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早春の小瀬川 国道186号 小瀬川温泉あたり 残雪・渓流 R4.2
安芸と周防の境を流れる小瀬川 羅漢峡谷の手前 小瀬川温泉あたり。渓流と残雪、山。神石。
小瀬川神社は元湯小瀬川温泉が建立した神社でなかなか神仏習合的な雰囲気もある感じでした。祠のある後の岩がすごいです。森も美しい。撮影はしたんだけど間違えてフォルダーごと消してしまいました:: 今度はちゃんと写真撮ってこよう。
【安芸の宮島】島の対岸から晩秋の青い海と島の美しい眺め 広島県廿日市市
宮島口の上にある青葉台の展望の良い公園から&阿品海岸 火立岩(ほたていわ) 近くのから。
【 自然観察 】おおの自然観察の森(1)〜森林浴しながら観察センターへ森林浴
広島県西端の廿日市市の渡ノ瀬ダムから林道を辿りはるばる山の中腹?へ。山中の大きな貯水池周りにある廿日市の自然アウトドアスポット。おおの自然観察の森へ2年ぶり?? 新緑の時期で緑が綺麗な散策路。駐車場を出ると新緑色の中既にいい香りがして森林浴^^:
自然観察センターまでの記録。ちょい修正した。
生憎、晴れたり曇ったりの天気なのが惜しかったな。
おおの権現山の中腹あたりにある池を中心にした自然観察公園。権現山は旧佐伯町側からも登れるし、渡ノ瀬地区から(車道とは別で車は走れない)道もあり観察の森に至る(昔1回歩いたことがあるけどあんまり道はよくない)車載 sm38806391
余談=権現山には瑜伽 廃祠(仏像は岡山児島あたりに移されているらしい)があり巨石の山頂、山中にも立石(ドルメン)などがありすごいです。厳島明神も近いし、山岳修験道絡みかもしれません??。また行きたいけど体調イマイチなのと体力が・・・2015年初冬に登って以来行ってない。
車道だと山陽自動車道 大野IC近くの近角林道(観察の森あたりから流れる中津岡川沿い)か県道42号線を渡ノ瀬貯水ダムまで行き途中、大竹方面への分岐で別れ林道(車用)を遡ると入口の帆柱峠へ行くことができる。近そうでなかなか遠い。
2021・5現在=近角林道は道路陥没で通行止めでした。
その2=モリアオガエルの池へ 予定。
桜の咲いた大内氏の前進基地〜門山(かどやま)城跡の山を麓から眺めて。 広島県廿日市市
岩国方面へ抜ける途中 串山交差点から旧道へ入ろうとしたら線路脇から眺めが良さそうなので撮影。駅前の一里塚石碑と城山も見てきた。
門山城は大内氏が厳島への船の出入りなども監視できる格好の場所で、安芸国支配の出城の一つだったらしい。山の東側に妹背の滝と言う大きな滝があり厳島神社兼帯七社の一つだったという
古社 大頭(おおかしら)神社が鎮座する。大正期に滝のそばへ遷座したらしい。滝の上部の砂防ダム湖のあたりに登山口の一つがある。
太田社=大頭神社摂社。桜が多く眺めも良い。山裾を走る山陽自動車道沿いの道があり桜も多く太田社の裏を通り西へ向かう。
厳島合戦前に毛利軍により落城し廃城となる。以前も動画で一里塚の石碑は撮影したことがあるがせっかくきたので再度掲載。
【夏の瀬戸内の青い海】宮島と本土の海峡 狭隘部 大野瀬戸、西端の下灘〜鳴川海岸
観光では見ない安芸の宮島(厳島)の別の顔。夏の瀬戸内の青い海と島。
1廿日市の大野瀬戸と呼ばれる厳島と本土の海峡の最短部分。島の浜辺は室浜海岸である。
2下灘〜鳴川の海岸 よくマリンスポーツや海釣りをしている人がいる国道2号線沿いの浜辺あ〜宮島の最西端部分を眺める。西側のコンビナートは隣の大竹市の重化学工業のもの。
鳴川を越えると昔でいえば旧山陽道の玖波宿である
市杵島姫伝説の 湯船の滝 広島県廿日市市
大竹市松が原に隣接する場所で、県道289号線沿いにある滝。
雨量がまとまった後でないと迫力はないだろうな。
mountain breeze~爽やか&軽快なピアノソロ~
風にそよぐ花。.*:+☆ゆったり優しい ピアノソロBGM
〜ニコニ・コモンズより 作者名:のる様
厳島神社外宮「地御前神社」と「地御前本道(ほんみち) 」【後編】(西向寺〜釈迦堂〜外宮 地御前神社まで)
西国街道から宮内串戸あたりで西へ分岐した古い道で、宮内〜地御前へ抜ける。地御前=じのごぜんの意で、本宮厳島神社が御前、本土側が地の御前という意味。
行程=〜西向寺参拝(見事な蓮華松)〜正行寺〜釈迦堂、大歳神社や大銀杏〜地御前神社境内と国道開鑿碑。長くなってしまった・・。
明治維新後、旧西国街道に替わり交通の利便性の高い新しいみちが求められ開削され。小己斐峠(井口)〜地御前〜大竹へかけて今の海岸沿いの国道2号線が作られた。それまでは海岸沿いの道路はなく宮内から 峠、山越えのある険しいみちであった。
地御前神社のところまで続く。昔の地御前神社へ至る参詣の道でもあり、生活道として使われた(今も現役)
参考資料=地御前コミュニティセンター地御前の史跡、広島大百科、wikiを参照しています)
20年くらい前は古い街並みなど残っていたようです。現在もまだまだ幾らか町家やその風情が残っている。絵を残しておこう。古い道標なども残っていたり、御堂、お寺、神社、大木などいろいろある。
最近参拝に行くと新しくなった家が増えていますね時代です。
余談〜昔、海側の宮島街道が開かれるまでは、西へ行く道は宮内村から四郎峠を越えて行く(今も迂回路として交通量が多い)旧山陽道(西国街道)しかなかった。ただ、厳島に参詣し、その後 地御前から旧山陽道のおおの中山へ抜けた話が、室町初期の九州探題=今川了俊の道行ぶり(紀行文)にもあり迂回路も存在したようです。山越えですが。
前編行程=藤掛橋、宮内別れ〜宮内串戸・道の始まり〜御手洗川〜新広島四国八十八ヶ所5番智秀山 観音堂〜真宗 西向寺山門まで。長すぎるのでとりあえずここまでで。
【廿日市 天神 山麓界隈散策】〜真宗 蓮教寺と大蘇鉄 (はつかいち市天然記念物)
天満宮の山麓界隈を散策。本陣後の楠と石碑〜JR駅側からの風景〜西側山麓の浄土真宗 古刹 蓮教字と県下第4位ソテツの古木、境内風景。広島県歴史散歩に出ていたのでお参りしてきた。結構風情があります。
注)三業惑乱(さんごうわくらん)=浄土真宗で江戸時代本山学頭 功存により 意(心)口(言葉) 身(身体活動)の三業を通して弥陀仏に救済を求め全てに信心帰命の姿が伴わねばばらぬとした自力要素のあるものだった。これに対し批判が起こり 安芸の学僧大瀛(だいえい)らはその資料を集め団結、批判を展開した。宗派内では解決できず幕府の寺社奉行の前で討論がなされ古義派の安芸学僧らが勝って異安心(異端説)が正された。しかし騒動中に死者や獄死者や遠島、本山の閉門100日間の沙汰も出るほどの騒動となり真宗史上の大事件であった。wiki参照
廿日市天満宮 創建は厳島神主家 藤原氏の桜尾城の鎮守として建立された。篠尾山sasao yamaちょいとだけ山登りです。大変眺めが良い。都市化されてしまっていますが広島湾の島々がよく見て取れます。宮島なども指呼の間に見えて厳島神主家の支配の出城とされた場所です。
厳島神主家が滅んだ後、次第に社運衰微して慶長五年に広島藩西の商業都市廿日市の氏子により再建されたといい「別当寺天神坊」と号した。その後、町の鎮守として続いてきた。
江戸期は、佐方八幡(佐方地区)、新宮社(下平良)をも勧請し広島藩の西の大きな宿場である廿日市の総氏神とされた。
明治以後、別当寺正覚院と天満宮が分離独立された。山上で並んでますけどね。
早春の御社2 延喜式内名神大社・旧国幣中社「 速谷神社 」廿日市市上平良
伊勢神社参拝後、少し下の上平良まで移動。速谷神社=安芸国二宮。延喜五年(905年)延喜式神名帳の延喜式内名神大社 旧 国幣中社。御祭神飽速玉男命(アキハヤタマオノミコト)阿岐国造を祀る。
古代は厳島神社を凌ぐ安芸備後で最高の社格を持っていた。厳島信仰の高まりにより いつしか速田神社と称され二宮、厳島明神の摂社的位置になっていたが明治以後速谷神社と社号を戻し復興された。
各地に勧請されていて何箇所かあるようです。旧佐伯町友和の速田神社、美和阿賀の速田神社などには昨年行きました。
境内社=稲荷社と岩木社のみがある、数は少ないですね。
岩木社=参道入り口の大鳥居の近く(向かって左手の住宅街の間)にある権現岩という小山に祠があり岩木の翁を祀るその分祀のようで、権現岩の傍に平楽地蔵堂がある(神宮寺の名残、先日遠目に見たらブルーシートで屋根が痛んでいた)
地主の神様と言われる。厳島明神の伝説にも絡んでいて厳島神社の三翁神社の祭神の一柱にもなっている。以前は岩木社の前には石鳥居がなくて椿が今より大きかったかな。
少し山上にある原の鎮守(安芸灘の眺め) 早春の伊勢神社=sm38317248
令和二年 厳島神社管弦祭(一)祭礼当日 外宮社「地御前神社」の様子
厳島 管弦祭当日の地御前神社参拝。今年は自粛開催でした。
例年は御座船、広島市江波と呉市阿賀伝馬船がでて賑やかなのですがことは中止。多くの人が1日船で同乗して漕ぐわけですからやむなしということでしょう。
普段は訪れる人も少ないですが厳島神社関連記録として。
この後宮島にわたり管弦祭で例年は御座船が寄港する長浜、大元神社と厳島神社(神事あり)参拝がてら見学しました。
*厳島神社で当日の変更された神事の進行予定は知らなかったんですが、御朱印所で十六時から神事だということで他の参拝客と一緒にまちました。
本宮での神事が終わると神官さんの列が西回廊を出て大元公園前を通り網野浜港へ向かわれました。大鳥居で待ちますと遊漁船を借りて幕を貼り最少人数で(ほぼ神官だけで)御神幸の神事を行なったようです。
大鳥居沖で祝詞と管弦を奏した後は、船は三度周り東に向かいましたので火立岩、地御前〜長浜浜〜大元浦と廻られたと思います。
来年は御座船出るかなあ 伝馬船の木遣唄が聞きたい。
はつかいち 地御前 厳島神社外宮の映像。
令和コロナ禍 夏の記録として
旧厳島神社兼帯社 「大頭(おおがしら)神社」と豪快な妹背の滝 広島県廿日市市大野
厳島神社摂社として推古天皇の時代に創建(603年)された古社。
江戸時代までは厳島神社の(兼帯七社の一つ)兼帯社であった。祭祀や修築の用材提供などを厳島神社が全て行っていた。
大正2年に周囲の開発化が進んだため元宮のあった桑原というところから城山の東の麓にある昔から景勝地で知られた妹背の滝のある現在地へ遷座した。
インター近くの朱の両部鳥居の扁額は東久世熾仁親王の筆。
昔は厳島神社の神事である烏喰式なども境内で行われていたようですが最近はやってないみたい。
この辺りは〜西国街道にあたり長州征伐の時、長州軍VS幕府軍の激戦地の一つ。千人塚も残る。
妹背の滝
雄滝と雌滝の二つがあり雌雄滝、めおと滝とも呼ばれていた。神社遷座の頃か妹背の滝と命名された。
雌滝=落差50mの優雅な滝である。雄滝=落差30mの岩のすごい豪壮な滝である。
城山=厳島と本土の間の海峡を睨んだ大内氏の城で門山城があった山。厳島合戦前に毛利が攻め落として廃城となる。妹背の滝の上の公園から登山道がある。また大野浦駅近くからも登れる。戦国時代などは妹背の滝あたりから敵が攻めてきたり合戦なども行われたようである。
行き方
山陽自動車道の大野インターを降りて、右折します(左へ行くと国道2号線方面や新幹線高架沿いに阿品台団地やバイパス方面へ抜ける)
神社前に市の借りているらしい駐車場があるのでそこへ止めましょう。
国道2号線からインター方面への道を(大野中央)抜けてもいけます。
山陽本線の電車だとJR大野浦駅から30分くらい東へ歩くことになるかな。駅から駅前通りを東へと 向かいスーパー藤三のところを左折して山の方へ両部鳥居を抜けて、大野インター前を過ぎたらすぐ。
廿日市総鎮守 篠尾山「廿日市天満宮」からの夏の展望 風景
廿日市天満宮 創建は厳島神主家 藤原氏の桜尾城の鎮守として建立された。篠尾山sasao yamaちょいとだけ山登りです。大変眺めが良い。都市化されてしまっていますが広島湾の島々がよく見て取れます。宮島なども指呼の間に見えて厳島神主家の支配の出城とされた場所です。
快晴より多少雲がある方が変化があり景色は面白いですね。
創建は古く鎌倉時代承久2年(1220年)文官中原親能(大江広元の兄)の一族とも言われるている(毛利などと元は同族らしい)鎌倉幕府・御家人藤原親実が、厳島神主に任命され桜尾城に着任。wiki参照。
厳島神主家が滅んだ後、次第に社運衰微して慶長五年に広島藩西の商業都市廿日市の氏子により再建されたといい「別当寺天神坊」と号した。その後、町の鎮守として続いてきた。
江戸期は、佐方八幡(佐方地区)、新宮社(下平良・動画あり)をも勧請し広島藩の西の大きな宿場である廿日市の総氏神とされた。
明治以後、別当寺正覚院と天満宮が分離独立された。山上で並んでますけどね。
【紅葉風景】厳島神主家菩提寺 曹洞宗 洞雲禅寺 広島県廿日市市
境内の大銀杏の紅葉、サザンカ、境内社の風景。
應龍山(おうりゅうざん)洞雲寺(とううんじ)初冬の銀杏など紅葉風景。
廿日市駅の北口を出て近い場所にあり以前は、周りは山林が多かったが、開発され住宅、スーパー、新しい道路(佐方へ抜ける)ができて都市化されつつあるエリア。
金岡用兼(きんこうようけん)禅師は周南市にある陶氏の菩提寺古刹 龍門寺の住職であった名僧で洞雲寺の開祖である。本山の永平寺復興などに携わった名僧だった。
金岡禅師の門下は金剛派として周防 渓月院、長門 功山寺、阿波 丈六寺などと4大道場と言われたらしい(以前参拝した渓月院の由緒書にあった)
陶晴賢の墓所、友田(藤原)興藤墓所、桜尾城主として赴任していた桂本元澄や穂井田(ほいた)元清夫妻(毛利元就の子で長府藩祖 毛利秀元の実父)の墓所もあるようです。 2020年秋頃に訪問
厳島神社外宮「地御前神社」と「地御前本道(ほんみち) 」【まとめ記録編】
サムネ=客人宮と大楠。いくつか画像を追加、整理 し直して記録として流れでまとめておく。
西国街道から宮内串戸あたりで西へ分岐した古い道で、宮内〜地御前へ抜ける。地御前=じのごぜんの意で、本宮厳島神社が御前、本土側が地の御前という意味。
行程=藤掛橋、宮内別れ〜宮内串戸・道の始まり〜御手洗川〜新広島四国八十八ヶ所5番智秀山 観音堂〜真宗 西向寺山門〜西向寺参拝(見事な蓮華松)〜正行寺〜釈迦堂、大歳神社や大銀杏〜地御前神社境内と国道開鑿碑。
明治維新後、旧西国街道に替わり交通の利便性の高い新しいみちが求められ開削され。小己斐峠(井口)〜地御前〜大竹へかけて今の海岸沿いの国道2号線が作られた。それまでは海岸沿いの道路はなく宮内から 峠、山越えのある険しいみちであった。
地御前神社のところまで続く。昔の地御前神社へ至る参詣の道でもあり、生活道として使われた(今も現役)
参考資料=地御前コミュニティセンター地御前の史跡、広島大百科、wikiを参照しています)
20年くらい前は古い街並みなど残っていたようです。現在もまだまだ幾らか町家やその風情が残っている。絵を残しておこう。古い道標なども残っていたり、御堂、お寺、神社、大木などいろいろある。
最近参拝に行くと新しくなった家が増えていますね時代です。
余談〜昔、海側の宮島街道が開かれるまでは、西へ行く道は宮内村から四郎峠を越えて行く(今も迂回路として交通量が多い)旧山陽道(西国街道)しかなかった。ただ、厳島に参詣し、その後 地御前から旧山陽道のおおの中山へ抜けた話が、室町初期の九州探題=今川了俊の道行ぶり(紀行文)にもあり迂回路も存在したようです。山越えですが。
安芸のお伊勢さん〜原の伊勢神社(葛の花と境内から見る広島湾)絵馬なども。R3初秋
廿日市市原 極楽寺へお参りと涼を求めてドライブがてら出た帰りに立ち寄り参拝と境内から海を眺めた。秋の七草の一つクズの花が咲いて秋の気配が濃厚な境内。人気はなく寂しい感じだった。
拝殿の絵馬が古くて武者絵がたくさんありました。明治以後の兵隊さんの絵もあったね。
BGM=のる様作(ニコニココモンズ)雫 ~優しく穏やか メロディックなピアノソロ~
厳島御神能を開催中の宮島へ「晩春の宮島の新緑と桜を見ながらウロウロ 」 R 4・4.16
春の海と桜と新緑 宮島を散歩します。季節はもう初夏かって感じですね
2年ぶりに厳島神社桃花(とうか)祭御神能(ごじんのう)が通常開催された。宮島へ渡り配管へ向かう。どうせ遅刻と脇道を寄り道しながら晩春らしい景色を眺めつつ神社へさらに大聖院へ向かいました。人混みが嫌いなので商店街は通りませんでした・・^^;
春の宮島を点描風に振り返る動画。
ラストの一枚はチベット仏教の砂曼荼羅。
ちなみに梵鐘をついているのは安国寺恵瓊大好きな妖怪系生主様です。
【県道車載】 県道295号 助藤佐伯線を大虫の枝垂れ桜前まで
広島県西部の廿日市市の山間部 旧佐伯町エリアの虫所山 大虫(むしところやま おおむし)へ車載です。大虫は県道295号をたどり山中深く入った限界集落ですがいいところですね。
県道30号(岩倉から)〜 県道295号線を走る。
大虫の枝垂れ桜まで(ただまーだ咲いてまへんでした) 2019年の桜の映像を最後に入れといた。
以前走った時よりは画質はいいかなと。
県道295号の四和〜大虫 間が大型車は通行不可能なやや険道的な区間になります。この後、湯来町へ向かいました。軽自動車、普通車なら問題ない。
梅雨の自然公園 泡泡な!「モリアオガエルの卵」保存用 広島県廿日市市(おおの自然観察の森)
モリアオガエルの泡状の卵の観察だけに編集し直した。
wikiなどの説明だと数匹のオスが枝先で産卵を促すと、メスが来て産卵します。粘液を出しますとオス達が足で掻き回して泡立て泡の塊を作るここへ産卵していまして泡表面が固化して卵を守る。
孵化して幼生のお玉杓子になると雨の日に水に落ちていく様です。
蛙は鮮やかな緑色らしいので一度見てみたいものですが・・・通常は樹林の中 陸上生活のようですね。
お玉杓子になったらまた観に行こうかな。
真宗王国広島【廿日市市重要文化財】永泉山 教専寺 山門(元禄時代建立・茅葺の鐘楼門)と山里〜広島県廿日市市津田〜
山間の風景と寺院の山門。元禄時代に建立の鐘楼門で珍しい茅葺の屋根を載せている。
廿日市市の重要文化財指定。
安芸国は真宗王国だったので真宗寺院が断トツ多いです。なかなかいい造りの寺院もありますね。
旧佐伯郡の山間部にある 廿日市市津田 県道293号(以前渓流の動画話あげている)沿線にある 浄土真宗寺院の山門である。
前で参拝し茅葺の珍しい鐘楼門を見学してきました。
なかなか美しい山門でした。周囲は勝成山が眺められ、季節の合歓の花が咲いて いい風が吹いていました。この後県道を少し遡り渓流を見に行きました。
訂正→県道293号は本多田佐伯線でした。県道295と間違えた。
【天神さまの〜観梅】西国街道 廿日市天満宮境内&初春の広島湾の眺め
梅の花がちょうど見頃で(一部まだ蕾の木もあった)ちょいと山登り(わずか)して散策した。場所は宮島も近い旧廿日市の中心部で旧道の旧山陽道(西国街道)が 社前を通っている。宿場町跡である。
廿日市天満宮(すぐ横が旧別当坊の正覚院)
創建は厳島神主家に就任した藤原親実により荏柄天神を勧請した桜尾城の鎮守として建立されたもの。
山は開発で峰続きがなくなっているが、桜尾城の支城〜篠尾城があった。墓地などがありそれが山の名残かなと思う、裏からも道があるようです。
江戸時代までは天神坊と呼ばれた神仏習合の寺社。
小高い山上からは極楽寺山、野貝原山(のうが高原)、舟倉、権現、経小屋の山々、
宮島〜能美島、似島、広島市方面の広島湾の島々が一望である。
音楽 ニコニ・コモンズ
のる様作
やさしいひととき。.*:+☆ジャズ風・優しいピアノソロ
donさま作
halfway through one's journey
広島県の神社巡り 〜間もなく冬へ変わる〜晩秋の【速田神社】広島県廿日市市
廿日市市友田地区 津和野街道が通る旧佐伯町であった山間の集落にある。友和公民館近く県道30号沿い。
安芸国総鎮守 速谷神社⛩を古い時代に勧請したと思われる。
広島県指定天然記念物 ツクバネカシの大木があり紅葉もあるし雰囲気も悪く無い。
県道を走行中、いい色になっていたので立ち寄る。
iPhoneで作成。音楽はiPhone付属のもの。
国道186号線の休憩スポット「元湯小瀬川温泉」名水と池と庭 広島県廿日市市栗栖
小瀬川沿いにある元湯小瀬川温泉 西広島バイパス沿いのうどんの丸忠さんが経営している。
うどんメインの食堂に温泉が併設されている感じだ。周りは自然豊かな西中国山地の中。
うどん・蕎麦の定食だとニジマスの唐揚げがついてきます。
前は渓流、背後や周囲は山が連なり自然の景色は大変いい。裏山の小瀬川神社の巨岩もすごいです。
186号線沿いには喫茶やレストランなどドライブ客向けにいくつも店舗が点在している。羅漢渓へ向けてはドライブスポットだが坂道でカーブが多いので気をつけて運転したい。186をさらに行くと羅漢峡(道の駅と温泉あり)〜冠高原、吉和へいたる。
真冬の厳島へ2 眺めの良い対岸の岡から「宮島(厳島)」厳島の海峡を眺める
宮島へ向かう途中対岸からの風景2 宮島口の上にある対厳山 の小さな公園から宮島の全景と宮島と本土の間の海峡を眺めの映像。この後宮島へ渡りました。
この公園は例年夏の海上花火大会などでは見物客が多く集まる。だいぶ以前ここから初日の出を見たことがあります。普段はあまり人がいない静かな公園。滑り台の上から撮影しました^^;
バイパスから阿品台を抜け、宮島口あたりの国道2号線を避け西へ向かう抜け道になっているので結構走ることが多い。
ここを下ると更地地区に出て右へ行くと旧山陽道(山側に未舗装路がのこる)沿いの道で新幹線高架や山陽自動車道の下を並走し大竹方面へと続く。左にいくと国道2号線へ合流する。
今川了俊=足利義満から九州探題を拝命し南朝軍と戦った武将、歌人でもあり「難太平記」、紀行文「道行きぶり」などを現す。おおの浦・・・の和歌は〜西国街道を了俊が通過した折に残したもので。道行きぶりに記載されている歌。了俊は宮内から地御前神社へさらに山越えで中山に入り西へ進んだらしいです。
厳島神社外宮「地御前神社」と「地御前本道(ほんみち) 」【前編】(〜西向寺門前まで)
西国街道から宮内串戸あたりで西へ分岐した古い道で、宮内〜地御前へ抜ける。地御前=じのごぜんの意で、本宮厳島神社が御前、本土側が地の御前という意味。
地御前神社のところまで続く。昔の地御前神社へ至る参詣の道でもある、生活道として使われた(今も現役)。(サイト〜広島大百科を参照しています)
20年くらい前は古い街並みなど残っていたようだが近代化で多くが失われたがまだ幾らか町家やその風情が残っている。絵を残しておこう。古い道標なども残っていたり、御堂、お寺、神社、大木などいろいろある。
最近参拝に行くと新しくなった家が増えていますね時代です。
余談〜昔、海側の宮島街道が開かれるまでは、西へ行く道は宮内村から四郎峠(今山陽自動車道がそばを走る)を越えて行く(今も迂回路として交通量が多い)旧山陽道(西国街道)しかなかった。
ただ、厳島に参詣し、その後 地御前から旧山陽道のおおの中山へ抜けた話が、室町初期の九州探題=今川了俊の道行ぶり(紀行文)にもあり迂回路も存在したようです。山越えですが。
行程
前編=藤掛橋(御手洗川)~宮内交差点~西国街道~地御前本道へ~御手洗川/御手洗橋~古い道標~地御前コミュニティセンターと道標~観音堂~
後編=西向寺と蓮華松~正行寺~古い町家など多いエリア~(洋画家)小林千古生誕地碑~地御前小学校/大銀杏~大歳神社と釈迦堂~地御前神社境内へ(国道開鑿碑、楠巨樹、地御前神社社殿、皇威輝八紘碑・寺内正毅書、絵馬、鳥居、狛犬など)→sm39369835
「癒しの☆渓流と無名の滝」 清々しい沢音 【広島・山口県道2号線】岩国市秋掛〜廿日市市浅原付近・市野川支流
R4/7.20 険道部分にある渓流と滝の散策映像。
広島山口県道2号線天尾・佐伯線途中の山中にある渓流(険道的な区間)
〜小瀬川水系の市野川へ流れていくおそらく支流〜
山口県美和町秋掛と廿日市市浅原境界あたりから少し散策してみて歩いた。
昔の長州の山代街道付近ですね。
市野川あたりにはまだまだ滝のようになったところがあるらしいです。
〜8分7秒前後の部分は廿日市市浅原を流れる市野川へ合流するあたりの橋からの映像ですね。
奇岩 重なり岩「帯掛け明神」広島県廿日市市津田
県道30号(旧津和野街道筋の一部)沿いにある 重なり岩。色々伝説や言い伝えが伝わる磐座である。小祠が祀られており旧な石段を登ると間近で見れる。
伝説では市杵島姫が厳島へ向かう途中休息しここで帯をかけた岩だともいう。
また地震で石が落ちたが一晩で元に戻った。
津和野藩主が街道筋で危ないのでと上の石を落とさせたが一晩で元の状態へ戻ると言うもの。
神社向かって左の紅葉は樹齢300年以上で神木になっている。伐ると祟りがある神罰が当たるとの言い伝えがあり気をつけたいものです。秋は紅葉が綺麗です。
すいません今気づいたのですが、字幕の石のサイズ=上石と下石の大きさを逆に記載していました以下が正しいです^^; 一応訂正しときます。あげ直しませんので。
下に大きな岩が巾3m、高さ3m 奥行き2.5m
上の岩が巾2.8m 高さ2.7m 奥行き2.5m 。1mの幅で重なりバランスしている。
初夏の新緑のトンネル 「住吉堤防敷の桜並木」を行く (廿日市市木材港北)
西国街道が通る廿日市へやってきた、武漢コロナ禍でも家に籠ると体調が悪くなります。外に出てみよう。
県西部の廿日市にある桜の名所でもある住吉堤防の道。長い直線道に桜の木が延々とつづく場所。
葉桜〜緑のトンネルを抜けて行きます。備忘録として。
住吉の名前は桜並木終点の少し上、宮島街道近くに港改修などにより遷座し鎮座する住吉大明神が祀られているからかと。
令和三年新春 厳島神社初詣(一) 宮島海峡の冬の海 2021・1
真冬の宮島海峡の青い海が綺麗だったので。1月8日 昨年末参拝の折 神社側で分散しての初詣参拝を推奨とのこと。新年明けて七草が終わった8日平日の午後参拝へ出かけた。
前日深夜雪も降り積もりはしないものの大変冷え込んで寒気が覆っていた。海は真っ青の深い色で凍えそうな感じである。ぶかんコロナ第三波恨めしいです。
桟橋〜船中からの景色記録まとめ。 備忘録として。
続き sm38158915
<天然記念物ツクバネガシの巨樹と紫陽花> 友田「速田(はやた)神社」R3 広島県廿日市市友田
緊急事態明け今年初めて旧佐伯町の神社。広島県西部 廿日市市友田 速田(hayata)神社へ。天気で暑すぎず蒸し蒸しもせずいい日和でした。ここは季節ごと定期的に観測に行っています。
ここは広島県天然記念物ツクバネガシの巨樹が参道入り口にある。樹高27メートル(広島文化大百科のHPでは37M?の記載ありどっちだw)もあるもので県内で同種ではおそらく一番大きい。
廿日市市の宮内から県道30号線(旧津和野街道)を上り津田の手前の友田地区にあり。
昔は確かこの辺は友和村と言われていたところで友和公民館が近い(Pあり)
神社すぐ手前に岩組バス停、友和公民館前にバス停があった。
境内は鎮守の森があり背後も山。拝殿は絵馬がかかり吹き抜け。本殿も一間社流造のいい姿です。
本殿の脇障子には彫り物が見える。基本行事でもないと普段は誰もいないみたい。
雰囲気は良い。今回4目かな。
今年は緊急事態で錦帯橋の紫陽花や菖蒲の花を見損ねたので紫陽花が見れてよかった。
この日は湿気も少なく紫陽花も満開で、もみじの色も新緑も上々。
令和三年梅雨の合間に
広島 花巡り1(shidare sakura)〜 天然記念物のしだれ桜(大虫)R4
2022.4大虫の枝垂れ桜 (廿日市市指定天然記念物)廿日市虫所山の大虫地区に元禄時代からある、樹齢三百年越えの古木です。
(周辺に幾本かこれより若い枝垂れ桜が点在する)旧佐伯町津田から県道295号線〜293号線に入りすごい山奥で途中険道(名勝・万古渓あたり)素晴らしいけど行くのが大変です。
今年は2回行っています。花前と最盛期を過ぎた頃。タイミングは難しい。
花前の映像は車載動画した時のもの。
この後、湯来町をこえて阿刀明神社の桜を見に行きました。
半年以上経ってやっと手をつけた・・^^; よ〜 木の雰囲気がなかなかすごいでしょ?
その二は予定では神原のしだれ桜巨樹です。
西国街道 廿日市宿のみなと 海の守護神「住吉神社」の小さな御社 広島県廿日市市
廿日市宿は西側の重要な宿場。海が傍なので港は物資集積と海上交通輸送の拠点であった。
廿日市宿が、厳島明神の鬼門に当たることもあり港へ出入りする船舶や漁業者などの 安全祈願の「海の守護神」として祀られたのが住吉神社(住吉さん)である。三度遷座している。
御祭神 住吉大明神=墨江三前神(底筒男命 中筒男命 表筒男命)
桜(葉桜でしたが)並木の住吉堤防敷を散策 (sm38677372) してそのまま宮島街道へ出ると境内があった。横は公園。
宮島街道沿いで廿日市中心部から宮島街道を西に走り中国醸造所を西へわずか過ぎ海の方へ左折するとすぐ。
初めて参拝かなと。
地御前(じごぜん)西向寺 境内 大樹「蓮華松」〜名木〜 廿日市市地御前
西向寺=浄土真宗 樹齢三百年以上といわれる大松。境内を覆う屋根のように広がる美しい松の木。
ただ松の樹齢等を確定する資料がないため県や市の天然記念物には指定されていないらしい。
地御前神社門前の 古い町 地御前散策の史跡スポット〜蓮華松部分のみをカット編集。
音楽=のる様作(ニコニコモンズ)
蓮の花。.*:+☆ゆったりヒーリング・ピアノ