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【朗読まとめ】「三万両五十三次 1.愛憎篇」野村胡堂audiobook ナレーター七味春五郎 発行元丸竹書房
昭和27年作品に、大河内傳次郎主演で映画化された同名映画の原作!
時は幕末、黒船が来航した、安政五年から物語は始まります。時の老中堀田備中守は、「日米通商修好条約」締結のため、京の都へ三万両をおくる。
主人公の馬場蔵人は、倒幕派の武士、三万両を狙う怪盗たちとたたかいながら、一路京都をめざします。
東海道を舞台に上を下への大騒動が実に面白い。お聴きください。
三万両五十三次は、一年半の連載(1932年3月から 1933年8月にかけて)をおえると、中央公論社から函入り上製本 上下巻(湊書房版は 全5巻、中公文庫版の全4巻版もある)で刊行されました。昭和9年のことです。ちなみに銭形平次の連載は、昭和七年にはじまり、当時務めていた報知新聞に長篇の連載を依頼されました。
■登場人物
馬場蔵人……本編の主人公。四十二三才。
小百合……父山際山左衛門を上意討ちされたため、蔵人を仇とねらう
茜の半蔵……山際家の老僕。小百合を助ける金五郎の父。
南郷小源太……真四角虎ひげ
矢柄城之助……色白の美男
真琴……矢柄の妹
伝次……小源太家来。岡っ引きだが、渡り中間に変装。異名は二面
作良軍之進……倒幕の志士
進藤晋……倒幕の志士
今宮八郎……倒幕の志士
お蓮……伝次に姉御と呼ばれる。謎の女性。陽炎のお蓮。殺人を好む。
牛若の金五郎……泥棒の親分だが、殺しを厭う
ノッポ竹……お蓮に惚れている
藤次……猩猩、四十六七になる、小頭格
丑松……奉行所の手先
吉三……背虫、ながら、夜目も利くゴリラのごとき長い腕と怪力を誇る
小動平太夫……与力
堀田正睦……幕府閣老
植松求馬……家老
文治……金五の子分
お蝶……和泉屋の令嬢
千代松……和泉屋の遠縁。手代。
五兵衞……和泉屋番頭
本庄左次郎……蔵人の添え役
桃々斎桃吉……講釈師の小僧
信長の野望 天下創世RTA 2:56:47 超級 徳川家康
2022-07-19 ニコ生放送分
超級で初チャレンジ。上級よりも金銭・兵糧・兵士の上昇率が高いため、他大名がすぐ強くなるので決戦がしやすくなります。
また今回気づいたのですが、最速で3年でほぼ天下統一まで行けると思いますが、エスパニアの寝返りイベントが発生し、多くの従属大名が寝返ってしまいます。(動画2:05あたり)
なのでわざと進行を遅くする必要があります。1584年開始だと1589年まで引き延ばすといいと思います。5年以上たつと、寝返りが少なくなる印象です。
また、エスパニア寝返りイベントは、残りの敵大名が少なくなると発生しやすくなるような気がするので、小大名をあえて残しておくのがいいかもしれません。
今回、二条城が空白地になっており、本願寺顕如が独立したため、エスパニアイベントを防ぐことができたように思います。不幸中の幸いでしょうか。坊主に感謝!
従属大名の親密度を手っ取り早く上げるには、幕府を開いて役職を任命するのが最も効率的です。家康だとほぼ100%征夷大将軍になれるので、RTA向きです。
ほかにもさまざまな点で優遇されていて、史実のように、天下に最も近い大名という印象です。
高画質版はYouTubeでどうぞ。https://youtu.be/LflVizPNwRg
日米FTAに死にもの狂いで反対せよ(NWO阻止マニュアルを作成する第240回)【沢村直樹・公式放送アーカイブ】
令和元年年(2019)9月22日(日曜日) に生放送された、沢村直樹の公式アーカイブ動画です。
誹謗中傷目的の動画にご注意ください。同様の動画のタイトル名を騙った、 誹謗中傷目的の動画については、 悪質な放送妨害・検索妨害として、既にドワンゴの運営に対して何度も削除依頼を行っています。
NWO阻止マニュアルの第1回→sm34593008
前回→
【SFC版】信長の野望・武将風雲録で斎藤道三をやってみた(茶器縛り・その19・終)
前 https://www.nicovideo.jp/watch/sm38698682
シナリオ1・実力編で斎藤道三を担当。いわゆる「茶器回し」を禁止(褒美として茶器を与えられるのは大名のみ、茶器の没収や購入は誰でもできる、調略の誘降に茶器を使うのは可能)した上で、東国支配の大大名、そして征夷大将軍任命を目指すという目標を立てたが、すでに将軍には任じられているので、残す姉小路家を外交努力で屈服させるべく、嫌がらせを続けながらせっかくだからとじわじわと西進の日々。
残す九州の大大名、薩摩国の島津家に対し、桜島での鉄甲船同士による大海戦を経て、ようやく九州も平定(コンピュータ側も鉄甲船で砲撃してくるとは)。あとは飛騨国の姉小路家を残すのみとなったが、この姉小路家、どうやっても外交努力で屈服させることができない。歴史に名前が残っていない、他愛もない(待て)嫁がせた姫が、ここで足かせとなるとは。
止む無く家臣らの忠誠心急落を覚悟し、松平元康のみで飛騨国に侵攻。総大将だけなら裏切らない、はず。飛騨国は兵糧そのものが不足していたようで、相手から突撃をしてくる状態だったが、それでもなぎ倒していく形で元康無双状態。姉小路良頼を捕らえ、飛騨国を制圧。
かくして日の本は斎藤道三によって統一され、斎藤幕府の下で治められることになった次第である。
【ソフト名】スーパー信長の野望・武将風雲録
【機種】スーパーファミコン
【発売元】光栄(現コーエーテクモゲームス)
【メディア】ロムカセット
【定価】12980円(税込)
【発売日】1991年12月21日
【セーブ領域】内蔵(2か所)
(C)1991 KOEI CO.,LTD.
【神道シリーズ・シーズン3】第12回・東京(浅草寺・増上寺・寛永寺・宮中)における廃仏希釈
京都で長い伝統を持つ送り火や節分節句、門松、七夕、七五三などが禁止され、奈良では多くの名刹巨刹の寺院が廃され、住民と政府との間で強い摩擦が生じていた頃、東京と改名した江戸では、神仏習合して長い歴史を持ち、徳川から深い敬愛を受けていた増上寺、寛永寺、浅草寺などが神仏分離の名のもとに境内にあった権現社などが次々と切り離され、神社化された。
しかし、地元住民の深い信仰で支えられていた浅草寺では新政府の思惑通りには進まず、7世紀に隅田川で聖観音を見つけた漁師の檜前浜成・竹成兄弟とそれを自宅を寺院に変えて祀った土師中知の三名を三社権現という神として祀る浅草寺の由緒社伝は室町時代頃に作られ、新政府は浅草寺境内にあった三社権現社を浅草神社としたが、権現号自体は取り払われたものの、今でもこの三名を神として祀っており、さらに由緒もありのままが書かれている。
徳川の菩提寺であった増上寺と祈願寺であった寛永寺も廃仏毀釈の嵐に邁偶することとなる。
増上寺は浄土宗の寺院であったが、元は真言宗の寺院であった為、熊野権現社、車折明神社など11の社を抱えていたが、それらの社の旧社殿はすべて破却され、幸稲荷神社とされた幸稲荷社にすべての権現・明神が大神として合祀された。
天台宗の寺院・寛永寺は、山主に代々皇族出身の法親王が就き、輪王寺号を継承し、天台座主と日光山門主も兼帯し、形式上将軍と対等の地位を持っていた。
しかし、その寛永寺も、慶応4年1868年10月に新政府軍と旧幕府側の彰義隊が上野で戦闘を始めた時、新政府軍は恭順した増上寺を基地とし、寛永寺に立てこもる彰義隊を攻撃し、僅か1日で勝利し、戦禍にまみえて寺院は悉く焼け落ち、彰義隊の死体の山と化してしまった。
その後、新政府は寛永寺の境内の不忍池にあった弁天堂に鳥居があったため、堂舎を取り壊そうとしたが、僧侶や信徒たちによる必死の抵抗により、鳥居のみを取り壊すことにより仏教寺院として維持していくことを可能とした。
東京遷都に伴い、江戸城を新皇居とした明治政府は、京都御所から歴代天皇の位牌や念持仏を祀る御黒戸を撤去し、それまで中国式であった皇室儀礼をすべて明治に作られた神式に変え、皇室祭祀の中心であった仏教祭祀や皇位継承儀式をすべて廃止し、新しい神道式に変えた。
こうした一連の、新政府による伝統否定政策は、逆にこんにちで言う「神道」なるものが明治に作られ、明治より始まったのだという事実を証明することになってしまったのである。
【2010年02月20日:リチャード・コシミズ 奈良講演会( 改良版 )】
「 テーマ:日本2( 明治維新 )」
「明治維新」なるものを「ジョン中浜万次郎」を中心に据えて分析してみました。
万次郎が漂流してのち辿り着いた米国で接触したアヘン商人であるウォレン・デラ
ノ( FD・ルーズベルト大統領の祖父 )、その盟友のマシュー・ペリー提督、上海
のアヘン商社ジャーディン・マセソン商会と在日代理店のグラバー。
グラバーの武器弾薬を薩長に斡旋した坂本竜馬。
竜馬や後藤象二郎が海外に目を向ける切っ掛けかけを作った万次郎の「取り調べ書」。
竜馬の師匠である(船酔いで働けない)勝海舟の代わりに咸臨丸を操舵した万次郎。
船中で知り合った福沢諭吉。
漂着した万次郎から海外事情を聞いた薩摩の島津斉彬公、故郷土佐の山之内容堂公。
幕府の老中阿部正弘。
これだけの人物に万次郎が大きな影響を与え、結果、阿部がペリー来航の際に開港を
決め、龍馬・象二郎の「船中八策」から、五箇条のご誓文が生まれ、大政奉還へと繋
がっていったのです。
万次郎を知らずに幕末と維新を語ることはできないのです。
◆リチャード・コシミズ 公式 ブログ
https://ameblo.jp/richardneversurrender/
◆リチャード・コシミズ 公式 ホームページ
http://richardkoshimizu.boo.jp/
◆リチャード・コシミズ 講演会 公式 動画ギャラリー
http://www.t-sskk.com/richardkoshimizu/video-gallery/index.html
【神道シリーズ・シーズン2】第31回・藤田東湖と会澤正志斎(後期水戸学)
藤田幽谷の息子の藤田東湖と水戸藩士・会澤正志斎は、幽谷が始めた私塾青濫舎で四書五経などの儒教の書とともに儒教的な農本主義的な経世救民論、および水戸藩や日本全体を取り囲む国際情勢を学び、同時に剣術や槍術などの武道も学びつつ、文武両道の実学の大切さを教えられた。
幽谷が生きていた時代は、班内の旧守派・保守派の反対や妨害もあって実現しなかった幽谷の儒教的道理に基づく藩改革は9代藩主武公水戸斉昭の時代になると積極的に取り上げられ、実践されていったものの、商品経済貨幣経済が発達した19世紀に時代錯誤的な儒教的な農本主義政策はまったく効果がなく、また、江戸幕府が迫りくる外国勢力に対して弱腰の姿勢を取りづつける現状を片目に水戸藩では会澤正志斎や藤田東湖らの尊王攘夷論は高まりを見せ、次第に幕府への批判が強まる中、とうとう藩主斉昭も藤田東湖も蟄居の処罰が下り、斉昭は強制隠居も命じられて4年間、東湖は8年間の蟄居生活を余儀なくされることとなった。
会澤正志斎は「新論」を著し、平和ボケしてる幕府や諸藩の危機管理意識の低さを厳しく批判したが、その内容があまりにも過激すぎたために当時の藩主哀公斉修に上呈したものの、出版は差し控えられた。
一方、藤田東湖は8年間の長い蟄居生活の間に「弘道館記述義」や「回天詩史」などを執筆し、彼自身の歴史観や尊王攘夷論を訴えた。
この両者の著作は、水戸藩のみならず、この両者に会いに来た、長州の吉田松陰、高杉晋作や薩摩の西郷隆盛など、その後討幕の主力勢力となった勤王の志士たちにも多大な影響を与えた。
しかし、藤田東湖の死後、彼がまとめてきた班内の尊王攘夷過激派たちは暴走を始め、桜田門外の変や天狗党の乱を引き起こし、水戸藩内は保守派の諸政党と急進派の天狗党との間の血で血を洗う熾烈な内部抗争が続き、明治維新を挟んでの報復合戦の末、ついには水戸藩出身者が新政府の一翼を担うことなく終わってしまうのであった。
2016.04.02 リチャード・コシミズ 大阪定期講演会 摂津研究 江戸時代庶民の抵抗 天保の飢饉 大岡越前
摂津研究
江戸時代庶民の徳川幕府へ蛮行への抵抗
天保の大飢饉
大岡越前
大塩平八郎の乱
アンネの日記
日銀黒田パーすか?
1時間51分より質疑応答
【作業用BGM】がんばれゴエモン詰め合わせ
長時間作業する方向けのゴエモンBGMの詰め合わせになります。
選曲対象はからくり道中,2,雪姫,マッギネス,からくり卍,きらきら道中,アコギング,ネオ桃山幕府,でろでろ道中となります。
いくつかの曲はshort版になっています。
詰め合わせと言っても全曲ではない為この曲入ってねぇぞと言うのはご容赦を。
でろでろ道中城BGM→sm12739686、Burning my soul - mix→sm12675517、からくり道中メインテーマメドレー→sm13351332、もののけ双六→sm19055344。
投稿動画→mylist/28550487。 長時間作業用BGM→mylist/29306029。
12月12日追記:77分26秒地点からの伊賀のカバメロの画像が間違えています。この曲は雪姫の曲です。申し訳ない。
コメ27の教えて下さった方ありがとうございます。
舞台「GOZEN-狂乱の剣-」
府月藩・藩主の嫡男・望月八弥斗は、 他国への修行から帰国して驚いた。元気だったはずの父が急病で死んだと聞かされたのだ。そして藩主の座に就いたのは父の弟・望月甲斐正であり、 母・朝霧はその妻になったという。ショックを受け、失意の八弥斗。その心の支えは、恋人の小松原奈奈だけだった。奈奈は、父である家老・小松原烈山の反対を押し切り、八弥斗に寄り添うのだった。
その頃、城内に亡霊が出るという噂が流れる。噂を聞いて豪胆にも会いに行った八弥斗は、その亡霊は父で、その死が弟・甲斐正の手による暗殺だったと聞かされる。八弥斗は甲斐正への「復讐」を決意する。だが、甲斐正には「光と影」と呼ばれる最強の護衛がついていた。「光」は、奈奈の兄・蓮十郎、 「影」は赤目の異形侍・結城蔵人である。この二人が傍にいる限り、甲斐正にはなかなか手を出せそうにない。油断を誘うために狂気を装い、機会を待つ八弥斗。
一方、甲斐正は御前試合を開催する計画を立てていた。表面上は殿を楽しませるために藩内の手練れを集めて試合をさせる名目だが、 真の目的は、藩内に潜伏した幕府や他藩の隠密を炙り出し、公開処刑することであった。己に復讐の目を向ける八弥斗をも出場させ、隠密たちもろとも殺そうとする甲斐正。八弥斗は罠だと知りながら、甲斐正に近付く機会と考え、御前試合への参加を承諾する。
そして運命の御前試合が始まった。郷田半左衛門、田宮源三、 白河三太夫など剣豪たちによる“死合い”が繰り広げられる中、 八弥斗はそこで怪しげな剣士・流狂四郎と出会う。狂四郎の放つオーラにただならぬものを感じる八弥斗だったが、 この出会いが周囲の人々の運命をもフルスロットルで狂わせていくのはまだ知らない。やがて御前試合という名の「死の宴」は思いもよらぬ展開を見せていく。行き着く果ては、誰も予測できない壮絶なクライマックス!!
一撃必殺の真剣試合、最後まで生き残るのはいったい誰か?八弥斗はこの狂乱の宴を終わらせることが出来るのか!?
(C) 2019 toei-movie-st
【神道シリーズ・シーズン2】第38回・光格天皇と古儀復興
明和8年(1771年)、皇位継承直流より7親等離れた閑院宮典仁(すけひと)親王の第6子として生まれた祐宮(さちのみやや)親王は、21歳という若さで崩御された第118代天皇の御桃園帝の皇位継承者として白羽の矢があたるが、当時4世襲宮家の一つであった閑院宮が本流より離れていたことや、実母の身分が低かったことや、そして何より既に天台宗の寺院・聖護院に入寺して皇籍降下をしていたことなどから様々な異論は出ていたものの、直流よりはるかに離れすぎた伏見家本流の王子による継承は考えられず、結局9歳にして、御桃園前天皇の実の娘である欣子(よしこ)内親王に養子縁組する形で119代天皇の地位を継承することとなった。
9歳で即位した光格天皇は、11歳の頃より学者肌の公家たちを講師として「論語」や「孟子」「中庸」「大学」などの儒教の教育を徹底して受けることになり、これを通じて次第に儒教的君主論における天子としての自覚を深めて行った。
その光格天皇が17歳の時、長引いた天明の大飢饉の中困窮する京都の庶民たちが御所の千度参りの際に御所の周りに集まった6万人にも及ぶ民衆が直訴の内容を書いた紙で賽銭をくるみ投げ入れたことから天皇が幕府に民衆救済を申し入れたことが禁中並び公家諸法度に違反するとして問題となったが、事情が事情だけにやむを得ないとし、幕府側は天皇を諫めなかった一部の公家たちを処分はしたものの、緊急米として1500石を京都庶民に放出することなった。
また、同年に、5年前に京都大火で焼失した京都御所の復興において光格天皇は平安時代の復古調の御所の再現を要求したが、幕府の予算の関係で建材を倹約した状態での紫宸殿と清涼殿の復古調復興は認めたが、神嘉殿の復興は認められず、仮御所をその代用にするように命じられた。
新嘗祭や大嘗祭など応仁の乱以降中絶していた朝廷儀式は、徳川幕府が始まってからその朱子学的な天子君主論の建前から幕府が中心となって復興されてきたが、その後また何度か中断され、光格天皇の時代になり、新嘗祭が本来の神嘉殿で行われるよう完全復興を目指したが、結局、仮御所を神嘉殿として見立てて復興することとなった。
しかし、天皇とはならなかった実父の閑院宮典仁親王を上皇にしたいという尊号一件の問題については幕府に押し切られ、要求したこととの罰として大量の公家たちが幕府により処分されることとなった。
光格天皇は様々な朝廷古儀の復興を目指したが、それは必ずしも宮中儀礼だけではなく、宮中真言院、つまり、亡くなられた前天皇の後七日供養を行ったり、歴代天皇が真言密教形式の天皇灌頂という皇位継承の儀式を行う宮中の建物の復興や石清水八幡宮の臨時祭放生会、つまり仏式の儀礼などの復興も同時に求めていた。
舞台「淡海乃海‐現世を生き抜くことが業なれば‐」BTeam 本編
一五五〇年。足利将軍家が三好家に追放され、室町幕府の崩壊が始まった歴史的な年。近江にある小領地・朽木にわずか二歳にして当主へ就任した少年がいた。その名は朽木基綱【竹若丸】。実は歴史好きな現代日本人の生まれ変わり。歴史好きのサラリーマンだった「俺」は、幼い少年としての顔と、策略家の顔、ふたつの顔を持つ朽木家当主【竹若丸】として、歴史の知識と、現代人としての頭脳を使って、戦国の世を生き抜いてゆく。
出演:古畑恵介/中島礼貴/三小田芳樹/佑太/久野木貴士/楠世蓮/松村芽久未/中村悠希/桜樹舞都/帯金遼太/大塚晋也/草場愛/春見しんや/平井浩基/崎嶋勇人/大野愛/東達也/菅野莉央(A)/山中康聖(B)/加藤大輔/中山佳大/毛利光汰/遠藤佑哉/中尾陽太/小野寺俊/小寺孝明/サイトウミサ/橋本深猫/田中杏奈/真理緒/柴木丈瑠/剣持直明
原作:イスラーフィール/キャラクター原案:碧風羽/漫画:もとむらえり/脚本:西瓜すいか/演出・振付:西口綾子/演出補佐:合田誠/舞台監督:吉川尚志(劇団SURF SHOP)/音響:iland.va/照明:松本昭宏・坂井清美(BE NATURAL)/美術:荒川真央香/大道具:S-CASE/衣装:真野真由美・GOLDEN STEPS衣装部/ヘアメイク:Limo(LimoPiece)/現場ヘアメイク:ビューティ★佐口/現場ヘアメイク助手:庭野麻奈(OFFICE BEAUTY)/殺陣:白倉裕二/小道具:平野雅史/演出助手:サイトウミサ/カメラマン:渡邉和弘/題字:石川咲登子/制作・票券:株式会社Thavman/プロデューサー:神田明子/企画協力:株式会社MARCOT/企画製作:TOブックス/メインテーマ :BAN‘S ENCOUNTER 「信じる唄 」
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【神道シリーズ・シーズン2】第32回・吉田松陰の思想遍歴
吉田松陰は、文政13年(1830年)8月4日、長州萩城下松本村(現・山口県萩市)で長州藩士・杉百合之助の次男として生まれたが、杉家の貧困さのため、叔父で山鹿流兵学師範である吉田家の養子となり、叔父の玉木文之進が開いた松下村塾で指導を受けた。
叔父のモラハラ、パワハラのスパルタ教育にもめげず、頭脳明晰な松陰は、9歳で明倫館の兵学師範を務め、11歳のとき、藩主・毛利慶親への御前講義でその才が認められ、15歳で山田亦介より長沼流兵学の講義を受け、山鹿流、長沼流の江戸時代の兵学の双璧を収めることとなった。
嘉永3年(1850年)20歳の時に藩からの調査を目的として長崎遊学をした松陰は、停泊してるオランダ戦艦を視察し、さらに翌年、藩主の参勤交代の供をして江戸に出向した時に出会った幕府海防顧問の佐久間象山の教えを受けるうちにこれまで学んできた和風兵学の脆弱さと無力さを知り、山鹿・長沼兵学を捨て西洋兵学を学ぶ意思を固めた。
その直後の寛永4年(1851年)12月には脱藩した上で翌年4月に至るまでの約5か月間の東北遊学を行い、日本の海岸線が海外勢力からの侵略に対してまったく無防備であること知り、さらに危機意識を高め、
江戸に戻ると脱藩の罪で地位と家禄を剥奪され、長州に戻され、実家の杉家預かりとなるが、翌年、罪が許され、藩より諸国遊学の許可が出ると、再び江戸に戻り、佐久間象山から得た長崎にロシア船が停泊するという情報をもとに、ロシア船に乗り込んで海外渡航し、西欧列強の実情を把握しようと企てた。
しかし、長崎に着いた時にはロシア船はすでに出航しており、乗り込みは失敗したため、今度は静岡の下田に停泊中のペリーの米艦隊に乗り込みを試みたが、断られ失敗し、その行為を自首した松陰は長州の野山獄へ送られ、その後3年以上の獄中生活を過ごすこととなった。
西洋兵学を知り、水戸で会った会澤正志斎らから国体思想を学び、幕府に尊王攘夷政策を採ることを要求してきた松陰だったが、獄中生活のさなか、浄土真宗の僧侶で国学者だった黙霖との文通論争の中、佐幕思想を捨て、討幕思想に傾斜した松陰は、出所後に日米修好通商条約を結んだ幕府を打倒するための老中暗殺計画を立案し、それが漏れて江戸の石川藩の牢獄に入れらた上、安政6年(1859年)斬首刑となり29歳の短い命を閉じた。
しかし、松陰の刑死の反響はあまりにも大きく、それが5年後の禁門の変から大政奉還に至る激動の4年間の火付け役になったのである。
【神道シリーズ】第22回・山崎闇斎と垂加神道(朱子学理気論と改竄された日本書紀神代巻)
京都の針医の子息の山崎闇斎は、家の方針で最初比叡山に僧侶となる為の修行に出され、その後京都の妙心寺で僧籍を得た闇斎は19歳で土佐の吸号寺(ぎょうこうじ)に移り、そこで出会った儒学者の谷時中から朱子学を学ぶと一気に思想が朱子学に傾倒し、仏経を批判するようになり、結局臨済宗妙心寺派の吸号寺を追放されることとなった。
しかし、吸号寺でともに谷時中から朱子学を学んでいた盟友で、土佐藩の家老でもあった野中兼山に見込まれて経済面も門下生の紹介などの援助を受け、土佐にて朱子学の研究を続けていた。
その後京都に戻った闇斎は自らの朱子学塾・闇斎塾を開き、多くの門下生を抱えるようになり、さらに江戸と京都を行き来するようになると会津藩主の保科正之の目に留まり、賓師(ひんし)と呼ばれる不定期の朱子学の家庭教師を頼まれ、それに応じると、当時正之の指名で幕府神道方となっていた吉川惟足との
出会いもあり、惟足より神道理論を学ぶ事となる。
闇斎は惟足以外にも伊勢神道を引き継ぐ外宮宮司の渡会延佳からも神道理論を学ぶ事となった。
しかし、幕府や藩主など君主だけに賢者たる性即理の修養を訴え、民は聖人君主を持てば自然と治世は収まると言う論理は朱子学の理気論的に見ていろいろな矛盾を抱えることとなり、そこで持論の根拠として強引に神道論に結び付けると言う手法、言い換えれば、日本はクニトコタチという宇宙発生以前から存在してるメタなゼッタイシンの直系の子孫であるスサノオやアマテラスを持ち、その子孫が天子天皇である国だからそもそもその血を引く君主たちは聖人君主、つまり賢人になる素質は十分に持ってるのだと言う論理に逃げ込んだともとれないことはない。
しかしながら、この天孫系天子を頂く日本国の優越性を説く部分はその後、本来の意味を離れて幕末の尊皇攘夷論や明治以降の国粋主義思想に繋がっていくこととなったのである。
舞台「淡海乃海‐現世を生き抜くことが業なれば‐」ATeam 本編
一五五〇年。足利将軍家が三好家に追放され、室町幕府の崩壊が始まった歴史的な年。近江にある小領地・朽木にわずか二歳にして当主へ就任した少年がいた。その名は朽木基綱【竹若丸】。実は歴史好きな現代日本人の生まれ変わり。歴史好きのサラリーマンだった「俺」は、幼い少年としての顔と、策略家の顔、ふたつの顔を持つ朽木家当主【竹若丸】として、歴史の知識と、現代人としての頭脳を使って、戦国の世を生き抜いてゆく。
出演:古畑恵介/中島礼貴/三小田芳樹/佑太/久野木貴士/楠世蓮/松村芽久未/中村悠希/桜樹舞都/帯金遼太/大塚晋也/草場愛/春見しんや/平井浩基/崎嶋勇人/大野愛/東達也/菅野莉央(A)/山中康聖(B)/加藤大輔/中山佳大/毛利光汰/遠藤佑哉/中尾陽太/小野寺俊/小寺孝明/サイトウミサ/橋本深猫/田中杏奈/真理緒/柴木丈瑠/剣持直明
原作:イスラーフィール/キャラクター原案:碧風羽/漫画:もとむらえり/脚本:西瓜すいか/演出・振付:西口綾子/演出補佐:合田誠/舞台監督:吉川尚志(劇団SURF SHOP)/音響:iland.va/照明:松本昭宏・坂井清美(BE NATURAL)/美術:荒川真央香/大道具:S-CASE/衣装:真野真由美・GOLDEN STEPS衣装部/ヘアメイク:Limo(LimoPiece)/現場ヘアメイク:ビューティ★佐口/現場ヘアメイク助手:庭野麻奈(OFFICE BEAUTY)/殺陣:白倉裕二/小道具:平野雅史/演出助手:サイトウミサ/カメラマン:渡邉和弘/題字:石川咲登子/制作・票券:株式会社Thavman/プロデューサー:神田明子/企画協力:株式会社MARCOT/企画製作:TOブックス/メインテーマ :BAN‘S ENCOUNTER 「信じる唄 」
©israfil / TO Books
舞台「イケメン源氏伝 あやかし恋えにし ~義経ノ章~」 本編
本舞台は、あやかしの力を得て鎌倉幕府に敵対する反乱軍を率いる源義経を中心に描き、源義経役をダンスロックバンド・DISH//でアーティストと舞台俳優として活躍中の矢部昌暉が演じます。源頼朝役に、舞台「戦国BASARA」「刀剣乱舞」をはじめ、多くの2.5次元舞台に出演する伊阪 達也、さらに谷 佳樹、橋本 全一、石渡 真修、宮城 紘大、東 将司、松川 大祐ら実力派の人気若手俳優や、荒 一陽、瑛(あきら)といったイケメンシリーズではお馴染みのキャストから、紅一点のヒロイン役に舞台けものフレンズ「JAPARI STAGE!」で好演した小槙まこを抜擢。
源 義経役:矢部昌暉(DISH//)/玉藻役:谷 佳樹/鞍馬役:橋本全一/安倍泰親役:石渡真修/梶原景時役:宮城紘大/平重 衡役:東 将司/安達盛長役:瑛(あきら)/那須与一役:荒 一陽/武蔵坊弁慶役:松川大祐/由乃役:小槙まこ/源頼朝役:伊阪達也
©CYBIRD / 舞台「イケメン源氏伝」製作委員会
[PS] 新時代劇アクション 羅刹の剣 [Soul of the Samurai] BGM集
'99年にKCE札幌が開発、コナミが発売したPS用時代劇アクション。
庶民は飢餓に苦しみ、政治は汚職にまみれていた天明元年、幕府に献上される金塊を積んだ輸送船が失踪する。幕府は隠密衆の頭領である
進次郎を潜入させたが、連絡は途絶えた為、更に三人の隠密を送り込む。一方で進次郎の妹、りんは幕府に保護されていたが兄の身を案ずるあまり単身潜入を決意した。その頃武者修行の旅を続ける浪人、飛葉小太郎は亡き両親の墓参りの為に故郷である抹那藩に帰ってきた。
プレイヤーは主人公選択で小太郎か、りんのどちらかを選び、それぞれで違ったルートを進む事になる。
作曲:伊藤泰久氏。
・Title,曲順未整理
Manufacture: 1999 Konami / Konami Computer Entertainment Sapporo
computer: Play Station
Sound: cd
Composer: Yasuhisa Ito
【SFC版】信長の野望・武将風雲録で宇都宮広綱をやってみた(目指せ大大名:その7)
前 https://www.nicovideo.jp/watch/sm37325246
次 https://www.nicovideo.jp/watch/sm37331037
シナリオ1・入門編(上級)で宇都宮広綱を担当。「とにかく生きながらえて大大名になるべし」の目標を設定し、年貢率100%の鬼神モード。「そもそも大大名ってどう定義すれば」という根本の問題が生じたため、せっかくだから征夷大将軍に任じられようかとの意を新たにする。一方、前線ではリソース不足が生じられる状況となったので、西部方面軍は略奪まがいのイナゴ的侵攻で周辺国の弱体化を図り、東部方面軍は地道に他国を滅ぼして宇都宮勢の領域を増やしていこうとの方針に。
西部で例の松永久秀に遭遇するも最上等級の古天明平蜘蛛は持っておらず。誰が奪ったのか。他方、今は亡き将軍家の遺臣(というか歴史上は室町幕府の最後の将軍)、足利義昭を確保したので駿河の本拠地に移送決定。
【PCE】弁慶外伝 アイテム0使用プレイ
サンソフトが発売したPCエンジン用のRPG。 キャラクターデザインは『天地を喰らう』や『サラリーマン金太郎』で有名な本宮ひろ志が担当している。
舞台は鎌倉時代の黎明期、源頼朝が鎌倉幕府を開いた頃。 プレイヤーは主人公である鬼若(きじゃく)を操作して、自身の出生の謎を解く為各地を巡る旅に出る。 途中で三郎、沙夜香、弁慶の3人を仲間に加え4人パーティで行動する事となる。
マップ移動上のキャラクターは2頭身デフォルメがなされており、どこかかわいらしさがある。
身代わり忠臣蔵
嫌われ者の殿・吉良上野介(ムロツヨシ)が江戸城内で斬られ、あの世行き!
斬った赤穂藩主は当然切腹。だが、殿を失った吉良家も幕府の謀略によって、お家存亡の危機に!! そんな一族の大ピンチを切り抜けるべく、上野介にそっくりな弟の坊主・孝証(ムロツヨシ)が身代わりとなって幕府をダマす、前代未聞の【身代わりミッション】に挑む!
さらに、敵だったはずの赤穂藩家老・大石内蔵助(永山瑛太)と共謀して討ち入りを阻止するというまさかの事態に発展!? 幕府に吉良家に赤穂藩も入り乱れ、バレてはならない正体が…遂に!?
Ⓒ2024「身代わり忠臣蔵」製作委員会
【神道シリーズ・シーズン2】第34回・山鹿素行の士道と日本中朝主義
山鹿素行は、元和8年1622年、陸奥国会津(福島県会津若松市)にて浪人・山鹿貞以の子として生まれたが、父は当時の会津藩主・蒲生 忠郷の家老・町野長門守幸和に身を寄せていたところ、藩主の死による蒲生家の断絶のため、町野幸和は幕府に直接仕えることとなり、素行親子も一緒に江戸に移住することとなったが、江戸移住以降、済松寺の袒心禅尼に養われ、書を学び始めるようになると天才的な才を発揮し、周りの者たち驚異する中、素行はまたたくまに四書、五経、七書はいうに及ばず、詩文などまでをマスターしてしまった。
素行の尋常ならぬ天才ぶりは注目を集め、わずか9歳にして幕府の大学頭/林羅山の門下に入り、朱子学を学ぶ運びとなった。
そして翌年10歳になると林門下の生徒たちに師として教えるほどの立場となり、さらに11歳になると松江城主/堀尾山城守から、2百石で召し抱えるとの申し出があったが、父が「安い給料で束縛されたくない」と辞退したのだ。
素行と父は素行の幕府召し抱えか1万石以上での高給での藩仕えかのどちらかを望んだが、幕府召し抱えはあとわずかなところで希望していた三代将軍家光の死去により実現せず、また、31歳の時に、1年余りの間赤穂藩で1千石でのレンタル移籍を行うものの、その後の契約条件が折り合わず江戸に戻り、全国に6千人もの門下生を抱えながら著作活動を進めた。
その間、素行は、諸藩からの指南役などのオファーを断り続ける一方、北条氏長から北条兵学を、光宥から両部神道、広田担斎から忌部神道を学び、さらに40代に入ると儒教の古学に関心を寄せるようになり、次第に幕府の御用学問であった朱子学を古学の立場から批判するようになった。
その頂点が素行45歳の時に著した「聖教要録」で、この内容は、当時会津藩主であり、同時に4代将軍家綱の後見役でもあった保科正之の逆鱗に触れ、その後、正之の死後3年まで続く赤穂藩預かり謫居、つまり、指定された屋敷の敷地の中での禁固刑が9年間続くこととなる。
これは、素行が生涯求めていた幕府仕えへの道を完全に絶たれることを意味はしたが、ただ、この9年間の間に素行は自分が属していた北条兵学からの離脱と山鹿兵学の独立、そして彼独自の日本中朝主義、つまり、儒教とは実は中国ではなく日本のオリジナルであり、日本書紀に書かれてるのは儒教の歴史であり、日本自体が中国であり、日本人こそ中国人であると言う儒教日本起源説を展開し、やがては陰陽五行説に基づく易学理論の象数宇宙論に至り生涯を閉じることとなった。
山鹿素行の士道的武士道論は、彼より少し遅れて佐賀藩にて葉隠武士道を確立した山本常朝の武士道論とともに江戸時代の武士道観を形成して行ったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】第5回・明治以前からの廃仏毀釈(岡山藩・津和野藩・土佐藩)まなすさんの土佐廃仏毀釈解説付き
最も早い時期から神社統廃合や寺院統廃合が行われていたのは水戸藩と岡山藩で、岡山藩では陽明学者の熊沢蕃山の影響を強く受けた藩主池田光政はまず淫祠と呼ばれる陰陽行に基づく男女性器をシンボルにした陰陽石や道祖神およびそうした神体を祀る小詞・堂宇・庵などが破却整理の対象となった。そして権現神や明神を祀ってる社から記紀の神々を切り離して寄宮という場所にまとめて祀るという、所謂「寄宮」政策が行われた。
しかし、こうした政策は神仏分離というよりも実は民間信仰の否定破壊であり、その上にさらに仏教葬祭を禁止して神道葬祭に強制的に切り替えさせるという政策も民衆の抵抗があり、結局徹底した寺院整理は実現できず、神道葬祭強制も結局もとの仏教葬祭に戻す武家や民衆の動きにより実現できなかった。
しかし、岡山藩では神社統廃合は徹底して行われ、約94%の神社的祠、堂宇、庵が破壊された。
一方の寺院統廃合では特に日蓮宗不受不布施派がターゲットにされ大半が破却された。
島根県西部の津和野藩では、幕末に平田派の国学者、大国隆正や福羽美静の影響を受けた藩主・亀井茲監は廃仏を目的とする寺院統廃合は行わなかったものの神仏分離政策は徹底され、当時急増していた新創建神社の整理とともに寺院の神社化や平田国学者による社伝の書き換えなどは徹底された。
さらに寺請制度の廃止と神社請制度による置き換えを目指したが幕府からの圧力により頓挫した。ここでも仏教葬祭の廃止と神道葬祭の強制が行われたがうまく行かなかった。
土佐藩では、明治直前より平田国学の影響を強く受けた藩役職の者たちにより寺院統廃合と廃寺化した寺院の神社化が進められた。
この三藩に共通していることは、寺を失い、僧侶を失っても民衆の仏教信仰は止まず、
仏教葬祭の廃止と神道葬祭の強制はことごとく失敗し、同時に民衆の信仰の中心であった民間信仰が徹底的に破壊され、巨大な心の空洞を産みだした。一連の廃仏毀釈および寺社統廃合により仏教を消し去ることには失敗したが、日本人の古くから引き継がれてきた民間神道は徹底的に破壊され、明治以降はそうした民間信仰の維持を願う民衆と神道という名の平田派系の新興宗教との静かなるせめぎ合いが続いていくのであった。
【TAS】ゴエモン桃山部 100%の裏技【108分】
のどかなある日のこと。
飯屋で食事をしていたゴエモンだが、
同席していたエビス丸が勘定をまけてもらおうと裸踊りを始めた為、
激怒した店主は疲れからか、不幸にも黒塗りの高級車に追突してしまう。
後輩を庇いすべての責任を負った三浦に対し、
車の主、暴力団員谷岡に言い渡された示談の条件とは…。
■21周年、TESTRUNです。
■シャーフさんの解説動画 RTA ANY% sm30584968
■ZARさん動画 RTA ANY% WR sm32289917
<恥ずかしい間違いの修正(堕ちろ)>
・和風城⇒和食城
・二子島⇒夫婦岩
編集なし、YouTube版⇒https://www.youtube.com/watch?v=6jqTSheRtGI
マイリス、広告等ありがとうございます。
・インパクト戦最速撃破
・全まねき
・地図バグ禁止
・バグ禁止
以上考えておきます。
話し合いの末、Lv2は無しになりました。
【神道シリーズ・シーズン2】第20回・林羅山の理当心地神道(「日本書紀」神代記述の否定と「書紀」の儒教的書き換え
林羅山は、朝鮮の朱子学者カンハンから学んだ藤原惺窩を師とし、封建領主を君主とする封建体制の支配体制を正当化する朝鮮朱子学の流れを汲み、支配者は除外し、たみだけに性即理の実現の道徳的努力を強要する朱子学思想を引き継いだ。
君主に賢人聖人たる努力を求めない朝鮮朱子学の思想は封建支配体制を正当化するものとして徳川幕府に重宝され、羅山も徳川将軍家のブレーンとして天台僧天海や臨済僧崇伝らとともに徳川指南役として活躍することとなった。
さらに羅山は、朝鮮朱子学のもう一つの特徴としての強い廃仏思想に裏打ちされ、仏教的解釈を一切排除した日本書紀の分析を行い、中国儒学独特の考証主義によって中国や朝鮮の歴史書と日本書紀の記述を突合し、日本書紀のみにみられる箇所はことごとく否定し、
特に突合ができない神代の部分は作り話として切り捨て、天地開闢や天孫降臨の部分も実は中国の呉の泰伯が九州の高千穂に漂流して神武天皇となった事実の粉飾であり、その後の8代の天皇やヤマトタケルは架空の存在で、太極であるクニタチノミコトの理の反映である歴代天皇が朱子学的道徳律に沿って日本の歴史は作られたと、日本書紀の記述をことごとく儒教的に書き換えていった。
これを林羅山の理当心地神道と言い、神道という名の儒教神道説で、のちの国学者たちからは厳しい批判の的となるものの、羅山に続く日本の朱子学者や陽明学者たちの間ではあるいみ共通した日本書紀解釈となっていったのである。
【FC版】信長の野望・戦国群雄伝で足利義輝をやってみた(その6・終)
前 https://www.nicovideo.jp/watch/sm36993143
里見を外交で屈服させつつ、今川と北条に攻め込む足利勢。正面衝突による籠城戦の消耗を極力避けるため、敵が撤収しやすくなるような空白地を意図的に作りながら攻め込む作戦に。何度か上手くいき、戦力を温存しつつ今川と北条を屠る。一方で本願寺攻めでは敵方に兵糧不足が発生し、打って出てきたためにこちらも籠城戦は回避。そして最後に北条攻めへ。かくして1568年に室町幕府再興を果たした足利義輝であった。
【DS】がんばれゴエモン 東海道中(ry サウンドテスト
本編に収録されている曲、サブゲームの曲、本編未使用曲、すべてをココに。
FC:がんばれゴエモン2 SFC:ゆき姫救出絵巻、奇天烈将軍マッギネス
N64:ネオ桃山幕府のおどり、でろでろ道中オバケてんこ盛り
AC:クォース、グラディウス MSX:スペースマンボウ
過去作品からのアレンジ曲+新曲の全105曲。基本2ループ、フェードアウトなし
本編未使用曲は、体験版で聴けたんだとか。
本編 sm7896247 20:49~26:26間、道中のMIDI版 sm7703567
100分間耐久 【おれはインパクト】 がんばれゴエモン~ネオ桃山幕府~
おまたせしました(?)第84弾。
ダダッダアアアアッシュ!!!
数年前、地元で三晩続けて開催される夏祭りの二日目のゲストに
アニキこと水木一郎さんがやって来ました。
友人とwktkしながら観に行くと、
そこにはリハなのに全力で熱唱するアニキの姿が!
『ほんまもんや!あの御方はほんまもんやで!!』と友人と興奮したものです。
因みに次の日のゲストはゆうたろうさんでした。
【座禅町(sm2664967)】もよろしければどうぞ。
画像は変えるのが面倒容量の節約のため一切変わりません。
音源は【sm1817491】をお借りしました。有難うございます。
100分間耐久シリーズ日々増加中⇒mylist/4174283
(100分間耐久) がんばれゴエモン ネオ桃山幕府 ミュージカル城 前半
絵は変わりません。
がんばれゴエモン ネオ桃山幕府のおどりより、ミュージカル城前半100分間どーぞ。
タイトルは『カブキング』らしいです。
(備考)動画タイトルの字数制限があるのでネオ桃山幕府「のおどり」の部分を削りました。
後半 -> sm4316178
その他 -> mylist/7859423
(100分間耐久) がんばれゴエモン ネオ桃山幕府 ミュージカル城 後半
みんながシークバーいじくるから絵は変わりません。
リクエスト頂いたミュージカル城の後半を100分間。
タイトルは『Goe Goe Spark』だとさ。
(備考)動画タイトルの字数制限があるのでネオ桃山幕府「のおどり」の部分を削りました。
前半 -> sm4207181
その他 -> mylist/7859423
【作業用BGM】ゴエモンBGMピアノアレンジまとめ
要望があったので作業用に今までのピアノアレンジまとめました。一部、音源修正済みです。
#00:00- 次期主役候補
#04:34- くのいちたはむれ
#07:05- 殿様救出大作戦!
#09:41- あたしのとなりはトロロくん
#12:46- ブリッジ渓谷
#15:09- 生えてきちょる
#18:10- 逢いたくて未練階段
#22:34- いにしえバンブー
#24:53- 聖地ペモぺモ
#28:02- 夏休みを返して
#29:36- ゴエモンインパクトのテーマ
#31:45- インパクトバトル[3]
#32:51- 電動地獄
#35:43- BuriningMy Soul
#38:19- 怪しの人情模様
#47:35- ふわふわマーメイド
#50:28- 熱血マン
#55:54- ハートブレイクコロリン
#57:05- からくり城
#59:37- ゴエモン哀愁の旅
#62:35- 再見!
#67:14- 亀上的竜宮生活
#69:40- サンシロウ
#72:51- 熱烈ホーニーマン
#75:01- しおから海岸
#80:34- からくり忍者サスケのテーマ
#83:57- たそがれ小竜太
#87:27- 地獄でボン!
#89:53- シンクロ街道
#92:59- セセラギタウン
#98:43- ザ・たそがれ98’
【神道シリーズ・シーズン2】第30回・藤田幽谷と中期水戸学
藤田幽谷は安永3年2月18日1774年3月29日常陸国水戸城下の奈良屋町に、古着商藤田屋を営む藤田与右衛門の次男として生まれ、頭脳明晰の才が認められ、父与右衛門の英才教育の下、寺社奉行下役の小川勘助や医師の青木侃斎から儒教を学び、その後、彼らの推挙により10歳にして荻生徂徠の古辞学派の、のちに水戸藩の彰考館総裁となる立原翠軒の門人となった。
その後15歳で彰考館の正式な館員となり、水戸藩の修史事業である『大日本史』の編纂に携わるようになった。
そして17歳になると「神皇正統記」の研究をはじめ、「天皇考」「幽谷随事」を著して国体論を確立し、この時より幽谷を名乗るようになる。
18歳になった年には老中松平正信の求めにより、天皇と幕府と諸藩との間の君臣上下の名分を正すことの重要さを説いた「正名論」を寄稿し、24歳以降は、封事という、藩主への直訴とも言える訴えを行い、幽谷は、文公治保、武公治紀、哀公斉修の藩主三代に渡り生涯に26回の封事を行った。
29歳の時には、水戸梅香の自宅に青藍舎という私塾を開き、ここに日本全国から尊王攘夷に燃える若者たちが集まり、その中にはのちに長州で松下村塾を始めた吉田松陰も含まれていた。
幽谷の封事は、迫りくる外国勢力からの海防国防の為の強兵策と悪化し続ける水戸藩の財政の立て直しを目指して行われたが、幽谷の在任中は藩内の旧守派藩閥派にことごとく阻まれ実行されることはなかったが、幽谷の死後、9代藩主となった列公水戸斉昭は幽谷の海防論と藩財政立て直しの為の経世救民論を受け入れ、それを実行しようと心がけたのだ。
しかしながら、海防を充実するだけの財政余裕はなく、また、藩財政の立て直しに関しても、江戸中期以降発達した商品経済貨幣経済にまったく対応のできない儒教的な農本主義に基づく名分再建論で水戸藩の財政を止めることは出来なかった。
幽谷の儒教的経世救民的財政再建策はなんの効果も無かったものの、度重なる処分や死の覚悟をしてまで藩主に直訴を続けた姿勢と尊王攘夷の気概は、彼の開いた青藍舎を通じて全国の勤王の志士たちに大きな影響を与えることとなったのである。