タグ 日本の風景 が登録されている動画 : 81 件中 1 - 32 件目
種類:
- タグ
- キーワード
対象:
【Voicepeak 防長巡り】岩国市周東町の「川越地区」を行く!リニューアル版 〜獺越(おそごえ)三瀬川(さんぜがわ)他〜 岩国市周東町(川越地区)
日帰りで岩国市周東町へ1日の初見探検です。この地域は川上地区までしか行ったことがないので初めて。
国道2号線から県道5号周東美川線を行く予定が道を間違えてしまいまして、まずは蓮華山の麓にある谷津地区へ
内容
1玖珂町の谷津・比叡神社 2隕石発見石碑 3丹生河内神社(さんざん探してニノ鳥居まで・・スズメバチがきたあああ。残念うp主は再度刺されたらヤバいのです)3旭酒造 獺祭ストアの風景。
後半〜獺越 河内神社周辺 三瀬川の川越大神宮辺り 川上の鮎原劔神社へ
撮ったつもりが間違って削除したか・・三瀬川集落あたりの写真がない また行くつもり。
蛇漬渕とか三瀬川河内神社へ行き損ねておる。檜余地(ひよじ)地区もいってないです(八代に近いあたり400m越えの標高)東川(島田川系)、根笠川(錦川系)の源流地帯。
獺越(おそごえ)とは周北小学校のサイトによれば、昔々下の川上村でカワウソが人をよく馬鹿して里人が追いかけこの辺りまできたから獺越え・・と言われたという話もあるそうです。
元動画
https://www.nicovideo.jp/watch/sm41354484
https://www.nicovideo.jp/watch/sm41332905
保存していた日帰り旅の二本を読み込み一本にまとめた。
元動画7:38と11;52→やや縮めたが18;27にまとめた。
音楽を大幅に変更させていただいて雰囲気を変えた。
Voicepeakの音声化。
比叡神社あたり、鮎原神社などは一部画像を元のスライド素材から撮影素材があるものは入れ替えた。多少順序も変えた。
OP、ED追加変更。
広告御礼♪
はに様
盤上のマジック/ニック 様
地を這うおさしみ 様
nopposan 様
nanashinogonbei 様
ゼルディア 様
龍休宗庵 様
【Voicepeak安芸路巡り】車載・県道293号 廿日市天然記念物 「大虫のしだれ桜」〜広島市佐伯区湯来町多田 湯来ロッジまで
リメイク祭2024/ 桜、車載リニューアル。
R4 花前の風景と桜の開花期の映像、花前時の車載動画をまとめた。
県西部 廿日市市の山中 虫所山の大虫から広島市佐伯区湯来町多田へ抜ける〜温泉国民宿舎
湯来ロッジまでの車載抜粋。途中森の中や点在する集落、大谷川や水内川の渓流沿い、滝を抜けていく。
車載の時は、虫所山・大虫の枝垂れ桜の様子を見に行くがまだ花前であった。
1広島 花巡り1(shidare sakura)〜 天然記念物のしだれ桜R4
https://www.nicovideo.jp/watch/sm41313568
2【県道車載】県道293号 廿日市市虫所山 大虫〜広島市佐伯区湯来町多田 湯来ロッジまで
https://www.nicovideo.jp/watch/sm40276191
変更点
1 Voicepeak化
2 OP追加
3 画像、写真を挿入追加
4 解説字幕追加
5 車載を編集し直してカットして繋げた。
6 桜の動画も編集して繋げ直した。
7 BGM一部入れ替えイメージを変えた。
画質はそれなり。2023年満開の頃 一眼で撮影したんだけどまだ手をつけてないんだよね。
広告御礼 ^^;人
nopposan様
副隊長様
厳島神社外宮「地御前神社」と「地御前本道(ほんみち) 」【後編】(西向寺〜釈迦堂〜外宮 地御前神社まで)
西国街道から宮内串戸あたりで西へ分岐した古い道で、宮内〜地御前へ抜ける。地御前=じのごぜんの意で、本宮厳島神社が御前、本土側が地の御前という意味。
行程=〜西向寺参拝(見事な蓮華松)〜正行寺〜釈迦堂、大歳神社や大銀杏〜地御前神社境内と国道開鑿碑。長くなってしまった・・。
明治維新後、旧西国街道に替わり交通の利便性の高い新しいみちが求められ開削され。小己斐峠(井口)〜地御前〜大竹へかけて今の海岸沿いの国道2号線が作られた。それまでは海岸沿いの道路はなく宮内から 峠、山越えのある険しいみちであった。
地御前神社のところまで続く。昔の地御前神社へ至る参詣の道でもあり、生活道として使われた(今も現役)
参考資料=地御前コミュニティセンター地御前の史跡、広島大百科、wikiを参照しています)
20年くらい前は古い街並みなど残っていたようです。現在もまだまだ幾らか町家やその風情が残っている。絵を残しておこう。古い道標なども残っていたり、御堂、お寺、神社、大木などいろいろある。
最近参拝に行くと新しくなった家が増えていますね時代です。
余談〜昔、海側の宮島街道が開かれるまでは、西へ行く道は宮内村から四郎峠を越えて行く(今も迂回路として交通量が多い)旧山陽道(西国街道)しかなかった。ただ、厳島に参詣し、その後 地御前から旧山陽道のおおの中山へ抜けた話が、室町初期の九州探題=今川了俊の道行ぶり(紀行文)にもあり迂回路も存在したようです。山越えですが。
前編行程=藤掛橋、宮内別れ〜宮内串戸・道の始まり〜御手洗川〜新広島四国八十八ヶ所5番智秀山 観音堂〜真宗 西向寺山門まで。長すぎるのでとりあえずここまでで。
水晶ケ城跡の麓 「臼山八幡神社」Usuayama Hachiman (自然豊かな境内と紅葉の始まり) 広島市佐伯区石内
平安末期に始まり戦国時代厳島合戦の前まで 水晶ヶ城という大規模な山城があり厳島神主家藤原氏や大内氏の支配下にあったが厳島合戦前に毛利軍により落城後に廃城となった。城砦が大規模すぎて守るのに難しい故とも云われる。
旧社格は村社。八幡神を祀る。境内社=稲荷神社と新宮神社がある。
11月 終盤 紅葉が徐々に始まり出す頃。一部色付いていた。境内の木々の映像が多いですが。きれいに撮れた感じがします。境内は結構広いです。石段したの紅葉の古木のある石鳥居のところは駐車スペースになっています。また社殿右手の境内隅に永井建子(字幕訂正=けんし)記念碑が建つ。明治の軍楽隊から始まり幅広く活躍。作曲(元寇、雪の進軍など)なども行い明治の西洋音楽の先駆者の一人。あと・・・神社参拝は5分以降からです^^; 記録用なんで映像長いです、適当に飛ばしてください。
〜境内 由緒書より〜
延暦二年宇佐八幡より勧請された小祠が祀られ、後に築城された水晶ヶ城の鎮守として祀られた。
現 社殿はなかなか大きくどっしりしている。境内は大木が多くある。昭和になり皇紀二千六百年記念にて山腹を切り開き境内拡張して社殿を現在の位置へ移し祀った。
歴史
水晶ヶ城または水晶城(すいしがじょう)=wikiや石内公民館HPの古里巡りを参照。
この辺りには石道本城と新城があったとされ川向こうのバイパス側に有井城跡がある(ほとんど残ってない)古里巡り記載に従い有井城=石道本城としました。
源平の頃 源範頼軍が影ともの道をとおり平家追討した時この城にて佐々木国正が平家方と戦ったらしい。武神として次第に信仰されていく。城は次第に拡張されていったのであろう。
戦国期には厳島神主家 藤原氏領〜大内氏支配下になり麻生右衛門が城主として赴任した時に、新たに社殿を造営したと伝わる。
城は山全体を城郭化した連郭式山城で相当規模が大きなものであった。今も山中に城跡があ
る 令和2年11月
☆☆ Voicepeak ♪♫ 【彩澄りりせ&フリモメンと行く】尾道寺社巡りの旅 (リニューアル版)
この動画は寺社巡りしております^^人 令和2年1月の記録 この日尾道巡拝で回ったお寺リスト以下
持光寺〜光明寺〜尾道 吉備津彦神社、宝土寺〜海雲塔(卒塔婆塔)、天寧寺まで。
光明寺ではご住職がおられてので、目的の一つ朱印帳を授与いただき(猫の宝船の絵柄)御朱印を頂戴しました。波分千手観世音の文字ががいいですねえ。御朱印ですが、天寧寺はご住職不在でした。500羅漢は表情が様々で面白いです行かれたら是非(撮影は遠慮しときました)
混乱の幕開けコロナ禍直前で参拝した記録動画のリニューアル再編集です。
習作なんでご意見やアドバイスがあればコメントくださいな(=^ェ^=)
記載予定の御朱印祭2023用に再編集してみたけど、御朱印が一件しかいだいけなかったので長い割に
御朱印メインな感じじゃないんで寺社動画としてうPします。
・・初め御朱印祭用に作りかけてたからお借りしたロゴが紛れて消しわすれて残ってる修正します^^;=済み。
他に持光寺では握り仏作成体験などもされているみたいです。
宝土寺さんは陶器の窯を設けておられる模様
時々猫に会うのも楽しみです。続きもリニューアルするか?未定w
2多分この後の御袖天神まで(疲れてて撮影がwいまいちなんでちょいと出来が悪が)
3西国寺、4西郷寺あたりの以前うpした元データーが見つからず一旦完結です。
Voice peak版 案内 彩澄りりせ 解説 フリモメン
絹本著色普賢延命像
文化庁 文化遺産オンラインサイト https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/159085
令和2年 緊急事態宣言・自粛で静かな【 新緑が映える錦川 錦帯橋と吉香公園風景】 記録 山口県岩国市
新緑の色映る錦川を散策した記録。錦帯橋を渡り吉香公園へ。
緑が濃い清流と五連の名橋。
私の定番コースで大竹市の186号線でゆうみトンネルを抜けたところ木野集落から入り
旧山陽道の小瀬渡し場跡の新緑、小瀬川の流れと吉田松陰の歌碑〜錦帯橋と錦川の清流、古社の白山神社、吉香公園の風景など
この時期は城山が若葉で埋まり錦川に映えますな。
2020 .5
田舎でもあり十分な空間があり固まらず、人と密接な接触をしない、マスクなしで喋らない。人がいればマスクをする。食事にしゃべらない。洗わない手で目鼻などを触らない。自他の安全を配慮すれば場所にもよるが、散策など体で動かせます。
京大藤井教授らの提言されるレジリエンス実践ユニットの半自粛方針を支持します^^
*R2年 錦帯橋周辺 岩国城下 吉香公園の秋を探して sm37700712
岩国市美川町根笠(Mikawachou Ngasa) 国天然記念物指定 岩屋観音窟 sm37522898
小さな鍾乳洞にあり木造でありながら石仏になった古い観音様です。
寂地峡(Jakuchi kyou)滝と自然観察路B(合成音声ガイド入り)sm37527628
岩国市錦町宇佐(旧玖珂郡錦町)県名勝 西中国山地国定公園内。
坂と猫の港町 尾道の寺社巡り(五) 尾道海峡 夕暮れの船影
寺社巡り後半を振り返り総集編〜江戸時代の豪商建てた爽頼軒の庭園を塀越しに少し眺め(公開日が土日祝日に決まっているため平日は見れない)
〜本通り商店街を歩き久保八幡神社(亀山八幡神社)参道石鳥居〜海岸通り、土堂(つちどう)渡船場〜駅前渡船場〜夕方の尾道海峡の船行き交う風景。
海峡を眺めてたら飽きないです。つい時間を過ごして日暮れ間近でした。
尾道 海 船 海峡 夕暮れ 港町の風景風情 。
字幕 訂正=×浄土宗寺院ではなく〜 ○時宗寺院が正しいです。
花満開!令和4年6月 岩国 吉香公園〜 城山 花菖蒲園(とモリアオガエル卵) 〜 山口県岩国市横山
吉香神社の北側の山麓にある花菖蒲園。6月のシーズン最後あたりでした。
ひと気なしで静かに見てまわれました。
花菖蒲園鑑賞
日本庭園へ、トンボ産卵、池と滝、モリアオガエル卵
菖蒲園の上の方には日本庭園が造園されています。
ただ整備があまりされていないのか精彩は欠きます。城山は自然が保たれているので
いいんですけどねえ。
モリアオガエルの卵がまだありました。
高照寺山麓 祖生(そお)新宮神社、長寶寺(創建1200年)岩国市周東町祖生(旧玖珂郡周東町)
一分弱登山動画祭であげた氷室ヶ岳の関連として山向こうの祖生(そお)を散策します。
山口県の東部の周防(すおう)旧玖珂郡を廻りました。
この日の行程〜まず旧山陽道を経由して難所の中峠を越えて玖珂(くが)市街に向かわず周東町祖生ヘの道をたどりました(これは毎回定番コースです)新宮神社、長寶寺を回り〜この後先に動画をうpした藤生の松巖院へ行きました。動画は新宮神社から〜
新宮神社」
岩国市周東町 祖生(そお)にある古社。社殿の姿が大変いいです^^
この地はお盆にある「柱松」などの伝統行事で有名。
かつて祖生は厳島神社別当寺 水精寺(今の大聖院の前身)の寺領であったそうでその関係で大内氏の名により源宗光が厳島明神を勧請したという。社(やしろ)はそれ以前から存在した模様。
江戸時代は吉川氏の祈願所だった。
他に祖生には近くに延喜式内熊毛神社論社「岩隈八幡宮」(古い方)などもあります。
洪福山 長寶寺(ちょうほうじ) 観音霊場の 創建1200年は経つと思われるの古刹
行基菩薩が行脚中に高照山中の高所に補陀落に似た場所を見つけ観音菩薩像を彫り祀ったことから
始まった縁起がある。創建時は密教寺院で大同年間の記録などもあるようです〜1338年普明国師により臨済宗に変わり中興されたが江戸時代古い伽藍を焼失したのち現在地へ寺院を降ろしたということです。
山門をくぐると大変見晴らしのいい境内があり本堂がある。
一段高い場所に観音堂があり、十一面観音菩薩を祀る。
周防三十三ヶ所観音霊場二番。この霊場は大内弘世が勧請した霊場で古いものである。
霊場のHPによれば観音菩薩像は見た感じから藤原期(平安時代)の作ではないかとの記述もあった。
33年毎開帳の秘仏で明治以後は7年ごとにのみ開帳されています。
周防33ヶ所観音霊場、長寶寺サイト参照。
修正機能試してみた いいね^^
初夏の周防岩国案内(彩澄りりせ&Frimomen)「吉香公園」徴古館周辺の新緑を訪ねて 岩国市横山(Voicepeak)
今回は、吉川公の城下 吉香公園内の普段は観光散策 岩国市の博物館的施設 徴古館のさらに奥へいく。 祖霊社のさらに奥にあるの茶室とか?(気づかなかったので)
現在は徴古館付属の旧吉川事務所建物は初めて行くエリア。
許可とか面倒なので徴古館内は撮影はしませんでした。様々岩国関係の復刻販売書籍もあるよ
お堀〜徴古館(吉川氏が寄進した岩国の歴史風物を紹介した博物館的な施設)、厩門、牡丹園、旧吉川家岩国事務所〜吉川家祖霊社(吉川氏の祖霊社で東京の吉川亭から移築らしいです、外から拝見のみですね)と社前のややあれ加減の庭〜H三十年に改修された吉香茶室〜吉川史料館と昌明館遺構(門)
2023の季節の花と新緑=ツツジ、牡丹、シャガ、茶室のもみじや城山などの新緑
撮影=今回初めて全て旧オリンパス(OMデジタル)OMDーEM1markⅢ 4K30P撮影(素材)
また需要ないだろうと(´-ω-`)思いつつ音声なし字幕少しと音楽だけ入れてベース動画版をあげます。
先月から数年計画で食事制限してるのでグルメ系とかのは当分できそうにないからそう言う要素はないです。
第3稿(初稿とは音楽を変えました〜Voicepeak化して上書きしました)
一度岩国へおいでませ^^人
埋もれゆく動画の墓に牡丹かな ダーレス
山口県HP文化財解説、案内板、岩国市の観光サイト参照。
一応説明はわかるんだが厩門の説明で声が小さめのところがあります。修正間に合わず。
別に修正して再うpしたが・・全体にはに問題ないのでもうこのままにして非公開にしとくわ。
【フリモメン動画投稿祭2023】フリモメンと行く宿場町海田「千葉家住宅」と江戸期中期改修の「泉庭」の紅葉2022完全版
基本は同じですが、記録として。動画、写真の増補改修完全版(長目) 間に合ったぜ
良い声のリリせちゃんはわしの中ではフリモメンの2号機です。
千葉家住宅の江戸中期に座敷等建て替えの時 1774年改修のお庭(江戸初期築庭)泉庭がある
広島県の名勝指定。座敷棟=県の重要文化財指定。
2022年11月に訪問時のもの(iPhoneで撮影なので画質はそれなり)。
この時iPhoneしかなかったので紅葉の写真が日陰のあたりは厳しいですね。
西国街道(旧山陽道)広島から東へ最初の海田宿。現在も街道の雰囲気を僅かに残す町。そこには旧千葉家住宅が現存する。千葉家は元武士で上総、下総で勢力を張った千葉氏の一族で永正年間(1504〜42年)安芸の国へ下向した。大内氏や毛利に仕えたのち毛利氏が防長移封の時に武士を止め広島城下で商人となり神保屋を起こす。
広島藩により海田宿が整備されると海田にて神保屋は酒造業などを営む傍ら天下送り、宿送りの業務に携わるとともに宿場の重要な役を務めた。
注)天下送り=幕府の公文書や荷物も運搬 継ぎ送り(広島城下及び上瀬野まで)宿(しゅく)送り=広島藩の公文書類、荷物の継ぎ送り(尾道奉行との連絡を中心)〜
家紋が蔵などにありますが=月星紋(つきほしもん)妙見信仰に関係した千葉氏の家紋。
微修正しました。
街道歩きは2019年に行ったかな 再度 海田や瀬野を歩いてみたい。
広告礼申し上げます
めし太郎 様
イルカッパ星人 様
赤城山登頂記念 様
龍休宗庵 様
Voicepeak【彩澄りりせと行く神社巡り2】 西国街道に御鎮座「黒川 大歳神 社」 〜 広島県大竹市
広島県の神社巡りその2 広島県西端の大竹市黒川。旧街道西国街道筋に面した神社。
玖波宿と小方間宿(主に一時的休息に使われた宿場)との中間に位置する旧黒川村の鎮守。時代の波に翻弄されながら今も静かに鎮座しています。なかなか良い。
広島岩国道路建設(正式にはバイパス扱いなんだけど、まあ山陽道ね)により大歳の杜を切り開き遷座している。
祭祀は玖波大歳神社さんで兼務
神社案内ガイドは彩澄りりせちゃん(voice peak)さんです。音声案内は最小限にとどめております。
テスト投稿2 りりせさんのご案内による神社参拝記。
できるだけ声を抑え目にしてナレーション重視で調整。
こまめにプロジェクト保存しないとたまに落ちたり、自動保存はしてくれない注意だよん。
趣味的には音楽だけの方が、場所柄 ここだとより静寂の雰囲気はあるかな。
ただ音声が入るとわかりやすい(読むことに集中しなくて良い)
晩春の周防山代地方・土日だけ営業のカフェと阿賀(あか) 速田神社巡り 2022.4
晩春の周防山代地方・土日だけ営業のカフェと阿賀 速田神社
4月初め 岩国市美和町 山間の里で長閑な風景が広がる場所。
カフェで一休みして神社参拝。
前回のメガソーラーの山里の動画の同日風景だが(別角角度から映像追加して編集)
桜や菜の花が咲き乱れる時期に美和町阿賀の古社 速田神社へ行くため山越えをした。
土日だけの花いっぱいのカフェの風景〜秋掛の菜の花、立岩地区の桜、桜の阿賀の古社「速田神社」
字幕訂正=祭礼は(厳島管絃祭と同じですから)旧暦6月17日です(7日は誤り)
今日は選挙 昔と変わったネオリベ自民圧勝で国はどこへ漂流していくのだろう。神に祈りたい。
*広告誠に恐れ入りますです
【フルHD撮影】 水のある風景 【Canon HF G10】
アーカイブに溜めてあった水に関わる映像を集めました。
フィラー動画を意識したので、ワンカット20秒の編集をしています。
若干お聞き苦しい所もありますが、水の音も楽しんで頂ければと思います。
YouTubeに高画質版あります>http://youtu.be/lePVZ4xwpmU
晩秋の上関 竈(かまど)八幡宮参拝記(山口県熊毛郡上関町長島) R4.11
上関は古代においてはは竈戸関と呼ばれていた(地形からの名称らしい)また風待ちの港などとしても用いられていたそうです。後代に上関と呼ばれるようになる。
周防長門の海には下関〜中関〜上関と瀬戸内航行する運搬船の海の関所(番所)があり荷物などを検査したりしていた。
戦国期は大内氏の支配地域となり後には毛利の支配もうけ海上勢力能島村上水軍も活躍し上関城もあった(船舶から通行料を徴収していた)
海上交通の要衝でもあったようです。江戸期は北前船の風待ちの寄港地として大いに栄えたようです。
wiki参照
竈八幡宮=由緒書によれば〜はじめ祓戸九柱神を奉斎し後、香椎から神功皇后、文徳天皇の御代再度八幡神の三柱を勧請され竈八幡宮と呼ばれた。
日美の木という山上(おそらく?)から後に現在地へ遷座し境内山上で旧宮地へ向けて
日美祭も戦前までは行われたようです。
年末からはじめ〜新年にようやく完成。
広島市の寺院【三滝観音】龍泉山「三滝寺」(二)本堂と三滝名水〜鎮守堂と幽明の滝 広島市西区三滝山
広島市西区三滝山にある真言宗の古刹。江戸時代から三滝観音として信仰され親しまれてきた。
風光明媚な渓流や滝のある境内は夏の避暑や秋の紅葉などもある。「中国観音霊場」「廣島新四國88ヶ所霊場」の札所でもあり参詣者が後をたたない。
その2= 本堂、三滝名水〜鎮守堂、幽明の滝〜三鬼堂まで(猫も出ます)その3は下山しながら茶堂、庭園と十六羅漢像、多宝塔。こちらは見どころが多いので三回くらいに分割してます。
その1sm39657016
久々の(以前登山の時だから五年ぶり?)散策時に綺麗なので写真沢山撮りましたので活用してみました。秋の午後で曇り加減だった。寺の裏山は宗箇山と言われ 上田宗箇が縮景園から借景として大きな松を山頂に植えた故事からその山名がついた山。
大同四年(809年)空海の開基と伝わる古刹で江戸時代後期に入山した明禅僧正により六十年の期間にわたり再興された。その後鞍馬寺で修行された四廣四鬼神和尚により復興が継承されたという。弥山の寺にて住職も兼ねていたので、宮島の弥山に祀られていた三鬼大権現(追帳鬼神、時眉鬼神、魔羅鬼神からなる弥山 山岳信仰の守護神)の三鬼神権現堂が勧請され建立されている。
現在の場所にある弥山の三鬼権現堂(御堂は江戸期までは現在の御山神社のある岩盤の上にあったようです)建立したのもこの和尚だということです。
原爆の被害を受けおり当時の建物で現存するのは 鎮守堂、三鬼権現堂、稲荷社、鐘堂、想親観音堂。
本堂は原爆と風水害の被害を受けたため昭和四十九年に古い日本の様式で総檜、寄棟、瓦葺にて再建。
音楽 のる様作(ニコニコモンズ)忘却の都~ノスタルジックなBGM~ あとは沢音。
事歴に関しての歴史事項は、広島市西区役所作成配布の三滝散策マップ境内、参道周辺地図の記事を参照しています。https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/nishiku/226361.html(ここで地図が見れます)お近くの方は気が向かれたら是非参詣ください。
【小行司〜こぎょうじ〜】多賀山海抜330mに鎮座「多賀神社」 山口県熊毛郡 田布施町大波野の飛地
神社編・多賀山330m山頂には多賀神社が、鎮座しており信仰の山である。昔 多賀大社を勧請したもので、イザナミ、イザナギの大神を祀る
小行司は、熊毛郡田布施町大波野の飛地で周囲は光市、柳井市、岩国市に囲まれた場所。
山頂の石段のところからはからは展望もよく熊毛半島や周防灘の海も望まれる。
一つ謎が神殿の真下にミニチュアな小さいオヤシロがあるんですが北?の方を向いています。云われ不明です。
田布施のHPに毎月20日が祭礼だとか書いてありましたが行けたら聞いてみようかのう。
アクセス
県道138号線沿いに登山口がある。
柳井市伊陸〜しばらく西に走り途中岩国市周東町田尻あたりから138号へ入る。山中の力士小桜碑、郷江集会所が目印である。広いところへ駐車して県道を少し歩くと多賀神社の小さい道標がありここから登山口。
もう1ヶ所はここからしばらく走りますと峠に多賀神社の表示があり参拝用林道からのルートもある。車で入れます。地図で見たら別に黒杭から林道?もあるみたい。
多賀神社のある山頂の雰囲気は大変よろしいです。山桃の神木や木漏れ日、森が私はいいと思います。南側の眺めも良い。今年2回目。
境内がいいんですよ。雰囲気が清々しい聖域の感じがします。木漏れ日のさす晴れた日に行ってほしいですね。地面は箒の掃きめがあって踏むのが申し訳ない感じ。
登りとか特に縦揺れしちゃんうんだよね スタビライザーいいけどチャイナ製のいろんなソフト入れるの好きじゃないんだよなぁ。
頑張って編集した。動画部分の素材がイマイチなのは反省です。車で行った時の前回の写真消しちまったからなあ。タイトルがズレてた ミスがw このまま行きます^^
波野 (Hano)河内神社(Kouchi jinjya)と境内社 楮祖神社(Choso jinjya) 初秋の山里
県道69号線沿いの岩国市本郷町波野地区の河内神社
境内社〜国内唯一の和紙の神様=楮祖神社
〜山代和紙は毛利藩の三白(塩、米、和紙)の一翼を担った重要産品でした
暦の上では秋なれど猛暑のなか、国道187へ接続する県道69号沿いの波野地区の河内神社と境内社楮祖(ちょそ)神社へ。今年2回目ですが季節や光天候が違うとまた雰囲気も変わる。
河内神社のカエデの紅葉が綺麗らしいのでまたみてみたいです。
河内神社境内にあり楮祖神社は日本で唯一の和紙の神様として祀られるので珍しい。普通の山間の素朴な神社なんですけどね。なんか味があります。大杉と楓の大木がある。
楮祖神社 所持の本 山口県の歴史散歩によると。
中内(ちゅうない)右馬允を祭神として祀る。河野氏の一族で永禄年間の山代地方に所領を持ち楮(こうぞ)栽培と和紙の製造広めさせた先駆者。この恩を徳として神社が創建された。
紙の神様で国内唯一。右馬允の墓所は裏山の木立の中にあるそうです。
春先と今回で都合三回目なんだけど 手持ちの山口県歴史散歩の書き込みを確認したら 平成九年に初め来た見たいでレンタカーでドライブした時かな 懐かしい。
8月猛暑の中にて
【Voicepeak】 りりせ&フリモメンと行く神社巡り〜周防山代〜桜満開の明神原と滑「河内神社」岩国市美和町
滑・河内神社と谷にある明神原なごみ広場の晩春の花模様映像 かなり改訂しました。
山口県美和町 音声ガイドと字幕あり
大同元年創建=河内大明神 元はもう少し奥の瀬戸の内、宮本から宝永2年にここ滑に新しく社地を開き遷座したようです。今も祀られた小祠があるようです。
現在の岩国市美和町滑にある古社である。
岩国市北部 美和、本郷、錦あたりは山代地方と言われた。
明神原もあるし結構好きなので四季折々訪れます。
追記〜由緒書に曰く「配神の一柱の天津日子根命は、河内国造、山城国造、周防国造の祖神なりと言われ共に祖神を同じくする氏族だったらしい。平安期に周防国に移住したそうした氏族は、この地を山代と名付け地域地域に社殿を建立して祖神を祀った。 その一つの神社なのだろう」
季節季節に良い明神原なごみ広場の桜なども合わせて見たいところ。
撮影 PENTAX K-70 iPhone se2
202年,2023年映像のまとめ記録。
公式から拝借した立ち絵はOP、ED、本編。
コトバンク滑河内神社 記事、由緒書参照。
晩春の 大竹 疫神社・大治社大竹市元町
広島県西端の街大竹市 鎮守大瀧神社の元の鎮座地(弥ヶ迫)にある「疫神社」(疫病を鎮めるため祭られた)と大治(おおし)社(宗像三神中でも田心姫命を祀る)大瀧神社〜御神幸の終点でもある。
桜のころも撮影したので桜模様はまたうpします。
大竹地域の言い伝えでは=ここの場所あたりに厳島神社創建社として知られる流刑中の佐伯鞍職(くらもと)が居住していた場所と言われる。厳島明神鎮座伝説中では所の翁とも呼ばれる。疫神社境内の 山の方に所塚(佐伯鞍職の形代をおさめているという)
注)この時は上までは行かなかったのですが、推古桜(途中で折れてる)が見えるところまで上がりました。そこから見た感じでは楕円形の石がいくつか据えてありちょうど墓所に花筒にシキミが供えてあるように見えたもんで。写真は失敗してた。
もしかしたら所塚自体はさらに奥かもしれません。墓の可能性も機会があればまた見てみようかな。
大瀧神社 宮司家=所 氏ですからね 佐伯氏の系譜か?
大治(し)社=田心姫を祭るお社。恵比寿様も合祀されているようです。
疫神社(やくじんじゃ)
大国主命、少名彦命(字幕=打ち間違えてます訂正します^^; 動画はこのままにします)、素盞嗚命〜祭神は元は牛頭天王なんでしょうね。
所の翁=伝説ですが、厳島明神が厳島へ来た時、海上で出会った釣りをする翁。どこのものかと問えば
所のものですと答えたという伝説で(この土地のものです意味)厳島神社創建の佐伯鞍職である。
佐伯鞍職(大竹の説話では)、または別の人物とも・・。
歴史的なものは大竹歴史研究会のHP記事を参照しています。
Voicepeak 【彩澄りりせ&Frimomenと行く】 初夏の尾道路 尾道寺社巡りコースと夕暮れ前の海峡
修正版。5月後半 昼間に倉敷の阿智神社、里庄へ行って岡山から帰路に尾道駅で途中下車。
夕方16時台に到着〜
尾道の寺社巡りコースを散策して帰る。尾道らしい路地歩きなどもしたかったので^^
紫陽花咲く寺院や山腹の住宅街を縫うような細い道、尾道水道の風景や港の渡船行き交う風景です。
地味な内容ですが興味がある方はどうぞ。
この日尾道巡拝で回ったお寺リスト以下
二階井戸(持光寺参道横にあり)持光寺と紫陽花
光明寺
吉備津彦神社と宝土寺
商店街を駅へ点描(少々)夕焼けカフェのドーナツ美味いよ
尾道水道の黄昏時(18時ごろ?)渡船と海の景色
撮影=OM-D EM-1 MarkⅢ レンズ=M.ZUIKO DIGITAL ED 12-40mm F2.8 PRO
立ち絵はVoice peak公式の配布画像をお借りしております。
Voicepeak ♪ ♪安芸路巡り「早春の旧山陽道 木野(この)の渡し場跡と中津原の古い町並み」 広島県大竹市木野中津原
Voicepeak版 旧山陽道(西国街道) 木野(この)の渡し場跡周辺と街並みの風景。
旧型ですが^^新しいカメラのテスト。
前半、終盤 Voicepeak解説 中盤は字幕とBGM (歌唱入)で構成なので音声ガイドなし。
安芸国(芸州藩)と周防(長州藩)の国境線。船の渡し場があった場所。武士は無料、人は2文、牛馬4文
節約する旅人用に徒歩で渡る浅瀬もあり徒渡りの瀬=70cmほどの水深があったらしいです。
昔々は小瀬川(木野川)周辺は、川船を利用した物資集積地で山間部、沿岸部の物産が行き来した物流の中継で栄えた商業や味噌醤油、酒の醸造も行われ各地へ販路を求めて運ばれた。
また木野や対岸の小瀬など小瀬川周辺は優良な和紙の生産で栄えた地域ですね。
大竹歴史研究会のサイトを見ますと多い時は40艘余りの川船が行き来していたらしいですね。
木野1丁目(中津原)周辺は小瀬川(木野川)の土砂が堆積してできた土壌のようですね。
やや上流は木野2丁目で上木野と呼ばれた。
細かい歴史的なものは大竹歴史研究会の解説を参考にしています。詳しいサイトです。
撮影 Panasonic LUMIX G9 Pro /LEICA DG- VARIO ELMARIT12m-60mF2.8-4
4K撮影。
音楽がニコニコ関連限定なので、ニコニコバージョンです。
りりせ&フリモメンと行く 山里の寺社巡り安芸太田 津浪「 三島神社と茶屋庵(どうさん)」☆Voicepeak★ 2023.3
中国山地の安芸太田町津浪地区散策 その1 寺社編
茶屋庵=本尊〜虚空蔵菩薩と観音堂
本郷観音堂=なぜか本尊は釈迦如来らしい
三島神社=弘治2年創建 伊予三島大明神を勧請のようです。
津浪の寺社と河内神社&山野草を分けた。
その2 河内神社とホソバナコバイモ
その3補遺(尺に収まらなかったため)津浪のカタクリの自生地紹介咲き始めだけどね。
散策時撮影=PENTAX K70 とiPhoneSE2
Voicepeak【フリモメンと行く神社巡り】 中国山地 安芸太田 「津浪・河内神社」と巨樹のある社叢 test1
広島県山県郡 安芸太田町〜津浪 河内神社と御神木の境内の杉の大木のる風景。
神社案内ガイドはフリモメン(voice peak)さんです。音声案内は最小限にとどめております。
テスト投稿 フリモメンさんのご案内によるし神社参拝記。
津浪 河内神社は1375年創建の古社。この地方が開拓されていた時期
南北朝時代に河内国から移住した影浦氏が勧請して建立したのが始まり。
創建以来守られてきた社叢の風景は壮観である。
神社下の田園からの眺めも良い。
加計スマートICのあたりから入る道とプラットホーム津浪(道の駅的な)の少し広島よりから山側へ入る道もあり(多分こちらがメイン道路かな)三島神社や浄土真宗寺院、古い御堂、古墳(復元)などもあるようだ。
地域で寺社旧跡などにも解説版なども設置されている。
いつか散策したい。
〜立ち絵画像は Voice peak公式DL用のものお借りしています〜
修正完了。
今回導入してインストールした Voicepeakについて
ここでフリモメンさんのナレーションはわるくない。力強い声。
趣味的には音楽だけの方が場所柄ここだとより静寂の雰囲気はあるかな。
テストなんで映像は同じだが、別音声でもう1パターン作ったのであげるかも・・どうしよう。
VOICEPEAK安芸路巡り 〜写真で綴る〜 紅葉の安芸太田町(2022) 広島県山県郡安芸太田町
西中国山地にある山県郡安芸太田町(戸河内、筒賀、加計などが合併成立した山里です)
1 湯来町打尾谷の神社の銀杏の黄葉=広島市佐伯区湯来町。湯来から筒賀へ抜ける県道41号線にある。
2 筒賀大歳神社御神木の大銀杏=安芸太田町筒賀
3 一宮大歳神社=同町戸河内
4 吉水園(よしみずえん)=同町 加計 江戸時代の鉄山師 加計氏の庭園 春秋二回園内公開あり。
2022年の記録 本編
一部既存の筒賀の動画から映像を一部挿入した。
今年は今週か来週が見頃かな?行けたら写真と動画を撮りに行く予定。週間の天候からして少し早いが7日に行くかね。
11月7日 筒賀へ行ってきた・・8分〜9分の黄葉かな。見頃は迎えていますよ。撮影しがいがあるよね。
いい色合いでした。色の濃淡があるのもいいね。またそのうち編集するかな。
見学の人やカメラマンもはいっぱいいました。打尾谷にもよるが15時ごろで光が少なかった。
筒賀はもし行くなら今週末がおすすめかな。お年寄りや家族連れもいました みなさん綺麗!すごいと感嘆しておられました。
広告御礼 感謝であります ^^;人
赤城山登頂記念 様
岡崎尚子 様
no=name(ナナシ)様
ガンダヌフゥ0x0 A 様
厳島神社外宮「地御前神社」と「地御前本道(ほんみち) 」【前編】(〜西向寺門前まで)
西国街道から宮内串戸あたりで西へ分岐した古い道で、宮内〜地御前へ抜ける。地御前=じのごぜんの意で、本宮厳島神社が御前、本土側が地の御前という意味。
地御前神社のところまで続く。昔の地御前神社へ至る参詣の道でもある、生活道として使われた(今も現役)。(サイト〜広島大百科を参照しています)
20年くらい前は古い街並みなど残っていたようだが近代化で多くが失われたがまだ幾らか町家やその風情が残っている。絵を残しておこう。古い道標なども残っていたり、御堂、お寺、神社、大木などいろいろある。
最近参拝に行くと新しくなった家が増えていますね時代です。
余談〜昔、海側の宮島街道が開かれるまでは、西へ行く道は宮内村から四郎峠(今山陽自動車道がそばを走る)を越えて行く(今も迂回路として交通量が多い)旧山陽道(西国街道)しかなかった。
ただ、厳島に参詣し、その後 地御前から旧山陽道のおおの中山へ抜けた話が、室町初期の九州探題=今川了俊の道行ぶり(紀行文)にもあり迂回路も存在したようです。山越えですが。
行程
前編=藤掛橋(御手洗川)~宮内交差点~西国街道~地御前本道へ~御手洗川/御手洗橋~古い道標~地御前コミュニティセンターと道標~観音堂~
後編=西向寺と蓮華松~正行寺~古い町家など多いエリア~(洋画家)小林千古生誕地碑~地御前小学校/大銀杏~大歳神社と釈迦堂~地御前神社境内へ(国道開鑿碑、楠巨樹、地御前神社社殿、皇威輝八紘碑・寺内正毅書、絵馬、鳥居、狛犬など)→sm39369835
☆Voicepeak★ 安芸太田町 津浪 「可憐なホソバナコバイモの花と河内神社」(御案内=彩澄りりせ&フリモメン)
広島県山県郡 安芸太田町〜ホソバナコバイモの開花と津浪 河内神社の
御神木の境内の杉の大木の風景。
神社案内ガイドは彩澄りりせちゃんと解説=フリモメン(voice peak)さんです。
立ち絵OP・EDの最小限にとどめております。 りりせ&フリモメンさんのご案内による神社参拝記。
津浪 河内神社は1375年創建の古社。この地方が開拓されていた時期
南北朝時代に河内国から移住した影浦氏が勧請して建立したのが始まり。
創建以来守られてきた社叢の風景は壮観である。
細葉花小貝母
ホソバナコバイモ 日本固有の小貝母で絶滅危惧される山野草。
球根から茎が伸び五枚の葉と釣鐘型の白い小花を咲かせます。
花の最盛期をやや過ぎた3月20日訪問。3月上旬〜4月上旬が花期
5月に種実り地上部が枯れる。
古刹大聖院と〜もみぢの名所〜紅葉谷の紅葉風景 2022.11/15
宮島の紅葉の模様。
秋季大祭の大聖院の紅葉
紅葉谷公園の紅葉
もみぢ荘周辺 紅葉谷の奥を散策
四宮神社周辺の紅葉
厳島神社裏(長橋あたり)の紅葉
大鳥居と海
来年はぜひ秋の宮島へどうぞ
これで宮島の秋の風景動画は完了。総集編があった・・火渡りの・・まだまだ続く。
☆☆【広島市の神社巡り】♪♪ 太田川左岸「大歳神社」神社詳細版 広島市佐伯区湯来町下836(広島市飛び地)
西中国山地の山あいの里 広島市佐伯区湯来町下 広島市神社巡り紹介。
よろしくお願いします^^;人 この雰囲気上ここは音楽と字幕・映像のみ
(この前に湯来町下の大歳神社を出て)国道433号で国道191号沿いの太田川左岸へ出てJR水内駅跡へ
→太田川と水内川の合流点に位置する湯来町飛び地 旧可部線水内駅跡
大歳神社と広島市天然記念物=ムクロジの大木
この辺りでは水運(昔は産品の運搬には川舟による舟運の輸送が盛んで従事する人も多かったようです)
田園地帯の鎮座する湯来町下松原 大歳神社 sm41731873
次は津浪河内神社詳細版 voice peakが来るのでをテストしてみるかな。
山口県の神社巡り 清流の町錦町 府谷・須川 河内神社三社巡拝編 岩国市錦町
清流錦川流域錦町の神社巡りと日本の風景 河内神社三社の紹介。
前回は旅動画・・今回は神社編です。二ヶ所の画像データ追加しました。
府谷の河内神社 川沿いの道の駅ピュアラインにしきにあり。明るくひらけている。
須川 河内神社 社殿も古いが彫刻もいい。大杉が多い 手水鉢がも面白い。
江龍寺 俊道様 下の病を癒す徳のある寺院。俊道大和尚の墓所へお酒を供えて祈願する。
上須川 河内神社 宇佐川沿いの上須川にある渓流沿いの御社。境内に岩国市重要文化財指定の大杉がある。スズメバチが飛んできたので本殿の写真は無しです。国道から少しだけ入った場所でちょっとだけわかりずらいです。
領主(開拓者?)讃井清原兼道により創建されたと伝わるらしいです。神木の高さなどデーターがサイトにより違いがあるが岩国市のHPを参照しています。
水晶ケ城跡の麓 「臼山八幡神社」補遺〜 Usuayama Hachiman (師走 紅葉最盛期記録) 広島市佐伯区石内
令和二年12月 もみじの紅葉が盛りになったと思われた頃訪れた。
やや曇り気味でしたがだいぶ色付きが進んでおりまあまあ雰囲気は出てるかなと。宮島辺りは混雑しているというので避けてこちらへ再訪した。この辺りは古代山陽道でもある。
平安末期に始まり戦国時代厳島合戦の前まで 水晶ヶ城という大規模な山城があり厳島神主家藤原氏や大内氏の支配下にあったが厳島合戦前に毛利軍により落城後に廃城となった。城砦が大規模すぎて守るのに難しい故とも云われる。
旧社格は村社。八幡神を祀る。境内社=稲荷神社と新宮神社がある。
境内は結構広いです。石段したのもみじの古木のある石鳥居のところは駐車スペースになっています.。また社殿右手の境内隅に永井建子(けんし)の記念碑が建つ。
〜境内 由緒書より〜
延暦二年宇佐八幡より勧請された小祠が祀られ、後に築城された水晶ヶ城の鎮守として祀られた。現社殿はなかなか大きく造りどっしりしている。境内は大木が多くある境。昭和になり 皇紀二千六百年記念にて山腹を切り開き境内拡張して社殿を現在の位置へ移し祀った。
その1(紅葉はじめ頃〜社殿及び境内 動画 sm38073703
令和2年12月