キーワード 崇峻天皇 が含まれる動画 : 12 件中 1 - 12 件目
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日本書紀7 第三十一代 用明天皇 第三十二代 崇峻天皇 ゆっくり歴史劇場(ゆっくり解説)
いつもご視聴、広告、コメントありがとうございます(^^)
次回は12/30木曜に日本書紀をアップ予定です
※コメ返し いつも沢山のコメントありがとうございます(≧▽≦)
太子様は満を持しての御本人です(^^)
穴穂部皇子は兎に角ヤバい奴ですよね
逆は売られたと私も思います、穴穂部皇子に目付けられたくないでしょうし
踞坐胡床(原文)で、道端で床几(椅子)に座ったようですw
蘇我稲目が祀って馬子が祟られましたねw
物部守屋になすり付けた穴穂部皇子ですね、やりたい放題です
えっ?モアイに見えますw?…それっぽい素材がなかったですw
そうですね、呪いをかけた本人の所ですね、有力だったんでしょうね、そしてやられた、とw
たった二年の即位です
守屋がそれでも穴穂部皇子を推したのは、難しい所ですよね、馬子に対抗する為ですかね、
それだけ穴穂部皇子に力があったのかもですね(穴穂部も蘇我氏ですし)
聖徳太子初陣です、コメ返しありがとうございます
四天王の木像がなかったです、ツッコミあざす!とっても優しそうな四天王ですw
命蓮寺も信貴山縁起絵巻、四天王等々と、色んな元ネタミックスですよね
布都ちゃんの元ネタとしてナレーション入れときましたw
捕鳥部万の最期は項羽っぽいと私も思いました、こんな武人がいたんですね
崇峻天皇の最期は悲惨で、丁未の乱の後、馬子がいかに独壇場だったかが分かりますよね
ホントに激動の時代で、動画的には面白くて良きですw
蜂子皇子は馬子から逃げ、聖徳太子に匿われて山形まで行き修験道を収めたと、知らなかったです
吉備の国(岡山県)と赤穂市(兵庫県)の秦氏と聖徳太子と浄土真宗の謎 2021年8月14日
>岡山県内の秦氏
備前国邑久郡八浜郷戸主□□
麻呂戸口大辟部乎猪御調塩三斗
この木簡の「大辟部」が秦氏と考えられることは先に書きました。
更に各製塩遺跡の近くに秦氏関係地名があることから、秦系集団と製塩との関わりは深いと考えます。
http://miwa1929.mond.jp/index.php?%E5%B2%A1%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E5%86%85%E3%81%AE%E7%A7%A6%E6%B0%8F
>赤穂坂越-1 渡来人・秦河勝と坂越生島
秦河勝は、元々新疆ウイグル地区を本拠地としていた渡来人で、用明天皇(聖徳太子の父)、崇峻天皇(蘇我氏に暗殺された)、推古天皇(初の女帝)、聖徳太子に仕えた。やがて聖徳太子が蘇我氏の手によって暗殺される(旧坂越浦会所の館長さんも仰っていた)と、秦河勝は難を逃れるために摂津国難波浦を出航し、ここ播磨国赤穂郡坂越浦へ漂着したとされる。そして坂越で没したあとは坂越・大避神社に祀られたという。神社の神域である生島には秦河勝のものと伝えられる墓があり、この墓に行けるのか?と尋ねたところ、大避神社の関係者でも行く事は禁じられているとの事だった。因みに河勝は秦氏の長で、京都太秦や嵐山界隈は秦河勝の本拠地である。
https://blog.goo.ne.jp/ushiki111/e/7e40e16eea19e86df9a1febe8e2be573
天皇陛下のお体を危険にさらす菅内閣
菅内閣は(映像での天皇陛下のお言葉という選択肢を排して)天皇陛下の五輪開会式への御臨席を決定した。
海外からどんなコロナウイルス変異株が持ち込まれるかわからない五輪開会式。それがエアロゾルとなり飛散することは十分に考えられる。
3分で歴代天皇紹介シリーズ! 「33代目 推古天皇」
今回から「飛鳥時代編」が始まります!
歴史に興味が薄い人でも一度は聞いたことがある方だと思います♪
※今回、「ゆかりさんが語る日本古代史 (mylist/62973405)」でおなじみの
毒菜さん (user/23188023) と、「同時投稿コラボ」を行いました!
是非、こちらの動画 (sm35624114) も是非御覧ください!
●推古 (すいこ) 天皇 基本プロフィール
父 欽明天皇 (第二皇女) 母 蘇我堅塩姫 (蘇我稲目娘)
在位 592年 ~ 628年 (37年間)
生涯 554年 ~ 628年 (75歳)
●1代目 神武天皇 → sm33459779
32代目 崇峻天皇 → sm35468478 34代目 舒明天皇 → sm35685840
●3分天皇紹介リスト → mylist/62530271 ついったー @inocchi_0515
3分で歴代天皇紹介シリーズ! 「32代目 崇峻天皇」
「神話&古墳時代編」は今回で終了です。
次回から「飛鳥時代」に突入します!〇(><)
●崇峻 (すしゅん) 天皇 基本プロフィール
父 欽明天皇 (第十二皇子) 母 蘇我小姉君 (蘇我稲目娘)
在位 587年 ~ 592年 (6年間)
生涯 ? 年 ~ 592年 (不明)
●1代目 神武天皇 → sm33459779
31代目 用明天皇 → sm35450981 33代目 推古天皇 → sm35623916
●3分天皇紹介リスト → mylist/62530271 ついったー @inocchi_0515
質問箱 → https://peing.net/ja/inocchi_0515?event=7
3分で歴代天皇紹介シリーズ! 「31代目 用明天皇」
有名なあの皇子のお父さんです! それにしても暑い... (九州民)
●用明 (ようめい) 天皇 基本プロフィール
父 欽明天皇 (第四皇子) 母 蘇我堅塩姫 (蘇我稲目娘)
在位 585年 ~ 587年 (3年間)
生涯 ?~ 587年 (不明)
●1代目 神武天皇 → sm33459779
30代目 敏達天皇 → sm35414691 32代目 崇峻天皇 → sm35468478
●3分天皇紹介リスト → mylist/62530271 ついったー @inocchi_0515
質問箱 → https://peing.net/ja/inocchi_0515?event=7
【神道シリーズ】第58回・八百万の神⑮羽黒三山信仰【前編】(真言宗と天台宗の確執の地と八宗兼学の地)
羽黒修験は現在、羽黒山、月山、湯殿山の三山で構成されてますが、16世紀までは羽黒山、鳥海山、葉山の三山で構成されていました。
羽黒三山には、役小角(8世紀初頭)より200年以上早い6世紀前後に崇峻天皇の皇子の蜂子皇子が蘇我馬子の脅威から逃れるために羽黒へ行き、その地で山岳信仰を始めたという伝説がありますが、しかし、これは室町時代(14世紀)になってから作られた話で、実際には不動明王信仰を核とした役小角系雑密の修験道を起源としてると思われます。
平安後期の9世紀以降は、この地は真言宗と天台宗(比叡山)の勢力の覇権争いの場となり、羽黒山、月山、鳥海山、葉山は天台宗の勢力下、湯殿山は真言宗の勢力下と二分されることになります。
羽黒修験は、全国修験道共通とされてる不動明王信仰や十界修行(真言密教の十往心に対応)や擬死再生修行などはもちろんのこと、そこにさらに9世紀に渤海からの漂流者(記録あり)が伝えたであろうとされる大陸の道教祭祀の影響が見られ、ユニークな羽黒修験が形成されています。
明治の神仏判然令で天台系の修験道は羽黒山や月山からの下山を強制され、代わりに羽黒三山神社が作られ、月読命や大貴己神など古事記の神々が政府によって祀られましたが、湯殿山だけは真言宗との繋がりがあまりにも強固で分離できず、今日まで真言宗の一拠点となっています。
明治に政府が無理矢理神社(羽黒三山神社)を作り、古事記の神々を祀ろうと、古くからの伝統を消し去ることは出来ず、今でも信仰対象は羽黒権現・月山権現・湯殿山権現で、祭祀も古代からのままで、国家神道化は失敗したと言えます。
史上初の天皇暗殺事件『古事記ワンダーランド』#53
今回は、天皇の暗殺という一大事件の話。
第20代・安康天皇は、日本史上初めて暗殺された天皇である。天皇の暗殺は他に、32代崇峻天皇の例があるのみである(幕末の孝明天皇も暗殺説が根強いが、現在はほぼ否定されている)。
安康天皇を暗殺したのは、数えでわずか7歳のマユワノ王であり、その動機は父親の仇を討つためだった!
そのマユワノ王を、匿ったツブラオミ共々攻め滅ぼしたのが、21代・雄略天皇。だが、悲劇はまだまだ終わらなかった!
日本神話46話 崇峻天皇.mp4
日本神話勉強したよ!
日本神話からいろんなことを学ぼう^^
コメントありがとうございます!!皆様のコメントがうp主のやる気の源です!!
暗殺の黒幕は馬子なのかな~?
個人的には違うと思ってます
馬子を筆頭に蘇我一族はもっと評価されてもいいのに...と思う今日この頃...
マイリストmylist/46309938
45話・sm29637495←46話→47話・sm30157424
四天王寺七宮の謎4 聖徳太子・四天王寺の暗号19
聖徳太子は物部氏と物部神道を滅ぼし、戦勝成就の記念に四天王寺を建て、同時に七つの神社も建てた。仏教聖者の聖徳太子がなぜ神社を建てたか。七宮の御祭神には、聖徳太子の母方の叔父の崇峻天皇、祖父の欽明天皇、素戔嗚尊、稲荷神の宇賀御魂大神などがある。
動画一覧 mylist/36747980
「聖徳太子 四天王寺の暗号」書籍紹介 http://www.810.co.jp/book/ISBN978-4-89295-920-2.html 著者中山市朗は新耳袋シリーズの共著者
古代史探偵団 http://kodaishitanteidan.com/
中山市朗個人事務所 http://officeichirou.com/
中山市朗ブログ http://blog.livedoor.jp/kaidanyawa/
崇峻天皇暗殺事件の謎 高森ウィンドウズ#143
1400年以上前のミステリーにチャレンジ。西暦592年に起きた、第32代・崇峻天皇の暗殺事件。日本史上2例しかない天皇暗殺事件の1件であるにもかかわらず、その後に何の波乱も起こらず、黒幕とされる蘇我馬子も何ら罰せられることはなかった。その謎を明快に解く!