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【千葉ロッテマリーンズ】アブレイユ 投手
08年在籍。シーズン序盤は監督に重用され防御率も悪くなかったが、細かい制球ができなかったためかいまひとつ信頼が得られないまま5月末までに20試合登板したところで腕を骨折して帰国。シーズン終了後に再来日してフェニックス・リーグでテストを行ったが結局解雇された。
懐かしの助っ人選手 ティモニエル・ペレス
つべより。カープアカデミーを経て1996年広島と契約。打撃は荒かったがパンチ力があり守備も無難にこなす選手だった。俊足で代走で起用されることも多かった。1999年に退団し、その後メジャー球団を数球団渡り歩いた。
横浜ベイスターズ 新外国人 JJファーマニアク
年俸6500万で入団が決定(12/5付け)したJJです。来年こそは優勝…いやCS出場を切に願う
懐かしの助っ人選手 ブライアン・ギブンス
つべより。2m近くの長身から投げおろすサウスポーとして1997年に西武と契約。来日初登板初先発で完封勝利を挙げた。その後も完封勝利を挙げたが徐々にコントロールの悪さを露呈し、77イニングで62個の四球を出すお粗末な結果となってしまった。この年限りで同期入団のロバートと共に解雇となった。
懐かしの助っ人選手 エリック・アンソニー
つべより。メジャー5球団を渡り歩き1998年にヤクルトとシーズン途中で契約。1997年本塁打王のホージーの不振、新入団のムートンの途中解雇もあって期待も大きかったが故障癖があり、44試合で12本塁打を放ったがこの年限りで解雇。ポジションは外野手だったが1試合しか守る機会がなく大半は1塁を守っていた。
懐かしの助っ人 C・D(クリス・ドネルス)
つべより。メジャー3球団を渡り歩き1996年に近鉄と契約。20本塁打を放つが1年で退団。翌年オリックスに移籍し、1年目は打率3割と17本塁打を放つも2年目以降は成績がガクンと落ち3年目は1軍登録なしで解雇された。引退後はオリックスバファローズのスカウトを務めた。
懐かしの助っ人外国人選手 ジャスティン・ジャマーノ
つべより。リトルリーグ時代にマーク・マグワイアのシーズン最多本塁打記録を破ったことがある。メジャーでは通算8勝を挙げ2009年にホークスと契約。交流戦での広島戦で雨天コールドだったものの初先発での完投で来日初勝利を挙げている。シーズン通して14試合登板で5勝を挙げたものの本人のメジャー志向により1年で退団。その後はインディアンズで中継ぎとしてプレーするものの、2011年は韓国でプレーしている。
懐かしの助っ人外国人選手 ライアン・グリン
つべより。2006年は楽天に在籍し7勝を挙げるも交渉決裂で2007年日ハムに移籍。この年は交流戦で最優秀選手に選ばれるなど前年とはウソのような活躍を見せたが翌年はリーグワースト14敗を記録し解雇。2009年は先発不足に悩む横浜に移籍するも外国人投手としては20年ぶりの15敗を記録しこの年限りで退団した。
懐かしの助っ人外国人選手 ドミンゴ・グスマン
つべより。2002年~2003年までは横浜に在籍し2003年はチームトップの8勝を挙げるもムラッ気のある性格が災いし解雇。2004年からは中日に移籍し、この年2桁勝利を挙げるもその後は故障で満足な結果が残せず解雇。2007年には楽天で先発のほかに抑えも務めたが満足な成績を出せずに退団となった。
中日ドラゴンズ グスマン またまた最上階へホームランwwwwwww
1軍復帰後9試合 33-7 4HR 6打点 10三振 1四球 .212 OPS.813イケるやん!
元楽天 アンディ・トレーシー メジャーでのタイムリーヒット
2009年9月13日の試合らしいです。この年はフィラデルフィア・フィリーズに所属しています。
プロ野球チームをつくろう!アドバンスに登場する元助っ人たち
ども。生きとります。
今回はやきゅつくアドバンスに登場する、かつての助っ人選手を紹介します。
なお、このゲームが発売した2002年当時の在籍助っ人選手は含まれておりません。
懐かしの助っ人選手 デイヴ・ハンセン
つべより。メジャー時代は主に代打要員として活躍した。1998年にNPBと親交のあるトミー・ラソーダからの推薦で阪神と契約。当初は打率3割、90打点は行けるという触れ込みの元の契約でクリーンナップを組んだが、結果として打率は253となった。また三塁手だったが、17失策を記録している。この年限りで退団。
懐かしの助っ人選手 ロバート・ウィッシュネフスキー
つべより。1997年に西武と契約。メジャー経験はなく、台湾リーグでストッパーを務めていた経歴がある。156Kmの速球がアピールポイントで、主にストッパーとして勤めていた。前半は防御率が1点台だったのが徐々に弱点を突かれたのか最終的には4点台までに悪化した(これが影響しストッパーからは外されている)。同期のギブンスと共に解雇された。
懐かしの助っ人選手 D・J(ダグ・ジェニングス)
つべより。1995年にオリックスと契約。当初は不調だったが7月ごろから調子が良くなり、7、8月の月間MVPに輝く活躍を見せこの年のリーグ優勝に貢献。翌年は成績が落ちたが、チームの日本一に貢献する活躍を見せた。1997年はシーズンの大半を二軍で過ごし、この年限りで退団した。
懐かしの助っ人外国人選手 ジェイソン・グラボースキー
つべより。2006年にオリックスに在籍。マイナー時代中村紀洋とクリーンナップを組んでいたという縁で、中村が移籍したオリックスへやってきたがあまりの低打率のひどさと4本しかHRを打てないことから1年で解雇された。
懐かしの助っ人外国人選手 ライアン・ボーグルソン
つべより。2007年は阪神に在籍し先発として7勝を挙げるも翌年は大荒れし3勝4敗の成績となり解雇。2009年はオリックスに移籍するも調子の波が激しく1年で退団。その後はメジャー復帰を果たし、2011年にはサンフランシスコ・ジャイアンツで好成績を収め、その年のメジャーのオールスターに選抜された。
元東北楽天ゴールデンイーグルス・横浜ベイスターズ ケビン・ウィット
YouTubeから転載 誕生日記念 投手はジャレッド・フェルナンデス 2年前の誕生日に投稿した動画→sm5760215
【千葉ロッテマリーンズ】ミラー 投手
06年在籍。まだYFKが健在でさほどリリーフに困っていたわけでもないのに「02年にメジャーで9勝」という売り文句でシーズン途中に入団。たしかに150kmを越える剛速球はかなりの威力があったものの、変化球をストライクゾーンに投げられずクイックも下手でボコボコに打ち込まれ二軍落ち。シーズン終盤に敗戦処理として戻ってきたが、12試合で防御率10点台では評価しようもなかった。