キーワード 本居宣長 が含まれる動画 : 73 件中 1 - 32 件目
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【【ゆっくり解説】幕府の規制に負けるな!?蔦屋重三郎の最後の戦いに迫れ!!【べらぼう】
https://www.youtube.com/channel/UClDPYDoLKQ9AMaPYeTSgvXQ?sub_confirmation=1
YouTubeでも動画投稿をしています。
#蔦屋重三郎 #べらぼう #しくじり大名
00:00:00 松平定信の寛政の改革について
00:02:40 お上の規制に負けるな!!
00:04:16 朋誠堂喜三二や恋川原町が規制で退場する。
00:10:08 職業作家のきっかけ?滝沢馬琴と山東京伝。
00:12:44 遂に幕府から処罰を受けて、大打撃を受け動揺が走る
00:19:09 浮世絵も幕府の目を切り抜ける。
00:21:23 人材育成にも抜かりがない!!
00:23:30 「写楽」の活動期間が短かった理由は?
00:25:05 本居宣長にアタックして、新たな路線を切り開くが…
00:27:31 蔦屋が残したものは?
00:30:17 蔦屋の話と、今後の動画について…
蔦屋重三郎編の最後の動画です。蔦屋といえばこの絵ですが、一体何を意味しているのでしょうか?それらを見るとともに彼の人生に迫ります。
写真 pixabay
https://pixabay.com/
ふきだしデザイン
https://fukidesign.com/
いらすとや
https://www.irasutoya.com/
BGM
効果音ラボ
https://soundeffect-lab.info/sound/an...
魔王魂
https://maoudamashii.jokersounds.com/
[読み上げ]「うひ山ぶみ」抜粋 現代語譯
元 URL : https://kakuyomu.jp/works/1177354054881814430/episodes/1177354054881814457
読み上げスタッフ:
VOICEBOX : 四国めたん
VOICEBOX:麒ヶ島宗麟
ST076-4 中部台運動公園で見つけた蒸気機関車と、みえこどもの城【松阪駅構内にある名所案内完全制覇の旅リベンジ】
今回は本居宣長の奥墓(おくつき)から中部台運動公園・みえこどもの城へやって来ました。
車なら10分もかからない距離にあるので便利ですが、公共交通機関だと結構大変そうですね…
サムネイルにも使用しているC58 51は紀勢本線などで活躍していた機関車らしいです。
当動画関連サイト・チャンネルはこちら↓
公益財団法人 三重こどもわかもの育成財団さま
http://www.mie-cc.or.jp/
松阪市 中部台運動公園
https://www.city.matsusaka.mie.jp/site/sports/1.html
関連動画はこちら↓
代表やまりょうTwitter(お気軽にアクセス下さい)
https://twitter.com/YamaRyoh
ST076-3 本居宣長の奥墓(おくつき)③奥墓にいる ヘビは天を眺める【松阪駅構内にある名所案内完全制覇の旅リベンジ】
今回遂に、思わぬ所でヘビさんのご登場です。
大人しいヘビなのを良い事に、サムネで使える程どアップで撮影させて頂きました。
当動画関連サイト・チャンネルはこちら↓
三重県観光連盟さま公式サイト 観光三重
本居宣長奥墓
https://www.kankomie.or.jp/spot/detail_4391.html
本居宣長記念館さま(自画自賛画像引用)
https://www.norinagakinenkan.com/norinaga/kaisetsu/tabi_jigazo.html
関連動画はこちら↓
ST074 東青山駅構内にある名所案内完全制覇の旅
https://www.nicovideo.jp/series/336386
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ST076-2 本居宣長の奥墓(おくつき)②妙楽寺~奥墓散策【松阪駅構内にある名所案内完全制覇の旅リベンジ】
今回は妙楽寺から山を登って本居宣長の奥墓(おくつき)までやってきました。
造詣深い遺構も数々あって、凄いですね!
なお、今回はヘビは出ません。
当動画関連サイト・チャンネルはこちら↓
三重県観光連盟さま公式サイト 観光三重
本居宣長奥墓
https://www.kankomie.or.jp/spot/detail_4391.html
本居宣長記念館さま(自画自賛画像引用)
https://www.norinagakinenkan.com/norinaga/kaisetsu/tabi_jigazo.html
関連動画はこちら↓
ST074 東青山駅構内にある名所案内完全制覇の旅
https://www.nicovideo.jp/series/336386
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ST076-1 本居宣長の奥墓(おくつき)①企画発表~妙楽寺散策【松阪駅構内にある名所案内完全制覇の旅リベンジ】
今回はリベンジ企画。【松阪駅構内にある名所案内完全制覇の旅】シリーズで訪問する事が出来なかった残りの名所を完全制覇したいと思います。
ただし郊外著しい場所ばかりであるため、今回は車を使って移動していきます。
当動画関連サイト・チャンネルはこちら↓
三重県観光連盟さま公式サイト 観光三重
妙楽寺
https://www.kankomie.or.jp/spot/detail_8883.html
本居宣長奥墓
https://www.kankomie.or.jp/spot/detail_4391.html
関連動画はこちら↓
よんつべ060 松阪駅構内にある名所案内完全制覇の旅
https://www.nicovideo.jp/series/336106
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https://twitter.com/YamaRyoh
よんつべ060-11 松阪神社に併設されている本居宣長ノ宮を参り、内五曲経由で松坂市民文化会館を目指す【松阪駅構内にある名所案内完全制覇の旅】
今回は松阪神社から内五曲町を経由して川井町にある松阪市民文化会館(クラギ文化会館)を目指します。
途中に出てくる巨大なこいのぼり群は次回特集します。
よんつべ060-10 るろうに剣心の撮影地にもなった御城番屋敷とアマビエ縁の松阪神社を参る【松阪駅構内にある名所案内完全制覇の旅】
今回は松阪城跡・本居宣長記念館等と隣接している御城番屋敷(ごじょうばんやしき)へやって来ました。
何でも、るろうに剣心の撮影地になった事で注目度が上がっているそうです。
当動画関連サイト・チャンネルはこちら↓
宮崎本店さま「亀甲宮焼酎」(画像引用)
https://www.miyanoyuki.co.jp/kinmiya.html
宝酒造さま「ソフトアルコール」(画像引用)
https://www.takarashuzo.co.jp/products/soft_alcohol/
よんつべ060-9 本居宣長記念館と鈴屋で教養を深める山田【松阪駅構内にある名所案内完全制覇の旅】
当動画関連サイト・チャンネルはこちら↓
本居宣長記念館さま
https://www.norinagakinenkan.com/
松阪市つーしん さま
御城番屋敷「るろうに剣心最終章」を撮影してた!有村架純さんも松阪市にやってきてたんや!
https://matsusaka-2shin.com/gojyouban-ruroken/
【神道シリーズ・シーズン3】第19回・千家尊福と出雲国造【前編】出雲国造の歴史
朝鮮半島にルーツを持ち、仏教伝来以前の古代より続いてきた出雲信仰を引き継ぐ出雲国造は、1600年以上の歴史を持ち、その歴史は、奈良時代以降に始まった伊勢神宮より古く、そしてその歴史観は朝廷の編纂した古事記・日本書紀とは異なり、独自の出雲伝承のストーリーで語られている。
古き出雲信仰は「出雲風土記」に基づき、新羅より渡来した神・スサノオの神霊を継ぐアメノホヒを始祖とする
出雲氏が、朝廷より管轄を依頼された出雲国造として、朝廷に従属する形で国造職を担ってきたが、大化の改新で国造職が廃止された後も「出雲国造」を名乗りながら出雲信仰信仰圏を維持して行った。
そこでは出雲国造は人ではなく、アメノホヒそのものであり、現人神であった。出雲国造は島根県東北部の意宇の熊野大社を拠点としていたが、平安時代には島根県西北部の杵築に拠点を移し、アメノホヒの神霊の元である
スサノオを、アメノホヒそのものである出雲国造が祀り、中世から近世にかけては天台宗の鰐淵寺と蔵王権現とスサノオの本地垂迹関係を結んでいた。
しかし、江戸時代後期になると、76代国造の千家俊秀の弟・俊信は、本居宣長の門人となり、国学に傾倒するようになった結果、国造に代わって指揮を執り、これまでの天台宗鰐淵寺との本地垂迹関係を解消し、杵築大社の祭神をスサノオから大国主に変更し、平田篤胤による大国主イコール幽界の支配者の思想を採り入れ、出雲信仰はしだいに平田国学の復古神道的となり、国学に基づく出雲神道が形成されることとなった。
こうした背景を持つ出雲国造家は、明治以降、祭政一致を目指す復古神道の思想により、「うつくしよ」と呼ばれた人間界を支配するのは天皇で、「かくりよ」と呼ばれた死後の世界・幽界を支配するのは大国主という顕幽二元論を掲げて新政府の宗教改革政策に積極的に関与したが、明治6年の神道事務局創立の際に起きた、事務局の祭神・造花三神と天照以外に大国主も同時に祀るべきという、所謂「祭神論争」が起き、出雲派はこの論争に敗北することにより、在野で独自の教団を形成する決意をし、明治13年に80代国造の千家尊福が出雲大社教を立ち上げ、政府の管理する神社神道とは異なる独自の信仰路線を進む一方、神秘思想に埋没していった古神道と呼ばれる平田系神道カルト集団とも距離を置き、今日まで続く独自の出雲信仰を形成して行ったのである。
【言靈の幸ふ國】第七回「 鏡 」(「初等科國語 低学年版」より)[桜R4/5/4]
佐波優子が国語の安全保障を探究していく「言靈の幸ふ國」。今回は、歴史物語としての「鑑」と、「初等科國語 低学年版」の中にある、家族の歴史としての「鏡」をご紹介します。
語り部:佐波優子(戦後問題ジャーナリスト)
◆ウイグル「ジェノサイド」国会議員アンケート・集計結果
http://www.ch-sakura.jp/1633.html
◆有料番組 ch桜大学開校!
https://sakura-daigaku.jp/
◆チャンネル桜・別館
https://www.youtube.com/channel/UCGbSDhzR4hbRAmSuRK-z_ng
※チャンネル桜では、自由且つ独立不羈の放送を守るため、『日本文化チャンネル桜二千人委員会』の会員を募集しております。以下のページでご案内申し上げておりますので、全国草莽の皆様のご理解、ご協力を、何卒宜しくお願い申し上げます。
http://www.ch-sakura.jp/579.html
◆チャンネル桜公式HP
http://www.ch-sakura.jp/
ゆっくりと見る土蜘蛛~学者編~【妖怪解説】
新シリーズです
土蜘蛛について解説していきます!!
Youtubeでも投稿しているので興味ある人はぜひ!
AIきりたん「浜松市歌」(初代)
【作詞家・森鴎外特集】後編
大正10年に制定された浜松市歌です。作詞は森鴎外、作曲は本居宣長の子孫である本居長世が担当しました。歌詞中に出てくる「翁」とは、本居宣長が師事したことで知られる浜松出身の賀茂真淵です。鴎外の気遣いでしょうか。
市町村合併で浜松市の範囲が変わったことから、現在は2代目が制定されています。
歌詞意訳
貴族が旅姿で
行き交っていた萩原の
昔をつぶさに調べた
賀茂真淵をしのぼう、学問をするなら
国の乱世を鎮めるための
勲功の元としてこの浜松に
城を整えた徳川家康を忘れるな
国を守るなら
もとは引馬の宿駅だった浜松は様変わりして
たくさんの産業が発展しつつある
さあ共に思いめぐらそう
わが浜松市の繁栄を
(動画製作者による意訳です。誤りがありましたら教えて下さい。)
【神道シリーズ・シーズン2】第35回・平田篤胤【前編】平田篤胤の生涯と草莽崛起の国学
安永5年8月24日(1776年10月6日)、現秋田県の出羽久保田藩の大番組頭であった大和田清兵衛祚胤(としたね)の四男として秋田郡久保田城下の中谷地町(現在の秋田市中通4丁目)に生まれたが、家が貧しく、8歳の時に口減らしのために近所の鍼医者の家に養子として出されるが、当家に跡継ぎが生まれたため11歳で大和田家に戻され、その後も実家の義母とは折り合いがあわず、家の中ではやっかい扱いされたうえ、20歳になるとそれまですこしずつためた500文を手にし、実家を後にして単身江戸へと向かった。
江戸についた篤胤は、大八車を引いたり、5代目市川團十郎の飯炊きや三助、火消しなど苦学しながら当時の最新の学問、とくに西洋の医学・地理学・天文学を学びつつ、旗本の武家奉公人となったが、25歳のとき、勤め先で江戸在住の備中松山藩士で山鹿流兵学者であった平田藤兵衛篤穏(あつやす)の目にとまり、才覚を認められて、その養子となり、平田姓を名乗るようになる。
その後26歳で旗本屋敷の奥勤めの娘・織瀬と大恋愛の末結婚し、その織瀬が見つけた本居宣長の本を通じて宣長の国学にのめりこむようになり、亡き宣長を忍んで念じて眠ると夢の中で宣長と邂逅し、宣長門下生となる資格を得た、と言う。
その後知識欲旺盛な篤胤は国学のほかにニコラウス・コペルニクスの地動説やアイザック・ニュートンの万有引力など西洋の最新の科学にまで貪欲に学ぶ一方、37歳の時に書いた「霊能御柱」で自ら打ち立てた霊冥界の理論を実証すべく41歳の時に千葉県の常陸・房総半島を廻り、数々のスピリチュアルな体験を地元の名士たちから集め、それを彼の国学理論で説明するなかしだいに彼自身の門人の数を増やして行った。
そして、46歳の時、神仙界を訪れ、そこの住人たちから呪術の修行を受けて、帰ってきたという寅吉という15歳の少年に出会うと彼を自宅に居候させ、少年の言う神仙界を自ら主張する霊冥界を重ねながら聞き取り調査を続けた。
その後、48歳の時には、死んだ近くに住む子供の生まれ変わりだと主張する勝五郎という6歳の少年も同様に自宅に住まわせて寅吉のように聞き取りを行った。
こうした奇異ともとれる篤胤の行動は、宣長派の国学者たちから激しい批判を浴びる一方、当時の一級の知識人たちから賞賛や高い評価を受け、この草莽崛起ともいえる民衆の間に広まった平田国学は、幕末の倒幕運動に大きな影響を与えると同時に、明治以降の廃仏毀釈運動や、日清日露戦争、そして第二次世界大戦にまい進する日本の狂気を最高潮にまで高めていく平田後継者たちによる神道系新興宗教の勃興と拡大に大きく貢献していくのであった。
【神道シリーズ・シーズン2】第29回・本居宣長【後編】「直毘霊」「古事記伝」と妄想的皇国至上主義へ (2)
医者になるために京都に遊学し、堀景山から医学のみならず契沖や荻生徂徠などの国学を学んだ宣長は、松坂の一夜で出会った賀茂真淵の指導の下、万葉集の読解に精を出したが、興味の方向は、真淵の嫌う中世風の源氏物語や新古今集で、次第に粗削りで素朴な古代日本人を好む真淵の教えから離れて、優雅で儒仏の影響を受けた中世文学を溺愛するようになった。
しかし、その一方では宣長がライフワークとした古事記の解釈研究にも取り組み、次第に宣長の思想は、皇国日本を中心とする強烈な国粋主義に走って行き、万葉仮名や日本語文法の研究、そして独自の字音仮名の開発とともに独善的とも言える唯我独尊的な古事記解釈を進めて行った。
源氏物語を溺愛した宣長は、一方では男女の色恋事の不条理や不貞行為を肯定的に受け止める「もののあわれ」の感情を日本人の気質とし、またその一方では、
太陽の神アマテラスを皇祖皇宗として戴く皇国日本は、その末裔たる天皇が国を治め、今日まで持続してることこそ日本が世界を君臨すべき地位になると豪語するような、ある意味偏狭とも言えるウルトラナショナリズム的な主張をする、という両極端な思想に走って行くのであった。
儒仏や道家を嫌う宣長は、外来の思想が入ってくる以前の皇国日本には「皇国の正音」というオリジナルな日本語があり、古事記に書かれたような日本の神々の信仰があったのだという主張の下、古事記をバイブル視するようになるが、残念ながらその主張の根拠となるものはなく、そこを同じ国学者の上田秋成から突かれた宣長は「あるからあるんだ」的な強弁になり、宣長は自ら作った復古神道にますますのめりこんで行った。
古事記を一般人が読める書にした宣長の功績は大きいものの、誇大妄想とも言える皇国日本中心主義は、皮肉なことに幕末の水戸藩天狗党の悲劇や昭和の日中戦争、太平洋戦争推進のスローガンともなり、戦後も日本保守運動の骨格部分となったのであった。
【神道シリーズ・シーズン2】第28回・本居宣長【前編】日本の「ジャック・デリダ」宣長の字音仮名遣
本居宣長は享保15年(1730年)6月伊勢国松坂(現在の三重県松阪市)の木綿仲買商である小津家の次男として生まれ、8歳で寺子屋に学び、11歳で父を亡くし、16歳で商売見習のため江戸大伝馬町にある叔父の店に寄宿していたが、19歳で松坂に帰省すると、伊勢山田の紙商兼御師の今井田家の養子となるが、3年後、寛延3年(1750年)離縁して松坂に帰り、このころから和歌を詠み始めた。
22歳になると義理の兄が亡くなったため実家のあきないを継ぐが商売に関心はなく、店を整理して母と相談の上、医師を志し、京都へ遊学することとなった。
京都では医師で儒学者でもあった堀景山にに師事し、寄宿して漢学や国学などを学んだ。
景山は朱子学者でありながら反朱子学の荻生徂徠にも興味を示し、また国学者契沖の支援者でもあった。
宣長は、景山の影響で荻生徂徠や契沖の思想にも出会うこととなり、これが契機で国学への道を歩むことを決意したのである。
27歳になった5年後には地元松坂に戻り医者として開業し医業をはじめることになった。
そのかたわら自宅で『源氏物語』の講義や『日本書紀』の研究に励み、そして33歳になった時、大和から江戸への帰途で伊勢神宮に参宮しようとしていた賀茂真淵が松坂に泊まっていることを知り、宿を突き止めて真淵に邂逅し、いわゆる「松坂の一夜」という生涯で一回限りの真淵との面会を実現したのだ。
その後、真淵の門下生となった宣長は松坂と江戸との間の往復書簡による教授を受け、その関係は6年間続くもものの、正風体で書かれた万葉集ではなく、異風体で書かれた源氏物語や新古今集に興味を示した宣長は真淵の逆鱗になり絶縁されることとなった。
その後宣長は、71歳で世を去るまでの30年以上の年月を古事記解釈研究や日本語の仮名遣いや文法研究に費やすこととなり、その努力の結果は、「古事記伝」「玉勝間」『源氏物語玉の小櫛』『漢字三音考』などの形で結実することなった。
宣長は、古事記、万葉集などの万葉仮名という漢字当て字で書かれた書に出てくる固有名詞を従来の漢字訓読みから宣長本人が編み出した大和魂の読み方として字音仮名遣いをあてたことは、その後も日本で定着することとなり、あたかも古代よりそのような読み方をしていたのでは?と勘違いしてしまう人が続出するほどであった。
【神道シリーズ】シーズン2・第27回・賀茂真淵(神道論無き日本人アイデンティティーの追求)
元禄10年(1697年)遠江国敷智郡浜松庄伊庭村(現在の静岡県浜松市)で賀茂神社の神職の家に生まれた真淵は、近所の稲荷神社の神職家の杉浦国頭の家に通い、小さな頃から和歌にいそしむ生活をしていたが、26歳の時、京と江戸を行き来していた京都の伏見稲荷大社の神官の家出身の有名歌人・荷田春満が途中浜松の杉浦国頭の催す歌会に寄った際に歴史的な出会いをし、以後、春満が浜松による度に和歌の手ほどきを受けたが、やがて37歳になると春満の門人になることを目指し上京し、以後、7年後に春満が死ぬまで真淵は京都と浜松を行き来した。
その後、時の将軍徳川吉宗の次男で、徳川御三卿の一つ田安家の当主となった田安宗武に使えていた春満の末子の荷田在満の勧めで江戸に出向した真淵は、春満の弟の荷田信名の江戸宅をひきりに、荷田家人脈の門人を頼りに寄宿し、やがて江戸の豪商・村田春海の家に寄宿することとなり、和歌研究と著述の日にあけくれた。
やがて、50歳の時に荷田在満の推薦で、田安宗武に和学御用として仕えることとなり、
以後、64歳で隠居するまでの14年間宗武の下で仕える事となった。
その間に、新古今和歌集を推す在満と万葉集を推す宗武の間で、所謂「国歌八論」論争というものが起き、在満は新古今和歌集の技巧を重んじ、宗武は万葉集の中に現れる儒教的な「ことわり」を重視し、この埋まらない対立の末、在満は田安家を去る事となり、残った真淵は、万葉集支持の立場より宗武の側についたものの、和歌を儒教の六経の詩経の道徳観や儒教独特の勧善懲悪的な和歌評価には賛同できず、両者の見解の深い溝は埋まらぬまま真淵は粛々と独自の万葉集研究を続けた。
真淵はその後64歳になって隠居生活に入るが、宝暦13年(1763年)に宗武の命により
大和を訪ねた際、その江戸への帰り道で三重県の松坂に寄り、真淵門下入門を志していた青年・本居宣長と両者生涯一回限りの面会を果たし、そこで宣長は古事記注釈書作成への情熱を熱く語ったと言う。
賀茂真淵の生涯の圧倒的部分は万葉集研究に注がれ、真淵がその中に見出したのは、自由奔放で雄々しく素朴で、しかもみやびある古代日本人であり、それは「ますらおぶり」という言葉で表現されている。
しかし、真淵の神道に関する関心は低く、「天皇は日本の風土に合っている」とは述べたものの、その根拠は語られず、しかも、後の国学者たちのように独自の神道理論を構築しようとする姿勢は見られず、あくまで古代の日本人という日本人のアイデンティティー追求に人生をかけていたと言える。
【神道シリーズ・シーズン2】第25回・荻生徂徠(古文辞学の立場より孔子・朱子批判)
江戸時代に入り、林羅山、山崎闇斎、中江藤樹など朱子学や陽明学の研究は全盛となり、本来の古典的な儒教の教えが隅に押しやられてしまっていた中、古学派の伊藤仁斎は儒教本来の孔子が論語で訴えた徳目修身の原点に立ち返り朱子学・陽明学を批判していたところ、苦学独学で儒教を習得した荻生徂徠はその伊藤仁斎の朱子学批判では飽き足らず、孔子の論語ではなく、孔子以前に中国の先王聖人らが打ち立てた礼楽刑政の思想に立ち返り、先王たちの礼楽を
たんなる仁義礼智という、個人で習得すべし徳目として把握していた孔子を痛烈に批判し、さらにはその孔子の論語の立場にたつ伊藤仁斎も厳しく批判した。
荻生徂徠は、孔子とか朱子と言った先王聖人の時代からみて後世の学者たちによる六経の偏向的解釈を論破する為、古代の中国語を学び、五経も日本語の訓読みではなく、オリジナルの中国語の発音で読み理解するという方法論を採った。
そこから徂徠が得たものとは、本当に理解すべきは堯舜以前の時代から先王たちにより築かれて行った経世済民を目指す礼楽の制度そのものがあればこそ民は仁義礼智のような徳を身に着けた民なれ、天下も丸く治まるのだ、という政治制度の重要さで、それを孔子や朱子のように個人の努力で皆が徳目を習得する修身に心がけるとか、宇宙の理と個人の性を一致させる努力などに歪曲して解釈されてることが許せなかったのである。
尚、この徂徠の、古典をその時代の言葉で読み解くという古文辞学という方法論は、対象はまったく異なるものの、後の国学者本居宣長の古事記の万葉仮名読みによる分析にも引き継がれていくことなり、この宣長の古事記解釈はその後の復古神道を産むきっかけとなり、一方荻生徂徠はその復古神道派からは中国かぶれの批判的評価が下されるという皮肉な運命になるのであった。
現代語訳 日本書紀 11 神日本磐余彦尊ら四男神の誕生
訂正:『現代語訳 日本書紀 10-1・10-2』で、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊をヒコナギサタケウカヤフキア『エ』ズノミコトと読み上げていましたが、国立国会図書館のデジタルコレクションを辿ってみて、正確にはウカヤフキア『ワセ』ズであるとの結論に到りました。
江戸時代に古事記傳を表した本居宣長が、それまでは書き込まれていた読み仮名を省略した為、誤った読みが広まってしまったのではないかと思います。今後はフキア『ワセ』ズに統一します。
sm38420150←前 次→sm38733310 本マイリスト mylist/66915031
★重要案件★ mylist/59301018 ★重要案件★
これまでの投稿一本目リンク mylist/64652153
その他 単発 mylist/58087302
3分で流す日本思想 本居宣長『うひ山ぶみ』
「道を学ばんとする心ざすともがらは、第一に漢意儒意を清く濯ぎ去て、やまと魂をかたくすることを要とすべし。」
前:sm37613130
次:sm37751115
思想:mylist/69237326
文学:mylist/72373795
本居宣長(1730-1801)
うひ山ぶみ(1798)
本居宣長記念館のホームページで原文が読めます。
http://www.norinagakinenkan.com/norinaga/shiryo/uiyamabumi.html
音楽:おとわび(https://otowabi.com/)
【重音テト】月影も見し春の夜の夢ばかり霞に残るあけぼのの空【夜すみてつ】
『夜』をつけると流行ると聞いたもので
歌:重音テト
作:夜すみてつ
詠:本居宣長『月影も見し春の夜の夢ばかり 霞に残るあけぼのの空』
マイリスト:mylist/66017153
piapro: https://piapro.jp/sumitetu
Twitter: https://twitter.com/sumitetuitter
「第十三回」 きりぶん。 「上田秋成」
ぽっかり空いた日にやることとしては、動画投稿はイイ感じになっていることが我ながら感じております。
いつもよりも早い時間にあげることができたのも、偶然にも時間が取れたおかげですね。
P/S 今日は音街ウナちゃんの誕生日だそうで、まだうちには来てないのですが、ひっそり祝おうと思います。
前回 sm37231811
第一回 sm36818200
【第二十九回】きりたんの、文学ラジオ。 【本居宣長】 sm36105815
Twitter https://twitter.com/tyuruin
干し芋 https://www.amazon.co.jp/hz/wishlist/ls/3KUQ8O66XFDPW/ref=nav_wishlist_lists_1?_encoding=UTF8&type=wishlist
橋爪大三郎×仲俣暁生×さやわか 「『橋本治』とはなにものだったのか――優しいお人好しをめぐって」(2019/7/11収録)@solar1964 @someru
【収録時のイベント概要】
今年(2019年)1月、橋本治が70歳で亡くなった。
1977年のデビュー作『桃尻娘』に始まり、小説、翻案、戯曲、評論、エッセイなど、
42年のキャリアで発表した著作は200冊を優に超える。
橋本治は東大在学中から注目を集めていた。
東大駒場祭のポスター「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」はあまりにも有名だ。
その後イラストレーターを経て小説家としてデビューし、1989年には『男の編み物』で注目を集めた。『桃尻語訳 枕草子』『窯変源氏物語』『双調平家物語』など古典の現代語訳、『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』といった文芸評論、歌舞伎・浄瑠璃・義太夫の入門書、時評・社会評論など、分野を超える業績は枚挙に暇がない。
東大の一年後輩にあたる橋爪大三郎は、橋本治の早すぎる死を悼み、
彼を「一人で藤原定家、契沖、本居宣長、近松門左衛門、鶴屋南北、
福沢諭吉、小林秀雄を兼ね備えたようなひと」とたとえている
(「追悼・橋本治さん 権威から自由 批評鋭く」)。
評論家の仲俣暁生は橋本治を「未完の『小説家』」とし、
村上龍、村上春樹、高橋源一郎といったポストモダニズムの作家たちと一線を画す、
日本の現代文学のキーパーソンと位置づけている
(「1983年の廃墟とワンダーランド――橋本治という未完の「小説家」について」)。
しかし橋本治自身が「位置づけ」を拒んでこともあり、その評価はいまだ定まらない。
ライターのさやわかは、橋本治を自身の仕事のモデルに掲げている
(「八匹目の終わりと始まり」、『ユリイカ 5月臨時増刊号 (総特集)橋本治』)。
漫画、ゲーム、映画、文学と題材を選ばず、「何だかよくわからない」書き手。
そして、冷たい世の中にあって、度を越して「優しすぎるし、お人好しすぎる」人。そういう書き手になろうと思うのだと。
結局のところ、「橋本治」とはなにものだったのだろうか。
それぞれの仕方でその仕事を追い続けてきた橋爪大三郎、仲俣暁生、さやわかが、いまだ謎めいた巨人・橋本治を語り尽くす。
【イベントのページ】
https://genron-cafe.jp/event/20190711/
【第二十九回】きりたんの、文学ラジオ。 【本居宣長】
今回は作家という観点から一歩先んじた感じで研究者という目線で見てみました。
ちなみに源氏物語で一番好きな登場人物は明石の君です。
マジカル交換で色違いこないかなあ(遠い目
前回 sm36076485
part1 sm35218729
https://twitter.com/tyuruin
ボイロラジオシリーズ https://www.nicovideo.jp/series/5687?ref=my_series
干し芋 https://www.amazon.co.jp/hz/wishlist/ls
【クッキー☆人狼】月下闇鍋☆ 4村目の4
5日目です
今回の村は人狼動画というよりBB劇場みたいな感覚で見た方がいいかもしれません
入村方法 ar1314285 仕様紹介・変更(9/16) ar1625006 4村目アレコレ(ネタバレ有) ar1672570
るる鯖の動画もはじまったらしいっすよ? → sm33928558
月下人狼鯖のク☆村はク☆知識あれば入村OKです
名前が出る関係上、観戦であっても複数の村で発言する行為はマナー違反となっております
村が建つのはるるが21時頃、月下が22時頃からです
るる鯖 http://ruru-jinro.net/ 月下人狼鯖 http://jinrou.uhyohyo.net/
月下人狼公式ドキュメント(役職説明他) http://jinrou-doc.uhyohyo.net/
月下人狼動画マイリス mylist/58363794 一部音素材は魔王魂様からお借りしてます
前村 sm31623717 前日 sm33801710 ← → 次
茶番終了 #3:14 村詳細 #13:10
以下広告者兄貴達 ありがとー!
みこみこ タンヤオ KOMI hm 蒟蒻 留年 てて it0801 ibuki YN 月下KNN狂人 nakajiman まっか
COSiNE でりSKR 狼と化した先輩 あると 無能 真冬の夜の淫夢 ナオキ MA・ISKR姉貴
武田勝頼(淫夢) アーサー 幽輝 Frank Costello suidousui よらべしらべ そうへい くろさる 澪田ディン
ロベルアクベル mini_me 化調兄貴 んぎ 狐玉露 志賀 本居宣長
野獣先輩アマテラス説
うわあ なんだか凄いことになっちゃったぞ
長いけど最後まで見てくれよな~頼むよ~
使用楽曲>>Losstime Life『不老不死』 フルバージョンはこ↑こ↓https://booth.pm/ja/items/212998
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ありがとうございます…
渡部直己×大澤聡「批評という快楽——『日本批評大全』徹底解剖」【2017/3/3収録】 @sat_osawa
2017年1月、批評家・渡部直己による『日本批評大全』(河出書房新社)が刊行された。上田秋成、本居宣長から蓮實重彦、柄谷行人まで、近現代の批評の珠玉の70編を集め、そのすべてに優れた解題が付された労作である。1776年から1980年までの200年から渡部が厳選した70編の批評文には、解題のみならず、それぞれ鍵となる一行が抜き書きされている。多面的に提示される批評の魅力に、読者は否応なく引き込まれてしまう。批評は病であるだけでなく、快楽でもあるのだ。日本の批評を味わうとはいったいどういうことなのか。『日本批評大全』の編著者渡部直己と、その刊行をサポートした大澤聡が、批評の愉しみを語り尽くす!
【イベントのページ】
http://genron-cafe.jp/event/20170303/
【頑固亭異聞】日本人と桜[桜H29/4/4]
守るべきものと、正すべきもの。日本のために論陣を張ってきた“ガンコ者たち”が集い、時事をはじめとする様々なテーマについて、互いに一家言を交えていきます!
キャスター:三輪和雄・佐波優子・富岡幸一郎
■ 日本人と桜
※チャンネル桜では、自由且つ独立不羈の放送を守るため、『日本文化チャンネル桜二千人委員会』の会員を募集しております。以下のページでご案内申し上げておりますので、全国草莽の皆様のご理解、ご協力を、何卒宜しくお願い申し上げます。
http://www.ch-sakura.jp/579.html
◆チャンネル桜公式HP
http://www.ch-sakura.jp/
44 まとめ『誰が日本人に漢字の読みを教えたか』後篇
「誰が日本人に漢字の読みを教えたか」 最終回です。
本居宣長の発見から生まれた上代特殊仮名遣。
そこから、専門家は、古代日本語には8つの母音が存在した、と結論付けました。
そして、その判断は、古代日本語のみならず、
古代中国語、古代韓国語をも巻き込んでしまいました。
マイリスト mylist/55278879
前回 「43 まとめ『誰が日本人に漢字の読みを教えたか』前篇」nm30446664
次回 「R1 漢漢変換」nm32228168
ブログ http://ameblo.jp/madarayuki/