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延喜式内名神大社 旧官幣中社「厳島神社」(二) 御本社参拝記録 ほぼ人がいないです 令和2年5月
令和二年五月 新緑の厳島神社へ。回廊入口〜客(まろうど)神社〜東回廊(鏡の池、卒塔婆石)〜御本社周辺〜大國社、天神社〜長橋〜反橋〜西回廊出口まで。ひと気もまばらな回廊内を巡り参拝します。
山仲間と散策しながらなので一部撮影していないところは今年の正月初詣や過去のデータを補足的に一部活用してます。賑やかさと静寂を対比していいかなと。
鏡の池=干潮時に見られる手鏡に見立てられ厳島八景の一つ。2カ所?ある。
卒塔婆石=池にある岩に鹿ヶ谷事件で流された平康頼流した卒塔婆が流れていたという平家物語にあ るお話だそうです。卒塔婆石の奥の石灯籠は平康頼寄進と言われ一番古いそうです。
後園(うしろその)=本殿の真裏の禁足地。森になっているが昔の本地堂が祀られいた場所。
本地仏=神仏習合で仏が仮の姿で神として現れ人々を救うという信仰形態。江戸時代以前の神仏信仰のスタンダード。
厳島明神本地=十一面観世音観音菩薩の化身。今厳島明神本地仏は大聖院 観音堂に健在。先日も拝んできました。大きな立像でいいお姿ですよ。
客神社=まろうどじんじゃ回廊入り口最初の神社と平舞台のところに左右2カ所あります。
宮島に詳しい郷土史家の方やその他サイトなどいくつか見ると厳島明神に宗像女神が比定されたのは、鎌倉時代以降ではないかとの説があるそうです。元は記紀と関係ない土着神として祀られていたらしい。厳島そのものの神格化だったかもしれません。
ジャンプ設定直しました。コメントでお知らせ恐れ入ります(^^; 気付いてなかったです。
(一)参道から回廊入り口まで。sm36933927
(三)境内外の摂社大元神社(地主神の社とも言われる)編 sm37100895
人がいるところでや、喋るときはマスク、飲食時は喋らない、手を洗い消毒(私は消毒アルコールも持参) 参拝や静かに散策。今まで特に外国人さんめちゃくちゃ多すぎたよね。政府は煽りすぎてた観光。ほどほどに多いくらいがいいです。今は静かでに見れますよ観光へ来てくだされ。
周防國 旧玖珂郡 「祖生新宮神社、伊陸 高山寺、氷室亀山神社」日帰り参拝の旅
山口県の西 周防(すおう)の旧玖珂郡 を廻りました。周防西部シリーズ
まず旧山陽道を経由して難所の中峠を越えて玖珂(くが)市街に向かわず周東町祖生ヘの道をたどる。
新緑なので旧道を少し車載してます。
「新宮神社」岩国市周東町 祖生(そお)にある古社
この地はお盆にある「柱松」などの伝統行事で有名。かつて祖生は厳島神社別当寺 水精寺(今の大聖院の前身)の寺領であったそうで その関係で厳島明神を勧請したという。社(やしろ)はそれ以前から存在した模様。社殿奥は木の伐採や土砂が積んであり工事中のようでした。
他に祖生には近くに延喜式内熊毛神社論社「岩隈八幡宮」(古い方)などもあります。
伊陸(いかち)は、柳井市の山間部にある集落 祖生と氷室ケ岳を隔てて南側に位置する地域
「高山寺」足利尊氏直義兄弟が各国に設けた、旧周防安国寺遺構である。多くの修行僧、行者の集う相当な大寺だったようですが 今は火災で焼失し(残念です)本堂や山門が再建されています。 木犀(もくせい)の大木と本堂裏に江戸時代の様式の庭園があるそうです(未見です)
「氷室亀山神社」氷室があったという氷室ケ岳は、周防富士と呼ばれ秀麗な山容で霊峰とされた。 氷室大権現として崇敬された。氷室神社は山の8合目の堂屋敷という場所にあったが、麓の大元の地へ 遷座さらに室町の頃 現在地 氷室池のそばに鎮座した。氷室池は遷座の頃埋められて今はない。
明治以後 亀山神社と菅原神社と合祀され現在の社号となる。
山は細い林道が通り、以前登った時、山頂には石祠が2つかな?いまもある。景色は抜群です。
サムネは周防富士 氷室ケ岳の山容