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シーイーの古都京都巡り023下御霊神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は前回の姉妹神社となる
「下御霊神社」
の紹介になります。
「京洛八社集印めぐり」の対象神社その7
主祭神:
・早良親王
・吉備内親王
・霊元天皇
他
摂社/末社:
・内宮
ほか多数
創建に至る内容は、前回の上御霊神社と同じなので割愛。
元々は現在の「今出川寺町」にあった「出雲寺」の末寺として
建立された説が有力です。
鎌倉時代に「新町出水」への引っ越しと共に神式になったようで、
現在のその地は京都府庁だったりします。
室町時代に勃発した「応仁の乱」では、
乱勃発の情報が届くとすぐに、時の神職さんが、
ご神体を持って ア~ラホ~ラサッサ の スタコラサッタ!
と現在の御室あたりへ疎開。
室町末期、秀吉の京都復興にて、
現在の場所が確保され、本殿建立の後にご神体が帰還。
江戸時代では、
御所が焼け落ちるほどの大火事「宝永の大火」と「天明の大火」があり
全社では全焼 後者では土蔵以外が焼け落ちました。
復旧の為の仮御所が二度も下賜されるという、
天皇家からとてつもない信仰がありました。
また霊元天皇は神輿も寄進しており、
霊元天皇時代の土蔵と神輿が現在に残っている神社です。
これらの社殿などは重文や国宝の指定はされてなく、
京都市の有形文化財です。
(神社が所有の「霊元天皇からの書状」が重文になってるのみ。)
シーイーの古都京都巡り022上御霊神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回から中古ながら新調したカメラでの写真で、
若干比率が異なってます。
今回はちょっと長めでの
「上御霊神社」
の紹介になります。
「京洛八社集印めぐり」の対象神社その6
「京都十六社朱印めぐり」の対象神社でもあります。
主祭神:
・早良親王
・吉備真備
・橘逸勢
他5柱
摂社/末社:
・福寿稲荷
ほか多数
桓武天皇は平城京からの遷都を決心しました。
遷都のプロジェクトとして、
藤原種継と実弟の早良親王をプロジェクトのトップとして、
山城国乙訓の長岡村に派遣しました。
「立地はよい」との判断により場所が決定し、
さっさと内裏の建築が始まりました。
突貫工事もあいまって、半年後には内裏の外郭と大極殿が完成。
桓武天皇はさっさと居を移して「遷都」となりました。(長岡京遷都)
そんなある日、
現場状況の確認でぶらぶらしていた種継に、
流れ矢が命中!即死してしまいました。
犯人はヤス「大伴家持」と裁定され、
事件の前に没していたことから官位剥奪、親類が悉く逮捕。
早良親王も関与との讒言があり、
実弟の早良親王を幽閉・流罪に。
早良親王は無実を訴え続け断食するも、まもなく死去。
まもなくに河川氾濫と疫病発生となり、皇后と実母が病没。
「早良親王のタタリである!」
とされて建都が中断。
現場の責任者の「和気清麻呂」は、
新天地でのやり直しを進言、桓武天皇も承諾。
建都・遷都に先立って、
早良親王に「崇道天皇」の地位を与えて神号とし、
八瀬に「崇道神社」
新都の北東(鬼門)に「上御霊神社」と「下御霊神社」を建立
これがこの神社の成り立ちです。
室町期には、畠山家の家督相続の衝突で、畠山政長が陣を置いて、
そこに畠山義就が突っ込んできて合戦に。
「上御霊神社の戦い」と呼ばれる、応仁の乱の前哨戦となりました。
そこから「応仁の乱 勃発の地」とされている神社です。
江戸末期には、
天皇家で皇女が誕生すると、胞衣が奉納される神社となりました。
こんな神社です。
シーイーの古都京都巡り021水火天満宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
天神様偏第六段
「スイカ水火天満宮」
の紹介になります。
「京洛八社集印めぐり」の対象神社その5。
主祭神:
・菅原道真
摂社/末社:
・六玉稲荷
ほかいくつか
醍醐天皇は菅原道真を太宰府の責任者とする降格人事を実施。
太宰府で道真が亡くなると、京都では天変地異が続発。
大臣の藤原時平が急死したり、醍醐天皇の皇子が若くして亡くなったり、
挙句に、十和田湖で火山が大爆発し、日本国中に灰が降った。
禁裏でも民衆も「道真のタタリや~!えらいこっちゃ~!」と騒ぎ、
道真の鎮魂のムードが高まった。
そんな時に比叡山の僧正である「尊意」が、
「私の自宅で供養しましょう。」
言ってくれたので、
「水火の社」の社号と
「天満自在天神宮」の神号を用意して祀ったのが始まり。
つまり「道真=怨霊」の方程式が確立した処になります。
シーイーの古都京都巡り020白峯神宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「白峯神宮」
の紹介になります。
「京洛八社集印めぐり」の対象神社その4。
主祭神:
・崇徳上皇
・淳仁上皇
摂社/末社:
・地主社[じしゅしゃ]
・潜龍社[せんりゅうしゃ]
・伴緒社[とものおしゃ]
明治天皇のお父さんである「孝明天皇」が、
幕府の政治不信による国内混乱を鎮静すべく、
幕府に「建立するよ」と声をかけたものの、
幕府がなかなか首を縦に振らす、
幕末になってやっと振ってくれた。
時すでに遅く、孝明天皇は崩御。
明治天皇が意志を継いで建立した神宮になります。
土地の問題から、飛鳥井家が屋敷を提供。
蹴鞠宗家の飛鳥井家が、屋敷で信仰・崇拝の精大明神を摂社として、
神宮の建立となりました。
明治天皇は白峯神宮の建立の成功に伴い、
平安神宮や明治神宮といった「神宮建立」に積極的になりました。
他にも京都では「護王神社」や「梨木神社」が建立、
全国では「靖国神社」を総本宮とする「護国社」建立のきっかけにもなりました。
本来の護国社は、
幕末の動乱や戊辰戦争などて落命した方々をお祀りしています。
いつしか諸外国との戦没者も合祀…
(ここでは説明を割愛…)
シーイーの古都京都巡り019文子天満宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
天神様偏第五段
「文子天満宮」
の紹介になります。
文月にちなんだ訳ではないですがね。
「京洛八社集印めぐり」の対象神社その3。
主祭神:
・菅原道真
摂社/末社:
・相殿
・文子殿
これらは多治比文子が祀られている。
・稲荷社
他。
社号の通り、多治比文子がメインの神様になります。
文子の人物史としては、生没年不明。
道真に関する資料では「乳母で巫女」とあるも、
当社の由来からすると、「巫女」という感じです。
神社史と道真の歴史を突き合わせると、
文子は120才以上生きた人物となってしまいます。
そこで真相を推理。
動画内でシーイーの大胆な推測を披露。
※素人の生兵法です( ̄▽ ̄;)
シーイーの古都京都巡り018菅原院天満宮神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
天神様偏第四段
「菅原院天満宮神社」
の紹介になります。
「京洛八社集印めぐり」の対象神社その2。
主祭神:
・菅原道真
・菅原是善
・菅原清公
摂社/末社:
・梅王神社
ほかいくつか
菅原清公は、嵯峨天皇時代に天皇の側近となり、
唐の文化をきちんとしっかり伝えた事から、
親王(天皇の息子)の教育係(家庭教師)となったので、
内裏にほど近いこの地が与えられて住んでいました。
是善もここに住んで、同じく親王の教育係に。
道真もここで生まれたとの云われがあり、
産湯で使った井戸があります。
母親が産後の日立ちが悪かったようで、
吉祥院の祖母と乳母に預けられたと続きます。
室町時代では、
管領家の武衛(斯波)家の屋敷で、
越前(現在の福井県)
遠江(現在の静岡県西部)
尾張(現在の愛知県)
を治めていた一族。
応仁の乱では東西どっちにもつかず、中立だったようで、
その影響か、乱の被害が軽かったようです。
そのために足利義輝が京都に戻るにあたり、
住まいとして提供されて、
「二条城」ないし「二条御所」と呼ばれていました。
しかし、義輝が謀殺されると、
足利家の家臣「三淵藤英」・「細川藤孝」兄弟が、
義輝の実弟で、奈良の興福寺に出家していた覚慶をつれてきて、
還俗させました。
さらに織田信長が上洛により、将軍宣下が受けれた場所とのこと。
天神さまの三代でゆかりがある点から、
「菅公聖跡二十五拝」
に選定されて、筆頭の第1番目となっております。
シーイーの古都京都巡り017菅大臣神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
天神様偏第三段
「菅大臣神社」
の紹介になります。
今回から
「京洛八社集印めぐり」の対象神社の紹介になります。
平安京遷都のタイミングでは、
健都のベースキャンプだったそうで、
建築作業員が寝泊まりしたり、
建築資材を置いたり加工したりの場所だったそうです。
嵯峨天皇(桓武天皇の次男)時代に建都が落ち着くのですが、
その頃から役宅(役人の宿舎)に平行活用となったみたいです。
菅原道真も同様に、文章生(役人になる資格を取得してる人)時代に寝泊まりしたのと、
右大臣時代では、文章生の相談や指導を行っていたそうです。
そんな歴史から、
「菅公聖跡二十五拝」
に選定されて、第3番目となっております。
シーイーの古都京都巡り016吉祥院天満宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
天神様偏第二段
「吉祥院天満宮」
の紹介になります。
写真は、緊急事態宣言の解除の後の、
好天な日に撮りました。
天台宗を創設した最澄
真言密教を提唱した空海
彼らと遣唐使として大陸に渡った
「菅原清公」とその父親である「土師古人」が、
長岡京遷都~平安京遷都の頃にこの地へやってきました。
一行の船は海難事故にあい、
一命をとりとめました。
その時に吉祥天のご加護があったので、
菅原家は吉祥天の信者となり、自宅で祀り、
清公の子「是善」
その子「道真」
彼らも吉祥天の信者でもありました。
その信仰となったお堂が発端らしいです。
道真生誕の地と推測される地の一つであり、
また19歳の頃まで住んでいた事から、
「菅公聖跡二十五拝」
に選定されて、第4番目となっております。
シーイーの古都京都巡り015長岡天満宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
天神様偏第一段
「長岡天満宮」
の紹介になります。
写真は、天満宮近くの総合病院に向かうにあたり、
通り道ついでで撮影したものになります。
コラムの第一回目で名前が出てきましたが、
平安時代中期に、菅原道真さんの幼馴染である
中小路宗則さんが、彼を祀る社殿を建てたのがはじまりです。
現在もその末裔の中小路さんが、
神社の管理をされております。
余談ですが、2020年5月現在の市長さんも、この苗字だったり。
そして、
「菅公聖跡二十五拝 5番目」
でもあります。
コラム2 京洛八社めぐり
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
前回に続きシーイーのコラムです。
いつになったら、本格的に撮影にいけるやら・・・
過去の写真を使っているので、
季節感がバラバラなのはご了承ください。
お題は「京洛八社めぐり」
前回に続きスタンプラリーものです。
年がら年中のいつでもスタートと完了ができます。
北から順番に
御霊神社
水火天満宮
白峯神宮
護王神社
菅原院天満宮
下御霊神社
菅大臣神社(菅大臣天満宮)
文子天満宮
カンのいいひとは、列挙だけで気がつきましょうが、
半分が菅原道真さんを祀っている天神さんで、
二か所が早良親王(崇道天皇)を祀っていて、
一か所が崇徳天皇を…
「怨霊フィーバーだぜ!」
とまでは言いませんが、
護王神社もあわせて、
政治的に追い詰められたことのある偉人が
祀られている神社ばっかりです。
コラム1 京都十六社朱印めぐり
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回はシーイーのコラムです。
お題は「京都十六社朱印めぐり」
元旦から2月15日にかけて行われており、
なんと16もの神社をめぐる
一種の「スタンプラリー」です。
南東から反時計回りに
御香宮
藤森神社
新熊野神社
豊国神社
市比賣神社
粟田神社
熊野若王子神社
岡崎神社
熊野神社
御霊神社
今宮神社
わら天神(敷地神社)
春日神社
六孫王神社
吉祥院天満宮
長岡天満宮
毎年 三箇日に完了させるように
気合入れて廻っております。
マイペースでかまいません。
じっくり しっとり
各神社を堪能してください。
注意点としては、
市比賣神社
女人厄除けの神社なので、
三ヶ日は女性でゴッタガイしてます。
三ヶ日だけ河原町通り沿いの小屋で貰えます。
わら天神
妊婦さんにご利益と縁が抜群です。
戌の日だと妊婦さんが優先されます。
シーイーの古都京都巡り014平安神宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「平安神宮」
の紹介になります。
名前から平安時代に創建と勘違いされてる方がおられますが、
明治時代に創建された神社になります。
平安京遷都1100年という記念でもあり、
神社と合わせて、武道館や動物園も建設されました。
明治時代に創建ということで、国宝指定はなく、
重要文化財や登録有形文化財の建物になります。
シーイーの古都京都巡り013賀茂別雷神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は松尾大社に続いて「王城鎮護」の神社
「賀茂別雷神社」
の紹介になります。
通称の「上賀茂神社」の方が有名ですかね。
全国の神社に摂社や末社などにおいて、
鎮座する「加茂社」の総本宮になり、
「賀茂御祖神社」(通称 下鴨神社)とセットで
山城国一宮になります。
5月15日はメインのお祭である「葵祭」が行われます。
※2020年の葵祭は、残念ながら中止となりました。
ここもユネスコ世界文化遺産となります。
タイマーがズレてて54分ほど、
投稿が遅れちゃいました(テヘ
シーイーの古都京都巡り011鹿苑寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は室町幕府三代将軍「足利義満」が建立した禅寺
「相国寺」の山外塔頭「鹿苑寺」
のピックアップ紹介です。
京都の三大閣と呼ばれる楼閣になります。
・鹿苑寺(金閣)
・慈照寺(銀閣)
・新世界(通天閣);
・西本願寺(飛雲閣)
金ぴかな舎利殿は、昭和末期に大修復されており、
日の当たる方角には、厚めの金箔が貼られています。
ユネスコ世界文化遺産ですが、国宝ではありません。
シーイーの古都京都巡り010松尾大社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は平安京で王城鎮護である神社
「松尾大社」
の紹介です。
まつのお たいしゃ と読みます。
四条通りの西端に位置する、
お酒の神を祀る神社なので、
全国の有名な銘柄のお酒が奉納されております。
(中身はカラの様ですがね…)
シーイーの古都京都巡り009相国寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は室町幕府三代将軍「足利義満」が建立した禅寺
「相国寺」
の紹介です。
「相国」というのが、太政大臣などの「大臣」を示す唐名で、
義満が「右大臣」の時に建立となったから、そうついたそうです。
第一位 天龍寺・・・義満の祖父である足利尊氏が建立。
第二位 ここ相国寺
第三位 建仁寺・・・鎌倉時代に臨済宗の開祖「栄西」が建立。
第四位 東福寺・・・鎌倉時代に公家の九条道家と、僧の円爾[えんに]により建立。
第五位 萬寿寺・・・平安末期に白河天皇(法王)が建立。現在は東福寺の塔中。
別格に南禅寺
の「京都五山の制度」の確定とするための目的もあった。
また、山外塔頭として
鹿苑寺(金閣)
慈照寺(銀閣)
新世界(通天閣);
が有名すぎますね。
※塔中の金閣寺と銀閣寺はユネスコ世界文化遺産なのに、
本体の相国寺はそうではなかったりする。
シーイーの古都京都巡り008建勲神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
オープニングとエンディングを今回から一新してます。
今回は織田信長を主祭神としている
「建勲神社」
たていさお
と読みますが、地元では「けんくんさん」と呼ばれてます。
秀吉が建立許可を取っていたのに、
創建されたのが明治になってからという、
変に歴史がある神社です。
「信長公記」の原本や
「宗三左文字」の刀を所有しているのでも有名です。
オリジナルの朱印帳は「天下布武」と
上述の刀の模様のがあります。
シーイーの古都京都巡り007本能寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
本応寺(本能寺) その2
本能寺の歴史のうち「本能寺の変」からを紹介。
三文芝居が最初にあるのはお愛嬌で(汗)
明智光秀が本能寺を急襲し、
本能寺がまた焼け落ちました。
そして
天下人となった秀吉の京都再建政策により、
寺町で最大の規模の敷地で、賑々しく伽藍を建立。
信長の廟所のほかに、
嫡男の信忠、京都所司代の村井貞勝、
森蘭丸や毛利新介といった変で討死した面々の
供養塔もあります。
シーイーの古都京都巡り006元本能寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
明智光秀が大河ドラマで主人公となり
第一回目の放送記念投稿。
本応寺(本能寺) その1
本能寺の歴史のうち「本能寺の変」までを紹介。
法華宗本門流のお寺の大本山で、
開山は日蓮宗の僧「日隆」によります。
破却されたり、焼かれたり、応仁の乱で潰されて…
ある意味 京都の歴史を知るお寺。
シーイーの古都京都巡り005南禅寺塔頭の金地院
2020年 あけましておめでとうございます。
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
人災や天災、シーイーの身内で不幸などにより、
約2年ぶりとなってしまいました。
今回は臨済宗南禅寺派の金地院の紹介です。
久能山東照宮 日光東照宮 と並ぶ「東照三社」である
「京都東照宮」があります。
無論「徳川家康公」が祀られています。
庭は小堀遠州が、襖絵などは狩野派や長谷川等伯が担当。
室町建築や桃山文化の集大成なり。
メリーバッドエンド/ 古都【歌ってみた】
まふまふさんの『メリーバッドエンド』を歌わせて頂きました
本家様:sm32673722
Mix&Enc:パミ様[@PaMi_Mix]
歌:古都 mylist/60875072[@koto_419]
シーイーの古都京都巡り004方広寺と豊国神社
2018年 あけましておめでとうございます。
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
かの豊臣秀吉が大仏を建立しましたが、
秀吉の居城の伏見城も大破する大地震で倒壊。
秀吉の没後に神社となり、豊臣政権の象徴でしたが、
江戸時代に一旦壊されてしまいます。
明治時代になって、明治天皇により
やっと再建されました。
※新日吉神宮を「再建」という表現にしておりますが、
豊国廟の建立で部分的に移築となっているので、
この表現としております。
平城宮跡、雪化粧する
近畿地方は大雪で、平城宮跡のある奈良では24年ぶりの大雪警報が出たとか。
そんな「あをによし」の雪化粧を写真に収めてみました。
投稿作品mylist/15886367
X(旧名Twitter) https://twitter.com/St_coon_Scarlet
西の京 古都山口 大内文化の古寺社をめぐる旅 寺社編(五社寺巡拝)
2019.8.8
山口市を自転車で回りました。山口駅~上山口~宮野~大内氏館跡~山口駅写真と少し動画も添えて編集しています
前半(古熊神社~八幡宮)
古熊神社(天神さん)=大内氏の建立した天満宮 拝殿は楼門も兼ねる山口独特のもの。
今八幡宮=大内氏により元々あった今八幡(祭神:宇治皇子一座)に朝倉八幡を合祀して創建され、楼門に拝殿の機能を持たせてある造り楼拝殿の左右翼廊は中央より一段低く作られ身分により座すところが決まっていたようですまた僧侶の読経が行われた場所のようです。管領代大内義興公の建立なので豪壮な造りです。
動画後半で以下をあげています
仁壁神社~八坂神社(築山館跡にある)~龍福寺=大内館跡にある庭。
仁壁神社は三宮と呼ばれ周防の古社である。バテてたのでさらりと拝殿で参拝だけ
八坂神社はもともと祇園社と呼ばれ牛頭天王を祀る神社だったと思いますが明治後八坂社となっています本殿は大内義興の建立で、そのまま現存。
元々は山口大神宮内にあり江戸期に堅小路の築山館跡へ移転されたもの。祇園祭の鷺舞の奉納は 600年続くそうです。往古は庶民は築地屏から舞を見物することも禁じられていたとか。
堅小路=山口の昔のメインストリートだそうです。
曹洞宗龍福寺=元は山口市内の白石にあり廃寺になっていたが毛利隆元が大内義隆の菩提寺に創建。明治後本堂などが失われ 大内氏の氏寺だった氷上山興隆寺から釈迦堂を移築して本堂とし再建されていますので大内氏全盛時代の遺構と言えます。資料館もあるようですが疲れてて未見です。
発掘された史跡の復元池泉庭園も見学してみました。 枯山水も復元されてるらしいです(後で知りましたので行っておりません)
他に参詣した 常栄寺と善生寺は庭園動画にまとめることにして掲載していません。
撮影してないんですけど偶然通ったので護国神社もいってます(広くて社殿の後ろの青空と雲と樹木がいい感じでした)常栄寺への途中にある。
また近くの墓地下に総理大臣で陸軍元帥寺内正毅墓所の看板があり(行かなかったですが)この近く 出身らしいですね陸軍墓地か何かのようです。
雪舟庭園 sm35616440
私、アイドル宣言/ 古都【歌ってみた】
私、アイドル宣言歌わせて頂きました~!
本家様:sm32825363
Mix&Enc:パミ様〔PaMi_Mix〕
歌:古都mylist/60875072〔koto_419〕