タグ プリシラ・チャン が登録されている動画 : 41 件中 1 - 32 件目
種類:
- タグ
- キーワード
対象:
B'z NATIVE DANCE Chinese style
聴いての通り、中国語バージョンですwww現地タイトルは「Relax For Three Minutes」だそうです。「陳慧嫻」という歌手が歌っているらしい・・・ほかにもあるのでしょうか???
Priscilla Chan 陳慧嫻- 甚麼都想要(MV Version)
tube tensai(●w●)〜 アルバム『正是愛』の2曲目 〜 プリシラ チャン
陳慧嫻-无名指
《*゚ω゚*》プルプルプルダウン プリシラ・チャン タイトルはなんて読むのかわかりません 画質はくそだが最高です
近藤真彦『夕焼けの歌』広東語版1…陳慧嫻「千千闕歌」
陳慧嫻(プリシラ・チャン)は80年代香港のカワイ子ちゃんアイドルで、日本でも「千年恋人」とかいう曲で売り出していました。『夕焼けの歌』の広東語カバーは梅艶芳(アニタ・ムイ)も「夕陽之歌(sm23708525)」という別歌詞バージョンを出していましたが、ヒットしたのは 「千千闕歌」の方でした。ラストは♪今宵ほど美しく、私がこんなに楽しめることはないだろう。だって今夜はあなたが一緒に歌ってくれているから~(次はいつ一緒に歌えるかわからないから~)♪という内容の歌詞で、現在でも香港人がカラオケに行くと「最後の締めの曲」として定番です。映像に出ているのは本人。
荻野目洋子『ダンシング・ヒーロー』広東語版1…陳慧嫻「跳舞街」
1986年頃の映像です。陳慧嫻(プリシラ・チャン)は当時香港でカワイ子ちゃんアイドルとして人気絶頂で、日本語のシングルも出してたびたび日本のテレビ番組にも出演していました。MVのロケ地は、当時の香港で一番「ナウい場所」だった尖東(チムサーチョイ・イースト)の埋立地。「跳舞街」の大ヒットで気を良くしたプリシラは、88年に北京語版の「舞動的心(sm23601833)」も歌って台湾進出を図りますが。。。
原由子『花咲く旅路』広東語版1…陳慧嫻(プリシラ・チャン)「飄雪」
80年代に香港の人気アイドルだった陳慧嫻(プリシラ・チャン)。90年代は歌手を引退してアメリカへ留学しましたが、留学先にレコード会社の人がやって来て出すことになったのが、この曲。台湾にも「飄雪」というタイトルの北京語の曲がありますが、全く違う歌で、『花咲く旅路』の北京語版は高勝美の「蝶兒蝶兒滿天飛sm22770467」。
安全地帯『碧い瞳のエリス』広東語版…陳慧嫻「痴情意外」
80年代香港のトップアイドル陳慧嫻(プリシラ・チャン)。実力派の梅艶芳(アニタ・ムイ)と比べてカワイ子ちゃんアイドルだったけど、歌はうまかったです。一時は日本でも日本語の歌を何曲か出してたけど、そちらはさっぱりでした。
平浩二『バス・ストップ』広東語版…陳慧嫻「紅茶館」
日本で中森明菜と松田聖子が人気を二分していた1980年代、香港では梅艶芳(アニタ・ムイ)と陳慧嫻(プリシラ・チャン)が人気を二分していました。アニタが貧乏家庭出身で陰がある→山口百恵路線→低音が魅力→派手な衣装と振り→恋人はマッチ…で「明菜派」ならば、いわばプリシラは中流家庭出身で明るい→清純派路線→高音が魅力→アメリカ留学…で「聖子派」。もっとも松田聖子のカバーは歌わず、80年代半ばは荻野目洋子のカバーを歌ってはっちゃけ路線に転じていました。そんな彼女がアメリカ留学中の1992年に歌ってヒットしたのが、『バス・ストップ 』の広東語カバー「紅茶館」。なぜ60年代の曲を?と思いますが、プリシラの声の特色が生かされています。
荻野目洋子『六本木純情派』広東語版…陳慧嫻「貪貪貪」
香港80年代の清純派アイドルだった陳慧嫻(プリシラ・チャン)が、86年に荻野目洋子の『ダンシング・ヒーロー』の広東語カバー「跳舞街(sm22753871)」の大ヒットでイメチェンに成功したのに続き、87年の第二弾荻野目カバーがこの曲。じゃあ新しいイメージとは何かと言うと、「日本女孩形象」つまり日本の女の子みたいなイメージだそうで、当時の原宿のロックンロール族もどきを香港のセントラルに出現させて通行人はビックリ。どうせなら竹の子族も出せばよかったのに。。。
堺正章『さらば恋人』広東語版…陳慧嫻「胡思乱想」
80年代の香港の女性アイドル・陳慧嫻(プリシラ・チャン)が、歌手を引退してアメリカへ留学していた1992年、レコード会社の頼みで出したアルバムの中の1曲。84年にデビューしたプリシラは、当初は清純派カワイ子ちゃん路線でしたが、80年代後半は荻野目洋子の『ダンシング・ヒーロー』のカバー(sm22753871)を歌って日本式元気印アイドルのイメージで売っていましたが、留学中に出したこのアルバムは『花咲く旅路(sm22768238)』や『バスストップ(sm22876564)』のカバーなど、しっとりと聴かせる曲が多くなっています。
早見優『ハートは戻らない』広東語版1…陳慧嫻「不羈恋人」
「花の82年組」では成功組だった女性アイドルも、80年代後半になると明菜は別格として、ベストテンに顔を出すのはあとキョンキョンくらいに。そんな頃に、香港で人気が急上昇し、カバーソングが相次いだのが早見優。なぜかと思えば、87年に香港映画に主役で出演したから。しかも当時スーパースターの譚詠麟(アラン・タム)と共演で、スリル+アクション+ラブ+コメディという何でもありの娯楽作。私もどっかの場末のシネマで観ましたが、香港映画的にフツーに面白かったですw「不羈戀人」は陳慧嫻(プリシラ・チャン)による1987年のカバー。李麗蕊(サラ・リー)も「Get Out(sm23416774)」として広東語カバーしてます。
河合奈保子『ハーフムーンセレナーデ』広東語版…陳慧嫻「月半小夜曲」
『ハーフムーン・セレナーデ』は河合奈保子が自ら作曲した1986年の曲ですが、香港でタイトルそのまま直訳の広東語カバーソング「月半小夜曲」が出たのは翌87年で、歌ったのは李克勤(ハッケン・リー)でした。それから20年経って2008年に陳慧嫻(プリシラ・チャン)がこの曲を歌ったところ、評判になったという次第。プリシラは80年代半ばに梅艶芳(アニタ・ムイ)と人気を二分したカワイ子ちゃんアイドルで、荻野目洋子のカバー(sm22753871やsm22917184)を歌っていましたが、90年代になるとしっとりしたバラード(sm22768238やsm22876564)を歌うようになり引退。しかし、最近また復活しているようです。
早見優『Monday Shutdown』広東語版1…陳慧嫻「変、変、変」
1980年代後半になって香港で急に人気が出た早見優。香港映画に出演したからですが、日本ではもうあまり流行らなくなっていた早見優の曲が次々と広東語カバーされました。なかでも『Stand up(sm23312531)』とともに大ヒットしたのが陳慧嫻(プリシラ・チャン)が歌った『Monday Shutdown』のカバー。歌い出しの♪我変!我変!変、変、変♪は香港で流行語になったくらいですが、これはもともと『仮面ライダー』が変身する時の広東語吹き替え版でのセリフから。プリシラは80年代後半に「日本式少女」というイメージ作戦で、荻野目洋子や早見優のカバーを歌ってました。90年代にはアメリカへ留学し引退しましたが、最近復活して、この映像は2009年のコンサートのもの。後半は『ダンシング・ヒーロー』の広東語版((sm22753871)です。
石川秀美『Every night』広東語版1…陳慧嫻「夜半驚魂」
石川秀美は「花の82年組」の中ではレコ大の最優秀新人賞を獲るというビックリするようなスタートを切りましたが、その後はなんだかパッとせず、80年代後半にはロック路線に。一方、陳慧嫻(プリシラ・チャン)は80年代に「香港の山口百恵」こと梅艶芳(アニタ・ムイ)と人気を二分したカワイ子ちゃんアイドル。80年代後半にアニタが公私両面で中森明菜と張り合って怪しい路線(sm22846568)に転じたのに対し、プリシラは荻野目洋子のカバー(sm22753871やsm22917184)を歌ってハッチャケ路線に転じ、その1つが88年に出した「夜半驚魂」。この頃、プリシラは絶頂期でした。
荻野目洋子『ダンシング・ヒーロー』北京語版02…陳慧嫻「舞動的心」
1980年代の香港でカワイ子ちゃんアイドルだった陳慧嫻(プリシラ・チャン)。1986年に荻野目洋子の『ダンシング・ヒーロー』を広東語でカバーした「跳舞街(sm22753871)」で、日式少女形象つまり日本の女の子のイメージで売り出したところ、人気絶頂に。そこで台湾進出を狙って88年には北京語版の「舞動的心」も歌ってみましたが。。。この時期、香港のシンガーたちは台湾進出を狙って広東語のヒット曲を次々と北京語でも歌っていましたが、総じて北京語版の歌詞は抽象的で、お上品になってしまう傾向がありました。それにしても、プリシラの北京語は80年代の香港人とは思えないほどウマイです。
安全地帯『碧い瞳のエリス』北京語版1…陳慧嫻「痴情意外」
80年代香港のトップアイドル陳慧嫻(プリシラ・チャン)。実力派の梅艶芳(アニタ・ムイ)と比べてカワイ子ちゃんアイドルだったけど、歌はうまかったです。一時は日本へやって来て日本語の曲を発売してましたが、あれは本気で日本進出を狙ってたというより、「日本でも評判!」というのを香港でウリにしたかったのでしょう。プリシラは「日式少女形象」つまり日本の女の子みたい!をアピールし、日本のカバーをたくさん歌ってましたが、その1つが『碧い瞳のエリス』の広東語カバー「痴情意外(sm22802024)」。香港でヒットし、続けて台湾進出を狙って(こちらは本気)同じタイトルの北京語版も出しましたが、台湾でヒットしたかは不明。それにしてもこの時期の香港人には珍しく、北京語の発音がキレイです。
平浩二『バス・ストップ』北京語版…陳慧嫻「紅茶館」
平浩二の『バス・ストップ』は1972年のヒット曲ですが、それから20年経って香港で陳慧嫻(プリシラ・チャン)が広東語カバーの「紅茶館(sm22876564)」を歌ったところ、声質に合っていたのか大ヒット。そこで台湾やシンガポールにも売り込むべく、北京語版も出してみた次第。なにしろ80年以降のシンガポールは「北京語普及政策」で、広東語ソングはすべて放送禁止という状態なので、北京語で歌わないとラジオでも流せない状態。白文字が広東語版の歌詞、黄文字が北京語版の歌詞ですが、内容はまったく別。タイトルが「紅茶館」なのに北京語版は♪紅茶杯~♪で始まるのは、広東語版のように♪紅茶館~♪だと、北京語の発音は♪ホンチャグァ~ン♪で下品?だからでしょう。
早見優『Monday Shutdown』北京語版…陳慧嫻「変変変狂想曲」
「花の82年組」と言われたアイドル達も、80年代後半になると明菜とキョンキョンを除いてヒット曲を出せなくなりますが、なぜかこの時期に香港でブレイクしたのが早見優。広東語で片っ端からカバーされ、なかでも『Stand up(sm23312531)』とともに大ヒットしたのが陳慧嫻(プリシラ・チャン)が歌った85年のアルバム曲『Monday Shutdown』のカバー「変変変(sm23544745)」。宇宙人になりたいという夢の果て、最後は人間でヨカッタという歌ですが、台湾やシンガポール市場を狙って北京語版も出してみたのがこの曲。
南翔子『泣きまね』広東語版1…陳慧嫻「Love Me Once Again」
南翔子の『泣きまね』は1986年の曲。日本ではたいしてヒットしてませんが、香港では同じ年に陳慧嫻(プリシラ・チャン)の「Love Me Once Again(sm26173296)」と、林憶蓮(サンディ・ラム)の「長街的一角(sm26173315)」の2つの広東語カバーが登場し、当時人気絶頂だったプリシラの「Love Me Once Again」は大ヒット。88年には台湾やシンガポール市場を狙って、北京語カバーの「再一次相恋(sm26173336)」も出しました。映像でレコーディングをしているような女性は、プリシラじゃありません。。。
南翔子『泣きまね』北京語版…陳慧嫻「再一次相恋」
南翔子の『泣きまね』は1986年の曲。日本ではたいしてヒットしてませんが、香港では同じ年に陳慧嫻(プリシラ・チャン)の「Love Me Once Again(sm26173296)」と、林憶蓮(サンディ・ラム)の「長街的一角(sm26173315)」の2つの広東語カバーが登場し、当時人気絶頂だったプリシラの「Love Me Once Again」は大ヒット。88年には台湾やシンガポール市場を狙って、北京語カバーの「再一次相恋(sm26173336)」も出しました。
「青いイナズマ」広東語カバー|プリシラ・チャン(陳慧嫻)/拋拋
ぱうぱうぱうぱうぱうぱうぱうぱう(ry
時系列としては林田健司(オリジナル、94年)→プリシラ・チャン(95年)→SMAP(96年)の順
早見優『Love Station』広東語版…陳慧嫻(プリシラ・チャン)「請勿接近」
陳慧嫻(プリシラ・チャン)1987年