の船旅と七浦神社(御島廻り) 総集編
ぐるっと宮島再発見 (年3回くらい行われている)総集編
宮島観光協会主催の 宮島をめぐる船旅。2時間程度で島を一周します。
*全行程のダイジェストを編集しました。
滅多に行けないので備忘録ですw
サムネは 第七の拝所 御床浦(みことうら)神社(ここはすごく行きたかったんですよ)。
「御嶋廻り」について簡単に紹介してみます。
広島の厳島神社の神事
起源は厳島神と創建者の佐伯鞍職(さえきのくらもと)の伝説に由来するものです。
宗像三神のお告げに鎮座地を船で探して厳島を廻り、佐伯鞍職は養父崎で現れた
神の使い「神烏」(おかがらす)様に先導してされ 鎮座地を探したという伝説に基づく。
七つの浦の神社をめぐる神事。
ツアーでは 広島大学の戦国史専門の先生が講師。ガイドにアシスタントの女性がつきました。 ほか総勢40人程の数時間の船旅。
画像差し替えて再度あげ直しました。
ノーカットぐるっと宮島再発見
その2 sm35985492 腰細浦〜山白浜
その3 sm34101996 革籠崎〜御床浦〜大鳥居
安芸の宮島一周の船旅と七浦神社参拝 (御嶋廻りについて) 序
ぐるっと宮島再発見 (年3回くらい行われている)
宮島観光協会主催の 宮島をめぐる船旅。2時間程度で島を一周します。
まずは序として「御嶋廻り」について簡単に紹介してみます。
厳島神と佐伯鞍職(さえきのくらもと)の伝説に由来するものです。
宗像三神のお告げに鎮座地を船で探して厳島を回り、佐伯鞍職は養父崎で現れた
神の使い「神烏」(おかがらす)様に先導してされ 鎮座地を探したという伝説がある。
字幕誤りの訂正=「神烏」=おがらす です。
ツアーでは 広島大学の戦国史専門の先生が講師。ガイドにアシスタントの女性がつきました。 ほか総勢40人程の数時間の船旅。
其の1へ(〜鷹ノ巣浦まで) sm34070826
厳島神社外宮 地御前神社(もうひとつの厳島神社) 広島県廿日市市地御前
厳島神社の外宮 地御前神社
今はJRが社殿裏を走り 鳥居の前は広電や国道2号線が走る。
かつては島が人が住まない時代 神官や僧侶も地御前に住み 島へ通ったと言います。
祭神や創建は厳島神社と同じと言われています。
今は時に走る電車の喧騒の中佇んでいます。
社殿は朱塗りで美しいが拝殿の横からしか見えない。
御祭神は厳島神社本社と全く同じく。
地御前神社参道は 宮内別れ交差点から北へ入り旧山陽道をゆく。
宮内串戸JR駅へ入る少し先で左折 し小さい橋を渡ったところから始まる。
墓地や町家などの狭い間を抜け小学校や大歳神社、釈迦堂の前を通り 踏切を越えれば境内。
途中には真宗のお寺などもあります。 かつては境内は広かったんだろうと思われます。
行き方
JR宮内串戸から徒歩(少し遠い)宮島街道(国道2号線)沿いに西へ歩けば行けます。
または地御前参道を西へ西へ歩く(途中何箇所か分岐あり)
広島方面からならバイパスを走らず旧国道2号線(宮島街道)沿いに
漁港を過ぎたあたりに踏切がありそこを渡たっても境内に入れる。
広電地御前駅からが公共交通だと最短距離。踏切を渡り 左に入る道がある 小学校方面わずかです。
動画の道がそれ。
祭
旧暦6月17日の管弦祭 2018年は7月29日夜満潮の頃管弦船が神社前の海へきます
初夏の御陵衣祭 拝殿で間近で舞楽など拝見できます。
観光の中心からは外れており静かですが、観光でもしお時間があればお参りください。
武・漢発コロナ大流行禍の年(令和2年)梅雨時の様子 sm37384152
地御前漁港近くから宮島の眺め sm37993318
【神社探訪】朝日八幡神社
今回は愛媛県松山市の朝日八幡神社を訪れました。
長い石段と差し込む朝日が美しい神社です。
次回:日尾八幡神社sm28360170
【神社探訪マイリス】mylist/55078461
朝日八幡神社
愛媛県松山市南江戸5-12-1
【祭神】
【氏神として】
足煩地主神(あぬみちしゅのかみ)
【八幡三神として】
品陀和気命(ほんだわけのみこと、応神天皇)
帯中津彦命(たらしなかつひこのみこと、仲哀天皇)
息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后)
【比売神、宗像三神として】
市杵島比売命
多紀理比売命
多岐津比売命
撮影、録音:saomi
音楽:古根川広明 「久遠」
http://commons.nicovideo.jp/material/nc117407