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<ニュース・コメンタリー>集団的自衛権合憲論の妥当性を問う/木村草太氏(首都大学東京都市教養学部准教授)
現行の憲法の下で集団的自衛権の行使は可能であり、安倍政権が進める安全保障関連法案も「合憲」と主張する憲法学者の西修駒沢大名誉教授と百地章日本大教授が6月19日、日本記者クラブで記者会見を行った。
両氏は、集団的自衛権の行使が合憲であることの理由として、日本も加盟している国連の国連憲章51条で集団的自衛権の行使が認められていることや、憲法には集団的自衛権の行使を禁止することが明文化されていないこと、砂川事件判決で最高裁が集団的自衛権の行使を否定していないことなどをあげた。
日本の憲法学者の間では絶対的な少数派と見られている集団的自衛権容認論者の西、百地両氏の主張を検証するとともに、その根拠をどう評価すべきかについて、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が、憲法学者で首都大学東京准教授の木村草太氏と議論した。(木村氏は電話での出演。)
<ニュース・コメンタリーPart2>河野・村山会見にみる今、日本が世界から問われていること/萱野稔人氏(津田塾大学学芸学部教授)
なぜ戦後70年経っても、日本は謝まり続けなければならないのだろうか。
村山富市元首相と河野洋平元官房長官が6月9日、日本記者クラブで会見し、安倍首相がこの夏に発表を予定している戦後70年の首相談話について、歴代内閣の歴史認識を引き継ぐよう注文をつけた。
村山、河野両氏とも、過去の植民地支配と侵略を認めた上で、反省とおわびを表明した村山談話を継承すべきだと語っている。
戦後70年談話について安倍首相は歴代内閣の立場は継承するとしながらも、その中に明確な謝罪の言葉を含めるかどうかについては、これまでのところ言葉を濁している。また、戦後70年たっても、いまだに日本が謝り続けれなければならないことに疑問を持つ人が増えていることも事実だろう。
確かに、本来であれば謝罪は一回でいいという考え方もある。過ちを犯した場合は謝罪をしなければならないが、その謝罪が受け入れられれば、その後で、何度も謝罪を繰り返す必要はないのではないかという考えにも一理ある。
しかし、そこには一つ重要な前提がある。それは、その後も謝罪で表明している済まないという気持ちを、行動で示せているということだ、
口で謝罪をするだけなら誰でもできる。しかし、過ちを認めて謝罪をした以上、その後は、その反省の上に則った行動を取り続けていなければならない。それができないと、何度でも過去の過ちを蒸し返されることになる。
日本は謝罪はするが、反省の意思を見せるのが下手なのではないかとゲストの萱野稔人氏は言う。あるいは、謝罪と反省の識別が明確についていないのかもしれない。
どんなに口で謝罪を繰り返しても、それが真の反省から生じた誠実なものであり、まだその反省が行動で示されていなければ、被害を受けた相手は納得しない。いきおい、それを政治的に利用する余地まで相手側に与えてしまうことになりかねない。
河野、村山会見の映像を参照しつつ、安倍首相の戦後70年談話では何が問われているかについて、津田塾大学の萱野稔人氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
前半はこちら→so26479661
<ニュース・コメンタリーPart1>河野・村山会見にみる今、日本が世界から問われていること/萱野稔人氏(津田塾大学学芸学部教授)
なぜ戦後70年経っても、日本は謝まり続けなければならないのだろうか。
村山富市元首相と河野洋平元官房長官が6月9日、日本記者クラブで会見し、安倍首相がこの夏に発表を予定している戦後70年の首相談話について、歴代内閣の歴史認識を引き継ぐよう注文をつけた。
村山、河野両氏とも、過去の植民地支配と侵略を認めた上で、反省とおわびを表明した村山談話を継承すべきだと語っている。
戦後70年談話について安倍首相は歴代内閣の立場は継承するとしながらも、その中に明確な謝罪の言葉を含めるかどうかについては、これまでのところ言葉を濁している。また、戦後70年たっても、いまだに日本が謝り続けれなければならないことに疑問を持つ人が増えていることも事実だろう。
確かに、本来であれば謝罪は一回でいいという考え方もある。過ちを犯した場合は謝罪をしなければならないが、その謝罪が受け入れられれば、その後で、何度も謝罪を繰り返す必要はないのではないかという考えにも一理ある。
しかし、そこには一つ重要な前提がある。それは、その後も謝罪で表明している済まないという気持ちを、行動で示せているということだ、
口で謝罪をするだけなら誰でもできる。しかし、過ちを認めて謝罪をした以上、その後は、その反省の上に則った行動を取り続けていなければならない。それができないと、何度でも過去の過ちを蒸し返されることになる。
日本は謝罪はするが、反省の意思を見せるのが下手なのではないかとゲストの萱野稔人氏は言う。あるいは、謝罪と反省の識別が明確についていないのかもしれない。
どんなに口で謝罪を繰り返しても、それが真の反省から生じた誠実なものであり、まだその反省が行動で示されていなければ、被害を受けた相手は納得しない。いきおい、それを政治的に利用する余地まで相手側に与えてしまうことになりかねない。
河野、村山会見の映像を参照しつつ、安倍首相の戦後70年談話では何が問われているかについて、津田塾大学の萱野稔人氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
後半はこちら→so26479676
<ニュース・コメンタリー>国民の財産を預かる年金機構には外部監視の目が不可欠だ/郷原信郎氏(弁護士・元年金業務監視委員会委員長)
日本年金機構のコンピューターネットワークがウイルスに感染し、125万件にのぼる年金加入者や受給者の個人情報が外部に流出したことを受けて、昨年3月末まで総務省の年金業務監視委員会の委員長を務めた郷原信郎弁護士は、国民の財産を預かる年金機構には外部監視の目が不可欠であることがあらためて明らかになったと語る。
今回も職員のパソコンに届いたメールを通じて組織内のネットワークがウイルス感染したという事案だが、機構側から不信なメールは開けないよう指示が出ていながら、その指示が徹底されていなかったために、複数の職員がメールを開き、感染していたという。また、社会保険ネットワークから個人情報をコピーして持ち出す場合は必ずパスワードをかける決まりになっていたのに、ほとんどのファイルにパスワードがかかっていなかったという。
民主党政権下で総務省に設置された年金業務監視委員会の委員長として日本年金機構や厚労省年金局の年金業務を監視してきた郷原氏は、昨年3月の任期をもって監視委員会が廃止となった際に、「年金業務を監視する機関が必要」との意見書を総務大臣に提出している。しかし、新藤総務大臣(当時)は、厚労省が独自に監視すれば十分と、これに取り合わなかった。
しかし、今回の情報流出事件で、年金監視機構は内部のガバナンスに問題があり、厚労省には年金機構を監視する能力が欠けていることがあらためて明らかになったと郷原氏は言う。 ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が郷原氏に聞いた。
<ニュース・コメンタリー>日本は人質殺害事件さえまともに検証できなくなった
イスラム過激派組織「イスラム国」による日本人人質殺害事件における日本政府の対応を検証する報告書が、5月21日公表され、政府の対応に「人質の救出の可能性を損ねるような誤りはあったとは言えない」として、政府の対応は妥当だったと結論づけた。
この報告書は内容のいい加減さもさることながら、そもそも政府自身がお手盛りで自分たちの行為を「検証」し、「問題はなかった」と結論付けている時点で、笑止千万といわねばならない。しかも、今回の政府の対応の妥当性を判断する上で、決定的な重要性を握ると見られる、殺害されたジャーナリストの後藤健二氏の妻とは接触もせずに、「問題無し」と結論づけている点も驚きだ。
後藤氏の妻は身代金を要求してきたイスラム国側と接触を続けていたところ、政府からやめるよう命じられ、交渉を断念したという。また、その後も、仲介に入った危機管理コンサルタント経由で開放交渉は続いていたとされているが、安倍首相が1月にエジプトで行ったスピーチで「イスラム国」を名指ししたことで交渉が決裂し、その直後に湯川、後藤両氏が殺害されていた。
この報告書にはそうした一連の経緯が検証対象に含まれていないが、そうした点についてもメディア上で目立った批判などは見られない。政府は自らの行動を検証する能力を失い、メディアや市民社会はそれを監視し、批判する能力を失ってしまったのか。ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
<ニュース・コメンタリー>翁長沖縄県知事が2つの会見で訴えたこと
沖縄県の翁長雄志知事が5月20日、日本記者クラブと日本外国特派員協会で相次いで記者会見を行い、安倍政権が進める名護市辺野古の米軍基地建設の中止をあらためて訴えた。
「沖縄は今日まで、自ら基地を提供したことは一度もなく、銃剣とブルドーザーで基地に変わっていった。自ら土地を奪っておいて、老朽化したから、辺野古が唯一の解決策だ、嫌なら代替案を出せという話をすること自体が日本の政治の堕落だ。」翁長知事はこのように語り、「普天間の危険性の除去」を理由とした辺野古への移転計画の不当性を指摘した。
しかし、2つの会見で翁長氏が繰り返し強調した点は、現在の日本政府が進めている新たな日米安保体制の危うさと、日本政府がこと安全保障に関しては当事者能力を持っていないように振る舞っていることだった。
「新辺野古基地ができなくなった場合の日米安保体制、日米同盟の危うさが、私には見えてきます。私は自由民主党出身ですから、日米安保の大切さはよくわかります。」元々自民党出身で日米安保体制を重視する立場の翁長氏は、現在の日本政府の対米従属ぶりに対する不安を隠さなかった。
翁長知事の2つの会見から見えてきた沖縄の真意を、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
<ニュース・コメンタリー>戦後70年を日本が過去を直視し指導力を発揮する絶好の機会に 欧米の日本研究者ら187人が声明を発表
欧米の日本研究者ら187人が日本政府及び安倍晋三首相に対し、5月4日、過去の植民地支配や侵略の過ちを認めるよう求める声明を出した。
しかし、この声明は名だたる日本の専門家たちによるものだけに、重みがある。また、通り一遍の日本批判ではなく、韓国や中国による慰安婦問題の政治利用を批判し、欧米諸国もまだ歴史と向き合えていないことを認めた上で、それでも日本に対して「過去の過ちについて、できる限り偏見のない清算」を求めるなど、その内容は注目すべき点を多く含んでいる。
米国、ヨーロッパ諸国、日本を含めた、19、20世紀の帝国列強の中で、帝国にまつわる人種差別、植民地主義と戦争、そしてそれらが世界中の無数の市民に与えた苦しみに対して、十分に取り組んだといえる国は、まだどこにもありません」と歴史の清算が欧米諸国にとっても依然として大きな課題として残っていることも指摘している。実際に、今回署名した学者の中には、アメリカによる広島・長崎への原爆投下に批判的な学者や、アメリカの人種政策の問題点を指摘し続けている学者らも多く、決して日本批判を目的とした声明という単純な内容にはなっていない。
われわれ日本人はこの声明文をどう受け止めるべきか。ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
<ニュース・コメンタリー>放送法の中立公平はいかに担保されるべきか
自民党の情報通信戦略調査会が4月17日、NHKとテレビ朝日の幹部を党本部に呼びつけ、聴取を行った。
NHKは「クローズアップ現代」のやらせ問題について、テレビ朝日は元経済産業官僚の古賀茂明氏が、「報道ステーション」で政権批判をしたことについて、それぞれ事情を聞くためだという。
確かに放送局は放送法によって、中立公平な報道を求められている。しかし、放送法が定める中立公平の意味やそれがどのように行使されるべきかについては、政府内にも自民党内にも明らかに混乱があるように見える。
放送法の定める中立公平や不偏不党はあくまで、異なる意見のある問題には異なる視点から報じることを求めているものであって、政府や与党を批判してはいけないという意味は一切含まれていない。また、放送法では「異なる視点」をどのように担保していくかについても、各放送局の裁量に委ねられている。なぜならば、放送法はその第3条において、何人に対しても放送への介入を禁じているからだ。
放送法は同法が定める中立公正原則や不偏不党原則などを口実に放送局に介入することは、政府であろうが自民党であろうが、認めていないのだ。
ところが、現実には当の放送局は放送法によって政府からの自立が保障されているいるにもかかわらず、なぜか政府や政権与党からの圧力に対して極端に弱腰である。
その背後にあるのは、日本独特の放送免許制度だ。日本では政府が放送局に対して直接放送免許を付与している。報道機能を持つ放送局にとって政府は、最も優先的に監視しなければならない対象であることは言うまでのない。しかし、同時、放送局にとって政府は、免許の付与を通じて自分たちの生殺与奪を握る権限を有している存在となっているのだ。
この矛盾を解消しないかぎり、いかに放送法に放送局の自立を保障する条文があろうとも、それがまともに機能するはずがない。
放送が世論に絶大な影響力を持つ以上、無責任な報道や不正確な報道は放置されるべきではない。しかし、それを正す権能を政府や政治権力に与えることで、言論の自由が脅かされる事態は、無責任な放送を放置する以上に問題が多い。
言論の自由に敏感な欧米諸国ではこの難問を解決する手段として、放送免許の付与権限を時の政治権力から一定の独立性を保障された独立行政委員会に委ねているところが多い。また、放送局による極端な政治的偏った報道や公序良俗に反する放送があった場合も、これを正す権限は政府ではなく、政府から独立した有識者会議や独立行政委員会などに与えるなどの工夫が見られる。
そもそも放送法が求める中立公正や不偏不党どはどのようなものなのか。表現の自由を定めた憲法第21条に抵触せずに、放送局に中立公平な報道を求めるためには、どのような方法が適切であり、また可能なのか。
ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が、憲法学者の木村草太と議論した。
<ニュース・コメンタリー>新規制基準では人格権が侵害される恐れがある・福井地裁が高浜原発3、4号機の運転差し止めを決定
「新規制基準は緩やかにすぎ、合理性を欠く。」
福井県高浜町にある関西電力高浜原発3、4号機の再稼働をめぐり、住民らが運転を禁じる仮処分を求めていた裁判で、福井地裁の樋口英明裁判長は4月14日、住民の訴えを認め、原発の再稼働を禁じる決定を下した。
樋口裁判長は原子力規制委員会が原発再稼働の可否を決める根拠となっている新規制基準は「緩やかにすぎ、合理性を欠く」と指摘。新基準を満たしても安全性は確保されないとして、現状のままでは運転はできないと判断した。高浜原発は今年2月に再稼働に向けた規制委の主な審査にパスしていた。
判決では新基準で安全性は確保されないと結論づけ、住民らの「人格権」が侵害される危険性があると認めた。
一般の判決とは異なり、仮処分決定は直ちに法的な拘束力を持つため、今後の司法手続きでこれが覆らない限り、仮に関電が控訴したとしても、高浜原発3、4号機は再稼働はできない。直ちに原発の運転を差し止める司法判断は、これが初めて。
関電は今年11月にも同原発の再稼働を目指していたが、この判決により、11月の最稼働は難しくなったと見られる。
この日の福井地裁の判断は、多くの市民が原発に対して抱いていた不安を代弁したものとなった。
福島第一原発の事故を受けて政府は新たな原発の安全基準を策定した。安倍首相や田中俊一原子力規制委員長は、この新基準が「世界で最も厳しい基準」であることを、繰り返し強調してきた。 しかし、新基準が想定している地震の最大の揺れが、必ずしも十分とはいえないことや、福島の経験から、万が一事故が起きた場合、その影響は広範囲に及ぶにもかかわらず、実行可能な避難計画が策定されていないことなどに対して、特に原発周辺の住民から不安の声があがっていた。
今回の差し止め請求も、高浜原発から50から100キロ圏内に住む福井、京都、大阪、兵庫4府県の住民9人が起こしたものだった。
他にも判決は、使用済み核燃料プールが原子炉のように堅固な施設に囲われていないことを指摘するなど、地震大国の日本で原発を運転することによって生じ選る本質的な問題を多く指摘したものだった。
人格権の侵害を根拠に原発の運転を差し止める判決が下ったことの意味を、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が、憲法学者の木村草太と議論した。
<ニュース・コメンタリー>[辺野古問題は住民投票にかけなければならない]憲法学者の木村草太氏が国会の責任を強調
4月8日の参議院予算委員会で日本を元気にする会代表兼幹事長の松田公太参院議員が、安倍首相に対し、「辺野古の問題は国政の重要事項」かの確認を繰り返し迫るシーンが見られた。そのやりとりの真意を掴みかねて、不思議に思われた方も多かったかもしれない。
ニュースではそのやりとりの中で安倍首相が、菅官房長官が封印した「粛々と」という表現を使ったために、その部分ばかりがクローズアップされてしまったが、実はこのやりとりには、現在政府と沖縄県の意見の相違から閉塞状態に陥っている辺野古問題を解決に導くかもしれない重要なカギが潜んでいた。
この一連のやりとりの中で、安倍首相が、辺野古の問題は「国政の重要事項」であることを認めたことを受けて、松田議員は、もし辺野古の問題が国政の重要事項なのであれば、国権の最高機関である国会の立法が必要になってえしかるべきではないか、と切り出したのだ。そして、国会が審議することになった場合、辺野古に新たに米軍基地を建設することは、名護市に大きな負担を強いることになる立法を策定する以上、憲法95条によって、名護市の住民投票が必要になるのではないかと首相に問うたのだった。
安倍首相は質問の真意を理解したかどうか定かではなかったが、「国民の命と幸せな暮らし、領土、領海を守っていく」ことも、「日米同盟の中において、条約上の義務を果たしていく」ことも、いずれも行政の責任であると回答し、新たな法律は不要であり、「すでにある法令にのっとって粛々と進めて」いく意向を表明した。ここで使った「粛々」の部分だけが、大きなニュースになったのだった。
また、住民投票について安倍首相は、「多様な住民ニーズをより適切に地方公共団体の行政運営に反映させるために、住民の意思を把握する手法として代表民主制を補完するもの」と位置づけ、辺野古への基地の移転については住民投票の目的には沿わないとの考えを示した。
憲法学者で首都大学東京准教授の木村草太氏はこの件で松田議員にアドバイスをしていたことを認めた上で、「政府の辺野古での基地建設は憲法上必要な手続きを踏んでいないので憲法違反と言える」と指摘する。
辺野古での米軍基地の建設が政府にとって国政の重要事項であるならば、憲法41条によって国権の最高機関であることは明確に定められている国会の審議が必要であり、これを経ず政府が独断でこれを決定することは、憲法違反に問われると木村氏は言うのだ。
憲法41条は「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である」ことを定めている。・・・
米軍基地をめぐり、その立地対象となった自治体と政府の意見が真っ向からぶつかり合う形となった場合、憲法はその問題をどのように解決に導いてくれるのか。ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が憲法学者の木村草太氏に聞いた。
<ニュース・コメンタリー>[実害がなければ権利を侵害しないとする判断は妥当か]イスラム教徒に対する捜査情報の流出事件で高裁判決
警視庁の公安部が日本に住むイスラム教徒に対して行っていた内偵捜査の捜査情報が、何者かによって持ち出されインターネット上に流出したことで、捜査対象となっていたイスラム教徒17人が、プライバシーの侵害などを理由に東京都と国に損害賠償を求めていた裁判の控訴審で、東京高裁は4月14日、一審判決を維持し、都に計9020万円の支払いを命じる判決を下した。
しかし、原告が強く求めていた、警察が特定の宗教を理由に個人を捜査対象とすることが、信教の自由を保障する憲法に違反するとした主張は一審同様、退けられた。
判決は流出した捜査情報がネット上などに公開されたことで、個人のプライバシーが侵害されたことについては、「警視庁の職員によってデータが持ち出されたと考えられ、警視庁には情報管理を怠った過失がある」として、警視庁を管轄する東京都の賠償責任を認定した。
しかし、宗教を理由とする捜査について判決は、「国際テロ発生の危険がある状況では、やむを得なかった」として、捜査によって信教の自由が侵害されたとの主張は退けた。また、判決は警察の捜査対象となったことでイスラム教徒に実害が発生していないことを、憲法違反とまでは言えないとする理由とした。
ただし、今後の宗教を理由とした捜査については無制限に許されるわけではないとして、テロ防止の有効性などを検討する必要性を認めた。
判決後記者会見を行った原告の一人は、「警察は個人情報を収集し、私たちを危険にさらした。判決には満足できない」と語り、上告する方針を示した。
この判決では公安警察が特定の宗教を理由に個人を捜査対象にしたとしても、その個人に実害が生じるわけではないとの理由から、信教の自由を保障する憲法20条に違反するとまでは言えないとの判断が一審、二審ともに下っている。
しかし、特定の宗教は警察から監視対象になっていることを知れば、その宗教に入信することを躊躇する人が多く出ることは想像に難くない。実害が出なければ権利を侵したことにはならないとする裁判所の判断は妥当なものだったのか。
ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が、憲法学者の木村草太と議論した。
<ニュース・コメンタリー>渋谷区とインディアナ州に見る社会正義としての少数者の権利
東京の渋谷区で同性カップルを異性間の結婚に相当する関係と認め、証明書を発行する条例案が4月1日、賛成多数で可決した。同性カップルの権利を公的に認める制度が日本で誕生するのはこれが初めて。
一方、アメリカでは中西部のインディアナ州で3月26日に成立した「宗教の自由回復法」が、同性愛者に対するサービスの提供を拒否する権利を認めるものとして大きな批判に晒され、1週間後に修正に追い込まれるという事態が発生している。
渋谷区の条例は男女の夫婦に認められている権利の一部を同性カップルにも認めるもので、区に届け出て証明書の発行を受ければ、病院で家族として面会したり、賃貸契約に共同で署名したりできるようになる。
ただし、納税や相続など国が所管する権利や義務にについては、適用されない。
一方、インディアナ州の「宗教の自由回復法」は個人が宗教上の信念に基づいた行動を取るとき、州政府などがこれに対して「大きな負荷」をかけてはならないことを定めたもの。一見、憲法上の権利である信教の自由を再確認したものに見えるが、お店などで宗教的信念を理由に同性愛者へのサービス提供を拒否した場合、州政府が問題に介入できなくなるとして、反同性愛法だとの批判が出ていた。
特に企業からの厳しい権利に晒されたため、インディアナ州は州法成立から1週間で、性的指向や性別に基づいてサービス、雇用、住居の提供を拒否する権利を何者にも与えていないとする但し書きを加える修正を行っている。
渋谷区とインディアナ州の双方に共通する論点として、「少数者の権利の保護」「全体の公共的な利益」のどちらが優先されるべきかというものがあった。少数者の権利を認めることに反対する側の根拠として、「既存の秩序を破壊する」といった一見公共的に見える主張が渋谷区でもインディアナ州でも展開されていた。
そこには、個人の価値に基づいて何かを嫌ったり批判したりする自由の問題と、法律や制度といった公的なレベルでこれを差別することが、根本的に別次元の問題であることに対する無理解あるようだ。
少数者の法的な権利の保護を社会正義の観点からどう考えるべきかを、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
その他、会長による公私混同問題やクローズアップ現代のやらせ疑惑など重大な問題が指摘されているにもかかわらず、会長の定例会見をお仲間の記者クラブにしか開放しないことに疑問を持たないNHKの公共放送としての矜持の問題を取り上げた。
<ニュース・コメンタリー>美濃加茂市長収賄事件・何の証拠もない事件でも無罪を勝ち取るのは容易ではなかった/郷原信郎氏(弁護士)
「被告人を無罪とします」
3月5日午後2時、名古屋城にほど近い名古屋地裁の2号法廷で鵜飼祐充裁判長から藤井浩人美濃加茂市長に対して、「無罪」が言い渡された瞬間、法廷内を一瞬、静寂が襲った。公判をフォローしてきた関係者の間では無罪を予想する向きが多かったが、それでも実際に現職首長を逮捕し、62日間にもわたり勾留した汚職事件で、本当に無罪判決が言い渡されるかどうかについては、「何があっても不思議ではない感」がぎりぎりまで法廷を覆っていた。…
これはいずれも藤井氏が希に見る幸運の持ち主だったことを示している。報道レベルでは無罪判決が当然のような論評もあるようだが、実際はこうした幸運がなければ、藤井氏が無罪を勝ち取ることができたかどうかはわからない。少なくとも裁判所が無罪判決を書くことを、より強く躊躇したことは間違いないだろう。
また、この事件では首長としては日本最年少となる30歳の藤井市長が、62日間の勾留とその間の高圧的な取り調べに耐え、虚偽の自白を行わなかったからこそ、無罪判決を勝ち取ることができた事件でもあった。郷原氏も、もし藤井氏が供述段階で現金の授受を認めていたら、どんなに証拠が希薄であっても、無罪を勝ち取ることは難しかっただろうと語っている。
藤井氏は警察の取り調べで「美濃加茂市を焼け野原にしてやる」とか「こんなはなたれ小僧を市長に選んで」などと、高圧的で暴力的、かつ侮辱的な取り調べを受けたことを証言している。
つまり、この事件は希薄な証拠でも、若い市長を引っ張って締め上げ、周囲の支援者や関係者も軒並み選挙違反で挙げていけば、藤井氏はいずれ自白するだろう。そうすれば、証拠が弱かろうが何だろうが有罪にできるだろうと、警察や検察が、当初は安直に考えていた結果、取り返しの付かないような重大な事態に至ってしまった事件だった疑いが否定できない。安直に考えていた事件が、予想外の市長の頑張りに加え、検察の手の内を熟知する元特捜検事の郷原氏が弁護人に就いたことで、当初の目論み通りにいかなくなった。それでも検察は入手した証拠に合わせて中林氏に証言をさせるべく、「証人テスト」と称して「連日朝から晩まで」(郷原氏)打ち合わせを繰り返したが、結局、後付けのストーリーでは弁護側の立証を覆すまでには至らなかった。
藤井氏に対する高圧的な取り調べも、検察と中林氏との「連日朝から晩まで」の「証人テスト」と称する打ち合わせも、取り調べが可視化されていれば、いずれも容易に防ぐことができるものだ。しかし、法制審議会の答申に基づいた取り調べの可視化案では、可視化の対象は全体の2%に過ぎない裁判員裁判対象事件と特捜事件に限られるため、今回のような汚職事件は可視化の対象にすらなっていない。
さまざまな面で現在の刑事司法制度の問題点を露わにしたこの事件の教訓を、主任弁護人の郷原氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
<ニュース・コメンタリー>アメリカFCCが決断したネットの中立性 インターネットは誰のものか
アメリカ連邦通信委員会(FCC)は、2月26日、インターネットの回線事業者が、料金を払った特定のサービス提供者に回線の帯域を優先的に割り当てることを禁止する「ネット中立性ルール」を採択した。
これはオバマ大統領が推進するオープンインターネット政策の一環で、この日の決定により、インターネットを電話線のような公共的なインフラ(公益通信事業者)と位置づけ、回線業者は支払った費用に応じてサービス事業者を差別することが禁止されることになる。
これまでアメリカでは、ネットフリックスに代表される高画質の動画サービスを大量に提供するサービス事業者に対し、ATT、ベライゾン、ケーブルテレビ局といったブロードバンド回線を保有する事業者が、サービス事業者から一定の料金を徴収することで、回線を優先的に利用させることが認められていた。しかし、これが許されれば、回線業者に費用を払わないウェブサイトでは回線が遅くなったり動画がスムーズに流れなくなるなど、ネット内で格差が生じる可能性があり、インターネットの民主性が損なわれるとして、ネットの自由を主張する市民団体などが強く反対してきた。
今回の採決に先立ってFCCが実施したパブリック・コメントには、400万件を超えるコメントが寄せられ、そのほとんどがネットの自由の維持を求めるものだったという。
FCCのトム・ウィーラー委員長は、「インターネットへの自由かつオープンなアクセスへの政府や民間事業者の支配を認めてはならない。インターネットはブロードバンド業者が支配するにはあまりにも重要な分野だ」と述べた。
これに対して採択で反対票を投じた共和党系のアジット・パイ委員は「FCCがインターネットの自由に政府の規制を持ち込んだ残念な結果だ」と述べた。
FCCの採択ではネットの自由を守るためには一定の規制が必要とする民主党系の委員と、自由を守るためであっても、政府が規制をすべきではないとする共和党系の委員が2対2で真っ向から衝突し、ウィーラー委員長が賛成に回ったことで、新ルールが採択された。
人気のあるブロードバンドコンテンツに乏しい日本では、まだ回線の混雑が大きな問題となっていないため、この問題は対岸の火事のようにも思える。しかし、いずれ日本でもコンテンツが充実してくれば、「ネットは誰のものか」をめぐる議論が起きることは必至だ。
自由であるべきインターネットで、アクセスの自由を守るための規制は正当化されるのか。インターネットは誰のためにあるものなのか。ジャーナリストの神保哲生と憲法学者の木村草太が議論した。
<ニュース・コメンタリー>美濃加茂市長収賄事件・無罪判決で露呈した杜撰な捜査
業者から30万円の収賄容疑に問われていた美濃加茂市の藤井浩人市長に3月5日、無罪判決が下された。職務権限や請託の事実を問われるまでもなく、現金の授受自体が否定される検察の完全敗訴だった。
この事件は客観的な証拠が何一つ提示されないばかりか、告発者となった贈賄側の会社社長が、4億近い融資詐欺の常習者であることを自白するなど、現職の市長を逮捕・起訴した事件としては常識では考えられないほどの検察の証拠能力の低さに、驚きの声があがっていた。
裁判所は金銭の授受を証明する客観的な証拠が何一つなく、贈賄側の会社社長の供述も不可解な変遷を繰り返したことを指摘した上で、現金の授受には合理的な疑いがあると、検察の主張を一顧だにしない厳しい判断を下した。
そもそもこの事件では何が問題だったのか。検察は詐欺の常習者に騙されたのか、それとも汚職を告発することで手柄をあげたい検察が判断を誤ったのか。主張を全面的に否定されたにもかかわらず、検察が控訴をした場合、どのような影響が予想されるかのか。
発生当初からこの事件を取材してきたジャーナリストの神保哲生と、憲法学者の木村草太首都大准教授が、万に一つの可能性もないと言われる汚職事件の無罪判決の意味を議論した。
<ニュース・コメンタリー>フリージャーナリストの国際的安全基準を策定・問われる日本の報道機関の対応と倫理的責任
近年多くのフリーランス・ジャーナリストたちが紛争に巻き込まれて殺害されたり、取材後に後遺症の残る外傷や精神的トラウマを抱えるケースが急増していることを受け、2月13日、世界の主要な報道機関がニューヨークのコロンビア大学に結集し、新たな国際的安全基準を策定した。
これはworldwide freelance protection standards と呼ばれるもので、フリーランスのジャーナリストに対して自主的な安全訓練や安全対策を求めるのと同時に、フリーランス・ジャーナリストから記事や映像、写真などを購入している報道機関に対して、彼らに自社の社員記者と同等の安全基準を適用するよう求めるというもの。
既にAP、ロイター、AFP、BBC、ブルームバーグなど世界の主要な報道機関が相次いで支持を表明しているが、日本時間で2月12日夜の時点では、署名者リストの中に日本の報道機関の名前は見当たらない。…
危険を冒してでも誰かが現場に行かなければ、そこで何が起きているかを誰も知ることができない。これはジャーナリズムの存在価値にも関わる基本的な命題だ。危ない場所に赴く記者に対して、「なぜあなたたちはあんな危ないところに行ったのだ」と批判をするのなら、「なぜあなたはそこがそんなに危ないところかを知っているのか」と問い返されることになる。危険を冒してまで報道した人がいるからこそ、われわれはそこが危険であることを知り得た。同様にそこで大変な人道的危機が起きていることが報じられるからこそ、世界から支援も集まる。誰も見ていないところでは、非人道的な行動も抑制されない。
しかし、その一方で、ISILのような武装過激集団は、そうしたジャーナリストたちの使命感を逆手に取り、彼らの命を交渉の材料として利用するようになっていることも事実だ。上記のAFPの声明も、同社が危険な地域からの写真や記事を購入していたアメリカ人ジャーナリストのジェームズ・フォーリー氏がISILによって殺害されたことを受けたものだった。上記の声明を発表するに当たりレリドン編集長は「今やジャーナリストは攻撃のターゲットであり、身代金のための商品と見られている」と語っている。
日本でも後藤健二さんや山本美香さん、長井健司さんなどフリーのジャーナリストたちが、紛争地域の取材中に殺害される不幸な事件が起きているが、同時に日本では大手報道機関は自社の記者を危険な地域には送らずに、もっぱら危険が伴う取材はフリーランスのジャーナリストに依存する方針を長らく続けてきている。
今回の「フリー記者にも自社の社員記者と同等の安全基準の適用」を求めるworldwide freelance protection standardsに対して、日本の報道機関が支持表明できるかどうかが、注目されるところだ。
ジャーナリストの使命と報道機関の倫理的責任について、ゲストで憲法学者の木村草太氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
<ニュース・コメンタリー>パスポート返納命令に憲法上の正当性はあるか/木村草太氏(首都大学東京准教授)
シリアへの渡航計画を理由にフリーのカメラマン、杉本祐一さんが、外務省からパスポートの強制返納を命じられた問題で、杉本祐一さんは2月12日、外国特派員協会での会見で、パスポートを取り返すために裁判に訴える意向を表明した。
「パスポートを失うことは、私の人生そのものが否定されるのと同じ」、「他のジャーナリストたちの報道の自由、取材の自由が奪われることを危惧している」。杉本さんはこのように語り、最高裁判決まで戦い抜く決意を露わにしている。
特派員協会の会見で質問に立った外国人記者たちは一様に、「自分の国ではそのような理由で政府がパスポートを取り上げることはあり得ない」と、ジャーナリストが政府から強制的にパスポートを取り上げられ、海外取材を断念させられたことに驚きを隠さなかった。
しかし、日本の旅券法にはその19条の1項4号で、「旅券の名義人の生命、身体又は財産の保護のために渡航を中止させる必要があると認められる場合」には外務大臣はパスポートの返納を求めることができる旨が明記されている。杉本さんは外務省の職員が警察官を伴って自宅に現れ、外務大臣の返納命令書を読み上げた上で、返納しない場合は逮捕すると脅されたというが、旅券法違反は5年以下の懲役であることが定められていることを考えると、それもまんざら脅しではなかったとみられる。
今回の外務省の行動自体は旅券法に則っている以上法律上は合法的に見えるが、一方で渡航の自由を認めている日本国憲法22条に真正面から抵触する可能性がある。また、今回の渡航目的がジャーナリストによる取材だったことを考えると、憲法21条で保障されている表現の自由との兼ね合いも問題になる。
今回、杉本さんが法廷闘争に訴える意向を明らかにしていることから、そもそも旅券法のこの条文が憲法21条や22条に違反しているかどうかが、裁判における主要な論点になるとみられる。
取材で危険地域に入ろうとするジャーナリストを、政府がパスポートを取り上げることで行かせない行為は正当なのか。憲法学者の木村草太氏に、ジャーナリストに対するパスポート返納問題の憲法上の論点とその正当性を、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が聞いた。
<ニュース・コメンタリー>人質の命を救うことを最優先しなければならない・身代金に関する4つの誤謬 - アダム・ドルニック教授
オーストリアのウーロンゴン大学の教授で国際テロの専門家として知られるアダム・ドルニック教授が、2015年1月13日付けの国際政治誌「フォーリン・アフェアーズ」のオンライン版に、「身代金に関する4つの誤謬」と題する論文を寄稿している。テロリストによる人質問題と身代金に関する一考察として注目に値すると思われるので、ここで簡単に紹介したい。
人質解放交渉などに関わった経験を持つドルニック教授は、「政府は身代金を支払ってでも自国民の人質を助け出さなければならない」と主張する。そして、人質事件における身代金の位置づけや「テロには屈しない(no concessions)」政策の持つ意味については、大きな誤解があるとして、その中でも代表的な4つの誤謬を紹介している。
まず最初の誤謬として「テロには屈しない」(no concessions)(=身代金は払わない)を掲げる政府が、一切の交渉をしていないと考えるのは大きな間違いであると、教授は指摘する。欧米の先進国はほぼ例外なく、政府が正式に身代金を支払うことはしていないが、デンマークやオランダの例に見られるように、政府は人質の家族や仲介者などを通じて、身代金の支払いには柔軟に応じている場合が決して少なくない。アメリカは世界でもかなり例外的にテロリストとの交渉を無条件で拒否する立場を強く打ち出している国だが、後に紹介するように、アメリカは人質を救出するための特殊部隊を擁していたり、実際の紛争当事者であるためにテロリスト側の人質や捕虜を抱えている場合が多く、捕虜交換には応じている。no concessions方針をもっとも厳密に打ち出しているアメリカでさえ、人質の救出を図ったり、人質・捕虜交換など一定の交渉の余地を与えているのだ。よって、「テロリストとは交渉もしない」方針を掲げた国の政府が、テロリストと一切の交渉をしていない考えるのは誤りであると、ドルニック教授は言う。…
以上のような4つの誤謬を示した上でドルニック教授は、「身代金を払ってでも政府は自国民を救うべきである」と主張する。上にあげたように、実際は身代金を出す以外に人質を救う手立ては存在しないに等しく、身代金を払ったとしても、その影響は一般に言われているほど大きくはないというのが、教授の主張の主たる根拠となっている。
特に紛争地帯で危険な任務に携わる援助団体やNGOのスタッフやジャーナリストや医療スタッフが人質になった場合、政府はあらゆる手段を講じてでも彼らを助けることが重要だと、教授は言う。なぜならば、政府が「テロには屈しない」といった単なる原則論で彼らを見殺しにした場合、彼らの多くは危険な場所に行きたくても行けなくなってしまう。それは紛争地帯で日々の生活にも苦しむ住民への食料や医療などの人道的援助が行き渡らなくなることを意味し、教授の言葉を借りれば、テロと戦う上で最も重要な要素と言っても過言ではない「hearts and mind」(軍事ではない心の外交)が止まってしまうことを意味するからである。
フォーリン・アフェアーズのドルニック論文を、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
<ニュース・コメンタリー>小学校の授業での遺体写真の使用は行き過ぎか
名古屋市の小学校が授業で過激派組織「イスラム国」(ISIS)によって殺害された湯川遥菜さんの遺体の写真を使ったことが問題になっている。教育委員会は会見でこの行為を「不適切」だったとして謝罪し、授業を担当した20代の女性教諭に対しても「厳正に対処する」としている。マスメディア上でもこれを問題視する報道一色になっているようだ。
表面的には若い教員が、軽率にも子どもに不適切な画像を見せてしまい、教育委員会を始め関係者が平謝りに謝っている状態のように見える。実際報道でも、その程度の扱いになっている。しかし、この授業のことをもう少し詳しく見ていくと、やや見え方が変わってくる。…
そこで題材として使われたものが、湯川さんの遺体の写真だった。報道機関が湯川遥菜さんの遺体の写真にぼかしをかけて報じていたことを説明した上で、「見たくない人は下を向いているように」と警告し、ぼかしがかからない湯川さんの遺体の写真を教室正面のモニター画面に表示した。そのことが後で保護者の耳に入り、問題となったのだった。
確かに、マスメディアでさえそのまま報じることが憚られる残虐な写真であることは間違いない。発達段階の子供に見せることの是非については、いろいろな考えがあるだろう。また、保護者の中には、自分の子供にはそのような画像は見せたくないと考える人も多いかもしれない。
しかし、その一方で、ぼかしを入れることの是非を論じるためには、ぼかしの下に何が隠れているかを知る必要がある。ぼかしの下には基本的に、子供が見れば何らかのショックを受けるような画像が隠されている。だからぼかす必要があると報道機関は判断しているのだ。
今や子どもたちの多くが、自由にインターネットにアクセスしている。テレビでは見せてないような映像も、ネット上では簡単に見つかる。インターネットを自由に操るようになった子どもたちの方が、情報に疎い大人よりもずっと目が肥えている可能性もあるかもしれない。
とは言え、ぼかしの下を見せると言ったとき、それがどうしても残虐な殺害遺体でなければならなかったかどうかについては、議論の余地があるだろう。しかし、同時に、少しでも気分を害するような映像にはめったやたらにモザイクやぼかしがかかるような過度の自主規制によって、子どもも大人も世界の紛争地帯で何が起きているかについて、ほとんど現実感覚を持つことが困難になっているのも事実だ。多少の不快感やショックを覚えるような映像でも、現実を直視しなければならないこともあろう。
しかし、いずれにしても今回の一件を、女性教諭を処分するだけで終わらせてしまうのは、あまりに勿体なさすぎる。ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
<ニュース・コメンタリー>遠隔操作ウイルス事件・実刑判決は出たが課題は未解決のままだ
パソコン遠隔操作事件で東京地裁は2月4日、片山祐輔被告に対して懲役8年の実刑判決を言い渡し、2012年夏の事件発生から様々な形で世間を騒がせてきたサイバー犯罪史上に残る大きな事件が、一つの節目を迎えた。
しかし、この事件は現在の刑事司法が抱える様々な課題を露わにしている。そして、事件が判決を迎えた今も、その課題は何一つとして解決していない。…
また、日本の警察と検察、そして裁判所のサイバー犯罪に対する知識が非常に乏しいことも、この事件が露わにした課題の一つだった。そもそも警察はこの事件を純粋なサイバー捜査では解決することができなかった。片山氏が捜査線上にあがったのも、江ノ島の猫に首輪を付けた際の防犯カメラの映像に基づく捜査からだったし、片山氏を逮捕した後も、結局片山氏が遠隔操作ウイルスを作成したことは証明できなかった。片山氏は第三者にウイルスを提供する「ウイルス供用罪」では起訴されているが、ウイルス作成罪には問われていないのだ。
もし片山氏が、遠隔操作したパソコンで殺害予告や爆破予告を書き込むだけに犯行をとどめ、その後、報道機関などにメールを送りつけたり、江ノ島の猫にSDカードを貼り付けた首輪を着けるような「遊び」をしていなければ、警察は今日にいたっても犯人を割り出すことができない可能性が非常に高い。この事件で最終的に片山氏を有罪に追い込んだのは、サイバー捜査などではなく、防犯カメラの解析や尾行といった従来型のアナログ捜査だったのだ。
また、公判に入ってから検察はサイバー関連の状況証拠を積み上げていったが、それらの証拠はいずれも、片山氏が犯人である可能性を強化するものではあったが、片山氏の犯人性を証明する上で十分なものとは言えなかった。
日本の警察は、疑わしい証拠を一つでも見つけたら、まずは被疑者の身柄を拘束し、長期に勾留する中で精神的に追い込んでいくことで、自白をとりつける、いわゆる「自白偏重主義」を長年、実践してきた。そのため、被疑者から取り調べの録音録画を求められ、それを拒絶することで直接の取り調べができなくなると、自白に依存した捜査手法が通用しなくなる。ましてや、証拠がデジタル証拠に限られるサイバー犯罪では、状況証拠だけで被疑者の犯人性を立証することは非常に困難だ。
パソコン遠隔操作事件が残した未解決の課題を、発生当初からこの事件を取材してきたジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
<マル激・前半>5金スペシャル・映画が描くテロとの戦い/ピーター・バラカン氏(ブロードキャスター)
5週目の金曜日に特別企画を無料でお届けする恒例の5金スペシャル。今回の5金では「テロとの戦い」をテーマにした映画を取り上げながら、テロの背後にある貧困や歴史の問題やその対応の是非を議論した。
今回取り上げた作品は2013年に日本でも公開された、CIA女性分析官がオサマ・ビンラディンを追い詰めていく過程を描いた『ゼロ・ダーク・サーティ』、ジャーナリストの綿井健陽氏がイラク戦争とその後の混乱に翻弄される家族を10年間にわたり追い続けたドキュメンタリー映画『イラクチグリスに浮かぶ平和』、そして『スーパー・サイズ・ミー』で注目されたモーガン・スパーロック監督の『ビンラディンを探せ!~スパーロックがテロ最前線に突撃!』の3本。いずれもテロやテロリストをテーマに、その最前線や狭間で生きる人々を描いた作品だ。
9・11の同時テロ以前からテロリストの最大の標的となり、テロとの戦いの最前線に立ち続けるアメリカは、今もテロリストの掃討に血道をあげる。その甲斐あってか、9・11以降は大規模なテロの押さえ込みには成功しているように見える。しかし、その一方で、テロとの戦いは、イラクやアフガニスタンの一般市民や、掃討するアメリカ側にも多くの犠牲を生みながら、テロとの戦いは全く出口が見えてこない。同時に、テロとの戦いの当事国では一般市民の犠牲が増えるごとに、イスラム圏ではアメリカや西側諸国への怨念が強まり、それがまた新たなテロリストを生むという悪循環を繰り返している。そして、その悪循環は、遂に中東では「イスラム国」を名乗り、テロ行為を繰り返す擬似武装国家の登場まで許してしまった。
そして日本も遅ればせながら、イスラム国と戦う有志連合に名を連ね、今回の中東訪問でも安倍首相はISISとの戦う姿勢を明確に打ち出している。
確かに、先進国の平穏な市民生活を守るためにはテロリストに付け入る隙を見せてはならないだろうし、暴力には力で立ち向かうことが必要な時もあるだろう。しかし、現在のアメリカの「テロとの戦い」を続けることで、本当にテロを根絶することは可能なのか。
テロの背景にはオスマントルコ崩壊後の欧米諸国による中東地域の理不尽な統治の歴史や、その後の度重なる紛争とその結果生まれている貧困や絶望などが根強く横たわっていると言われる。そのような土壌の上で、アメリカや先進諸国が圧倒的な軍事力に物を言わせた掃討作戦などを強行した結果、イスラム諸国の市民生活が破壊され、一般市民に多くの犠牲者が出れば、それがまた次のテロリストを生んでしまう負のサイクルに陥ることは避けられない。
われわれはこれからも出口の見えない「テロとの戦い」を続けるのか。そして、日本はそこに全面的にコミットしていく覚悟があるのか。それともテロの背景に目を向け、その解決に本気で踏み出すのか。テロとの戦いを描いた映画から見えてくるさまざまな問題を、ゲストのピーター・バラカン氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
後半はこちら→so25465588
<マル激・後半>5金スペシャル・映画が描くテロとの戦い/ピーター・バラカン氏(ブロードキャスター)
5週目の金曜日に特別企画を無料でお届けする恒例の5金スペシャル。今回の5金では「テロとの戦い」をテーマにした映画を取り上げながら、テロの背後にある貧困や歴史の問題やその対応の是非を議論した。
今回取り上げた作品は2013年に日本でも公開された、CIA女性分析官がオサマ・ビンラディンを追い詰めていく過程を描いた『ゼロ・ダーク・サーティ』、ジャーナリストの綿井健陽氏がイラク戦争とその後の混乱に翻弄される家族を10年間にわたり追い続けたドキュメンタリー映画『イラクチグリスに浮かぶ平和』、そして『スーパー・サイズ・ミー』で注目されたモーガン・スパーロック監督の『ビンラディンを探せ!~スパーロックがテロ最前線に突撃!』の3本。いずれもテロやテロリストをテーマに、その最前線や狭間で生きる人々を描いた作品だ。
9・11の同時テロ以前からテロリストの最大の標的となり、テロとの戦いの最前線に立ち続けるアメリカは、今もテロリストの掃討に血道をあげる。その甲斐あってか、9・11以降は大規模なテロの押さえ込みには成功しているように見える。しかし、その一方で、テロとの戦いは、イラクやアフガニスタンの一般市民や、掃討するアメリカ側にも多くの犠牲を生みながら、テロとの戦いは全く出口が見えてこない。同時に、テロとの戦いの当事国では一般市民の犠牲が増えるごとに、イスラム圏ではアメリカや西側諸国への怨念が強まり、それがまた新たなテロリストを生むという悪循環を繰り返している。そして、その悪循環は、遂に中東では「イスラム国」を名乗り、テロ行為を繰り返す擬似武装国家の登場まで許してしまった。
そして日本も遅ればせながら、イスラム国と戦う有志連合に名を連ね、今回の中東訪問でも安倍首相はISISとの戦う姿勢を明確に打ち出している。
確かに、先進国の平穏な市民生活を守るためにはテロリストに付け入る隙を見せてはならないだろうし、暴力には力で立ち向かうことが必要な時もあるだろう。しかし、現在のアメリカの「テロとの戦い」を続けることで、本当にテロを根絶することは可能なのか。
テロの背景にはオスマントルコ崩壊後の欧米諸国による中東地域の理不尽な統治の歴史や、その後の度重なる紛争とその結果生まれている貧困や絶望などが根強く横たわっていると言われる。そのような土壌の上で、アメリカや先進諸国が圧倒的な軍事力に物を言わせた掃討作戦などを強行した結果、イスラム諸国の市民生活が破壊され、一般市民に多くの犠牲者が出れば、それがまた次のテロリストを生んでしまう負のサイクルに陥ることは避けられない。
われわれはこれからも出口の見えない「テロとの戦い」を続けるのか。そして、日本はそこに全面的にコミットしていく覚悟があるのか。それともテロの背景に目を向け、その解決に本気で踏み出すのか。テロとの戦いを描いた映画から見えてくるさまざまな問題を、ゲストのピーター・バラカン氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
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<ニュース・コメンタリー>美濃加茂市長贈収賄事件・贈賄側有罪が物語るこの事件の異常性
美濃加茂市の藤井博人市長をめぐる贈収賄事件で、1月16日、30万円の賄賂を送ったとする贈賄側の会社社長に有罪判決が下ったが、そのこと自体が異例ずくめのこの事件の異常性を、更に際立たせる結果となった。
名古屋地裁は16日、名古屋市の雨水浄化設備業者「水源」社長の中林正善氏に対し、藤井市長に現金を渡したと証言する中林氏自身の主張を認め、別の融資詐欺事件に関わる詐欺罪などと併せて、懲役4年の実刑判決を下した。
この事件で収賄側とされる藤井氏に対する判決の言い渡しは3月5日に予定されている。 …
この事件はそもそも金銭の授受を裏付ける客観的な証拠が皆無な上に、収賄側は現金の授受を全否定し、その場に立ち会った第三者までが、現金の受け渡しはなかったと断言していた。唯一の証拠と言えるものが、贈賄側の「現金を渡した」とする証言であり、その証言の主は融資詐欺で逮捕され、既に3億円を超える犯行を自供している身だった。その取り調べの最中に突如出てきたのが、この贈収賄事件だった。
しかし、仮に中林氏に騙されたとしても、あまりにも証拠が希薄すぎる。なぜ愛知県警や名古屋地検は、ここまで証拠が希薄な事件で、現職の市長の逮捕、起訴にまで踏み切ったのだろうか。日本最年少市長として全国にも知られ、美濃加茂市でも絶大な人気を誇る藤井市長は、中林氏の証言一つで現職市長のまま逮捕、起訴され、62日間も勾留されている。
元特捜検事の経験を持ち、検察の行動原理を肌で知る郷原氏は、どんなに巨額な融資詐欺よりも汚職の摘発が高く評価される検察の特殊な価値基準が、検察の判断を狂わせたのではないかと指摘する。そして検察は中林氏の融資詐欺の訴追を大目に見ることの引き替えに、収賄での藤井氏の立件への協力を求めたのではないかというのが、郷原氏の見立てだ。
実際、藤井氏が逮捕された時点で、中林氏は既に金融機関を相手に3億7800万円分の融資詐欺を働いていることを自白していたにもかかわらず、融資詐欺については2100万円分しか起訴されていなかった。その後、中林氏と検察との裏取引を疑った郷原氏ら藤井氏の弁護団が、既に中林氏自身が自白していた融資詐欺事件を相次いで告発をしたため、検察は泣く泣くその分も追起訴をせざるを得なくなっていた。融資詐欺では自白をしているにもかかわらずそのほんの一部でしか起訴されず、その一方で、贈賄については全面的に罪を認めている点も実に不可解だ。
裁判ばかりは判決が出るまで予断を許さない。しかし、仮に藤井氏の無罪が確定した場合、正当な民主的プロセスを経て市民から選ばれた現職市長をこれだけの脆弱な証拠で逮捕、起訴し、62日間勾留した上で、高圧的な取り調べで市長に自白を迫ったことの警察と検察の責任は重く問われなければならない。警察や検察が暴走し制御不能に陥った時、それをチェックする有効な仕組みが、国家賠償訴訟以外に必ずしも存在しない現在の仕組みについては、再考が必要だろう。
美濃加茂市長贈収賄事件を取材してきたジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が、贈賄側有罪判決が露わにしたこの事件の異常性と、逮捕権や公訴権といった絶大な権限を持ちながら十分な監督機能が用意されていない現在の刑事司法の問題点を議論した。
<ニュース・コメンタリー>なぜ初歩的な事実誤認が広がってしまうのか・慰安婦報道の元朝日新聞記者会見から見えてきたもの
従軍慰安婦の記事を書いたことで週刊誌などで名指しで批判されていた元朝日新聞記者の植村隆氏が、1月9日、東京・有楽町の外国特派員協会で行った記者会見では、朝日批判をする記者の多くが、いわゆる「吉田証言」報道と、植村氏の書いた慰安婦に関する記事の区別さえついていないという意外な事実が明らかになった。
植村氏の会見である日本人ジャーナリストは、「あなたは自分が被害者であることを強調するが、あなた自身は吉田証言の記事を何本書いたのか」と質問し、驚いた植村氏が「私は吉田証言の記事は一本も書いていません」と言下に否定する場面があった。
植村氏は朝日新聞記者だった1991年に従軍慰安婦に関する記事を2本書いているが、これは朝日新聞が1982年以降繰り返し掲載し、昨年8月に過ちを認め撤回したいわゆる「吉田証言」記事とは全く別物だ。時系列的にも吉田証言の報道から9年後のことであり、元慰安婦自身の証言を最初に報じた植村氏の記事にも「騙されて慰安婦にされた」との表現はあるが、強制的に連れて行かれたという表現は見当たらない。
にもかかわらず植村氏が朝日による慰安婦の誤報の象徴であるかのように扱われるようになった契機は、植村氏が2014年2月6日号の週刊文春で、朝日新聞を早期退職し神戸の女子大教授に就任することが報じられたことだった。文春の記事は植村氏の個人名を明かした上で、植村氏の1991年の記事に「挺身隊」、「連行」といった言葉が使われていたことが、日本軍による強制連行があったかのような印象を与えたとして、「捏造といっても過言ではない」とする識者のコメントを掲載していた。
この記事以降、植村氏に対するバッシングが始まり、就職が内定していた大学にも多くの抗議が寄せられたため、植村氏は大学側から教授就任を辞退するよう求められていた。
さらに、植村氏が現在非常勤講師を務める北星学園大学にも、脅迫の手紙が繰り返し届いているほか、植村氏の個人情報や家族の顔写真などが無断でネット上に晒され、脅迫や無言電話などが後を絶たない状況になっていた。
一般の市民ならいざ知らず、大手報道機関の記者までが、植村氏の記事と吉田証言記事との区別が付かないまま朝日批判をしていたようなのだ。なぜこのような単純な事実誤認が起きるのか。そしてなぜそれがチェックもされないまま増幅していくのか。ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
<ニュース・コメンタリー>美濃加茂市長収賄事件・決定的な証拠がないまま公判が結審
浄水設備導入をめぐる汚職事件で収賄などの罪に問われていた岐阜県美濃加茂市の藤井浩人市長の公判が、12月24日、検察側から決定的な証拠が提示されないまま結審した。判決は3月5日に言い渡される。
この事件では、日本最年少の首長として全国的にも注目されている藤井氏に対し、浄水設備導入のための働きかけの見返りに現金30万円を渡したとする名古屋市の浄水設備会社「水源」の中林正善社長の主張と、現金は一切もらっていないとする藤井氏側の主張が真っ向から対立していた。別の融資詐欺事件で逮捕されていた中林社長が、取り調べの段階で藤井市長に対する現金の提供を仄めかしたため、融資詐欺事件はそっちのけで、藤井市長の収賄事件の捜査が行われ、この6月に藤井氏は現職の市長のまま逮捕、起訴され、62日間勾留されていた。
しかし、公判に入っても、検察側からは中林社長の証言以外に、現金の授受を裏付ける決定的な証拠が提示されないまま、今週、半年間の公判が終結する結果となった。
特に、検察にとって想定外だったのは、当初現金授受が行われたとされた会食の場には藤井市長と中林社長の2人しかいないとされていたものが、途中からその場に第三者のT氏が立ち会っていたことが明らかになったことだった。しかも、T氏は公判の場で、現金の授受はなかったと証言した上に、自分は会食中一度も席を離れていないと断言していた。
そのため公判は、T氏が会食中一度でも席を立ったのか立たなかったのかが最大の争点となっていた。現職の市長の汚職という深刻な事件であるにもかかわらず、公判では同席者がドリンクバーに行ったか行かなかったが最大の争点となるという、まさに異常な裁判だった。
追い込まれた検察は、T氏自身は離席を否定しているが、ドリンクバーやトイレなどに行くために一度は離席したと考えるのが自然であり、その間に現金の授受が行われたと主張するのが精一杯だった。
また、当時市議だった藤井氏が浄水器の導入を実現するために市当局に積極的に働きかけるなどして尽力していたことについても、検察側はそれが賄賂を受け取ったことの証左だとしたのに対し、弁護側は、東日本大震災にボランティアで参加した経験を持つ藤井氏が、震災時の対応として、公立中学校のプールに太陽光発電機付の浄水器を設置するプロジェクトそのものはいいものだと考えていたからだと主張していた。
公判で提示された証拠を見た限りでは、現職の市長を逮捕、起訴するために必要とされる最小限の証拠は提示されなかったと言わざるを得ない。もしこれで市長が有罪になるようなことがあれば、政治家にカネを渡した主張している人物がいて、その政治家がその人物に有利になるような政治活動や政治的発言を行っているという状況証拠だけで、実際の金銭の授受そのものは証明されていなくても、収賄罪が成り立つということになりかねず危険だ。特定の政治家を追い落とすために、その判例が利用される恐れがあるからだ。・・・
半年にわたる美濃加茂市長の汚職事件の公判を傍聴し、同事件を取材してきたジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が、この事件が露呈した刑事司法の問題点を議論した。
<ニュース・コメンタリー>民主主義の劣化を許したくなければ何はともあれ投票を/木村草太氏(首都大学東京都市教養学部准教授)
「だから違憲の解散総選挙はすべきではないんです。」
憲法学者の木村草太氏はそう言う。
一貫して、憲法はもっぱら党利党略による解散権を認めていないと解説してきた木村氏は、今回の選挙で必ずしも国民の政治に対する関心が高まらない理由として、政権与党が解散権を濫用したことで、野党の準備が整わない状態で選挙に突入することになったことをあげる。特に小選挙区制の下では、野党が共闘できなければ選挙は与党が圧倒的に有利になるのは火を見るより明らか。結果的に、自分が投票しても何も変わらないといった無力感を覚える人が増え、投票率が低くなる。現在の枠組みの元ではこれが更に与党に有利に働く。
憲法上も、また道義的にも、確かに問題の多い解散総選挙だ。しかし、それでも選挙は行われ、直後に新しい国会が招集される。ただちに内閣改造も行われるという。
前回の選挙から僅か2年しか経っていないが、その間に集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈の変更や日本の国是といっても過言ではない武器輸出三原則の緩和も実行された。特定秘密保護法が強行採決され、民主党政権下で大幅にカットされた公共事業が、日銀の金融緩和による国債の買い付けに支えられる形で、再び復活している。参加しないはずだったTPP交渉も、気がつけばかなり話が進んでいるという。そういえば、選挙を間近に控えて、与党から放送局に対して恫喝と取れる「公平中立・公正」なる文書が送られたこともあった。
あらためて振り返ってみれば、これだけの大きな政治的決定が次々と下された2年間も、珍しいのではないだろうか。これを単なるアベノミクス選挙などと矮小化することを許し、党利党略による解散総選挙によって「しらけ解散」とさせてしまって、本当にいいのだろうか。それが日本の将来に大きな禍根を残すことにならないか。
憲法学者の木村草太、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が、選挙直前の思いを語り合った。
<ニュース・コメンタリー>メディアの中立公平を判断するのは政府ではない
先週のNコメでお伝えした自民党から各放送局の報道局長に宛てて送られた「公平中立・公平な報道のお願い」文書の波紋が、今週さらに広がっている。
安倍首相自身が12月1日日本記者クラブで行われた党首討論で、この文書の存在を追認した上で、報道機関に対して公平・公正な報道を求めることは当然のことだとする認識を示したからだ。…
また、党首討論で首相は、「公平・公正にやって頂ければ良いんであって。米国のテレビにはフェアネス・ドクトリンがないんです。フェアでなくてもいいんです。自由にやっていいんです。しかし日本は放送法があってフェアネス・ドクトリンというのがありますから、そこは米国とは全然違うんだという事は申し上げておきたいと思います」と語り、日本の放送法4条が定める政治的な公平性を理由に、正当や政治権力が言論機関に介入することには問題がないとの認識を示した。
しかし、放送法は第三条で放送番組は「何人からも干渉されない」ことが定められている上、首相が米国のフェアネス・ドクトリンに該当するとした第四条でも、その二で「政治的に公平であること」と定めているに過ぎず、何をもって公平とするかの判断は放送局が独自に行うことが前提となっている。
さらに、今は放送規則から削除されているアメリカの「フェアネス・ドクトリン」も、放送局に対して、「公共的な問題に一定の時間を割くこと」と「異なる視点から報道すること」を求めているに過ぎず、実際の運用は各放送事業者に委ねられているものだった。
日本の放送法を見ても、またアメリカの旧フェアネス・ドクトリンを見ても、政府や政権党が「公平公正を求める」と称して、具体的な放送内容に干渉することが許されるとは到底読むことができないような内容になっている。
また、そもそもこのような要請を政権党から受けた放送局が、それに対して敢然と立ち向かう姿勢を見せず、文書が送られた事実さえ報道できない体たらくは、これまで日本の放送局がいかに権力に迎合してきたかを指し示す絶好のバロメーターとなっている。
言うまでもないが、何が公平公正な報道であるかを判断するのは、第一義的にはマスメディア自身であり、そして最終的にはそれは受け手である国民が決めることだ。そこに決して政府を介入させてはならないのは、民主主義の一丁目一番地ともいうべき、最も基本的な命題なのだ。
政府や政権政党から言論という基本的人権の中でも最優先されるべき権利を侵害されて、われわれは黙っているのか。なぜ、報道機関に政府や政権党が「公平公正」な報道を要請することが問題なのか。そして、なぜ日本の報道機関はこのような屈辱的な文書をはねつけることができないのか。
今回の一件で、安倍政権の下で危機的なところまで追い詰められていることが露呈した言論をめぐる状況と、それに太刀打ちする気概さえ見せることができないマスメディアの惨状について、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
<ニュース・コメンタリー>福島第一原発は今どうなっているのか/田中三彦氏(元国会事故調委員・科学ジャーナリスト)
原発がなかなか総選挙の争点になりにくいと言われる。その理由として、有権者の多くが、目先の景気や雇用、社会保障といった生活に直結する問題により大きな関心を寄せるためだ、と説明されることが多い。
しかし、同時に3年前の事故直後には原発についてあれだけ多くの情報がもたらされ、自ずと原発問題への関心は高まった。ただ、事故を起こした福島第一原発も収束とは程遠い状態にあり、依然として12万人もの人々が避難生活を強いられている状況が続いているにもかかわらず、マスメディアが原発の問題を取り上げる機会は日に日に減ってきている。世論調査で総選挙の争点を問うた時、原発への関心が低いには、ある意味で当然の結果と言えるだろう。
そこで総選挙を約1週間後に控えた今、ビデオニュース・ドットコムではあえて「原発問題の現状」を取り上げることにした。
その一環として、そもそも福島第一原発が今どのような状態にあるのかを、元福島第一原発電所4号機の原子炉圧力容器の設計者で、その後、国会事故調の委員を務めた科学ジャーナリストの田中三彦氏にジャーナリストの神保哲生が聞いた。
<ニュース・コメンタリー>最高裁「一票の格差」判決 ・都道府県単位の選挙区割りは許さず
一票の格差が最大で4.77倍だった2013年の参院選は法の前の平等を定めた憲法第14条に違反するとして、2つの弁護士グループが全国16カ所で争っていた裁判で、最高裁は11月26日、「違憲状態」との判断を下した。
今回も、選挙を無効とするところまで踏み込めず、前回までの判決を踏襲したに過ぎない判決のように見えるが、この問題に対する最高裁の見解が日に日に厳しくなっていることは、今回の判決意見を見てもまちがいなさそうだ。もはや○増☓減のような弥縫策では、違憲状態から脱することはできないことを印象付ける判決だった。
また、少数意見ながら裁判官の一人が明確に意見・無効を主張し、民主主義の基盤ともいうべき投票価値は、一時的であっても2割以上の格差は認められないとする数値基準を示したことの意味は大きい。…
参議院は2012年11月に「4増4減」の区割り変更を加えたが、都道府県単位の区割を残したまま一票の格差を縮める弥縫策はもはや限界にきている。今後は参議院が都道府県単位の区割りを廃止できるかどうかに争点が移ることになる。
逆の見方をすれば、都道府県単位の区割を変更しない限り、最高裁は違憲状態判決を出し続けることは必至な情勢だ。今回は明確に「違憲・無効」を判断した裁判官は山本庸幸裁判官ただ一人だったが、今後その数は増えてくる。それが8人の過半数に至る前に参議院が都道府県単位の区割りを変更できるかどうかが注目されるところだ。
今回の判決は衆議院選挙の一票の格差問題にも影響を及ぼすだろう。衆議院でも最高裁は違憲状態判決を出し続けているが、そこでの焦点も一票の価値が2倍を超えないことと、都道府県に一議席があらかじめ割り当てられている一人別枠方式に集約されてきている。
ただし、最高裁は一人別枠方式の変更を求める意見を表明しているが、衆議院が一人別枠を廃止しても1.6倍の格差が残る。今回山本庸幸裁判官は少数意見ながら、民主主義の下では投票価値は1対1を大前提とし、人口移動などで一時的にやむを得ず格差が生じることがあっても、それは最大でも2割未満、つまり1対1.2未満に抑えられるべきとの基準を示している。今後衆議院でも一人別枠の廃止にとどまらず、都道府県単位の選挙区割りの変更が迫られることになってくることは必至だろう。
一見、これまでの判決を踏襲しているかのようでありながら、その内容において着実に前進を見せると同時に、衆議院の一票の格差判決にも影響を及ぼす今回の最高裁の一票の格差判決について、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
その他、自民党から放送局に送られた手紙に見る、「中立・公平・公正」という名の圧力について、など。
<ニュース・コメンタリー>間違いだらけの違憲選挙
「解散は首相の専権事項だ。」
われわれは国会議員や閣僚がこの台詞を口にするのを、耳にたこができるほど繰り返し聞かされてきた。確かに衆議院を解散する権限は首相しか持たない特別な権限かもしれない。その意味で、それが首相の専権事項であることは間違いない。しかし、だからといって、これが「首相がいつでも好きなときに衆議院を解散できる」という意味で受け止められているとすれば、それは大きな間違いだ。いや、むしろ内閣不信任決議案の可決によらない首相の解散の是非を憲法がどう定めているかについては、最高裁判所では結論が出ず、その是非の決定はわれわれ国民に委ねられているというのが、正しい憲法解釈なのだ。要するに、あなたがこれを違憲と思えば違憲、合憲と思えば合憲ということだ。
安倍首相は衆議院の解散を決断し、11月21日午後の衆議院本会議で伊吹文明衆院議長が、紫の袱紗に包まれた天皇陛下の解散詔書を読み上げた。
「憲法第7条によって衆議院を解散する」
憲法で衆議院の解散を直接定めている条文は憲法69条の内閣不信任決議案のくだりだけだ。憲法第69条は、衆議院で内閣不信任決議案が可決された時、首相は10日以内に衆議院を解散しなければ、内閣総辞職をしなけばならないと定めている。
しかし、今回の、そして過去のほとんどの解散の根拠となっている憲法第7条は、実は天皇の国事行為を定めた条文に過ぎない。憲法第7条には天皇が行う国事行為として憲法改正や法律の公布、国会の召集、条約の認証、恩赦の認証などと並んで、その3に「衆議院を解散すること」というものが含まれている。そして、憲法第3条で、すべての天皇の国事行為は「内閣の助言と承認を必要とし」と定められていることから、いわゆる7条解散というのは、内閣の助言によって天皇が自ら解散を行った形が取られているものだ。
無論、陛下の国事行為に含まれていて、内閣はそれを助言する立場にあるからといって、首相が自分だけの意思で無条件、無制限に衆院を解散できると解するのは、憲法の条文上も、また道義上も、少々無理があるとは誰もが感じるところだろう。
実は1952年の戦後2度目の解散が、憲法第7条に基づいた最初の解散だった。吉田茂内閣によるこの解散によって衆議院議員の職を失った苫米地義三衆院議員が、この解散の正当性について憲法判断を求めて訴訟を起こした。これがいわゆる苫米地事件と呼ばれるものだ。
この裁判で地裁は7条解散を違憲、高裁はこれを合憲としたが、最高裁は1960年6月8日の大法廷判決で、「高度の政治性」を理由に7条解散の是非についての憲法判断を回避する決定を下している。この判決の中で最高裁は、前年の砂川事件で判例化した「統治行為論」を根拠に、このように高度の政治性を帯びた問題は三権分立の精神の元では、司法が介入すべき問題ではないとの立場を取った。その上で最高裁は、7条解散の合憲性は、「最終的には国民の政治判断に委ねられているもの」と指摘しているのだ。・・・
気鋭の憲法学者木村草太と、此度の解散総選挙の憲法上の問題点と、それがわれわれ有権者に突きつけている「政治判断」の意味を、ジャーナリストの神保哲生と社会学者宮台真司が議論した。
<ニュース・コメンタリー>「イスラム国」の通貨発行をどう見るか
イラクとシリアに勢力圏を拡大している「イスラム国」が、独自の通貨を発行するという。
同グループがウェブサイトに発表した文書によると、金と銀、銅のディナール硬貨を発行し、既存の通貨を廃止するとしている。
イスラム国は政府の機能を持った省庁制度を持ち、独自のパスポートを発行するなど、独立した国家としての体制作りを進めており、アラブの春によって中東地域の政治が流動化して以降、台頭してきた過激派組織とは、明らかに一線を画する動きを見せている。
中東政治が専門の清泉女子大の山本達也准教授に、遂に独自の通貨を発表するまでに至ったイスラム国の台頭の意味を聞いた。
<ニュース・コメンタリー>一票の格差問題を残したまま解散総選挙でいいのか
解散総選挙が取り沙汰されている。
安倍首相が11月17日の7~9月のGDPの速報値発表を受けて、消費税率の引き上げ延期し、その是非を問う選挙に打って出るというのが、ほぼ既定路線となっているようだ。
こうした動きに対して、党利党略のための解散権の濫用との批判もあるが、それよりもさらに深刻な問題がある。
2012年12月の総選挙で当選した議員たちから成る現在の衆議院を、最高裁が「違憲状態」にあると判断しているという事実を、われわれは忘れてはいないだろうか。
伊吹文明衆議院議長は11月14日、現在の衆議院はその後、2013年6月に0増5減の区割り変更を行ったことで、最高裁が問題とした投票価値の2倍以上の格差は解消されたとして、現在の衆議院は違憲状態を脱しているとの認識を示している。
しかし、最高裁が2013年11月の大法廷判決で「違憲状態」と判断した根拠となった問題は、0増5減の区割り変更では完全には修正されていない。最高裁は同じく「違憲状態」と判断した2011年3月の大法廷判決で、各県に一議席を割り当てた上で残りの議席を人口で比例配分する「一人別枠方式」の選挙区割りは「憲法の投票価値の平等の要求に反する」と批判すると同時に、投票価値の格差は2倍以上開くべきではないとの判断を下しているのが、現在の衆議院の区割りでもまだ、この「一人別枠方式」が解消されていないのだ。
安倍政権が2013年6月に行った0増5減の区割り変更では、最高裁が問題とした「一人別枠方式」は、その一部が修正されたに過ぎず、依然として、多くの選挙区が「一人別枠方式」によって過重な議席を割り当てられている状態は変わっていない。
最高裁は2013年の判決の中で、「一人別枠方式」が完全に修正されない限り、一時的に2倍の格差が解消されても、わずかな人口移動で再び2倍の格差が開くおそれがあると警鐘を鳴らしているが、現に、現行制度の下で最も投票価値の大きい宮城5区と2倍以上格差がある選挙区が、2014年1月時点で14もある状態だ。
「一人別枠方式」を解消し、単純に議席を県別に人口比例配分すれば、一票の格差はおよそ1.6倍程度まで是正され、多少の人口移動では最高裁が問題とする2倍未満に抑えることが可能になる。それがわかっていながら、現政権はあえて違憲状態を放置したまま、解散総選挙に打って出ようとしているのだ。
選挙後に違憲訴訟が起こされれば、再び違憲状態もしくは違憲判決が出ることが確実な状態で、解散総選挙を強行することが、果たして許されるのだろうか。
ジャーナリストの神保哲生と国際政治学者の山本達也が議論した。