タグ 仏教 が登録されている動画 : 1809 件中 1665 - 1696 件目
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中国仏教シリーズ0-11-2 東晋 法顕 西域へ律を求めて
多くの経典の渡来とともに、律蔵に対する重要さが着目されてゆく
中国仏教シリーズ0-11-1 東晋 法顕 西域へ律を求めて
多くの経典の渡来とともに、律蔵に対する重要さが着目されてゆく
【鎌倉仏教シリーズ】第66回・曹洞宗⑩豊川稲荷(密教との習合)2-2
曹洞宗は5代宗主・峨山の時代から廃寺となった密教系の寺や民間信仰の神社などを次々と曹洞宗の寺として吸収していきましたが、この豊川稲荷もその一つで、もともと真言宗のお寺だった歓喜寺(豊橋市)を曹洞宗法王派の東海義易が曹洞宗のお寺に改宗させ、さらに豊川に移転したことに由来します。豊川稲荷の正式名は、円福山 豊川閣 妙厳寺と言い、曹洞宗のお寺ではありますが、今日に至るまでその守護神(本尊は千手観音)である吒枳尼天が「お稲荷」さんとして有名になっており、日本三大稲荷の一つと呼ばれています。
山本玄峰 老師
山本 玄峰(やまもと げんぽう、慶応2年1月28日(1866年3月14日) - 昭和36年(1961年)6月3日)は、和歌山県本宮町生まれの禅僧。昭和において多くの著名人が参禅に訪れた静岡県三島市の龍沢寺の住職として有名。鈴木貫太郎に終戦を勧め、戦後も象徴天皇制を鋭く示唆する。
中国仏教シリーズ0-10-2 五胡十六国 鳩摩羅什本格的な経典と教義の広まり
格義を持って、仏典を語る時代は天才鳩摩羅什三蔵の時代により終焉を迎える。大混乱の中華において、泥の中に蓮の花が咲く
中国仏教シリーズ0-9-3東晋 釈道安における格義否定
仏教公伝以降、中華では老荘や儒教の用語を持って仏教用語を説明していましたが、中国も公伝から200年以上たち、本格的な仏教理解を求める世となってゆく。
中国仏教シリーズ0-9-2東晋 釈道安における格義否定
仏教公伝以降、中華では老荘や儒教の用語を持って仏教用語を説明していましたが、中国も公伝から200年以上たち、本格的な仏教理解を求める世となってゆく。
中国仏教シリーズ0-9-1 東晋 釈道安における格義否定
仏教公伝以降、中華では老荘や儒教の用語を持って仏教用語を説明していましたが、中国も公伝から200年以上たち、本格的な仏教理解を求める世となってゆく。
中国仏教シリーズ0-8-2 西晋~東晋 広がる格義仏教 支遁・竺法雅
後漢末より、道教の神々の仲間として奉られた仏の教えが、道教や儒教の用語を持って解釈されてゆく
中国仏教シリーズ0-8-1 西晋~東晋 広がる格義仏教 東晋と五胡十六国
後漢末より、道教の神々の仲間として奉られた仏の教えが、道教や儒教の用語を持って解釈されてゆく
大丈夫だからBOOM、BOOM,BOOM / 44A
今回は仏教の宇宙観についてです。でもなかなか私のノイローゼは治りません。
中国仏教シリーズ0-5 後漢 安世高と支婁迦讖 上座経典と大乗経典
本格的に中国に渡ってきた仏教経典 安世高と支婁迦讖の持ってきた経典が後の中国史に与えてゆく影響とは?
中国仏教シリーズ0-4 後漢 中華 仏教公伝 迦葉摩騰と竺法蘭
後漢の永平10年(67年)に伝説では仏教が中国に渡ってきた伝説と当時の仏教信仰について
【鎌倉仏教シリーズ】第53回・臨済宗⑯京都・鎌倉五山巡り3-3
現在に繋がる日本の代表的文化のほとんど(わびさびを中心とした造園、枯山水、水墨画、能、狂言、茶道、華道、石庭、俳句、日本画などおよそ日本的と思われるもののすべて)はこの日本臨済宗が生み出してますが(「神道」は無関係)、中でも雅の中に禅的な趣向を取り込んだ京都および鎌倉五山と南禅寺を今回は背景説明をしつつツアーをしたいと思います。
宇宙のさえずり / 44A
こんばんわみなさん「宇宙のさえずり」という言葉をご存知ですか?それはオーロラを生み出す原動力ともいわれJAXAも解明にのりだしていますしかし、それとよく似た事象について仏教の教典、「観無量寿経」にも想像観というところで似たようなことが書かれていますたしかに、すべてが、つながって、今があるという考え方はとても面白いですだから、小鳥のさえずりさえも、悟りの一つになるのですね
地域情報RADIO[曼珠沙華と私]
彼岸花(曼珠沙華が和歌山県 新宮市)では咲いています。今日は曼珠沙華に思う気持ちを述べてみました
田舎のお盆。迎え火をともす
2015年お盆の迎え火の動画をUPします。8月13日は仏様が霊界より帰って来ると言われており、13日の夕方に迎え火をともして仏様を案内します。風景シリーズ31作目です。まったりとした時間をお過ごし下さい。
亡き友への手紙. / 44A
みなさん残暑見舞い申し上げますお体などこわしてないでしょうか私は、先日実家のほうの墓参りに行ってまいりましたあと、別に不在で残念だったのですが昔仲良くしてた友達がいましてもう亡くなっているのですが、お盆なので帰ってきてないのかなぁと思うわけですそんなこんなで亡き友達への思いを手紙にして今回は朗読です。それでは 合掌
【鎌倉仏教シリーズ】第20回・浄土宗①法然3-3
平安末期に天台宗から発生した天台浄土教(空也・源信・良源)の流れを汲み、浄土教では観想念仏を中心に西方極楽浄土へ往生する道を示したのに対して、同じく天台宗出身の法然は、ただ阿弥陀如来の名前を唱えるだけで(西方)極楽浄土へ生まれ変わることができる(称名念仏)を唱え、庶民の中で爆発的にその教えは広まります。
【鎌倉仏教シリーズ】特別会・これまでのまとめ(悟り・成仏・浄土)4-2
次回からいよいよタイトル通りの鎌倉仏教に入っていきますが、その前にこれまでの講義の核心部分のまとめをした方がこの先の話が理解しやすいと思います。特に、この「悟り」「成仏」「浄土」については用語の理解の混乱があり、さらにお葬式の位置づけは日本仏教的にどうなるのか?そもそもブッダの時代になかった葬式観念、それが儒教や道教の影響を受けて今日の日本の葬儀観念が形成されています。
【鎌倉仏教シリーズ】特別会・これまでのまとめ(悟り・成仏・浄土)4- 1
次回からいよいよタイトル通りの鎌倉仏教に入っていきますが、その前にこれまでの講義の核心部分のまとめをした方がこの先の話が理解しやすいと思います。特に、この「悟り」「成仏」「浄土」については用語の理解の混乱があり、さらにお葬式の位置づけは日本仏教的にどうなるのか?そもそもブッダの時代になかった葬式観念、それが儒教や道教の影響を受けて今日の日本の葬儀観念が形成されています。
【鎌倉仏教シリーズ】第17回・平安仏教②天台宗(その1)4-4
最澄は、入唐して、天台山で円教(法華経)、北宗禅、大乗戒律(梵冥教)を学び、大乗経典を総合した天台教学を学び、日本に伝えますが、密教を十分に学ぶことができず、空海にその教えを乞うことになります。空海との絶交後、最澄は、比叡山に一乗止観院を築き、唐の天台智顗が生み出した止観という瞑想修行法を宗の中心に据えます。しかし、最澄亡き後は、弟子たちにより密教が採り入れられ、天台宗は密教が中心となります。
【鎌倉仏教シリーズ】第17回・平安仏教②天台宗(その1)4-3
最澄は、入唐して、天台山で円教(法華経)、北宗禅、大乗戒律(梵冥教)を学び、大乗経典を総合した天台教学を学び、日本に伝えますが、密教を十分に学ぶことができず、空海にその教えを乞うことになります。空海との絶交後、最澄は、比叡山に一乗止観院を築き、唐の天台智顗が生み出した止観という瞑想修行法を宗の中心に据えます。しかし、最澄亡き後は、弟子たちにより密教が採り入れられ、天台宗は密教が中心となります。
【鎌倉仏教シリーズ】第17回・平安仏教②天台宗(その1)4-2
最澄は、入唐して、天台山で円教(法華経)、北宗禅、大乗戒律(梵冥教)を学び、大乗経典を総合した天台教学を学び、日本に伝えますが、密教を十分に学ぶことができず、空海にその教えを乞うことになります。空海との絶交後、最澄は、比叡山に一乗止観院を築き、唐の天台智顗が生み出した止観という瞑想修行法を宗の中心に据えます。しかし、最澄亡き後は、弟子たちにより密教が採り入れられ、天台宗は密教が中心となります。
【鎌倉仏教シリーズ】第16回・平安仏教①真言宗(その2)5-4
空海が日本で開宗した真言宗は、ただ単に日本に密教をもたらしただけではなく、朝廷・貴族のみならず地方の信仰・祭祀にも多大な影響を与えました。中世(鎌倉時代以降)になると、真言宗は古事記の神話を密教的に解釈して書き換え(中世日本紀)、この密教的に書き換えた神話を弘法大師信仰とともに全国へ伝えました(高野聖)。そして、この真言宗的に解釈された日本神話を両部神道と呼び、今日の地方信仰にまで続く道を開きます。
【鎌倉仏教シリーズ】第16回・平安仏教①真言宗(その2)5-3
空海が日本で開宗した真言宗は、ただ単に日本に密教をもたらしただけではなく、朝廷・貴族のみならず地方の信仰・祭祀にも多大な影響を与えました。中世(鎌倉時代以降)になると、真言宗は古事記の神話を密教的に解釈して書き換え(中世日本紀)、この密教的に書き換えた神話を弘法大師信仰とともに全国へ伝えました(高野聖)。そして、この真言宗的に解釈された日本神話を両部神道と呼び、今日の地方信仰にまで続く道を開きます。
【鎌倉仏教シリーズ】第15回・平安仏教①真言宗(その1)4-3
奈良時代は、南都六宗という学問仏教が到来しましたが、中でも法相宗の僧侶たちは、孔雀明王法や七曜秘法などの雑密呪文を取り入れ、その霊的能力によって朝廷に(玄昉・道教ら)、そして庶民(行基ら)に強く支持されてきました。平安時代になると、体系化された密教(純密=真言宗)を求めて空海は唐に旅立ち、帰国後、その後の中世日本の朝廷や地方庶民を精神面を支配する日本の真言密教を完成します。