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【ダイエーホークス】 バークハート
2002年に1年だけ在籍。
友人との会話で話題に上げた時、誰も覚えていない(知らない)ので動画を見せようと思ったらどこにもなかったので、保持していた映像記録から引っ張り出して来ました。
1年在籍していたとはいえ、1軍にいたのは6月頃までと、オープン戦を含めても実質3ヶ月しか見ることができなかった選手なので、覚えていないのも無理はないかもしれません。
ちなロの主としてはこの映像の後半の試合、珍しく地上波で放送される試合をこの人のHRから逆転され敗戦したり、小坂選手がこの人と交錯して骨折したりしたので、印象に残っている選手でした。
また、両打ちの選手でしたが左右でフォームが全く違うのも印象的でした。
【1試合目】2002年4/24福岡
【2試合目】2002年4/29千葉
懐かしの助っ人外国人選手 フランク・ボーリック
つべより。99年に長打力不足に悩んでいたロッテに入団。キャンプでは不調で当初は二軍暮らしが続いたが一軍に上がると来日初打席で本塁打を放つなどの活躍を見せた。01年には指名打者でのベストナインに選ばれるなどの活躍を見せたが、翌年は新ストライクゾーンが採用されると瞬く間に不振になり解雇となった。99年にはボーリックが本塁打を放った試合は負けないという「ボーリック神話」も生まれた。
元ロッテ ジャスティン・ミラー投手(06年9月27日)
西武対ロッテ 日本最終登板 バッターはリーファー、カブレラ、和田
【東北楽天】トレーシー内野手
再うp。05年在籍。デイモンが使い物にならなかったため開幕後に獲得されたが、山下よりは長打力があるという程度だった。夏場に専用応援歌が用意された直後に見切りをつけられ二軍行き。曲は次年度からフェルナンデスへ流用された。
懐かしの助っ人選手 ケビン・ミッチェル
つべより。メジャー通算220本塁打という実績をもった現役バリバリのメジャーリーガーとして1995年にホークスと契約。開幕戦で初打席満塁本塁打を放つという華やかなデビューを果たすもその後は低迷。しかもメジャー時代はトラブルメーカーとして名が知られ、日本でも様々なトラブルを起こした。結局、推定4億以上と言われる年俸とは不釣り合いな成績を残してオフに退団となった。
懐かしの助っ人選手 メル・ホール
つべより。メジャー時代は通算134本塁打を放ち、4番を務めた実績がある。1993年にロッテと推定年俸2億2000万円で契約。主に指名打者として活躍し、チーム四冠王(打率、本塁打、打点、盗塁)に輝いた。1994年オフに退団し、95年に中日と契約するも両膝の故障で不振に陥り、1年で解雇となった。引退後はバスケの教え子の女子にわいせつな行為をしたとして逮捕された。
懐かしの助っ人 キップ・グロス
ようつべより。開幕早々に解雇となったカンポスの代わりに1994年日ハムに入団。メジャー通算は8勝しか挙げていなかったものの、3年連続二桁勝利(95、96年は最多勝を受賞)を挙げるなど日ハムの先発ローテーションを担う存在となっていた。1998年に退団し、レッドソックスでメジャー復帰を果たしている。
懐かしの助っ人外国人選手 タフィ・ローズ
つべより。近鉄時代は2001年にシーズン最多本塁打55本を達成しリーグ優勝に貢献。2004年は年俸問題で巨人に移籍しセリーグ最多本塁打王を記録。巨人退団後は一旦引退するが2007年新生オリックスで復帰。2008年、新生オリックスとしては初のAクラスに入る活躍に貢献した。しかし翌年は怪我によりまたも年俸でもめて退団。現在は半引退状態らしい。
【千葉ロッテマリーンズ】ショート 内野手
03年ロッテ、06~09楽天。本職だったサードはフェルナンデスが守ることが多かったため大抵レフトで出場。一度だけセカンドを守ったものの、あいにく誰もが期待していた「ショートがショート」の機会は一度もなかった。8月以降調子を上げ打率3割でシーズンを終えたが、山本エカ政権終了の巻き添えを食いあえなく解雇された。楽天では巧打を遺憾なく発揮して、08年には首位打者を獲得。
【西武ライオンズ】マクレーン内野手
再うp。01年入団、当初は同時に獲得されたカブレラより期待されていた。1年目はそのカブレラと共に『ツインバズーカ』として39本塁打を放つ。エバンスとの残留争いに勝つなどの紆余曲折を経て03年オフに一旦解雇されたが再雇用され04年まで在籍。09年シーズン中広島に電撃入団、年齢の割にはまあまあの活躍を見せたが今度は1年限り。
2009/3/1 アルフォンゾ、杉内からホームラン
つべから
WBC日本代表杉内から名刺代わりのホームランを放った巨人の新外国人アルフォンゾ。
メジャーで1532本のヒットを打っているそうです。
野球動画リスト→ mylist/11334350
懐かしの助っ人選手 T.ウッズ
つべより。韓国リーグで本塁打王・打点王に輝いた実績を引っ提げて2003年に横浜と契約。2003年・2004年に本塁打王に輝くもチャンスに弱い・高齢であることを理由に2004年オフに解雇。2005年からは中日と契約し、2006年に本塁打王・打点王に輝くも徐々に年齢を重ねることに衰え、2008年オフに解雇となった。
懐かしの助っ人選手 ルイス・ロペス
ようつべより。1996年に広島と契約。キャンプで不安定なスイングの矯正を行い、この年と翌年に打点王を獲得。1997年には最多安打のタイトルを獲得した。97年オフに退団し、不祥事で謹慎していた小久保の代わりの主砲を探していたホークスと契約。しかし小久保の復帰で1年で退団し、2000年シーズン途中に広島と再契約。2001年まで主砲クラスの活躍を見せたが、2002年に前田智徳とのトラブルでシーズン途中で退団した。
懐かしの助っ人外国人選手 マイク・グリーンウェル
つべより。ご存じ「神のお告げ」で突然退団した助っ人外国人。しかしメジャー時代の経歴はなかなかのもので阪神移籍まではレッドソックス一筋で活躍。引退後はレッドソックスのチーム殿堂入りを果たしている。
【日本ハムファイターズ】クローマー内野手
再うp。02~03年在籍。登録名は「DT(デイビッド・トーマス)クローマー」だったが、応援コールはおろか本拠地東京ドームのスコアボードですら「クローマー」とだけ表記されていた。応援テーマは元々シューの曲だったものの流用。13年のレジェンドシリーズでアブレイユに使われていたが「かっとばせー、クローマー!」と言いそうになってしまったのはたぶん私だけ。
ジェイジェイ&コバフト
ジェイジェイ「マタアシタイクゾ」
コバフト「また明日行きます」
ビクビー&コバフト【sm3700065】
懐かしの助っ人選手 ルイス・アキーノ
つべより。メジャー時代は通算31勝を挙げている。96年、近鉄と契約した。その風貌から「投げるマリオ」とも呼ばれ、この年11勝と好成績を残すもわずか1年で解雇となった。因みに西武戦では滅法強く、6勝を西武から勝ち星を挙げている。
懐かしの助っ人選手 ブレント・ブリード
つべより。1999年にロッテと契約。入団当時27歳と若く、球団からの期待も高かった。開幕スタメンで起用されたが、徐々に打てなくなりシーズン途中に手術で帰国。そのまま退団した。ちなみに同期はフランク・ボーリック。登録名は「ブレイディー」。
懐かしの助っ人選手 コーリー・ポール
つべより。独立リーグ・台湾リーグを点々としていた所を西武に拾われ、1999年シーズン途中に契約し入団。初打席で本塁打を放つなどの活躍を見せこの年12本塁打を記録する。同期の助っ人がことごとく不発だったので来シーズンも期待されたが、2000年は新助っ人の活躍でシーズンの大半を2軍暮らしとなる。2001年はカブレラ・マクレーンのツインバズーカに隠れてしまい1軍登録なしでオフに解雇となった。
懐かしの助っ人選手 フェルナンド・セギノール
つべより。2002年にオリックスと契約。しかし低打率により1年で解雇となる。その後ヤンキースを経て2004年に日ハムと契約。オリックス時代とは打って変わり、月刊MVP・ベストナインを受賞するなど急成長を見せた。2007年オフに解雇となり、2008年はメキシカンリーグからシーズン途中に楽天と契約。2009年オフに解雇となりその後は独立リーグでプレーしていたが、2010年途中で古巣のオリックスと契約するも調整不足を露呈するような成績しか残せず解雇となった。現巨人駐米スカウト。
懐かしの助っ人選手 アロンゾ・パウエル
つべより。1992年に中日と契約。1994~1996年まで外国人初の連続首位打者を獲得した。1997年は打率が低下しこの年限りで退団。1998年に阪神に移籍し一時期は4番を任せられるが往年の力はなくシーズン途中で解雇された。
懐かしの助っ人選手 ハービー・プリアム
つべより。1998年にオリックスと契約。ニールと共にクリーンナップを組んでいた時期もあった。当初は成績を残せなかったがシーズン途中から急成長を遂げる。ロッテの17連敗を記録した試合で9回2アウト2ストライクから逆転のホームランを黒木から放っている。この年は18本塁打を放ち、翌年20本塁打を放っている。1999年退団。
懐かしの助っ人外国人選手 ジャレッド・フェルナンデス
つべより。アストロズ時代は防御率54.00と自己ワースト記録を出している。2007年に広島へ入団。いわゆる「ナックルボーラー」と呼ばれるタイプの投手で、主にナックルを使いプレーしていた。しかし牽制は上手いものの、肝心のナックルが100km/h程しか出ないことから打ちこまれることが多く、防御率6点台とあまり活躍できずに1年限りで退団した。
懐かしの助っ人外国人選手 スコット・シーボル
つべより。マイナー通算181本塁打を放った実績を持って2008年に広島に入団。阪神へ移籍した新井の穴を埋めるための補強だったが、凡退が目立ち穴を埋める程の成績を出せなかったが意外性のあるバッティングを魅せ残留。しかし翌年は新加入のマクレーン・フィリップスの陰に隠れてしまい退団した。
懐かしの助っ人外国人選手 ジョージ・アリアス
つべより。2000年~2001年までにオリックスに在籍。2002年~2004年までは阪神に在籍し、2003年の優勝に貢献する活躍を見せた。2006年に巨人に移籍するも全盛期のような活躍は出来ずに退団した。(最も球団の空気になじめなかったらしいが)現在は住宅の清掃会社を経営している。
懐かしの助っ人選手 ウェス・チェンバレン
つべより。メジャー時代には通算43本塁打を放っている。1996年シーズン途中にウィットモアと共にロッテと契約。先に獲得した助っ人がまったくのはずれで途中解雇になったための代役であった。初打席でいきなり活躍し、シーズン終了まで4番を務めたが思うような成績は残せずオフに解雇となった。
懐かしの助っ人選手 ベン・リベラ
つべより。メジャー時代には1993年に13勝を挙げている。中華リーグ時代は抑えとして19セーブを挙げている。1998年に阪神と契約。阪神では150km超の速球を使い抑えとして活躍しこの年27セーブを挙げる。翌年はシーズン途中までは防御率0.70、13セーブを挙げるも故障で帰国。走者を背負った場面に対しての不安定さからそのまま退団となった。現阪神タイガース中南米担当スカウト。
懐かしの助っ人外国人選手 チャド・アレン
つべより。アトランタオリンピックや北京オリンピック予選でアメリカ代表で4番を打った実績のある選手として2007年オリックスに移籍した。右打ちがうまく、打率.286と決して悪くはなかったもののHRはわずか4本止まりと助っ人としては迫力不足だったので解雇となった。
懐かしの助っ人外国人選手 ヘクター・カラスコ
つべより。メジャー通算498試合登板の実績を売りに近鉄に2004年在籍。それまでクローザーを務めていた大塚が抜けてしまったので新たなクローザーとして期待されたが制球難からよく炎上が発生するため勝てる試合も負けてしまう事が多々あった。因みにこの年近鉄・オリックスの吸収合併騒動があった為、メジャー時代のストライキの経験をアドバイスをしていた。