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晩春の周防山代地方阿賀(あか)の古社 「 速田神社」 2022晩春
2023春 桜開花時期参拝 例の環境問題で揉めてるメガソーラーのある地域に近いです。
山里ながら古来厳島神社とも関係が深かったようで言い伝えでは厳島明神から神供米が送られていたこともあったらしい。
今も御烏喰式(おとぐいしき)も行われる。
現在の社殿は江戸時代後期の建立のようで三間社流造り〜岩国市の有形文化財指定。
現在地には阿賀の藤木というところから明治時代遷座した模様。
祭神など由緒など境内になく不明。おそらく市杵島姫など宗像神を祀っているのではと思われる。
縁起が不明なため探して美和町阿賀ブログラブHPの縁起に関しての記述を参照しました。
縁起説話については「神が女人姿で降臨し、早稲(イネ)を速く成熟して見せ里を守ると告げて田圃へ消えた」というものだそうです。
この辺りは岩国往来(岩国城下と山代街道を繋ぐ道)が通っていた。近くの雲照寺付近から県道とは別に昔の峠道があるらしい。県道130号線は雲照寺峠を越えて本郷へ続く。
速田神社という社号にかんして安芸の式内名神大社「速谷神社」が江戸の頃まで厳島の隆盛により
厳島の摂社的な位置になり速田神社と号していたと云いますのでそこから勧請した可能性が高い。
速谷の御祭神は安芸国造の祖神系=阿岐速玉男命ですからね?
注)音声解説では市指定重要文化財と言っておりますが正確には市指定有形文化財です。一部自治体では県指定、市指定重要文化財と呼称するところもありますが、正確には重要文化財は国指定のものになります。
【御朱印祭2023】〜voice peak〜 「厳島(宮島)満開の桜と寺社参詣(後編)」2023.3.28
今回は寺院巡り=桜+寺院参詣。大聖院・存光寺編 R5.3.28
桃林の桜〜あせび道〜大聖院(お寺カフェ、参道,観音堂とお雛様)〜 宝蔵、紅葉谷川河畔の桜〜
御文庫前の桜〜曹洞宗 存光寺の桜 大体桜の名所的なところは網羅かな?
あと藤娘=広島地場のお人形屋さんですね。
多喜山 水精寺 大聖院 旧厳島明神神宮寺 御朱印あり。
伽藍の多くは明治時代に焼失したため明治以後の再建復興。
厳島明神本地仏 十一面観世音菩薩を祀る 勅願堂=波切不動 摩尼殿などあり。
今回作成して十一面観音様の御朱印いただいてないのに気づいた^^人
山号に関して広島新四国八十八ヶ所霊場HPには表記のごとく記載 wikiが誤りか。
存光寺さんの御朱印も以前いただいてるんだけど御朱印帳にまだ貼ってなくて収めてしまってすぐに見つからない。ここなんかよく行ってるな。お地蔵様が好き。
撮影 OMD〜OMDEM1 MARKⅢ M.ZUIKO DIGITAL ED 12-40mm F2.8 PRO 撮影テスト
あとiPhone se2さんね
ものすごい人出だけどよく風景だけ撮ったと思います。頑張った。当分行かないだろうな・・。
撮影テストのデーターを後半をまとめた。
ちょいと声被ってるがそのままにします。プリジェクトが消えたので ^^;
今月よく作ってるな・・・データーが溜まりすぎなんだよ!
立ち絵(公式から)は最初と最後だけ使用。
案内として声の出演 彩澄りりせとフリモメンさん
カメラ担いで♪ ♪1分弱で巡る 芸州路00「初秋の宮内天王社 旧厳島明神兼帯社」 令和四年
神武天皇と素盞嗚命を祀る宮内天王社。定点観測。秋の初め参拝記録 短めのショート動画で。
廿日市周辺に神武天皇が東征時に立ち寄り伝承あり。
元は祇園信仰の社で、牛頭天王を祀るものだったらしい。
今の宮島街道が通るあたり海岸近くの藤掛山の麓にあり天正の津波で被害が出て現在地へ遷座したようです。
大木のある境内が良い。紅葉したらまた行ってきます^^ うまく落葉時期なら敷き詰めた銀杏がすごくいいんだわ。
字幕訂正 ムクジロ=ムクロジ
厳島神社境外摂社 外宮社 【地御前神社】 御陵衣祭(馬飛ばし) 広島県廿日市市地御前
2022・6・3 廿日市市 厳島神社外宮社 地御前神社祭礼 編集がんばったぉ
厳島神社境外摂社 地御前神社は島の本宮と同時に創建された古社。
厳島本社=島の御前 地御前=地の御前
00:00 地御前〜町家、寺院、御堂、大歳神社
03:36 地御前神社境内色々
04:40 拝殿内〜神事〜厳島神社神官による舞楽
07: 38 境内模様〜流鏑馬(馬は走りません)
09:08 釈迦堂と丈六釈迦坐像
平安末期には十九の神殿や殿舎が並んだと言われます(wiki参照)
最盛期と比べ規模縮小している。
神事〜お祓いを受け後〜舞楽奉納〜流鏑馬(拝殿前〜釈迦堂前)
釈迦如来坐像 丈六佛で坐像だが立てば4.8mになるサイズで作成された大きなもの。
坐像の象高さ2.9m膝張2.3m
広島でも最大級の釈迦如来坐像。
定説=地御前神社の神宮寺のにあった仏像が廃仏毀釈を免れて祀られている。彫刻の様式から製作は室
町時代とも言われる。
地元で詳しい氏子さんに聞いた説=以前 京大の教授が調査。玉眼が用いられていないタイプの仏像でおそらく製作は平安末期ではないか?との説があるようです。
厳島明神社のどこかに(宮島)にあったものを廃仏毀釈から守るため伊予国へ預けた〜後に返され寺子屋だった建物に祀った。
高照寺山麓 祖生(そお)新宮神社、長寶寺(創建1200年)岩国市周東町祖生(旧玖珂郡周東町)
一分弱登山動画祭であげた氷室ヶ岳の関連として山向こうの祖生(そお)を散策します。
山口県の東部の周防(すおう)旧玖珂郡を廻りました。
この日の行程〜まず旧山陽道を経由して難所の中峠を越えて玖珂(くが)市街に向かわず周東町祖生ヘの道をたどりました(これは毎回定番コースです)新宮神社、長寶寺を回り〜この後先に動画をうpした藤生の松巖院へ行きました。動画は新宮神社から〜
新宮神社」
岩国市周東町 祖生(そお)にある古社。社殿の姿が大変いいです^^
この地はお盆にある「柱松」などの伝統行事で有名。
かつて祖生は厳島神社別当寺 水精寺(今の大聖院の前身)の寺領であったそうでその関係で大内氏の名により源宗光が厳島明神を勧請したという。社(やしろ)はそれ以前から存在した模様。
江戸時代は吉川氏の祈願所だった。
他に祖生には近くに延喜式内熊毛神社論社「岩隈八幡宮」(古い方)などもあります。
洪福山 長寶寺(ちょうほうじ) 観音霊場の 創建1200年は経つと思われるの古刹
行基菩薩が行脚中に高照山中の高所に補陀落に似た場所を見つけ観音菩薩像を彫り祀ったことから
始まった縁起がある。創建時は密教寺院で大同年間の記録などもあるようです〜1338年普明国師により臨済宗に変わり中興されたが江戸時代古い伽藍を焼失したのち現在地へ寺院を降ろしたということです。
山門をくぐると大変見晴らしのいい境内があり本堂がある。
一段高い場所に観音堂があり、十一面観音菩薩を祀る。
周防三十三ヶ所観音霊場二番。この霊場は大内弘世が勧請した霊場で古いものである。
霊場のHPによれば観音菩薩像は見た感じから藤原期(平安時代)の作ではないかとの記述もあった。
33年毎開帳の秘仏で明治以後は7年ごとにのみ開帳されています。
周防33ヶ所観音霊場、長寶寺サイト参照。
修正機能試してみた いいね^^
晩春の 大竹 疫神社・大治社大竹市元町
広島県西端の街大竹市 鎮守大瀧神社の元の鎮座地(弥ヶ迫)にある「疫神社」(疫病を鎮めるため祭られた)と大治(おおし)社(宗像三神中でも田心姫命を祀る)大瀧神社〜御神幸の終点でもある。
桜のころも撮影したので桜模様はまたうpします。
大竹地域の言い伝えでは=ここの場所あたりに厳島神社創建社として知られる流刑中の佐伯鞍職(くらもと)が居住していた場所と言われる。厳島明神鎮座伝説中では所の翁とも呼ばれる。疫神社境内の 山の方に所塚(佐伯鞍職の形代をおさめているという)
注)この時は上までは行かなかったのですが、推古桜(途中で折れてる)が見えるところまで上がりました。そこから見た感じでは楕円形の石がいくつか据えてありちょうど墓所に花筒にシキミが供えてあるように見えたもんで。写真は失敗してた。
もしかしたら所塚自体はさらに奥かもしれません。墓の可能性も機会があればまた見てみようかな。
大瀧神社 宮司家=所 氏ですからね 佐伯氏の系譜か?
大治(し)社=田心姫を祭るお社。恵比寿様も合祀されているようです。
疫神社(やくじんじゃ)
大国主命、少名彦命(字幕=打ち間違えてます訂正します^^; 動画はこのままにします)、素盞嗚命〜祭神は元は牛頭天王なんでしょうね。
所の翁=伝説ですが、厳島明神が厳島へ来た時、海上で出会った釣りをする翁。どこのものかと問えば
所のものですと答えたという伝説で(この土地のものです意味)厳島神社創建の佐伯鞍職である。
佐伯鞍職(大竹の説話では)、または別の人物とも・・。
歴史的なものは大竹歴史研究会のHP記事を参照しています。
晩春の周防山代地方阿賀(あか)の古社 「 速田神社」 2022晩春
岩国市湖者速田神社。神社部分だけ。美和町の阿賀 。里の鎮守 速田神社。
何度か来ているが久々に記録動画(ここへくる前にカフェに寄ってきて夕方近く)
山里ながら古来厳島神社とも関係が深かったようで言い伝えでは厳島明神から神供米が送られていたこともあったらしい。
今も御烏喰式(おとぐいしき)も行われる。
現在の社殿は江戸時代後期の建立のようで三間社流造り〜岩国市の有形文化財指定。
現在地には阿賀の藤木というところから明治時代遷座した模様。
祭神など由緒など境内になく不明。おそらく市杵島姫など宗像神を祀っているのではと思われる。
縁起が不明なため探して美和町阿賀ブログラブHPの縁起に関しての記述を参照しました。
縁起説話については「神が女人姿で降臨し、早稲(イネ)を速く成熟して見せ里を守ると告げて田圃へ消えた」というものだそうで市杵島姫などを連想させるきもしますが・・どうなんでしょう。
この辺りは岩国往来(岩国城下と山代街道を繋ぐ道)が通っていた。近くの雲照寺付近から県道とは別に昔の峠道があるらしい。県道130号線は雲照寺峠を越えて本郷へ続く。
速田神社という社号にかんして安芸の式内名神大社「速谷神社」が江戸の頃まで厳島の隆盛により
厳島の摂社的な位置になり速田神社と号していたと云いますのでそこから勧請した可能性が高い。
速谷の御祭神は安芸国造の祖神系=阿岐速玉男命ですからね?
厳島明神 兼帯七社の一つ 「三翁神社」(角振・山王社)〜広島県安芸郡府中町〜
厳島神社旧兼帯七社の一つ 角振・山王社 現「三翁神社」訪問記。
創建は不詳ながら鎌倉時代以前から存在した古社。
祭神は春日系の角振隼総明神、(厳島神からみの三翁神)佐伯の翁(宮司系の佐伯氏か?) 所の翁(大瀧神社絡み) 岩木の翁(これは速谷の地主神とも言われる)
日吉山王の祭神は見当たらないのは天台臭がするため明治に変えられたのだろうか?
厳島の末社三翁社もやはり平家関係と三翁や綿津見神などになっていますね
この辺りは安芸国の国衙庁があり在庁官人田所氏の屋敷があり現在 田所神社が祀られている。(これは後でようつべの詳しい方に教えていただいたもので未訪問)
田所氏の古文書には 田所氏や厳島明神、角振社(その免田など)の関わりなども記載されているそうです。
天文年間(1532〜42年)に旧角振社が社殿が朽ち果て境内社の山王社(比叡山王でしょう)にやむなく合祀されたとの記録がありそれ以来 角振・山王社などとも呼ばれたようです。
江戸時代まで(いつ頃からは?)厳島神社の兼帯社であったそうです。
扁額=衆議院議員 中川秀直筆
兼帯社は以下
府中=惣社(現 多家神社)、角振、佐東郡=安芸津彦社 佐伯郡=速谷、天王社、大頭(おおがしら)、 大瀧の計七社。
厳島明神より祀官が来て祭祀を行い、修築の資材なども給された。
コンクリート再建なので心配したが拝殿は2階にそのまま移築されている模様。
広告恐れ入ります^^
【 神社風景 】西ノ松原「厳島神社 末社 清盛神社」 kiyomori shrine
松と海が美しい西の松原にある清盛神社。1952年 昭和27年が(没後)770年にあたり機運が起こり、翌28年に奉賛会が組織され 摂社の三翁神社の祭神のひと柱だったが分祀され建立された。
厳島明神信仰興隆の恩人 平清盛公威徳を偲んで鎮座した新しい末社。西の松原の先端にあり海の景色が良い。
社殿=一間社流れ造 檜皮葺の屋根で丹塗の社殿に瑞垣がある。
祭神=平清盛公一座
御手洗川(紅葉谷川)沿いにあり神社そばの橋を渡り西へ行くと宮島水族館や大元公園、摂社の大元神社へと続く。
西の松原は江戸時代に川の土砂や砂浜の砂を築き固め作られ、昭和20年の枕崎台風の災害時の大量の土砂でさらに延長されたのどかで風光明媚な場所。厳島神社出口の傍から松原が始まる。
宮島へ行くと松原はよく行くが人が比較的少ないので割と静かでさらに大元神社へが自分的には定番コース。
【初夏の自然公園】おおの自然観察の森4 野鳥のいい声を聞きつつ湖畔をめぐり・べにまんさく群生地へ
広島県天然記念物指定「べにまんさく群生地南限」 湖畔をめぐり・べにまんさく群生地へ。
マルバノキ(べにまんさく)マンサク科マルバノキ属。飛び地的に各地の群生しているが、数が少なく絶滅危惧の植物である。
氷河期の残存種とも言われ可愛いハート型の葉で、秋には赤く紅葉して美しい。名前の由来は花が紅色ゆえとも。wikiより
広島県西端の廿日市市の渡ノ瀬ダムから林道を辿りはるばる山の中腹?へ。山中の大きな貯水池周りにある廿日市の自然アウトドアスポット。おおの自然観察の森へ2年ぶり?? 新緑の時期で緑が綺麗な散策路。駐車場を出ると新緑色の中既にいい香りがして森林浴^^:
自然観察センターまでの記録。ちょい修正した。
生憎、晴れたり曇ったりの天気なのが惜しかったな。
おおの権現山の中腹あたりにある池を中心にした自然観察公園。権現山は旧佐伯町側からも登れるし、渡ノ瀬地区から(車道とは別で車は走れない)道もあり観察の森に至る(昔1回歩いたことがあるけどあんまり道はよくない)
ダム湖から林道車載 sm38806391
余談=権現山には瑜伽 廃祠(仏像は岡山児島あたりに移されているらしい)があり巨石の山頂、山中にも立石(ドルメン)などがありすごいです。厳島明神も近いし、山岳修験道絡みかもしれません??。また行きたいけど体調イマイチなのと体力が・・・2015年初冬に登って以来行ってない。
車道だと山陽自動車道 大野IC近くの近角林道(観察の森あたりから流れる中津岡川沿い)か県道42号線を渡ノ瀬貯水ダムまで行き途中、大竹方面への分岐で別れ林道(車用)を遡ると入口の帆柱峠へ行くことができる。近そうでなかなか遠い。
2021・5現在=近角林道は道路陥没で通行止めでした。
その2 モリアオガエルの池 sm38836139
その3 八丁トンボの湿地 sm38837073
【 自然観察 】おおの自然観察の森(3)〜山野草を見ながら八丁蜻蛉の湿地へ
その3=湖畔を回りながら山野草の花、山や樹々を眺めて野鳥(鶯ホトトギスなど)の鳴く声の中を散策です。八丁蜻蛉の湿地に水蓮の花、モウセン苔など(撮影して蜻蛉はいましたが多分??近くに居たのは八丁蜻蛉じゃないんではないかなあ 確かに小さめのトンボでしたが??自信がない^^;)
この辺は確か季節には鷺草もあるはず。
成虫になって20日くらいしたら雄は赤く成るらしいんですが。メスは黒と黄色の横縞があるらしいけど観察センターで次回写真を調べてみよう。時期的に成虫が居ておかしくないからね。
広島県西端の廿日市市の渡ノ瀬ダムから林道を辿りはるばる山の中腹?へ。山中の大きな貯水池周りにある廿日市の自然アウトドアスポット。おおの自然観察の森へ2年ぶり?? 新緑の時期で緑が綺麗な散策路。駐車場を出ると新緑色の中既にいい香りがして森林浴^^:
生憎、晴れたり曇ったりの天気なのが惜しかったな。
おおの権現山の中腹あたりにある池を中心にした自然観察公園。権現山は旧佐伯町側からも登れるし、渡ノ瀬地区から(車道とは別で車は走れない)道もあり観察の森に至る(昔1回歩いたことがあるけどあんまり道はよくない山道だね)
余談=権現山には瑜伽 廃祠(仏像は岡山児島あたりに移されているらしい)があり巨石の山頂、山中にも立石(ドルメン)などがありすごいです。厳島明神も近いし、山岳修験道絡みかもしれません??。また行きたいけど。登りやすいんですけど、体調イマイチなのと体力が・・・2015年初冬に登って以来行ってない。
車道だと山陽自動車道 大野IC近くの近角林道(観察の森あたりから流れる中津岡川沿い)か県道42号線を渡ノ瀬貯水ダムまで行き途中、大竹方面への分岐で別れ林道(車用)を遡ると入口の帆柱峠へ行くことができる。近そうでなかなか遠い。
前に何度麓から登山したけど駅やバス停から近角林道歩くと帆柱峠まで2時間半はかかるね。
2021・5現在=近角林道は道路陥没で通行止めでした。
渡ノ瀬ダム〜林道車載 sm38806391
【 自然観察 】おおの自然観察の森(1)〜森林浴しながら観察センターへ森林浴
広島県西端の廿日市市の渡ノ瀬ダムから林道を辿りはるばる山の中腹?へ。山中の大きな貯水池周りにある廿日市の自然アウトドアスポット。おおの自然観察の森へ2年ぶり?? 新緑の時期で緑が綺麗な散策路。駐車場を出ると新緑色の中既にいい香りがして森林浴^^:
自然観察センターまでの記録。ちょい修正した。
生憎、晴れたり曇ったりの天気なのが惜しかったな。
おおの権現山の中腹あたりにある池を中心にした自然観察公園。権現山は旧佐伯町側からも登れるし、渡ノ瀬地区から(車道とは別で車は走れない)道もあり観察の森に至る(昔1回歩いたことがあるけどあんまり道はよくない)車載 sm38806391
余談=権現山には瑜伽 廃祠(仏像は岡山児島あたりに移されているらしい)があり巨石の山頂、山中にも立石(ドルメン)などがありすごいです。厳島明神も近いし、山岳修験道絡みかもしれません??。また行きたいけど体調イマイチなのと体力が・・・2015年初冬に登って以来行ってない。
車道だと山陽自動車道 大野IC近くの近角林道(観察の森あたりから流れる中津岡川沿い)か県道42号線を渡ノ瀬貯水ダムまで行き途中、大竹方面への分岐で別れ林道(車用)を遡ると入口の帆柱峠へ行くことができる。近そうでなかなか遠い。
2021・5現在=近角林道は道路陥没で通行止めでした。
その2=モリアオガエルの池へ 予定。
【 宮島の神社風景 】「厳島神社末社 荒胡子神社」(旧 大願寺子院 金剛院の鎮守社)
旧 金剛院鎮守社 「荒胡子神社」の佇まい。初夏の風景。
厳島神社は江戸時代まで神宮寺「大聖院」、造営修繕を司る「大願寺」をもとなう神仏習合の厳島明神だった。大願寺は神社のすぐそばにあり御本社と一体となり大伽藍を形成していたらしいです。
塔の岡の下あたりに真言宗の金剛院がかつてあり大願寺の子院であったそうです。五重塔も金剛院の塔だったとか。金剛院=仁寿二年(854年)建立で相当古い寺院だったそうです。
朱塗の神殿は15世紀室町期の嘉吉元年(1441年)建立。棟札には島田三郎左衛門尉宗氏が造立したと記載される同院の鎮守である〜この年は7月に足利義教謀殺の嘉吉の乱が起こった〜
明治の神仏分離政策で分離され、鎮守社は厳島神社へ属すこととなる。社殿の詳細は、広島県の文化財サイトによった。
隣が厳島神社の修繕工事などの作業場、資材置き場のようになっていた。
またその先には御文庫の蔵が立つ。
御文庫は光明院の僧が発願し建立、蔵書とともに厳島本社へ奉納されたと伝わる。蔵は景教の建築様式であると厳島神社の公式サイトの記述には記載されていた。
余談〜金剛院は佐伯区の石内へ移ったらしいです。現在もそちらに現存しています。新広島四国八十八ヶ所の遍路の札所になっているらしい。
大聖院参道 「滝小路」を辿り【厳島八景 白糸の滝 と瀧宮神社】へ 〜世界遺産宮島の自然〜
厳島神社を出て少し戻った、久保橋あたりから柳小路を通り、滝小路へ入る。大聖院を経て、白糸川添いに進み弥山登山道に入る。R3/5/10
鳥居、懺悔地蔵などを経て、H17年の台風による土石流災害跡の復興された大きな堰堤を抜け、滝不動、瀧宮、白糸の滝へ至るまで。本編。
滝小路=厳島神社裏あたり筋違橋を渡りまっすぐ大聖院へ向けてのびる参道の道。江戸時代までは大聖院・宿坊、神官(棚守、上卿、祝師)の屋敷などが並んだエリア。緩い坂道が続き、町屋や石垣、古い町並みも残る。
瀧宮=創建は不詳、1180年高倉上皇が平清盛らとともに参詣した記録があり古い御社。厳島八景図に描かれた八景のひとつ白糸の滝の傍に鎮座。
厳島八景=江戸時代に光明院の僧が選んだ厳島の趣ある八つの風景。絵の題材などになっている。
大聖院=厳島神社の旧神宮寺で明治以後、分離した。明治時代に多くの伽藍を焼失し再建である。真言宗。長い神仏習合時代の厳島明神の本地仏「十一面観音菩薩」を今も祭祀している(観音堂にて公開されており参詣できる)
古い参道 山辺の古径を辿り塔の岡・五重塔への道 R3/5/10 sm38756633
<令和三年度> 厳島 管絃祭 本編 【厳島神社参詣と大鳥居前の儀】〜日本三大船神事〜sm39114027
宮島ってメインの厳島神社周辺の観光コース以外にさまざま歩くところがあって楽しい^^
宮島= 神社 滝 町並み 歴史 自然 をめぐる
厳島八景図は国会図書館のデジタル公開資料で著作権が切れた古書のものを利用。
西国街道 廿日市宿のみなと 海の守護神「住吉神社」の小さな御社 広島県廿日市市
廿日市宿は西側の重要な宿場。海が傍なので港は物資集積と海上交通輸送の拠点であった。
廿日市宿が、厳島明神の鬼門に当たることもあり港へ出入りする船舶や漁業者などの 安全祈願の「海の守護神」として祀られたのが住吉神社(住吉さん)である。三度遷座している。
御祭神 住吉大明神=墨江三前神(底筒男命 中筒男命 表筒男命)
桜(葉桜でしたが)並木の住吉堤防敷を散策 (sm38677372) してそのまま宮島街道へ出ると境内があった。横は公園。
宮島街道沿いで廿日市中心部から宮島街道を西に走り中国醸造所を西へわずか過ぎ海の方へ左折するとすぐ。
初めて参拝かなと。
早春の御社2 延喜式内名神大社・旧国幣中社「 速谷神社 」廿日市市上平良
伊勢神社参拝後、少し下の上平良まで移動。速谷神社=安芸国二宮。延喜五年(905年)延喜式神名帳の延喜式内名神大社 旧 国幣中社。御祭神飽速玉男命(アキハヤタマオノミコト)阿岐国造を祀る。
古代は厳島神社を凌ぐ安芸備後で最高の社格を持っていた。厳島信仰の高まりにより いつしか速田神社と称され二宮、厳島明神の摂社的位置になっていたが明治以後速谷神社と社号を戻し復興された。
各地に勧請されていて何箇所かあるようです。旧佐伯町友和の速田神社、美和阿賀の速田神社などには昨年行きました。
境内社=稲荷社と岩木社のみがある、数は少ないですね。
岩木社=参道入り口の大鳥居の近く(向かって左手の住宅街の間)にある権現岩という小山に祠があり岩木の翁を祀るその分祀のようで、権現岩の傍に平楽地蔵堂がある(神宮寺の名残、先日遠目に見たらブルーシートで屋根が痛んでいた)
地主の神様と言われる。厳島明神の伝説にも絡んでいて厳島神社の三翁神社の祭神の一柱にもなっている。以前は岩木社の前には石鳥居がなくて椿が今より大きかったかな。
少し山上にある原の鎮守(安芸灘の眺め) 早春の伊勢神社=sm38317248
山代地方 美和町 阿賀 「速田神社」(Hayata JInjya)晩夏再訪 山口県岩国市美和町阿賀
美和町の阿賀(aka) 。里の鎮守 速田(hayata)神社。山里ながら古来厳島神社とも関係が深かったようで言い伝えでは厳島明神から神供米が送られていたこともあったらしい。
今なお年2回御烏喰式(おとぐいしき)も行われる。
県道130号線で美和町阿賀 まで行き130号線の雲照寺峠方面は行かず、秋掛方面への道を進んですぐ。
現在の社殿は江戸時代後期の建立のようで三間社流造り〜岩国市の有形文化財指定。
現在地には阿賀の藤木というところから明治時代遷座した模様。祭神など由緒など境内になく不明。おそらく市杵島姫など宗像神を祀っているのではと思われる。こんど美和町史でも図書館で調べてみますかね。
縁起が不明なため探して美和町阿賀ブログラブHPの縁起に関しての記述を参照しました。
縁起説話については「神が女人姿で降臨し、早稲(イネ)を速く成熟して見せ里を守ると告げて田圃へ消えた」というものだそうで市杵島姫などを連想させるきもしますが・・どうなんでしょう。
この辺りは岩国往来(岩国城下と山代街道を繋ぐ道)が通っていた。近くの雲照寺付近から県道とは別に昔の峠道があるらしい。県道130号線は雲照寺峠を越えて本郷へ続く。
速田神社という社号にかんして安芸の式内名神大社「速谷神社」が江戸の頃まで厳島の隆盛により 厳島の摂社的な位置になり速田神社と号していたと云いますのでそこから勧請した可能性が高い。由緒書ががないのではっきりしませんが。
また秋に行きたいな。
2020 8月 残暑の頃 再訪。
周防 山代地方の古社 阿賀 「速田神社」(Hayata JInjya) 山口県岩国市美和町阿賀
美和町の阿賀(aka) 。里の鎮守 速田(hayata)神社。山里ながら古来厳島神社とも関係が深かったようで言い伝えでは厳島明神から神供米が送られていたこともあったらしい。
今なお年2回御烏喰式(おとぐいしき)も行われる。
県道130号線で美和町阿賀 まで行き130号線の雲照寺峠方面は行かず、秋掛方面への道を進んですぐ。
また祭礼も旧暦6月17日(厳島 管弦祭の日と同じ)であるそうです。
御烏喰式=元来は宮島で御島廻りの巡拝で養父崎海上 小さな筏に団子を供え御烏がそれを取りにくるというもの)御烏(おがらす)は厳島明神の鎮座伝説に関わりがあり佐伯鞍職(くらもと)らを先導して鎮座地へ導いたとも。
現在の社殿は江戸時代後期の建立のようで三間社流造り〜岩国市の有形文化財指定。
現在地には阿賀の藤木というところから明治時代遷座した模様。祭神など由緒など境内になく不明。おそらく市杵島姫など宗像神を祀っているのではと思われる。こんど美和町史でも図書館で調べてみますかね。
縁起が不明なため探して美和町阿賀ブログラブHPの縁起に関しての記述を参照しました。
縁起説話については神が女人姿で降臨し、早稲(イネ)を速く成熟して見せ里を守ると告げて田圃へ消えたというものだそうで市杵島姫などを連想させるきもしますが・・どうなんでしょう。
速田神社という社号にかんして安芸の式内名神大社「速谷神社」が江戸の頃まで厳島の隆盛により 厳島の摂社的な位置になり速田神社と号していたと云いますのでそこから勧請した可能性もあるかもしれません〜廿日市市友田や吉和などにもやはり速田神社があります。友田は参拝したことがあります大きなツクバネガシの木がある。また行ってみますかね。でも駐車場がないんですよねえ。
2020 7初旬 梅雨の中休みにて
延喜式内名神大社 旧官幣中社「厳島神社」(二) 御本社参拝記録 ほぼ人がいないです 令和2年5月
令和二年五月 新緑の厳島神社へ。回廊入口〜客(まろうど)神社〜東回廊(鏡の池、卒塔婆石)〜御本社周辺〜大國社、天神社〜長橋〜反橋〜西回廊出口まで。ひと気もまばらな回廊内を巡り参拝します。
山仲間と散策しながらなので一部撮影していないところは今年の正月初詣や過去のデータを補足的に一部活用してます。賑やかさと静寂を対比していいかなと。
鏡の池=干潮時に見られる手鏡に見立てられ厳島八景の一つ。2カ所?ある。
卒塔婆石=池にある岩に鹿ヶ谷事件で流された平康頼流した卒塔婆が流れていたという平家物語にあ るお話だそうです。卒塔婆石の奥の石灯籠は平康頼寄進と言われ一番古いそうです。
後園(うしろその)=本殿の真裏の禁足地。森になっているが昔の本地堂が祀られいた場所。
本地仏=神仏習合で仏が仮の姿で神として現れ人々を救うという信仰形態。江戸時代以前の神仏信仰のスタンダード。
厳島明神本地=十一面観世音観音菩薩の化身。今厳島明神本地仏は大聖院 観音堂に健在。先日も拝んできました。大きな立像でいいお姿ですよ。
客神社=まろうどじんじゃ回廊入り口最初の神社と平舞台のところに左右2カ所あります。
宮島に詳しい郷土史家の方やその他サイトなどいくつか見ると厳島明神に宗像女神が比定されたのは、鎌倉時代以降ではないかとの説があるそうです。元は記紀と関係ない土着神として祀られていたらしい。厳島そのものの神格化だったかもしれません。
ジャンプ設定直しました。コメントでお知らせ恐れ入ります(^^; 気付いてなかったです。
(一)参道から回廊入り口まで。sm36933927
(三)境内外の摂社大元神社(地主神の社とも言われる)編 sm37100895
人がいるところでや、喋るときはマスク、飲食時は喋らない、手を洗い消毒(私は消毒アルコールも持参) 参拝や静かに散策。今まで特に外国人さんめちゃくちゃ多すぎたよね。政府は煽りすぎてた観光。ほどほどに多いくらいがいいです。今は静かでに見れますよ観光へ来てくだされ。
西中国山地 加計の町並みと名勝吉水園の紅葉と巨樹筒賀の大銀杏〜 記録 第二稿
西中国山地 広島県県北 旧山県郡=安芸太田町(加計町、戸河内町、筒賀村が合併した)まず向かったのが旧筒賀村国道186号線沿いにある大歳神社大銀杏がある〜旧山県郡の西部の中心の加計の街並みや鎮守長尾神社、紅葉真っ盛りの名勝吉水園などへ日帰り旅。
安芸太田出身の山仲間に案内してもらいました。
広島県の北部旧山県郡=安芸太田町と北広島町(地域の中心は千代田あたり)に現在なっている。
大歳神社=樹齢1100年の大銀杏(近隣では紅葉で名高い)やや時期を外してしまいましたがみてきました。神社いい感じです。
加計町=旧山県郡の西の中心的な町。広島の三角州を作った太田川に沿った所。たたら製鉄でも有名だった。有力な鉄山師で豪商の隅屋(佐々木氏・今の加計氏)があった。現在も加計氏屋敷や旧かけ銀行の建物である新日林業事務所がある。まず車載で加計の本通り商店街を通り抜けて、その後ゆっくり散策しました。
吉水(よしみず)園=隅屋16代の造園した吉水園は庭園と吉水亭が建つ山荘。県の名勝指定。個人庭園のため初夏・秋2回の公開のみ。紅葉の江戸モミジが見事す。亭から見える大田川や山並みが借景だそうです。
長尾神社=加計の商店街の端にある鎮守。創建不詳・安芸国神明帳では古くは素盞鳴命が祭神だったらしい。
焼失し社殿を失い明暦に再建後、御祭神は厳島明神を勧請している。明治後近隣の13社を合祀した。 色づいた大銀杏が見事なのですが枝が刈り込まれてました。
境内は宮司さんもおられ整っている。大木もあり色づいた感じがいい。本殿は三間社春日造だそうです。社殿左手に愛宕社、右手に招魂社(だと思うんですが)がありました。拝殿の天井絵、特に江戸時代の絵馬は保存は良く見事なものでしたまた見にいきたいですね。
周防國 旧玖珂郡 「祖生新宮神社、伊陸 高山寺、氷室亀山神社」日帰り参拝の旅
山口県の西 周防(すおう)の旧玖珂郡 を廻りました。周防西部シリーズ
まず旧山陽道を経由して難所の中峠を越えて玖珂(くが)市街に向かわず周東町祖生ヘの道をたどる。
新緑なので旧道を少し車載してます。
「新宮神社」岩国市周東町 祖生(そお)にある古社
この地はお盆にある「柱松」などの伝統行事で有名。かつて祖生は厳島神社別当寺 水精寺(今の大聖院の前身)の寺領であったそうで その関係で厳島明神を勧請したという。社(やしろ)はそれ以前から存在した模様。社殿奥は木の伐採や土砂が積んであり工事中のようでした。
他に祖生には近くに延喜式内熊毛神社論社「岩隈八幡宮」(古い方)などもあります。
伊陸(いかち)は、柳井市の山間部にある集落 祖生と氷室ケ岳を隔てて南側に位置する地域
「高山寺」足利尊氏直義兄弟が各国に設けた、旧周防安国寺遺構である。多くの修行僧、行者の集う相当な大寺だったようですが 今は火災で焼失し(残念です)本堂や山門が再建されています。 木犀(もくせい)の大木と本堂裏に江戸時代の様式の庭園があるそうです(未見です)
「氷室亀山神社」氷室があったという氷室ケ岳は、周防富士と呼ばれ秀麗な山容で霊峰とされた。 氷室大権現として崇敬された。氷室神社は山の8合目の堂屋敷という場所にあったが、麓の大元の地へ 遷座さらに室町の頃 現在地 氷室池のそばに鎮座した。氷室池は遷座の頃埋められて今はない。
明治以後 亀山神社と菅原神社と合祀され現在の社号となる。
山は細い林道が通り、以前登った時、山頂には石祠が2つかな?いまもある。景色は抜群です。
サムネは周防富士 氷室ケ岳の山容
安芸国造の祖神を祀る安芸国総鎮守 旧国幣中社 速谷神社 (広島県廿日市市上平良)
御祭神は飽岐速玉命(あきはやたまのみこと)安芸国造の祖神を祀る神社。
古代には名神大社に列し鎮護国家の神として安芸一宮であった。
安芸・備後で最高の社格を誇る 安芸の国の守護神であったといいます。
別垢=最新令和3年 早春の延喜式内名神大社「速谷神社」=sm38359614
平安末期厳島明神の隆盛に伴い一宮も次第に厳島に移りいつの間にか二宮とされ社号も速田神社よばれて厳島の摂社になっていたらしい。明治後復興され社号も本来の速谷神社に復し国への運動の結果 国幣中社に昇格したという。
今でも旧佐伯郡や岩国山代地方の山間部に速田神社という社号の神社がある(勧請したものでしょうね)
現社殿、神門は昭和末期の再建 なかなか豪壮です。
江戸時代の記録には火災で焼けた本殿あとには大岩があり諸人に拝ませないよう幕を張ったとか記載されてるそうです。古墳か磐座かと言われてるらしいですね。
摂社=稲荷社、岩木社があるのみ
岩木社は地主神といわれ 岩木翁を祀る(厳島の三翁神社の祭神でもある) 神社の鳥居からわずか西へ入った住宅街の間にアパートくらいの大きさの小山があり 権現岩といい石の祠があるこの山は岩木翁の磐座とも言われるらしい また平楽地蔵堂もあり(かつての神宮寺の名残だといいます)
境内はそこそこ広い。神池や杉木立ちもある。本殿脇にある椿が結構好きです。岩木社の側にも大きな椿があったんですけど近年石鳥居が寄進されてかなり切られてしまいました。
車のお祓いは有名で新車を買ったら速谷さんと・・いわれてます。
訂正=バイパスから神社への道路は県道30号線ではなく国道433号線が正しい。