タグ 大本教 が登録されている動画 : 88 件中 1 - 32 件目
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テレビアニメ「鬼滅の刃」無限列車編 第二話『深い眠り』
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蝶屋敷での修業を終えた炭治郎たちは、次なる任務の地、無限列車へ。
そこで、先に乗り込んでいた煉獄との合流を果たす。
始終はつらつとした煉獄に圧倒される炭治郎、鬼に怯える善逸、列車に興奮する伊之助——多くの乗客を乗せた列車で、新たな戦いが始まろうとしていた。
絵コンテ:外崎春雄 演出:外崎春雄 作画監督:松島 晃 作画監督補佐:秋山幸児、田中敦士、菊池美花、佐藤美幸
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テレビアニメ「鬼滅の刃」無限列車編
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声優情報 花江夏樹 鬼頭明里 下野紘 松岡禎丞
幸福の科学 大川隆法 映画「永遠の法」特番映像
笑ったら負け こんなのも上げてました→sm5904341 ちなみに本編はクソつまんないです
テレビアニメ「鬼滅の刃」遊郭編 第五話『ド派手に行くぜ!』
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京極屋の主人から蕨姫花魁のことを聞き出した宇髄は、彼女が鬼であると睨む。鬼の気配を探りつつ、病気のために場所を移ったという雛鶴を探しに向かうと、そこでは雛鶴が堕姫の帯に囚われていた。一方、堕姫との戦いに苦戦する炭治郎は、状況の打破を狙い、次なる技を繰り出す——。
絵コンテ:野中卓也、外崎春雄 演出:野中卓也 作画監督:松島 晃、茂木貴之、石後真奈、藤原将吾、緒方美枝子、西條由希子 原画作画監督:坂東美佳、岡部 茜、岡部 葵
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テレビアニメ「鬼滅の刃」遊郭編
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声優情報 花江夏樹 鬼頭明里 下野 紘 松岡禎丞
アニメ「鬼滅の刃」プロモーションリール 2021
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テレビアニメ「鬼滅の刃」無限列車編
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声優情報 花江夏樹 鬼頭明里 下野紘 松岡禎丞
幸福実現党のCM1
☆都議選&衆院選 全候補者落選おめでとう☆
~誰1人当選しない事が一番の幸福なのです~
つべから。 いい政党ぶるな。
↑2009年夏のコメントです。なので都議選や衆院選と書いてあります。でも党がやってることは大して変わっていません。2012/01/30
野獣先輩の守護霊を呼び寄せられなかった大川隆法
野獣先輩の真実が明らかに!?
ホモと見る仮面ライダーの起源→sm36061696
ホモと見るクリーニング屋従業員の集い→sm36466715
馬渕さんは神界からの救世主。否定すれば地獄行き。
出典・KoJi,s DeepMax(本編)https://youtu.be/LnsOULzZX1Q
新宗教巡り1
生長の家宇治別格本山、大本教亀岡本部「天恩郷」、天理教総本部、大本教綾部本部「梅松苑」の順に参拝しました。個人的な感想。生長の家では、甘露の法雨という「聖経」を読み上げていて、これがすばらしい。教団の発想をよくあらわしている名文。大本教は庭園が美しい。静穏な雰囲気、行き届いた手入れ、計算しつくされた設計、京都の庭園に親しんだ人でも、その美しさに感動するだろう。天理教は、「陽気ぐらし」のネーミングセンスが善い。ユニークで分かりやすい。
対人関係に悩んだ見て!(名言)
◇出口日出麿・・・・・・・大本教三代教主補 青年時代より優れた霊力を持ち出口王仁三郎の後継者として奇跡的な活躍をする。 岡山県倉敷において、明治30年(1897)に出生。 平成3年(1991)12月、96歳で昇天。 大正8年(1919)に大本教に入信し、昭和3年(1928)、三代教主と結婚。伝記に『神仙の人・出口日出麿』がある。
【第三回原石祭非実況】大本と出口王仁三郎 第零回「新宗教・新興宗教とは」
大仰なタイトルを付けてしまいましたが、日本の伝統宗教と新興宗教の成り立ちを簡単に紹介する動画です。
まぁ、気軽に覗いて、コメントしてやってくださいませ。
出口王仁三郎という人はなかなか破天荒な人でして、この人が「大本」と出会った結果日本の近代史に大きな爪痕を残しました。
京都北部、「海を失った海賊大名」こと九鬼氏綾部藩二万石の城下町になぜこのようなたいそうな宗教が生まれたのか……の前に、そもそも新興主教とは何か、をお話ししたいと思います。
作者は宗教法人大本ほか、宗教団体とは無関係です。
また、宗教法人・宗教について他意は全くございません。
立ち絵
まゆピー(綾部市公式キャラクター/作者撮影)
声
VOICEROID2 結月ゆかり
音楽
MusMus / BGM-084 晩夏の蝉
途中CoeFontを使用しています。
「Voiced by https://CoeFont.cloud」
まゆピーのぬいぐるみはこちら
https://www.ayabe-kankou.net/shopping/nuigurumi/
ご指摘等ありましたら、コメントTwitterにてやさしぎご指導ください。
作者Twitter:https://twitter.com/Kyo_katayama
新型567騒動は日本発?日本を支配するイルミナティ13血族「李家」と大本教人脈の謎 2021年11月24日
タイトルのイルナミティ→イルミナティの間違いです。訂正。
李家の人々 〜日本を搾取する悪魔たち〜
https://truejourneyguide.com/archives/8693
【宇宙詐欺師・前澤友作】“白夜”のせいで宇宙から星を撮影できず、肉眼でも見えなかったと発言し、さらに嘘がバレる
https://rapt-plusalpha.com/28583/
鳥山明に群がるサタニスト達 スキ 40
GOD SPEED 2020年8月17日 11:33
https://note.com/rarmenbar1985/n/nb11b1ee0de30
イルミナティに魂を売った漫画家達 vol.2 スキ 18
GOD SPEED 2021年3月27日 07:05
https://note.com/rarmenbar1985/n/nf514f58008c1
イルミナティに魂を売った漫画家達 Vol.4 スキ 25
GOD SPEED 2021年4月18日 11:11
https://note.com/rarmenbar1985/n/n468652262ca5
【三浦春馬の死の謎に迫るⅥ】創価学会・李家が製作した「機動戦士ガンダム」関係者たちが次々と不幸な死を遂げる闇の実態
https://rapt-plusalpha.com/18138/
JAL123便墜落事故の真実を「墓場まで持っていく」と言った中曽根康弘こそ、JAL123便撃墜の首謀者ではないのか。
https://rapt-neo.com/?p=28575
中曽根康弘3度目の葬儀の謎。安倍元首相はもう死んでいる?
https://ameblo.jp/horehore-oo7/entry-12647939622.html
コロナワクチンを製造販売するファイザーは、創価学会の子会社だった!!
http://rapt-plusalpha.com/17185/
「蓮舫」さんの影武者「レンコン」さん
https://kuwanokazuya.com/20210102-kagemusya/
★創価学会系企業リスト★
https://shadowcameron.tumblr.com/post/46420852034/%E5%89%B5%E4%BE%A1%E5%AD%A6%E4%BC%9A%E7%B3%BB%E4%BC%81%E6%A5%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88
勇気が出る言葉(仕事で悩んだ時に)名言集
出口日出麿・・・・・・・大本教三代教主補≪出生と昇天≫ 岡山県倉敷において、明治30年(1897)に出生。 平成3年(1991)12月、96歳で昇天。 青年時代より優れた霊力を持ち出口王仁三郎の後継者として奇跡的な活躍をする。 大正8年(1919)に大本教に入信し、昭和3年(1928)、三代教主と結婚。第二次大本事件では4年間、獄中に囚われる。その間当局からの手厳しい拷問を受ける。この事件以来、教主を霊的に補佐し、万民の霊的救済に専念する。伝記に『神仙の人・出口日出麿』がある。
地球滅亡説の真相2012【これが真実だ!】
出口王仁三郎 近代日本の宗教史上最大の金字塔、大本教の聖師として一世を風靡した巨人である。戦後の新宗教はほとんど大本からの分かれて出来たものか、大本の影響を色濃く受けている。戦前、浅野和三郎らインテリ達がこぞって入信し、一大社会現象をおこすことになる。信者である合気道の開祖植芝盛平に海軍の猛者達がコロンコロン投げ飛ばされ続々と入信していった。又、知識層や 軍人・経営者の入信が相次ぎ王仁三郎に共感する人が800万人にも膨れ上がりあまりの影響力に恐れをなした時の政府に大弾圧を受けることとなる。空海、親鸞、日蓮、王仁三郎何れ劣らぬ宗教界の傑物であるが、面白さとスケールでは王仁三郎が群を抜いている。今後、王仁三郎を超える宗教家は現れないと評されている。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第31回・大本教・第一次大本弾圧事件前夜
大正7年1918年、大本教の初代教主出口なおが83歳で生涯を閉じるまで、大本ではなおのお筆先という全文ひらがなで書かれたメッセージノートが大本神諭として信仰の中心になっていたが、なおの死後は出口王仁三郎に実権が移り、さらに入信加入してきた神霊イデオローグの浅野和三郎や谷口正治らによって大本神諭は恣意的に解釈されるようなり、そうした背景の下、「大正10年立替え論」つまり大正10年に日本も世界も滅んでしまうという大予言が行われ、これに釣られて膨大な数の信者が日本全国的に増え、大正10年1921年の第一次大本弾圧事件の間接的原因ともなって行った。
かつて出口なおは、日露戦争の時に、この戦争が世界大戦に発展して世界は一度滅びると予想し、それが外れたために大本は一時崩壊状態になったが、今回の「立替え説」を教団では「二度目の世の立替え」と宣言し、今回もまた大きく予言が外れる事により多くの信者たちが大本を去ることとなった。
同時に、それまでなおの神諭の解釈を巡って王仁三郎と対立していた浅野や谷口や友清歓真らも大本を去り、それぞれ、心霊科学研究会、生長の家、神道天行居と言った各自の神道系カルト教団を形成して行った。
大正10年頃の社会状況は、第一次大戦が終わって3年経って急速に欧州への輸出が激減した為に町に失業者が溢れる一方、大戦以降高まった国民の所得急増に伴う米不足により、労働争議と米騒動が全国各地に広がり、次第に深まる世界情勢の暗雲の中、大本が発表した終末論「二度目の立替え」予言は膨大な数の人々の気持ちを引き付け、教団は急激に規模が膨張し、政府や警察は大本の動向に注目し、きっかけを見つけて弾圧する機会を虎視眈々と窺っていた。
大正10年1921年2月12日の未明、検事総長平沼騏一郎の指示をうけた京都府警察部長藤沼庄平は、予審判事・検事らとともに、武装警官200人を動員して大本をおそった。すなわち綾部・亀岡・京都・八木における20数ヵ所が、不敬罪および新聞紙法違反の容疑で家宅捜査され、筆先の全部と神体の一部が押収され、大阪梅田の大正日日新聞社に出務中の出口王仁三郎、および綾部に在宅していた浅野和三郎・吉田祐定の三幹部が検挙され、だだちに京都監獄未決監に収容された。そして三幹部は、不敬罪および新聞紙法違反の罪名で起訴されたのである。
敬神尊皇愛国を標榜する宗教団体の幹部が、こともあろうに、不敬罪という罪名で逮捕されるという皮肉的で前代未聞の大事件であった。
大本教(おおもときょう)を、ダイホンキョウと連呼し、すっとぼける沢村直樹は怪しい
日本会議を批判している沢村直樹が、日本会議を創設した大本教を知らないハズないのに、勉強不足だ!知らないと、惚けて「ダイホンキョウ!ダイホンキョウ!」と、わざとらしく連呼して誤魔化す沢村氏。神社本庁はおかしいと批判するのに、神社本庁が天皇の宗教団体ということには絶対触れない沢村直樹は怪しい!生長の家に触れるのに生長の家の教祖が大本教の教祖、出口の弟子だった事も知らないというのか?沢村は明らかに大本教を避けている。
公開霊言「鈴木福 守護霊インタビュー」一部抜粋
鈴木福守護霊を招霊し、本人の考えを聞きだしていきます。※「霊言」とは?「霊言現象」とは、あの世の霊存在の言葉を語り下ろす現象のことです。これは高度な悟りを開いた者に特有のものであり、「霊媒現象」(トランス状態になって意識を失い、霊が一方的にしゃべる現象)とは異なります。 また、外国人霊の霊言の場合には、霊言現象を行う者の言語中枢から、必要な言葉を選び出し、日本語で語ることも可能です。 人間の魂は6人のグループからなり、あの世に残っている「魂の兄弟」の一人が守護霊を務めています。つまり守護霊は、実は自分自身の魂の一部です。したがって守護霊の霊言とは、いわば、本人の潜在意識にアクセスしたものであり、その内容は、その人が潜在意識で考えていること(本心)です。
※全編を下北沢精舎にて公開中:https://www.google.com/maps/place/%E3%80%92155-0031+%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E4%B8%96%E7%94%B0%E8%B0%B7%E5%8C%BA%E5%8C%97%E6%B2%A2%EF%BC%93%E4%B8%81%E7%9B%AE%EF%BC%92%EF%BC%93%E2%88%92%EF%BC%91%EF%BC%94/@35.6655508,139.6674149,17z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x6018f36ab493be27:0x9ec75fe90a957e00!8m2!3d35.6655508!4d139.6696036
幸福実現党公式チャンネル:http://ch.nicovideo.jp/jitsugentv
幸福の科学公式サイト:https://happy-science.jp/
幸福の科学公式アカウント:https://twitter.com/HappyScience
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ヒマなホモはリンク先に突撃してみて、どうぞ(迫真)
幸せつてなんだろう♪♪♪(名言)
出口日出麿・・・・・・・大本教三代教主補≪出生と昇天≫ 岡山県倉敷において、明治30年(1897)に出生。 平成3年(1991)12月、96歳で昇天。 ≪著書≫ 『信仰雑話』『信仰叢話』『信仰覚書〈全8巻〉』など著書多数。 信仰を求める初心者に最適な案内書であるばかりでなく、人生を真剣に生きようとする人々に、深い感化を与える。 特に『生きがいの探求』『生きがいの創造』『生きがいの確信』三部作は、若い人々に読まれ、好評である。 昭和59年(1984)、ロス・オリンピック体操競技で個人総合優勝の日体大・具志堅幸司選手はこの三部作の熱読者として有名。
子供への本当の愛情(名言集)
大本教三代教主出口直日 昭和27年の教主就任後は、独善的・観念的におちいりやすい信仰生活者をいましめ、「脚下照顧」を旨とした教風をうちたてる。 幼少より日本伝統文化に精進。書道・茶道・能楽・短歌・八雲琴など、少しのたゆみもなく習練を続けて来た体験から、日本の伝統文化の世界的地位を説き、日本民族としての自覚を高め、自主性を養うことを主張。 信徒はもとより文化人を招き清談を交わすなど、"花鳥風月"を友とし身をもって日本の心を説いた。 ≪著書≫ 著書は『私の手帖』『聴雪記』『寸葉集』など。 信仰のあるべき姿や文明批評、自然や歴史についてなど、豊かな感性と豊潤な筆による随想記。 やさしい言葉で、人としての生き方をつづっている。歌集も多い。
勇気が出る言葉(仕事で悩んだ時に)名言集②
出口日出麿・・・・・・・大本教三代教主補≪出生と昇天≫ 岡山県倉敷において、明治30年(1897)に出生。 平成3年(1991)12月、96歳で昇天。 青年時代より優れた霊力を持ち出口王仁三郎の後継者として奇跡的な活躍をする。 大正8年(1919)に大本教に入信し、昭和3年(1928)、三代教主と結婚。第二次大本事件では4年間、獄中に囚われる。その間当局からの手厳しい拷問を受ける。この事件以来、教主を霊的に補佐し、万民の霊的救済に専念する。伝記に『神仙の人・出口日出麿』がある。
理想の夫婦とは?(名言)
出口日出麿・・・・・・・大本教三代教主補≪出生と昇天≫ 岡山県倉敷において、明治30年(1897)に出生。 平成3年(1991)12月、96歳で昇天。 青年時代より優れた霊力を持ち宗教家として奇跡的な活躍をする。出口王仁三郎にも劣なぬ霊能力を持ち、王仁三郎の後継者と期待される。 大正8年(1919)に大本教に入信し、昭和3年(1928)、三代教主と結婚。第二次大本事件では4年間、獄中に囚われる。その間当局からの手厳しい拷問を受ける。この事件以来、教主を霊的に補佐し、万民の霊的救済に専念する。伝記に『神仙の人・出口日出麿』がある。
大田先生ニコ生登場!!神様と仲良くなる方法!神神詐欺に注意!!!
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【神道シリーズ・シーズン3】第57回・谷口雅春と生長の家(その④)
谷口雅春は、青春時代に出会ったトルストイの「復活」のキリスト教における原罪と贖罪の問題に対する解決を求めて、大本入信後も、西田天香の一燈園への体験入園など、贖罪を求めた原始的共同村参加など解決無きまま彷徨っていたが、大本を脱退した大正11年にたまたま古本屋で見つけたアメリカのニューソート信者ホムルスの本に出合うとこれまでの考え方と生き方がいきなり一変することとなった。
キリスト教プロテスタント改革派であるカルバン派から発生した批判派は自らニューソートと名乗り、もともとヨーロッパで発生したその思想は19世紀に北米に広がり、20世紀に入ると日本にも流入して来ていた。
同じキリスト教徒でありながらニューソートは聖書の原罪説や贖罪説の一切を否定し、神の予定調和説さえも全面否定し、神とは自ら意思を持たぬ宇宙創造主であるとし、故に人は神に縛られるのではなく、人の中にある神の創造力を生かしていかに有意義な人生を送るべきかに主眼がおかれていた。
仏教思想に造詣の深かった谷口は、このニューソートの宇宙観や神観を仏教思想の無明や唯識論に充て辞め、究極、目的を持たぬ創造神は仏教でいうところの無明そのものだと結論付けた。
しかし、無明で予定調和を求めぬ創造神は生きと生けるものすべてにその無明の神性を与えているので人は自らの内にあるその神性に目覚め、いかに有効に活用して健康で幸せな生活を送れるようにすべきが谷口の関心の中心となっていった。
しかし、その神性に目覚めてそれを自分の為に生かして行く方法はニューソートとは大きく異なり、単なる啓発トレーニングではなく、真言密教の阿字観や天台宗の月輪観や密教の普賢延命菩薩法などを通じて如意宝珠を得るという観想法などを中心に修練法を仏教的なそれに結び付けて行った。その後、聖書や仏典や古事記やコーランなどを声を出して読んだり、静坐や瞑想することもその修練の中に含めている。
こうした実に平和的な思想を持つ生長の家にも、日中戦争が拡大するなか、いよいよ太平洋戦争に突入すると、谷口にも戦争協力の圧力がかかることになったのである。
神道シリーズ・シーズン3(思想編)第52回・友清歓真と神道天行居
友清歓真は、1888年(明治21年)10月9日、山口県佐波郡佐山で父祐蔵、母むめの次男に生れ、若いころから霊的な方面に興味を抱き、密教、神道などを修行し、度々山籠もりをする生活をしていた。1918年(大正7年)、大本に入信した浅野和三郎を訪ねて綾部に寄ったおり大本に入信し、当初は大本神諭で訴える世の立替え説に共鳴していたいが、次第に関心が霊術の方に移り、大本の機関紙「綾部新聞」の主筆となり、やがて大本の機関誌『神霊界』の編集にも携わるようになった。しかし、次第に友清の社会変革思想は過激化し、大本の中でも浮いた存在となって行き、1919年(大正8年)にはとうとう大本を脱会することとなり、その後、友清は静岡県に移住し、王仁三郎の師で本田親徳の直弟子である長沢雄楯から本田親徳の鎮魂帰神法を学び、これをもとに大本批判の書『乾坤一擲』『事実第一』を著した。
1920年(大正9年)には、静岡県で霊学の実践団体「格神会」を結成し、『鎮魂帰神の極意』および『神仙霊典』を自費出版した。
1921年(大正10年)には山口県防府町(現 防府市)に移住、格神会を「天行居」と改称し、同年、神道霊学の名著とされる『霊学筌蹄』(れいがくせんてい)を著した。
そして、1922年(大正11年)から宮地水位からの霊啓が始まり、地元の高知県図書館で水位の書を読み漁り、宮地水位の「異境忘備録」を自らの思想の中心に添えて行った。
1927年(昭和2年)10月には、自称仙人、自称茶人の堀天龍斎から神道の秘事とされる「太古神法」を授かるが、その中身は本田霊学と水位の異境忘備録の焼き直しであった。
同年11月22日には山口県熊毛郡の石城山上の石城神社で神示「山上の天啓」を拝受して、神道天行居を創設した。
友清は、鎮魂帰神法を続けながら自らの陰謀論を膨らませ、第一次大戦以降、ユダヤのフリーメイソンは世界中の国々を率いて日本に攻めてくると予言し、その時の戦争に備えて日本は霊的に防衛されることが重要と訴え、日本および台湾、朝鮮の聖地に神璽を埋めたり沈めたりして例祭神事を行うべきと主張した。その聖地の中でも特に朝鮮半島の白頭山は最大の聖地とし、友清本人が死後にはこの白頭山に自分の魂を祀ってほしいと信者たちに伝えたほどであった。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第51回・岡本天明と日月神示【後編】
岡本天明は、22歳から48歳までの26年間を大本で過ごし、45歳の時に千葉の印旛沼の麻賀多神社で初めての自動書記を行ってから49歳にして初めて自らの教団「ひかり教会」を立ち上げた。65歳まで生きた天明が自らの教団を主宰したのは16年間で、この間、昭和23年と昭和26年を除いた昭和19年から昭和27年までの延べ7年間と昭和33年と昭和34年に補巻1巻、さらにその2年後の8巻を含めた全42巻の「日月神示」が自動書記で綴られた。そこで語られた事は、終戦の1年前になされた日本敗戦の予言と、さらに戦後の日本の輝かしい奇蹟の復興が予言されており、さらには、いずれ世界中に地球規模の自然災害が起こり、さらにはそのあとで欧米やソ連がこぞって日本に攻めてきて日本は大混乱に陥ると予言している。天明は、世の立替えはこれまでに6回あったと言い、今度の7度目の立替えこそが最後の大建替えとなり、ミロクの世はそのあとに迫っていると言った。ただ、その最後の建直しである7度目の建直しの時に絶対に武力で敵に勝とうとしてはならない、あくまで相手を諭していけるだけの身魂磨きに励むことこそ日本人が務めるべき事だと主張する。これはまさに出口王仁三郎の霊界物語における身魂磨き、言向け和しの重要性の限りなく続く強調を彷彿させるものだが、天明は、今度の7度目の建直しの時には、現界のみならず天界・霊界・幽界・限界を通じて起こる大峠、つまり大天変地異であり、邪霊・邪神・悪神と正しい神・正神との戦いはこの4界を通じてこれまでにない熾烈なものになると予言した。天明はその前兆として富士山の大爆発を予言したが、これはまだ今日に至るまでその予言は実現していない。信者の中には神戸大震災や東北大震災を日月神示で予言してる自然大災害と解釈する人たちもいるが、富士山の大爆発については予兆さえもいまだに見えてない。晩年の天明はひたすら俳画やクレパス画など自ら得意とする絵画活動に没頭し、昭和34年には、東京、大阪、ニューヨークで相次ぎ自作の展覧会を開いた。天明の日月神示は、出口王仁三郎の霊界物語の続編と解釈する信者たちもいるが、第二次大本弾圧事件後、出口王仁三郎が保釈仮釈放になっていた昭和17年、亀岡の中矢田農園を二度訪ねた天明は王仁三郎に面会を拒否されたが、その理由はいまだに不明のままである。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第50回・岡本天明と日月神【前編】
岡本天明は、1897年(明治30年)12月4日 - 岡山県浅口郡玉島(現、倉敷市玉島)で豪農であった家に、父岡本藤太郎、母弥栄の三人兄弟の二男として生まれたが、父親が酒造のビジネスに失敗した為に天明が17歳の時に神戸に移転し、その後、上京して明治大学の夜学に通ったが、学費を自分で稼ぐ為に栃木の足尾炭鉱や北海道の炭鉱で働いたが、生活が続かず、東京に戻った後、無一文であった為、神戸まで無銭旅行で帰る事となった。神戸に戻るとたまたま開かれていた大本の神戸講演会に参加し、そのまま大本に入信することとなった。大本に入ると、彼の画家としての美術的才能が認められ、大本が買収した大正日日新聞の美術記者として働くこととなり、その後、同社の系列の金沢の北国夕刊新聞の記者となり、一時期名古屋で大本とは無関係の名古屋新聞の記者となるが、その後、昭和5年1930年に東京に大本の世界愛善新聞社が出来ると出口日出麿の強い勧めで記者として入社することとなり、天明の東京生活が始まった。その後、天明は大本と提携した中国の道教系慈善団体・世界紅卍会にも入会し、フーチーという卜占法を学び、その中で天日津久神が千葉の麻賀多神社の境内で祀られてるという神示を得、同地に向かい、その神社を発見すると同時に初めての日月神示という自動書記現象を体験した。時は昭和10年の大本第二次弾圧事件を過ぎ、既に太平洋戦争末期の昭和19年になっていた。大本で自動書記を行った出口なおは艮の金神が憑依した時も記憶があったが、天明は自動書記が行われた時の記憶は無く、完全に天日津久神に体も意識も乗っ取られた状態で自動書記が行われた。しかし、日月神示は意味不明の文字記号の集合体で天明本人にも解読出来ず、天明の三番目の妻・三典による解析で解読は進むこととなった。天明が大本から独立して「ひかり教会」を創立し、日月神示の示す「大立て直し」の活動を始めたのは戦後2年後の昭和22年1947年になってからであった。