タグ 懐かし助っ人 が登録されている動画 : 151 件中 65 - 96 件目
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元東北楽天ゴールデンイーグルス・横浜ベイスターズ ケビン・ウィット
YouTubeから転載 誕生日記念 投手はジャレッド・フェルナンデス 2年前の誕生日に投稿した動画→sm5760215
元東北楽天ゴールデンイーグルス デイモン・マイナー
YouTubeから転載 誕生日記念のはずだが1月9日という可能性もあるらしい 投手は小林宏之
【オリックスブルーウェーブ】シェルドン内野手
youtubeから02~03年在籍。『メジャー時代に(消化試合で)1試合中に全ポジションを守った珍記録保持者』というあまり期待できない売り文句だった。日本では主に一・三塁を守り、1年目は26本塁打を放ったものの得点圏打率.168ととんでもなくチャンスに弱くかったうえリーグ最多の155三振を記録。2年目はオーティズ・ブラウンの現役メジャーコンビの陰に隠れあまり目立てなかった。
楽天イーグルス2006 8/29◆ネタ外人・バレントが唯一、輝いた日
【楽天イーグルス・アーカイブ】 No.010
「飯田無双&バレントの決勝2ランホームランで決着も5時間半近い熱戦」
2006年8月29日 北海道日本ハムファイターズ-東北楽天ゴールデンイーグルス(札幌ドーム)
「長距離タイプじゃないのに何故か獲得」「顔がMr.ビーン」「打率2割前後」「在籍4ヶ月」
日本で唯一打ったホームランがこの決勝2ランホームランで、あとはほとんど役に立たずそのままシーズン終了前に解雇。
あと楽天側のトランペットがヒドイのは、2人の団員が5時間ずっと吹き続けてぶっ倒れる寸前だったため。
ファンも当時の札幌ではあれぐらいが精一杯の人数でした。許して……。
野球動画→mylist/19959358
【千葉ロッテマリーンズ】ミラー 投手
06年在籍。まだYFKが健在でさほどリリーフに困っていたわけでもないのに「02年にメジャーで9勝」という売り文句でシーズン途中に入団。たしかに150kmを越える剛速球はかなりの威力があったものの、変化球をストライクゾーンに投げられずクイックも下手でボコボコに打ち込まれ二軍落ち。シーズン終盤に敗戦処理として戻ってきたが、12試合で防御率10点台では評価しようもなかった。
【エルフェンリートOP】「lilium」を助っ人外国人だけで歌ってみた
二番煎じですが,こちらは原歌詞にリンクさせてみた気がする
音源お借りしました→nm3901052
その発声はなかった:mylist/22870912
中日ドラゴンズ グスマン またまた最上階へホームランwwwwwww
1軍復帰後9試合 33-7 4HR 6打点 10三振 1四球 .212 OPS.813イケるやん!
懐かしの助っ人外国人選手 ジョージ・アリアス
つべより。2000年~2001年までにオリックスに在籍。2002年~2004年までは阪神に在籍し、2003年の優勝に貢献する活躍を見せた。2006年に巨人に移籍するも全盛期のような活躍は出来ずに退団した。(最も球団の空気になじめなかったらしいが)現在は住宅の清掃会社を経営している。
懐かしの助っ人外国人選手 アンディ・フィリップス
つべより。メジャー時代はユーティリティープレイヤーとして活躍。広島時代は15本HRを放つなどそこそこ活躍していたが1年で解雇。前広島の監督ブラウンの楽天に移籍するも開幕からの低打率で解雇された。ちなみに広島在籍時はイケメン新助っ人として話題になっていた。
懐かしの助っ人外国人選手 タフィ・ローズ
つべより。近鉄時代は2001年にシーズン最多本塁打55本を達成しリーグ優勝に貢献。2004年は年俸問題で巨人に移籍しセリーグ最多本塁打王を記録。巨人退団後は一旦引退するが2007年新生オリックスで復帰。2008年、新生オリックスとしては初のAクラスに入る活躍に貢献した。しかし翌年は怪我によりまたも年俸でもめて退団。現在は半引退状態らしい。
懐かしの助っ人外国人選手 ヘクター・カラスコ
つべより。メジャー通算498試合登板の実績を売りに近鉄に2004年在籍。それまでクローザーを務めていた大塚が抜けてしまったので新たなクローザーとして期待されたが制球難からよく炎上が発生するため勝てる試合も負けてしまう事が多々あった。因みにこの年近鉄・オリックスの吸収合併騒動があった為、メジャー時代のストライキの経験をアドバイスをしていた。
懐かしの助っ人外国人選手 マイク・グリーンウェル
つべより。ご存じ「神のお告げ」で突然退団した助っ人外国人。しかしメジャー時代の経歴はなかなかのもので阪神移籍まではレッドソックス一筋で活躍。引退後はレッドソックスのチーム殿堂入りを果たしている。
懐かしの助っ人外国人選手 フィル・クラーク
つべより。1997年に近鉄に入団し、この年一塁手としてベストナインに選ばれる。また1年目にして当時のシーズン最多安打を記録している。2000年に死球による怪我で退団した。
懐かしの助っ人外国人選手 ドミンゴ・グスマン
つべより。2002年~2003年までは横浜に在籍し2003年はチームトップの8勝を挙げるもムラッ気のある性格が災いし解雇。2004年からは中日に移籍し、この年2桁勝利を挙げるもその後は故障で満足な結果が残せず解雇。2007年には楽天で先発のほかに抑えも務めたが満足な成績を出せずに退団となった。
懐かしの助っ人外国人選手 ライアン・グリン
つべより。2006年は楽天に在籍し7勝を挙げるも交渉決裂で2007年日ハムに移籍。この年は交流戦で最優秀選手に選ばれるなど前年とはウソのような活躍を見せたが翌年はリーグワースト14敗を記録し解雇。2009年は先発不足に悩む横浜に移籍するも外国人投手としては20年ぶりの15敗を記録しこの年限りで退団した。
懐かしの助っ人外国人選手 ライアン・ボーグルソン
つべより。2007年は阪神に在籍し先発として7勝を挙げるも翌年は大荒れし3勝4敗の成績となり解雇。2009年はオリックスに移籍するも調子の波が激しく1年で退団。その後はメジャー復帰を果たし、2011年にはサンフランシスコ・ジャイアンツで好成績を収め、その年のメジャーのオールスターに選抜された。
懐かしの助っ人外国人選手 ジェイソン・グラボースキー
つべより。2006年にオリックスに在籍。マイナー時代中村紀洋とクリーンナップを組んでいたという縁で、中村が移籍したオリックスへやってきたがあまりの低打率のひどさと4本しかHRを打てないことから1年で解雇された。
懐かしの助っ人外国人選手 チャド・アレン
つべより。アトランタオリンピックや北京オリンピック予選でアメリカ代表で4番を打った実績のある選手として2007年オリックスに移籍した。右打ちがうまく、打率.286と決して悪くはなかったもののHRはわずか4本止まりと助っ人としては迫力不足だったので解雇となった。
懐かしの助っ人外国人選手 スコット・シーボル
つべより。マイナー通算181本塁打を放った実績を持って2008年に広島に入団。阪神へ移籍した新井の穴を埋めるための補強だったが、凡退が目立ち穴を埋める程の成績を出せなかったが意外性のあるバッティングを魅せ残留。しかし翌年は新加入のマクレーン・フィリップスの陰に隠れてしまい退団した。
懐かしの助っ人外国人選手 クリフ・ブランボー
つべより。2005年に合併オリックス新助っ人第一号として入団。その年はオリックスの主砲として活躍するが翌年は打撃不振で解雇となった。打撃フォームがアッパースイングの為、ポップフライが多かった。
懐かしの助っ人外国人選手 トッド・リンデン
つべより。2009年シーズン途中に楽天に入団。アマチュア時代に両打席本塁打のシーズン記録を達成した経験を持つ。途中加入ながら楽天創立初のAクラス入りの原動力となった。しかしそれ以上に目立ってたのは素行の悪さで暴言や監督との対立など数々のトラブルを起こしている(アマチュア時代にも葉巻密輸で退部している)。翌年は前年よりも成績が落ち退団した。
懐かしの助っ人外国人選手 アレックス・オチョア
つべより。メジャー時代はサイクル安打達成やワールドシリーズ貢献者に名を連ねるなどの実績を持つ。2003年に中日に所属し、翌年はゴールデンクラブを受賞している。しかしその後は徐々に調子が悪くなり、2006年オフに解雇。2007年のシーズン途中に広島へ入団。この年は途中入団ながらそこそこ活躍したが、翌年は年齢による衰えで現役を引退した。強肩が自慢の選手だった。
懐かしの助っ人外国人選手 フリオ・フランコ
つべより。メジャー時代に3度のシルバースラッガー賞受賞・91年には首位打者を獲得した実績を評価されて95年にロッテに入団。しかし、助っ人としては長打力不足であることと当時のGMとの確執で一度退団する。その後メジャーの球団を転々とし確執相手のGMが辞任したことにより98年に再びロッテに入団。その時は助っ人では珍しくチームの主将を務めた。
懐かしの助っ人外国人選手 フランク・ボーリック
つべより。99年に長打力不足に悩んでいたロッテに入団。キャンプでは不調で当初は二軍暮らしが続いたが一軍に上がると来日初打席で本塁打を放つなどの活躍を見せた。01年には指名打者でのベストナインに選ばれるなどの活躍を見せたが、翌年は新ストライクゾーンが採用されると瞬く間に不振になり解雇となった。99年にはボーリックが本塁打を放った試合は負けないという「ボーリック神話」も生まれた。
懐かしの助っ人外国人選手 アダム・リグス
つべより。05年にヤクルトに入団。06年には「バントをしない二番打者」として39本塁打を放つ活躍をする。翌年は主軸の岩村が抜けたことにより代わりの主軸として活躍を期待されたが怪我などがあり全く活躍できなかった。さらに翌年は不振とやる気の無さから首脳陣の怒りを買い、シーズン途中で解雇となった。
懐かしの助っ人外国人選手 トロイ・ニール
ようつべより。メジャー時代にはマーク・マグワイアとクリーンナップを組んでいた事もある。95年に「アスレチックスの4番打者」という触れ込みでオリックスに入団。この年指名打者としてベストナインに輝くなど当時のオリックス全盛期を支えた選手の一人である。2000年オフに退団後は韓国でプレーしていたが暴力事件を起こし解雇。98年には下痢を我慢しながらホームランを放ったり、翌年にはグリーンスタジアムで結婚式を挙げている。
懐かしの助っ人外国人選手 ジャレッド・フェルナンデス
つべより。アストロズ時代は防御率54.00と自己ワースト記録を出している。2007年に広島へ入団。いわゆる「ナックルボーラー」と呼ばれるタイプの投手で、主にナックルを使いプレーしていた。しかし牽制は上手いものの、肝心のナックルが100km/h程しか出ないことから打ちこまれることが多く、防御率6点台とあまり活躍できずに1年限りで退団した。
懐かしの助っ人外国人選手 スコット・アッチソン
つべより。メジャー通算53試合登板の実績を評価され2008年に阪神に入団。当初は先発で起用されたがなかなか結果を出せず中継ぎに転向すると約1か月の間無失点を続けた。翌年は藤川と勝利の方程式で活躍するも本人のメジャー志向によって退団。現在はレッドソックスに所属。
懐かしの助っ人外国人選手 ジャスティン・ジャマーノ
つべより。リトルリーグ時代にマーク・マグワイアのシーズン最多本塁打記録を破ったことがある。メジャーでは通算8勝を挙げ2009年にホークスと契約。交流戦での広島戦で雨天コールドだったものの初先発での完投で来日初勝利を挙げている。シーズン通して14試合登板で5勝を挙げたものの本人のメジャー志向により1年で退団。その後はインディアンズで中継ぎとしてプレーするものの、2011年は韓国でプレーしている。