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山口県光市 室積半島 峨眉山 普賢寺 雪舟庭園【枯山水】
伝雪舟作庭と言われる 枯山水。山口県光市 室積半島の峨眉山麓 性空上人ゆかりと言われる普賢寺 方丈前にある庭園。
周りの樹木も取り入れていて自然いっぱいです。苔がもう少し深いと感じが出るんでしょうけどね。
今回行きましたら奥の立木の枝が切られていました。
奥の三尊石(枯滝)中央 立石の存在感が半端ないです。あれは姿がいいですね。
梅雨時の中休みに訪問。
注)藪蚊が多かった・・・刺された。
記録用。
普賢寺 普賢堂 sm37230147
庭でワニ肉を焼くオトコ 【NIWA #1】
サーブルス
ワニ舌のがうまいんで興味ある方は是非。
↓基本はこっち↓
https://www.youtube.com/channel/UCy-MLi0o8f1z-PWEPg-mDBQ?view_as=subscriber
みっくりフランス一人旅REMAKE Part3 パリ散策
ニコニコも(Re)になったことですし、
第1作目の「みっくりフランス一人旅」をリメイクします。
画質の向上に加えて、BGMやセリフ等も変更してあります。
なお、動画内の情報は基本的に2014年12月時点のものになります。
今回の動画では、主にエッフェル塔、エトワール凱旋門、エリゼ宮、マドレーヌ寺院を紹介しています。
mylist/69215494
紹介動画
みっくりフランス美食旅Part16~大統領官邸エリゼ宮~
sm37339305
Amazon欲しいものリスト
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みっくり旅行記第1弾 パリ編(オリジナル版)
mylist/49306727
みっくり旅行記第2弾 北欧編
mylist/53431974
みっくり旅行記第3弾 ウィーン編
mylist/56383609
みっくり旅行記第4弾 フィレンツェ編
mylist/57513768
みっくり旅行記第5弾 フランス美食旅
mylist/60027949
みっくり旅行記第6弾 フランス美食旅Season2(旅カテオフ会 in Paris)
mylist/63564749
みっくり旅行記第7弾 みっくり欧州親子二人旅
mylist/68977957
初秋の半べい庭園 聚花山の庭(Syukazan Garden)ショート版 広島市南区本西浦
庭園レストラン 半べい庭園〜古庭園研究や作庭家の重森三玲氏が築庭の庭園がある。
二代目社長が重森氏に依頼して築庭したそうです。ふんだんに石が使われています。
庭の名前の聚花山の庭=花をあつめた山の庭 ほどの意味です。半べい庭園は昔は広島遊園地と呼ばれつつじの名所として有名らしいです(花の時期は未だ訪問したことがないんですが)
8月の終わりに訪問・・猛暑の終わり頃、池の水がやや濁り気味状態が悪かったです。造園業者が入っていて隣の庭は見れませんでした。料亭の庭なのでライトアップ資材など人工物ががあちこちあるのは仕方がないですね。年月が経ちますがよく保存はされています。
重森氏は元来花道の専門家でのち独学で庭園を研究し様々な古庭園の修復や新しい庭の創造を行われた。私が実際行ったところでは〜周南市漢陽寺、松尾大社なども築庭している。宇部市宗麟寺 龍心庭も重森三玲氏が修復している。
邇保姫神社前バス停が一番近いです (広電バス〜4号線仁保車庫、向洋行)車だと国道2号線を広島市中心部から走ると東雲の先で本浦交番前交差点で右折する。右手に看板が見える。案内に沿って広島市工業高校周囲を回り込むようにすすむ。一方通行が多い地域なので注意。
*レストランか料亭、入浴施設などを利用されると見学できます。
ちなみにレストランきすいは半べい温泉と同じ場所にあります。リーズナブルなメニューからミニ懐石まであります。
2020.11.8武漢発コロナウイルス拡大と恐慌により温泉とレストラン部門は廃業されました。政府がきっちり保証してあげないからです・・・これからこういう事案増えるぞ!::
初秋の半べい庭園 聚花山の庭(Syukazan Garden) 長尺版 広島市南区本西浦
庭園レストラン 半べい庭園 長めです 記録用として。
古庭園研究や作庭家の重森三玲氏が築庭の庭園がある。
二代目社長が重森氏に依頼して築庭したそうです。ふんだんに石が使われています。
庭の名前の聚花山の庭=花をあつめた山の庭 ほどの意味です。半べい庭園は昔は広島遊園地と呼ばれつつじの名所として有名らしいです(花の時期は未だ訪問したことがないんですが)
8月の終わりに訪問・・猛暑の終わり頃、池の水がやや濁り気味状態が悪かったです。造園業者が入っていて隣の庭は見れませんでした。料亭の庭なのでライトアップ資材など人工物ががあちこちあるのは仕方がないですね。年月が経ちますがよく保存はされています。
重森氏は元来花道の専門家でのち独学で庭園を研究し様々な古庭園の修復や新しい庭の創造を行われた。私が実際行ったところでは〜周南市漢陽寺、松尾大社なども築庭している。宇部市宗麟寺 龍心庭も重森三玲氏が修復している。
邇保姫神社前バス停が一番近いです (広電バス〜4号線仁保車庫、向洋行)車だと国道2号線を広島市中心部から走ると東雲の先で本浦交番前交差点で右折する。右手に看板が見える。案内に沿って広島市工業高校周囲を回り込むようにすすむ。一方通行が多い地域なので注意。
*レストランか料亭、入浴施設などを利用されると見学できます。
レストランと入浴施設はコロナ禍で廃業になりました。メインの料亭のみになりました。
重森三玲作庭の庭 漢陽寺庭園(蓬莱山池庭〜地蔵遊化庭〜九山八海庭)山口県周南市鹿野町
鹿苑山漢陽寺=明で禅の修行したという名僧 用堂妙機禅師 開山。大内盛見(もりはる)公 建立の臨済の名刹で大内氏祈願所として建てられた。末寺200ヶ寺を有する一大門派だったそうですがいまは昔です。
寺院の三つの庭を拝観
潮音道洞〜蓬莱山池庭(書院裏)〜地蔵遊化の庭(中庭)〜九山八海の庭(書院東側、書院内から硝子越しに観る)
昔、鹿野の莇ヶ岳 登山の帰りに山仲間と来て以来二回目の参拝でした。江戸時代に開削した潮音洞の流れが庭を通り町へ流れて行っています。
参拝のついでに記念撮影したものから再構成。
晩秋の錦帯橋 岩国城下の秋風景(2) 庭園風な美しい紅葉谷と「黄檗宗 獨立性易 禅師 一勺の水・・」
錦帯橋を建設する際のヒントや詩や文学、篆刻など文化面でも影響を与えた人物。獨立性易(どくりゅうそうえき)明から亡命した明朝の官吏(儒学と医術に秀でていた)日本で隠元禅師のもとで出家した。吉川公の病気治療の関係でたびたび岩国を訪れ滞在し吉川公と交流した。
話はこうです独立和尚が藩主と対話して、故郷の名勝の西湖の「西湖志」を所持しており見せて欲しいと頼まれ、来岩国した折藩主に見せた。その絵図に五つの島に橋がかかる絵がありこれがヒントになったそうです。
池の岸壁に詩を刻んだ、今でも一勺の文字が残るらしいが見た感じわかりませんでした。
晩秋の錦帯橋 秋の風情吉香公園西山麓しばらくしますと紅葉も始まります 周防 岩国においでませ。この後は紅葉谷へ。
長年来ていて今回独立和尚の跡を初めて詳しくみました(よくみてみなくてはと思いました)
令和二年五月の錦帯橋の様子(人気が少ないです) sm36871944
周防安国寺遺跡 臨済宗 日照山 高山寺と庭園(江戸期築庭のようです) 秋
高山寺は 元応二年(1320年)周防の豪族 理性居士に招かれ棊山賢仙により開山された古刹 賢仙和尚は夢窓国師の学弟にあたる名僧 没後 勅命にて照普済禅師の号を送られた名僧。
室町初期足利尊氏、夢窓国師らが図り南北朝期の戦死者の追善と国家安泰の祈祷場として一國一ヶ寺 安国寺が設置された。周防國では高山寺が充てられた
しかし旧安国寺の建物は江戸時代に記録、寺宝などとともに火災で焼失したそうです。
現在の本堂は平成元年再建。
本堂の御本尊は参拝したとき拝見ましたが千手観音様に見えました?どうなんだろう。
庭園は江戸期のものらしい 柳井市名勝指定。大きなモクセイの木は同市の天然記念物指定。花は9月〜10月らしいですが10月の終わりもうありませんでした。
古 庭園は心字池(今は水は張られていない)にかつては小さな滝組石から落水させ、背後の周防富士〜 氷室がヶ岳を大きく借景にしており大きな空間を生かしてあるようです。今も借景側にはほとんど建物もない(わずか見えますが)ので雄大な感じがします山がいい。植栽が剪定されて水があれば美しいでしょうね。
youtubeでリスナーさんに教えていただいたのですが本堂横の開山堂に釈迦如来像と阿難像などが安置されているのは焼失前の本堂の本尊だそうです。
追記:2021.1.2開山堂(1月1〜3日開放らしい)参拝してきました。釈迦如来像〜端正なリアルな感じの坐像(蓮華座に座して黄金の後背が大きなもの)右が阿難像、左に摩訶迦葉像がありました。リアルな感じの像で鎌倉時代らしいというんでしょうかね。
近くに古くは氷室ヶ岳の八合目あたりにあったという氷室亀山神社があるので合わせて参拝したいものです。歴史もあり小さい神社ですが静かに参拝できます。御朱印の書き置きもありました。
防長路巡り https://www.nicovideo.jp/series/19894?ref=user_series
西国街道 海田宿 <広島県重要文化財、名勝>千葉家住宅と泉庭園(初稿)
安芸郡海田町。江戸時代芸州浅野藩の東へ最初の宿場海田宿。街道筋沿いに残る千葉家住宅は宿場町の要職を務め、御茶屋、脇本陣に次いで要人の休泊にも利用された。
酒造業の傍ら「天下送り」や「宿送り」〜幕府や芸州藩の文書や荷物の継送を受け持った。
現在は酒蔵などは残らないが、座敷棟は数奇屋の趣向で作られたもので玄関の間〜次座敷〜書院座敷へと三つの座敷が続いている。江戸中期に建てられ現在も残り広島県重要文化財指定。
庭園は、泉庭園で江戸前期に造られ、座敷棟がつくられた江戸中期改修されたらしい。解説をきくと 広島城下の縮景園を模しているらしい。広島県名勝指定。
千葉氏は戦国期までは武士で(詳しい説明も聞いたんですが失念w)関東武士の千葉一族の流れをくみ江戸時代に商人として海田宿へ土着したらしい。蔵などに家紋月星門が印象的。庭園に氏神の妙見社が祀られている。この家紋は妙見大菩薩信仰に絡んだ「月星紋」
受付は住居棟側の裏側にあり、千葉家の住居跡が残され様々な生活用具が再現され昭和初期の生活なども垣間見れる。奥はパネル展示と座敷棟〜泉庭園と続く。2020年秋
うP後ライブラリー探したら追加画像が出てきたので追加版を作成します。
作務の心得 (コロナ二年目立夏)
コロナ問題、東京オリンピック問題、考えてもいっこうにいい答えが出ない。ならばいっそのこと普段やっている作務を見直したらどうかと思いつき動画にしてみました。
県名勝「千葉家住宅」江戸期中期改修の「泉庭」と重要文化財「座敷棟」
千葉家住宅の江戸中期に座敷等建て替えの時1774年改修のお庭(江戸初期築庭)部分中心に編集。
広島県の名勝指定。座敷棟=県の重要文化財指定。
庭と座敷棟はセットなので残した。曇りでやや暗め。
植栽が茂っているので緑は濃い。
ただ、築山などがややわかりにくい感じ。築山には石が置かれ、妙見社の祠がある。
植木をいい具合に刈り込んだらもっと姿がよくなるかもしれませんね。
千葉家の歴史=平氏の流れの関東武士団中の房総で威を振るった豪族千葉氏の一族である。安芸国へ移住したのち戦国期 大内、毛利(小早川隆景)などに仕えた。
毛利が防長二州に移封後、武士をやめてしまい「神保屋」と号し広島藩で商人となる。西国街道の宿場として整備された海田へ移住し酒造業などを営む傍、宿場の要職を務めた。
また、天下送り、宿送り(幕府や藩の書簡、文書、荷物の継ぎ送り)の業務を担う。
家紋が蔵などにありますが=月星紋(げっせいもん)妙見信仰に関係した千葉氏の家紋。
音声修正。
枕木のベンチ移動してみた
お庭の枕木のベンチをガレージ側に移動してみました。
他にもちょっと手を加えて。
今日もニコニコ、ご視聴ありがとうございます。
国道186号線の休憩スポット「元湯小瀬川温泉」名水と池と庭 広島県廿日市市栗栖
小瀬川沿いにある元湯小瀬川温泉 西広島バイパス沿いのうどんの丸忠さんが経営している。
うどんメインの食堂に温泉が併設されている感じだ。周りは自然豊かな西中国山地の中。
うどん・蕎麦の定食だとニジマスの唐揚げがついてきます。
前は渓流、背後や周囲は山が連なり自然の景色は大変いい。裏山の小瀬川神社の巨岩もすごいです。
186号線沿いには喫茶やレストランなどドライブ客向けにいくつも店舗が点在している。羅漢渓へ向けてはドライブスポットだが坂道でカーブが多いので気をつけて運転したい。186をさらに行くと羅漢峡(道の駅と温泉あり)〜冠高原、吉和へいたる。
広島市の寺院【三滝観音】龍泉山「三滝寺」(三)補陀落の庭と茶堂・梵音の滝〜多宝塔 広島市西区三滝山
広島市西区三滝山にある真言宗の古刹。江戸時代から三滝観音として信仰され親しまれてきた。
風光明媚な渓流や滝のある境内は夏の避暑や秋の紅葉などもある。「中国観音霊場」「廣島新四國88ヶ所霊場」の札所でもあり参詣者が後をたたない。
字幕訂正=梵音の滝は字幕では落差つ90m〜90尺27mが正しいです。
その3=その3は下山しながらと十六羅漢。茶堂、梵音の滝と補陀落の庭〜多宝塔(国の重要文化財)
その2= 本堂、三滝名水〜鎮守堂、幽明の滝〜三鬼堂まで(猫も出ます)sm39664828
その1sm39657016
久々の(以前登山の時だから五年ぶり?)散策時に綺麗なので写真沢山撮りましたので活用してみました。秋の午後で曇り加減だった。寺の裏山は宗箇山と言われ 上田宗箇が縮景園から借景として大きな松を山頂に植えた故事からその山名がついた山。
大同四年(809年)空海の開基と伝わる古刹で江戸時代後期に入山した明禅僧正により六十年の期間にわたり再興された。その後鞍馬寺で修行された四廣四鬼神和尚により復興が継承されたという。弥山の寺にて住職も兼ねていたので、宮島の弥山に祀られていた三鬼大権現(追帳鬼神、時眉鬼神、魔羅鬼神からなる弥山 山岳信仰の守護神)の三鬼神権現堂が勧請され建立されている。
現在の場所にある弥山の三鬼権現堂(御堂は江戸期までは現在の御山神社のある岩盤の上にあったようです)建立したのもこの和尚だということです。
原爆の被害を受けおり当時の建物で現存するのは 鎮守堂、三鬼権現堂、稲荷社、鐘堂、想親観音堂。
本堂は原爆と風水害の被害を受けたため昭和四十九年に古い日本の様式で総檜、寄棟、瓦葺にて再建。
音楽 のる様作(ニコニコモンズ)蓮の花。.*:+☆ゆったりヒーリング・ピアノあとは沢音。
事歴に関しての歴史事項は、広島市西区役所作成配布の三滝散策マップ境内、参道周辺地図の記事を参照しています。)お近くの方は気が向かれたら是非参詣ください。
古刹 三滝寺 梵音之滝と補陀落庭 広島市西区三滝山
少し画像追加して再編集版 龍泉山 三滝寺の庭園とニノ滝の映像をコンパクトにまとめたもの。
補陀落の庭=Potaraka こと補陀落浄土を指す言葉。元々あった寺院庭園を重森三玲氏が改修した庭園です。普段は中は非公開。参道からは見ることができる。
梵音の瀧=庭園奥にある二の滝である。落差90尺=27mの瀑布。梵音は、梵天王(最高神ブラフマン)の発する音声、仏の声又は読経の声などの意味がある。R3 秋
日帰り旅 山口県防府「防府天満宮の門前町」2 防府天神境内〜石畳の参道周辺と茶室芳松庵の庭
松崎天満神とともに発展した商業のまち。今も賑わう防府天満宮へ。
防府天神境内〜【石畳の参道周辺と茶室芳松庵の庭園】
一ノ鳥居を抜け石畳の綺麗な参道を散策=萩狛犬、石畳、酒垂神社〜大専坊遺構〜天神さまのお茶室の庭と幕末の歴史舞台ともなった暁天楼(オリジナルは老朽化で解体され再建寄進されたもの)をまで。
日本で最初に菅原道真の霊を祭神とした神社とされる。当時の国司が土師氏で菅原氏と同族だったことと太宰府に流される前に立ち寄りもてなされてしばし滞在された歴史もあるようです。
大専坊=旧神宮寺別当坊(全国でも現存する遺構は少ない)
かつては酒垂山 萬福寺=社坊の筆頭として 松崎天神(防府天満宮)を管掌していた
社坊【大専坊、千蔵坊、乗林坊、等覚坊、圓楽坊、会所坊、密蔵坊、東林坊、西林坊】の九坊が在った
字幕訂正=5:05あたり〜正しくは菅原道真公と喫茶は縁が深いようです○
この後、其の3=黄昏近い防府天満宮を参拝します。
音楽(ニコニ・コモンズより拝借)
のる様作
mountain breeze~爽やか&軽快なピアノソロ~
don様作
halfway through one's journey
旧山陽道 防府市富海(二)旧山陽道散策 富海漁港、本陣跡など sm39780333
旧山陽道 富海(一)橘坂とて手懸岩の海の眺め sm39772962
旧山陽道沿いを散策〜「防府の国分寺から佐波神社・多々良大仏〜周防国衙跡へ」 山口県防府市
山口県防府の国分寺〜古代の周防国衙跡(すおうこくが)古代政庁の遺跡跡 まで行きました。
ダイジェストで。やや解像度は落ちます。720p
武光家(防府天神 旧大宮司の邸宅あと)
国分寺(聖武天皇が日本の各国へで建立したもの)
周防国衙跡
佐波神社
毛利庭園(毛利邸)
多々良大仏堂(お寺は廃寺毛利邸の場所にあったらしい)
防府天満宮
宮市観音(天神さん門前町にある)
音楽 のる様作 ニコニ・コモンズ
mountain breeze~爽やか&軽快なピアノソロ~
忘却の都~ノスタルジックなBGM~
永興寺 薬師堂の枯山水と室町期庭園遺構
永興寺 庭園 岩國随一の古刹 薬師堂の枯山水と境内奥の室町期の庭園遺構(城山を利用している)
大内氏の創建で仏国国師開山。今の城山周辺は永興寺の境内だったという大寺院であった。大内氏が安芸へ進出するときは宿所や陣所につかわれていた。
薬師堂建立(仏像はなかなかいい)の時に作られたようで前側の枯山水はあたらしいものですが地元の造園業者さんが作庭されたそうです。時代の味がつけばさらにいいでしょうね。
奥の室町期の庭園は城山の斜面を枯れ滝(なかなかいい感じ)に見立てた古いものであるがさらに整備が必要な感じでした。悪くはないです。よくみに行きます。
今境内墓地があるあたりは昔は紅葉などの林だったらしいです。今は面影がないようです。参道には紅葉の木が残り初夏や秋には緑や紅いトンネルにになります。
吉川氏が岩国領主となると寺院を解体、築城、御館、武家屋敷などに転用した。その後請願により再興されたが大きく規模は縮小された。
明治後、廃仏毀釈により縮小されて存続した。
参考
隣の曹洞宗の洞泉寺さんも本堂までの参道も綺麗にされていて梅の古木があるので2月梅の頃が良いです。
光市 普賢寺!
光市にある普賢寺に行ってきました!
戦国武将のお墓参り→series/238035
偉人に会いに行く→series/210538
歴史探訪など巡り→series/256690
うま娘プリティーダービーseries/262381
とある日常→series/228088
色々八十八ヶ所巡礼→series/305597
フリーBGM・音楽素材 H/MIX GALLERY
http://www.hmix.net
宇野千代 生家の庭園(一) 紅葉の初め頃 岩国市川西
岩国市川西の旧道筋ににある宇野千代さんの生家。宇野千代さんの残された苔と楓の多い庭と遺品などが今も守られ公開されています。
R3年の紅葉時期に二度訪問
その1回目 紅葉初めの青と赤の混じった庭園の風景。
宇野千代さん生家=登録有形文化財。庭が大変素晴らしい。苔庭です。紅葉も最高。
その」1=紅葉初め その2=紅葉終盤期の様子を少し。
岩国観光ではお薦めです、
大田川を望む「旧加計町の町散策」昭和風な街並みと名勝 吉水(よしみず)園 山県郡安芸太田町加計
国道191号線を大田川沿いに北上していく安芸太田町へ至る。安芸太田は加計町、戸河内町、筒賀村が平成の合併で平成16年誕生した町である。加計の本通り商店街などまわる。
加計は19年にも戸河内出身の山仲間と秋に一度訪れているが久しぶり。
*吉水園(よしみず園)加計氏の庭園、山荘で江戸時代天明年間に作られた。
広島市の縮景園を改修した清水七衛門により幾度か改修されたという。太田川や山並み、町を見下ろす高台で名園として知られるが加計隅屋の個人庭園なため・・・・
春秋に限定で一般公開されるが、コロナ禍でここ2年公開されていない。
期間が短いからまだ中へ入ったことがないんですよね(´-ω-`)
注)加計氏=本姓は佐々木氏で加計の豪商 隅屋と言われた。明治以後名乗りを加計氏となる。
中国筋では有数の鉄山師でたたら製鉄を行なっていた。江戸後期に藩の直営事業となり鉄山経営をやめたらしい。さまざまな事業を行っていたらしい酒造業や銀行もしていたらしいですね
今ある新日林業加計出張所の建物は一時期銀行としてとして使われたようで登録有形文化財。
(wki、吉水園サイト参照しています)
たい焼き屋よしお は美味しいです 休みにはドライブがてらの車が並んでますね。
他に寺社で着天神や長尾神社(拝殿の絵馬がいいんですよ)もあるが今回は行かなかった。
17〜8年前に訪れた頃とはだいぶ静かというか寂しい閑散とした感じになっている気がする。
散歩したのは商店街なのだがほとんど開いていなかった。平日なんだが・・。
店はやや大きなスーパーマーケットができているのでそちらへ行くようですね。
月ヶ瀬温泉というのができているらしい・・長尾神社も含めまた行ってみる。
JR可部線の一部が廃止になり今はバスのみが運行されている。
旧浅野家 庭園 国名勝「縮景園」 その1 園内へ灌花井戸、清風館外観、大蘇鉄(明治100年記念)周辺まで。
縮景園(しゅっけいえん)=元和2年(1620年)浅野藩主 浅野長晟により造られた別邸の大名庭園。
築庭者は、武家茶道上田宗箇(そうこ)流の流祖で浅野家家老で茶人上田宗箇その人。
回遊式池泉庭園である。
その名は西湖を模したともいくつもの名勝を縮めて表現したためともいわれる。
また林羅山が浅野公の求めに応じて書いた詩文の冒頭句から名付けられたとも言われる。
元々は江戸時代以来正式には泉邸と言われていた。戦後、縮景園が正式名称となる。
築庭後、幾度か改修や拡張がなされ現在の形となる。天明年間に庭師として知られた京都の清水七衛門(加計の吉水園なども改修している)による大改修でほぼ今の原型が定まったと言われる。
そのほか文政期に行われたらしい。他に寛政年間に1度、文化年間に2度の改修が行われたようです。
1940年昭和15年に浅野家から広島県へ寄贈された。
清風館=書院風な数奇屋造りの平家建て柿葺の建物。戦後再建された。よく茶会で使われるので何度も見学しています。中でお茶を飲むといいですよぉ。上田宗箇流 武将の茶らしくて所作がかっこいいからね。今年は茶会あるらしい。
大蘇鉄=樹齢300年くらいらしいです。上田宗箇流家元の寄贈で明治100年記念に植樹されたもののようです。よくニュースなんかに出ますね春の菰(こも)はずしとか。
京橋川沿いに位置しており川から水を引いたり、井戸から組み上げている。
池(小島がいくつもある)、築山、茶室、居館、東屋、滝や流水などがありかなり広い。
今回は東側中心で撮影した・・できるだけ人が映らないように苦心しました。
築山好きなんだけど動画撮るの上手くいかないわ。平日にまたいこうお茶して帰ろうw
まーだ東屋や西側は撮影してないんだな・・・人が多くてw
原爆投下により建物等樹木なども焼失したが、戦後復興され市民に公開された。
広電白島線〜縮景園前か広島駅から至近なので徒歩でも行けるよ。
縮景園HP記事、ウィキ参照
音楽:ニコニ・コモンズ 忘却の都~ノスタルジックなBGM~
作者名:のる様
初夏の禅刹「松巌院’(しょうがん いん)」参拝と寺院庭園 山口県岩国市藤生
5月の夕方ごろに3度目の参拝(コロナ以来久しぶり)
吉川氏の武将 二宮佐渡守俊実(としざね)により慶長二年1547年建立の寺院。
二宮佐渡守俊実(としざね)
吉川氏家中の勇将で、厳島合戦に置いても吉川勢の主力として勇戦した。
厳島では小早川隆景の危急を救い、陶氏の重臣を討ち取るなど武勲を挙げた。
また陶晴賢の捜索にて首級を見つけ出したのも二宮俊実である。
*境内奥の林間の墓地には二宮佐渡守の墓碑と並んで陶晴賢供養塔がある
また毛利の石見攻略時の本城常光攻めなどでも活躍した
その後無常感を深く感じ、仏教に帰依していったという。
庭園は安政6年(1859年)頃の今北洪川(いまきたこうせん)著「松濤軒記」〜
江戸時代の天保15年(1844年)以前に当時住職の中谷月渓 和尚が作庭したとものと記載され作庭者や作庭時期が記録して残る庭園は資料としても価値がある。(日本庭園学会誌1966巻4号抄録記事参照)
1平庭の枯山水(蘇鉄、苔に石組の庭になっている)
2池泉庭園
斜面を利用した?築山の石組が滝のように配され橋がかかる。
水流があるようで石組下に小さな池を作っている。庭には大きな宝篋印塔がありますね。
今度石組なお参詣時には詳しくみてみたい。樹木などの植栽は多い感じです。
築山上には観音堂があります(地蔵尊も確かあった)
注)今北洪川(いまきたこうせん)元儒者で25歳で相国寺で出家した臨済僧。幕末〜明治期の代表的な禅僧と言われる。安政5年〜明治初め頃まで岩國の永興寺に住したらしい。明治後東京 麟祥院へ移る。さらに鎌倉円覚寺管長となる。雲水、在家にも禅を指導したという。wiki参照。
麓の火力発電所は2020年廃止されたようですね。
*広告恐れ入ります^^;人
今回は祖生新宮神社、長宝寺の帰り夕方近くだったので 疲れててささらっとしかみていませんがまた
機会があればゆっくり拝見したいです。
追加版予定。
追加情報7/2
本日スズメバチを見たのだが本堂と接続する茶室?の柱あたりに消えた隙間から内部へ?
巣がある可能性もあるかな?冬までは注意だね。多分もう寒くなるまでは行かない。
変なおじさんとこの 鶏さん322 集中豪雨と自作の水路
集中豪雨がきました
物凄い雨です
去年から今作ってる 水路周りの様子を確認してみました
久遠山 海蔵寺と江戸時代の作庭〜石組(いわぐみ)池泉庭園 【禅宗寺院庭園】 広島市西区草津
広島市西区草津 曹洞宗 久遠山 海蔵寺と石組庭園(池泉庭園)
米帝の原爆投下で焼けたため広島市内の古庭園はほとんどない。
江戸期庭園の遺構が残るのは=貴重なものであります。今回で3回目訪問。
本堂=天保年間建立で江戸期の寺の本堂建築を今に残す。被曝建物でもあります。
旧市内は古い寺社はほとんど焼けているため残るものが大変少ない。
本堂は方丈の形式だが通常より大きな作りになっているそうです。
西区草津
草津の旧西国街道沿いにある寺社である。周囲には草津八幡(近代に遷座している)、鷺森神社や古い蔵元、寺社、コテ絵を観れる古民家なども点在するエリア。漁師町でしたが今は都市化され埋め立てが進んでいる。現在の牡蠣養殖を盛んにしたのも草津かららしいですね。
石組庭園=元禄時代に築庭された寺院庭園。本堂北側の斜面にあり。
本堂(方丈)書院から見る形式かな。岩が多用されていて三角形に近い池がある。石組は池の護岸から池上部にかけて重厚に組まれている。
西側(向かって左)には滝石組があり落水されていた(今もわずかにあるそうですが、枯れたりもしてるみたい)この時は枯滝のようでした。
滝石の横(左)にも横石を用いた石組が築山から下の方へ組まれている。滝石と横石の石組のあたりの築山はちょうど谷のような形状になっている。庭園ガイドさんのHPを拝見すると以前の写真からしたら山からの土砂が石の間に増えていますね。
夏なので草が茂っています。
海蔵寺サイト、海蔵寺さんの御由緒書、庭園ガイド(庭の紹介HP) サイト海蔵寺の項参照しました。
音楽
ニコニ・コモンズ のる様作
春は歌う。.*:+☆軽やか&華やかなピアノソロBGM
静寂の庭。.*:+☆しっとり和風なピアノソロBGM
忘却の都~ノスタルジックなBGM~
☆日帰り旅行祭★ 山口県最古の庭園へ行こう!→【松江山(ずんごうざん)宗隣寺 龍心庭】 山口県宇部市(2019夏)
宇部市小串 松江山(ずんこうざん)宗隣寺 臨済宗東福寺派の古刹 2019訪問
写真等調整し庭園への旅動画として全部作り直してた^^;>間に合った。
ゆっくりのナレーションをつけた。
00:00〜宇部へ宇部線 電車風景、小串通りの彫刻など
02:20 宗隣寺参道〜境内風景〜如意輪観音堂
04:45 龍心庭拝観
元は宝亀八年(777年)唐からの渡来僧の為光和尚が 普済寺として創建〜寛文十年(1670年) 毛利藩の家老で宇部を領した福原氏の福原広俊が父の号からとり 福原氏の菩提寺 「宗隣寺」として再興した。
中国観音霊場 の一つで如意輪観音十八番札所。山陽花の寺 御朱印もある。
本堂北面の庭園は普済寺の庭園を基にした(築庭は古く南北朝時代650年前に遡る)築山 泉水庭園です
夜泊まり石風な石組みや浅瀬の干潟様の古風な趣向が残されています。
夜泊り石=蓬莱島へ向かう宝船が夜停泊している様子を表現した庭園の守護石の一種らしいです。
干潟様(ひがたよう)=池の水際を小石などを敷いて、池泉の水が増減しますとまるで、干潟のようになる趣向の意匠。平安期の策庭記という書物にも記載されている。
ただ、現在確認できるのは平泉毛越寺と宇部宗隣寺だけだそうです。
本堂は平成十年再建だそうで、庭園も昭和四十三年に古庭園の研究 修復専門家の 重森三玲(みれい)氏により調査修復されています。
そんなに広い庭ではないのですが綺麗な庭です。鑑賞時にはご住職がテープで解説を流していただけるのでわかりやすいです。
築山の奥には旧領主 福原氏墓所があり幕末の家老福原越後さんのお墓もある。年に一度公開され参詣可能。
山口県最古層の庭として国の名勝指定され歴史的庭園であります。
ニコニ・コモンズ のるさまの曲
ゆくも!を利用させていただきました。
庭の手入れ
私のアメブロの詩を朗読しました。
ちなみに詩はフィクションです。
アメブロ「とりあえず詩集ということで」
https://ameblo.jp/renge-tsutsuji