キーワード 熊毛神社論社 が含まれる動画 : 9 件中 1 - 9 件目
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高照寺山麓 祖生(そお)新宮神社、長寶寺(創建1200年)岩国市周東町祖生(旧玖珂郡周東町)
一分弱登山動画祭であげた氷室ヶ岳の関連として山向こうの祖生(そお)を散策します。
山口県の東部の周防(すおう)旧玖珂郡を廻りました。
この日の行程〜まず旧山陽道を経由して難所の中峠を越えて玖珂(くが)市街に向かわず周東町祖生ヘの道をたどりました(これは毎回定番コースです)新宮神社、長寶寺を回り〜この後先に動画をうpした藤生の松巖院へ行きました。動画は新宮神社から〜
新宮神社」
岩国市周東町 祖生(そお)にある古社。社殿の姿が大変いいです^^
この地はお盆にある「柱松」などの伝統行事で有名。
かつて祖生は厳島神社別当寺 水精寺(今の大聖院の前身)の寺領であったそうでその関係で大内氏の名により源宗光が厳島明神を勧請したという。社(やしろ)はそれ以前から存在した模様。
江戸時代は吉川氏の祈願所だった。
他に祖生には近くに延喜式内熊毛神社論社「岩隈八幡宮」(古い方)などもあります。
洪福山 長寶寺(ちょうほうじ) 観音霊場の 創建1200年は経つと思われるの古刹
行基菩薩が行脚中に高照山中の高所に補陀落に似た場所を見つけ観音菩薩像を彫り祀ったことから
始まった縁起がある。創建時は密教寺院で大同年間の記録などもあるようです〜1338年普明国師により臨済宗に変わり中興されたが江戸時代古い伽藍を焼失したのち現在地へ寺院を降ろしたということです。
山門をくぐると大変見晴らしのいい境内があり本堂がある。
一段高い場所に観音堂があり、十一面観音菩薩を祀る。
周防三十三ヶ所観音霊場二番。この霊場は大内弘世が勧請した霊場で古いものである。
霊場のHPによれば観音菩薩像は見た感じから藤原期(平安時代)の作ではないかとの記述もあった。
33年毎開帳の秘仏で明治以後は7年ごとにのみ開帳されています。
周防33ヶ所観音霊場、長寶寺サイト参照。
修正機能試してみた いいね^^
岩国 祖生 岩隈八幡宮!
祖生にある岩隈八幡宮に行って来ました!
神社巡り→series/251647
戦国武将のお墓参り→series/238035
偉人に会いに行く→series/210538
歴史探訪など巡り→series/256690
うま娘プリティーダービーseries/262381
とある日常→series/228088
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岩国の神社巡り〜延喜式内社論社 岩隈八幡宮(令和二年春)岩国市玖珂(久重山)
岩隈八幡宮(旧玖珂の総鎮守)〜元来は熊毛大神を祀っていたと云われる。
和銅七年(714年)宇佐八幡宮より勧請、初め下祖生にあったものを元禄四年(1691年)参勤交代の大名の参詣に便利な様に吉川広紀 (ひろのり)公により遷座された。
玖珂の三市をはじめとして、近郷53ヶ村の 総氏神であった(山口県歴史散歩より)
情報がないので詳細は不明だが、社殿はおそらく古いものを移築したものではないかと思われる。
その後、下祖生(現岩国市周東町)に災害が続くので元の岩隈山に神社は再勧請されて居ます。動画あり。
延喜式内社熊毛神社論社(元は下祖生なのでまあそちらが本来の論社でしょうね)ただ熊毛郡から延喜式神名帳の時代には玖珂郡は分離していたらしいっす。相当な古社は間違いない。
国道から入口が狭いので一昨年まで参拝を躊躇っていました。狭いの入り口だけで車でも入れます中は広い駐車場あり。残念ながら宮司さんは今は居られないので、高森の椙杜八幡宮で祭祀をされていますからそちらで希望なら御朱印はいただけます。
国道437号線が岩徳線をくぐり国道2号線と合流する辺り〜国道2号線の脇に参道への入口がある(古い狛犬がある)入り口が狭いが車で入れる。わずか山の方へ入ると駐車場あり、さらに拝殿下広場へも入れるが道が狭い。令和三年初詣に行きましたら宮司さんが新たに就任されていました^^
まあ山なので静かで雰囲気はいいです。杉などの大きな木もあったりします。社殿が大きくて見事。 境内者宗本神社の石鳥居からの眺めがいいですね。
防長路巡り https://www.nicovideo.jp/series/19894?ref=user_series
<山口県の神社>石造の参道が美しい 鎮座九百年 旧郷社「賀茂神社」 山口県柳井市 伊保庄( UonoSyou)
周防国旧熊毛郡 伊保庄(うおのしょう)の賀茂神社。
賀茂神社にある、県下で二番目に古い在銘石鳥居は柳井市の重要文化財指定。
阿月の領主=乃美元貞(後の浦元種)が願主として寄進したものという。
本殿は明治時代の再建ながら地元山口県の名工の差配によるもので見事な造りである。
大変趣のある境内で参道の石畳などがよい。神社の向こうに島陰や海も見える。
初秋ながら境内は名残の蝉時雨 聞こえた。
900年前に創建され古社で、京都の賀茂神社の神霊を勧請して奉斎したもの。
由緒=寛治7年宮中の武陵伝の行事〜競馬会(うまくらべえ)が、京都賀茂神社にて催されることになった時に20箇所の荘園が寄進されたがその一つがここ伊保庄。その縁で分祀されたお社。
背後の森は市の天然記念物指定で植物の種も多く大木も多いという。
延喜式内社熊毛神社論社にもなっている、これは当社へ合祀されている古社の祭神が熊毛大神なのでその古社の関係らしいです。
令和2年9月初秋に訪問した。この後 大星山へ向かった。
<山口県の神社>(延喜式内社 熊毛神社論社) 柳井市伊保庄 「賀茂神社」
山口県柳井市伊保庄 この地は堀河天皇の時代 賀茂別雷神社(上賀茂にて宮中武陵殿の競馬会が行われることになり二十箇所の荘園が寄進されたがその一つ)の荘園とされていたところ。その頃勧請されたのもののようです。防長風土注進には下賀茂から勧請と記載されているそうですが・・・。
熊毛半島(室津半島)の東側 周防大島を望む伊保庄(いほのしょう 古い呼び方だと〜うおのしょう)にある古社。
御祭神 賀茂別雷神 玉依姫 三毛入野命(後年合祀された古社)
旧社格 郷社 延喜式内社熊毛神社論社( 他の論社は高水の大歳神社、勝間の熊毛神社、岩国祖生の岩隈八幡宮)
祭神はもともと祀られた賀茂神に後に三毛入野命(熊毛神)を祀る古社が合祀されたようです。
ここの参拝の見所は、在銘石鳥居〜参道と本殿 明治に再建された建築で姿がいい。実に見事な社殿である。社殿奥の社叢は市の天然記念物指定。
境内も広く明るいので雰囲気も良い。この日は15時くらいに訪問した。周りは田園 昔より家が増えてる気がします。初夏 間近 時々蛙の声がしていました。
境内社に貴船八幡宮がある。
室津半島に賀茂神社は伊保庄や相ノ浦などに計4箇所ほどあるようです。相ノ浦の方はそうとう昔ですが、室津半島の皇座山へ登山の時(登山口が相ノ浦)に参拝したことがあります。
室津半島の西側平生町にある古刹 般若寺の帰りに立ち寄る(賀茂神社参拝が主目的でしたが)参拝は多分3回目かな。普段は人も少ないので静かに参拝でしきます 御由緒も深い神社であります。
朱印の有無は不明(境内に記載はなかった)この後上関寄りの阿月へ向かいました。
2020.4初旬 記録
西国街道(旧山陽道)車載で峠越えと周防熊毛郡 呼坂(よびさか)宿の街並み風景と徳修館
周防国 呼坂(よぶさか)の宿場を車載と散策しました(いくつか修正して再度上げ直しました)
玖珂郡の周防高森 高森天神前〜車載で中山峠を越えて旧熊毛郡に入ります。
高森天神前〜中山峠〜(県道142号)〜高水村塾跡〜呼坂宿散策〜安田の徳修館跡の聖堂のある公園と孔子像。
昔この県道142号は迷い込んで走ったことがありました。
正覚寺、高水村塾跡〜しばらく行くと高水駅に至る。駅からまっすぐ西へ行くと呼坂宿跡のある通りへ。
去年高水駅方面は烏帽子岳登山できています。
この高水辺りに熊毛神社論社の大歳神社があるはずなんですが見つかりませんでした。
昔の家並みも少し残っていますのでまあまあいいです。駐車場探すのが大変ですけど。
余談ですが、鶴声軒のモナカ(柚白餡)が美味しかったので後日また買いに行っちゃいましたw 店主さんがとってもいい方ですよ^^
山陽自動車道熊毛インターに近い、安田地区にある 徳修館は、江戸時代付近の三丘領主毛利藩一門の宍戸家の郷校(領内の学校)のあった場所。
史跡指定建物は聖堂(孔子や孟子などを祀ってある)で周辺は公園。孔子像は孔子の故郷の支那から贈られたもの(その頃は友好的だったんだろうね)
さらにこの安田地区から少し東へ行くと清尾地区にいたり、周南七福神の真言宗三光寺やかつては熊野三所権現を祀っていた古社の高水神社があり(いつ行きましても掃き清められていてすがすがしいです)
高水神社の奥の院が夫婦岩という影向の巨岩で三光寺から登れるそうですがまだ登拝はしたことがないんですけどね。確実登山でしょう。
徳修館の近くにに宍戸家館もあったそうで今も子孫の方が住んでおられるそうです。
近くにはラドン温泉の呼鶴温泉や三丘温泉などもありドライブがてらにいいですね。
間違えて 違うタイトル読み込み間違いしてました・・すいません ^^; 直しました。2019 春
周防旧玖珂郡の古社 岩隈八幡宮、椙杜八幡宮参拝 (岩国市玖珂町、周東町)
玖珂・岩隈八幡宮(いわくまはちまんぐう)玖珂六郷総鎮守 旧県社
元玖珂郡 下祖生にあった神社(延喜式内社熊毛神社論社)もとは三毛入野命などを祀っていたものですが和銅四年八幡神を勧請したといわれる。
江戸時代1691年(元禄四年)に玖珂の久重山麓へ遷座した。岩国領主吉川広紀公(ひろのり)の頃のこと。山の中の神社だが国道二号線から車で入れるので便利(岩国から欽明で玖珂に入って入口に石柱と狛犬がある)鳥居の奥に1箇所、狭いが拝殿下にも駐車できます。
高い木々の茂る山中なので参拝は晴れた日や明るい時間帯の方がいいかなと思います
現在は宮司さんが新に赴任されました。
本殿は一段高いところにあり 朱に塗られていてなかなか見事なものです。
春先に行き今回再訪しました。いいお天気でよかった。銀杏のみがボトボト落ちていたので秋の気配も。元の下祖生の岩隈山には後に再度勧請して再建された岩隈八幡があります。
椙杜(すぎのもり)八幡宮(小高い泉山の上に鎮座)
周東町下久原にある神社(国道二号線が泉山の裏を通る)である。
創建は建武新政の時代 足利尊氏に従って九州へ下向した御家人太田時直が鶴岡八幡宮から勧請した。
太田時直は(鎌倉幕府問注所初代 三善康信の後裔)玖珂郡の椙杜荘を領地に持っていた。
その後裔は 椙杜氏を称して蓮華山(玖珂の高峰)城を築城、大内氏傘下の国人領主となる。戦国末期以降毛利時代に世継ぎが無く毛利重臣志道家から養子を迎えた。椙杜元縁である。
江戸初期椙杜氏は、長府藩家老として移封されたため八幡宮は奉斎者を欠き衰微甚だしく・・後に 玖珂郡・高森宿の人々により社殿を再興されたという歴史があるそうです。このあたりの 歴史は街道一人旅さんHP参照。
泉山の樹林は林野庁の自然記念物に指定されている。年月が経ち拝殿など相当年季が入っています。
拝殿に絵馬があり風化しているものもあったりお神輿が眠っていました。
泉山の石段が長く高いのがなんともいいですw
10月また参拝してようやく岩隈と椙森八幡神社の御朱印いただいてきました。
歴史的なわからないことは古道一人旅さんのHPで知りました。詳しいですよ^^
周防國 旧玖珂郡 「祖生新宮神社、伊陸 高山寺、氷室亀山神社」日帰り参拝の旅
山口県の西 周防(すおう)の旧玖珂郡 を廻りました。周防西部シリーズ
まず旧山陽道を経由して難所の中峠を越えて玖珂(くが)市街に向かわず周東町祖生ヘの道をたどる。
新緑なので旧道を少し車載してます。
「新宮神社」岩国市周東町 祖生(そお)にある古社
この地はお盆にある「柱松」などの伝統行事で有名。かつて祖生は厳島神社別当寺 水精寺(今の大聖院の前身)の寺領であったそうで その関係で厳島明神を勧請したという。社(やしろ)はそれ以前から存在した模様。社殿奥は木の伐採や土砂が積んであり工事中のようでした。
他に祖生には近くに延喜式内熊毛神社論社「岩隈八幡宮」(古い方)などもあります。
伊陸(いかち)は、柳井市の山間部にある集落 祖生と氷室ケ岳を隔てて南側に位置する地域
「高山寺」足利尊氏直義兄弟が各国に設けた、旧周防安国寺遺構である。多くの修行僧、行者の集う相当な大寺だったようですが 今は火災で焼失し(残念です)本堂や山門が再建されています。 木犀(もくせい)の大木と本堂裏に江戸時代の様式の庭園があるそうです(未見です)
「氷室亀山神社」氷室があったという氷室ケ岳は、周防富士と呼ばれ秀麗な山容で霊峰とされた。 氷室大権現として崇敬された。氷室神社は山の8合目の堂屋敷という場所にあったが、麓の大元の地へ 遷座さらに室町の頃 現在地 氷室池のそばに鎮座した。氷室池は遷座の頃埋められて今はない。
明治以後 亀山神社と菅原神社と合祀され現在の社号となる。
山は細い林道が通り、以前登った時、山頂には石祠が2つかな?いまもある。景色は抜群です。
サムネは周防富士 氷室ケ岳の山容
<山口県神社案内>延喜式内社熊毛神社・論社 岩隈八幡宮〜岩国市周東町祖生(そお)第二稿
岩国市周東町 祖生の岩隈(いわくま)山に鎮座(祖生は同じ旧玖珂郡でも山陽道沿いの玖珂町(くが)からやや内陸)訪れたのは2月(風がまだ冷たかったです)
玖珂から県道70号線に入り玖珂インターを過ぎ 途中左に通津周東線県道115号へ入り少し行くと常夜灯が山の麓にあるのでそこが参道入口。小高い山の上です。
元々は三毛入野命を祀っていたと言われのち八幡神も勧請されたようです。
歴史は古く、熊毛郡の延喜式内社熊毛神社に比定される論社です。
〜勝間の熊毛神社や室津半島の春日神社、高水の大歳神社などいくつか候補がある。
江戸時代に吉川公により、玖珂の久重山麓へ遷座したが、祖生で災害など続き領民の願いで
旧社地へ社殿再建し玖珂の岩隈八幡から祖生へ再勧請した。
現在の社殿は明治初め再建らしく吉川公が資材を寄進しているそうです。
余談
玖珂六郡の総鎮守・玖珂の岩隈八幡は国道2号線沿い(旧山陽道沿い)に今も健在。
しかし先年宮司をされていた社家がなくなられ宮司さん不在のようです。社務所も宮司宅を兼用だったため今はありません。大鳥居の先に駐車場あり〜拝殿前まで車で入れますが道が途中少し狭い。
岩国市周東町高森の椙杜(すぎのもり)八幡宮の連絡先が案内に記載されていましたので宮司代行されている模様。
先月 椙杜八幡宮も行きましたが 椙杜荘の地頭 蓮華山城の椙杜氏(鎌倉幕府問注所初代執事・三善康信の流れをくむ氏族だそうです)により、室町時代に鶴岡八幡宮から勧請された八幡神社で、泉山という木々の茂った小高い岡の上にありました。石段が急ですごいですw 旧山陽道の街道近くです。社殿など そうとう年季が入ってましたので修復とかしたいところでしょうね。