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小瀬川流域紀行(二)美しい神殿のある「前飯谷・河内神社」広島県大竹市前飯谷
またローカルな話題です。自然の家やさかの上にある鎮守 河内神社の映像です。
小瀬川を遡ると弥栄ダムがあるそのバス停から渓流沿いに山へ入るとある山間の古い集落。
弥栄ダムバス停〜国道186号を少し遡ると上流の山側に以前動画をうpした後飯谷がある。
周りの山が迫り独特な景観をしている。
河内神社〜御祭神=大山津見命 水波能売命 山や水、川の神様ですね。
集落の成立にはいくつか説があるらしい 平家軍落人 松前(正木)進五左衛門 説、伊予正木城主渡来説など
(大竹歴史研究会HP記事より)
平家落人松前7兄弟が小瀬川を遡り飯谷川へいったった。川から箸(または柄杓)が流れてくるのを発見し上流に集落があるのを知ったとも言われる。
また松前氏を探しにきた源氏の五人の武者を接待し隠れていた松前(正木)進五左衛門が弓矢で倒したとも言われ進五左衛門の墓と(討手の墓もあるらしい)は今でも自然の家やさかの裏山に祀られているそうです。
小瀬川流域紀行(一)弥栄ダム湖を望む 後飯谷「客神社」・「河内神社」 広島県大竹市
大竹市の黒滝山山麓。後飯谷(うしろいいだに)眼下の弥栄ダムの景色も良い。この谷は黒滝山登山口になっていた。弥栄大橋方面から黒滝山を見ますと山の上に赤瓦の御社が見えるの客神社です。
前から気になっていたので迷っていたらちょうど大竹市議会選挙カーが入っていくのに続いて登り参拝してみた。
客神社は大変景色がよいです。ダム湖と吊り橋、山々の風景。いい場所に鎮座している。
小瀬川対岸 岩国市側の山中には餅ヶ峠(弥栄ダムの管理道から林道を抜けて近い、まだ人が住んでいます)、沼田原、丸田、矢細工、柏など廃村や限界集落が点在しするエリアです。
屋島で敗れた平家軍落人の里とも云われるところが多い。
ここからやや下の大竹市安条の向かい側で岩国市小津川〜渓流沿いにも現在も人が住む集落も点在する。
参考:大竹市歴史研究会HP記事参照。
大竹市防鹿〜岩国市小瀬 前淵への「沈下橋」へ 県境の川〜小瀬川紀行
小瀬川の防鹿(ぼうろく)地区の河畔へ。沈下橋に気付いたので散策して景色を眺めてみよう。
昔々は小瀬川右岸の現岩国市小瀬前渕地区は町へ出るのに対岸へ橋でわたり
大竹市木野地区から西国街道の苦の坂へのぼり小方の沿岸の町へ出るルートが生活道であったようである。
小瀬川が氾濫するたびに木の橋を架け替えていた。
昭和35年(1960年)沈下橋が建設され今も生活道として使われている。
景色も悪くないし上流から眺めた橋もよかったですね。
歴史的経緯は大竹歴史研究会サイト参照しています。
小瀬川周辺をめぐる「小川津 河内神社」 岩国市小瀬
小瀬周辺の風景 関ヶ浜(妙見山には檜の巨木がある)、小川津(いい風景です)、山間部の集落 写真、弥栄ダム
川でカジカガエル?鳴いてたよ。
県境の小瀬川河口に鎮座する干拓新開の守護神 住吉神社・龍神社 大竹市南栄
県境の川沿いにある神社 江戸期に埋め立てられた新開地の守護。工場群が遠望される場所にある。
江戸時代 芸州藩干拓により開いた土地が広がる大竹の海側。南栄の小瀬川堤防沿いに鎮座する神社。
海の神を祀る。当地にあった龍神社へ住吉神社が合祀されている。
本殿は旧海軍から譲られたもの。拝殿は戦後再建らしい。
字幕少し文字の重複があるが(変換時に勝手に文字加えられてた気づかず)意味はわかるのでそのままにしときます^^;
桜も終わり葉桜の頃。県境の川と工場群、神社の風景。
音楽
ニコニ・コモンズ のる様作
忘却の都~ノスタルジックなBGM~
早春の小瀬川 国道186号 小瀬川温泉あたり 残雪・渓流 R4.2
安芸と周防の境を流れる小瀬川 羅漢峡谷の手前 小瀬川温泉あたり。渓流と残雪、山。神石。
小瀬川神社は元湯小瀬川温泉が建立した神社でなかなか神仏習合的な雰囲気もある感じでした。祠のある後の岩がすごいです。森も美しい。撮影はしたんだけど間違えてフォルダーごと消してしまいました:: 今度はちゃんと写真撮ってこよう。
国境の小瀬川を見下ろす御社「瀬田八幡宮」 山口県玖珂郡和木町
山口県玖珂郡和木町にある神社。県境の川小瀬川を見下ろす山上にあり、弘治年間にはすでにあったといわれ(記録が焼失し創建の詳細不明)。吉川広正公の時代寛永年間に再興され現本殿は正徳年間に再建である。
本殿=山口県指定重要文化財。
麓には幕末の四境の役(第二次長州征伐)の芸州口の戦いで幕府正規軍VS長州軍の攻防の場所。記念石碑もあり、歴史の舞台でもあった。ちなみにこの先の大竹市の玖波宿は長州軍により灰塵に期した。
県道135号線沿い。御朱印あり。
最後 字幕がうまくできてないですが・・そのままにしときます^^;
晩秋の小瀬川と対岸の防鹿にある 採石場の風景(県道135号線)
雨が降りだし和木の瀬田八幡へ上がれずそのまま小瀬川を北上、山口県玖珂郡和木町から県道135号線で小瀬川を遡ってきた。その頃には雨が止んでいた。
江戸時代周防と安芸国の国境の小瀬川(木野川)河畔の県道で対岸のざっくり削れた採石場の様や川の晩秋の風情を眺めて帰った。かつては周辺の各村は紙漉きで栄えた場所。今は防鹿にただ一件残るのみ。
川は上流に弥栄ダムや小瀬川ダムがある為水量はあまり多くない。
採石された山肌が面白く野の花とともにしばらく眺めていた。
県道117号線 は山越えで(御園から立戸、三石を抜け)防鹿の砕石場 脇の国道186号へ至り、吉和方面や川下のトンネルを抜け木野へ(木野方面への県道117号の出口は角度が曲がりにくいので注意がいる)さらに両国橋を渡り小瀬〜関関バイパス〜岩國の関戸へと結ぶ。
県道135号線の先はどうなってるかまだ終点まで走ったことがないんですけどね。
【西国街道】 広島山口県境 〜小瀬川ながれと吉田松陰の故郷決別の歌〜 岩国市小瀬
古代山陽道の石國駅家に比定される山陽道は中世には一時荒廃したが近世になると 整備され江戸時代には参勤交代の道などとして用いられました。
関戸〜小瀬へ かつての国境の川 秋の気配がする流れを眺める。
車載が少し。小瀬川の日本の風景。定点観測。初秋。
歌碑は岸信介氏の揮毫であり、吉田松陰が安政の大獄で江戸へ送られるときこの渡し場付近を詠んだ歌らしい。
悲壮な感じですね。
川と山が綺麗だったので満足であります。
ただ惜しいのは錦帯橋で一時停止違反の切符を切られました< (^_^;) 気をつけます。
旧山陽道(西国街道)【 旧跡 】小瀬の渡し場跡の桜 R3年
大竹市木野と岩国市小瀬を結ぶ両国橋。西国街道(旧山陽道)の国境線である渡し場があった場所。
令和三年3月下旬2019年以来久しぶりに川辺に桜が咲いていたので眺めてきた。
岩国領と芸州藩の境に位置しており江戸時代までは防衛上の問題から橋はかけられず船で渡っていた。安芸国側=木野(この)渡し場、周防側=小瀬の渡し場と言われた。
この先に錦帯橋の川上、関戸の国道2号線へ出る関々バイパスがあるため車が次々の通過して離合したりする。渡し場跡あたり〜バイパスまでの道が狭い。
安政の大獄のおり吉田松陰が最後にこの川を渡った時 惜別の歌を読んだので歌碑が建てられている。
歌碑の近くあたりには昔は一里塚があったらしい。その奥は旧道の小瀬峠越えの道がある。狭いが今も車で通過できる。急なのと狭いので一部離合がキツイ部分がある。
この後松陰東遊記念碑を見に旧道を辿り関戸へ向かった。
小瀬峠越えで関戸へ(サブ垢)sm34599992
西国街道 木野の渡し場(小瀬の渡し場)小瀬川の晩秋の風景
出てくるのは草むらと川と石垣です。過ぎ去った歴史を刻んだ風景です。
小瀬川の流れは古来旅人が眺めたところ。吉田松陰などもこの川を渡り旅しました。安政の大獄で護送される最後の旅も此の川にて惜別の歌を読んだところ。
〜夢路にも帰らぬ関を打ち超えて
今をかぎりとわたる小瀬川〜
草も枯れ始め寂寥としても川の流れは絶えず流れ続ける。
行く川の流れはかくの如きか。
西国街道を行く 安芸と周防国境「木野(この)」里の風景(広島県大竹市)画質改良
西国街道を行く
広島市周辺の旧山陽道(西国街道)の一部を何回かに分けて歩いてみます。面影はわずかだと思いますが 歴史のある道ですから。
前より高画質化して若干増補改訂しました。
玖波宿、小方宿を過ぎ、(山越えで)苦の坂峠を越えますと 広島県と山口県の境を流れる小瀬川沿いにある山間の集落である大竹市木野(この)に出る。江戸時代西国街道が通り安芸と周防の国境線として渡し場があった。
小瀬川(江戸時代までは安芸国側は木野川、周防側は小瀬川と呼んだ)には今は新しく両国橋がかかり車でも渡れる。
車載でまず走り。次いで小瀬川沿いに山が迫る木野の里の景観や旧跡を見て歩いた。
木野の渡し場と古い町並み編 sm35994416
2019 早春
山口県と広島県の県境 弥栄ダムの真実
すばらしくビューチフォーなダムでした。他の動画mylist/14142161 「魚切ダムsm7946171」 「温井ダムsm8163736」