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懐かしの助っ人外国人選手 アンディ・フィリップス
つべより。メジャー時代はユーティリティープレイヤーとして活躍。広島時代は15本HRを放つなどそこそこ活躍していたが1年で解雇。前広島の監督ブラウンの楽天に移籍するも開幕からの低打率で解雇された。ちなみに広島在籍時はイケメン新助っ人として話題になっていた。
【懐かしの助っ人選手】 マーク・ミムズ
つべより。1990年にドジャーズに入団したがメジャー経験は無い。
メッツのマイナー在籍時の成績が評価され、1998年のシーズン途中にオリックスと契約。
オリックス在籍のフレーザーとの併用で使われることが多く、9月ごろから先発陣の一人として使われた。
1999年は先発以外にリリーフとしても使われた。オフに退団した。
懐かしの助っ人選手 デーブ・ドスター
つべより。退団したR.ローズの代役として2001年横浜と契約。98年日本一を経験した権藤監督から森監督に代わって新たなチームの主砲としての活躍を期待されたが、成績はローズの代役としては物足りなく、更に得点圏打率が極端に低いという理由で1年で解雇された。
懐かしの助っ人選手 ルディ・ペンバートン
つべより。1997年途中に西武と契約。しかしその直後に故障になり、復帰後もろくな成績を残せずにいたが最終戦で満塁本塁打を放ち残留。1998年は9月までろくな働きをしなかったが、9月あたりから急激に調子を上げ一時期は4番を任せられるようになった。しかし守備面にやや雑さが目立ったためこの年限りで解雇となった。
懐かしの助っ人外国人選手 アレックス・オチョア
つべより。メジャー時代はサイクル安打達成やワールドシリーズ貢献者に名を連ねるなどの実績を持つ。2003年に中日に所属し、翌年はゴールデンクラブを受賞している。しかしその後は徐々に調子が悪くなり、2006年オフに解雇。2007年のシーズン途中に広島へ入団。この年は途中入団ながらそこそこ活躍したが、翌年は年齢による衰えで現役を引退した。強肩が自慢の選手だった。
【オリックスブルーウェーブ】シェルドン内野手
youtubeから02~03年在籍。『メジャー時代に(消化試合で)1試合中に全ポジションを守った珍記録保持者』というあまり期待できない売り文句だった。日本では主に一・三塁を守り、1年目は26本塁打を放ったものの得点圏打率.168ととんでもなくチャンスに弱くかったうえリーグ最多の155三振を記録。2年目はオーティズ・ブラウンの現役メジャーコンビの陰に隠れあまり目立てなかった。
1985年日本シリーズ バース
1985年日本シリーズ バース■オリックス 鉄壁の外野陣→sm5831090■助っ人外国人列伝→sm5831052■長嶋茂雄偉人伝説→sm5831070■ベッケンバウアー→sm5831166
懐かしの助っ人選手 マイケル・ブロワーズ
1999年に阪神と契約。メジャー時代は三度の二桁本塁打を記録した実績を持つ。
阪神時代は主に四番を務めたが、外角のスライダーに極端に弱い事が発覚してからの成績は急激に落ちた。
2年契約で総額2億2000万円の年俸に見合う成績とは言い難く、一年のシーズン途中で解雇となった。
懐かしの助っ人選手 スコット・マクレーン
つべより。2001年に西武と契約。同期のカブレラと共に「ツイン・バズーカ」で活躍し、この年39本塁打を放つ。しかしその後は成績が急激に落ち、2003年にいったん解雇されるがカブレラ故障の代役として2004年途中に復帰する。オフに解雇となり、その後さまざまなメジャー球団を渡り歩き、2009年途中に広島と契約し5年ぶりの日本球界復帰となるも、調子の波が激しく同年限りで解雇。現カープ駐米スカウト。
懐かしの助っ人選手 エドウィン・ハタド
つべより。1998年にオリックスと契約。自慢の速球を武器に1年目は先発・中継ぎ・抑えフルに活躍しオールスターにも出場した。この年は8勝を挙げている。翌年も中継ぎとして活躍したものの、眼の負傷によりこの年限りで退団した。
懐かしの助っ人選手 グレン・デービス
つべより。メジャー時代はドラフト1位指名でアストロズに指名されその後通算190本塁打を放ち1986年のアストロズ地区優勝に貢献するなど華やかな経歴を掲げながら1995年阪神と契約。同期入団のクールポーとクリーンナップを組んでこの年23本塁打の成績を残す。しかし翌年は首脳陣とトラブルを起こし2軍暮らしが続き、1軍復帰後は代打満塁本塁打を放つ活躍を見せるがクールポーと共にシーズン途中で解雇された。
懐かしの助っ人選手 マーク・キャリオン
つべより。(一部映像乱れあり)メジャー時代は4球団を渡り歩き通算69本塁打を放っている。1997年にロッテと契約したものの、試合を無断欠席するなどやる気のなさに批判が挙がっていた。1年目は打率279、本塁打14本、打点77ながらチーム内での三冠王に輝く。翌年は新入団のフランコと争ったが腰痛で戦力外となり、引退した。
懐かしの助っ人選手 ウィリー・フレーザー
つべより。メジャー時代はエンゼルス在籍時に2年連続二桁勝利を挙げている。1996年にオリックスと契約し、その年リーグ優勝・日本一を経験する。強面であるが性格は繊細だという。98年まで在籍し、通算25勝を挙げた。現在は評論家を務めている。
懐かしの助っ人外国人選手 アダム・リグス
つべより。05年にヤクルトに入団。06年には「バントをしない二番打者」として39本塁打を放つ活躍をする。翌年は主軸の岩村が抜けたことにより代わりの主軸として活躍を期待されたが怪我などがあり全く活躍できなかった。さらに翌年は不振とやる気の無さから首脳陣の怒りを買い、シーズン途中で解雇となった。
090326 横浜ベイスターズ D・ジョンソン
正面から見るとすんごいオープンスタンスw mylist/11662967
【大阪近鉄バファローズ】バーンズ外野手
再うp。04年在籍、登録は外野手だったがほとんどDH専門。シーズン序盤の故障が響き34試合出場、打率.252、4本塁打といまいちの成績だった。長打力のあるマリオが途中入団して以降は投手3人制(パウエル・バーン・カラスコ)に阻まれ藤井寺暮らし。(アレな画質は勘弁してください)
【東北楽天】ロペス内野手
再うp。05年在籍。序盤は大不振だったにもかかわらず選手層の薄さのおかげで三塁スタメンで使い続けられ、最終的には普通のハズレ外国人程度の数字は残した。異常に高かった得点圏打率とネタ応援のおかげでファンからの人気は高かった。
懐かしの助っ人選手 シェーン・バワーズ
つべより。2001年に森新監督率いる横浜と契約。先発ローテーションの一角を担う存在としての入団だったが1年目は3勝(13敗)、2年目は4勝(8敗)しか挙げられなかった。2002年オフに退団。04~05年在籍のバワーズとは無関係。
懐かしの助っ人選手 エリック・ヒルマン
つべより。1995年にロッテと契約。1年目には12勝を挙げロッテの2位入りの原動力となる。翌年には14勝を挙げベストナインに選ばれるが、オフに退団。1997年には巨人と契約するが、前年までの活躍が嘘のようにまったく機能せず、さらに翌年は1試合も登板せずそのまま退団となった。
懐かしの助っ人選手 ケビン・ライマー
つべより。メジャーで通算52本塁打、1991~93年まで100安打を達成した実績を持って1994年ホークスと契約。ホークスの選手として初の福岡ドームでの満塁本塁打を記録するなど大活躍をし、この年、打率298、26本塁打、97打点をマークし、外野手としてベストナインに輝いた。翌年は一転、故障により成績ががた落ちとなり1996年の開幕直前になって解雇された。
懐かしの助っ人選手 ダリン・ジャクソン
つべより。メジャー時代は通算77本塁打を放った実績を持つ走攻守が三拍子揃った現役バリバリのメジャーリーガーとして1995年に西武と契約。安定した打率と長打力で打線を引っ張った。また足も速い上外野守備も強肩好守と非の打ち所が無く、従前の打つだけという助っ人打者像を覆す活躍を見せた。またメジャーリーガーという肩書を鼻にかけることなくチームとなじんでいた。1996年退団。
懐かしの助っ人選手 ロブ・デューシー
つべより。メジャー時代は3球団を渡り歩き、1995年に日ハムと契約。主に1番として起用され、1番起用なのに良く本塁打を放つことから「恐怖の1番打者」と呼ばれた。1995年は25本塁打、1996年には26本塁打放つなどなかなかの活躍を見せたが、打率が低打率なのがネックだったために1996年限りで退団となった。
懐かしの助っ人選手 バーナード・ブリトー
つべより。メジャー時代はマイナーでは良く打つものの、メジャー昇格だと全く打てないため「ミスター・マイナーリーグ」と呼ばれていた。1995年途中に不振のマッキントッシュの代わりに入団し、56試合で21本と驚異のペースで打つが身内の不幸で帰国。1996年は29本塁打を放つが、練習法が合わないとしてそのまま退団した。
懐かしの助っ人外国人選手 スコット・アッチソン
つべより。メジャー通算53試合登板の実績を評価され2008年に阪神に入団。当初は先発で起用されたがなかなか結果を出せず中継ぎに転向すると約1か月の間無失点を続けた。翌年は藤川と勝利の方程式で活躍するも本人のメジャー志向によって退団。現在はレッドソックスに所属。
懐かしの助っ人外国人選手 トッド・リンデン
つべより。2009年シーズン途中に楽天に入団。アマチュア時代に両打席本塁打のシーズン記録を達成した経験を持つ。途中加入ながら楽天創立初のAクラス入りの原動力となった。しかしそれ以上に目立ってたのは素行の悪さで暴言や監督との対立など数々のトラブルを起こしている(アマチュア時代にも葉巻密輸で退部している)。翌年は前年よりも成績が落ち退団した。
懐かしの助っ人外国人選手 クリフ・ブランボー
つべより。2005年に合併オリックス新助っ人第一号として入団。その年はオリックスの主砲として活躍するが翌年は打撃不振で解雇となった。打撃フォームがアッパースイングの為、ポップフライが多かった。
元東北楽天ゴールデンイーグルス デイモン・マイナー
YouTubeから転載 誕生日記念のはずだが1月9日という可能性もあるらしい 投手は小林宏之