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イランの名所・旧跡『ガズヴィーンのアミーニー邸宅』
テヘラン西方のガズヴィーンにあるアミーニー邸宅の紹介です。
アミーニー邸宅は、ガズヴィーン市内にある壮麗な邸宅で
今から120年ほど前ガージャール朝ナーセロッディーンシャーの時代に
アミーニーという名前の著名なじゅうたん商人によって建設されました。
この建物の壁や天井には、イラン独自の装飾芸術である
鏡細工や漆喰細工が施されています。
この邸宅の広間に用いられている色鮮やかなステンドグラスの装飾は
アラスィと呼ばれ、これは、イスラム建築・芸術でももっとも重要かつ
美しいものとされ、広間の仕切りや窓に使用され特別な位置づけにあります。
アラスィー装飾の重要な特徴の1つは見る者をうならせる
見た目の美しさに加えて十分な量の太陽光線を室内に吸収する力があることです。
窓にアラスィー装飾が施されていることで
外から室内が見えないようになっていることで
住人が安心できることから、過去にはこの装飾が多用されていました。
この邸宅の建設には建物自体に18年
扉やアラスィー装飾の細工に9年の合計27年を要しています。
アジアと中東の映像→【mylist/61515778】
イランの名所・旧跡『イトスギとアーガーザーデ邸宅』
イラン中部ヤズド州内アブルクーにある
「イトスギ」と「アーガーザーデ邸宅」です。
イトスギは、がっしりとした常緑樹です。アブルクーは
かつてはシルクロードに位置し、数多くの旅人や貿易商人らの
通過点となっていました。アブルクーの町に残っている
建物や史跡は、この町の悠久の歴史を物語っています。
高さが25メートルあるこのイトスギをはじめ
これらの史跡などは常に地元民にとって聖なる場所とされてきました。
このイトスギの樹齢は4000年以上と推定されています。
また様々な伝説においては、このイトスギが
預言者ゾロアスターによって植樹されたといわれています。
このイトスギのそばにある旧家の1つに
「アーガーザーデ邸宅」があります。
この邸宅は、ガージャール朝時代に建設されこの町の大富豪の1人
セイエド・ホセイン・アーバルクーのものでした。
また、その伝統的な建築様式や美しさから常に注目され
年間を通して多くの観光客がここを訪れています。
イランの名所旧跡と音楽→【mylist/61515778】
イランの名所・旧跡『シューシュ行政区の城砦と宮殿』
イラン南西部フーゼスターン州シューシュ行政区です。
ここにはシューシュの城砦とアーパーダーナー宮殿があります。
一見すると、これはフランスのバスチーユ監獄に似ています。
この建物の建築構造は、中世ヨーロッパの様式に似ています。
この城砦は台形で小さな砦が北側に立っており
その周囲を回廊が取り囲んでいます。
この城砦の見所としてヨーロッパの帽子とも称される
ガラス張りの小さな室と鳩の巣作り用の穴が沢山ある塔があげられます。
北西側に立っている塔は角柱で、北東側に立っている塔は円柱状です。
アーパーダーナー宮殿の建物はレンガでできており
チョガーザンビルのジックラトの建物に使われている
楔形文字が彫刻されています。
イランの名所旧跡と音楽→【mylist/61515778】
イランの名所・旧跡『ヤズドのラーリー邸宅』
イラン中部ヤズド州の由緒ある旧家、ラーリー邸宅です。
この邸宅は、イラン中部の町ヤズドにあり今から150年以上前の
ガージャール朝時代のものとされています。
この邸宅の所有者は、19世紀のヤズドの著名な商人の1人
ハージ・モハンマド・エブラーヒーム・ラーリーでした。
この邸宅の総面積は、およそ1700平方メートルにおよび
砂漠地帯の家屋に特有の建築様式で造られた6つの扉があり
大小の中庭2つ、一連のテラスや広間や複数の部屋などで構成。
木製の扉、格子窓、色とりどりのステンドグラスは
カージャール朝時代の富裕層の家屋でよく見られます。
この邸宅に使われているのは泥や粘土です。これらの材料は
強烈な太陽光に強く、砂漠や熱帯地域で使用されています。
この邸宅はイランの国家遺産に登録されています。
イランの名所旧跡と音楽→【mylist/61515778】
イランの名所・旧跡『ドウラターバード庭園』
ドウラターバード庭園はイラン中部ヤズド州にあります。
ここはユネスコ世界遺産のイラン式庭園として
登録されている9つの庭園の1つです。
この庭園の中軸を担っているのは、まさに池を中心とした景観であり
その水面には八角形の角柱状のペルシャ語で
バードギールと呼ばれる採風塔が映っています。
この塔の高さと池の大きさが見事に調和しています。
ここにある採風塔は、事実上この庭園の最もメインとなる部分に建っており
塔内には3つの大きな部屋があるほか、大理石でできた貯水槽があります。
この塔の重要な特質として、全体的に八角形の角柱状であることにより
四方八方から急速に、建物の下部にまで風が送り込まれることが指摘できます。
この建物には、アルスィと呼ばれる独特のステンドグラスによる
デザインが施されており、この建物の美しさを増しています。
ドウラターバード庭園は、ザンド朝及びガージャール朝時代の
最も壮麗な建造物であるとともにイラン建築の最高傑作の1つです。
イランの名所旧跡と音楽→【mylist/61515778】
イランの名所・旧跡『サアドッサルタネ隊商宿』
テヘラン西方のガズヴィーン市内にある
「サアドッサルタネ隊商宿」の映像です。
屋根つきの隊商宿としては世界最大規模とされ
複数の公衆浴場やアーケード、市場付属のモスク
伝統的なスタイルの喫茶店チャイハーネなどがそろっている点で
イラン国内でもごく限られた隊商宿とされています。
この隊商宿の名称になっているサアドッサルタネとは
当時のガズヴィーンの為政者の名前であり
当時イランが一部の近隣諸国と盛んに経済交流を行っていた事から
為政者サアドッサルタネはこの地に隊商宿の建設を命じました。
「隊商」とは別名「キャラバン」と呼ばれ商品の輸送中に
盗賊団などの略奪、暴行などの危険から集団的に身を守り
商品の安全やいざというときの保険のために複数の商人や輸送を営む者が
共同出資して契約を結ぶことによって組織された。
その組織が長く逗留する際に作られた場所が「隊商宿」と呼ばれています。
イランの名所旧跡と音楽→【mylist/61515778】
イランの名所・旧跡『タブリーズ市のモスクとバザール』
イラン北西部、東アーザルバーイジャーン州の中心都市タブリーズの
歴史あるバザール・市場とモスクの映像です
このモスクは、宗教儀式や集団礼拝の実施場所とされてきました。
このモスクが建設された時期は正確には分かっていませんが
石膏の碑文によれば、今から1000年ほど前のものとされています。
このバザールは屋根つきのバザールとしては世界最大の規模を誇り
中東で最も古いバザールとされています。
このバザールは12世紀から18世紀にかけて
世界最大の交易の中心地となっていました。
ここは、いくつかの部門に分かれており
その1つが絨毯の売買に当てられています。
イラン製の絨毯はイランの文化や芸術のシンボルとなる
色鮮やかなデザインでよく知られています。
2010年には、タブリーズのグランドバザールは
ユネスコ世界遺産に登録されました。
タブリーズのグランドバザールはこの町の経済の中心であり
布地や衣服、靴、食品などそのほかの産物をはじめとする
様々な商業部門に分かれています
イランの名所旧跡と音楽→【mylist/61515778】
イランの名所・旧跡『ゴレスターン宮殿』
テヘランにある最も古い王宮建造物群の1つである
ゴレスターン宮殿の映像です。
この宮殿は、緑豊かな樹木や水のある光景にあふれた庭園の中にあり
サファヴィー朝時代に建設、ガージャール朝時代に再建され
ガージャール朝の王族たちがここに住んでいました。
ゴレスターン宮殿を構成する一連の建造物の中で
最も際立っているのはバードギールと呼ばれる天然の風クーラー(採風塔)です。
黄金のドームの上に、緑、黄色、青の化粧タイルが施された
採風塔が立っており冷気をを王宮の建物内へと誘い込む仕組みになっています。
ゴレスターン宮殿は、絵画や鏡張り、化粧タイル
石膏を下地とした浮き彫り、格子窓などが見られ
最も美しいイラン芸術が具現されています。
この広間の天井の高さは30メートルにも及び
当時の建造物の中で最も高さのある建物とされています。
また、国王が列席しての歓迎式典の開催場所にもなっていました。
イランの名所旧跡と音楽→mylist/61515778
中東関連ニュース→mylist/63946039
イランの名所・旧跡『フーゼスターン州の水利施設群』
イラン南西部フーゼスターン州の2000年以上の歴史を持つ
シューシュタルの水利施設群の映像です。
当時、シューシュタルはカールーン川のほとりにある都市の中でも
最も大きく重要な都市の1つでした。
シューシュタルの人工的な滝は
この地域の最も重要な観光名所となっています。
遠い昔、シューシュタルはイランの夏の中心地でした。
ここには、毎年多数の観光客が訪れ、その美しい絶景を堪能するとともに
その独自の技術に感銘を受けています。
シューシュタルの水利施設群は
2009年にユネスコ世界遺産に登録されました。
過去には、この地域ではおよそ40の水車が利用されていましたが
残念なことながら、それらの多くは時代の経過とともに破壊され
現在ではごくわずかの水車のみが残っています。
イランの名所旧跡と音楽→【mylist/61515778】
西国街道旧跡 小己斐島(旧小己斐明神)広島市西区井口明神
西国街道沿いにある 小己斐島 小さな島ですが埋め立てられた商工センター内の公園の池に残る。
古には刻印の明神と言われ 平清盛が鈴が峰山できを切り出し厳島神社建設場所へ運ぶとき刻印を打った場所とも言われている。もともと市杵島姫を祀っていたとも言われる。
西広島の己斐にある旭山神社(八幡宮)を分祠し小己斐明神と称された。子授けの子乞い明神など
とも呼ばれたらしい。
小己斐明神は参拝したんですが井口大歳神社境内に遷座して合祀されている模様。
大木のある地元の素朴な歴史のある氏神でいい感じでした。
かつては夫婦島で女明神&男明神の二つの小島があり 今は男明神島のみ残る。
両部鳥居がかつての信仰の跡を残す。
街道筋の名所の一つだった。干潮時には西国街道を行く旅人は山越えを避けこの辺りを歩いて迂回もしたという。
池は海水の池なのでボラなどがいます。
西国街道を行く 安芸と周防国境「木野(この)の渡し場跡」と古い街並み情緒 (広島県大竹市)画質改良
西国街道を行く
広島市周辺の旧山陽道(西国街道)の一部を何回かに分けて歩いてみます。面影はわずかだと思いますが 歴史のある道ですから。
前より高画質化して若干増補改訂しました。
玖波宿、小方宿を過ぎ、苦の坂峠を越えますと広島県と山口県の境を流れる小瀬川沿いの山間の集落である大竹市木野(この)に出る。江戸時代西国街道が通り安芸と周防の国境線として渡し場があった。
小瀬川(江戸時代までは安芸国側は木野川、周防側は小瀬川と呼んだ)には今は新しく両国橋がかかり車でも渡れる。
昔の街並みが少し残る通りや厳島神社、史跡の渡し場など川沿いの山が迫る独特の景観などを見て歩いた。
対岸の小瀬(岩国市)集落にはかつて一里塚などあったらしい。
今は吉田松陰「夢路にも帰らぬ関をうち越えて今をかぎりと渡る小瀬川」の歌碑が静かに流れる川を見つめている(揮毫は元宰相 岸信介)
この和歌いいですよね。 2019 早春
小瀬からは山道が小瀬峠を越えて岩国の関戸宿へと続いていた。今は新しく車道に変わり狭隘ながら車で越えることもできる 近くに関々バイパスのトンネルもできている。岩国錦帯橋、新岩国駅方面へ行くには近道になっている。
大竹の(JR玖波駅辺り)玖波宿あたりも古い家並みが少し残っているけどここの木野の方が街並みがいいですね。小瀬峠の向こう岩国の関戸へも行きましたがほとんど残っていません。 客神社や吉田松蔭東遊記念石碑、本陣の崩れかけた土塀が往時を偲ばせるだけです。
【 旧山陽道 関戸宿跡 】 吉田松陰先生「東遊記念碑」の桜 令和三年春
嘉永4年(1853年)春 松蔭先生22歳 初の東(江戸)遊学 したことを記念した石碑。
傍に立つ桜木の花。隣は解体された旧本陣跡である。
二十年くらい前 初めてここへ来た時も桜が咲いていたなと思い出します。
記念碑の立つ場所は関戸公会堂の街道に面した場所にある。
詩文は石碑裏面に刻まれている。松蔭先生がこの地で詠んだ漢詩であります。
前回は秋に訪れたが春の桜が印象深いので記録しておく。
関連=吉田松陰 歌碑と小瀬川の渡し場跡の桜 sm38512625
ここ関戸の画像は何回か挙げていますがまあ好みなんで四季折々趣がある。
山口県 西国街道 吉田松陰 詩碑 神社 宿場町 跡の風景。
令和3年4月 宮島桜の名所散策 sm38597393
広告いただき謹んで御礼申し上げます。